第180号 2017.5.31 発行 | ||
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テーマ: 『 新興国への事業展開のポイント 』
私の原点は大学時代にある。私はアルピニストであり、東工大山岳部に所属し、年間100日以上は山にいた。大学で、著名な文化人類学者である川喜田二郎教授と出会い、3年間先生のご自宅に住み込み、KJ法や野外科学について直接ご指導を受けた。先生は、頭で考える「書斎科学」やデータを重視する「実験科学」だけでは、混沌とした現実社会で、自ら課題を解決する人材は育たないというお考えから、現場で課題をみつけ探求する「野外科学」を提唱されていた。先生は学園紛争をきっかけに東工大をお辞めになり、私を事務局長にして移動大学を設立した。これは、黒姫山や下北半島などでのフィールド調査で地域問題を解析する野外科学実践道場である。 2. 悪路と難所だらけの新興国事業展開 (1)常識破りのアジアカー開発 1970年、トヨタは東南アジア向けの自動車開発に着手した。当時、車はごく一部の富裕層向けのものであった。一方で、稲作農業に従事する農民たちは、リヤカーに代わる安価な農業機械を切望していた。現地調査を重ね見えてきたこの実態をふまえ、現地のニーズにマッチした多目的使用が可能な車の開発を提案した。このアイデアをもとに1977年生産開始した「キジャン」は、ドアがなく、ボディは鉄板を折り曲げただけの、トヨタの商品基準には適さないものであるが、現地で国民車として愛され、今でもベストセラーカーとなっている。既存の考え方、手法にとらわれず野外科学的発想、現地目線で課題とニーズを把握したことが成功の要因であった。 (2)モータリゼーションの先駆けとなった自動車学校の設立 1980年代半ば、中国で、一般市民が安全に自動車を運転できるようにするために、日本のノウハウを活かして自動車学校を設立する事業が持ち上がった。当時の中国では、職業ドライバーが主体で、一般市民向けの自動車学校はおろか、道路交通法も各省で統一されていなかった。しかし将来のモータリゼーションを見据え、健全な自動車社会を築くには不可欠であった。前例のない事業に頭を悩ませたが、KJ法を活用し、課題を洗い出した。一番骨が折れたのは、教本の作成であった。各省から教本を取り寄せ、日本語に翻訳、専門家に一冊の教本にまとめてもらった。現地中国のパートナーには、関係政府機関との調整を主体的にやってもらい、なんとか開校にこぎつけた。現地の発展を願い、貢献しようとする姿勢を相手に見せれば、多くの協力を得られることを学んだ。 (3)巨大市場インドでの挑戦 巨大な潜在市場インドへ進出したのは1997年。当初は先述したインドネシアの「キジャン」を導入した。10年経ち、基盤が整った頃、いよいよメイン市場である軽自動車クラスの低価格市場に打って出る。スズキや韓国メーカーなど手強い競合相手に勝つため、コスト重視で試作車を製作した。しかし自ら試乗して、まるで独房のような乗り心地にがっかりし、再試作を命じた。インドでも市場調査を幾度となく行ったが、ある家庭で子供が「お父さん、お小遣いいらないから早く車買って」と言う光景を目にした。 3. 新興国事業展開のポイント (1)現地社会と利害を共有できる、「インサイダー化」 私がもっとも大事に、心がけてきたことである。私は現地では、その国の衣装を着て、その国の食べ物を食べ、現地の人たちとコミュニケーションをとることに努めてきた。ビジネスだけにとどまらない真のパートナーシップを築くためである。インサイダー化すると今まで見えなかったもの、現地の人の思いが見えてくる。日本を中心にして地球が回っていると思うとインサイダー化はできない。現地のことを知り、じっと耐え、現地のオペレーションまで見る。現地社会に興味をもち、好きになることが肝要である。 (2)変化が激しい新興国では、想定外が日常と心得る 新興国の市場はこの40年間、一本調子で成長したのではない。市場の成長過程には、トレンド、サイクル、イレギュラーがある。新興国・成長市場では日本や米国と違って、トレンドやサイクルがなかなか予測しにくい。潜在市場では何がトリガーになるのかが分からない。時系列で事態を判断できる人材のみが市場を理解でき、そういう人材でないと変化に対応できない。 (3)新興国での事業は本社トップの関心とサポート体制が重要 山谷がある新興国ビジネスに取り組む担当者にとって、停滞期だけをみて判断され、会社から不満をぶつけられたり、トップからの励ましがないことは非常につらい。トップは自分が任命した現地幹部に目標を明確に与え、信じて任せる。中長期的目線で判断し、仕事を進めやすい環境をつくってあげることが重要である 4. まとめ |
