産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第195号 2018.8.31発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成30年8月度(第195号) 目次
【30年7月度 産業懇談会(火曜G)模様】 7月10日(火) 12時00分〜14時00分
【30年7月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 7月18日(水) 12時00分〜16時00分
【4グループ合同懇親ゴルフ会模様】 8月4日(土) 7時15分スタート
【産懇宅配便200号記念企画のご案内】
【名古屋いちばん物語】 No.112
【新会員自己紹介】
清水 宏晃氏 株式会社名古屋観光ホテル 取締役
前田 栄次氏 株式会社NTTデータ東海 代表取締役社長
【9月度産業懇談会のご案内】
【産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.2
コラム2 【保健師からの健康だより】 No.173
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.118
コラム4 【苗字随想】 No.195

【30年7月度 産業懇談会(火曜G)模様】


テーマ: 『 地域づくり人づくり 山川里海の新作狂言 』


日  時:平成30年7月10日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:32名

スピーカー:
山川 里海(やまかわ さとみ)
言葉の泉 代表
日本劇作家協会会員

山川 里海氏

 本日は、津島の読書・作文教室「言葉の泉」代表を務められ、並行して、地域に根差した新作狂言などを創作されている山川里海氏をお招きし、ご講演いただいた。

■賞:2018日本水大賞審査部会特別賞(国土交通省) 2017市民普請大賞特別賞(土木学会)
    2015グッドライフアワード環境と学び特別賞(環境省)
    2015清流ミナモ賞(岐阜県知事賞) 2008河川功労者(日本河川協会)

■癌をきっかけに作家・劇作家の道へ
 32歳のときに進行した胃がんが見つかった。3人目の子供はまだ1歳で、毎日再発を恐れ悲嘆に明け暮れていた。子供に何か遺したいと、夫にワープロの購入を頼み、来る日も来る日も児童小説を書いた。作品を応募したところ、幸い児童文学賞を受賞することができ、これが作家生活の始まりとなった。
 周囲の子供達や親からは、読書感想文を見て欲しいという要望がたくさん来たので、小中学生の読書・作文講座を開設することになった。主治医から贈られた「これからはあなたを育てた山や川を大切に生きて下さい。」という言葉を胸に、東海3県から作文教室に集まった親子と、国交省による木曽三川の自然再生事業に協力するようにもなった。木曽三川下流域での自然観察や葦(よし)刈り、更には上流域にも活動を広げ木曽の森林保全体験も企画するようにもなった。
 こうして水辺と森に関わるうちに伊勢神宮ともご縁を頂き、愛・地球博とスペインサラゴザ博で川をテーマとする市民劇を創作。さらに名古屋城本丸御殿の復元事業にも関わるようになった。本丸御殿の復元にあたっては、伊勢神宮と同じように神事に則って切り出した木曽ヒノキを使いたいと名古屋市から要望が出た。この話を伊勢神宮に繋いで、表木曽・裏木曽から1本ずつ、切り方は三ツ紐伐りという斧入れ行事が執り行われた。今では、その2本が本丸御殿の玄関の柱と天井に使用されている。
 このイベントがきっかけで、記念舞台の制作依頼が舞い込んだ。これが水源林をテーマとした本丸御殿復元記念狂言「夢つくり」創作の始まりなのだが、そう簡単に狂言を創作できるなら苦労しない。もともと、お話を頂いたときは和製ミュージカルを主張したのだが、プロデューサーは名古屋発祥の狂言でいきたいとのこと。そこで、過去の様々な狂言の台本を勉強することからスタートした。しかし、狂言は昔から口伝が基本。紙の台本はあるが、素人が見てもどことどこが繋がっているかもよく分からない。結局はたくさんの狂言の公演を実際に見て、覚えるしかなかった。こうして地域づくりと人づくりをテーマとした狂言の創作がライフワークとなっていったのである。

■名古屋と狂言
 能楽とは、能と狂言を包含する総称である。実は名古屋の能楽堂は、座席数630席を誇り、それだけに集客には苦労するものの日本一の舞台が用意されている。また、仕事が専門職化した能楽において、それぞれの専門家が全員揃うのは、東京・京都・神戸・名古屋だけだ。能楽はもともと猿楽と呼ばれたが、岩倉具視が西洋のオペラに対抗しようと、サルではあんまりなので能楽と名付けたそうだ。能楽は今から650年ほど前に観阿弥・世阿弥が大成したもので、室町期は寺社仏閣、江戸期はお城で演じられた。その目的は、厄除けのため、武士の集中力や記憶力を高めるためなど、諸説あるが、お屋敷やお城に出入りできることから諜報手段の一つであったとも言われている。三英傑とも関わりが深く、信長は能の新しい形態「幸若舞」を愛し、秀吉は自身で狂言を創作し演じた。そして家康は幕府の式楽として取り入れた。
 能は、あの世から降りてきて語る設定が多く、自然と悲しい話が多くなる、仮面音楽劇だ。
一方、狂言は、主従・夫婦・婿舅などの普遍の真理をコミカルに描く、名もない庶民のせりふ劇。20〜30分ほどのお笑いコントと思って頂ければ良い。現代の若い人にとっては、教科書にも載っているし、NHKで15年続く幼児番組「にほんごであそぼ」に取り入れられていて親しみ易いものになっている。
 狂言の主な登場人物を紹介したい。

