産懇宅配便200号記念企画
特別寄稿 「わたしの産懇」 Part1
2002年に産声を上げたメールマガジン「産懇宅配便」が本号をもって、めでたく200号を迎えました。
これもひとえに、生みの親であり、メールマガジンの編集長として長年ご尽力いただいている片桐編集長を筆頭に、スピーカーを(渋々?)お引き受けいただいた皆様や、毎月(〆切に怯え?)コラムを執筆いただける寄稿者の皆様、そして日頃から産業懇談会をご支援していただける会員の皆様のおかげと、心より御礼申し上げます。
産業懇談会は1981年に設立されて以来、本会活動の要として、「会員の、会員による、会員のための異業種交流」が交わされてきました。とくに最近の活性化の様子は目覚ましく、大盛況による会場変更が頻発、うれしい悲鳴をあげております。
このたび200号を記念して、産懇会員の皆様から「口コミ」を集めることといたしました。
産懇に関する「いいね!」を皆さんから集め、2020年に迎える産懇40周年に向けて、更なる飛躍のためのエンジンにしたいという思いで、企画したものです。
各グループ会員、代表幹事、OBの方まで!・・・なんと20名からご寄稿をいただくことができ、これまたうれしい悲鳴をあげるとともに、どの寄稿を拝読しても、産懇への愛情、親しみにあふれ、感激しております。
私自身も産業懇談会で得た数々の思い出や貴重な体験がございますが、私の思い出を語るより、いちはやく皆さんからのご寄稿をお読みいただきたいと思います。そして皆さんの手で、この口コミを広げていただき、産業懇談会で培われたこの交流の輪が今後益々ひろがっていくことを願っております。
巻頭言に代えて。
中部経済同友会 専務理事・事務局長
岡部 年彦
沢山のご寄稿をいただき、誠にありがとうございました!望外の喜びです。
想定以上のご寄稿数のため、今月から4回に分けて、「わたしの産懇」を連載していきます!
ではエントリーNo.1のご寄稿からどうぞ!
エントリーNo.1
『 天使の笑顔 』
ナグラ産業株式会社
代表取締役社長 ビルディングドクター 名倉 昌孝 氏(水曜第2グループ)
数年前に中部経済同友会に入らせていただく際に、こんな大企業の皆様方の中に入って 自分が何ができるのか?何か得るものはあるのか?そんな気持ちでしたが、若手を募集しているという事で、不安をたくさん抱えたまま入会させていただきました。
入会して会員懇談会に初参加した時に不安的中!!同じ円卓の皆様方と名刺交換した際に、本当に大手企業の方々と名刺交換して会食するなんて、冷や汗が止まりませんでした。講演内容もほとんど覚えてなく、ぐったり帰ったことを今でも覚えています。
やっていけるのだろうかと悩んでいた時に、産業懇談会のお誘いを頂きました。水曜第2グループの片桐さんが天使のような笑顔で、大丈夫だから、と声をかけて頂き、水曜第2グループに入ることに決めました。初めて参加した時は、相変わらずど緊張して参加したのですが、皆様がとても優しく接して下さり、また毎月同じ顔を合わせることが出来るので、少しづつ関係性も深まり、緊張がほぐれて来ました。
そんな折に片桐さんからスピーカ―として発表してほしいと依頼があり、自分が皆様方のような方にお伝え出来ることなんて何もないです、と逃げ腰だった所、大丈夫、生い立ちとか自己紹介でも良いから、と天使のような笑顔で落とされました。発表の当日も、ど緊張!して臨み、自己紹介と自社紹介をさせて頂きましたが、皆様優しくリアクションして頂き、優しい雰囲気で終わることができました。その辺りから挨拶やお話しできる方も増えて来て、また産懇合同のゴルフに参加させて頂いたり、水曜第2グループのコンペに参加したりと、大分緊張せずに参加できるようになってきました。
私のような小さな会社の若造が同友会に残っていられるのは、間違いなく産懇のお陰であり、天使の笑顔の片桐さんのお陰です。ここまで続けてこられたので引退するまで継続して行きます。これからも優しくご指導ご鞭撻をお願い致します。
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平成23年(2011)3月2日、『36年の軌跡 〜自己紹介と自社紹介〜』のタイトルでスピーチ。ど緊張中の名倉さん。
今回一番乗り!でご寄稿いただきました。 |
