産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第192号 2018.5.31 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成30年5月度(第192号) 目次
【30年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】
【30年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】
【30年5月度 産業懇談会(木曜G)模様】
【30年5月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】
【名古屋いちばん物語】 No.109
【新会員自己紹介】
岡部 一彦氏

中部精機株式会社 取締役社長

下川 浩平氏

株式会社進和 相談役

村元 祐介氏

三井不動産株式会社中部支店 支店長

岩田 智氏

NTTタウンページ(株) 取締役中部営業本部長

宮野 正彦氏

東海東京証券株式会社 常務執行役員

【6月度産業懇談会のご案内】
【7月度産業懇談会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【保健師からの健康だより】 No.170
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.115
コラム3 【苗字随想】 No.192
【30年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 名古屋ボストン美術館見学会
      〜ボストン美術館の至宝展 東西の名品 珠玉のコレクション〜 』


日  時:平成30年5月8日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋ボストン美術館
参加者:27名

 今回は、広井世話人((株)エスカ社長)の企画により、名古屋ボストン美術館「至宝展」見学会を実施した。名古屋都市センター特別会議室で、料亭「つたも」のお弁当を頂いたあと、名古屋ボストン美術館に移動した。
 観覧に先立ち、名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉氏、学芸員の山口由香氏より今回の至宝展についてレクチャーをいただくことができた。

■ご挨拶(馬場駿吉館長)
 当館は今年10月8日をもって閉館が決まったが、財政的にも厳しい局面があった中、皆様の厚い支援も頂きながら、米国ボストン美術館との20年間の契約を全うすることができた。改めて感謝申し上げたい。
 今回の至宝展は、米国ボストン美術館の素晴らしいコレクションを築いてきた収集家の物語にも光を当て、珠玉の作品を紹介するもの。目玉の一つは、今回の展示のために修復した「英一蝶(はなぶさ いっちょう)」による「大涅槃図」である。修復に必要な材料の入手が大変困難であったが、特注するなどして何とか材料を集め修復することができた。また、ゴッホ作のルーラン一家の肖像画は、今回夫婦の二作が揃って来日した。
 20年間当地で皆様に愛された、その記憶に残るような展覧会としたいと考えている。是非じっくりと鑑賞していただきたい。


写真1
【名古屋ボストン美術館 館長 馬場 駿吉氏】

■ボストン美術館の至宝展 みどころ解説(学芸員 山口由香氏)
 本日ご覧いただくのは「至宝展」だが、米国名では「GREAT COLLECTORS」。本当にこの展覧会でお伝えしたいのは、「偉大なる収集家たちの物語」だ。美術館や博物館が美術品をコレクションするには、三つの方法がある。一つ目が「購入」。国や自治体、企業や財団の予算で購入すること。二つ目が個人所蔵のものを美術館に贈る「寄贈」。最後は、コレクション拡大のために資金援助を受ける「寄付」。約50万点もの作品を所蔵する米国ボストン美術館は、公の機関から一切資金援助を受けずに収集していることに特徴がある。
 本展覧会では、古代エジプト美術から現代美術に至る7分野から珠玉の80点をご覧いただけるが、収集家の物語とともにご堪能頂きたい。館長からも一部紹介があったが、目玉作品の中からお勧めを幾つか紹介する。

  • 英一蝶作「涅槃図」
    縦286.8cm×横168.5cmの仏画の大傑作。展示されたのは過去1回しかない幻の作品。
    今回のために170年振りに解体修理したが、大きすぎる作品なので、今後の展示の予定は立っておらず、大チャンス。
  • エドガー・ドガ作「腕を組んだバレエの踊り子」
    画家の没後、部屋から発見された未完の遺作。
  • ゴッホ作「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」
    今回ルーラン夫人の肖像画も揃って来日。
  • ケヒンデ・ワイリー作「ジョン、初代バイロン男爵」
    アメリカ現代美術で今最も熱いケヒンデ・ワイリー。オバマ前大統領の肖像画を手掛けたことで一躍時の人に。


写真1
【名古屋ボストン美術館 学芸員 山口由香氏】

 しっかりと事前知識をレクチャーいただいたうえで、いよいよ館内で作品を鑑賞した。山口学芸員おすすめの作品も含め、思い思いに多様且つ珠玉のコレクションを堪能した。参加者それぞれにボストン美術館の素晴らしい記憶を残す機会とすることができた。


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【30年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 MRJミュージアム・あいち航空ミュージアム見学会 』


日  時:平成30年5月9日(水) 11時30分〜16時00分
場  所:MRJミュージアム・あいち航空ミュージアム
参加者:26名

 今回は2017年11月30日に同時オープンした、「MRJミュージアム」「あいち航空ミュージアム」の視察会を実施。まずは名古屋観光ホテルへ集合し、昼食をはさんで大倉世話人からご挨拶。国内航空産業の集積地である愛知県が誇る両ミュージアムの視察会ということで、参加者の期待も膨らむ中、ミュージアムのある県営名古屋空港に向け出発した。

