【6年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 スポーツビジネス最前線 』

  • 日  時:令和6年9月5日(木) 12時00分~14時00分
  • 場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
  • 参加者:37名

スピーカー:

梅田 政隆(うめだ まさたか)
株式会社新東通信
名古屋統括 営業本部長
写真:梅田 政隆氏

自己紹介・会社紹介

 私は、岐阜県各務原市出身。大学を卒業後、新東通信へ入社。体を動かすことが好きで、小中学校では野球、高校ではサッカー、大学ではアメリカンフットボールと様々なスポーツに取り組んできた。現在でもランニングを日課としており、毎朝5キロのランニングをしながら仕事のことを考えることも多い。私は、次の3つを座右の銘としている。

  1. 考える前に動く、走りながら考える、動けば何かが必ず始まる。
  2. 人のために動く、自分に返ってくる。
  3. 雑談から仕事・アイディアは生まれる。

 新東通信は会長である谷喜久郎が1972年に広告会社として創業し、グループ全体で売上400億円の会社である。日本全国に拠点があり、海外では、ガウディが作ったバルセロナのグエル公園内にも事務所を構え、経済団体の視察や皇族のアテンドなどもおこなっている。

現在のスポーツビジネスについて

 国民的スーパースターである大谷翔平選手は、ビジネスの面での影響力も群を抜いている。三菱UFJ銀行や興和、伊藤園などとの広告契約に加え、JAL、西川、ECCなどともサポート契約を結んでいる。大谷選手は、会社の理念に賛同できなければ契約しない。全国の小学校へのグローブ提供や小中高生を対象とした海外留学プレゼントなどには大谷選手の強い思いが込められている。大谷選手は日頃からグラウンドのごみ拾いをしており、SDGsの面でも注目されるほか、理想の上司やタレントパワーランキングなど様々な調査でトップとなっており、リクルート面での影響力もある。また、広告効果も絶大であり、CM再生回数は桁違いである。業績面でも大きな効果が出ており、株価にも影響を与えている。彼の知名度と爽やかな好青年のイメージは、ファンだけではなく社会全体の共感を呼び、企業価値を高めている。大谷選手と直接契約していなくてもバックネット広告を出すことにより、全国ネット35番組で放送されるなど高い広告効果が期待できる。
 近年はインバウンドの影響もあり、相撲の人気が高い。相撲は、1500年の歴史を誇る国技であるがゆえに格式や伝統に縛られていたが、コロナ禍での無観客開催などを経験し、日本社会・地域経済の活性化に向けて企業とのアライアンスを積極的に進めている。相撲協会による規制は緩和されてきており、ABEMAでの放映やYouTube、TikTokなどでの新たな発信を行い、若い女性ファン「相撲女子」も増加している。相撲ファンの数はプロ野球、Jリーグに次ぐ第3位である。相撲協会が所有する国技館のイベント会場としての開放や複数のパートナーシップカテゴリーを設定するなど、パートナー企業との協業体制の付加を図っている。企業にはブランディングや販売促進などのマーケティング・メリットのほか、社内イベントでの施設利用や力士との交流などホスピタリティ・メリットもある。
 また、eスポーツも活況である。eスポーツは電子機器を用いて、対決する競技である。スポーツと言えば、一般的には肉体を動かして競う「Physical Sports」をイメージするが、思考能力を使って競う「Mind Sports」もある。2022年に中国で開催された杭州アジア大会では正式種目となり、専用会場まで建設している。eスポーツは、シルバースポーツとも言われ、離れた場所からでもプレーが可能であるため年配の方の指先の運動としても有効であり、勝ち負けによって気力を高める効果もある。eスポーツ市場は、2025年には関連産業を含めて3000億円に達する見込みである。大阪・関西万博では、高校eスポーツの祭典「STAGE:0」を開催予定である。国体では、2019年の茨城大会から正式種目となり、ジャンルは、スポーツ、格闘、戦略、シューティングゲーム等様々である。日本でも浸透してきてはいるが、北米や中国、韓国と比べると、景品表示法や風営法などの法規制もあり高額の賞金を設定できないため市場規模は小さい。
 フォートナイトの神様と呼ばれる「NINJA」は、TIME誌の世界で最も影響を与える100人に選ばれている。現在の世界市場は700億円であるが、家庭用ゲーム市場が15兆円であることから、成長の余地は大いにある。最近では、専門学校も設立され、高卒資格を取得しながらeスポーツに取組む学生もいる。有名校にeスポーツ選手権の上位校が多いが、戦略性やチームワーク、コミュニケーション能力が必要であるためである。eスポーツは誰でも参加できるユニバーサルスポーツであり、ボーダレスな交流やウェルネスの推進など社会課題の解決にもつながるポテンシャルがあると捉えられている。
 来年には、愛知県西尾市でも大会があり、自治体が積極的にeスポーツツーリズムを誘致している。また、企業も注目しており、愛知県扶桑町の三笠製作所は、eスポーツ実業団を設立したことが全国のメディアで報道されたことで入社志望者が増加している。

愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会に向けて

 2026年に開催されるアジアパラ競技大会は、愛知県と名古屋市が共同で開催する。大会のイメージキャラクターは、炎をモチーフにした「ホノホン」である。開催2年前となる今月より2年前イベントが開催される。アジア大会ならではの種目には、セパタクロー、柔術、武術太極拳、カバディ、クラッシュなどを含め、18競技あるが、新たに建設する施設は、IGアリーナと瑞穂陸上競技場のみであり、それ以外は既存の施設を利用する珍しい大会である。そのため、水泳は東京、サッカーは全国各地の会場で開催されるなど愛知県外の会場も活用する。メイン会場となる瑞穂陸上競技場の会場運営は、当社・新東通信やミズノスポーツサービスなどが担う。もう1つの新施設であるIGアリーナは、アジアNo.1の規模を誇るアリーナとして来年の名古屋場所がこけら落としとなる予定である。
 愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会に向けて、当社はマーケティング代理店代表企業として、スポーツの力でこの地域の皆様を元気にしていきたい。