〇大名 :少人数の家来持ち。太郎冠者(召使い)に出し抜かれる存在。
〇太郎冠者 :主人を出し抜こうと画策している。しかし時には守ろうともする愛すべき存在。
〇山伏 :魔法のような力を誇示する一方、人間らしい一面もあり、可笑しさを誘う。

この他にも、動物や神様、妖怪に至るまで様々な登場人物がいる。その地域特有のキャラクターを掘り起こして使えるあたりは、私の地域づくり人づくりをテーマとする創作活動においてとても相性が良い。
 名古屋の狂言は3作品作った。さきほどの「夢つくり」は水源林の保全をテーマに本丸御殿復元を物語にしたもの。清州越狂言「轍(わだち)」は、水辺の都市創造をテーマに、清州城から名古屋城への7万人の大引っ越しを描いたもの。そして、なごや妖怪狂言「冥加さらえ」は、都市河川の浄化をテーマに、文化文政期の堀川の川さらえ(しゅんせつ工事、ヘドロ掃除)を、河童や龍神等のなごや妖怪の活躍を交え描いたものだ。

■100年後に残したい景観・歴史・文化
 海津市の小学校から子供劇の創作を依頼されたことをきっかけに、地域に根差した子ども狂言(総合学習の取組み)の創作も、12年で3作品となり、現在は小学校3校と高校1校へ指導に赴いている。天王祭り・秋祭りを継承する津島で育った身として気付いたのは、日本の小学生は、横笛や鼓を見たことが無いなど日本の伝統楽器に縁遠いことだった。そこで名古屋圏の能楽師のサポートを受けつつ、能楽器を取り入れ、楽しく華やかな狂言に仕上げていった。そうして出来たのが、治水史跡と清流漁の保全をテーマとした「失せうろこ」だ。12年も繋ぐと、ちびっ子の頃から見ていた子達はそれぞれ好みの役を目指すようになる。そこでオーディションも行うようになったが、どの子も活躍で生きるように台詞を工夫して改作を続けている。また、発達障害を持った子達は楽器の演奏がとてもうまいという傾向が分かったり、不登校の子であってもその日は責任感を持って参加したり、中学でどの子もリーダー性を発揮したりと、いろいろ効果があり、教育現場で喜ばれていることも嬉しい。
 子ども狂言は、県知事賞もとった「失せうろこ」の他に、おちょぼ稲荷の白狐が主役の「狐鬼灯」(海津市)、甚目寺観音を題材とした「おそそ仁王」(あま市)がある。子供達は地域の歴史的景観やキャラクターを用いた狂言を喜んで演じてくれる。そして、祖父母世代・父母世代がそこに協力することで、三世代のコラボを生み出している。この狂言を通じ、子供達の郷土愛を育み、ひいては100年後にも残すべき地域の美しい景観や歴史・文化が、しっかり伝承されることを願っている。

■今後の予定
 熊本狂言(肥後国づくり狂言実行委員会)、庄内新作狂言(山形県)手話狂言(愛知県立高校)


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【30年7月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】


テーマ: 『 キユーピー株式会社 挙母工場見学会 』


日  時:平成30年7月18日(水) 12時00分〜16時00分
参加者:18名

 平成29年度の生活・文化委員会マレーシア視察で、キユーピーマレーシアを訪問させて頂いたご縁もあり、今回は豊田市にあるキユーピー挙母工場を見学する機会を得ることができた。マレーシアではハラル認証を取得したマヨネーズとごまドレッシングの市場開拓がかなり進みつつあったが、それでも完全自動化ラインを構築できる量には至っておらず、まだまだ工場は半自動の人手中心作業に頼っているとのことであった。今回は、伝統ある主力工場の一つ挙母工場ということで、マレーシアの半自動ラインと日本の大量生産ラインとの対比という意味でも興味深い見学会となった。
 中野 徹 挙母工場長と工場スタッフの皆様、更に名古屋支店から野口竜哉次長にお出迎え頂き、まずはPR室で事前レクチャーを受けた。その後、工場内視察へと引き続き、最後は野菜サラダを準備頂いてのドレッシング5種食べ比べと、盛り沢山の内容であった。

