1. 当社のアスリート支援
当社には現在、「近代五種」の黒須成美選手と、「スケート・ショートトラック」の桜井美馬選手という2名のアスリートが所属している。黒須選手は、2012年6月に入社、同年に行われたロンドンオリンピックでは、日本人女子初の近代五種でのオリンピック出場を果たした。桜井選手は、2013年4月に新入社員として入社、今年2月に開催されたソチオリンピックでは、スケート・ショートトラックの500m・1500m・3000mリレーに出場した。
当社のアスリート支援は、中部経済同友会が実施したセミナーに参加したことがきっかけ。資金難で苦しんでいるアスリートと、アスリートを採用したい企業を結ぶ、日本オリンピック委員会の「アスリート・ナビゲーション(通称:アスナビ)」という制度を活用し、両名を採用した。
アスナビは、企業とアスリート双方がメリットを享受できる制度である。所属企業側のメリットは、(1)同僚が世界を舞台に戦う姿を見ることにより社員が会社に誇りを持つ、(2)皆が1つの目標に向かう事で社内に一体感が生まれる、(3)同じアスリート支援でも実業団に比べて低コストである、などが挙げられる。他方でアスリート側のメリットは、(1)企業からの資金援助により生活が安定し競技に集中できる、(2)勤務時間など柔軟な働き方ができる、(3)企業の一社員となる事で社会人としての自覚が生まれる、など。
2. ショートトラックとスピードスケートの違い
ショートトラックとスピードスケートは、混同されやすい2競技だが、リンクやルールが異なる。まず、ショートトラックは、(1)1周111.12mのリンク(フィギュアスケートと同じ)を使用する。周回数が多いため、コーナーでのスピードが重視される。(2)各選手のレーンは分けられておらず、選手同士の接触や転倒が多い。(3)順位は各組での着順により決定するため、駆け引きが重要となる。これに対し、スピードスケートは、(1)1周400mのリンクを使用し、直線でのスピードが重視される。(2)各選手のレーンが分かれており、バックストレートの交差地域で内側と外側の選手が入れ替わる。(3)順位はタイムによって決定される。
このようなリンクやルールの違いを受けて、ショートトラックでは安全防具の着用義務が生じることや、スケート靴などの仕様も大きく異なる。
3. 桜井美馬選手の採用による影響
桜井選手の採用により、「桜井選手応援」という目標に向けて、社内に一体感が生まれた。また、社外的には、桜井選手やショートトラック、当社のアスリート支援に関するTV番組や新聞記事への露出などがあった。これまでは経済系の番組や記事での露出が大半だったが、スポーツ系の露出により、今までとは違った層に当社をアピールすることができた。そして、どちらかといえばマイナーな「ショートトラック競技」に光が当たり、競技の知名度が上がってきたという効果も見られた。
4. 桜井美馬選手のソチ五輪出場
ソチオリンピック出場に先立ち、12月に大阪で行われた最終選考へ関西の支店を中心に150名程度の応援団を派遣した。また、出場が決まってからは、社内で若手を中心とした壮行会を実施。メディアからの注目度も高く、関係会社も含めグループ全体の士気が向上した。
ソチオリンピックの開催期間中、当社からは私を含め総勢14名の応援団が現地へ派遣された。さらに、日本では350名を超える社員が、スティックバルーンを手にパブリックビューイング形式での応援に参加し、大いに盛り上がった。
日本の女子チーム(通称:Believe JAPAN)は、当初目標としていたメダル獲得はならなかったが、3000mリレーで5位入賞を果たした。日本チームには個人でメダルを獲得できるレベルの選手はいないが、タッチの技術向上によりチーム力でメダルを争った。
5. 開催地ロシア・ソチの実情について
ソチはロシア南部にある人口40万人程度の都市である。北緯43度で札幌と同じくらいの緯度にあり、黒海に面したロシア随一の保養地として有名。気候は温暖(2月の平均最高気温が東京とほぼ同じ9.9℃)で、「最北の亜熱帯」とも呼ばれている。
このような場所で冬季オリンピックが開催できるのか不思議に感じていたが、実際に現地を訪れて驚いたのは、氷上種目はソチ中心部から35kmほど離れたアドレルという町のオリンピックパーク、雪上種目は80km程離れたクラスナヤ・ポリャーナという山間部が開催地であったこと。現地通訳の話によると、どちらもソチではないが、「ソチ」と言わないと世界の人々に場所を理解されないという事情から「ソチオリンピック」と銘打っているそうだ。
