産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第172号 2016.9.30 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成28年9月度(第172号) 目次
【28年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】 9月1日(木) 12時00分〜14時30分
【28年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】 9月13日(火) 12時00分〜14時00分
【28年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 9月14日(水) 12時00分〜14時00分
【名古屋いちばん物語】 No.89
【新会員自己紹介】
岩部 雅人氏

岩部建設株式会社 取締役社長

鬼澤 有治氏

株式会社キザワ・アンド・カンパニー 取締役社長

【産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内】
【11月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【保健師からの健康だより】 No.150
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.95
コラム3 【苗字随想】 No.172
【28年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 尾張四観音 龍泉寺 見学会 』

日  時:平成28年9月1日(木) 12時00分〜14時30分
場  所:尾張四観音 龍泉寺(愛知県名古屋市守山区竜泉寺1-902)
参加者:12名


 尾張四観音の一つ、名古屋市守山区にある「龍泉寺」見学会を開催した。
 当日は好天に恵まれ、残暑厳しい日であったが、龍泉寺のご住職で本会会員でもある佐藤正延氏に温かくお迎えいただき、見学に繰り出した。
 最初に、境内の庵にてお抹茶のおもてなしをいただいたのち、佐藤ご住職のご案内で、 展望台を見学。眼下に流れる庄内川や名古屋市北西部、春日井市などを見ながら、ご説明いただいた。

■展望台にて(佐藤正延氏からのご説明)
 龍泉寺のある地域は、昔は東春日井郡志段味村であった。その後守山市となり、名古屋市に併合されて現在は守山区となっている。かつては「名古屋のチベット」と呼ばれたが、近年は「名古屋の軽井沢」と呼ばれることもある。展望台からは、小牧山の小牧城、岐阜の金華山などを見ることができる。天気の良い日には、石川県の白山まで見える。
 また、龍泉寺は、小牧・長久手の戦いの際に、羽柴勢が陣取った場所でもある。庄内川を望む高台で、川・崖・湿地に囲まれた天然の要塞である。戦の名残として、小幡城に布陣した徳川勢に対する防御のため、羽柴勢が一夜で堀を築いたといわれる、「一夜堀」の跡がある。

 その後、一行は龍泉寺城(宝物館)へ移動した。円空一刀彫の「馬頭観音像」や、両脇に侍する「熱田大明神」「天照皇大神」など、貴重な文化財についてご説明いただいた。宝物館の次に、書院にて精進弁当をいただいた後、佐藤正延氏よりご講話いただいた。

■佐藤正延氏 ご講話「今思うこと、考えること」
 龍泉寺は延暦14年(795年)に伝教大師最澄が開基した。熱田山に参籠していた最澄が、夢の中で竜神からお告げを聞いて、当地で読経をしたところ、池の中から竜神とともに馬頭観音が顕現し、本尊として馬頭観音を祀ったのが源流である。弘法大師空海も熱田山に参籠のおり、八剣宮のうち三剣を当山の地中に埋納し、熱田山の奥の院としたことから、当寺は伝教・弘法両大師の開基ともされている。
 当寺は「尾張四観音」のうちのひとつである。他は笠寺、荒子、甚目寺の観音であり、名古屋という都市を各方角から守っている。特に龍泉寺は名古屋城の北東(鬼門)にあたる、鎮護の寺である。このあたりの土地は、基本的に農耕地であり、昔から雨乞いの役目を当寺が担ってきたと考えられる。木曽川水系の恩恵を受けていることから、御嶽信仰とも関わりがある。
 先ほど精進弁当を食べていただいた。精進料理は、肉・魚などを使わないことが基本だが、「いのち」をいただくということからすれば、米一粒とっても同じ。残すことなく、全ていただき、そのエネルギーを世の中へ返すことが大事だ。最近、食べ物を大事にしない風潮があるが、本来は感謝しながらいただくべきものである。私が子供の時は、米や砂糖も十分に摂ることができなかった。 時代は大きく移り変わり、最近はパソコンやウェブなどを見て、参拝される方も増えた。世の中の変化を感じるが、根本は変わっていない。人間は、いつも感謝の気持ちを忘れずに行動していくべきである。