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【6年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 水素利活用社会実現に向けた取り組み 』

  • 日  時:令和6年9月10日 (火) 12時00分~14時00分
  • 場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
  • 参加者:49名

スピーカー:

写真:杉脇 弘基氏
杉脇 弘基(すぎわき ひろき)
明治電機工業株式会社
代表取締役社長
写真:大嶽 格氏
大嶽 格(おおたけ いたる)
明治電機工業株式会社
エンジニアリング事業本部 エネルギー事業推進部 部長

《代表取締役社長 杉脇 弘基 氏》

 1964年生まれ。大阪市住吉区出身。同志社大学経済学部卒業。趣味は、ゴルフと映画鑑賞で、特に「フィールドオブドリームス」が好きな映画のひとつである。
 明治電機工業は、1920年に創業し、2020年には100周年を迎えた。主にファクトリーオートメーションの商社として、トヨタグループに対する販売が中心で、顧客の約50%が自動車関連である。直近の売上高は約745億であり、現在、国内には関連会社も含め計14拠点。海外では、1987年にアメリカへ進出し、イギリス、ハンガリー、中国などにも拠点があり、日本のものづくりをグローバルに支えている。
 本日は弊社のターニングポイントの一つとなった水素事業についてご説明する。

《エンジニアリング事業本部 エネルギー事業推進部 部長 大嶽 格 氏》

水素について~利点と課題~

 水素は地球上で単独の状態では存在せず、水や炭化水素などの化合物として存在している。無色、無臭、無毒で、燃焼時に二酸化炭素を排出せず水に変わる特性から、カーボンニュートラルな社会の実現に寄与する重要な物質と期待されている。
 水素の製造方法には、主に「グレー水素」「ブルー水素」「グリーン水素」の3つの種類があり、カーボンニュートラルな社会を目指すためにはブルー水素やグリーン水素が望ましいとされている。また、水素はエネルギー分野だけでなく、化学工業や金属加工など多くの産業で利用されている。水素の利点には、環境負荷の低減、地域産業の活性化、長期保存が可能なエネルギー、エネルギーの有効利用が挙げられる。しかし、貯蔵や輸送の安全性、インフラ整備、コストなどの課題も存在している。

政府目標と課題

 政府は水素を重要なエネルギーキャリアと位置付け、2017年に水素基本戦略を策定した。2030年までに水素のコストを現在の3分の1に、また水素ステーションを900カ所に拡大する目標を掲げている。しかし、現状では多くの項目が未達成であり、特にFCモビリティの普及には大きな課題が残っている。水素社会の普及が進まない理由として、政策が民間に依存している現状があり、国家戦略的な支援が必要とされている。

水素エネルギー事業の取り組み

 水素利活用社会の実現に向けた取り組みは2014年度に始まり、10年が経過した。この取り組みは、当時の社長直轄の開拓プロジェクト室が発足したことからスタートし、トヨタ自動車、燃料電池自動車「MIRAI」のリリースが大きなきっかけとなった。取り組みの事例は以下の通りである。

  1. 水素ステーションおよびインフラ設備の建設
     2014年末からトヨタ自動車の燃料電池自動車「MIRAI」の販売が始まり、2023年末までに約170カ所の水素ステーションが稼働。政府の戦略に基づき、2025年には320カ所、2030年には900カ所の水素ステーションを整備予定。しかし、現在はコスト削減や設備の標準化が課題である。弊社はこれに向けて外部機関と連携し、50件以上の水素ステーション建設に関与している。
  2. 純水素型定置式燃料電池発電機「BLUE CLOVER」
     トヨタ自動車の協力により開発された50kWの「BLUE CLOVER」は、2022年秋から販売開始。工場やホテル、データセンターでの無停電電源やディーゼル発電機の代替、BCP対策に利用され、CO2を排出しない。年間約35万kWhの電力を供給し、175トンのCO2削減が期待されている。
  3. グリーン水素の利活用
     水素は多様な原料から製造でき、燃料電池を通じてクリーンなエネルギーを効率的に利用できる。弊社は再生可能エネルギーを使用し、水の電気分解で製造したCO2フリー水素を貯蔵・供給し、定置型燃料電池から電気を供給する一貫システムを「ワンストップ」で提供することで、安全かつ効率的なエネルギー利用を実現している。

導入及び導入予定の事例

  1. 川崎キングスカイフロント東急REIホテルの水素サプライチェーン社会実装支援事業
     2018年の開業時から川崎市の水素戦略に基づき、環境省の低炭素水素技術実証事業に東急REIホテルが参画。世界初の水素ホテルとして、レゾナック社の廃プラスチック由来の水素を使用し、最大20%の電力を水素で賄っている。
  2. 能登半島「春蘭の里」ゼロカーボンビレッジ実証事業
     石川県能登町でのゼロカーボンビレッジ実証事業では、地域特性を活かし水素を利用したエネルギー地産地消システムを構築。太陽光と小水力を用いて水素を製造し、宿泊施設やEV充電スタンドで利用。震災時には水素を用いた燃料電池が自立運転し、電力を供給するBCP機能も確認された。
  3. 北海道苫小牧市の再水素サプライチェーン構築事業
     既存インフラを活用し、未利用地での太陽光発電と廃棄物発電を組み合わせ、電力系統に依存しない水素製造が可能に。製造した水素は近隣施設で利用され、寒冷地におけるグリーン水素活用を推進。
  4. 愛知県知多市の低炭素水素モデルタウン事業
     水素ステーションを地域の供給拠点として活用し、FCVや公共施設、住宅への水素供給を目指している。この事業は水素供給の低コスト化を図るための可能性を探るものである。
  5. 明治電機工業豊田支店の再エネ由来水素利活用事業
     豊田支店では、再エネ由来の水素を製造し、燃料電池発電を実施。2022年に環境省の脱炭素社会構築事業に採択され、余剰電力を利用して水素を製造し、自社の電力供給と非常時の給電を実現している。将来的にはこのシステムの施工・販売を目指している。