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エントリーNo.2
『 私の産懇―アメーバのような活動力、好奇心に限界はない! 』
川崎汽船株式会社
取締役 岡部 聰 氏(元 火曜グループ世話人)
「オ―ッ」というどよめきが会場全体に沸き起こった。
いきなりビキニスタイルの美女軍団が目の前に現れたからだ。ファッションモデルの様に堂々と歩く姿に産懇メンバーの紳士、淑女はびっくり。ただ無言で見守る。彼女たちはミスユニバース愛知代表のファイナリスト。次いで華やかなドレスに着替えてステージに再登場すると、今度は「わーぁ」という和やかな歓声。
やっと我に返ったのか皆写真を撮りだしたり、同じテーブルのメンバーと何やら話し合いだした。
テーブルごとに“ミス愛知”コンテストの採点をしているのだ。その後彼女たちは各テーブルに座りメンバーと一緒に食事、彼女たちが今日まで厳しいトレーニングの末、選び抜かれてきたことは事前にビデオで紹介されていた。一方、彼女たちにとっては人前でのパフォーマンスをするのは今回が初めて。あとは本番のみなので絶好のリハーサル。
ステージの脇からタキシード姿でこの様子を見ていた司会役の私は(これも産懇!いろいろなパターンで楽しく勉強)との思いを抱いてテーブルの中に入っていった。平成26年10月の恒例である合同懇親会のことだった。
振り返るに私は、産懇のお陰で実に多くの体験をさせていただいた。自己研鑽、異業種交流の諸活動は単なる仲良しクラブではなく中身の濃い親睦の場であった。各曜日のグループ活動はメンバーの輪番制で主役が変わる。主役の主体的企画で活動内容はバラエティに富み、リーダーである幹事は指揮者の様にまとめ役であればよい。このアメーバのような組織運営の仕組みが皆の活力を生み出しているのだろう。生ける人の興味、好奇心に限界はない。アメーバのように年齢、性別、業種の壁を越えて産懇の活動が中部経済同友会の原動力たりつづけることを祈念したい。
こんなに楽しく勉強をさせてくれる会はほかにない。
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平成26年(2014)10月31日、4グループ合同懇談会。
火曜グループが幹事で、2015ミス・ユニバース・ジャパン愛知大会出場のセミファイナリストによる模擬審査会として行われたミスコンテスト。
華やかな美の競演が目の前で開催されました。 |
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エントリーNo.3
『 わたしの産懇・住吉の語り部第100回に向けて 』
株式会社料亭蔦茂
取締役社長 深田 正雄 氏(火曜グループ世話人)
平成23年1月24日の新年合同懇談会・水野耕太郎代表幹事講話(当時)のとき、片桐さんから「名古屋の町の歴史についてコラムを掲載したいので、気が向いたら原稿を出してね。」と気軽にお話がありました。
聞き流していたら我が親分の故・夢童由里子女史から、「私の『からくりアート点描』連載(23回継続)の後に、是非、産懇世話人として協力せよ」と厳命されたのがキッカケとなり、同年4月以来毎月継続、2018年11月に第92回となってしまいました。数回のコラムのつもりが【名古屋いちばん物語・住吉の語り部 第1回】と連載シリーズの表記をされたので、ビックリ!毎月ネタ探しに右往左往しつつ、皆様には8年間も毎月駄文を読んでいただくことを強要する結果になり深くお詫び申し上げます。
産懇では当時、NTT西日本 名古屋支店長笹倉信行さんが前任地の金沢でのご経験から、「名古屋の旧町名復活活動を地元の皆さんからスタートすべき」と、何度も諭されておりました。栄ミナミの街づくりには徳川尾張藩からの歴史と文化を伝える必要があると痛感しており、清須越しから由緒・謂れある町名などを伝承しなくてはと賛同。同時に啓蒙活動として、栄住吉から発信する情報提供の場をつくりたいと活動を始めました。こうして毎月、「碁盤割の旧町名」をテーマに、栄地区を中心に祖父・深田良矩が孫に語り継いだエピソードや小生の子供のころの事象、地元で育った体験を交えて、メールマガジンで紹介するようになり、現在に至っております。
