【6年4月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 NTTドコモの災害等への取り組み 』

  • 日  時:令和6年4月4日(木) 12時00分~14時00分
  • 場  所:名古屋観光ホテル 2階 曙西の間
  • 参加者:29名

スピーカー:

写真:田畑 智也氏
田畑 智也(たばた ともや)
株式会社NTTドコモ
東海支社長
写真:石村 彰啓氏
石村 彰啓(いしむら あきひろ)
株式会社愛知国際アリーナ
代表取締役副社長

<NTTドコモ東海支社長 田畑智也氏>

会社紹介・自己紹介

 1994年に日本電信電話株式会社に入社し、経営企画畑を歩んできた。2015年からはNTTドコモで勤務し、2022年6月より東海支社へ異動。今回が東京以外での初めての勤務である。東海支社は愛知、岐阜、三重、静岡の東海4県を管轄し、通信ネットワークやドコモショップ等の管理・運営を行っている。

ドコモの災害対策

 ネットワークは、「基地局設備×伝送路×電力」三位一体であり、基地局からの電波を受信するには、電力や伝送路が必要不可欠である。災害が発生した際には、設備被災、停電、伝送路断など被害状況に応じて適切な手を講じる必要があり、各県の防災拠点に各種災害対策機器や車両を配備し全国から応援に駆け付ける体制を整えている。
 当社では、大災害の経験から災害対策を強化してきた。災害発生時に、人命救助や復旧活動、安否確認に不可欠な役割を果たすのが携帯電話であり、会社設立当初より「システムとしての信頼性向上」「重要通信の確保」「通信サービスの早期復旧」を柱とする「災害対策3原則」を定め、災害時における通信の確保に継続的に取組んでいる。東日本大震災の教訓から「新たな災害対策」を策定し、2012年2月末までに対策を完了し、2018年には多発する自然災害への対策強化のために、2年間にわたる200億円規模の追加対策を発表し、さらなる災害対策に取組んでいる。
 通信サービスが中断する主な要因は「停電」及び「伝送路の断線」であり、停電の際に通信設備を動かすエンジンの導入やバッテリーの増強を行っている。全国に106ヵ所ある大ゾーン基地局は、周辺局のほとんどが中断した場合に停波解除により広域をカバーする。中ゾーン基地局は、有事の際はアンテナの角度を変えることで周辺をカバーすることが可能である。全国のドコモショップには、EVを活用した無料充電サービスや蓄電池、太陽光発電システム、マルチチャージャーなどお客様に充電サービスを提供可能な状況を整えている。また、災害用伝言板や緊急速報「エリアメール」、復旧エリアマップなどが活用できる専用アプリ「災害用キット」はいざという時に便利である。自治体や関係機関、ライフライン企業との連携も強化しており、顔の見える強固な関係を継続している。
 今年1月に発生した能登半島地震では全国のドコモグループ・協力会社社員延べ1万人以上が機器の復旧や物資の支援を行った。今回の災害ではバッテリーの強化施策を進めていたことで停電要因による中断が東日本大震災と比べて減少した。陸路での復旧が困難なエリアに対しては、船上基地局からKDDIと連携しエリア復旧を行ったほか、200ヵ所以上の避難所を訪問し、マルチマネージャーやモバイルバッテリー、Wi-Fiルータ等の無償提供を行ったほか、動画サービスの提供やオンライン検診も実施した。
 今回の復旧や支援の活動では拠点である金沢から能登半島までの移動時間が長いことから、課題が生まれたため、南海トラフ地震に備え中継拠点の設置などしっかり計画を練って全社でさらなる対策強化に取り組む。

dgarden名古屋栄店

 「dgarden名古屋栄店」はドコモショップの一つで、関西ブロック(東海・北陸・関西)唯一の直営店である。ドコモショップはシニア顧客がメインで操作方法の確認などのため来店するが、若い顧客の来店が少なく若年層の集う拠点を目指して取組んでいる。店舗内で推し活サポートのため、セルフ写真館でのアーティスト限定フレームの配信やARグラスでの限定動画配信などを実施し、推し活の聖地化をめざしている。また、謎解きも取り込み、謎解きキットの販売拠点となりXR(クロスリアリティ)コンテンツを栄駅周辺の商業施設へ設置し、街の回遊を促進する取組みも行っている。