最後に

 水素はカーボンニュートラルな社会実現に向けて重要な役割を果たす素材であり、当社の取り組みはその普及に寄与している。政府の支援と民間の協力を通じて、水素社会の実現を目指す必要がある。今後も技術革新やインフラ整備を進め、持続可能な未来を築いていくことが求められるのだ。

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【6年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 18歳で建設会社を創業し31年 売上70億までの軌跡 』

  • 日  時:令和6年9月11日 (水) 12時00分~14時00分
  • 場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
  • 参加者:30名

スピーカー:

河野 誠二(かわの せいじ)
株式会社キョウエイ
代表取締役
写真:河野 誠二氏

会社紹介

 私は大分県大分市出身で、18歳の時に建設会社を創業した。一般住宅以外の専門工事を手掛け、グループ5社で運送から設計、施工までワンストップで手掛ける。近年、組織体制強化のためホールディングス化を進めた。本社は愛知県小牧市であり、東京、横浜、埼玉、大阪に営業所を置き、全国の案件に対応している。社員数は65名で、グループの売上高は約73億円である。平均年齢は32.9歳であり、女性比率は22%と近年の採用強化により多様性が高まっている。リーマンショックを経て13期連続の増収で売上は30倍に拡大している。これには、ゼネコンからの直接受注の比率を60%まで増やしたことが大きく寄与している。競技場から商業施設、高層マンションまで幅広く手掛け、新国立競技場やJPタワー、シャープ堺工場など全国の大規模な施工を行い、モンゴルの新ウランバートル国際空港の施工にも参画した。

売上70億円までの軌跡(1)(幼少期編)

 私は、2キロ先まで信号が無いような大分の田舎育ちで4人兄弟の末っ子である。家系は愛媛の河野水軍にルーツがある。そんな私のピークは、小学生時代であり、応援団長を務めたり、陸上競技大会で優勝したりと活躍した。ローランドではないが、俺か俺以外かという自己中心的な生き方であった。しかし、この驕りから転落人生が始まる。中学校へ入学すると集団無視を受け、寂しさと悔しさから、髪を染め、不良グループと関わり悪の道に進んでしまう。高校へは進学したものの3カ月で中退し、父が経営する型枠の会社で働くも3カ月程度で解雇され、16歳で勘当されてしまった。父は、頑固一徹の九州男児で、「一人前になるまで連絡するな」と言われ地元大分を離れ、名古屋へ向かった。父を見返すため、強い成長願望を持って建設会社で勤務するが、入社半年で給料に不満を持ち、社長へ直談判する。すると、社長から「親方全員を認めさせれば、給料を上げてやる」と言われ、成功した。そして、入社1年後の18歳で「共栄建工」を個人創業する。社名には手を差し伸べてくれた人への感謝と、皆で支えたいという思いが込められている。この時に、父は勘当を解いてくれた。創業後初めての仕事は、一宮タワーの床施工であったが、関係者にご迷惑をお掛けしながら何とか工事を完了した。当時は見栄を張ってシーマに乗っていたが、中身がないことに恥ずかしさを覚え売却し、その後10年間は作業車に乗り続けた。この頃ある社員から「短気を直さないと誰もついてこない」と指摘され、今では「仏の河野」と呼ばれるまで変わることができた。自分の利益だけを優先し義理を通さず取引したこともあったが、取引先から叱られ、義理や人情を大事に謙虚に生きようと誓った。また、不祥事により13人中8人の社員を解雇する異例の事態に見舞われるが、残った社員のために再起を誓う。経営者の考え一つで社員の人生を左右してしまうことを自覚し、経営の神様 松下幸之助の書籍を読み漁る。「学ぶとは真似ぶこと」であると肝に銘じ、会社の理念を制定し、事業計画も作成する。順調に成長していた矢先に、社員が高速道路で追突事故を起こし助手席に乗っていた私は松葉杖生活を余儀なくされ現場に出られなくなった。この療養期間に、「ナンバーワン」を目指す決意を固め、1999年11月11日に有限会社を設立する。翌年、経営理念に基づく、経営ビジョンを策定。共存共栄できる会社を目指すことを明確にした。人生の最後に問われることは、どれだけ稼いだかでも偉業を成し遂げたかでもなく、どれだけの人を幸せにできたかであると学ぶ。2003年には有限会社から株式会社へ移行し、友人から譲り受けたプレハブで操業を開始する。創業から8年間会社を支えてきた、専務をパワハラを理由に解雇、メイン取引先に社員を引き抜かれるなど様々な困難を乗り越え、強靭な精神力と経営者としての強固な土台と軸が築かれた。

売上70億円までの軌跡(2)(経営者団体所属編)

