第202号 2019.3.29発行 | ||
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テーマ: 『 大学生向けインターンシップで
■大学時代は人間学マニア、そしてアチーブメントとの出会い ■理念経営とは? ■人間の幸せのメカニズム〜選択理論心理学より〜 <5つの基本的欲求>
<上質世界>
人が幸せであるというのは、5つの基本的な欲求が満たされている状態のことである。そしてこの欲求のレベルというのは、人それぞれ違いがある。例えば就活生を見ていて感じるのは、我々の時代よりは休暇や労働時間などライフスタイルに関心が高く、すなわち生存欲求が高い。 生存欲求:当社は自らレストラン経営を行い、幸せを感じる空間を提供している。 社員が「この会社が自身の自己実現に役立つ!」と思うかどうか、それは裏返すと「自らの会社は、働く社員が自己実現できる舞台になっているのか?」を経営者が日々自問自答できるか、ということではないだろうか。 |
テーマ: 『 名古屋大学ナショナルイノベーションコンプレックス(NIC)視察会 』
産学官連携の取組みを加速させている当地アカデミア名古屋大学を訪問し、そのイノベーション創出拠点となっているNICの見学会を実施した。研究協力部産学官連携監の加藤滋氏によるレクチャーのあと、自動運転ソフトウェア開発企業であるティアフォー取締役で、名大未来社会創造機構特任教授である二宮芳樹氏より、同社の紹介ならびにNIC内で保管している自動運転車を実際に見学させていただいた。 <加藤滋氏によるレクチャー 「オープンイノベーション機構構想−未来社会創造機構の拡充−」> ■基礎研究〜産学連携〜技術移転までをシームレスに ■オープンイノベーション機構事業の構想 <二宮芳樹氏 レクチャーおよび見学会> 名大・ティアフォーではレベル4の早期実現を目指している。中核技術は自動運転ソフトウェアのAutowareである。 Autowareはオープンソースのプラットフォーム。世界中の開発者に使ってもらうことで、迅速な普及と改良、ひいてはデファクトスタンダード化を狙っている。既に国際業界団体「The Autoware Foundation」も設立し、英国半導体のARMやトヨタのTRI、ファーウェイなども参画している。なお、レベル4の実現のためには、このAutowareをプラットフォームに、3D-LiDAR(位置情報や周囲をセンシングする高精度センサー)と三次元の高精度地図が必要になる。この高精度地図の技術はアイサンテクノロジー等が担っているが、実際に公道を走りながら各種データを取り込む必要がある。そのため同一地点間のシャトルサービスから普及が進むことが想定される。我々は幸田町や高蔵寺ニュータウン等で自動運転の実証実験を行っているが、人口減少・高齢化社会においては移動や物流のラストワンマイルを担うモビリティとしても期待される。
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テーマ: 『 企業リスクから見えてきた健康管理のあり方
■「健康」とは何か? ■2025年〜団塊の世代全てが75歳以上になる〜 ■癌にも色々ある ■癌診断方法の潮流
■理想の健診に向けて |
テーマ: 『 感動エンジニアリング。 NDS 』
■アウトドア活動が健康の秘訣 ■光ファイバーに魅せられた ■NDS創業者 本多静雄 ■感動エンジニアリングの追求
インフラを支えるのは人である。男性社員の育児休暇取得率(3日以上)100%に象徴されるとおり、働きやすい職場作りに邁進しており、「くるみん」認定を含め各種自治体から取組みが評価されている。また、家族・地域住民を招いた会社見学会、今年で25回目となったNDSスペシャルコンサート(高嶋ちさ子氏)など、社会に開かれた企業として今後も感動を提供する存在であり続けたい。 |
テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第95回 』