 近年、「家」の概念が崩れ、さかんに「個」の時代になったといわれる。お寺に関連することでいえば、お墓の後継者が少なくなったことが挙げられる。ただ、全ての人間には先祖がいて、今があるということを忘れてはならない。当寺では、樹木葬という新しいかたちを提案し、好評いただいている。
 そもそも、仏教の開祖であるブッダは、インドのシャカ族の王族出身であった。王族であるがゆえに、物質的には全て満たされていたブッダだったが、心の持ち方で悩んでいた。あるとき開いた「悟り」は心の持ち方を変えること−すなわち、足ることを知り、健康に生きられることの感謝の気持ちであった。
 「悟り」とは「吾の心」―考え方、心の持ち方ひとつで、結果が変わる。ものごとに執着しすぎず、生きていくことが重要なのではないだろうか。

 ご講話の後、本堂にて般若心経を全員で読経し、鐘楼堂で鐘つき体験をして、見学会を終了した。

龍泉寺 見学会 龍泉寺 見学会
【ご講話される佐藤正延氏】 【本堂での集合写真】

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【28年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 オービックのご紹介
             システム導入からオービックシーガルズまで 』

日  時:平成28年9月13日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:28名

スピーカー:
村田 浩之(むらた ひろゆき)
株式会社オービック
執行役員 名古屋支店長

村田 浩之氏

■自己紹介
 私は、名古屋市に生まれ、東海地方で学生時代を過ごした。オービックへ入社後も、名古屋支店の営業マンとして、当地域を走り回る毎日を送った。当社は、営業に厳しい会社で、お客さまをまわる際には「名刺50枚をもらう」という大変厳しいノルマがあったが、そのお陰で鍛えられた。今は、お客さまへ訪問すると無人の電話システムが置いてあることが多く、時代の変遷を感じる。その後、東京へ転勤し、キャリアを重ねて、2014年に執行役員名古屋支店長として、当地に赴任した。

■(株)オービックの紹介
 株式会社オービックは、1968年に大阪で創業した。創業当初は「(株)大阪ビジネス」という社名で、1974年には、社名を現在の「(株)オービック」へ変更。2000年には東証1部上場を果たした。創業者は現代表取締役会長の野田順弘氏で、その半生が2010年に日本経済新聞の「私の履歴書」に連載された。野田会長は、奈良県出身で、近鉄百貨店に勤務した後、(株)大阪ビジネスを設立。創業3年目に迎えた、三菱電機製のオフコン誤発注という危機を乗り越え、「顧客目線」を重視しながら業績を伸ばした。この誤発注はまさに倒産の危機であったが、当時800万円のオフコンを全社挙げて必死に20台、売り切ることができた。この時に徹底的に考え抜き、実施したことが現在の商売の基点にもなっている。会計機は、ハードウェア中心の時代から、ソフト中心の時代、近年はインターネット・クラウド・IOT等サービス主体の時代に移行しているが、時代の変遷にあわせ、顧客が必要とするソリューションを発信し続けている。
 当社は、人事に特徴を持っている。創業間もない頃から、「人財」という考え方を持ち、人を大事にする企業風土を維持するとともに、中途採用をせず、新卒採用者を徹底的に育てるという「純粋培養」式の人事システムとなっている。このしくみにより、会社のDNAがしっかりと継承されるとともに、家族的な企業風土の醸成や、システム会社としては驚異的な離職率の低さに繋がっているといえる。

■システム導入の勘所
 システムを取り巻く環境は、近年大きく変化し続けている。システム内のデータ量が大幅に増え、重要性が日々増していく一方で、セキュリティの問題、法改正への対応、躍進し続けるIOT技術の導入、システムがカバーする範囲の拡大など、システムの在り方自体を今一度考え直すべき局面にある。
 その中で、顧客に真の意味で貢献できるシステムづくりのためには、顧客の業務をシステム化することが必要かどうかの、見極めが重要だ。一部の業務の効率化ではなく、全体最適の視点を持ち、顧客へ提案し続けることが必要である。また、システムの導入や見直しを検討する中で、業務そのものの効率化についても、見直す視点を持たねばならない。最終的には、システムを導入したことで経営効果が表われるよう、しくみを整えていく。経営者に、システムを導入するうえで「何が経営として重要なのか」を理解してもらった上で、プロジェクトチームとコミュニケーションを取りながら、取り組んでいかねばならない。

■スポーツを通じた社会との関わり
 当社は、1982年から、プロゴルファーの青木 功氏をCMイメージキャラクターに起用している。ブレーク直前の苦しい時期からサポートしたことで、長期的な関係を築いている。
 また、2003年からは、アメリカンフットボールの「オービックシーガルズ」のメインスポンサーである。シーガルズは、2010年〜2013年にライスボウルを制しV4を達成するなど、強豪チームである。アメフトは、ルールが一般的には浸透していないが、非常に面白いスポーツであり、会社を挙げて応援することで、一体感ができている。
 スポーツとも通じるところがあるが、当社は「昨年の自分たちを絶対に越えてやる」という想いを強く持つことで、業績を確実に積み重ねてきている。顧客企業をより強くするためのシステムソリューションを通じて「日本をもっと強くする」ことに、貢献していきたい。