ドコモのサービス

 ドコモの料金プランは「eximo」「ahamo」「irumo」の3種類ある。「ahamo」は経営企画部時代に私が企画したプランでありサービス提供開始から3年経過している。その後も新プランが出ており、年1回程度ご利用にあったプランへ見直すことでおトクになる可能性がある。また、キャッシュレス社会が進展する中、今年4月より「ahamoポイ活」の提供を開始し、「d払い」のご利用で貯まったポイントからさらに買い物などを楽しんでいただく好循環を生み出していきたい。

<株式会社愛知国際アリーナ代表取締役副社長 石村彰啓氏>

自己紹介・IGアリーナの取組み

 1995年日本電信電話株式会社に入社し、経営企画や人事を担当。10年前からスポーツやエンターテイメント分野でビジネス開発を行っている。昨年7月よりNTTドコモから運営会社である愛知国際アリーナに出向している。
 エンターテインメントビジネスの価値の源泉は、コンテンツとべニュー(場所)である。これまでのエンターテインメントビジネスは、権利元のライセンスを購入し、期間や利用用途が限定されたIP(映像原作やタレントなどの知的財産)を活用しドコモのサービスの魅力を高める事業であった。しかし、演者のDirect to Consumer化やリアルエンタメの市場回復、流通チャネルのデジタルシフトなどのトレンドにより旧来のマスメディアが縮小しており、マスメディアを活用した以前の勝ちパターンは崩れた。NTTドコモでは吉本興業と業務提携し「Lemino」での独占配信や運営べニューでの国際イベント等、コンテンツ開発からファンとの接点となるプラットフォーム提供まで一気通貫で提供するモデルの構築を目指している。これまで、コンテンツ開発投資のリスクが取れなかったが、制作力のあるパートナーと連携してIPの権利開発に着手し、ドコモのビジネスモデルでマネタイズすることを狙っている。
 日本国内にアリーナは多数存在するが、公共に作られたものが多くしっかりとした建物で手ごろな価格でライブを楽しむことができる。しかし、ビジネスの規模を拡大させるためには、様々な趣向を凝らし海外のようにチケット単価を上げ、収益を建物に再投資するモデルが必要である。施設・興行・ファンの三方よしを狙いたい。海外のアリーナにはビジネスを作る仕掛けがある。その一つがサイネージである。会場内のあちこちに大小のビジョンがあり活発にプロモーションが行われている。日本のエンターテインメント業界には成長余地があり、運営に関わる場所でデジタルを活用した音楽配信やマーケティング力を活かした魅力的な興行を作っていくことが目指す姿である。エンターテインメントの世界は意外に堅い業種から参入してきた企業が成功を収めており、ドコモも利便性向上を中心にサービスを拡張してきたが、今後は感動や楽しさを生み出すコンテンツを自ら作り世の中へ発信していく。
 2025年夏開業予定の「IGアリーナ」は、最大1.7万人収容できる施設であり、愛知の目玉として感動・興奮・共感を場所の力で創造し、地域経済の活性化に貢献していきたい。この事業は7社の合弁事業であり、コンセプトはグローバル・スマート・コミュニティである。隈研吾氏がデザインし、映像・照明・音響は国内トップクラスの最先端技術を投入し、2階には固定席とプレミアムラウンジ、3階にはVIPルーム40室、4階は視覚度30度の臨場感ある固定席を設置。天井高30メートル以上の大空間であり、海外のアーティストを招致して本国並みの大規模なエンターテインメントを開催することが可能である。
 ネーミングライツパートナーのIGグループは、イギリスに拠点を置き多様な金融サービスを扱うグローバルフィンテック企業であり、「世界に開かれた日本」というコンセプトに共感頂いた。パートナーシップ契約は多様なメニューがあり、多数のサイネージビジョンでのCMやチケットの優先販売、バーやラウンジのネーミングライツなどでスポンサーのイメージを訴求していく。「GO BEYOND WHAT’S POSSIBLE」を掲げ、名古屋発で可能性を超えていきたい。

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【6年4月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 朝日遺跡と清須城~発掘調査で探る弥生と戦国時代の巨大遺跡~ 』

  • 日  時:令和6年4月9日(火) 12時00分~14時00分
  • 場  所:若宮の杜 迎賓館 1階 橘の間
  • 参加者:38名
スピーカー:
(山眞産業株式会社花びら舎 代表取締役 平出眞氏のご紹介)
梅本 博志(うめもと ひろし)
あいち朝日遺跡ミュージアム
写真:梅本 博志氏