 これまで私は人脈が乏しく、書籍を通して学んできたが、経営者から学びたいという思いから、尾張北青年同友会へ入会した。そこで経営方針や3カ年経営計画の作成などを学ぶ。父が脳梗塞で倒れた際に、兄がゼネコンを退職して会社を引き継いだが、結局、廃業することとなった。父についてきてくれた人を路頭に迷わすことになり大きなショックを受けた。この経験から、飛鳥時代から続く金剛組のように長く続く会社を経営することの重要性を痛感し、社員の年齢表を作成し長期の視点での会社経営を検討した。30年後には社員の多くが60歳以上となる年齢構成であったため、若い人材を採用する一方、60歳以上の人材の活用を考え、現場業務だけでなく、管理・営業・事務部門を設置し、さらにゼネコンとの直接取引を増やすことで多くの人材を活用できるようにした。また、自分の力を試せる独立コースを創設している。
 リーマンショック時には全社員を集め、「自分の給料を限界まで下げても経営できない場合は、従業員の給料を下げさせてほしい」と懇願し、何がなんでも乗り越えようという決意を伝えた。本業とは関係がないゴミ処理や他地域での業務を請け負い、何とか利益を確保した。松下幸之助が、経営が苦しい時期に、製造と販売を半日ずつの体制で凌いだエピソードを参考にした。その後、2011年9月から業績は右肩上がりとなり、父の会社を超える成長を成し遂げた。今でも毎日、父の遺影と向き合い、形見である2002年式トヨタプラッツに乗り、父の夢も乗せて走っている。リーマンショック後の苦しい時期に事業を手広く広げたことが功を奏し、埼玉や横浜にも営業所を開設することができた。念願であった父の会社の売上を超え、利益の還元は20%を社員に、30%を税金に、50%を内部留保とする黄金比率で経営している。

売上70億円までの軌跡(3)(成長期編)

 2017年には東京・大阪営業所を開設し、人脈のある方と顧問契約を結ぶ。順調に見えたが、船井総研の組織診断では「やりがいはあるが、安心して働ける環境に対する評価は低い」という診断を受け、売上20億円の目標を達成しても社員は幸せではないことを深く反省した。そのため、福利厚生を充実させるべく、年間休日126日に加えて、有給休暇は最大20日、特別休暇を最大20日付与し、永年勤続年の表彰期には最大で166日ある。夏休みが長く、16時に仕事を終え、福利厚生がしっかりしているフィンランドをベンチマークに制度を充実させている。リゾートトラスト会員制ホテルを契約し、社員旅行や懇親会の他、クラブ活動も推進している。また、フィットネスルームやシミュレーションゴルフ施設も設置し、エンゲージメント向上に取組んだ結果、離職率は41%から8%まで改善した。個人の人生ビジョンと会社のビジョンの重なりを増やして共に歩んでいけるパートナーを目指し、半年に一度、個人面談を実施している。また、Z世代から提案があったユニークな制度として「失恋休暇」を導入し、リフレッシュ期間を設けることでパフォーマンスの低下を軽減している。
 会社の羅針盤として経営計画、就業規則、諸規定などを集約した「キョウエイ羅針盤手帳」を配布している。名南ビジネスカレッジと提携した「キョウエイカレッジ」では、スキルアップのために幅広い講座を提供している。新入社員による逆メンター制度や次代を担う30代のコア人材向けの次世代ミーティング、改善提案に対する「全栄手当」、榎本計介氏の無礼塾の受講など、若手の意欲を引き出す制度を設けている。
 最後に社会的責任の遂行としてCSR・IR活動に取り組んでおり、スポーツ選手のセカンドキャリア支援や地域貢献、スポーツ振興を行っている。また、「100万人のクラシックライブ」のコアサポートメンバーとしての活動やIR活動も強化している。すべての仲間の幸せを最大化するために日本一の福利厚生を目指して今後も活動していく。

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【6年9月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 起業家としてのウェルビーイング 』

  • 日  時:令和6年9月18日(水) 12時00分~14時00分
  • 場  所:若宮の杜 迎賓館 1階 橘の間
  • 参加者:36名

スピーカー:

横田 成人(よこた なると)
株式会社ヨコタエンタープライズ
代表取締役
写真:横田 成人氏

自己紹介

 私が中部経済同友会に入会したのは2006年7月、当時38歳。入会以来18年が経過し、これまで私を見守り、育ててくださった先輩方に心より感謝申し上げます。私は学生時代『一度しかない人生、でっかいことを成し遂げたい』『できることなら歴史に刻むことをしたい』と考えていた。しかし、人生そんなに甘くはなかった。
 父が歳をとってからの子であり、基本的に一人っ子で、甘やかされて育ったことから協調性がなく人と関わることが苦手であった。大学進学も2年浪人し、何をするにも人より時間と手間がかかり、劣等感に苛まれ、コンプレックスを多大に抱いていた若い頃を思い出す。
 大学時代、そんな自分を本気で変えたいと自己啓発の本を読み漁り、そこで学んだことは、『明確な夢、目標を持ち、希望を抱くこと、そのために絶対にあきらめない。』また『私は絶対にできる、やれる』と自己暗示すること。同時に徹底的なプラス思考を持つことの大切さを知る。