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【28年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 電力小売の自由化について 』

日  時:平成28年9月14日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:28名

スピーカー:
高橋 宏和(たかはし ひろかず)
三菱商事株式会社
支社長代理

高橋 宏和氏

■自己紹介
 私は、1982年に三菱商事に入社し、まず大阪に配属された。大阪では関西電力向けの原子力の仕事に従事した後、1988年にナイジェリアへの赴任を命じられた。当時、ナイジェリアは政権が不安定で、治安・衛生にも難を抱える中、首都ラゴスで電力プラントや産業機械、自動車関係の仕事に従事した。クーデター未遂事件も滞在中に経験し、治安部隊が使用したと思われる催涙ガスの威力も実感することができた。3年半ナイジェリアで勤務した後、日本へ帰国し東京本店で勤務。製紙・製鉄業界などに向けたコジェネや自家発電システムのビジネスを行った。
 2000年から、電力小売の部分自由化とともにスタートした新電力第一号のダイヤモンドパワー株式会社に、執行役員として赴任。その後、同社の社長などを経て、2015年の4月より、中部支社へ異動となり、現在に至っている。キャリアをご説明すればお分かりのとおり、その殆どが電力に関係する業務であった。

■電力小売の自由化とは何か
 2000年3月以前は、電気は地域内の電力会社が独占的に販売する一方、供給責任を負うしくみであった。2000年3月以降、段階的に電力小売の自由化が進められていき、工場や商業ビルなどの大口ユーザーは地域の電力会社ではない事業者からも電気を買えるようになった。2016年4月からは、家庭も含めた全ての電力ユーザーが電力の買い先を選択できるようになった(電力小売の全面自由化)。
 小売電気事業者は、8月末現在339の会社・団体が登録されている。資源エネルギー庁のウェブページで一覧を確認できるが、石油元売会社系の事業者やガス会社系、通信会社系など、様々な業種の企業が参入している。先ほどお話ししたダイヤモンドパワー社は、中部電力が80%・三菱商事が20%を出資する会社で、中部電力の関東進出を推進している小売電気事業者だ。
 電気の消費者は、基本的に誰でも小売電気事業者を選択することができる。このことから、自由化されるメリットとして、消費者の選択肢が増えることで、事業者間に競争が促され、サービス向上・電気料金低下といった効果が期待されている。どの事業者から買うかという問いに一律的な答えはなく、住むエリアや電気の使い方によって異なるため、個別の診断・見積もりが必要となる。また、契約した事業者がたとえ倒産したとしても、消費者に大きなデメリットはなく、各地域の電力会社が提供する従来の料金メニューで電気は供給される。
 これらのしくみにより、8月末時点で、全国で約168万件の消費者が小売事業者を切り替えた。中部電力管内は、関東・関西都市圏に比べると低い水準だが、中部電力の効果的な営業・料金戦略が功を奏していることと、地域電力に対するロイヤリティの高さが影響していると考えられる。

■電力供給のしくみ
 北海道から九州まで、全国の電力系統は全て送電線で繋がっており、各地域の電力会社がその送電線を保有・運用している。電力会社を跨ぐ送電も可能だが、連系線に容量の制約がある。東日本大震災の際に、東京電力管内では輪番停電を行っていた一方、中部以西の地域では余剰電力があったものの、西の60HZを東の50HZに変換する周波数変換所の容量に制約があり、効率的な運用の妨げになったことは記憶に新しい。送配電ネットワークは地域電力会社の所有だが、他の事業者も公平・平等に利用できることをより明確化する為に、2020年には電力会社の送電部門が分社化される予定である。
 そもそも電気は発電所でつくられ、段階的に電圧を下げながら消費者に届けられる。大口ユーザーは比較的高圧で受電するのでコストが安いが、家庭用の低圧電気は届くまでに多くの変電所と送電線を経由するので、その分コストが上がってしまう。マンション等の集合住宅では、高圧の状態で一括受電しその後各家庭に分配する方式をとり、電気料金を低く抑える取り組みをしているところもある。

■三菱商事関連企業の電力ビジネス
 先ほど紹介したダイヤモンドパワー社の他にも、三菱商事関連企業は、電力ビジネスを手がけている。三菱商事パワー(株)はバイオマスを含む火力発電事業や、愛知県田原市にも展開している太陽光発電事業を手がける。また、MCリテールエナジー(株)は関東圏で「まちエネ」のサービスを展開している。