会社紹介・自己紹介

 県立高校の日本史の教員として採用され、県の教育委員会で文化財の保護を担当したり、県埋蔵文化財調査センターで発掘調査に携わったりした後、あいち朝日遺跡ミュージアムの開館に伴い、学芸員として勤務。退職後は同施設で「学芸員」の資格を活かして、パートタイムの職員としてお手伝いをしている。ブラタモリのイメージから学芸員は何かユニークなことを言う人という印象もあるが、実際には、開館日に合わせて、休みも不規則で、来館者の鋭い質問に頭を悩ませる仕事でもある。
 今日は、私が発掘調査に参加した二つの遺跡の盛衰から郷土の歴史の一端を紹介したい。

大きく変化した「弥生時代」のイメージ

 近年、発掘調査の成果から弥生時代のイメージが大きく変化している。一つはその開始年代であり、従来は紀元前3世紀頃とされていたものが、近年では紀元前10世紀頃まで遡る可能性が指摘されている。これは、科学的な年代測定精度の向上もあるが、時代を考える基準が「土器」から「生業(水田稲作)」に移ったことも大きい。従来は、土器を基準にして「縄文時代の終わり頃に稲作が始まった」としていたものを、「弥生時代の指標となる稲作が始まった頃は、まだ縄文土器を使用していた」という理解に変わった結果ともいえる。
 もう一つは、平和な農耕社会というイメージである。弥生時代の集落は、堀や土塁などの防御施設や新たな武器の登場など戦国時代との共通点も多い。狩猟・採集の縄文時代よりは生活が安定したものの、平和な時代であったということは難しい。

発掘の成果で探る「朝日遺跡」

 朝日遺跡は、名古屋市西区から清須市にまたがる全国屈指の弥生時代の環濠集落で、その推定面積は、80~100万平方メートルに及ぶ。発掘調査では、多重の環濠だけでなく、逆茂木、乱杭などが出土しており、極めて厳重な防御施設を持っていたことがわかった。
 また、出土品のうち代表的なものは、「朝日遺跡出土品」として2028点が重要文化財となっている。弥生集落からの出土品の一括指定としては全国最多で、土・石・木・金属・ガラス・骨角貝など弥生時代に使用されていた素材を網羅しているという特徴がある。このように、出土品が多量で多彩である理由は、(1)ものづくりの盛んな巨大集落であったこと、(2)地下水位が高く木製品がよく保存されていたこと、(3)大きな貝塚があり、骨角器が保存されていたこと、そして(4)古墳時代以降は集落が消滅し、耕作地となっていたことから、開発事業が少なかったということによる。

発掘調査の成果で探る「清須城」

 朝日遺跡に程近い「清須城」は、その構造から、前期、後期に区分することができる。前期の清須城は、織田信長の時代で、五条川の自然堤防上に立地し、方形に堀を廻らす居館であった。城下町は水運の便にも恵まれ、近くには市場も開かれていたことが知られている。
 後期の清須城は、信長の次男の信雄の時代であり、三重の堀を持つ「惣構」の城郭として、姫路城や金沢城と並び、全国有数の規模となっていた。しかし、城郭を拡大するために、自然堤防の範囲を超え、後背の低地まで城下町に取り込んだため、五条川の水害に悩まされるという弱点も生じていた。後に、九男の義直を尾張藩主とした徳川家康は、豊臣氏との対峙の中で、この不安を解消するため、新たに名古屋に築城し、後に「清須越」と称される城下町を含めた移転が行われた。

朝日遺跡の終焉と清須越

 朝日遺跡一帯は古墳時代になると湿地化が進むとともに、集落自体も消滅してしまう。その原因は明らかでないが、清須越の例は示唆に富んでいる。両者は共に水運の便に支えられ成長した都市であり、居住域が五条川や海岸沿いの微高地の範囲で営まれているときは比較的安定していたが、拡大の過程で後背の低地まで取り込んでしまったことにより、水害に弱い構造となっていた可能性が高い。しかしながら、清須城の消滅(清須越)が水害を要因としつつも、豊臣氏との緊張状態のなかでの出来事であったことを考えると、朝日遺跡の終焉がヤマト王権の成立期にあたることは偶然とは言い切れないかもしれない。平時であれば、克服できたような災害であっても、社会変動期のなかではその影響がより大きく作用した可能性が高い。