今回のオリンピック開催に向けてロシア政府は、史上最高額と言われる日本円で5兆円規模の予算を投入、インフラの整備や競技施設の建設に使用した。しかし、実際は使途不明で消えた金額が非常に多く、駅舎の壁面ガラスがはまっていない、エレベーター内の籠がない、花壇には生花ではなく写真が飾ってあるなど、オリンピック開催までに建設が間に合わなかった未完成の施設が散見された。
また、人口40万人の町に約200万人もの観戦者が押し寄せたため、タクシー事情も非常に興味深い。運転手のほとんどがオリンピック特需を狙った出稼ぎ労働者であり、そのため、周辺の地理に疎い上、英語もほとんど通じず、最後は乗った自分たちが地図を片手に身振り手振りで行き先を教えなければならない状況であった。
その一方で、今回のオリンピックは、開催前からテロへの警戒が呼びかけられていたこともあり、あらゆる場所で厳重な手荷物検査が実施され、私の場合、8泊10日で50回以上手荷物検査を受けた。さらに、競技の観戦には、チケットのほかにパスポート番号や顔写真が登録された「観戦者パス」が必要となるなど、厳重な警戒態勢がとられていた。約4万人もの警察・軍関係者が警備にあたっており、オリンピックパーク内をはじめ、空港や駅などに警察や軍隊が配備され、ボランティアの中にも、多数の警官・軍人が紛れ込んでいるといった状況。これらの警備内容は、2020年の東京オリンピックでも見習う必要があるのではないかと感じた。
6. 2020年 東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて
昨年9月、2020年 東京オリンピック・パラリンピック開催決定の知らせに日本中が感動の渦に巻き込まれた。日本のプレゼンテーションは世界中で大絶賛され、観光客へ向けた「おもてなし」というフレーズは脚光を浴びたが、テレビを通じてオリンピックを観戦する人は、全世界で2億人と言われている。
確かに観光客向けのアピールは非常に重要だが、大多数の人々に感動を与えるのは、選手の好演や熱戦である。その根幹となる部分を再認識し、アスリートのためのオリンピックという側面を重視した「アスリート・ファースト」の徹底を図る必要がある。
ソチでは、多くの日本人選手が世界に感動を与えた。しかし、実は競技環境としては最悪の状況だった。雪上種目は雪が足らず人口雪、氷上種目は氷が溶けかかっていたというのが実情。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、選手が実力をいかんなく発揮できる環境を作り出すのが日本としての責務である。
1964年の東京オリンピックでは、新幹線や首都高速道路など、交通インフラが大きく発展した。2020年東京オリンピック・パラリンピック開催は、未来の日本に何を残せるか。今回ソチを訪れて、それはあらゆる意味での「バリアフリー化」を通じた観光・福祉インフラだと私は考えている。そういう意味で、「おもてなし」精神は非常に重要になってくる。また、ここ言う“バリア”とは、通常使われている表現より広い意味で「障壁」と捉えて頂きたい。
例えば、私が日本最大のバリアと考えているのは言語の問題である。ロシアでは英語が通じないという実態があったが、実は日本でも事情は大きく変わらない。また、通常の意味でのバリアフリーは、パラリンピック開催においての「アスリート・ファースト」と密接に繋がっている。
これらの取り組みを通じ、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを成功させるとともに、一段と発展した観光・福祉インフラを未来に残していければと思う。
7. 質疑応答
Q:アスナビで登録されているアスリートの競技レベルはどの程度なのか。
A:アスナビでは、オリンピックを目指すレベルの実力を持ちながら、資金難に苦しむアスリートが登録されている。国際大会で上位の成績を収めた選手やオリンピック出場経験のある選手も多数登録されている。
Q:契約は何年単位なのか。
A:企業によって異なる。当社の場合、引退後も通常の社員として働いてもらっても良いというスタンス。
Q:年間かかる費用はどの程度なのか。
A:アスナビはスポンサー契約ではなく社員契約であり、通常の社員としての給料を支払うことになる。練習や遠征の費用や道具代なども会社で負担する。
Q:アスナビでの採用は常時募集しているのか、それとも期間限定か。
A:常時募集している。登録選手等についてはJOCのホームページをご確認頂きたい。
公益財団法人 日本オリンピック委員会(JOC):http://www.joc.or.jp/
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