産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第180号 2017.5.31 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成29年5月度(第180号) 目次
【29年4月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 4月19日(水) 12時00分〜14時00分
【29年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】 5月9日(火) 12時00分〜14時00分
【29年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 5月10日(水) 12時00分〜14時00分
【名古屋いちばん物語】 No.97
【新会員自己紹介】
福智 寿彦氏

医療法人福智会 理事長・院長

竹内 桂子氏

株式会社六本木 代表取締役

【6月度産業懇談会のご案内】
【7月度産業懇談会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【遊歩道】 No.5
コラム2 【保健師からの健康だより】 No.158
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.103
コラム4 【苗字随想】 No.180
【29年4月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 新興国への事業展開のポイント 』

日  時:平成29年4月19日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:23名

スピーカー:
岡部 聰(おかべ あきら)
東海東京フィナンシャル・ホールデイングス株式会社 顧問

岡部 聰氏

1. パイオニアワークの原点
 私は1971年に東京工業大学を卒業し、トヨタ自動車販売(株)に入社した。アジアを中心に新興国、最後には中南米、オセアニア、中近東、インド、アフリカと赤道の南側をすべて担当した。駐在経験はマレーシアの6年である。
 「パイオニアワーク」に邁進した40年であったが、この実体験を著した本を昨年(2016)出版した。
 今日は、このなかから、私が思う新興国での事業展開のポイントをお話したい。

水曜第一グループ写真1

 私の原点は大学時代にある。私はアルピニストであり、東工大山岳部に所属し、年間100日以上は山にいた。大学で、著名な文化人類学者である川喜田二郎教授と出会い、3年間先生のご自宅に住み込み、KJ法や野外科学について直接ご指導を受けた。先生は、頭で考える「書斎科学」やデータを重視する「実験科学」だけでは、混沌とした現実社会で、自ら課題を解決する人材は育たないというお考えから、現場で課題をみつけ探求する「野外科学」を提唱されていた。先生は学園紛争をきっかけに東工大をお辞めになり、私を事務局長にして移動大学を設立した。これは、黒姫山や下北半島などでのフィールド調査で地域問題を解析する野外科学実践道場である。
 多様性ある新興国での仕事は、現地の状況・ニーズの把握が第一で、様々な価値観を持つ人間の合意形成をとらなければならないが、先生から学んだこの野外科学が大変重要であった。先生と出会い、1970年にヒマラヤへ遠征した。貧しい山村の人々のために水道や荷運びのワイヤーロープラインを村人と共同で建設。そしてネパールの地で妻と学生結婚した。

2. 悪路と難所だらけの新興国事業展開
 トヨタ自販に入社後、一貫して新興国でのビジネス展開に携わった。苦労の連続であったが、大学時代に学んだ野外科学と、「課題を解決したい」という気持ちで乗り越えてきた。その事例をいくつか紹介する。

(1)常識破りのアジアカー開発

 1970年、トヨタは東南アジア向けの自動車開発に着手した。当時、車はごく一部の富裕層向けのものであった。一方で、稲作農業に従事する農民たちは、リヤカーに代わる安価な農業機械を切望していた。現地調査を重ね見えてきたこの実態をふまえ、現地のニーズにマッチした多目的使用が可能な車の開発を提案した。このアイデアをもとに1977年生産開始した「キジャン」は、ドアがなく、ボディは鉄板を折り曲げただけの、トヨタの商品基準には適さないものであるが、現地で国民車として愛され、今でもベストセラーカーとなっている。既存の考え方、手法にとらわれず野外科学的発想、現地目線で課題とニーズを把握したことが成功の要因であった。

(2)モータリゼーションの先駆けとなった自動車学校の設立

 1980年代半ば、中国で、一般市民が安全に自動車を運転できるようにするために、日本のノウハウを活かして自動車学校を設立する事業が持ち上がった。当時の中国では、職業ドライバーが主体で、一般市民向けの自動車学校はおろか、道路交通法も各省で統一されていなかった。しかし将来のモータリゼーションを見据え、健全な自動車社会を築くには不可欠であった。前例のない事業に頭を悩ませたが、KJ法を活用し、課題を洗い出した。一番骨が折れたのは、教本の作成であった。各省から教本を取り寄せ、日本語に翻訳、専門家に一冊の教本にまとめてもらった。現地中国のパートナーには、関係政府機関との調整を主体的にやってもらい、なんとか開校にこぎつけた。現地の発展を願い、貢献しようとする姿勢を相手に見せれば、多くの協力を得られることを学んだ。