写真1
工場建屋の玄関

<事前レクチャー 中野徹工場長>
■マヨネーズとキユーピーのルーツを探る

 マヨネーズのルーツは、スペイン地中海のメノルカ島と言われている。時は18世紀半ば、ここに攻め入ったフランスのリシュリュー公爵が、見慣れないソースがかかった当地の港町マオンの肉料理を食べたところ、これが大層美味しかったので作り方をパリに持ち帰ったそうだ。パリではマオンのソースと紹介され、それが転じてマオンネーズ、更にはマヨネーズと呼ばれるようになった。
 のちにキユーピー創始者となる中島董一郎はアメリカ留学中にマヨネーズと出逢った。美味しくて栄養価の高いマヨネーズをいつか日本に広めようと帰国。1919年に食品工業(株)を設立していた中島は、1925年(大正14年)についに瓶入りの国産マヨネーズを発売した。マヨネーズがキューピー人形のように、誰からも愛される商品に育ってほしいとの願いを込めて「キユーピーマヨネーズ」と名づけた。発売当初は食べ物とは到底思われず、髪の毛の鬢付け油と間違えられたらしい。
 1957年(昭和32年)、社名をキユーピーに変更。また、1958年には、今ではお馴染みのポリボトル容器のマヨネーズが発売された。

写真2
中野工場長によるレク

■キユーピーが卵の相場を動かしている!?
 キユーピーは現在マヨネーズにとどまらない多くの事業を展開している。マヨネーズ・ドレッシングの「調味料事業」。業務用液卵や卵加工品などの「タマゴ事業」。カット野菜などの「サラダ・惣菜事業」。アヲハタジャムやミートソースなどの「加工食品事業」。卵の成分に着目したことから始まった「ファインケミカル事業」。食品業界の高品質な流通で培った「物流システム事業」の6つだ。工場は、青森階上(はしかみ)から佐賀鳥栖まで国内9工場、海外は東南アジア中心に10工場を展開している。挙母工場は、マヨネーズの需要急増に伴い仙川・伊丹に続く国内三番目に設立された間もなく60周年の工場である。当時の三河はタマゴの一大産地であり、求めやすい価格を追求するうえで好立地であった。現在、年間生産量は約30000トン、188アイテムを生産しており、そのうち半分の品目がドレッシングで占められている。
 日本の家庭用マヨネーズ市場は約550億円で横這い傾向、一方、ドレッシング市場は700億円で健康志向のサラダ需要に支えられ拡大基調が続いている。ちなみに、キユーピーの生産動向が卵の相場に影響しているとも噂されているらしいが、それは大げさだ。日本で生産される卵が年間約250万トン(家庭用市場約125万トン、業務用・加工用市場約125万トン)、そのうち約1割をキユーピーグループで使用している。

<工場内視察>
 本日はマヨネーズ工場主体に見学することができたので主な工程を紹介する。

  1. 割卵:1分間に600個もの卵が自動割卵機で割られて卵黄と卵白に分けられる。一般人では目が回るスピードのラインであるが、熟練オペレーターは素早く不具合を見分け除去していた。
  2. 調合:酢と油だけでは混ざらないが、そこに卵黄を配合することで乳化される。
  3. ボトリング:お馴染みのポリボトルは実は多層構造。マヨネーズの美味しさの最大の敵、油の酸化から守る工夫とのこと。マヨネーズは酢と塩の力で菌には滅法強く、防腐剤は必要ない。賞味期間は12ヶ月、開封後は冷蔵庫で保管し1カ月使い切りを推奨しているようだ。

<ドレッシング試食タイム>

 お待ちかね試食タイム。お手軽に楽しめるパッケージサラダ(サラダクラブ製)と、5種類の人気のドレッシングを準備頂いた。「レモン」「にんじんとオレンジ」「マンゴー」「玉ねぎと白ぶどう」「深煎りごま ピリ辛テイスト」という、5種の試食とあって、参加メンバーは全種類を少しずつ試しながら酸味や甘みなど感想を述べあった。
 キユーピーのスタッフによると、子供や女性には自然な甘みを感じる「にんじんとオレンジ」の人気が高く、男性には「深煎りごま ピリ辛テイスト」がやはりダントツの一番人気だそうだ。これはしゃぶしゃぶの付けダレにも抜群とのこと。
写真3

 本日はお土産として「レモン」と「深煎りごま ピリ辛テイスト」を頂きました。キユーピーさん、ありがとうございました!


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【4グループ合同懇親ゴルフ会模様】


日  時:平成30年8月4日(土) 7時15分スタート
場  所:木曽駒高原カントリークラブ
天  候:晴れ(木曽福島)
参加者:27名


 8月4日、毎年恒例の4グループ合同懇親ゴルフ会が木曽駒高原カントリークラブで開催された。今年で32回目となったゴルフコンペには、須藤代表幹事、嶋尾代表幹事、新美特別幹事、河村世話人代表、片桐世話人代表、淺井世話人、大倉世話人を含め、計27名の産懇メンバーが参加された。
 名古屋は災害級の猛暑であったが、木曽駒のプレー当日の朝は19度。高原ならではの涼風に癒されながら、それぞれ腕を競い合いプレーした。

 プレー後の懇親会では、お待ちかねの表彰式が開催され、各賞受賞者が発表された。
 優勝はなんと須藤筆頭代表幹事で、3年越しの悲願の初優勝を遂げた。準優勝は、水曜第1グループ世話人の淺井氏。3位は、嶋尾代表幹事であった。

 都心の喧騒から離れた高原の地で、産懇ならではの大変和やかな懇親ゴルフとなった。
 夏の恒例行事として、次年度以降もますます盛会になることを期待したい。

優勝 :須藤 誠一氏((株)ジェイテクト 取締役会長)
2位 :淺井 博司氏(ニューライトサービス(株) 代表取締役)
3位 :嶋尾 正氏(大同特殊鋼(株) 取締役会長)

写真1


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【産懇宅配便200号記念企画のご案内】

特別寄稿 「わたしの産懇」 大募集!

