2011/09/22実施
ステキ・小粋・まち歩き。第5回/堀川編の報告
中部経済同友会・「文化のまちづくり委員会」主催
副委員長 夢童由里子 記
第5回「ステキ・小粋・まち歩き」 (納屋橋・四間道界隈)
中部経済同友会の「文化のまちづくり委員会」では以前より、まち歩きを実施。
これは海外・県・市外から観光に訪れる人口の低迷、当地のアピール不足の解決策、
経済と文化は両方揃ってこそ「まち」と呼び、文化とはなんぞや、など等の思惑で始まったものです。
知っているようで知らない。足元を知らずして他所の人に「こんなにも良い所です」と、案内もできない。
さあ歩こう。
自分たちの住むまち 「イイとこ捜しウォーク」の出発です。
2011/09/22
この日は残暑というより、まだまだ酷暑の日照りでしたが、暑さにまけずの「まち歩き」をしました。
3・11の東日本大震災・被害者への支援策の一つとして.同友会が「いっぽ・一歩・ニッポン」を合言葉に作成したタオル、エコバッグです。
堀川は江戸時代の物流の基幹、名古屋を支えた生命線。堀川を通じて熱田から米、塩、墨、味噌木材などの物資が名古屋城下に商人の手によって輸送された。堀川の旧加藤商会ビル(有形文化財指定)に集合。貿易商加藤勝太郎が、昭和6年に建設。大正7年、米騒動の時、外米3万俵を緊急輸入し、騒動を沈静化した功績で著名。
被災地支援のマークを入れたお揃いのタオル&エコバッグを身につけて。まだまだ、支援の手も薄い東北の罹災者のことを偲びつつ。みんなで、元気よく歩きます。しかし、地面からの照り返しも強い一日でしたね。
「堀川に伊勢湾台風の潮位がここまできた」解説者の名調子。知らなかった街の様子がはっきりしてきて、みんな納得。屋根神様は名古屋独特のもの。
下町の風情が色濃く残る懐かしい雰囲気の円頓寺。堀川を通じて、荷を運んできた人夫や商人たちの遊び場であった四間道(しけみち)界隈。元禄13年の大火のあと、堀川端の道路は「四間幅約(7,2m)」に拡張され、倉庫は厚い土塀に改築された。名古屋市の町並み保存地区指定。手入れされた玄関先は住む人の心意気。お洒落な美術館やカフェ、レストランもある。今、話題のギャラリーを見学しお茶休憩する。
豪商・川伊藤家。1614年の清洲越町人。表間口15間(27m)、裏行き20間(36,4m)の広大な屋敷。堀川端に現存する唯一の城下町時代の面影を残し、昭和39年に名古屋市文化財に指定されている。特別に奥座敷まで見学させて頂く。内部は説明しだしたらキリが無いほど、感動。手水鉢の洗練。堀川から伊藤家への船着場まであった跡。奥様は変わらずお美しいかたでした。
タイプライターからヒントを得た大正琴をナルダン楽器で見学。若手奏者も育っているとのことで、優雅な演奏会。瀬戸から栄まで通っていた名鉄・瀬戸電の終着駅跡地。瀬戸モノを名古屋中心地まで運ぶモノづくり愛知は、当時からの発想。お堀の中を平気で電車が走っていた感覚、ちょいと不思議ね。
終点は名古屋城を望むキャッスルホテル。美味しいケーキ&コーヒー。今回は東海TVさんが取材に来て、ニュースで取り上げてくれました。お疲れ様〜。
次回は笠寺観音周辺の「小粋・まち歩き」を致します。 |