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【名古屋いちばん物語】 No.89


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第66回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

白川公園遺跡、寺町、白川小学校そしてアメリカ村・・・花屋町筋

 「名古屋の旧町名を復活させる会代表」北見昌朗氏の配布している宝暦12年(1762年)名護屋路見大図を見ていると、花屋町筋は伏見通りから伊勢町通りまでのいたって細い路。

写真1
宝暦12年(1762年)名護屋路見大図 東西の花屋町筋と寺町

 住吉から西は紫川沿いに南側には光明寺や大林寺など寺院が連なり、きっと墓参も多く川の清水を利用した花屋さんが多かったのではないかと、祖父良矩は正雄に語っていました。
 紫川沿いは、農耕定住前・縄文時代の古代人が居住した栗林と河川に恵まれた土地です。2008年、県内で最大規模の縄文時代の貯蔵穴群がある白川公園遺跡で、縄をねじったような彫刻が施してある縄文時代晩期(約2500年前)の彫刻石皿(縦約40cm×横約30cmの楕円形)が出土したと、名古屋市教育委員会が発表しました。
 当時は科学館新設工事中で、遺跡発掘調査の仮囲いができ、建設が大幅に遅れたことが思い出されます。世界一といわれるプラネタリウムが2011年3月に完成、しかし開館日の前週11日に東北大震災が発生!日本中での放射能漏れを心配して、ドイツから派遣された技師団が急遽帰国し映写機が作動できなくなり、オープンが一か月延期されたエピソードがありました。

 この肥沃な果樹が茂る地域には、清州越しによって、紫川の北は中級武士の屋敷、南は大林寺・光明寺を中心とする寺町が大須や橘町まで続きました。実は、第二次大戦前の名古屋市街化計画ではこの地区の寺の多くを廃寺とし、一部を郊外に移転する大規模な都市公園造営予定があったようです。
 浄土宗西山禅林寺派西光院に明治5年「第13義校」が開校、その後、本校が明治18年に落成となりますが、明治20年教育令改により「尋常小学白川学校」となり、次いで明治26年に「白川尋常小学校」と改正されています。

写真1
白川尋常小学校・名古屋中区80年史より

 同寺のHPから、寺の変遷を引用して紹介させていただきます。
慶長九年(西1604年)第6世快空教然昇任代、清洲越し寺院の先駆として石切町(南寺町、白川町に移転寺し山内に塔頭宝珠院 清峯院 仙松院 法応寺などの末寺が瓦をならべ本町筋東に向かって織田信長寄進と伝えられる「赤門」が再建され五千坪有余の堂々たる輪奐の寺でありました。
 創寺以来480年歴代住職職譜の如く「大和尚」師資相承によって法燈が亨け継がれ徳川藩政の間には住職乗興の「お駕籠」が許され駕籠付け玄関と共に格式寺として尾張役寺の首座にありました。
 次いで明治、大正、昭和の時代変遷にも伝統を失わず「城南西光院」「赤門寺」として面目を保っておりましたが昭和18年(西1943年)第24世俊空實英上人代、太平洋戦争の為清洲越し以来300年に亘る白川町の地を離れ現在地、八事山手通りに再び転寺するの止む無きに至りました。本堂、庫裏総建坪数300有余の大伽藍の移築は大変困難を極めたといわれています。

 白川尋常小学校には江戸川乱歩が明治34年入学、明治40年には児童数808名となり 手狭になったようで、大正2年には西光寺より200m程北方の「横三蔵町」に新校舎が立て られました。同校は、三十余年間にわたる立派な伝統を残し、昭和20年の空襲で歴史を閉じました。この校名を後世に伝える石碑が公園にあります。昭和54年に白川小学校昭和3年卒業生有志一同によって、市内で「白川」の名を残す白川公園を学校創立の場所とし、学校卒業50周年の記念事業として国際児童年の年に設置したと記されています。

写真2 写真3
白川公園石碑:白川小学校ありき 石碑の裏の銘文

 その後、白川国民学校となり戦災で焼失した南久屋国民学校とともに移転、一部戦災を免れた中ノ町国民学校敷地に3校が一緒となり、昭和22年に栄小学校と改称されました。 大戦後、計画途中の大規模公園予定地が北側の商業地とともに米軍に供出され、昭和33年まで通称「アメリカ村」高級将校の家族住宅として接収されていました。撤退後の跡地は侵入禁止のロープはあったものの出入りは自由で、防空壕も残り、寺の墓地では土葬であったので人骨が散乱、小学生の度胸試しに頭蓋骨を掘り出しては悪ふざけをした記憶があります。