■MRJミュージアム
 MRJミュージアムは文字通りMRJ(三菱リージョナルジェット)の最終組立工場を一部ミュージアム化したもの。当工場はあくまで最終組立工場であり、100万点にも及ぶ部品は、三菱重工の大江・飛島などの各工場や、世界中のサプライヤーから調達している。なお、航空機の最終組立工場を見学できるのは世界でも三カ所のみ。シアトルのボーイング社、フランス トゥールーズのエアバス社、そして三菱航空機のMRJミュージアムだけであり、世界的にも希少な施設が愛知県に存在するということだ。
 MRJは航続距離3700kmの小型機で90人乗りと70人乗りの二種類。3700kmあれば世界のハブ空港を拠点として、その地域内の各地方空港へネットワーク可能だ。例えば中部国際空港からであれば、日本各地のみならずグアム・上海あたりまで射程圏内となる。
 ミュージアムの見学は二班に分かれ実施した。それぞれ担当アテンダントが付いて、ミュージアムエリアと組立工場エリアから成る館内を丁寧に説明頂く。
 ミュージアムエリアでは、まず、2015年のファーストフライトまでの軌跡を描いた美しい映像で参加者を盛り上げる。その後、MRJの実物大模型を用い、レクチャーを受けた。日本刀や歌舞伎の隈取をモチーフとした機体デザイン、操縦席や客室に施された工夫、軽量化構造・最新空力設計等の各種クリーン技術、サプライチェーンなど、多くを学ぶことができた。
 組立工場エリアでは2階参観通路から見学。組立中の2機に加え、整備・分解中のテスト機も確認できた。現在は、月産1機のペースで製造しているが、目標とされる納入開始時期にあわせ徐々にペースを拡大し、最終的にはMAXで月産10機体制を目指しているとのこと。

 「MRJのMは、三菱のMだけではなく、みんなのM」というアテンダントの言葉が印象的であったが、量産開始による国内産業への経済的波及効果だけではなく、YS11以来50年ぶりの国産旅客機の早期営業運転実現は国民皆の願うところだ。

写真1
両ミュージアムの受付カウンター

写真2
MRJミュージアムで集合写真

■あいち航空ミュージアム
 愛知県は航空宇宙産業クラスターの戦略特区であり、産業観光の目玉として県立のあいち航空ミュージアムを設立した。隣接の商業施設エアウォーク名古屋とは渡り廊下で繋がっており、観光客の回遊性も意識されている。
 館内は、名機100選の模型の展示や、飛行機やヘリコプターの実機の展示、学習用のシアターや体験ラボ、フライトシミュレーターなど子供から大人まで楽しめるコンテンツが用意されている。短時間ではあったが、参加者も童心に帰ってそれぞれ興味ある展示物を楽しんだのち、帰路についた。

写真3
入館するや零戦へ一直線の大倉世話人

写真4
国産旅客機YS11の実機


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【30年5月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 博物館 明治村 見学会 』


日  時:平成30年5月10日(木) 11時00分〜16時00分
場  所:博物館 明治村
参加者:23名

      

 木曜グループの5月度例会は、最近、若者向けの謎解きツアーなど新しい取組みで話題になっている「博物館明治村」を見学した。
 爽やかな好天に恵まれる中、現地へ到着した一行は、まずは文明開化の象徴「牛鍋」のお店、「大井牛肉店」へ。このお店も、もちろん実際に明治時代に神戸で営業していた店を移築したもので、鍋の熱源は炭火、お肉は飛騨牛のこだわり。明治村所長の田善一郎氏より歓迎のご挨拶を頂いたあと、贅沢な牛鍋の昼食に舌鼓をうった。

写真1
大井牛肉店

写真2
田所長によるご挨拶

 一行は二組に分かれ、それぞれ学芸ガイドさんにご案内頂く。まずは、重要文化財「西郷從道邸」へ。兄の西郷隆盛に比べると知名度は低いが、要職を歴任した政府中枢の人物が、接客の場として明治初期に建造した本格的な洋館だ。内部の金具や装飾は殆どが舶来品と考えられるが、暖炉の額縁飾りについては瀬戸の焼き物で、日本三景が描かれているのが印象的であった。

写真3
重要文化財 西郷従道邸

写真4
暖炉(瀬戸の額縁飾り)

 続いて向かったのは「芝川又右衛門邸」。大阪の豪商が別荘として現在の西宮市甲東園にしつらえた建物で、のちの京都帝大建築学科の創設者武田五一が、洋館と伝統的数寄屋造りを融合させた設計とした。外観はスパニッシュ風だが、内観は随所に和風の意匠が施されており、1Fのホールには網代と竹簀を市松に配した天井、2Fには立派な床の間付きの和室がある。

写真5
芝山又右衛門邸

写真6
和洋混合の内観

 ここからは、京都市電とSLを乗り継ぎ、一気に北端の「帝国ホテル中央玄関」へ。
 アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが設計した、明治村のランドマークとも言える建築物。
 メインロビーの優れた空間設計や、大谷石の彫刻など装飾類を堪能した。

写真7
1895年開業の京都市電

写真8
SLに群がる参加者

写真9
帝国ホテル前にて

 見学中、遠足で来たらしい小中学生の団体と何度もすれ違った。体験型アトラクションとして、園内を人生ゲームの盤に見立て、タブレットを使用しながらチームで園内を巡る「明治村版リアル人生ゲーム」や、探偵さながらに村内で起きた難事件を解決する謎解きアトラクションなど、ユニークな取組みが人気を博している。歴史的建造物と、時代に合わせた観光戦略が融合し、活気に溢れた新たな観光スポットとして進化していることを実感した。