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【6年4月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 余病が会社にもたらす影響 』

  • 日  時:令和6年4月10日(水) 12時00分~14時00分
  • 場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
  • 参加者:31名
スピーカー:
渡辺 大(わたなべ だい)
株式会社マイ・ポジション
代表取締役
写真:渡辺 大氏

自己紹介

 愛知県名古屋市出身。渡辺家は父が礼儀に厳しく、渡辺家の「あいうえお」を隣家に向かって叫び、小学校1年生から中学校3年生までの義務教育期間は毎日、反省ノートを書き正座して話した。東海中学校・高校時代は、勉強よりも野球に没頭し、甲子園を目指した。しかし、高校2年冬の試合中の交錯により大怪我。最後の夏はベンチでバックアップに回ったことは自分の中での大きな転機となった。
 親戚のほとんどが医療関係者であったが、医療に従事すべきか悶々とした日々を過ごす中で様々な本を読み漁り、IT分野に興味を持った。ITで世の中を良くすることに思いを抱き、3年間のモラトリアム期間を経て21歳で大学へ入学した。
 大学に入学してからは今までの鬱憤を晴らすかのようによく遊びよく学んだ。野球・学園祭サークル、天文部に所属し色々なタイプの人と話す楽しさを知る。大学生活に退屈し始めたときに、アルバイト先のバーが午前中は使用されていないことに気づき、不稼働資産を利用したスペースシェアリング事業を始める。当時は「airbnb」や「SPACEMARKET」はメジャーではなく、大学周辺の居酒屋等と交渉し、昼間集まる場の無い大学生向けにスタート。予想していなかった子持ちの女性が喜んでくれた際にビジネスの楽しさを身を持って感じた。しかし大学周辺以上には広がらなかった。
 2回目の起業は、京大生と団体を立ち上げ、関西まで積極的に学生を取りに来ていなかった大手企業を関西に呼びイベントを開催する事業であった。学生を70-80人程度選抜して関西にも優秀な学生がいることを訴えた。売上は安定し、関西では有名な選抜コミュニティとなったが、この事業も拡大できず、泣く泣く売却した。0から1を生み出すことは得意だが、1を10にするスキルが乏しいことに気づき、就職活動を始め、インド南部のバンガロールの遠隔医療ベンチャーDocsAppでインターンとして働かせてもらうこととした。バンガロールは「世界のITを牽引する都市」と言われていたが、想定していたほど発展しておらず、日本の都市のレベルの高さを実感し、インターン終了後、日本で事業を興したいという気持ちが高まった。インドの圧倒的に優れていた点は、「スピード感」であり、今の仕事に生きている。帰国後、様々な業界の新規事業に特化した伴走支援を行う株式会社ReLicへ入社。代表の北嶋さんの「挑戦者より挑戦し、1000の大義ある事業と大志ある事業家を創出する」という想いに共感したためである。同社では入社式を新入社員が開催するほど自主性を求められた。

