テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第9回 』
料亭つたも主人
深田正雄
住吉社寄進・本殿亀甲石積銘記・・・住吉3丁目の思い出
先日、住吉3丁目の長老・竹市稔さんにうかがいましたところ、建立のキッカケは戦後焼け残った住吉の山車・河水車を東区古出来町に売却、その代金を元本に寄付を町内で集めたとのことです。そして、からくり人形を御神体とした住吉社、そして、建造石組みは亀甲文様で6角となっており、北側に銘版には3丁目町内有力者を中心に16名の寄進者が列挙されております。
名前からおぼろげな記憶を頼りに昭和34年当時を偲んで見たいと思います。
福井 浩:3丁目北西角ミドリヤカメラ店の親父さんで写真館として蔦茂での会合に記念写真を出張撮影されておりました。奥様は角にてパン屋を開業、一斤の食パンを薄く16枚にカットする包丁裁きは鮮やかでした。御長男の剛さんは現在、町内会長として3丁目をまとめて街づくりに貢献されております。
関谷 昭雄:現在も歯科医師として活躍、特にインプラント技術では全国有数の名医と言われ遠方より患者さんが尽きないようです。小生の父、正矩と渓流釣り仲間でもあり、口腔歯科技術を生かした釣道具仕掛けではお世話になっています。
岩田 寛男:佳陽ビルオーナーでもあり、スイス製ビクトリノックス 万能ナイフの輸入元としても著名。一時健康を害されていましたが、お元気に町歩きを楽しんでいらしゃいます。お嬢さんの恵美ちゃんは町のイベント大好きで、第3回栄ミナミ音楽祭テーマソングを唄った「プライナス」を発掘されました。
大野産業:3丁目の大きな袋物問屋さんでした。事業整理されたようです。
古川商店:かばん屋さんで幼稚園児のバッグの指定があるのか、子供用通学袋など幅広く取り扱い、現在も御家族で営業中
竹市秀雄:たけいち文具店として外商中心の文具配達業、お能を愛され戦前には能舞台があったと聞いています。住吉社建立の昭和34年に他界されました。昭和6年生まれの竹市稔翁は地道に街づくりを支え「栄中部を住み良くする会」の事務局、住吉町景観協定づくりにも御尽力なさいました。現在は、アーチンというブライダル宴会屋さんに賃貸、建物の躯体や奥の庭は戦後建築のままとなっています。
聯合紙器株式会社:住吉とは縁もゆかりもない会社。日本一のダンボールメーカーで大阪から創業者井上貞次郎さんが蔦茂旅館を常宿として贔屓。祖母の静江が何とお客様に寄進依頼したように思われます。関西に本拠をもつ同社は現在も料亭蔦茂の顧客として住吉を支援していただいております。
南西奥の石柱より3丁目商人紹介
株式会社ミスズ商会:冨士フィルムをメインとする写真材料4大特約店の名古屋支店。石造りの三階建造物は現在、甲羅グループの韓国料理「赤豚屋」エスニック料理「バリハイ」として若者に人気の店舗となっています。蔦茂の三つ蔵通りをはさんで向かい側。
八木佐:文具雑貨卸で商店用のディスプレイやタグもあり、現在のシモジマ流営業形態の元祖で小売もあり本町の問屋さんには便利なお店。今は蔦茂駐車場南で現在はコインパーキング敷地となっています。
共立袋物株式会社:鞄小物問屋として現在も営業中
水野一樹:株式会社水野鞄店会長、石柱建設時は3歳の幼稚園児。1890年、水野増次郎が鞄製造卸として創業、老舗中の名店。この地域にバッグ・袋物商が多いのは水野鞄店からの暖簾分けや独立した人々と思われます。尾張藩家老家の名門とのこと、Buffaloブランドで全国展開され貴方のバッグにもきっとMIZUNO鞄がありそうです。先代夫妻は本社5階に在住、御令息4人が仲良く共同経営されていらっしゃいます。
中島屋酒店:中島屋本店の分店として、昭和23年住吉3丁目八木佐の北側に開業、白鶴を中心に業務用酒販売。昭和38年に大須一丁目に移転されるまで、蔦茂のビールお酒でお世話になりました。
鈴蘭荘:住吉3丁目古川商店の南、純粋な商人宿として繁盛しておりました。住吉では珍しく割烹や料亭兼業ではない営業でした。現在はコインパーキング。
また、前回、鬼平犯科帳「妖盗葵小僧」をご紹介しました。村松梢風の「残菊物語」では若宮八幡社境内の末広座が溝口健二映画の舞台です。 http://1st.geocities.jp/s_suzuichi/ |