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【30年5月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 建築あれこれ 』


日  時:平成30年5月16日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 3階 曙の間
参加者:23名

スピーカー:
榊原 讓(さかきばら じょう)
榊原建設株式会社 代表取締役

榊原 讓氏
榊原社長


■自己紹介
 今でこそ、親しい方から「讓(ジョー)!」と下の名前で呼ばれることも多いが、母親からは「あなたは、もう少しで勘三郎になるところだった。」と聞かされている。というのも、祖父母が大の歌舞伎ファンだったようで、私が生まれるや勘三郎という名前で譲らず。一方、勘三郎という名前に大反対の母親も必死の抵抗。結果、役所への提出期限ぎりぎりで、クジ引きで決めたそうだ。そんな冗談のような経緯もあったわけだが、私は皆さんに気軽に呼んでもらえる「讓」という名前が気に入っている。
 大学は東京へ。明治大学工学部建築学科へ行ったものの、当時の大学といえば学生運動が盛んで、あまり勉強した記憶がなく、様々なバイトに明け暮れていた。そんな大学生活の中でも思い出深いのが、父親が学生時代に入居していた縁で選んだ新宿初台の下宿生活。とても家族的な雰囲気で4名の下宿仲間がいたが、実は中部の某有名企業のトップもいるのが裏話だ。卒業後は、名古屋の六合建設で3年間修業させて頂き、家業の榊原建設に入社した。

■榊原建設の紹介
 1921年(大正10年)の創業で、社員51名の総合建設工事業者(ゼネコン)だ。もともとは祖父が半田市で創業したのだが、1930年に一宮市旧庁舎の施工を手掛けたのが縁で一宮市に本社を移転。明治時代から繊維産業の一大集積地であった一宮は、戦後もガチャマン景気(ガチャンと織れば万のお金が儲かる)で隆盛を極めた。父に聞いた話だが、「雪が降るのを見ていると、雪がお札に見えて来る」とある繊維関係の社長がもらされた。その位、当時の尾州の繊維は儲かったそうだ。そんな繊維の景気と共に当社も成長していった。一宮も、2014年に免震構造の立派な新庁舎が竣工。当社も大手とのジョイントで、このプロジェクトに参画することができた。市庁舎の他にも各種公共の建物、銀行、カーディーラー、学校など、多種多様な物件を手掛けている。

■日本の建設業
 建設業は生活の三大要素「衣・食・住」の「住」を担っているわけだが、建物というものがあまりに身近な存在のため、実は特殊な存在であることも認識されていない。例えばヒトは一生のうち80%を建物の中で暮らしている。また、耐久消費財の中でも特に大量の資材、巨額の初期投資、維持管理費用が必要な一方で、購入・契約時は図面のみでやり取りされている。

 日本の建築の特殊性で言うと、建物の資産価値が竣工後の経過年数で大幅に低下するため、リユース市場が欧米に比べ小さく、住宅でいうと30〜40年で取り壊すことが一般的だ。欧米では、住宅の持ち主が自ら日々のメンテナンスに余念がなく、専門業者に依頼する日本とは対照的だ。日本の建設業の産業構造については、請負契約による多重請負制度が一般的で、ゼネコンの施工管理のもと、多くの専門工事業者(サブコン)の多重下請け構造で成り立っている。総合建設業の役割は、このような多重下請け構造をしっかりマネジメントした上で、プロジェクトを安全に効率よく高品質に遂行することだ。最近では建設業の人材、特に現場の左官や型枠職人さんがかなり不足しており、絶滅危惧種とも言われる。きつい仕事ではあるが、日本の産業・インフラを支える職種であることに誇りを持てるように、業界全体がしっかりした報酬を支払える構造へと転換することが求められているのではないか。

写真1
鉄筋の結束の実演

 榊原社長の講話に続き、同社営業部副部長の和田光男氏より、入札制度の仕組みや変遷について紹介頂いた。

<和田氏による入札制度の紹介>
 昨今、リニア談合等で話題の入札制度についてご紹介したい。我々のような建設業者が公共事業を請け負いたい場合には、国土交通省や県管轄部署等の厳しい資格審査を経て、発注官庁・自治体へ2年に一回の指名願いを申請することが、まず必要である。
 その上で、従来は指名可能な業者から役所が5〜10社選定し、この業者間でコストを競わせる指名競争入札が一般的であったが、近年は殆どの発注機関が、概ね1千万円以上のものについては、原則一般競争入札となっている。一般競争入札とは一定の条件を付与したうえで、発注者が業者を指名することなく広く入札参加募集するやり方だ。

写真2
和田副部長

 入札の決定方式についても、大きく分けて2つある。1つが価格競争方式。発注者(官公庁・自治体等)が入札金額の上下限を設けており、この範囲内で最も安値を提示した業者を選ぶ単純なやり方。なお下限値が非公表の場合、それを下回る競争力ある安値を提示したとしても失格となる。もう1つが、総合評価落札方式。価格だけではなく、価格以外の要素である業者毎の技術点が加味される。技術点は、その業者の過去の施工実績による評価、ISOの取得状況、災害時における自治体との協定、地域への貢献度等、様々な尺度で評価されている。ただし、この方式は、どうしても過去の実績で先行している企業に有利にはたらき、結局のところ、落札業者又は入札参加業者が偏ってしまいがちに見受けられる。


