テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第84回 』
料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)
料亭蔦茂の「おもてなし」と名妓連
料亭蔦茂・創業105年の歴史において、一つの事件は、昭和2年の金融恐慌により神田銀行破産に伴い、店の経営母体である祖父・良矩の証券引受会社が連鎖倒産してしまったことです。ご本家の須成深田家から勘当され、破産申請で全てを精算、事業整理に伴い、戸籍上離婚した妻・山田静江がマイナスから商人宿として蔦茂旅館のみを残して再建、細腕繁盛記さながら頑張って新しいスタートを切りました。
屋号も山田旅館と変更し、やっと落ち着いた数年後、隠遁・逃亡?生活から戻った良矩と住吉二丁目26番にて蔦茂を再興しました。女将静江の采配に全てを支えられて祖父はニワカ番頭を務めていたようです。三男三郎は昭和6年に誕生、何度も叔父が語っていました。「お袋は朝の送り出しから深夜のお客様の就寝まで働きっぱなし、横になって寝ている姿を見たことがなかった!」。小遣いを貰うときには、静江母は「必要ならいくらでもあげるよ!でも、お母さんがいかに苦労して稼いだお金かわかるよね。大切に使いなさいよ。」涙がこぼれて無駄遣いはできなかったといっています。
その後、蔦茂は料理店として営業しましたが、戦時下では徴用された三菱電機・王子製紙の役員社宅として活用されていましたが、昭和20年3月名古屋大空襲で栄地区一帯が丸焼け、当店も全焼となりました。
沢井鈴一氏の「広小路物語」で戦前の住吉界隈について、次のように語っています。
戦前の広小路には、多くの置屋があり、何百人もの芸者がいた。昭和十四年刊行の『名古屋案内』に広小路の芸者のすばらしさを紹介した次のような文がある。
市内の花柳街の中心地は、何といっても広小路の南北に軒を連ねている置き屋のそれでありましょう。そこにはツキたての餅のように温かく、牡丹刷毛のように柔らかな玉の膚を絹衣で包んで、優し物腰で情緒豊かな嬌声を振りまいている一群の女性がいるのです。
置屋とは、芸者をかかえている家だ。芸者は、この置屋で寝起きをする。置屋では客を遊興させず、検番などの依頼に応じて芸者をさしむけた。広小路には二つの検番があった。広小路商店街の地域に属するのが浪越連だ。浪越連には百二十軒の置屋と四百十一名の芸者が属していた。新柳町商店街の地域に属するのが、中検番だ。八十四軒の置屋と三百四十人の芸者が中検番には属していた。浪越連と中検番とは、もともとは東雲連といって、一つの検番であった。当時、名古屋には十六の検番があった。そのうちの大須の廓連、睦連、長者町の盛栄連とあわせ、広小路の浪越と中の検番は五連妓と称せられた。
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以上、引用 http://network2010.org/article/1082
戦後昭和21年に焼け野原の一軒家として新築された蔦茂旅館は再建を果たしました。
30年頃には料亭営業を中心に、祖母静江の「おもてなしの心」と、母のり子のもとに住み込む仲居20名での接客サービスは好評で、芸者を呼ばなくても楽しめる気軽な店として大繁盛でした。
昭和初期の静江女将 |
昭和32年頃蔦茂仲居さんと深田ファミリー:前列3人目父正矩、
母のり子、正雄、祖母・静江、仲居頭・妙子、支配人・二村正次
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また、芸者衆も名妓連2-3名が常駐し、当時は舎人町・中京連、西区・城西連、富沢町・浪越連などそれぞれ100名を超える芸妓をかかえる検番からも毎日、出入りが多くありました。昭和30年前後は料亭売り上げの30%以上は芸妓花代関連でした。
昭和30年頃節分祭・仲居頭・
妙子&みち子と二村支配人 |
常駐の名妓連かつ子、
大女将・静江 |
名妓連のホームページには、下記のように由来が説明されています。
名妓連組合(めいぎれんくみあい)は、愛知県名古屋市中区にある舞妓・芸妓の団体。
昭和27年、名古屋芸妓株式会社として設立。東新町に自社ビルを持ち、往時には250名以上の芸者を抱え、昭和33年より「名妓をどり」を名鉄ホールにて39回開催、その後、組合員の減少により解散するも、平成12年に名妓連組合として新発足しました。
現在は芸妓17名、舞妓2名が活躍中!
日本舞踊、鳴物、太鼓・鼓、笛・邦楽、三味線、唄などの稽古があり、伝統芸である「金の鯱」の習得は必須となっております。
http://meigiren-hp.com/index.html
名妓連総揃え:前列中央・金丸前理事長、右・かつ子 |
伝統芸:金の鯱 |
昭和27年舎人町芸者と花街祭
(名古屋情熱時代・樹林舎刊)
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また、舎人町の東検番芸能協同組合は昭和33年中京連芸妓組合と名を改め、昭和27年から「舎人花街祭」では、毎年200名の芸妓さんが街を踊りまわる名物行事でした。
しかしながら、バブル崩壊のころ舎人町の花街の衰退とともに、解散状態になっています。個人で2-3名が中京連として頑張っているとのことです。
市内の料亭の廃業とともに、芸者のお座敷も少なくなり検番も名妓連のみとなりました。名古屋伝統文化の担い手となった「名妓連」を支援しようと、名古屋邦楽協会の会長薦田国雄氏(東邦ガス(株)S49〜S59社長)の音頭で「名古屋伝統芸能振興会」を発足。名古屋商工会議所に事務局をおき、現在法人会員70社、個人184名で名妓連の新人育成や名古屋をどりなどの発表会へ助成活動を継続実施しております。
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毎年9月に中日ビルで開催される西川流「名古屋をどり」の金沢、岐阜、名妓連芸者の競演は一興です。今年からは新装御園座での披露が楽しみですので、皆様でお越しいただれば幸いです。
そして、地域の料亭と一体となった伝統文化の承継としては、金沢が大変先進的です。
金沢商工会議所が中心となった金沢伝統芸能振興協同組合の支援や「公益財団法人 横浜記念金沢の文化創生財団」の活動を大いに見習っていく必要があると感じております。