毎月20日の締め切りが迫ると、片桐清志編集長から要請・確認の連絡をいただき一夜漬けで書き上げ、片桐編集長と事務局に校正・添削いただき、なんとか継続している次第です。
よそ者である夢童さんの「本丸御殿」、笹倉さんの「金沢旧町名復活」の偉業に感銘を受けて、地元民としてできることは??地元史の論客・北見昌朗さんとともに平成24年2月に「名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する有志の会」を立ち上げ、現在も毎月例会開催し、活発に活動しております。天守閣復元は河村市長のマニフェストとなり具体化、そして人々の生活や意識が反映され、後世に継承されました。一方、いわば無形の文化財といえる旧町名復活へのステップは、数年前に長者町復元への活動がスタートしましたが、一部の同意が得られずに頓挫。それから、住む人々の生業などに由来し、分かりやすく親しみがあり、かつ、その響きに歴史の余韻を勉強し啓蒙する集いとして、現在はコンセンサスづくりに重点を置き、毎月のセミナー実施をメインに継続しております。
(有志の会HP:http://www.fukkatu-nagoya.com)
産業懇談会で「よその物の私たちがこれだけ名古屋PRしているのに、地元のあなたは何やっているの!!」と叱咤激励された、お二人との出会いが「住吉の語り部」の原点といえます。
産懇宅配便200号記念ととともに、夢童さん、笹倉さんの名古屋を愛する志に支えられて何とか今年7月にシリーズ第100回をむかえること嬉しく思っています。
本丸御殿フォーラムでの在りし日の夢童由里子さん |
東京・同友会で歴史セミナー・笹倉信行氏
「川・街道から見た江戸・東京」(2018.2.22) |
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エントリーNo.4
『 思えば遠くへ来たもんだ 』
マイプラネット株式会社
社長 片桐 清志氏(水曜第2グループ世話人代表)
「産懇宅配便」が2019年1月に200号を迎える。2010年10月の100号の節目までは長かったように思ったが、200号までの8年余はアッと言う間だったように思える。しかし振り返れば2002年6月の創刊から16年半が経過していることになる。
ここまで続けてこられたのは、毎月の例会模様と新会員紹介の原稿を取りまとめて戴いている事務局のお骨折りと、毎月の連載コラムを寄稿いただいている会員の皆さまのご協力のおかげだ。さらに毎月ご愛読いただいている読者のご支援の賜物と感謝している。
「産懇宅配便」が続けられた最大の要因は「産懇」そのものが活性化しているからだ。毎回の例会のスピーカーが創意工夫を注いだプレゼンテーション、仲間意識があるからこその深層に触れた解説、実演や実習を交えての例会、時に例会場を飛び出しての企業見学会など多彩さと刺激に満ちた例会があればこそだ。会員企業のご厚意でモノづくりの現場に出かけたこともあるし、料理教室での講習会もあった。今でこそ現実味を帯びたリニアの実験線(山梨)の試乗会に出かけたこともある。
4グループ間の交流も盛んで、どの例会にも他グループからの参加者が必ずいる。時には想定以上の参加者のため会場変更をすることも珍しくない。「産懇宅配便」創刊当時、参加者増対策を世話人会で協議した状況は見事に一変した。 今後も「産懇宅配便」と「産業懇談会」が相互に刺激し合う関係を続けられるよう世話人として心掛けたい。
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平成17(2005)年、松本正之代表幹事(当時)のはからいで特別に産業懇談会「山梨リニア実験線」試乗会が開催されました。 |
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平成17(2005)年3月、火曜グループにてスピーカー。
テーマはなんと、「産懇宅配便奮闘記」・・・!
200号到達は片桐編集長のご尽力の賜物です。 |
200号記念企画「わたしの産懇」は、今号から4月号まで連載していきます。
お楽しみください!
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