テーマ: 『 桜もち誕生300年〜桜文化を語る 』
日本人の心を捉えて離さない、桜。和菓子の副材料の卸や加工を行う会社の代表・平出眞氏をお招きして、「桜もち誕生300年〜桜文化を語る」と題してご講演いただいた。 1. 桜は世界に誇る日本の文化 2. 2017年は「桜もち」誕生300周年 3. 「桜」で人を呼べる名古屋城にする構想 〜木造天守閣再建だけでは人は呼べない!
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テーマ: 『 活気ある都市センターを創る 〜決め手は公共領域の質〜 』
1. 三井不動産の街づくり
2. 活気ある都市センターを創る(S&E総合研究所の取り組み)
1)個々のランドマーク建築物はシンボルにはなりえるかもしれないが、都市を住みやすく忘れがたいものにするのは、全般的な公共環境の質 当研究所では、やっと日本でも今後の開発は、公共領域の質に注目すべき時代に入っていると考え、本の内容に準拠しつつ、一部リニューアルした上で説明させていただく。 3. 活気ある都市センターを創る
2)都市再生の原則はMIXED USE オフィス、ショッピング、住宅、エンターテイメント等が重なるエリアでは、異なる時間帯に異なる人々が街を同時に歩行するため、豊かな社会環境を生み出す。
アメリカで最近流行りのライフスタイルセンターは、住宅を中心にMIXED USEを形成するもので、通常のマンションとは差別化されている。 人が昼夜を通して街の中心部へ訪れるためには、エンターテイメント、SHOP、レストランなどのMIXED USE開発が有効。 3)公共領域視点からの都市デザイン
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テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第74回 』
料亭つたも主人 八百屋町は料亭つたも創業の地
明治末から「つの市めがね店」、大正期「後藤銅器店」の店名が、懐かしく最近まで頑張っていらしたようです。
昭和20年、第2次大戦の空襲ですべて焼失、八百屋町2-3丁目は寺町の白川町とともに進駐軍将校家族宿舎・通称「アメリカ村」に供出され、残念なことに八百屋町は1丁目のみとなりました。
住宅地図協会が昭和35年に発売した地図から、八百屋町1丁目の変遷を語ってまいりましょう。
アメリカ村土地返還後、新しく開発された八百屋町2丁目では昭和49年(株)宝塚エンタープライズの初めての事業として都市型ホテルスタイルの分譲マンション及び高級テナントビル「ヴィア白川(サンメンバーズ名古屋白川)」を開業されました。当時はオイルショックで建設コストの急上昇そして、不況による販売不振で苦労されたと伺います。その後、リゾートトラスト(株)と商号を変更され、リゾート会員権販売とともに、都築紡績さんの白川ビル群を取得されました。
そして、八百屋町3丁目南角には、南桑名町より「八勝館中店」が移転、地域一番の大型料亭で繁昌、敷地内には中華料理「九龍」も併設し一世を風靡しましたが、現在は大型賃貸マンション「ウィンコート」となり、公園一帯の居住スペースの嚆矢となりました。 |
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水曜第1グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
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火曜グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
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