 毎月、産懇宅配便をご愛読いただき、誠にありがとうございます。

 さて、平成14年(2002)に誕生したメールマガジン「産懇宅配便」ですが、いよいよ来年(2019)1月に記念すべき200号を迎えます!これまで毎月配信を重ねてこられましたのは、例会でご登壇いただくスピーカーの皆様や、毎月コラムを執筆いただける寄稿者の皆様、そして日頃ご愛読いただき、「今月のメルマガ読んだよ!」と温かいお声をかけていただける、産懇会員の皆様のご支援のおかげと、深く感謝しております。

 そこで200号記念企画として、産懇会員の皆様より特別寄稿を募集したく存じます。
 テーマは、「わたしの産懇」―。
 1981年の設立以来、産懇は会員同士の相互交流の場として運営され、会員自身のスピーチや、座学に留まらない参加型の会合など、多彩な活動が実施されてきました。そのなかで、自身の視野とネットワークがひろがった、ビジネスにつながった、などありがたい声をいただいております。
 産懇で得た貴重な体験、思い出をこの機会に綴っていただき、皆様の思いを200号に込めていただければ、この記念号は、次の300号へとつながる大切なバトンになります。

 2020年に産業懇談会は設立40周年を迎えます。産懇のさらなる活性化とあわせて、このメールマガジンも引き続き進化していきますよう、皆様のご協力をお願い申し上げます。

「産懇宅配便」 編集長 片桐 清志
中部経済同友会 事務局
<「わたしの産懇」 募集要項>
1. 応募要件

中部経済同友会 産業懇談会登録会員であること。

2. 字数 800字程度(タイトルもつけてください)
3. 締切日 平成30年11月30日(金) (2019.1月配信予定 産懇宅配便200号掲載)
4. 原稿送付先 データをEメールでお送りください。
中部経済同友会 担当:坂井・多田 Tel:052-221-8901
                       e-mail:cace@cace.jp
5. テーマ等 産懇の思い出、体験談などを綴ってください。
写真の掲載も可能です。必要な場合は事務局までご相談ください。

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【名古屋いちばん物語】 No.112


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第89回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

南鍛治屋町は風光明媚なリゾート

 美濃の国・関の刀鍛冶が清州に住んでいた関鍛冶町が清須越しで名古屋の町に移転、碁盤割の外、広小路より南は、「南鍛治屋町」と江戸時代から呼ばれていました。現在は同町の東半分は100m道路・久屋大通公園となっています。西は三越、ラシック、松坂屋、パルコと大型店舗が連なっています。

 広小路通り南側、現在は南鍛治屋町1〜4丁目までが栄3丁目、若宮通を挟んで4-5丁目が大須4丁目となっています。標高差のある小袖川沿いの町で、三越北東からフラリエ西まで南に約5mの落差があります。関鍛治町の泉から流れる小袖川は精進川に注いでいたようです。

住吉写真2
江戸末期の南鍛治屋町武家屋敷【拡大図
 江戸末期の地図から中級武士の家並みの中に、萬福院が北側に聳え東の川沿い、南の崖とさぞ眺めの良い景勝の寺であったようです。
 萬福院はその昔、清須の御園町に重秀法師により建立され潮音山萬福院と称し、慶長遷府で同南鍛治屋町1丁目に移転、昭和13年、本山の新勝寺より不動明王の分身を勧請し、本尊とされ真言宗成田山に改められています。昭和20年の空襲で焼失、昭和30年に再建し、平成14年にラシック建設に伴い現在地栄5丁目に移転しております。節分祭には毎年2-3千人が訪れ、交通安全のご祈祷でも地域の人々に親しまれております。
住吉写真1
南久屋公園・南鍛治屋町東、南に高低差5戦前の成田山萬福院跡地あたりから南を望む

 通りを挟んだ西側にはお武家「牧登」宅があります。牧家は戦国の斯波氏守護代で、1548年小林城を築いた牧長清を祖として、現在も末裔の牧清氏が小林城の跡、清浄寺の檀家総代をお勤めになっています。牧家は後に尾張藩に仕え馬廻組頭や御書院番になり、文芸の功績からか加増されて150石を与えられた牧墨僊(まきぼくせん)は葛飾北斎の門人。姓は牧、名は信盈(のぶみつ)、お城務めだけでなく粋人で狂歌絵本や俳諧の摺物など多岐な芸術方面と関わりを持つ仕事を中心に活躍しておりました。文化9年(1812年)北斎が関西へ行く途中で名古屋牧宅に滞在したとき北斎の門人となり、肉筆画、絵手本、絵本及び細判摺物、版本の挿絵制作をしていたようです。葛飾北斎は半年余り逗留して、下町を散策し大須の「だるま絵」や富嶽三十六景「尾州不二見原」を描いたといわれています。