 その後、白川公園は黒川紀章氏が設計する名古屋市美術館、「みて、ふれて、たしかめて」がモットーの名古屋科学館・プラネタリウム、噴水の『虹の舞・白川』など多くの芸術作品にあふれた市民の憩いの場として親しまれています。一時はホームレスの居住地として騒がれましたが、デザイン博開催時に市当局と地元の尽力で排除されました。南桑名町から移転した料亭八勝館中店が公園北に料亭を移築、中華料理九龍とともに繁盛していましたが、平成11年総戸数112戸の大型高級賃貸マンション「ウィンコート」を建設して以来、歩いても住んでも楽しい緑豊かな栄ミナミの拠点となり、最近は高級マンションが林立しつつあります。

写真5
公園よりウィンコートを望む・右はプラウド栄白川公園(平成17年築)

 そして、ブラザーグループのプロジェクションマッピングも話題となり、公園南部の活用案として、公式サッカー場建設とか、1000mなごやタワー、繁華街の小中学校集約校などユニークな話題に事欠きません。

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【新会員自己紹介】

岩部雅人氏
水曜第1グループ

岩部 雅人(いわべ まさと)
岩部建設株式会社
取締役社長

【岩部建設株式会社】
〒470-2345 愛知県知多郡武豊町字西門74番地
TEL:0569-72-1151
URL:http://www.iwabe.co.jp

 岩部建設の岩部と申します。
 このたびは、弊社会長岩部一好の死去にともない、引き続き産業懇談会水曜第1グループに参加させていただくことになりました。何卒よろしくお願い申し上げます。
 また、生前会長が皆様より頂戴いたしましたご厚誼には心から感謝し、この場をお借りして御礼申し上げます。
 さて、弊社は、地域を舞台とする総合建設会社です。建築・土木の設計・施工を主たる事業として展開しています。民間・公共を問わず様々な施設建設工事に携わり、高層免震建築、リファイニング建築、社会インフラ整備など、常にチャレンジ精神と誇りをもって仕事に取り組んでいます。
 私は、武豊町出身、先ずは大成建設株式会社に入社し、横浜支店、本社人事部、名古屋支店にて勤務し、主に事務管理畑を歩んだのち、弊社に入りました。
 趣味は読書で、最近は本居宣長関連の本を読むことが多いです。まだまだ勉強不足ですので、皆様よろしくご教示ください。
 このたびのご縁を大切にし、引き続きましてのご指導ご鞭撻をお願い申し上げまして、簡単ではございますが私の自己紹介とさせていただきます。

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鬼澤有治氏
水曜第1グループ

鬼澤 有治(きざわ ゆうじ)
株式会社キザワ・アンド・カンパニー
取締役社長

【株式会社 キザワ・アンド・カンパニー 】
〒466-0848 名古屋市昭和区長戸町3-22-1
TEL:052-846-7970
URL:www.kizawacompany.com

 株式会社キザワ・アンド・カンパニーの鬼澤です。水曜第1グループに参加させていただきます。ご指導のほど宜しくお願いいたします。

 さて、弊社は、2003年7月の創業以来、「継続的にイノベーションを生み出す組織づくり」をテーマに、non-stop innovation(不断創新)を基本理念として、イノベーションに関する調査研究およびトップマネジメント・コンサルティングの事業を行っております。

 私は、東京の下町、江戸川区平井で空調ダクト関連の板金加工を生業にする町工場の3男として生まれ、幼い頃、祖父、父や職人達の仕事を見ながら育ちました。父は建築、長男が土木、次男は機械の技術を学びましたが、高校時代、当時、米国企業で働く叔父の感化を受け、いつか海外で活躍したいと思い、大学で国際経済学を学びました。ご縁があって入社(1984年)した野村證券で、バブル生成の始まりと終わりの期間、国内営業10年の修行を経た後、あこがれの海外勤務、家族5人を帯同して、オーストラリアへ転勤、その後、タイ、シンガポールで、株式・債券の引受、M&Aなど投資銀行業務に従事、2000年に帰国、同社名古屋支店事業法人部で3年勤務した後、円満退社し、「イノベーションの支援をつうじて世の中を良くしたい」という思いで、妻の猛烈な反対を押し切って厄年の42歳で起業しました。