(3)巨大市場インドでの挑戦

 巨大な潜在市場インドへ進出したのは1997年。当初は先述したインドネシアの「キジャン」を導入した。10年経ち、基盤が整った頃、いよいよメイン市場である軽自動車クラスの低価格市場に打って出る。スズキや韓国メーカーなど手強い競合相手に勝つため、コスト重視で試作車を製作した。しかし自ら試乗して、まるで独房のような乗り心地にがっかりし、再試作を命じた。インドでも市場調査を幾度となく行ったが、ある家庭で子供が「お父さん、お小遣いいらないから早く車買って」と言う光景を目にした。
 新興国では、車を買うことは夢を買うことである。いくら安くても、家族の夢を満たす魅力的な車でなくてはならない。ここでも、決して上から目線にならず、現地目線に立ってみることの大切さに改めて気付くことができた。

3. 新興国事業展開のポイント
 新興国ビジネスに携わるなかで見えてきた、新興国事業展開のポイントについてまとめたい。

(1)現地社会と利害を共有できる、「インサイダー化」

 私がもっとも大事に、心がけてきたことである。私は現地では、その国の衣装を着て、その国の食べ物を食べ、現地の人たちとコミュニケーションをとることに努めてきた。ビジネスだけにとどまらない真のパートナーシップを築くためである。インサイダー化すると今まで見えなかったもの、現地の人の思いが見えてくる。日本を中心にして地球が回っていると思うとインサイダー化はできない。現地のことを知り、じっと耐え、現地のオペレーションまで見る。現地社会に興味をもち、好きになることが肝要である。

(2)変化が激しい新興国では、想定外が日常と心得る

 新興国の市場はこの40年間、一本調子で成長したのではない。市場の成長過程には、トレンド、サイクル、イレギュラーがある。新興国・成長市場では日本や米国と違って、トレンドやサイクルがなかなか予測しにくい。潜在市場では何がトリガーになるのかが分からない。時系列で事態を判断できる人材のみが市場を理解でき、そういう人材でないと変化に対応できない。
新興国の市場の上下変化は成長のプロセスであり、その変化を事前に検討するよりも、変化に対し、いかに早く適応するかにエネルギーを集中すべきでしょう。

(3)新興国での事業は本社トップの関心とサポート体制が重要

 山谷がある新興国ビジネスに取り組む担当者にとって、停滞期だけをみて判断され、会社から不満をぶつけられたり、トップからの励ましがないことは非常につらい。トップは自分が任命した現地幹部に目標を明確に与え、信じて任せる。中長期的目線で判断し、仕事を進めやすい環境をつくってあげることが重要である

4. まとめ
 パイオニアワークへの扉を開く方法は、継続的に志と問題意識をもっていること。でないと、目標に向かって行動を起こすためのチャンスに気付けない。私は大学時代から、「問題解決」が好きであった。この思いが、私を世界に駆り立てた。挫折も何度も味わったが、いつも前向きに、「愛とロマン」を胸に仕事に情熱を傾けてきた。
 若い人たちには、「無責任」が許される若いうちに、「好き」に身を投じ、パイオニアになっていただきたいものである。


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【29年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 桜もち誕生300年〜桜文化を語る 』

日  時:平成29年5月9日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:24名

スピーカー:
平出 眞(ひらで まこと)
山眞産業株式会社・花びら舎 代表取締役

紹介者:
火曜グループ世話人 深田正雄

平出 眞氏

 日本人の心を捉えて離さない、桜。和菓子の副材料の卸や加工を行う会社の代表・平出眞氏をお招きして、「桜もち誕生300年〜桜文化を語る」と題してご講演いただいた。

1. 桜は世界に誇る日本の文化
 日本人にとって特別な存在である桜。花といえば桜、花見といえば桜というように、古来から日本人はひときわの思いを桜に寄せてきた。万葉の頃から歌にも詠まれ、文学・絵画など芸術作品から工芸品までのモチーフとなり、現代では、沢山の桜ソングが発表されている。
 その一方で、日本人はあまりにも桜のことを知らない。桜の種類、桜の語源、桜のルーツを皆さんはいくつ知っているだろうか。野生の桜、栽培の桜、地方によって呼び名が異なるケースもあり、桜の種類は600種?800種?といわれるほどである。
 平安時代から現代まで、平和な時代の中で庶民生活に根付き、発展し続けてきた日本の桜文化。桜の語源は、「さ」=神、「くら」=神の宿る処。古来、桜には神が宿るといわれてきた。春の訪れを開花前線で知るなど、日本では、情緒豊かな桜文化を培っている。桜文化は、日本が世界に誇るべき複合総合文化なのである。

2. 2017年は「桜もち」誕生300周年
 桜餅には、関東風の焼いた小麦粉の皮で餡をクレープ状に包む長命寺(ちょうめいじ)と、関西風の道明寺粉を蒸した餅に餡を詰めたまんじゅう状の道明寺(どうみょうじ)があるが、どちらも大島桜の葉の塩漬けで包まれており、クマリンという芳香成分による独特の風味を醸し出している。
 当社は、桜食材のパイオニアとして、桜スイーツ市場を創造してきたと自負している。 徹底的に桜に特化した「ニッチ戦略」でナンバー1を目指してきた。経営戦略の一環として、2019年ラグビーワールドカップ日本大会、2020年東京オリンピックに向けて、桜の食文化普及プロジェクトを推進している。