新規事業について

 新規事業開発を行う目的は、売上向上だけでなく、「競争力の維持と向上」「次世代の人材育成」がある。アイデアの捻出法であるが、「構想の起点」と「課題の定義」の二軸で大きく3つに分かれる。課題の質を見極める観点は、「課題の広さ」「課題の発生頻度」「課題の深さ」であり、ここでしっかりと考え込まなければ上手くはいかない。新規事業はあくまでトライ&エラーの連続なのでスピードが大事であり、プロトタイプを作りデータを蓄積する取組みを高速で行うことで事業創出の確度は上がる。新事業を創出できる人材は世の中に10%と言われており、どう発掘し育てていくかが企業の未来を左右する。各部署のエース級を集めるのではなく、新規事業に合った人材を見つける必要がある。現状に疑問を持つ人、失敗しても諦めずやりきる思いのある人など素養を持つ人を見つけ育てることが重要である。
 私は会社員時代に社内で新事業を創出するよう指示を受け、当時メドピアCOOであった林光洋氏をプロジェクトリーダーとし、ドコモから出資を受け、アプリ開発に取り組んだ。この経験は現在の私の血となり肉となっている。アメリカでは当たり前のように存在する近所の方々と情報交換するアプリが日本にはなく数億円の出資を受けて3年間取り組んだが上手くいかなかった。しかし、どうすれば成功するか考え続けたことは今の自分に生きており、独立心が一層高まった。
 健康経営事業は、会社員時代から興味があり、株式会社マイ・ポジションを起業した。近年、健康経営が注目されているが、少子高齢化や人口減少が進むにつれて従業員の採用が今以上に困難になる中、従業員の健康管理は、企業業績向上や離職率減少など大きな効果がある。歯科検診の促進は、健康優良法人認定のためのポイント獲得にもつながるため、インセンティブになる。メイン事業の企業歯科検診は、企業の会議室で従業員の歯科検診を行うものであり、就業後や土日に行かなければならない負担が軽減され受診が促進される。
 日本は健康保険の仕組みがしっかりと構築されているため、予防歯科が根付いていないが医療費削減のため義務化される潮流がある。事業を開始した直後に厚生労働省が、歯科検診義務化を検討し始め、企業からのオファーが増えた。義務化に向けて企業担当者に寄り添った検診管理システムを開発した。このシステムを導入することで従業員の健康状態が見える化され、企業担当者の工数が大幅に削減された。また、非医療者にも分かりやすいカルテを採用している。
 歯周病は30代後半からぐっと増加し、「生活習慣病」や「三大疾病(がん・心疾患・脳血管疾患)」のリスクが高まるが、検診でリスクを下げられる。しかし、年1回以上定期検診を受けている人の割合は44%しかいない。82%の方は歯科検診を受診したいと思っているが、時間や手間がかかるという理由から受診できていない。当社では、歯科スタッフと都度業務委託契約を締結し、企業へ派遣しており、企業側は福利厚生費として損金算入可能かつ「人材確保等支援助成金」等の補助金制度を活用できる。予防歯科から気持ちよく働ける環境づくりを行い、企業の底上げにつなげたい。

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【6年4月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 りそな再生の歩み~りそなショックから変革への挑戦~ 』

  • 日  時:令和6年4月17日(水) 12時00分~14時00分
  • 場  所:若宮の杜 迎賓館 2階 桜の間
  • 参加者:21名
スピーカー:
小松 美仁(こまつ よしひと)
株式会社りそな銀行
名古屋営業本部長兼名古屋支店長
写真:小松 美仁氏

会社概要

 りそなホールディングスは現在、本邦最大の信託併営リテールバンキンググループとなっている。傘下には、りそな銀行、埼玉りそな銀行、関西みらい銀行、みなと銀行の4銀行を持ち、国内最大級の有人店舗ネットワークを展開している。合併を繰り返してきたからこそ、店舗をなくすことのリスクを理解している。お客様との接点にこだわりをもち、国内No.1のリテールバンキングを目指している。
 かつて都銀13行と言われ、銀行が規模を追い求めた時代、中位行であった協和銀行、埼玉銀行が合併してあさひ銀行に、さらに2003年3月の大和銀行との合併により、りそな銀行は誕生、昨年発足20周年を迎えた。これは2003年5月のりそなショックからも20年が経ったことを意味する。昨今、企業の様々な問題が取り沙汰されるが、私には対岸の火事とは思えない。当行も過去には多くの課題を抱え、試行錯誤しながら今日に至っている。「りそなの常識は世間の非常識」と自らを律して再生に取り組んだ経験が、少しでも皆様にお役立ていただけるのであれば幸いである。

自己紹介

 東京都出身ではあるが、両親ともに長野県出身なので血は長野だと思っている。
 大学卒業後、1996年にあさひ銀行に入行し、その後は基本的に営業現場を歩んできた。昨年4月に名古屋に赴任する前は、本社で営業サポート統括部という営業に関するリソースを采配する部署にいた。一般的には営業統括部というような名称が主流だが、当行ではりそなショックの反省を踏まえて営業担当者やその先のお客様を第一に考えるという意味で“サポート”というワードが入った部署名になっている。

りそなの20年

 りそなショック当時、私は東京の茅場町支店で初めての管理職として勤務していた。「5.17」は我々にとってひとつの基点。銀行が自主的に破綻し、マイナスからのスタートを切った日であり、そして何よりお客様に多大なご迷惑をお掛けした忘れられない日である。前日の5月16日 金曜日の夜遅く、支店長から土日は出勤してほしいと連絡があった。まだ電子メールも十分に普及しておらず、お客様の名刺に書かれているFAX番号を頼りに、事態の知らせと“心配しないでください”という趣旨の内容を伝えた。
 この事態は銀行業界の横並び意識により、体力以上の貸付をしてしまったのが原因と考える。また、不良債権事項を先送りにしてしまうなど潜在リスクが溜まっており、経営に関するガバナンスが十分に機能していなかった。