ヨコタエンタープライズ設立

 大学卒業後、ゼネコンに就職したが適応できず、転職するが再び退職する。サラリーマンが務まらなかった私が、唯一務まった職業が大型トラックの長距離ドライバーであった。以来、日本全国、北は東北から南は宮崎まで睡眠時間を削り高速料金を浮かし、ゼロから起業資金を貯め、1996年、28歳の時に学生時代に経験のあったイベント企画の事業で起業した。ところが半年で資金ショート。再び長距離ドライバーとして5年間従事し、2001年に再チャレンジして、現在に至る。
 事業再開当初、物流事業に参画するが、1台1500万円する大型トラックは買えず、物流業界における請負やトラックドライバーの派遣事業からスタート。当時、トラックドライバーの派遣事業は例が少なく、一気に業績を上げ、2006年に一般貨物自動車物運送業の許可を受け、金融機関から5,000万円融資を受けて、大型トラック3台を購入した。しかし、ドライバー派遣の経験はあったものの運送業の経験はなく利益が出せず、一方でサブプライムローン問題が既に勃発していたことで経営をひっ迫させた。さらに2008年10月、追い打ちをかけるようにリーマンショックが到来し、4,000万円あった月の売上は2,000万円に半減し、毎月500万円キャッシュが消えていく。3,000万円の融資にこぎつけるも、半年の延命にしかならない。当時、精神的に弱かった私は、次第に家に引きこもるようになる。そして未来に全く希望を感じなくなった。そんな時、創業当初からマネジメントを共にしたNo2の加藤がリーダーシップを発揮し、必死で会社を守る姿を目の当たりにした。私は、社員一同から多大なる勇気をもらった。以来、私は決意した。会社を私物化してはならない。また、果敢に会社を守っていた社員のためにも『社員満足度№1を目指すことを掲げ、社長自らが誰にも負けない努力をする。社内で一番働く。』ことを宣言した。以来ヨコタエンタープライズは一気に業績を回復させ、10年で売上は16倍となった。
 物流事業に留まらず人材派遣の許可を受けていたことで、製造業における技能工をはじめ生産技術、開発設計、機械保全のエンジニアやIT人材、一級建築士の派遣等人材派遣の事業領域を広げた。当時、運送業で利益が出せずにいたが、製造業における派遣事業がヨコタエンタープライズの赤字を補填することとなる。これにより製造業のトータルサポート体制が確立される。
 その後、トラックドライバーの派遣事業をきっかけにトラック運送業を立ち上げ、一級建築士の派遣事業は一級建築士事務所『ヨコタ建築コンサル』の立ち上げに至ることとなる。IT人材の派遣事業はやがてシステムインテグレーター『ヨコタテクノトラスト』を立ち上げることとなる。これまでヨコタエンタープライズは派遣事業を通じ、人を育て資金力をつけ新規事業を次々と立ち上げた。今後も、新たなる事業領域へと変化進化していく。

他社が気づかないことを先んじて実行する

 弊社は他の派遣会社と異なり、全社員を正社員として採用している。だからこそ、社員一人ひとりを成長させ、生活水準を向上させることを責務であると考えている。ヨコタアカデミーを立ち上げ、製造現場における作業員、技能工にも管理者のようなジェネラリストやITや生産技術、開発設計等のエンジニアのようなスペシャリストへのスキルチェンジ、キャリアアップに力を注いでいる。カリキュラムの中には「社長サロン動画」があり、これまでの私の経験上生きていくうえで大切なことを全社員に伝えきりたい一心で動画サイトを作成した。約30分におよぶ動画は、20コマから成り立つが、『夢や目標を持たせること、希望を抱くことの大切さ。絶対にできる、やれると自己暗示すること。徹底的なプラス思考になること。』の重要性を発信している。視聴した社員はその感想文を送ってくれ、それに対してレスポンスを返すことが私の毎日の日課となっている。社長サロン動画を視聴した社員はモチベーションが上がり、ヨコタエンタープライズの帰属意識も高まる。
 これまで、工場の期間社員として転職を繰り返し、縁あって弊社に入社した38歳の現場作業員が社長サロン動画をきっかけに本気になり、インフラ系の資格を取り、この9月よりIT人材として活躍する事例もある。今後、ロボティクス化、DX等が進む。しかし、人手不足は解消されない。となれば人的資産を時代のニーズに合わせフレキシブルに育てていくことが不可欠だと考えている。人は何者にでもなれる。
 これまで、物流業界においては、国の監視は、末端の実運送業者だけに目を向けていた。しかし、物流Gメンが結成され、荷主、元請けへの監視が強化された。結果、適正運賃の見直しや待機時間、長時間労働などが是正されることとなり、ヨコタエンタープライズは苦しくも、コンプライアンスを守ってきたことで運輸事業が追い風となり業績が一気に改善された。「思いは通ずる。」「正義は勝つ。」「王道で勝つこと」を実感する。社員も1000人を超え、信用調査機関より高い評価を頂くこととなった。今や完全無借金経営となり自己資本比率40%超、純資産も10億を超えた。これまで22年経過したが、次の10億円は2年、10倍のスピードとなる。

56歳、これからが本番

 私たちは創業して間もなく『For Japan For the dream』というミッションステイトメントを掲げた。どうせやるなら『どでかい夢を抱く、限りなく高い目標を抱く』
 現在2045年の売上げ1兆円を目指し、奮闘している。どうせやるなら今の時代、前人未到の夢を掲げる。今のスタートアップは時間を金で買う。すなわち、ベンチャーキャピタル等から資金を調達して起業する。私たちは自らが保証人となり融資を受け、度重なる資金ショートの危機を乗り越え、現在に至った。
 創業以来23年が経過したが、ここからが私たちにとって本番である。やっとスタートラインに立った。時代背景を素早く、察知し、その時代の旬を捉え、より一層の飛躍に向け邁進する。私は中部経済同友会に入会して、多くの温かい先輩方に恵まれた。次は私の番である。このバトンを継承しなければ、罰が当たると思う。これまでの経験をこれからの若い世代へ伝えきることが私の使命である。