 以来、孤軍奮闘の日々が続きますが、色々な経営者の方々と出会い、お話しをお伺いし、新たな発見にいつも驚かされます。妻の賛同は得られていませんが、最近、80年代のロック、ソウルを中心に音楽活動を始めました。いつかはライブ・ツアーを実現したいと夢想しています。

以上

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【産業懇談会4グループ合同懇親会のご案内】

 恒例の4グループ合同懇親会について下記の通りご案内申し上げます。今回は水曜第2グループの企画により、浪曲師 春野恵子氏をお招きいたします。
 春野氏は東京大学を卒業後、人気バラエティ番組への出演をきっかけに、タレントや女優としてご活躍されました。2003年に日本の伝統芸能の一つである浪曲師を目指して弟子入りされ、2006年の初舞台以降は日本全国で浪曲公演を行い、2014年3月ニューヨークにて初めての海外公演に成功されました。現在は全世界に活動の場を広げ浪曲の素晴しさ、おもしろさを多くの人々に伝えておられます。当日は、浪曲師転身への決意やご苦労についてお話いただき、海外でも支持を受けている浪曲をご披露いただきます。
 今回は、産業懇談会活動を広く知っていただくため、中部経済同友会すべての会員の皆様へご案内しております。また、ご家族・ご友人の皆様のご参加も可能です。お誘い合わせのうえ、ぜひ多数のご出席をいただきますようお願いいたします。

<春野恵子氏 プロフィール>
浪曲師 春野恵子氏

日時 平成28年10月4日(火) 17:30〜20:00
場所 ウェスティンナゴヤキャッスル 2階 天守の間
TEL: 052-521-5151
会費 お一人 10,000円
(当日、受付にて頂戴し領収書をお渡しします。)
当日の予定
17:00 受付開始
17:30〜18:30 浪曲師 春野恵子様ご公演
18:40〜20:00 懇親パーティー(着席ビュッフェ)
お問い合わせ先 担当:白木・多田  Tel:052-221-8901 FAX:052-221-8925

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【11月度産業懇談会開催日程】
木曜グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

11月8日(火)
12:00〜14:00
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社
女性活躍推進・ダイバーシティマネジメント
戦略室 コンサルタント 新井 みち子氏
「女性活躍が企業の明日を変える!
     〜いかに女性の力を引き出すか〜」
18階
伊吹の間
水曜第1グループ

淺井博司
飯田芳宏
落合 肇

11月16日(水)
12:00〜16:00
有限会社三渓 代表取締役 下村孝爾氏のご紹介
元 マルサンアイ(株)代表取締役・全国味噌協同組合連合会会長 下村 釟爾氏
「お茶に観る四季観」
(茶会を開催いたします。定員15名とさせていただき、申込多数の場合は水曜第1グループの方を優先させていただきます。)
2階
曙(西)の間
(専用車で現地へ移動いたします。)
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

11月2日(水)
12:00〜14:00
徳倉建設株式会社
執行役員副本店長 岡田 夏樹氏
執行役員土木事業本部副本部長 三ツ井 達也氏
「建設会社の環境への挑戦」
3階
桂の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

11月17日(木)
11:00〜14:50
ダイセー倉庫運輸株式会社 
取締役社長 田憲三氏のご紹介
「小牧山城見学会」
(定員20名とさせていただき、申込多数の場合は木曜グループの方を優先させていただきます。)
名鉄小牧
ホテル
2階
喜楽の間
(現地集合)

<ご参考>
産業懇談会水曜第1グループ  茶会 「お茶に観る四季観」

日 時:平成28年11月16日(水) 12:00〜16:00
見学先:〒444-0840 岡崎市戸崎町榎ヶ坪1-7
スケジュール:

12:00
12:00〜12:30
12:30〜13:30
13:30〜15:00
15:00
16:00
名古屋観光ホテル 2階 曙の間 集合
昼食
専用車で移動
茶会およびご講話
現地出発、バスにて移動
名古屋観光ホテル到着

(道路事情等によりスケジュールが変更になる場合がございます。)

産業懇談会木曜グループ  小牧山城 見学会
日 時:平成28年11月17日(木) 12:00〜14:50
見学先:小牧山城
スケジュール:

12:00
12:00〜12:30
12:30〜13:00

13:00〜13:25
13:30〜14:30
14:50
名鉄小牧ホテル 2階 喜楽の間 集合
昼食
小牧市観光協会様 ご講演
「小牧山城 築城450年の歴史と小牧の街づくり(仮)」
市内散策
小牧山城見学
名鉄小牧駅 解散

(道路事情等によりスケジュールが変更になる場合がございます。)

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【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