料亭つたも主人 栄そして栄ミナミ 歴史と由来 名古屋栄の歴史と由来について、お話ししてまいりましょう。現在の栄地区は昭和41年の新住居表示実施により設定され大まかには北は広小路、南は若宮通りが南北域となります。西の堀川から伏見通りまでを栄1丁目(御園地区)、本町通りまでが2丁目(白川地区)、久屋大通までが3丁目(住吉地区)、その西が4・5丁目(武平町・東新町)となりました。 この地は藤野と呼ばれる台地の南で大津通が小高い丘となり豊富な地下水と泉に恵まれた里山であったようです。西に紫川流域があり、1丁目は北から2本の流れが合流し水量も多く、古代の海進時代・堀川以西は海岸線で、栄小学校南周辺には竪三蔵遺跡と呼ばれる約2万年以上前の旧石器から縄文時代のナイフ形石器や鏃(ヤジリ)が発掘されています。海の幸や果樹の実にも恵まれ、紫川に水を求めに来たシカやイノシシの狩りをしていたようです。
清須越し碁盤割外の東南隅で南寺町に至る場末の境からサカエと呼ばれたと祖父から聞いていましたが、明暦年間(1655?1658年)頃から栄村(さこむら、のちの中村区栄生町)の住民が店を出して商売をするようになったことによるという説もあるようです。 江戸時代は大規模な商人の本町通り・三業者(芸者・置屋・料亭)遊興の住吉通り以外は殆どが下級武士住居であり、南隅が寺町となっていました。万治の大火(1660年)後は防火帯として広小路ができ庶民の広場として賑やかな下町の中心となりました。そして、「栄町」という町名が正式に成立したのは明治4年(1871)広小路長者町より栄町1丁目から南久屋が栄町7丁目となりました。その後、東海道線笹島駅オープンに伴い、名古屋電気鉄道(市電)が明治31年開通し、広小路が笹島(名古屋駅)と中央線千種駅につながり、官庁・金融街が集約され、南北の大津通に熱田と結ぶ市電が開設されました。明治43年栄町5丁目交差点の南西角、火災で焼失した名古屋市役所跡地に移転して中京の百貨店の先駆けとなった株式会社いとう呉服店(後の松坂屋)が栄町5丁目南角に開業し、栄界隈が大変化を遂げてきました。 戦災で栄学区は殆どが焼失して、田淵寿郎リードの都市復興計画で道路と公園が50%を占める新しい碁盤の町割りとなり、町名も明治のころから南○○町と呼ばれる通りが多くなりました。広い通りを活用したイベントとして高度成長の続く昭和45年(1970)、南大津通の栄交差点から矢場町の区間で日曜遊歩道「歩行者天国」が始まりました、毎週日曜日には多くの人で埋め尽くされましたが、交通量の増加もあって昭和59年(1984)中止されました。近年復活の声に応えて2012年「ホコ天」が復活され毎年春秋の日曜日の楽しい憩いの場を提供しています。
昭和57年、当時の南呉服町商店街・佐藤嘉晃理事長(伍味酉社長)が新設プリンセスガーデンホテルからの賛助金でアーチを建設。通称「プリンセス大通り」と命名されました。 そして、昭和60年には住吉町のアーチも灘家伊藤泰弘氏のリーダーシップで完成し栄繁華街が年々賑やかになってまいりしました。平成9 年にナディアパーク開業にともない住吉景観地区協定を実施、254枚の歩道用陶板絵タイルを埋設するなど奮闘されておりました。 昭和52年には栄2-3丁目18の各町内会が連合して「安心・安全な町づくり」をテーマに「栄中部を住み良くする会」が設立され平成19〜23年まで小生が会長を務めさせていただきました。この頃には、住吉地区や栄中部ではなく、栄ミナミという呼称で表現されるようになりました。「栄ミナミ」の名称は(株)ゲイン社長の藤井英明氏の発案です。雑誌ケリーでサカエPR、そして、同社関連の外食・美容関連事業が新しい町づくりに貢献、栄ミナミ音楽祭の開始とともに栄ミナミという呼称が市民権を得たようです。 しかしながら、歴史も文化も感じさせない、情緒のない町名ではなく、三蔵、御園、伏見、桑名、長島、八百屋、鉄砲・末広、住吉、呉服、伊勢、大津、鍛冶屋、久屋、武平、瓦町などと旧町名の呼称をもっと大切にしていきたいと思っております。 平成24年2月に有志が集まり「名古屋の旧町名を復活させる会」を立ち上げ、毎月、セミナー開催するなど啓蒙活動をいたしておりますので、名古屋城木造復元活動とともにご支援いただければ幸いです。 |
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◆ご参加いただく方には別途詳細案内を郵送いたします。 |
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