3. 「桜」で人を呼べる名古屋城にする構想 〜木造天守閣再建だけでは人は呼べない!
 桜とお城のコラボは最強コンテンツであり、日本人の美意識に訴えないはずがない。
 人口17.5万人の弘前に花見期間中だけで観光客が236万人集まることや、大阪造幣局の八重桜の並木道には僅か1週間で73万人が押し掛ける事実。また早咲きの桜名所・河津には8千人の町に90万人が押し掛ける事実を見ても、桜で人を呼べることは明らかである。
 また、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の郷土三英傑をはじめ、前田利家、加藤清正などの多数の戦国武将を生み、尾張徳川家ゆかりの地としてその歴史とともに発展した名古屋。さらに名城公園一帯は、かっては兼六園をしのぐ大庭園であったことからも、御深井御庭(おふけおにわ)を復活させて、桜並木を名古屋城から市政資料館、徳川園へと伸ばして、久屋大通り、桜通、栄ミナミ、名駅までを桜で結び、点から線、線から面へと日本を代表する桜の街の一つに育て、武将のふるさと、サムライ文化NO.1都市として、日本屈指の歴史文化ゾーンにすることで、名古屋を「桜」と「歴史」で世界に誇る観光都市にしていきたい。

 桜の魅力にとりつかれ、桜文化の研究がライフワークとなったと語る平出氏は、桜文化についてまとめた本も出版しておられます!

山眞産業(株)ホームページ http://www.yamashin-sangyo.co.jp/

火曜グループ 写真1

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【29年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 活気ある都市センターを創る 〜決め手は公共領域の質〜 』

日  時:平成29年5月10日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
参加者:29名

スピーカー:
河津 弘幸(かわづ ひろゆき)
三井不動産株式会社中部支店 支店長

佐々木 誠(ささき まこと)
三井不動産株式会社 S&E研究所 主任研究員

河津 弘幸氏

1. 三井不動産の街づくり
 当社では、未来を見据え、街づくりのさらなる進化を目指し、日本橋エリアの再生計画、柏の葉スマートシティ、大手町・日比谷・八重洲での再開発プロジェクト、東京ミッドタウンなどオフィスビル、商業施設、ホテル、住宅等のMIXED USEの複合的な街づくり型の開発を推進している。

2. 活気ある都市センターを創る(S&E総合研究所の取り組み)
 S&E総合研究所は「人がいて街がある」を基本理念に、日常の不動産業務から一歩離れた自由な発想に基づく調査研究を通じて、社内外への情報発信やソリューションの提供、三井不動産グループの新たな価値創造支援を目的に活動している。
 最近NYのハイラインやプライアントパーク等が、「人が集まる場」としてクローズアップされ、フィラデルフィア、LA他、追随する都市が増えている。これは世界の都市開発が「公共空間の質」を含めて勝負するというステージに移り始めたことを示している。
 当研究所は2006年に都市設計コンサルタントのシィ・ポーミア氏とともに「活気ある都市センターを創る(日本語版)」を発刊した。そこでは下記のようなことが書かれている。

1)個々のランドマーク建築物はシンボルにはなりえるかもしれないが、都市を住みやすく忘れがたいものにするのは、全般的な公共環境の質
2)良くデザインされ、管理された公共環境は、コミュニティーに誇りを呼び起こし、強い肯定的なイメージを創りだす
3)素晴らしい公共環境は、健全で多様性のある不動産マーケットとともに、都市の経済的、社会的中心を維持、発展させるために必要な開発投資をさらに誘引する