これまでの日本と黄金時代の到来

 これまで日本は低成長が続いた。バブル崩壊とともに、日本国民は皆自信を失った。デスクトップパソコンは東芝の湘南工場で作るものがなくなったエンジニアたちが作った。書棚のようなスーパーコンピューターは、当時の役員から一部の事務員とパートにしか受けないモノに時間を費やすなと言われながらも半年の猶予をもらう。文字変換3秒を切らなければやめてしまえと言われ、ねじり鉢巻きで徹夜を繰り返して現物のモノとなった。しかし、なぜNECレノボは中国企業に売却されたのか。スマホはなぜアップルなのか。半導体も然り、ネット環境など新しいプラットフォームは全て取られていく。
 失われた30年、低成長が続いた。他の諸外国は、国がグランドビジョンを掲げ、経済をけん引しているが、日本もそうすべきである。日本はそこが弱い。だからこそ日本の各企業は国を頼れない分強くなる。バブル崩壊後、国民全体が自信を失ってきたが、その自信を取り戻すのに30年かかってしまった。しかし、ここ最近日本の大企業は強くなってきたように思う。半導体における熊本のTSMC、北海道千歳のラピダス。パソコンのCPUの絶縁体をほぼ100%味の素が作っている。DISCO、東京エレクトロン、スクリーン等。あのTSMCですら日本の技術がなければ今のクオリティーを維持できないと言われているが、これまで日本は半導体の製造そのものに関しては遅れている。
 しかし、日本のNTTが光半導体IWONの開発を着々と進めている。光に代わることで、性能は125倍も向上し、熱も発生せずスマホの充電も一年に一度で済む。どれだけ離れていても遅延が生じないということで遠隔手術や無人運転にも貢献する。またICTの発展により電気使用量が増大している。経済産業省の調べによるとAIやChatGPTの普及により今後電力量は今の10万倍が不足するなどと言われておりNTTの光半導体が世界を救うとまで言われている。
 一方で欧米諸国がトヨタのハイブリッド技術に到底勝てないことから、カーボンニュートラルを打ち出し、世界は一気に自動車のEV化を進めた。しかし、充電時間の長さや低温による性能低下、火災を引き起こす等の安全性等EV離れが急速に進んでいる。またバッテリーの処分方法も未解決。東芝も再起をかけてチタン酸リチウムバッテリーを開発するなど明るい話が目白押しである。
 先日、日経新聞の記事に『ようやく夢を抱きだした経営トップ』という記事を目にした。やはり夢や目標を持ち、希望を抱くことが大事である。日本は極端に長期の低成長の後である。日本の黄金時代を夢見てほしい。日本の大企業は内部留保も過去最高額に達する。研究開発に莫大な投資ができる環境が整ったと思う。
 また国の動きとしては、中小零細への適正な支払いをする動きが出てきている。今、私たちは日本の明るい未来に向けて中小零細も大企業も一丸となり邁進するときである。ヨコタエンタープライズは東京の経済同友会、そして昨年経団連に入会したが、今の規模感では埋もれてしまう。私がどんなに大きな声を出しても届かない。ヨコタエンタープライズの存在感を高めるためにもヨコタエンタープライズの規模感は大事である。より一層の飛躍に向け邁進する所存である。
 私利私欲を捨て、利他の精神でこの自分の体を骨の髄まで完全燃焼することこそが私にとってのウェルビーイングである。

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【11月度産業懇談会のご案内】

 11月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

屬ゆみ子
富田 茂
広井幹康

11月12日(火)
12:00~14:00

パネルディスカッション
『中部財界の未来を担う若手経営者の取り組み』
株式会社トリニティホールディングス
取締役社長 四元 圭 氏
株式会社ファミリークス
代表取締役 粟津原 茂人 氏
株式会社ジーエスコンサルティング
代表取締役 河野 一平 氏
株式会社平安金属
代表取締役 米原 浩美 氏
ワシズ機械株式会社
代表取締役 鷲津 昭靖 氏

名古屋観光
ホテル
2階 曙東の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

11月20日(水)
12:00~14:00

『北欧の発想で暮らしに豊かさを』
ラーゴム・ジャパン株式会社
代表 藤井 理夫 氏
顧問 榎並 幹人 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

水曜第2グループ

香川裕子
高見祐次
名倉昌孝

11月13日(水)
12:00~14:00

『地域密着の法務と社会貢献~名古屋の法律事務所が切り拓く新たなビジネスモデル~』
名古屋E&J法律事務所
代表 籠橋 隆明 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

11月7日(木)
9:00~19:00

視察会『中部電力株式会社 浜岡原子力発電所』

浜岡
原子力発電所

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【12月度産業懇談会のご案内】

 日頃は産業懇談会活動につき多大なるご支援をいただき誠にありがとうございます。
 12月度例会を下記の通り開催致しますので、ご案内申し上げます。年末につきましては、例年どおり「忘年会」とし、懇親を深めたいと思います。ご多用の中恐れ入りますが、ぜひともご出席下さいますようお願い申し上げます。

グループ名 世話人 開催日時 会場 他 会費

火曜グループ

屬ゆみ子
富田 茂
広井幹康

12月3日(火)
18:00~20:00
キャンセル期限
11月29日(金)

東海東京証券オルクドール・サロン ホール
住所:名古屋市中村区名駅3-28-12
大名古屋ビルヂング33階
Tel:052-588-6240

21,000円
内外

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

12月18日(水)
18:00~20:00
キャンセル期限
12月16日(月)

加賀屋 名古屋店
住所:名古屋市中村区名駅1-1-4 JR
セントラルタワーズ13階
Tel:052-588-8550

18,000円
内外

水曜第2グループ

香川裕子
高見祐次
名倉昌孝

12月11日(水)
18:00~20:00
キャンセル期限
12月6日(金)

三甲ゴルフ倶楽部名古屋シティクラブ
住所:名古屋市中区錦1丁目16-25
三甲名古屋ビル13階
Tel:052-747-3535

15,000円
内外

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

12月5日(木)
18:00~20:00
キャンセル期限
12月3日(火)

