第155号 2015.4.30 発行 | ||
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テーマ: 『 会社に役立つ監査役 〜自らの体験を踏まえて 』
1. 自己紹介と会社概要 2. 監査役制度の概要 3. 実例紹介 4. 監査役への疑問と監査役の悩み 5. 監査役の心構えと在り方 6. 最後に |
テーマ: 『 企業が抱えるメンタルヘルスの対応と人間力アップについて 』
1. 自己紹介と愛知総合HEARセンター紹介 2. 企業と医療の連携について 3. 人間力アップへの新しい一歩 〜事例を通して〜 |
テーマ: 『 我が国周辺の情勢と小牧基地の活動等 』
1. 国内外情勢 2. 小牧基地の活動 自衛隊は、災害時での救助・救援活動に広く力を入れている。南海トラフ地震が発生した場合では、小牧基地が名古屋地区での支援物資等の輸送中心地になるだろう。
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テーマ: 『 リーマンショックの後遺症を払しょくした今、そして未来 』
1. 起業に至るまで 2. 会社設立 3. 金融危機 4. 社員一同から学ぶ 5. 会社の強み 6. 未来に向けて これからも多くの障害が待ち受けていることと思う。しかし障害が大きければ大きいほど、新たな成長へと必ず繋がると信じている。 |
テーマ: 『 井村屋グループ(株)工場視察会 』
1. 井村屋グループ(株)津工場を視察
井村屋グループ(株)津工場の視察後は、浅田会長のご紹介により「料亭 はま作」にて昼食をいただいた。川喜田半泥子との縁が深い料亭で、半泥子が贈った数々の作品を鑑賞しながら、和洋折衷の美味しいお料理を堪能した。 2. 公益財団法人 石水博物館を見学 |
テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第49回 』
料亭つたも主人 矢場町通&東陽通りは山田才吉ストリート 若宮八幡社の北筋は地図では矢場町通と表記されていますが、地元では東陽通りと呼ばれています。戦災で焼け残った家屋もあります。戦後の都市復興計画でも、道路拡幅が不十分で電線の地中化が困難であったため、今でも電柱が林立しています。政秀寺・白林禅寺の貸地でもあり、木造建築の残る昭和ロマンを感ずる通りと言えます。なかでも、名古屋登録地域建造物資産第21号に認定された夫馬商店は、明治期の建造で現在も住居として使用されています。(写真1) 沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町・東陽通り」 山田才吉という希代のアイディアマンがいた。名古屋名物の守口漬は、彼の考案によるものだ。 才吉は宏壮建造物を建てるのが好きであった。彼が建造した東陽館、南陽館の名前をとり、宏壮建築に通ずる道は東陽通り、南陽通りと呼ばれた。俗名は、いつしか正式の呼称となる。東陽町、南陽町という町名も、東陽館、南陽館がその地にあったから付けられた名前だ。明治十四年、若宮神社の西隣りの地で、彼は考案した守口漬の店を構える。守口漬は飛ぶようにして売れてゆく。漬物の販売で巨利を得た彼は、その資金を元手に港区東築地に五万坪の土地を購入し、明治十七年、愛知県で最初の缶詰製造工場を造る。缶詰製造は、思いもかけない形で彼に幸運をもたらした。明治二十七年、日清戦争が勃発する。陸軍は外地での保存食として、缶詰を使用することを決め、才吉に発注する。才吉は、東京・大阪に支店、工場を新設し、陸軍に納める牛肉缶詰を製造した。
三十七年に起った日露戦争は、さらに莫大な利益を彼にもたらした。才吉は缶詰製造で得た資金で、明治二十九年、丸田町の交差点付近の広大な地に東陽館を建設する。東陽館は広大な地の中に、豪壮な本館がそびえていた。間口は百間、奥行は約七十間、二階建てで屋根はヒハダぶきであった。二階の大広間は舞台付きで三百九十六畳あった。階下は二十室あった。庭には、山あり、池あり、そのなかに幾つかの亭が建っていた。池では舟遊びを楽しむことができた。人々は東陽館を人工の楽園と称した。 現在各地で造られている巨大娯楽施設を、すでに才吉は、明治の時代に造っていたのだ。 明治三十六年八月十三日、東陽館は炎上する。この大火は旭遊郭の火事とともに、明治の二大大火に数えられている。火事の後も、才吉は東陽館の営業を続けるが、すでに昔日の面影はなく、大正の末に営業を中止することになる。東陽館の名をとって付けられた東陽町が誕生したのは明治二十六年だ。矢場町から丸田町、老松へと東陽館に通じる道路が開けた。この道路を中心として、田は宅地へと変わってゆく。東陽町が誕生した明治二十六年の戸数は六十戸。明治四十四年には四千余戸へとまたたくうちに戸数はふえていった。 大正年間、東陽館を失った東陽町は、商店街として生まれかわる。東陽館の焼け跡近くに東陽公設市場が建てられた。市場には、買物客がいつもあふれていた。人が集まる通りは店ができる。一軒、二軒と店ができ始め、いつしか通りの両側は商店で埋まってしまった。 戦前には市内五大商店街の一つに数えられるほどの賑わいであった。 沢井 鈴一(さわい すずいち):1940年 愛知県春日井市生まれ。明治大学文学部卒業後、市邨学園高等学校で国語科を教え、2000年3月に定年退職。名古屋市中区、北区等の生涯学習センター講師を務めるかたわら、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索し数多の企画展を実現。
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水曜第1グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
<ご参考>
【備 考】
木曜グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
<ご参考>
【備 考】
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