「尾州不二見原」
富士見原を描いたもので、遊郭や武家の別宅が存在する名勝地として知られていたそうです。北斎が幾何学的構図を好んで使ったことを説明する時に必ず登場する作品と言えます。丸い桶を通して見える三角の富士。「桶屋の富士」とも呼ばれる。木工の盛んな南鍛治屋町5丁目から北を望んだと思われます。仮想の不二は尾張富士ではないかといわれております。
住吉写真3
 明治31年に(株)タキヒヨーの祖、四代目瀧兵右衛門は山田才吉開発後に東陽町通り北・南鍛治屋町2丁目20番地に敷地2000余有坪を買い、別宅の新築にとりかかりました。
 屋根瓦の一部を徳川家屋敷から譲り受け使用したりと、ずいぶん趣向を凝らした建物で普請を始めてから3年がかりで完成したと伝えられています。
 四代目はこのころから事業の実権を五代目信四郎に委ね、この贅をつくした別宅は、財界人との交流の場・サロンとして、店の幹部の家族慰安会場としても活用されたようです。東に昇る月が池に移り、川あり、滝あり鶴まで飼われていた、風光明媚な都心リゾートで、その後、5000坪に拡張されたようです。
 四代目は明治15年(1882)に名古屋銀行(東海銀行の前身の一つ。本店は中区丸の内2丁目3にあり、現在は八木兵本社になっている)を設立して初代頭取に就任。人材育成に熱心な五代目信四郎は瀧家発祥の丹羽郡東野村古知野(現・江南市)に滝実業学校(後の滝学園)を開校して、教育の分野でも貢献されております。
 そして、四代目兵右衛門のひ孫が富夫氏(瀧学園理事長)・茂夫氏(タキヒヨー会長)で現社長は、富夫の子にあたる一夫氏となります。
住吉写真4
四代目瀧兵右衛門

住吉写真5
地図:大正15年の南鍛治屋町、 1丁目萬福院、2丁目滝邸 【拡大図

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【新会員自己紹介】

清水 宏晃氏
水曜第1グループ

清水 宏晃(しみず あつてる)
株式会社名古屋観光ホテル
取締役

【株式会社名古屋観光ホテル】
〒460-8608 名古屋市中区錦1丁目19番30号
TEL:052-231-7711
URL:http://www.nagoyakankohotel.co.jp

 名古屋観光ホテルの清水でございます。日頃は弊ホテルをご愛顧頂きまして誠にありがとうございます。
 この7月に取締役に就任しまして、早々に中部経済同友会に入会させて頂き、同時に産業懇談会水曜第一グループに参加させて頂きました。宜しくお願い致します。
 昭和55年に興和(株)に入社し、一時期光学関連のメーカー部門に在籍した事もありましたが、もっぱら化学品の海外を含めた営業畑で稼動して来ました。
 直近の3年間は魚やお酒の美味しい福井におりましたが、7年ぶりの名古屋での稼動となります。
 ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

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前田 栄次氏
水曜第2グループ

前田 栄次(まえだ えいじ)
株式会社NTTデータ東海
代表取締役社長

【株式会社NTTデータ東海】
〒460-0003 名古屋市中区錦二丁目17番21号
TEL:050-5556-2801
URL:http://www.nttdata-tokai.jp/

 株式会社NTTデータ東海の前田でございます。

 このたび前任者の北村を継いで、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくこととなりました。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 第四次産業革命と呼ばれる昨今の環境変化では、ロボティクス、AI、ナノテクノロジー、量子コンピューター、IoT、3Dプリンター、自動運転などの新興テクノロジーにより、多岐にわたる領域で破壊的な効果伴う変革が起こると予想されています。特に、データ活用の重要性が高まり、多岐にわたるデータの高度な活用が必要になると言われています。

 弊社は、東海エリアのNTTデータグループの主要事業拠点として、お客様の将来にわたるビジネス革新をテクノロジーの活用より、ともに実現するパートナーを目指し、デジタルを活用した新たな市場の創出、世界中に広がるNTTデータグループの力を結集したより質の高いサービスの提供を積極的に行ってまいります。

 今回、産業懇談会へ参加させていただくことで、様々な課題や取り組みに触れることで、知見を深め、今後の事業展開、お客様への新たな価値提供、中部地域の発展につなげていきたいと考えております。

 皆様のご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

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9月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

9月11日(火)
12:00〜14:00

『危ない会社の見分け方』
株式会社帝国データバンク
執行役員名古屋支店長 小川 孝司氏

名古屋観光
ホテル
3階
桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

9月26日(水)
12:00〜14:00
『弊社海外拠点(タイ、アメリカ、中国、インド、メキシコ)
                       のお国柄、国民性』
イイダ産業株式会社 取締役社長 飯田 耕介氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