札幌かに本家 栄中央店
住所:名古屋市中区栄3-8-28
Tel:052-263-1161

12,000円
内外

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.76

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 転都どすえ~ 』

 今年から、髪を染めるのをやめ、白っぽい頭を楽しんでいる。あまりに印象が違うらしく大半のかたは私に気づかず「やっぱり人は見た目の印象100%なのね」と実感する。
 先日も飛行機を降りる際、上の棚からバゲージを下ろそうとしたら、近くの席の方が「お手伝いします」とお声がけくださった。「いえ、重いので自分で」「いえいえ無理なさらず」
 ん、確かにその声の持ち主は私よりはお若い。これが男性なら「はーい、よろしく!」とお願いしたのだが、畑で鍛えたこの二の腕よりはるかに華奢な女性でいらっしゃるので、丁重にお礼を申し上げ、自力で下ろした。ハタと気づくーこれは髪が白いから?高齢者に対するお心使いだったのか?この分だと公共交通機関で「お座りください」なんて席を譲られてしまうかも…まだ敬老手帳もらってないんだけれど。ま、そんなことがあったら思いっきり笑い話で皆さんにご披露することにしよう。

写真:平安神宮1

 さて先日、ご縁あって京都の平安神宮に公式参拝する機会を得た。
 恥ずかしながら平安神宮が明治時代に建築されたお宮さんだとは知らず、禰宜の説明を聞いて初めて知った。平安神宮は平安遷都1100年を記念して1895年に、国内博覧会を京都で開催した際に建てられたのだそうだ。明治維新以降天皇が都を離れ、首都が東京になってから、京都の町は荒廃し、その復興のシンボルにという思いが込められている。ちなみに都が遷ることを「遷都」というが、京都では「帝はお帰りにならはる」とされ、首都が東京に移ったことを「転都」というのだそうだ。

写真:平安神宮2

転都の際、京都民も35万人の人口が20万人程度まで、15万人減少~これは愛知でいう刈谷市民がまるっと居なくなるというほどの寂れ方だったのだそう。そんな古都の復活への願いが込められているお宮さんなのだ。構造物には御所や二条城から運ばれた木材も使われているとか。拝殿向かって右側に平安遷都を成し遂げられた第50代の桓武天皇、左側には平安京最後の天皇第121代孝明天皇が祀られている。創建当時は桓武天皇だけだったそうだが皇紀2600年を記念して、孝明天皇も祀られることになったのだそう。この皇紀もまた、恥ずかしながら耳に馴染みがない。聞くと日本には年号の変わる和暦のほかにもう一つ「皇紀」という、初代神武天皇ご即位を紀元とした年号があって、その始まりは西暦でいうところの紀元前660年なのだそうだ。いやはや日本の歴史は奥深い。ちなみに来年は神宮創建130年で、それに伴って耐震と改修工事が行われている。文化庁も京都にお引越しされたことだし、インバウンドだけでなく日本の皆さんにも広くご支援賜りたいそうだ。その一環か、私が伺った翌日には境内で郷ひろみのコンサートが開催されたよう。
 参拝を終えて、夕暮れ時のお庭をご案内いただく。約一万坪のお庭は、桜の名所としても知られているが、その景色が一年を通して変わらず楽しめる「石」「松」を中心に構成されている。栖鳳池(せいほういけ)にかかる泰平閣は、時々ドラマで女優さんがお芝居しているシーンに出てくる有名な橋(と言ってもいいのかな?)で、その池に縁を出すのが尚美館。

写真:尚美館内
尚美館内
写真:尚美館から泰平橋
尚美館から泰平橋
写真:平安神宮の庭

京都御所から移築されたものだ。通常公開はしていないのだが、お気使いいただき、ちょっとだけ拝見する。彼方に半月が昇りはじめ、ひと時、暑すぎる秋に清涼感をもたらす。なんと風流な。

 夕食は隣接する平安会館で、お食事がてら某お茶屋さんの舞子ちゃんと芸子さんの「舞」を拝見する。お茶屋の女将さん曰く「私たちは井上流の舞を舞っておりますので、踊りとは言いませんのです」と、「踊り」と紹介してしまった馴染みの先生をたしなめておいでだった。

 ここでまた白髪の話。染めるのをやめてから、各方面からそのお茶屋の女将さんと私が似ていると言われたこともあり、芸子のお姉さんに「ねえ、私、おかみさんに似てる?」とド直球で聞いてみる。すると思いっきり首を振り「全然似ておへん、おねーさんの方が別品さんどす」。思わず「お~きに」。営業トークとはいえ褒められて悪い気はしないので、ちょっとお高いワインの注がれたグラスをほんの気持ちと差し出した。

 この10月は、札幌交響楽団の第九を歌いに行ったり、畑に野良仕事に行ったり、現地の家のDIYをしたり。髪は白くともまだ元気だし、なんて張り切っていたら、つい先日ぎっくり腰になった。どうも北海道と名古屋の寒暖差がかなり応えていたらしい。自律神経は正直だ。こうなると、白髪で動きの悪い、腰の曲がった私は、どこからどう見ても高齢者??
シルバーシートに座る日は近いかも⤵⤵。

 追伸、昨夜、話題の彗星が見えるやも、と空を見上げて歩いていたら、足を踏み外し、めでたく捻挫。シルバーシート必至となる(T_T)

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コラム2 【師、曰く】 No.41

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメント、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆。

『 才能を生かす才能 』

 日本の名優、西田敏行さんが 2024年10月17日、76歳で亡くなられた。心よりご冥福をお祈りします。若かりし頃、西田さんには多少のご縁を頂いた。都内、大岡山の大学で有機材料工学科橋本壽正先生の研究室に通っていた4年の頃、私は研究者や技術者の道を歩むことは自分には合わないと感じていたし、バブルの余韻が残り金融業界や様々な業界へ就職する道もあったが、しっくりこなかった。進路に悩んでいた頃、芸能界の知人ができ、遠い世界のことと思っていた芸能界を身近に感じ、その道へ進むことを考えるようになっていた。先生には大学院へ行けと言われていたし、幾人か業界の方にも相談してみたが、いずれにも踏ん切りはつかなかった。

