コラム1 【遊歩道】 No.7
産業懇談会木曜グループ
筒井 和彦
『 Nikeを知っていますか? 』
ゴルフも不熱心な者が、スポーツの感動を伝えるアスレティックブランドのNike(ナイキ)の話とは不思議ですか?
実を申し上げると、私も40年前(現Nike Inc.の母体となる会社が誕生して7年経過した頃)に、米国でNikeの仕事に携わることになるまでは、日本ではスポーツブランドと言えば、オニツカ・タイガー(現アシックス)が一番と思っていました。
その時以来、日商岩井(現双日)での商社マン人生の過半を、アメリカや日本でNikeと関わりました。既に商社マン生活を卒業していますが、この場をお借りして是非皆様にお伝えしたいことがあって筆を執らせて頂きました。
Nikeの共同創業者の一人であり、今のナイキを導いたフィリップ・ナイト氏が著した「SHOE DOG(シュードッグ)・靴にすべてを」(著者 フィル・ナイト、訳者 大田黒泰之、東洋経済新報社刊、本体¥1,800+税)のご一読を、お勧めしたいと思います。
ナイト氏は3兆円にもなる自身の資産の殆どを寄付すると公表し注目を集めました。そのナイト氏はオレゴン大学を卒業後スタンフォード大学大学院でMBAを取得。
この本では、その修士論文で纏めた当時からすれば正に突拍子もない奇抜な自身の考えを、苦労の連続の中で着々と実を結ばせて行く様子が語られています。
1978年12月にオレゴン州ポートランド駅構内のレストラン・ビクトリアステーションで、ナイト氏から直接MBA論文の話を聞いた際のナイト氏の語り口が今でも耳に残っています。
同著の記述の中には若干大袈裟な表現が散見されますが、信念と挫折、そして苦労を分かち合い支える家族と仲間があれば、道は開けるということが赤裸々に語られています。
1960年から1980年の20年間の成長過程を年毎に追い、今日のNikeの基礎が如何に築かれて来たかが示されています。
私とNikeの関りは、Nikeシューズの海外生産が本格化する1970年代後半に、ポートランドの駐在員として、今流にいえば、ICTを駆使してグローバルロジスティクシステムを構築し、サプライチェーンマネイジメントを推進したことに始まり、1980年代後半には、経営不振から日本市場からの資本撤退を決めたNike本社に替わり、ナイキジャパン再建メンバーの一人になったり、1990年代末の日商岩井の財務危機に際しては、ナイキビジネスのトランスフォーメーションに携わったりしました。
振り返ってみると、本当に苦労の方が多かったと思う一方、苦労の甲斐があったと実感しています。
英語版(原著)を読むと、登場人物の顔や歩く姿が蘇り、又、ナイト氏の語り口が聞こえて来ますが、邦訳でも十分に雰囲気は伝わり、何が大切なことなのかを示唆しています。
SHOE DOGをご一読されたうえで、様々な競技で活躍するNikeシューズやウエアを着用しているアスリートを見られると、よりその興奮が伝わってくるのではと思います。
是非、お近くの書店でお手に取ってみて下さい。
閑話休題。
東京生まれ(渋谷区)、東京育ち(新宿区)で、東京以外はポートランド(米オレゴン州)、香港、ニューヨークでの勤務を経て名古屋に拠点を移し、早や8年が経とうとしています。
引き続き名古屋をベースに様々な活動に取り組もうと考えておりますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
「SHOE DOG(シュードッグ)・靴にすべてを」
(著者フィル・ナイト、訳者大田黒泰之、
東洋経済新報社、本体¥1,800+税)表紙 |
SHOE DOG英語版
(PHIL KNIGHT, SCRIBNER, Simon & Schuster, Inc., US$29)
巻頭に書かれた、ナイト氏から小職宛てのメッセージ。 |
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