 当研究所では、やっと日本でも今後の開発は、公共領域の質に注目すべき時代に入っていると考え、本の内容に準拠しつつ、一部リニューアルした上で説明させていただく。

3. 活気ある都市センターを創る
 1)歩行空間の重要性

  • (1)ポートランドの質の高い歩行環境は、レジャー活動のための活気ある環境を提供し、住宅、SHOP、エンターテイメント施設の開発を促進している。
  • (2)NYハイラインの公共領域の改善は、都市センターの健全性を示しており極めて重要。公園の整備は新たな民間投資を呼び起こす誘い水となる。
  • (3)ソニーセンター(ベルリン)では、道路から広場の中が見えるようにする、十分な座席を用意する、植栽を行なう、自然光を活用、高さの広がりを強調、飲食物を販売、屋外広場と歩行者システム上の繋がりを作ることで、人が集まる広場としての地位を確立した。
  • (4)ナヴォーナ広場(ローマ)では、小売店舗の集まる場所を設け、監視とセキュリティの意識を生み出すために飲食サービスを面している点や、広場の幅は建物の高さの3倍程度としていることがいい空間につながっている。
  • (5)バービカンセンター(ロンドン)のような商業・住宅・文化施設のMIXED USEでは、人工地盤による歩車分離を行なう。
  • (6)BID組成で、維持管理を地権者で組成するエリアマネジメント組織に集中させることで、ハード面・ソフト面・治安面の高い質の維持を可能とする。
  • (7)その他の着眼点
    • 成功する都市センターは、歩行者専用のショッピング通りを1つ以上持つ
    • 道路上の屋外カフェから得る賃貸収入で、歩行者領域のメンテ費用を捻出する
    • 歩行者道の舗道幅は6.1m以上(歩行領域3.7m+アメニティゾーン2.4m)
    • 大きすぎるプランターはアメニティゾーンの可能性を限定するので除去
    • 広場空間を利用した青空市場の活用により、街に賑わいを生み出す
    • 商店街を南北道路とすることで、午前午後とも日射を遮り歩きやすい空間を作る

 2)都市再生の原則はMIXED USE

 オフィス、ショッピング、住宅、エンターテイメント等が重なるエリアでは、異なる時間帯に異なる人々が街を同時に歩行するため、豊かな社会環境を生み出す。
 アメリカで最近流行りのライフスタイルセンターは、住宅を中心にMIXED USEを形成するもので、通常のマンションとは差別化されている。
 人が昼夜を通して街の中心部へ訪れるためには、エンターテイメント、SHOP、レストランなどのMIXED USE開発が有効。

 3)公共領域視点からの都市デザイン

  • (1)地上30フィートのデザインが重要
  • (2)その都市固有のアイデンティティを培う(歴史的建造物、水辺、レンガの散歩道、公共アート、広場、ランドマーク、屋外カフェテラス等)
  • (3)多様性の面白さを奨励する(店舗ディスプレー、バナーの有効活用)
  • (4)視覚的・機能的連続性を確保する(建築物の高さ・街路樹・看板サインの統一)
  • (5)遠景から見た都市デザイン(SFのトランスアメリカピラミッド、シャーロットのバンクオブアメリカ等)
  • (6)巨大開発の都市デザイン(ソルトレークシティーのシティクリークセンター)

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【名古屋いちばん物語】 No.97


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第74回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

八百屋町は料亭つたも創業の地

八百屋町: 長者町通のうち、鶴重町筋から横三ツ蔵筋までの間をいう。そのうち広小路より南、入江町の西側と南は両側武家屋敷であった。
 清須越の町ではなく、名古屋開府以後の町屋。町名は、野菜を商う人々が多く住んでいたところから八百屋町と呼ばれた。明治四年、下長者町に併合。昭和四十一年住居表示により錦二丁目、栄二丁目となる。(旧町名復活HPより)

住吉地図1
江戸宝暦12年・1762年 八百屋町から
光明寺、広小路水路・紫川流域 【拡大

 明治4年には南の光明寺町を編入して、広小路より八百屋町各ブロックがそれぞれ1〜3丁目となり、紫川沿いの花屋町筋まで延び、南の突き当りは光明寺で白川町に続く街並みとなりました。
 明治43年地図には、東側に1丁目12番地「旅館蔦茂」の店名があります。その後、祖父深田良矩が大正2年に金融業の接待料亭として取得しましたが、手狭のため現在地の住吉町2丁目26番「旅館丸屋敏」周辺に「蔦茂」を移転しております。
 八百屋町蔦茂は家族や雇人の住居として活用していたようです。父、正矩は大正7年2月11日紀元節に八百屋町1-12で出生しております。
 江戸末期には「蔦茂」は大須の歌舞伎小屋近くにあり店名の由来も歌舞伎戯曲「一本刀土俵入り」の主人公“お蔦と茂平”から名づけ、明治に八百屋町に移転したのではと元NCA鶏徳尚雄校長が古地図を調べていましたが、確たる証拠がまだ見つかっていません。

住吉地図2
明治43年八百屋町 【拡大

 明治末から「つの市めがね店」、大正期「後藤銅器店」の店名が、懐かしく最近まで頑張っていらしたようです。

住吉写真1
昭和5年10月八百屋町の町並み、南は光明寺、北のビルは名古屋銀行本店・
現存する建物で東海銀行となる前、右は本町通り

 昭和20年、第2次大戦の空襲ですべて焼失、八百屋町2-3丁目は寺町の白川町とともに進駐軍将校家族宿舎・通称「アメリカ村」に供出され、残念なことに八百屋町は1丁目のみとなりました。

