テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第65回 』
料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)
しんしょさかえし花屋町・・・白川通りを散策して
「花の名古屋の碁盤割」を謡う『七墓御詠歌』は広小路より南の筋を入江町、三ツ蔵町の後に、「しんしょさかえし花屋町」と紹介しています。北見氏の配布している宝暦12年(1762年)を見ていると、花屋町筋は伏見通りから伊勢町通りまでのいたって細い路。
住吉から西は紫川沿いに南側には光明寺や大林寺など寺院が連なり、きっと墓参も多く川の清水を利用した花屋さんが多かったのではないかと、祖父良矩は正雄に語っていました。
この地の造花を商いとする俳諧師「木天」は末広町・扇ケ関から花屋町を望み「咲花や人の旅路の日をさぐる」と詩っています。そして、伝光院の南端に位置する北から流れる紫川が花屋町筋を西に流れるところに生花の松月堂古流「家元鷲尾方住吉屋」華道稽古場があり、江戸時代の花屋町筋は花にゆかりある人々の町であったようです。
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紫川流域図 |
「白川通り」と名前の変わった現代の花屋町筋を北見さんの昭和35年住宅地図をもとに花や緑をもとめて散策していきましょう。
戦前から、婚礼の家具は広小路「高麗屋」、ふとんは「すぎの」といわれ大津通り北角にはスギビルの名前が残っています。
元オーナー杉野峯一郎翁は南大津通り商店街発展に寄与され、ロスアンジェルス友好、通りのセットバック建築条例、業態指定、盆踊りソング「丸八音頭」などユニークな活動で貢献、いまでもお元気でご指導をいただいております。
南角の中部電力(株)はオシャレなファッションビルに変身、西北の電設・設備工事の中央電気工事(株)さんは昭和23年から営業を継続されています。
南伊勢町を経て、面影があるのは寺島商店さんで「カフェ・ド・クリエ」がテナント入居されていますが、ご家族は3階にて生活されている様子です。中央高校は定時制夜間専門で、昼は前津中学校の分校としてベビーブームの急増する生徒数に対応したようです。分校はなくなり、高校は新栄に移転、中区役所、中郵便局の仮オフィスを経て、平成7年にナディアパークが完成しております。これを契機に栄地区で東西の筋で唯一、白川通り都市景観協定が締結されて、当時の住民の意識の高さが偲ばれます。地元商店街では早咲きの「オウカン桜」を統一した街路樹として植樹を開始、往時の花屋町を彷彿とさせてくれそうです。
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スギビル南口看板とオウカンサクラ並木 |
都市景観協定サインボードと 裏向きのデジタルサイネージ、 ナディアパーク東北入口 |
呉服町通りを西に、現存するのは清水美容室「Hair敦子」、敷物・車両シートの市岡(株)のみとなりました。そして芸処・住吉の代表「西川鯉次郎・あやめ」鯉水会・稽古場は竹囲いと竹林前庭がありましたが、長年コインパーキングを経て今秋から「ホテルウイングインターナショナルセレクト」の建設が始まり、見事な奥庭の岩田幸子邸は飲食ビル建設中となっています。住吉通り東南角のうどん屋「一八本店」プランターには可憐な季節の花々が咲きほっとさせてくれます。
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一八本店 緑のプランター、 創業明治2年から現在地で営業とのこと
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住吉通りから本町にかけては、戦後まもなく先々代ご主人がミドリヤカメラ店、奥様がパンとお菓子のミドリヤさんを経営、ご子息の福井剛さんは住吉通り商店街会長でお仕事からリタイアされ、現在は三代目がフォトショップを経営されています。
西隣の華道の松月堂跡地はアリアケジャパン(株)名古屋支店に、共立袋物(株)竹市峰弘社長はオリジナルバッグ製造で頑張っています。佐々木さんはマンション経営、一階には人気の「はらドーナツ」が入居、若い女性が並んで買い物です。白川本町ビルは昭和10年創業の(株)大橋幾商店の本社、子供用のキャラクターハンカチで話題です。本町南角の袋物「(株)ふじや」も往時のままバッグ卸業を経営されています。青果の八百秀さんはコンビニファミリーマートを2軒経営されていましたが、西濃運輸カンガルー便の配送センターとなっています。現在は、本町沿いのグラスシティ公開緑地の木々、佳陽ビル玄関廻りの植木が花屋筋の名残を感じさせます。
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グラスシティ公開空地、 白川通り側・花屋町の面影を残す緑地帯
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子供の頃なんといっても懐かしいのは「パン菓子・大阪屋」、通称“3丁目”と呼んでいた昭和レトロ駄菓子屋さん。メンコ、ビー玉、書き石、ラムネ菓子、癇癪玉(1ケ50銭)、線香花火、一袋5円の渡辺ジュースの素、おまけ付きグリコ、そして、奥には子供たちのダイニングルーム「お好み焼きコーナー」1枚10円也、自分で焼きながら豚肉の細切れを探し当てては喜んでいました。ちなみに角の「一八うどん」価格は素うどん@20円、きしめん@25円也と記憶しています。
次回は、本町より西の花屋町筋、旧白川小学校や寺町の変遷についてお話してまいりましょう。