メールマガジンの配信を ○希望しない

○2016年6月24日より、本メールマガジンの運用ルールを明確にさせていただき、本会をご退会された方は自動的に配信を停止させていただくことといたしました。誠に勝手ながら、ご了承くださいますようお願いいたします。
なお本メールマガジンは、中部経済同友会ホームページ「産懇宅配便ポータルサイト」からすべてのバックナンバーをご覧いただけます。ご退会後はウェブ上で引き続き閲覧いただければ幸甚に存じます。

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【コラム】

コラム1 【保健師からの健康だより】 No.150
保健師からの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 鳥巣 妃佳里

『 「血糖をはかる日」には 』

 9月に入って、一雨ごとに朝晩が過ごしやすくなってきました。秋の気配を感じるこの時期は、実りの秋、食欲の秋とも言われるように食べ物がおいしくなってきます。スポーツや観光などで体も動かしながら秋の味覚を楽しめればよいのですが、仕事をしていると日々の疲労から動くことより休むことを大切にする人が多いようです。そして食べることだけを楽しむことが多くなりがちで、そこから肥満→メタボリックシンドローム→生活習慣病へ移行する方が増えやすくなります。

 生活習慣病と言えば、糖尿病、脂質異常症、高血圧症などが挙げられますが、なかでも糖尿病の患者数は急激に増えています。昨年の世界糖尿病デー(11月14日)で世界糖尿病連合(IDF)が発表したところによれば、2015年時点で世界の糖尿病有病者数は4億1500万人に昇り、これは1980年(同患者数1億800万人)の約4倍になっています。また世界の20〜79歳の成人の11人に1人が糖尿病有病者であるということです。

 残念なことに、日本は糖尿病世界ランキングの9位に入っています。このような中、我が国では血糖自己測定(SMBG)が健康保険適用されてから30周年にあたる今年、糖尿病治療研究会が10月8日を「血糖をはかる日」として日本記念日協会に登録しました。そして「血糖を知る、はかる、コントロールする」を基本テーマにして、シンボルマークの制定、特設サイトの開設やそこからの情報発信、投稿文コンテスト、啓発用ポスターやパンフレット作成、講演会などの活動が展開され始めています。

10月8日糖をはかる日
(公式webサイトより引用  http://www.dm-net.co.jp/10-8/

 血糖値またはHbA1cは、人間ドックでなくとも会社で行う定期健康診断の項目に入っていますので、皆様も毎年1回は必ず測定しているものです。血糖値は食事の影響を受けやすいので、多少高くても「昨夜は接待でたくさん飲食したから」などと話して再検査を受けない、あるいは生活習慣の改善に至らないことが多くあります。ですが「糖尿病はコントロールできる病気であり、適切な治療を続けていれば合併症を予防できる」ものですから、早めに気づいて改善に取り組むことで、日常生活に大きな影響を及ぼすような重篤な合併症(糖尿病腎症⇒人工透析/糖尿病網膜症(細血管障害)⇒失明/糖尿病性大血管障害⇒狭心症、心筋梗塞、脳卒中/糖尿病性神経障害⇒下肢の壊疽⇒切断 など)を予防することができます。

 みなさまもこの機会に、今年度の定期健康診断あるいは人間ドックの結果を再確認し、もし血糖値やHbA1cが高めであれば、こちらのサイトでご自身に必要な情報を得て、お元気で活躍し続けるためのきっかけをつかんでいただければと思います。

血糖を知り、はかり、コントロールして健康長寿を!

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.95
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

蛍の森
石井光太著・新潮文庫

 著者の石井光太は、この本の解説を書いた井上理津子によれば、「ネパールで麻薬売人と暮らし、インドで物乞いをする子どもと寝起きを共にし、マフィアに潜入し、フィリピンで日本兵の亡霊を見、釜石の遺体安置所で働き、数々の実話を書いてきた敏腕のノンフィクション作家」だそうです。
 著者は、この本の執筆意図を次のように述べています。「本書は、日本にあったハンセン病や精神障害を抱える人々に対する差別をフィクションとして描いたものです。国や社会の過ち、人間の愚かさ、それに翻弄されて歴史から消されていった人々の無念。二度とそれらと同じことが起きないようにとの思いから、国内外の当事者の証言をもとにしてフィクションとして構成しました」。
 井上理津子は、「本書は、紛れもなくノンフィクションを超えたフィクションだ」と絶賛しています。重いテーマを扱っていながら決して読みにくい本ではなく、気が付いたら本の中に引きずり込まれていました。

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コラム3 【苗字随想】 No.172
コラム【苗字随想】

