1.メディアの動向と将来
一昨年(2007年)の日本の総広告費は約7兆円で、マスコミ4媒体(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)が総広告費の半分強を占める。しかし、中でも特徴的なのはインターネット広告で、2007年の同広告費は前年比24.4%増の約6,000億円であり、既にラジオ広告費を大幅に上回って、2006年に上回ったばかりの雑誌広告費も1年で大きく引き離している。今後もこの勢いは衰えず、数年後には新聞広告さえも脅かす存在になろうかとしている。
これ程までにインターネットが急激に普及するようになったのは、1)グローバル性、2)双方向性、3)時間的、空間的制約がないというこれまでのメディアにはないインターネット特有の大きな特徴があったからである。また、こうした特徴と共に爆発的に普及したインターネットであるが、その進化は今も尚、続いており、更に、テレビやラジオ等の従来メディアも様々な技術革新で大きく変わろうとしている。例えば、テレビとパソコンを例に挙げると、テレビは元々、アナログ、動画、一方向、フローといった特性があり、これに対してパソコンは、デジタル、静止画、双方向、蓄積という特性を有していた。これが技術の進歩により、テレビにおいては地上波デジタルへの移行、インターネットへの接続、ハードディスク内蔵テレビの登場、またパソコンにおいてはブロードバンドの普及が進み、これらによってそれぞれの特性もデジタル、動画、双方向、蓄積のように同一特性に近づきつつある。こうしたメディアとネットの融合の流れは2011年にテレビが地上波デジタル放送へ完全移行することが一大契機となり、飛躍的に進むと考えられる。これによって、これまで以上に我々の生活が便利になる様な技術革新がここから次々と生まれていくことになるだろう。
ITがこれほどまでに進化を遂げ、時代はマスコミュニケーションからパーソナルコミュニケーションの時代へと変わってきた。こうしたパーソナルコミュニケーションの進展は、確かに人との触れ合いや協調性の欠如といった弊害を生んでいるのも事実である。しかし、これらを技術の進歩の責任にするのは本末転倒である。我々は今、これらの技術革新による恩恵を受け、豊かな暮らしを獲得したのであって、これから考えていかなくてはならないのは、いかにこうした高度な技術と便利な生活の中で、これまでのように人との触れ合いも大切にする社会を築き上げるかではないだろうか。そしてまた、そのことに今、最大の知恵が求められているともいえるだろう。
2.日本を取り巻く環境の変化
広告は変化するメディアに対応しているだけでは決して十分ではない。広告は社会の鏡であり、変化するメディアと同時に、我々生活者を取り巻く環境の変化にも敏感でなくてはならない。
昨今、日本を取り巻く環境は極めて厳しい局面を迎えている。人口減少・少子高齢化、食料問題、資源・エネルギー問題、環境問題、教育問題といった様々な問題が山積しており、将来に対する大きな不安に包まれている。どれも一刻の猶予もない問題ばかりではあるが、更に今、世界が直面している経済危機の問題がこれに輪を掛けている。しかし、考えてみると確かに今の未曾有の金融危機は何とかしなくてはいけない問題ではあるが、行き過ぎた動きに対して調整が入ったこと自体は決して悪いとは言えない。恐らくは遅かれ早かれ、この事態は避けられなかったものと思う。日本経済は1990年代のバブル崩壊により、既に相当の抵抗力を備えていることをもう一度、思い出すべきである。これと同じことを、時間をかけてでも世界が学べば良いのである。
20世紀型のただひたすら発展成長の道を突き進むやり方は大きな痛みを伴い、これでは有限な地球がいつまでも許容できるはずはない。21世紀は、互いに助け合い、共に発展を目指すという共存共栄の考え方に転換していかなければならない。つまり、急激に膨張するこれまでの発展から、地道ではあるが着実に持続的発展するという理想の姿にシフトすべきである。
では、日本はこのために何をすべきかといえば、日本を取り巻く諸課題に今一度立ち戻ればいいと思う。これらの課題は、実は皆、日本だけが抱えている課題ではなく、世界共通の課題といえる。従って、これらの課題を解決する新たな技術やサービスの開発に今から取り組み、日本が世界に先駆けて実現できれば、来るべき新しい時代に、日本は世界のフロントランナーとして立っていられるはずである。
3.名古屋の実力と課題
日本を取り巻く大きな環境変化と同時に、地域というもう少し身近な領域にも目を向けなければいけない。名古屋という街、地域の特筆すべき点は、ものづくりの強さである。東海4県下における経済指標はその殆どが全国の約1割を占めるが、ものづくりを表す指標に限ってはこれを大きく超えている。こうした当地域のものづくりのルーツを辿ると、いずれも江戸時代まで遡り、数百年の時間を掛けて脈々と受け継がれた技術が今の時代に合った形へと変化を遂げ、大きな産業へと発展していった事実に行き着く。ここにきて名古屋経済にも、先行きの不透明感が鮮明になってきているが、当地域を支えるものづくりは、一朝一夕で成し得たものではなく、こうして築いてきたものづくりの力は簡単には失われることはない。確かに輸出を中心とした産業構造は、円高や世界経済の動向に一時的には大きな影響を受けることになるかもしれないが、その力の本質を考えれば、必ずやこれまでのような力強さを取り戻すはずである。
一方で、当地域に足りないものも確かに存在する。その筆頭に挙げられるのは、世界から見た情報発信力、ブランド力だろう。地域のブランド力を示す各データからも、当地域は住環境も良く、日本の中では徐々に実力も認められつつあるものの、世界的にはまだその存在すら知られていないと言えるのではないだろうか。これから先、高齢化社会を迎える日本にとって、若い世代が今まで以上に重要な存在になってくるのは間違いない。従って、国内外から若者が集まってくるような魅力ある街でなければ、街の活力を今後も維持していくことは難しいだろう。そのためにはやはり、世界から注目を集めるような名古屋の魅力をこれまで以上に力強く発信していかなくてはいけない。
4.広告の明日を考える
「環境変化に強い企業のみが生き残ることができる。」これは、我々広告業界にも当てはまることである。このためには、広告自体が能動的に自ら意思を持って変化していくことが必要不可欠だろう。
弊社では数年前から、「広告代理業から繁盛支援業へ」を合言葉に事業を展開してきた。ここで言う広告代理業では、広告を出したい顧客に代わってテレビ局や新聞社などと折衝し、クライアントの要望に応じて実際に広告を制作してきた。これに対して繁盛支援業とは、広告会社の社員もクライアントの広報部や宣伝部の一員であるという意識を持ち、商売繁盛を全力で支援する。そのためには、クライアントが「気がつかないこと」、「思いつかないこと」、場合によっては、「耳の痛いこと」までも敢えて進言していかなくてはいけない。
加えて重要なのは、我々広告会社はクライアントと生活者、消費者を繋ぐ懸け橋の役割を担っていることである。つまり、クライアントの商売繁盛と同時に、常に生活者、消費者の目線に立った広告を創ることを心掛け、広告の送り手にも受け手にも双方にとって幸せなWIN-WINの関係を構築すること、その手助けをすることこそが我々広告会社の役割と考えている。こうした関係を築くことによって、クライアントの商売繁盛のみならず、ひいては地域全体の繁盛、活性化に繋がっていくことになるだろう。
引き続き、川村、古川、水野代表幹事を交えて、恒例の合同新年会が開催された。年のはじめにグループを超えて親睦を深める良い機会となり、盛会のうちに終了した。
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