 1990年(平成2年)夏、とあるルートで知った西田敏行さんのご自宅に、思い切って電話をかけた。既に、「西遊記」、「池中玄太80キロ」、NHK大河「おんな太閤記」「山河燃ゆ」「翔ぶが如く」、映画「植村直己物語」「敦煌」「釣りバカ日誌」等で、大俳優だった西田さんの声を聞いた時は恐縮したが、TVと変わらぬ応対に緊張が解け、俳優の道への思いを語った。最後にこう言われた。「君も一生懸命勉強したからわかるだろうけどね、芝居の世界も基礎が大事なんだよね。今から僕が教える基礎をしっかり教えてくれる劇団へ入りなさい。そしたら、いつか一緒に演じることもあるかもね。」 その温かみと誠意に心から敬服した。幾つか劇団を受けた私は演劇集団「円」に合格し、西田さんのご自宅に御礼とご報告に伺った。「お茶でも飲んでいきなさい。」と迎えて頂いたのに、若輩慇懃な私は恐縮して玄関先で御礼と報告を述べ帰ったのは、甘え下手で悔やまれる。大学卒業後、円で2年の選抜を生き残れば正規劇団員だ。右も左もわからぬド素人の私は、必死に稽古に励み主役の座も得たが、大学仲間と比べて不安で堪らなかった。思い詰めた私は年明け1月2日、西田さんに電話を掛け不安を伝えた。西田さんは、優しく毅然と 「若いのに不安がってちゃ駄目だよ。僕が若い頃はさ、自分には役者しかないって思ってたし、絶対成功してやるぞって必死にやったから、今があるんだと思うよ。でもね、先のことなんかわかんないよね。僕もね、いまだにいつも不安だよ。今の役で失敗したらどうしよう。必要とされなくなったらどうしようってね。でも不安がってても何も変わらないよね。今、一生懸命やるしかないよね。」 そう大切な言葉を頂いた。家族団欒の正月に1時間近くもお話頂いたことに、恐縮し感謝し頭が下がる。頂いた言葉を糧に、主役も一生懸命演じたが、結局、役者ではなく演出家なら残すと、ふるいに落された。

 田坂先生の学生時代、演奏家を目指す友人が、「自分の才能を信じられなければ、この道は歩めないよ。」と語った。名声を得る演奏家となった彼が20年後に語ったことは、「自分には才能がある。そう思ってしまうことが、怖いことなのだね。」だった。

 師、曰く『己の才能を、信じるべき時に、信じ、過信すべきでないときに、過信しない。そのバランス感覚こそが、才能を生かす才能、なのかもしれません。』

 西田さんには申し訳ない気持ちだったが、私は自分の役者としての才能を信じ切れなかった。それゆえ、大学研究室の橋本先生に頭を下げ、今の会社に居る。営業になってからは、意外にも才能が開花したが、過信したこともあり挫折も味わった。それゆえ、この言葉の意味が痛いほどよくわかる。西田敏行さんは、若い頃に福島の郡山から上京し、役者としての自分の才能を信じて邁進し、スターダムにのし上がった。しかし、そこで慢心することなく、謙虚さを忘れず、今を一生懸命に演じ切ってきたから、長い間ご活躍し続けてこられたのだろう。この「才能を生かす才能」によって、西田さんは大輪の花を咲かせた。大変多くの方から愛され、偉大な名優である西田敏行さんに感謝、合掌。
 そして、私も「才能を生かす才能」を実践してゆこう。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真:ピアノ
(もしもピアノが弾けたなら…)

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コラム3 【げんき通信】 No.14

学校法人佑愛学園
愛知医療学院短期大学
リハビリテーション学科理学療法学専攻
講師 木村 菜穂子

『 日常生活でのちょっとした動作を筋トレに! 』

 「秋」というには暑い日が続いていますが、さすがに朝晩は涼しく、過ごしやすい季節となってきました。ウォーキングやジョギングをしておられる方々を見かける機会も増えましたが、日々のいそがしさから、なかなかまとまった運動時間を確保できないかたもいらっしゃるでしょう。日常生活における活動量の低下は体重増加だけにとどまらず、筋肉量の減少や筋力の低下につながり、さらなる活動低下につながってしまいます。分かっていても、そんな暇はないよ・・・という方は、ちょっとした工夫で、日常生活でいつも行っている動作を「筋トレ」に変えてみませんか?

  1. 姿勢を保持するとき、おなかに力を入れてみましょう。
     立位でも座位でも、腰骨(骨盤)が後ろに傾かないように「立てる」ことを意識して、おなかに力を入れてみましょう。この時、腰を反らすと痛みが出やすいので、頭の方へ少し伸びる感じで行ってみてください。例えば歯磨きしながら行えば1日2~3回×3分の運動になります。余裕があれば、踵をゆっくりと上げ下げしてみると、ふくらはぎの運動も追加できます。椅子座位では骨盤を立てることにプラスして両膝をそろえるようにすると、大腿部の活動が増えますよ。長時間は無理でも、1時間に5分程度でも試してみてください。
  2. 立ち座りするときには、ゆっくりと行いましょう。
     椅子に腰かけるとき、「ドスン」とお尻をおとしていませんか?立つ・座るという動作をいつもよりゆっくりと行うことで、スクワットを行うのと同じ効果が得られ、膝周りやお尻の筋肉を鍛えることができます。特に立ち上がるよりも座る動作をゆっくり行うとより効果的です。例えば洋式トイレを使う際にも「ゆっくり座る動作」を心がければ、少なくとも1日に10回以上のスクワットを行うのと同じことになります。

いずれも、腰や足に多少の負荷をかけることになりますので、痛みや違和感がある場合には無理して行わず、専門家の指導を受けてください。

イラスト:スクワット

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