株式会社アクティオ
水谷 文和
日本一の日記魔といえば、江戸時代中期に尾張藩に仕えた下級武士「朝日文左衛門」。日記のタイトルは「鸚鵡篭中記(おうむろうちゅうき)」。朝日文左衛門は、江戸時代延宝2年(1674年)に東区主税町の朝日家に嫡男として生まれた。尾張藩の中でも下級武士の家系になる。彼自身は禄高百石の畳奉行の役目だったが、安月給ながら楽しんで暮らしていたようである。
日記は、18才から書き始め、亡くなる1年前の44才までの26年8ヶ月のあいだ書き続けた。何がきっかけで書き始めたのかは不明である。日記の内容は、天気や食事の内容、芝居、噂話など、普段の生活の中で見聞きしたことを、そのまま記録に残している。画期的な大発見は無いが、下級武士の生活ぶりが良く分かるので、300年ほど前の名古屋の様子を知ることができる。
先日、著者:加賀樹芝朗の「鸚鵡篭中記」を読んだ。原作を解読して、読みやすくして主要箇所を一冊にまとめたものだ。不慣れな私には、理解できないところもあったが、十分に当時の生活ぶりを知ることができて楽しかった。噂話の信憑性については、疑わしいところもあるが、史実として残されている文献と照らし合わせると貴重な裏付けになることも多い。限られた範囲であるが、日記に書かれた内容を皆さんに紹介したい。
〔政治・社会〕 将軍は5代将軍徳川綱吉。「生類憐れみの令」の真っ只中で、誰々が処罰されたという記載が多い。最初、犬から始まったものが鳥魚類にまで広がり、庶民を苦しめたようだ。赤穂浪士の討ち入りも日記に登場する。宝永2年(1703年)おかげ参り(伊勢神宮参拝)が大流行したとある。300年経って再び大流行している。歴史は繰り返されるといったところか・・・
〔災害〕 宝永4年10月に関西で大地震、11月に富士山の噴火が起こっている。災害の記載については、前兆や発生後の状況が具体的に記録してある。現代でも似たような前兆の事例を聞くので、参考になるかもしれない。富士山の噴火では、しばらく灰が雪のように降り続き、太陽が差し込まなかったとあり、噴煙は名古屋からも見えたとある。相当ひどい惨状だったと記載してある。
〔食事〕 食事は、お祝い事には鯛、鮑など今と変わらない。ボラがよく出てくるのは、地元で採れる出世魚だからだろうか。余談だが、私の地元では「ボラ雑炊」というボラ料理があって美味い。コチもよく食べている。彼は、かなり酒が好きなようで、あらゆる場面で酒が出てくる。呑み過ぎた反省の言葉を残した日記も多い。
〔娯楽〕 彼の趣味は、芝居見物。特に人形浄瑠璃が好きだったようだ。質素倹約の時代で、武士の芝居見物が禁止されていたにもかかわらず、隠れてでも見に行けたのは、取り締まり自体がそんなに厳しくなかったからかもしれない。
「昔の日記を読むのは退屈だ」という人には、時代小説:畳奉行秘聞シリーズ 著:池端洋介/だいわ文庫(1〜3巻)をお勧めする。史実と史実をフィクションでつないで作品にしてあるので、全てが事実ではないが、「可能性を感じさせる」仕上りになっていて楽しく読める。気楽に読むなら、こちらをお勧めする。
朝日文左衛門が亡くなってから293年。朝日家は跡継ぎ(女の子が一人)に恵まれず家は断絶しているが、よくぞこの日記が現代に残ってくれたと思う。幕府を批判する内容もあり、文左衛門亡き後、誰が見つけたのか?幕府や藩の事を考えれば、見つけた本人は、どう扱ったらよいのか悩んだことだろう。そして明治維新、第二次世界大戦の空襲を経て無事に現代に残ってくれた。そのお陰で、私は今回の記事を書くことができた。そして、この記事を読んだ何人かに、朝日文左衛門という人物に関心をもっていただければ嬉しい。名古屋市制400年の機会に、名古屋に住んだ無名の藩士が再び注目される。こういう人物がいたことが思い起こされる事も「名古屋いちばん物語」の楽しみかもしれない。
【参考文献】
加賀樹芝朗:著 朝日文左衛門「鸚鵡籠中記」 雄山閣
池端洋介:著 元禄畳奉行秘聞シリーズ 1〜3巻 だいわ文庫