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【名古屋いちばん物語】 No.109


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第86回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

終戦直後の栄地区の思い出・モージャー氏写真より

 前回の「住吉の語り部となりたい」第85回でご紹介した、モージャー氏の日本滞在時の写真(1946年4月〜1947年1月http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455)をFaceBookのお友達に知らせたところ、栄小学校の一年後輩で茨城県那珂市在住の橋本裕君から感動の返信をもらいました。

以下 ご本人のコメント引用

 “我が家発見!!モージャー氏戦後写真コレクションの166番の写真、第5空軍(中部方面)司令部となった大和生命ビル正面を撮った写真、手前の空き地にジープが駐車しているもの。その横に「WATCH CLOCK」と横壁に書かれている家屋が我が家です!!
 店の棟と住居の棟になって、その間はコンクリート打ちの通路。
 大和生命ビル入口の正面でした。裏手は墓地で、長円寺。
 時計・貴金属・眼鏡が本業ですが、司令部前という立地からか、龍や虎の大きな刺繍が入ったジャンパーから警棒・手錠・胸章・肩章なども取り扱っていました。
住吉写真1

 名古屋今池の東、仲田本通から、戦後すぐ栄二丁目に移って店舗を構えたと聞いていましたが、戦後1年ぐらいの早い時期だったと知りました。私はその3-4年後この地で生まれました。

 「WATCH CLOCK」と横壁に書かれているのがかつての我が家・店舗 昭和21年秋9月頃? S20年空襲で焼け出され、親父は終戦間際に召集され、小倉へ。終戦後すぐ除隊となって帰還。家族が疎開していた稲沢の実家にしばらくいてからこの地(岡谷鋼機所有)を借りて・・断片的な記憶を繋ぐと、こんなところか。
 父は進駐軍を良客としていい商売をしたとは思います。各務原基地のPXにも品物を納入したのは覚えています。そんなに商才があってバリバリ稼ぐタイプではなく、どちらかといえば職人タイプ。このころ運がよかったのでは?(天候が良ければ小倉で原爆投下、被爆していたかもしれない。小倉⇒長崎)英語はまるでだめだったと思うので、母親の方が適当な英語で対応していたのか?
 こんな早い時期に広小路、それも司令部前に店舗を開いたことの経緯はもう聞くことはできません。のち西側に喫茶・バー「ウスケボー」を開いていますが(S31-S35)、これもどんなきっかけがあったのでしょうか。こちらでは、バーテンダーからチェーカーの振り方、ダイスの振り方、ハンバーガーの作り方なども習いました。
 店舗の角は煙草、はがき・切手、宝くじ販売。ここではよく店番をして、札の数え方を覚えました。
 この1枚の写真を見ていると、いろいろなことを思い出し、懐かしく感じます。
 腕時計分解修理・組立、柱時計の調整、眼鏡度数検査、宝石鑑定などの作業、父に連れられて刺繍加工屋、寿屋、専売公社、税理士事務所にいったこと、店のガスストーブで焼いて食べた干芋(角柱形で白い粉がふいた)、店先に来てくれた魚行商、スケートを習ったこと、丸善・明治屋・丸栄・中村百貨店、屋台(みたらし、ラーメン・ワンタン)などなど、溢れてきます。
 ここが自分の原点。

 終戦直後の広小路・本町交差点の状況を回想した、裕君の思い出のコメントに嬉しくなり、そのまま引用・原文のまま紹介させていただきました。
 そして、懐かしいウスケボー、日本人が楽しめるカウンターバーの発祥の老舗です。最近まで経営者が代わったようですが、近くのビルで営業していた記憶があります。
 名古屋駅前の大型バー「うすけぼー」はニッカウヰスキー直営アンテナショップと思われ、橋本さんとは直接の関連はないようです。

 うすけぼー(Uisqebaughiウーシュクベーハ)とはケルト語で「生命(いのち)の水」という意味、つまりウィスキーの語源。

 橋本さんの店の名前は:命の水、ウィスキーの語源、徳川夢声の命名。
 マッチには夢声の似顔絵。「Torys」と字がはいった菱形ガラス小皿で「新道」で仕入れた「ピーナッツ」や「揚げソラマメ」をコーヒーのときも付けて出していました。7種のリキュールを比重の大きいものから順にグラスに注いで作る「レインボー」、ジンフィーズ、ハイボールの作り方の手ほどきをうけましたねぇー、小学生の時でしたが?仕入れはサントリーさんでした。
(橋本氏コメント)

 終戦直後、名古屋ではアメリカ第25師団が連合国軍(進駐軍)として軍政を敷き、市内のビルなど約40ケ所が接収されました。また、名古屋城三の丸旧陸軍第3連隊兵営跡にキャッスルハイツとキャッスル野球場、広小路南に現在の栄2丁目に将校の家族専用住宅「アメリカ村」と占拠されていました。司令部の交通の要所の交差点に第5空軍司令部、本町通りと広小路通りは占領軍専用道路となっていました。そして、橋本時計店の西にはジープが8台駐車されており、馬車を含めて邦人の車両通行などはなかったようです。当分の間、本町通りは米軍ジープが砂煙を上げて闊歩し、日本人が恐れおののき、一本西の長者町筋が新しい繊維街として終戦後発展したと聞いています。