 アメリカ村用地の供出は昭和21年から34年まで続き、所有者には僅かばかりの地代が払われましたが、昭和35年に代替地として戦前のオーナーに返却されたときは神武岩戸景気に沸き立ち都心部の地価も高騰したので返還土地は坪20万以上の価格となったように聞いています。終戦直後、畳の値段のほうが栄の土地より高い頃から十年余りでの変化。返還成金の土地を買収したのは都築紡績(株)さんで、八百屋町2-3丁目に白い大型ビルを4棟建設されています。

 同社は2つのホテル(現在はハミルトンレッド、ブラック)、鉄炮町3にグラスシティ栄建設用地取得、栄三越南ブロック(現在はラシック)買収など2003年会社更生法を申請するまで栄ミナミで大きな影響力を及ぼしていました。

住吉写真2
旧都築紡績ビル群とヴィア白川
(現在は、RT白川ビル、栄レジデンス、
アーク白川パークビル、名古屋パークプレイス)

 住宅地図協会が昭和35年に発売した地図から、八百屋町1丁目の変遷を語ってまいりましょう。
 西側の倒産した都築紡績名古屋支店跡地はアーク栄広小路ビルとなり、稲垣洋品店は向かい西角に稲垣ビルを建設、一階には割烹「荒木」が入居、小林洋品雑貨は小林商事(株)として不動産賃貸業に転身されました。東側には唯一、同じ敷地で青木鰹節店さんの看板はありますが、現在は自宅として青木ファミリーがお住まいのようです。

住吉写真3
青木鰹節店と稲垣ビル
 

住吉地図3
住宅地図協会が昭和35年に発売した地図・
南はアメリカ村跡地 【拡大

 アメリカ村土地返還後、新しく開発された八百屋町2丁目では昭和49年(株)宝塚エンタープライズの初めての事業として都市型ホテルスタイルの分譲マンション及び高級テナントビル「ヴィア白川(サンメンバーズ名古屋白川)」を開業されました。当時はオイルショックで建設コストの急上昇そして、不況による販売不振で苦労されたと伺います。その後、リゾートトラスト(株)と商号を変更され、リゾート会員権販売とともに、都築紡績さんの白川ビル群を取得されました。
 また、田宮服飾(株)さんは街おこしに熱心で、平成24年には“八百屋町マルシェ”4月と8月に開催され、町名のPRにも寄与されました。

 そして、八百屋町3丁目南角には、南桑名町より「八勝館中店」が移転、地域一番の大型料亭で繁昌、敷地内には中華料理「九龍」も併設し一世を風靡しましたが、現在は大型賃貸マンション「ウィンコート」となり、公園一帯の居住スペースの嚆矢となりました。
 現在は広東料理・茗圃(ミョウホ)、創作フレンチ「仁」の高級料理店が入居されています。
 アメリカ村が白川公園となり、八百屋町界隈は緑いっぱいの新しい高級レジデンシャルエリアと変貌しております。

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【新会員自己紹介】

福智寿彦氏
水曜第2グループ

福智 寿彦(ふくち としひこ)
医療法人福智会
理事長・院長

【医療法人福智会 すずかけクリニック】
〒464-0850 名古屋市千種区今池五丁目19-12
TEL:052-731-8300
URL:http://www.suzukake-clinic.com

 医療法人福智会では千種区今池、昭和区御器所に精神科クリニックをはじめ、精神障害者の社会参加や自立生活を支援するための施設を運営しています。
 精神に障害があっても人生を充実させ、社会の中で自分らしく生きていくことが大切と考え、患者さんの支援にあたってまいりました。また、私自身はてんかんの専門医ということもあり、今池のすずかけクリニックではてんかんの専門的治療も行っております。
 医療とは症状を取り去ることだけが仕事ではないと考え、精神障害やてんかんへの偏見をなくし、患者さんにとって今よりも生きやすい社会を作り上げる一助になればと啓発活動も行っています。
 プライベートではヨットを趣味として、毎年レースにも参加しております。
 中部経済同友会に参加させていただき、ご指導を賜りたく存じます。何卒よろしくお願い致します。

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竹内桂子氏
木曜グループ

竹内 桂子(たけうち けいこ)
株式会社六本木
代表取締役

【株式会社六本木】
〒444-0015 愛知県岡崎市中町6-1-7
TEL:0564-23-8969
URL:http://www.w-roppongi.jp/

 当社は1973年岡崎にて開業させて頂き、お客様方が私にとっての大きな師であり友情・温情に包まれ支えられての今日でございます。
 現在レストラン営業部として洋風懐石ROPPONGIにてお食事会、パーティー、ご宴会、同窓会、歓送迎会、結婚式、披露宴、ライブ、発表会、展示会、出張ケータリングなどの業務をお応えさせて頂いております。
 バンケット事業部ではホテル、会館等で行われるパーティー、ご宴会でのサービススタッフ、レセプタントとしての業務をお応えしております。
 そしてこの頃の私は、ゴルフ、日舞(師範)にと楽しみながら、