9月12日(水)
12:00〜14:00

『三幸電子(株) これまで そして これから 
     〜計測機器メーカーから 異業種参入へ〜』
三幸電子株式会社 監査役 香川 裕子氏

名古屋観光
ホテル
3階
桂の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

9月13日(木)
10:0〜17:00
『新名神高速道路建設現場 視察会』
中日本高速道路株式会社
取締役常務執行役員 奥脇 郁夫氏
名古屋
商工会議所
正門前
(バス移動)

※見学会ご参加の方には詳細案内をお送りいたします。
※見学会は、定員がございますので、お早めにお申し込みください。

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産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。恒例の4グループ合同懇親会について下記の通りご案内申し上げます。今回は水曜第1グループの企画により、女性バンド「マルベリーパープル」をお招きし、コンサートを開催いたします。
 マルベリーパープルは、中部地区を拠点に活動する、メンバー全員が女性のロックバンドです。70年代〜80年代の洋楽を主に、ビートルズ、オールディーズから邦楽まで幅広い演奏が強みで、名古屋市東区にあるライブハウス「Antique Noel」にてレギュラー出演されております。当日は、若い女性ならではの元気と臨場感あふれる演奏をお楽しみいただけるものと存じます。
 今回は、産業懇談会活動を広く知っていただくため、中部経済同友会すべての会員の皆様へご案内しております。また、ご家族・ご友人の皆様のご参加も可能です。お誘い合わせのうえ、ぜひ多数のご出席をいただきますようお願いいたします。

<マルベリーパープル プロフィール>
マルベリーパープル
1.日時 平成30年10月4日(木) 17:30〜20:00
2.場所 ホテルナゴヤキャッスル 2階 天守の間 (TEL:052-521-2121)
3.会費 お一人 12,000円(後日請求させていただきます)
4.スケジュール
17:00 受付開始
17:30 開会
17:30〜20:00 懇親パーティー(着席ビュッフェ)
<マルベリーパープル*演奏(18:00〜・19:00〜)>
5.その他
  • お申し込みはお送りしているFAX 用紙で9月14日(金)までにお申込願います。
  • ご家族・ご友人の方にもご出席いただける場合は、用紙の余白にお名前とお役職をご記入下さい。
  • お申込後のキャンセルは、9月26日(水)までにお願いいたします。
    それ以降のお取り消しは会費を申し受けますのでご了承願います。
6.お問い合わせ先 担当:坂井・多田  Tel:052-221-8901  FAX:052-221-8925

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

メールマガジンの配信を ○希望しない

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.2
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 港の風景 』

 子供のころ(多分)、名古屋港に金鯱号という遊覧船が2隻あった。風の噂かこれはオスとメスの鯱で、どちらかにカップルで乗ると恋が叶うだの、別れるだのとジンクスがあった。そんなことで眠れなくなるほどの青い季節はとうに過ぎ去った先日、ある会の社会見学で、小学生を十数人引率して港の港湾設備を見に行った。

コラム1
懐かしの金鯱号

 遊覧船というものはずいぶん昔に廃止され、ガーデンポートで運営されているのは、中部電力の火力発電所敷地内に作られているワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」往復便と、中川運河で運用が始まったレゴランゴカラーの水上バスくらいだろうか。
 港湾事務所で用意された見学用の船は、「昇龍」と「明龍」。さしずめ「鯱」は役目を終えて、「龍」に港の安全を託した、といったところだろう。この二隻に分乗して湾内を1時間クルーズした。金鯱号に乗ったころは「輸入バナナの取引日本一」と案内されていた岸壁は、今や鉄鋼製品や自動車関連の貿易港としての迫力に押され、ずいぶん様変わりしていた。バナナの輸入量でなく、年間の貨物取扱量が日本一というだけあって、もはや昔のデートスポットという面影はなく、堂々たる構えである。

 湾内を一周していよいよ港に戻るとき、目に飛び込んでくるガーデン埠頭の景色に、たかだか一時間のクルーズだったにもかかわらず、なぜか「帰ってきた」という安心感が沸きあがってきた。この感覚、確か以前どこかでも感じたことがあった…と記憶をたどってみると、思い出されたのは初めてニュージーランドのワイヘケ島に、ワイナリーを見に行った帰りのことだった。オークランドの港を出港し、ほんの数時間、島の観光とワイナリー見学をして帰港したとき、旅人の私に、それまで縁もゆかりもなかったオークランドの港の景色が、不思議な安堵感を与えたのである。この出港した港に到着する直前、目の前に広がる港の景色が、心に響くのは一体何故なのだろう。地元でもなく、懐かしい風景でもないのに。
 旅は、出発するときのわくわく感に、現地での楽しみが加わると、よほどトラブルに巻き込まれたか、疲れでもしなければ、帰るとき「もう帰らないといけないんだ」とか「あーあ帰ってきちゃった」とか日常に戻ることへの退屈さが頭をかすめる。なのに何故、船で帰港すると、それとは対極の「帰ること」に安堵するのか、果たしてこの感覚はどうして生まれるのか?と無い知恵を絞ってみた。
 日本人は島国育ちだから、後天的にDNAに組み込まれた感覚なのか、それとも『戻る』という行為そのものに、なにか大脳辺縁系が反応するのか。考えてみれば人間は有史以来、常に自分たちの生存できる場所を求めて彷徨い、時に粗末な船で大海にも漕ぎ出した。元居た場所に戻ってこられるという喜びを味わうことすら叶わなかったことだろう。そんな太古の記憶が蘇ったのか…。
 大人になって、時間に追われ、社会の波にもまれ、とりあえず進んでゆくことだけを追い求める日々に、似たような安堵を感じた記憶はない。そもそもこれは、そんな渇いた毎日を送っている私だけが感じているものなのかもしれない…と思い、同乗していた隣人に、同様の感覚があるか聞いたところ
 「全然ないよ〜、楽しいじゃん!」と満面の笑みで言われてしまった。