 右下写真#205は、大和生命ビル西約100m・昭和22年正月の広小路通りの風景。北側、「賀正」の看板を掲げたシキシマの広小路サロンは最初の食堂、丸焼けとなった朝日神社の焼けた樹木・楠の大木も一年で緑を取り戻し、街の復興めざましく庶民は活気を取り戻しつつありました。左の白い建物はパチンコ広小路センターとして大いににぎわっておりました。すでに歩道が舗装され、電線も地中埋設されたようで電柱や電線が見当たりません。この後、柳の街路樹が歩道に植えられ、屋台が進出して「広ブラの原点」となったようです。

住吉写真2
昭和34年住宅地図:北側左より・旧GHQ大和生命ビル、 家具・高麗屋、
広小路サロン、朝日神社 南側:バー・ウスケボー、時計・橋本商店
住吉写真3
モージャー#205 広小路・昭和22年正月

 また、進駐軍に接収され一階にPXのあった朝日新聞ビルの屋上から名駅南を眺望した写真#122。堀川の手前には戦災で焼失した東陽倉庫跡、江戸時代からの水路が入江町通りの由来と聞いています。当時は尾張藩の米蔵26倉がありましたが、明治6年に広小路より移転し三ツ蔵懲役場を開設、同11年には日本最初の監獄精神病室が設置され話題となりました。

 レンガ造りであったため濃尾大震災で多くの建物が倒壊、12名が圧死、明治30年には愛知県監獄は吹上に移りました。昭和40年には若宮100m道路建設に伴い、名古屋刑務所として「みよし市ひばりヶ丘」に移転、現在は全国で4番目の規模といわれています。
 その後、堀川の水運を活用した倉庫でしたが、戦後は米軍兵も楽しめる施設としてキャバレー名古屋温泉パレスやプール、テニスコート、ボーリング場、自動車運転練習場などとして活用されていました。現在は再開発が完成して「テラッセ納屋橋」となり新しい都市型ニュータウンモデルで話題となっています。
 写真を見ると堀川に懸かる天王崎橋は、爆撃破壊後に急遽、木造で建設されたようです。米軍の規制か、堀川が水運として活用される前と思われ、舟も筏も見当たりません。
住吉写真1
モージャー#122 真ん中には、堀川、中央の三蔵通り南には
焼け残った家屋、早くも再興された倉庫なども見受けられます。

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【新会員自己紹介】

岡部 一彦氏
水曜第1グループ

岡部 一彦(おかべ かずひこ)
中部精機株式会社 取締役社長

【中部精機株式会社】
〒487-8650 春日井市気噴町3-5-1
TEL:0568-51-0671
URL:http://www.chubuseiki.co.jp

 中部精機株式会社の岡部と申します。このたび、産業懇談会水曜第1グループに参加させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 弊社は、1951年に中部電力の関係会社として設立され、以来電気メータなど、お客さまに電気をお使いいただくために必要となる計測機器の製造・販売・修理を主に行ってまいりました。最近では時代の変遷に合わせ、通信機能を有し、遠隔地から電気のオンオフを可能にするスマートメータの製造販売のほか、スマートメータシステム全体の運用保守なども手掛け、事業内容を変化させつつあります。
 私の出身は、桜で少し有名になりました長野県高遠町ですが、高蔵寺ニュータウンに居を構えて25年、すっかりこの地になじんでおります。
 本会の活動を通じまして、様々な業種の方々から貴重なご意見などを拝聴できますことを楽しみにしております。

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下川 浩平氏
水曜第2グループ

下川 浩平(しもかわ こうへい)
株式会社進和 相談役

【株式会社進和】
〒463-0046 名古屋市守山区苗代2丁目9番3号
TEL:052-796-2533
URL:http://www.shinwa-jpn.co.jp/

 片桐清志世話人のお誘いを受けて産業懇談会水曜第2グループへ入会しました。昭和19年4月13日生まれですから74歳となりました。出生地は福岡県嘉麻市嘉穂町です。中学1年の時に福岡市へ移り住み、1967年4月に大学を卒業後名古屋の会社に就職しましたので、名古屋在住は51年となりました。
 入社した頃はまさにモータリゼーションの草創期であり、経済評論家三鬼陽之助の「日産の挑戦―はたしてトヨタを追い越せるか」の本が出版されるなど、日産とトヨタの両社が掲げる年間生産計画台数が、極端な話、日々交互に更新されるという直接対決的様相でした。
 自動車業界は幾多の試練を乗り越え現在に至るわけですが、会社の主要取引先が自動車産業各社ということで、この50年間の自動車産業の歴史は、私自身にとりましても貴重な自動車産業の改革体験の歴史でありました。
 第一線を退きましたが、会長職時代の中部経済新聞社のコラム「マイ・ウエイ/意あれば道は拓く」の中でその一部を書き述べることとなり、それまでの私の生活信条とは逆の、過去を振り返る絶好の機会となりました。改めて寄稿のご指名に感謝しています。
 雑駁な経歴紹介で申し訳ありません。
 水曜第2グループの皆様、今後のご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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村元 祐介氏
水曜第2グループ