いい心で いい気分
やさしい心で やさしい気分
穏やかな心で 温かい気分

 そんな気持ちで歩いている自分を感じます。
 これからもご指導の程、どうぞ宜しくお願いいたします。

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6月度産業懇談会のご案内
水曜第1グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

6月13日(火)
12:00〜14:00
アセス株式会社
資産対策研究所 所長 多湖 利信 氏
『ゴルフと、相続対策に効果的な「家族信託」と
              どこが似ているのか?』
18階
伊吹の間
水曜第1グループ

淺井博司
飯田芳宏
落合 肇

6月28日(水)
12:00〜14:00
東海東京調査センター チーフエコノミスト
武藤 弘明 氏
『トランプ政権下の内外経済展望』
東海東京証券
オルクドールホール
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

6月14日(水)
12:00〜14:00
住友商事株式会社
理事 中部支社長 沖廣 克也 氏
海外工業団地部  福田 繁夫 氏
『住友商事のアジアにおける工業団地事業』
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

6月1日(木)
12:00〜14:00
フィリップ モリス ジャパン合同会社
事業開発特別顧問 筒井 和彦 氏
リデュースド リスク プロダクツ セグメント ディベロップメント
事業開発本部長 渡邊 光一 氏
『煙のない社会をめざして・・・
            紙巻たばこ撤退の背景』
3階
桂の間

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7月度産業懇談会のご案内
火曜グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

7月11日(火)
12:00〜14:00
三井住友建設株式会社中部支店
執行役員支店長 片桐 恵三氏
同社 技術本部 建設情報技術部長
戸倉 健太郎氏
『先端技術で建設が変わる』
ゲスト:若宮八幡社 宮司 副野 均氏
『名古屋総鎮守若宮八幡社と、あいちの神社』
若宮の杜
迎賓館
3階 桜の間
水曜第1グループ

淺井博司
飯田芳宏
落合 肇

7月19日(水)
12:00〜14:00
一般社団法人日本ゴルフツアー機構
名誉会長 小泉 直 氏
『世の中の急激な変化に対する行動指針』
2階
曙の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

7月12日(水)
12:00〜14:00
NTTコミュニケーションズ株式会社
理事 東海支店長 工藤 晶子氏
『NTTグループとスポーツ』
同社 経営企画部 広報室 担当課長 平木 理化氏
『世界のテニスツアーを通じて』
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

7月6日(木)
12:00〜14:00
ボディメンテナンス 美ウォークコンシェルジュ
中村 由美子氏(ファッションモデル あかね)
『生き生きとした健やかな身体をめざして』
〜モデル あかね が提案する“美BODYウォーク”が
       皆様の豊かなライフスタイルを彩ります〜
18階
伊吹の間

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

メールマガジンの配信を ○希望しない

○2016年6月24日より、本メールマガジンの運用ルールを明確にさせていただき、本会をご退会された方は自動的に配信を停止させていただくことといたしました。誠に勝手ながら、ご了承くださいますようお願いいたします。
なお本メールマガジンは、中部経済同友会ホームページ「産懇宅配便ポータルサイト」からすべてのバックナンバーをご覧いただけます。ご退会後はウェブ上で引き続き閲覧いただければ幸甚に存じます。

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【コラム】

コラム1 【遊歩道】 No.5
遊歩道

東海東京フィナンシャル・ホールディングス(株)
顧問 岡部 聰

ご縁

 「会社設立50周年式典に是非出席してほしい」、「息子の結婚式に主賓として列席してほしい」、こんな招待状が今年既に2通外国から届いた。また、海外の友人が来日する際にはよく食事をご一緒する。サラリーマン生活の現役を退き、今年70歳になる私にも海外の友人との交流が今でも続いている。
 長年トヨタ自動車で海外の仕事を担当していたことから世界各国に親しい友人がいる。その親しさという中身は千差万別。もちろん仕事の関係での信頼やゴルフ・食事など友人として楽しい時間を過ごすことなどが基本ではあるが、付き合いが深まるにつれ現地のパートナー間の揉め事や家族問題など仕事以外の相談事が多くなる。その結果、信頼関係が更に深まっていく。
 そもそも、物事にはウラ・オモテ、日なた・日陰があり、人間関係にしても良い所・イヤな所がある。悲観的に考える人に運が巡ってこなく、悪口ばかり言う人は友人が少ないとよく言われる。日常生活の中では楽しく良い事ばかりとは限らず、煩わしく嫌な事もある。
 そんな中で人間関係、社会との調和を配慮しながら生活しているわけだが、海外の友人とのお付き合いは、時間的にも内容的にも限られた制約がある。ということは、お互いに公私の区別なく協力支援やイベントへの参加など前向きな目的のある交流が主体となり、嫌なことやウラ・日陰の付き合いが前面に出ることはない。その結果、いつも楽しく充実したお付き合いをすることになるから親しさや信頼関係が深まり易いのではないか。
 海外を飛び回ることがなくなった今でも、私はこれまでのご縁を大切にして友人を大事にしていきたいと思う。ご縁というものは待っていて得られるものではなく、自分で行動した結果得られるものだ。このご縁の積み重ねがその人の生きてきた道程であり、財産と言える。ご縁を大切にするということは、人の人生を豊かにするものだと思う。