片桐清志

「柳」と苗字

 「柳」も苗字によく登場する木だ。日本中に広く見られ、独特の長い葉が水辺で風にそよぐ風景は涼しげであり、風流を感じさせる。今月は「柳」と苗字の関係に着目してみた。
 「柳」で始まる「柳」姓は82種見つかった。
 一字姓の「柳」さんも居て、そのままのヤナギとリュウの呼び方がある。
 ランキング(佐久間 英)では、トップは柳沢の300位だ。続いて柳(364位)、柳田(441位)、柳川(695位)、柳原(743位)の5姓が1000番内に登場する。さらに柳瀬(1082位)、柳下(1295位)、柳本(1509位)、柳井(1519位)、柳生(1622位)、柳沼(1878位)、柳谷(2093位)、柳橋(3035位)が上位に登場する。
 「柳」が下につく苗字では青柳(312位)、高柳(570位)、小柳(646位)、一柳(2750位)、黒柳(2949位)、畔柳(3246位)、大柳(3400位)などが上位に登場する。
 「柳」姓でユニークな苗字では、柳葉(ヤナギバ・リュウハ他)、柳枝(ヤナギエ)、柳雫(ヤナギシズク)、柳垂(ヤナギダレ)、柳戸(ヤナギト)、柳屋(ヤナギヤ)、柳家(ヤナギヤ)、柳亭(リュウテイ)、柳館(ヤナギダテ)、柳楽(ナギラ・ヤナガク・リュウラク他)、柳幸(リュウコウ)、柳光(リュウコウ)、柳尾(ヤナオ)、柳口(ヤナギグチ)、柳箸(ヤナギバシ)、柳詰(ヤナズメ)、柳通(ヤナギミチ・ヤナミチ)、柳大路(ヤナギオオジ)、柳多(ヤナギダ・ヤギタ)、柳園(ヤナギゾノ)、柳郷(ヤナギゴウ・ヤナゴウ・リュウゴウ)、柳堀(ヤナギボリ)、柳ケ瀬(ヤナガセ)などが見つかった。  

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【平成28年9月号編集後記】

 4年に一度のオリンピック・パラリンピックが終わった。準備不足や治安の悪さ等が懸念されていたが、テロや大きなトラブルもなく終わったことは喜ばしい。地球の裏側での開催で、時差も最大となりLIVE中継の観戦は深夜に及ぶことが多く、寝不足気味のことも多かった。それだけ日本人の活躍が目立った大会だった。
 パラリンピックでは日本勢の予想外の苦戦も目立った。多くの選手が自己ベストや日本新の結果を出しながら金メダルに届かなかったケースが多かった。それだけ世界の競技レベルが上がったことを意味する。競技レベルの向上はパラリンピック関係者にとっては歓迎すべき現象だろう。
 最近でこそ、オリンピック・パラリンピックと併称されることが多くなったが、少し前まではTV中継やマスコミでの報道もあまりなく、知名度も低かった。その後、障害者スポーツ関係者の努力もあり、認知度が上がった。パラリンピックの第1回目は1960年のローマ大会なので、歴史的にはまだ半世紀だ。因みにこの時は23か国、参加選手400名の開催で、日本は参加してない。日本が参加したのは第2回の東京大会からで、パラリンピックという名称は東京大会で初めて使用された。
 運営体制面でもIPC(国際パラリンピック委員会)が組織化されたのが1989年であり、IOC(国際オリンピック委員会)と協調しての開催が合意されたのは2000年のシドニー大会以降だ。リオパラリンピックの参加国は160か国、参加選手4350名と過去最大規模となった。ここまでに育て上げた関係者の努力に改めて敬意を表したい。
 そうした関係者の努力が実を結び、今大会では驚異的な世界記録も続出している。その背景には各国での障害者用の競技施設の充実があるという。日本では残念ながらそうした施設が不足しているという。
 パラリンピックを見ていると、「多様性」のすばらしさを強く感じる。健常者も障害を持つ人も少し工夫することで誰でもスポーツを楽しむことができることを教えてくれる。障害を持つ人の全力のプレーは我々に感動を与えてくれる。経済最優先だけでなく、健常者も障害を持つ人も共に元気になれる調和ある社会の実現の大切さを教えられた。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは世界で初めて同一都市で2度目のパラリンピックの開催になる。多様性に対する工夫をして、参加する選手にとって希望にあふれる大会にしたいものだ。

 9月からはまた通常の例会が始まった。産業懇談会も多様性の実現に向けて、いろんな知恵と工夫を展開していきたい。

(片桐)