村元 祐介(むらもと ゆうすけ)
三井不動産株式会社中部支店
支店長

【三井不動産株式会社中部支店】
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南1-24-30 名古屋三井ビル本館10階
TEL:052-586-1767
URL:http://www.mitsuifudosan.co.jp/

 このたび、中部経済同友会の会員にお加えいただき、産業懇談会水曜第2グループのメンバーとなりました、三井不動産中部支店の村元です。
 中部地域での職務は初めてでございます。皆様のご指導ご鞭撻を賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

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岩田 智氏
木曜グループ

岩田 智(いわた さとし)
NTTタウンページ(株)
取締役中部営業本部長

【NTTタウンページ】
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南4-4-19
TEL:052-589-6133
URL:http://www.ntt-tp.co.jp/

 はじめまして。
NTTタウンページ(株)取締役中部営業本部長に2017年7月着任しました岩田です。
タウンページといえば、昔の電話帳です。
正直に申し上げて、まだ出していたんだ、というのが、着任前の印象でした。

 タウンページは、広告出稿頂くお客様からの収入で成り立つ事業です。
広告売上は、1997年をピークに、ずーっと減り続けています。
その頃からケータイやネットの普及が本格化して、固定電話も減り始めたのです。
電話帳は、もともと、固定電話をご契約頂いたご家庭・事業所にお届けしていました。
固定電話が減って、電話帳のお届け先も減っていきました。
そうなると、電話帳に広告を出す効果も減って、広告売上も減っていったのです。

 着任してみると、この状況を反転する取組が進行中でした。
以前の固定電話普及率は、ほぼ100%でした。
その頃は電話帳も、ほぼ100%のご家庭・事業所にお届けしていました。
なので、もう一度、すべてのご家庭・事業所にお届けしよう、ということです。
コストアップを抑えるべく、編集や配達での工夫と並行してですが。
こうして、ケータイ・スマホだけのご家庭にも、タウンページのお届けを始めました。
すべてのご家庭にお届けするなら、もっと世の中のお役に立つことはできないか。
検討の結果、防災タウンページを別冊で作って同梱でお届けすることを始めました。
地図上に最寄りの避難所と公衆電話をお示しして、防災情報も掲載した冊子です。
H30年度は、日本全国すべてのご家庭・事業所にタウンページと防災タウンページをセットでお届けします。6400万部くらいになると想定しています。

 着任前には、思いもよらぬことでした。
日本全国といっても、地域エリアごとに編集します。
すべてのご家庭・事業所に毎年お届けするものなので、地元の生き生きとした姿が見えたり、安心安全に貢献するものになるよう取り組んでいきます。
皆様からのご指導やご助言を賜ることができれば、本当にうれしいです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

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宮野 正彦氏
木曜グループ

宮野 正彦(みやの まさひこ)
東海東京証券株式会社
常務執行役員

【東海東京証券株式会社】
〒450-6433 名古屋市中村区名駅3-28-1大名古屋ビルヂング33階
TEL:052-588-6222
URL:http://www.tokaitokyo.co.jp/

  この度、産業懇談会木曜グループ゜に参加させていただく東海東京証券の宮野でございます。よろしくお願い致します。東海東京証券は東海東京フィナンシャルグループの中核として、お客様の様々なニーズにあった金融商品、サービス、ソリューションを提供しております。そして中部地区を中心に地域戦略を推進し、さらなる成長と企業価値及びお客様のロイヤリティ向上を目指してまいります。今後、産業懇談会に参加させていただくにあたり、もの凄いスピードで変化するこれからの時代にしっかりと対応できるように、この機会を通じて様々な業種の皆様と交流を図り、見識を広めていきたいと思っております。
 さて、私事になりますが、この4月から名古屋単身生活も4年目がスタートいたしました。今までの3年間は法人関係の業務を担当していた為、出張も多く、月の半分ほどは他の地域に行っておりましたが、4月からは名古屋を中心としたこの地域での業務を担当することになり、名古屋にいる時間がかなり増えることとなりました。休日は、まったく上達しないゴルフや、ウォーキングをしながらお店散策などをしています。
 今後大変お世話になりますが、ご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

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6月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

6月12日(火)
12:00〜14:00
長瀬電気工業株式会社 代表取締役
屬 ゆみ子 氏
『ワインは世界の共通語〜つながる、広がる世界』
               *ちょこっとテイスティングあり
名古屋観光
ホテル
3階
桂の間
水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

6月27日(水)
12:00〜14:00
サッポロビール(株)文化広報顧問 端田 晶 氏
同 生産技術本部 製造部 マネージャー 野口 博志 氏
サッポロビール名古屋ビール園浩養園 見学会
『浩養園から遡る日本ビール産業史』
      (クラフトビール釜 見学、数種類 試飲あり)

浩養園
千種区千種
2-24-10

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

6月13日(水)
12:00〜14:00
株式会社ベネフィット・ワン
執行役員中部日本営業部長 妻木 宏文 氏
『福利厚生のトレンドと、
       健康経営銘柄選定までの弊社の取り組み』
名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

6月28日(木)
12:00〜14:00
『名古屋城本丸御殿 見学会』 日本料理大森
(名古屋
能楽堂内)

※見学会ご参加の方には詳細案内をお送りいたします。

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7月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