遊歩道 写真1
【アラブのトヨタ代理店オーナーと】
遊歩道 写真2
【シリアのベドウィンキャンプにて】

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コラム2 【保健師からの健康だより】 No.158
保健師からの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 鳥巣 妃佳里

『 熱中症に負けない身体づくりを 』

 ゴールデンウィークが終わり、気温が上がって夏日になることが増えてきました。すでにクールビズが開始されているところもあるようです。
 これから夏に向けての健康管理で気にかけたいのが「熱中症」です。熱中症は気温が上がり、身体の中に熱がこもることで起こります。エアコンの普及により、快適な温度での生活に慣れた結果、身体から熱を放散させることが上手くできなくなったことが原因の一つです。ですから暑い時期の対応も大切ですが、予防のためには、暑さに身体を慣らす「暑熱順化(しょねつじゅんか)」によって汗をかきやすくし、皮膚表面の血管を広げて熱を体外に逃がしやすくすることが大切です。
 暑熱順化には健康な人で1〜2週間、高齢者や体力のない方だと2〜4週間かかります。熱中症は6月から7月にかけて増え始めますから、いまから始めていただけるといいですね。

暑熱順化をすすめるステップ       ※持病のある人は主治医に確認してから行ってください
<ステップ1>
運動をする
●朝や夕方の比較的涼しい時間帯に行う(気温23〜30℃、湿度50〜70%程度)
●行う前に下半身のストレッチをする
●軽く息切れする程度の強さで行う
●寝不足、体調不良、二日酔いなど、体調の悪い時にはしない
中高年の人
体力のない人
●うっすらと汗をかく程度のウォーキングを、一日30分、週4回以上行う
 「大股で早歩き3分+ゆっくり歩き3分」のインターバル速歩がオススメ!
若い人
体力に自信がある人
●ジョギングやランニングマシン、エアロバイクなどの運動をする
 運動開始30分後に脈拍が「平常時+20回/分」程度になる運動を、週に4回程度行う
<ステップ2>
血液量を増やす
運動開始前 ●発汗するので、脱水予防のために水分を摂取する
運動中 ●軽い発汗であれば、普通の水を摂取する
●大量の発汗を伴う場合には、塩分と糖質の入ったものを摂取する
  • 市販品を使う場合
    ナトリウム60〜90/L、カリウム20/L、糖質20g/L度のものを選ぶ
  • 家庭で作る場合→雑菌が繁殖しやすいので絶対に作り置きはしない!
    煮沸した水1L+砂糖20〜40g+塩3gにレモン汁などを少し加える
運動後30分以内 ●糖質15gとタンパク質10gを含む食品を摂取する
 牛乳(または調整豆乳)をグラス1〜2杯程度飲むのがオススメ!
※これにより血液量が増え、発汗しやすく、血管も拡がりやすくなる
<ステップ3>
汗腺の機能を
整える
●気温が高くなる前にしっかり汗をかくことで、衰えた汗腺を刺激して機能を整える
 半身浴やサウナなどで、汗をかく
 部屋を冷やしすぎないようにする
 暖かいものを飲食する     など

 「熱中症は癖になる」という人もいますが、そう感じた時には暑熱順化を妨げる生活をしていないか、ご自身の生活を振り返ってみてください。体調を崩して辛い思いをするのは自分自身です。
 「熱中症に負けない身体づくり」を始めて、今年の夏も元気に乗り切りましょう。

熱中症に負けない身体を手に入れて 夏を楽しみましょう!

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.103
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

ショートショートの宝箱
光文社文庫編集部編・光文社文庫

 「一話五分以内で読める、とびきり短くて面白いお話を三〇編集め」た文庫です。私は最近、ショートショートを一篇読んでから床に就いています(ただし、お酒を飲んでいない日だけですが)。このジャンルの大先達・星新一や筒井康隆などの作品を読んでいますが、この4月にこの本が出たので早速手に入れました。このような短篇集を仕事机や食卓などいろいろな場所に置いておけば、気分転換と小間切れ時間の活用に有効かな、と考えています。

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コラム4 【苗字随想】 No.180
コラム【苗字随想】

片桐清志

「ペンネーム」あれこれ(1)