 この頃の船旅は、行きは船、帰りは電車か飛行機かというものが多く、出港した港を、帰路で船上からまじまじと見つめる機会も少ないらしい。次回乗船の折には、再びこんな感情が沸くのかどうか試してみようと思うのだが、この次予定されている船は、なんと隅田川の屋形船!。川だし、宴会だし、きっと下船の頃にはほろ酔い気分で、前出の隣人よろしく「楽しいじゃん」で終わるのは目に見えている。

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コラム2 【保健師からの健康だより】 No.173
コラム【保健師からの健康だより】

株式会社 スズケン
保健師 稲垣 静香

『 白髪は予防できる?! 』

 夏の強い日差しが降り注いでいますね。「日傘は女性が差すもの」というイメージでしたが、「日傘男子」がじわじわ増えてきているようです。日差しを遮ることで、体感温度が3度から7度下がるので「もっと早くから日傘を使えばよかった!」という反応もあるそう。また、スーツでジャケットを着ることが多い男性ですが、上着を脱いで日傘を差すと発汗量を2割抑えることができます。周囲からの目は気になるかもしれませんが、男性も勇気を出して日傘を差してみてはいかがでしょうか。熱中症予防はもちろんのこと、白髪予防にもおすすめです。

 白髪は30代頃から増えてきますが、どうやってできるのでしょうか。新しく作られる髪は、じつは全部白髪。メラノサイトという細胞がメラニン色素を作り、髪に色がつきます。メラノサイトに何らかの異常があるとメラニン色素を作れなくなり、色がついていないまま白髪として生えてくるのです。「白髪は遺伝する」とよく言われていますが、まだ100%解明されていません。遺伝以外にもいろいろな要因が関係しています。

要因 理由 ケア方法
加齢 加齢によってからだ全体の機能が低下し、メラノサイトの力が弱まる バランスのとれた食事や適度な運動、規則正しい睡眠習慣など生活習慣の見直し
栄養不足 単純に栄養不足によって髪に必要な栄養がいかなくなったり、タバコを吸うと、体内に入った異物を排出させるためにビタミンをたくさん使い、髪に必要な栄養がいかなくなったりする
たんぱく質:肉・魚・卵・大豆・牛乳
ビタミンC:赤ピーマン・キウイフルーツ
鉄:イワシ・鶏レバー・干しひじき
カルシウム:小魚・昆布・わかめ
などをバランスよく積極的に摂る
タバコを吸わない
ストレス 活性酸素を発生させ、老化を早める ストレスをうまく発散する
紫外線 帽子や日傘で、頭皮を直射日光から守る
病気 悪性貧血・甲状腺疾患・尋常性白斑や腎臓が悪い場合など 驚く早さでたくさん生えてきたら、早めに受診を

 白髪になる要因の一つ一つを早めにケアし、細胞の老化や機能の低下を防ぐことで、将来の白髪の発生を抑えられる可能性も十分にあります。今日からケアを始めてみませんか。

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.118
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 AI vs. 教科書が読めないこどもたち 』
新井紀子著・東洋経済新報社刊

 このコーナーで本を紹介させて頂くようになってからもうすぐ丸10年です。その間、秘かに自分自身に課してきたことがあります。それは、同じ著者のものを二度は取り上げない、ということです。今まで117人の著者・編者にご登場頂いたことになります。
 今回は、敢えてその禁を破りました。新井紀子女史の著書は、平成13年の初めに『ほんとうにいいの? デジタル教科書』をご紹介しましたが、今回の本は、一人でも多くの方にどうしても読んで頂きたく、再度ご登場願いました。

 AIは、神になることも人類を滅ぼすこともない、シンギュラリティも到来しない、でも仕事は奪われる、と著者は警告します。AIが最も苦手なこと、それは「読解」ですからその分野に人間の優位性があるはずなのですが、現代の子供たちはその「読解」がほとんどできていない、という衝撃の事実が明らかにされます。
 「東ロボくん」と名付けた人工知能を我が子のように育て、東大合格を目指すチャレンジを試みてきた数学者だけに、地に足の着いた説得力ある発言満載です。AIのみならず未来社会を考えるうえで必読の書です。内容は高度ですが、とても読み易い本なので、安心して手にお取りください。

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コラム4 【苗字随想】 No.195
コラム【苗字随想】