7月10日(火)
12:00〜14:00

『地域づくり人づくり 山川里海の新作狂言』
日本水大賞審査部会特別賞 受賞記念
(主催:国土交通省、名誉総裁:秋篠宮殿下、
 審査委員長:毛利 衛氏)
言葉の泉代表 日本劇作家協会会員 山川 里海 氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

7月18日(水)
12:00〜16:00
『キューピー株式会社 挙母工場 見学会』

名古屋観光
ホテル
3階
桂の間
(バスで移動)

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

7月11日(水)
12:00〜14:00

『意あれば道は拓く』
株式会社進和 相談役 下川 浩平 氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

7月5日(木)
12:00〜15:30
『中電ウイング(株) 見学会』 名古屋観光 ホテル
3階
桂の間
(バスで移動)

※見学会ご参加の方には詳細案内をお送りいたします。
※見学会は、バス代など参加費用を頂戴いたします。

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コラム1 【保健師からの健康だより】 No.170
コラム【保健師からの健康だより】

株式会社 スズケン
保健師 丹羽 香織

『 その不調、気象が原因かもしれません 』

 「天気が悪いと頭が痛い、体がだるい、めまいがする」という方はいませんでしょうか。
 気温や気圧など気象条件の変化で引き起こされる不調や病気は「気象病」と呼ばれています。主な症状は、頭痛、めまい、うつ、肩こり・腰痛、古傷の痛みや神経痛、なんとなく感じる不調といったものです。ある調査によると、天気による不調に悩まされている人は全国で1000万人以上にものぼる可能性があるとされています。また心臓病や脳卒中、喘息、歯周病、虫垂炎など意外に感じる様な多くの病気や症状が気象の影響を受けると言われます。

 なぜ気象の変化により体調不良が引き起こされるのでしょうか。
 私たちの体には外部の環境が変わっても体内を一定の状態に保とうとする働きがあり、自律神経が大きな役割を担っています。自律神経系には体を興奮させる働きをもつ交感神経とリラックスさせる働きをもつ副交感神経があり、この2つの神経の調整がうまくいかないと様々な不調が出てきます。
 気象条件の中で特に体への影響が大きいのは気圧と考えられており、気圧が変化すると体はストレスを感じます。耳の奥にある“内耳”で気圧の変化が感知されるとその情報が脳に伝わり自律神経が活性化されますが、内耳が敏感だと自律神経が過剰に活性化されることになります。交感神経が活発になれば頭痛や神経痛などの痛みを感じたり古傷が痛みだしたりし、副交感神経が活発になればだるくなったり眠くなったりします。ちなみに古傷が痛むのは、脳が過去の痛みの記憶を呼び起こすからであると考えられています。
 症状が出やすいのは季節の変わり目、梅雨時、台風接近時、その他異常気象などにより気圧の変動が大きい時ですが、飛行機や新幹線などでの移動、エレベーターなど気象とは関係ない日常でも気圧の変化はあるので症状が出ることもあります。また温度や湿度の変化も加わるとより症状が出やすいといわれています。

 気象病と上手くつきあっていくには、痛みの日記をつけることが効果的です。どのような天気の時に痛みやその他症状が出るのか、その予兆などを把握することで要注意のタイミングが分かります。天気図を読んで体調管理の参考にすることもお勧めです。
 治療としては医師の診察を受けて症状に対する薬を服用することなどが有効とされていますが、発症や悪化防止の為に日頃からご自分でケアすることも重要です。

(1)自律神経のバランスを整える生活を心がける

  • 毎日できるだけ同じ時間に起き、朝食を摂って体を活動モードに切り替える
  • 適度に体を動かす
  • ゆったり湯につかりリラックスする
  • カフェイン摂取、テレビ、携帯電話など寝る前に交感神経が活発になる様なことは避け質の良い睡眠をとる

(2)耳体操を行い耳の血流を良くする

  • 朝昼晩の1日3回、耳を引っ張る、回すなどの軽い刺激を与える

 年々、地球温暖化による気象変動の影響もあり気象病に該当する人は増加傾向であると思われます。気象という不可抗力の要素がからんだ複雑な不調であり当事者にとっては非常に辛いものですが、症状がいつ出やすいかなどを把握できれば心構えができたり薬を飲むなど対策をとることもできます。
 心身ともに不調になりがちな梅雨の時期が近づいてきていますが、少しでも快適に過ごせるようにして元気に夏を迎えたいですね。

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.115
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 君たちはどう生きるか 』
吉野源三郎著・岩波文庫

 いま『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス刊)が売れています。なぜ売れているのかは出版元でもよく分からないそうですが、既に200万部を突破したようです。

 上級生に狙われている北見君を皆で守ることを約束した友人たちだったが、いざその場になると、主人公のコペル君だけが約束を破ってしまった。「卑怯者」という無言の声に苛まれるコペル君と、友人たちとのその後の関係は・・・。

 ここが話の山ですが、もし約束をしていなければ卑怯者ではないのか(見て見ぬ振り)という問いかけを私自身にされているとも思いました。このほかにもいろいろな話題を通じて、コペル君の精神の成長を描いています。まさに「生き方の書」です。このような内容の本が多くの人に読まれることは、とても嬉しいことです。
 なお、この作品は著者自身によって2回改訂されていますが、現在の岩波文庫版は1937年に初めて世に出たときの形に戻っています。また、丸山真男による「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想―吉野さんの霊にささげる―」も付載されています。漫画版は原本と多少異なるところがあります。読みやすい本ですので、できれば岩波文庫の読書をお勧めします。