 今月は、前回扱った「しこ名」に相当する文学界の「ペンネーム」のあれこれを探ってみたい。「しこ名」の場合は本名をそのまま「しこ名」にすることは稀だが、小説家の場合は本名のままペンネームにしたケースも結構多い。本名と異なる場合も苗字はそのままで、名前のみを変えてペンネームとした例も少なくない。今回は芥川龍之介賞・直木三十五賞受賞者のペンネームに着目してみた。
 直木賞・芥川賞は菊池寛によって昭和10年に創設され、戦後の一時を除き戦時中もほぼ毎年2回発表されている。大衆文学を対象とした直木賞の最初の受賞者は川口松太郎、純文学部門を対象にした芥川賞の最初の受賞者は石川達三だが両名とも本名だ。
 戦前の受賞者で本名(苗字)と異なるペンネームの例をピックアップすると第3回(S11)直木賞の海音寺潮五郎の本名は末富東作(スエトミ・トウサク)だ。鹿児島県大口市出身で中学教師からの転向で、昭和48年には文化功労者にも選出されている。第4回直木賞(S11)の木々高太郎の本名は林 髞(ハヤシ・タカシ)で甲府市出身だ。本名の林をばらし、名前の髞も読みにくいので覚えやすいように工夫している。なお「海音寺」も「木々」も大変珍しいが苗字として実在している。
 芥川賞では、第10回(S14)の寒川光太郎の本名は菅原憲光で、北海道苫前郡羽幌町生まれだ。因みに寒川は実在する苗字でランキングも2200番台なので珍しい部類でもない。第14回(S16)の芝木好子の本名は大島好子だ。芝木も実在し、ランキングは1万5千番台なので比較的珍しいが、大島は結婚後の姓なので芝木は旧姓かもしれない。第18回(S18)の東野邊 薫(トウノベ・カオル)の本名は野辺真一だ。出身地が福島県二本松市なので、本名に東日本の「東」を被せたのだろう。
 第6回(S12)直木賞の井伏鱒二の井伏は本名で鱒二は本名の満寿二(マスジ)の文字を変更したものだ。因みに井伏の苗字ランキングは34000番代なので非常に珍しい苗字と言える。また第6回(S12)芥川賞の火野葦平(ヒノ・アシヘイ)のペンネームは本名のようだが、実は本名は玉井勝則だ。実在する苗字をペンネームに拝借するケースもよくある。
 因みに、賞の生みの親の菊池寛も芥川龍之介も本名だが、直木三十五はペンネームで本名は植村宗一だ。直木は植村の「植」の字を二文字に分解したものだが、直木という苗字も実在する。ついでながら名前の三十五は年齢を表していて、31歳で文筆活動を開始した当時のペンネームは直木三十一で、以後誕生日を迎えるたびに三十二、三十三と改名している。三十五で落ち着いたのは三十六では「三十六計逃げるに如かず」と茶化されるのを嫌ったためとも言われている。

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【平成29年5月号編集後記】

 昨年度末の中部経済同友会の会員数は993名だった。その1年前が969名だったので1年間で24名増加している。このペースでいけば今年度早い時期に1000名の大台に乗る記念すべき年になりそうだ。会員数規模では東京の「(公社)経済同友会」が1413名でトップだが、中部経済同友会はこれに次ぐ会員数だ。同じ志を持つ仲間が多いことは心強いし、大きなパワーとなる。
 これを受けて中部経済同友会ではメールを活用した会員アンケート「1000人の声」の実施を計画している。今までも各委員会や幹事会で会員の声を反映した活動が展開されてきたが、この機会によりきめ細かく会員のご意見をお聞きし、更に充実した活動に反映するための取り組みだ。個人の資格で加入している経済同友会の特色を生かした試みだ。
 アンケート手段も会員が使用している携帯電話や会社等のパソコンのメールアドレスへ「選択式のアンケート」を配信し、このメールを受信した本人がメールを返送する方式を採用している。ネット社会ならではの先進的な手法だ。この方式だとアンケート結果の集計が自動で行えるだけでなく、ホームページへの反映も容易だ。アンケート調査は今年度上期に2回、下期に数回実施する予定だ。上期はテストの意味もあり中部経済同友会の幹事だけが対象だが、下期は全会員を対象に実施する計画だ。「1000人の声」の集計結果が今から楽しみだ。
 今年度の中部経済同友会のテーマは「時代の大転換期 持続可能な社会を目指し、自ら起こすムーブメント〜Culture&Innovation〜」だ。このテーマを深めるために「カルチャー委員会」と「イノベーション委員会」が今年度新設される。また昨年度重要テーマとして提言された人口減少問題に関しては「人口と未来を考える委員会」が新設される。さらに会員相互の交流を深めるような企画・運営を担当する「会員交流委員会」も新設される。すでに中部経済同友会のホームページは4月にリニューアルされている。今年度のテーマが示すように中部経済同友会自身が起こす新たな活動スタイルに注目していきたい。
 産業懇談会も会員諸兄の声をもとにCulture&Innovationの新たなチャレンジをしていきたい。

(片桐)