片桐清志

甲子園大会と苗字

 夏の風物詩の全国高校野球選手権大会(甲子園大会)が今年で第100回の節目を迎えた。記念大会として出場校も56校に拡大した。古豪有り、初出場有りの多彩な顔ぶれだ。大会史上初となる二度目の春夏連覇を果たした大阪桐蔭、県立ながら決勝戦に駆け上がった秋田の金足農の活躍も見事だった。金足農の前身の金足中は第1回大会(1915年)に出場しているのも因縁を感じる。農業高校の甲子園出場は2009年以来であり、今では全国117校に減った農業高校の希望の星となった。因みに「金足」という苗字は見当たらなかった。「カナアシ」と言う読み方の苗字も見当たらなかった。「桐蔭」という苗字も見つからなかったが、「トウイン」では「洞院」が見つかった。
 注目高校、注目選手、好試合と話題は尽きない。今月は甲子園出場チームを育てた「監督」とチームの代表の「キャプテン」の苗字を追ってみた。
 大阪桐蔭の監督「西谷」の苗字ランキングは659位、キャプテン「中川」は全国では50位だが滋賀県ではトップ、石川県では2位、徳島県では3位のメジャーな苗字だ。登録選手で珍しい苗字では「俵藤」選手の2万5千番台だ。金足農の監督「中泉」は4288位、キャプテン「佐々木」は全国13位、秋田県では3位だ。珍しい方では「沢石」選手が1万5千番台、「打川」選手の1万3千番台だ。
 出場チーム全体では、監督の苗字ランキング上位は、常葉大菊川の「高橋」監督で3位、奈良の「田中」監督が4位、鳥取の「山本」監督が7位で、10位内ではわずかに3名と意外に少ない。逆に珍しい苗字では旭川大の「端場」監督が1万6千番台、興南の「我喜屋」監督が7862位、東海大星翔の「野仲」監督が6324位、慶応の「森林」監督が6204位、下関国際の「坂原」監督が5746位、仙台育英の「須江」監督が5474位などだ。
 キャプテンの苗字でランキング上位は土浦日大の「鈴木」選手が2位、高岡商の「中村」選手が8位で、10位内はわずかに2名だ。珍しい苗字では、日南学園の「蓑尾」選手が7万4千番台、広陵の「猪多」選手が5万番台、大分の「熊懐」選手が1万5千番台、佐久長聖の「真銅」選手が1万2千番台、報徳学園の「神頭」選手と、智弁和歌山の「文元」選手が1万1千番台、木更津総合の「比護」選手が7552位、羽黒の「秋保」選手が5106位だ。
 甲子園大会はスコアボードにプレー中の選手の苗字が並ぶ。全国から集まる苗字の博物館でもある。ローカル色豊かな苗字、読み方に窮する苗字、自分と同じ苗字などを見つけるのももう一つの楽しみだ。

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【平成30年8月号編集後記】

 とても爽やかな78歳が現れた。8月15日に、周防大島町で行方不明になっていた2歳になったばかりの幼児を68時間ぶりに救出した尾畠春夫さんだ。65歳で家業の魚屋を自主廃業し、単独徒歩で日本縦断を達成した。その時に戴いたご縁で東日本大震災の時にいち早く南三陸町にボランティアとして参加している。以来、大災害の都度ボランティア活動を継続しているベテランだ。そのために日ごろから鍛錬を惜しまない。同じ年代のものとして勇気づけられるし、「自分で勝手に年寄り気取りをするな」とハッパをかけられている気がする。
 TVの取材に応じる姿も自然体で爽やかだ。気負うことなく、小さな命が助かったことを喜び、何ら批判めいたことは言わず、謝礼も固辞した。取材に応じる声も大きく、年齢を感じさせない。大きな声で話すのは、いつも正しい行動を心掛けさせようとの親の教えだ。確かに疚しいことがあると、どうしても声が小さくなる。
 インタビューの中で何度も耳にするのは「感謝」と「恩返し」だ。心から出る言葉には力がある。この人の生活信条だろう。忘れてはならないことだが、当たり前に言える人は少ない。もう一つよく聞いた言葉が「悔いなし」だ。78歳を迎えて人前でこの言葉を堂々と言える人は凄い。おそらく波乱万丈の人生だったはずだ。それでもやっぱり「我が人生に悔いなし」と言えるのは常に精一杯行動してきたからだろう。思うことはたくさんあっても実際に行動する段になると迷うことが多い。結果を恐れるためだったり、時間的制約があって行動しないことがほとんどだ。行動した結果を後悔するよりも、行動しなかったことを後悔する方が多い。尾畠さんの行動力に頭が下がる。
 「今の夢は?」という質問の答が素晴らしい。「夜間高校へ行く」ことだそうだ。少年期に農家に預けられ、満足な勉強ができなかった。中学を卒業すると、魚屋に勤めた。生きるために必要なことは世間が教えてくれたという。それでもなお、学ぶことへの意欲を燃やしている。人生百年時代の生き方を教えてくれた。

(片桐)