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コラム3 【苗字随想】 No.192
コラム【苗字随想】

片桐清志

苗字の地下鉄駅めぐり(4)

 前回に続いて、今回も苗字と名古屋の地下鉄の駅名の関係に着目してみる。今回は桜通線の駅めぐりをしてみたい。
 名古屋で4番目の線となる桜通線は1989年(平成元年)9月10日に中村区役所〜今池間が開通した。この開通時に名城線との乗換駅として久屋大通駅が名城線に新設された。現在は徳重まで延長され21駅での営業になっている。
 桜通線の駅ナンバリングの1番は中村区役所だ。「中村」、「名古屋」の姓は東山線で紹介済みだ。国際センターに関係する「国際」姓はないが、一字姓の「国(クニ・コク)」は19000番台、「際(キワ)」は41000番台にある。丸の内、久屋大通も鶴舞線、名城線で紹介済みだ。
 高岳と同じ苗字の「高岳(タカオカ)」は47000番に見つかった。苗字では同じ読み方の「高岡(タカオカ)」の表記の方がおなじみだろう。こちらは順位も500番台だ。車道と同じ苗字はないが、一字姓の「車(クルマ・シャ)」は6000番台なので結構ある苗字だ。「道(ミチ・ドウ)」も13000番台に見つかった。今池は東山線で紹介済みだ。吹上と同じ苗字の「吹上(フキアゲ・フキガミ)」は5900番台だ。御器所も鶴舞線で紹介済みだ。
 桜山と同じ表記の苗字「桜山(サクラヤマ・オウザン・オウヤマ)」は8700番台だ。瑞穂区役所、瑞穂運動場東の「瑞穂」、新瑞橋は名城線で紹介済みだ。桜本町と同じ苗字はないが、「桜本(サクラモト)」なら3447位なので結構ある。一字姓の「桜(サクラ)」は8100番台、「本町(ホンマチ・モトマチ)」は28000番台だ。鶴里と同じ苗字の「鶴里(ツルサト)」はありそうだが苗字としては意外と少なく53000番台だ。野並と同じ苗字「野並(ノナミ)」も9000番台に実在する。
 鳴子北では「鳴子(ナルコ)」が36000番台だ。相生山と同じ苗字は見つからなかったが、「相生(アイオイ)」は11000番台だ。神沢と同じ苗字の「神沢(カミサワ・カミザワ・カナザワ・カンザワ)」は3200番台だ。終点の徳重と同じ苗字の「徳重(トクシゲ・トクジュウ・ノリシゲ・トクエ)」は2100番台だ。
 桜通線の駅名になっている地名はなじみが薄いものが多い。そのため苗字でもなじみの薄いものが多い。

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【平成30年5月号編集後記】

 働き方改革が各方面で議論されている。その多くは、人手不足がもたらす働きすぎの現役世代の労働時間の短縮だ。少し前にはワークライフバランスという言葉もよく耳にした。働きすぎで、家族サービスをおろそかにしている夫族への警鐘の意味合いが強かった。
 現役世代に焦点を当てた議論だが、一方で高齢化社会という割には、高齢者は働かないことが前提の議論が大半だ。しかし、元気な高齢者もたくさんいる。パート市場は高齢者とその予備軍の女性も大きな役割を担っている。男性高齢者も契約社員等で活躍している人も少なくない。
 シニア世代は価値観も多様化しており、各自のライフスタイルが確立している者が大半だろう。しかし会社人間一筋で来た人はリタイア後に居場所探しをしている者も多い。第二の人生の準備不足と言えばそれまでだが、そうした機会がないままリタイアした人がとりあえず身を寄せる仕組みがもっとあってもよい。シニアのワークライフバランス問題は少しだけ労働できる場を確保することだろう。
 シニア世代のワークライフバランスという観点で現代社会を見ると、新たな課題と解決の方向が見えてきそうだ。年金を受給しているシニアの最低賃金は現役世代の最低賃金と別の制度があっても良いかもしれない。健康状態を考慮すると二人一組での就労参画方式が雇用側、被雇用側双方にとって安心かもしれない。資格保有者や経験豊富な人材も多く、ネットを活用したアドバイザー的な勤務形態もあるだろう。
 シニアの意識は賃金水準よりもやり甲斐だろう。同年代が集まると、健康問題と趣味と孫の話が多いが、どことなく充実感が乏しい。何がしか社会参画(ボランティアを含め)をしていれば、生活の充実感が増す。現役時代の経験や資格が生かせれば社会参画もしやすい。
 シニア世代が急増する今、労働力を活用する仕組みや趣味の集まりがたくさんあればワークライフバランスを調整しやすくなる。このことが元気なシニア層を増やし、活力ある高齢化社会の実現につながるように思える。

 今月の産業懇談会はボストン美術館での鑑賞、MRJ関連施設の見学、明治村見学と五月晴れの下で「行動する産業懇談会」となった。6月、7月も見学会が計画されている。この機会に大いに見聞を広めて戴きたい。
 新会員も5名のご紹介ができた。産業懇談会を大いに活用していただければ幸いだ。

(片桐)