再生に向けた3つの柱

 りそな再生に向けた取り組みには3つの柱がある。まず一つ目はガバナンスと企業風土の改革。JR東日本出身の細谷英二氏を会長に迎え、経営再建を進めた。処遇の3割削減や賞与カットのほか、3兆円の公的資金投入という事の重大さに直面し、社員など4000人が会社を去っていく中、若手を中心にして再生に向けたプロジェクトチームが発足した。そして、委員会設置会社への移行でガバナンス強化や意思決定のスピードアップを図ったほか、再生プロジェクトチームが挙げたボトムアップの内容を経営レベルで具現化するための委員会も設置された。社外取締役に多く入っていただくことで色々な目で議論でき、緊張感を持った経営をすることができた。
 二つ目は財務改革。旧経営陣の責任と新経営陣の責任を明確化するため、財務をそれぞれ分けて、不良債権処理を進めていった。りそなショック直前の政策投資株式は1兆4000億円近くあった。ただし、リスク要因は極力減らすためこの政策投資株式も大幅な圧縮を行った。そのほかにも関連会社のスリム化や保有不動産の整理で経費削減に取り組んだ。また給与の削減やOBの方々へ年金の減額をお願いして人件費削減から様々な人の協力を得て大きな改善を行うことができた。
 三つ目はサービス改革。「りそなの常識は世間の非常識」「世間の常識はりそなの非常識」として数々の改革に取り組んだ。15時に閉まるのが当たり前だった銀行の窓口時間を19時まで延長して営業していた時期もある(現在は17時まで)。また、銀行は待つのが当然という考えを改めて待ち時間ゼロ運動なども行った。さらには、店舗改革にも取り組み、お客様第一となる姿勢を追及した。様々な方からの意見を取り入れて改革を行っていくことでお客様を取り戻すことができた。また、「共創型オープンプラットフォーム」として、りそなの商品やシステムを真っ白な状態で提携する地銀に提供し、自社の色に染めて使っていただいている。この根底には我々が経験してきた新たに作り出す「しんどさ」を軽減してもらいたいとの想いがある。
 その他、Re:Heart倶楽部というボランティア活動団体がある。これは、りそなグループを支えていただいた皆様に恩返ししたいという従業員の想いから始まったものだ。従業員の給与から天引きした100円を植樹や清掃活動をはじめとした地域のための活動に使っている。
 このような3つの改革と、地域の皆様の支えにより公的資金を12年で返済できた。これにはお客様への感謝しかない。また、リーマンショック後の決算で黒字を出すことができたのも、これまでの財務改革等の結果だと考えている。

りそなのDNA

 このようにりそなショック以降、「変革への挑戦」「金融サービス業への進化」「透明な経営」「地域社会とともに」「ダイバーシティ&インクルージョン」というりそなのDNAを着実に培ってきたが、当時を知っている社員は1/3を下回っている。我々の世代はあの辛い時に支えていただいたお客様がいるからこそと感謝するが、この歴史や想いが廃れてしまうと、またふんぞり返ったお客様とのお付き合いになってしまう可能性もある。歴史を繰り返さないためにも、りそなショックを次の世代へ伝えることが私の責務だと思っている。

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【名古屋いちばん物語】 No.129

テーマ: 『 「住吉の語り部になりたい」シリーズ第106回 』

名古屋経営研究会・深田正雄

終戦直後の栄ミナミと納屋橋周辺

 第二次世界大戦終戦をむかえた翌月2045年9月26日米軍第25師団副司令官E.ブラウン准将と20名ほどの先遣隊が京都からジープに乗りつけて名古屋観光ホテルに到着。翌日、160名以上の米軍部隊が大成小学校(現・丸の内小学校)に進駐してきました。観光ホテルを強制収容したGHQは前進司令部を設置し、後続の2万人とも言われる部隊が名古屋港に上陸するのに備えました。

研究ノート「デジタル化資料を用いた戦後期 名古屋地域史研究の試み」表紙

 その後、モージャー氏が、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として1946年4月から1947年1月に日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真304枚が国立国会図書館デジタルコレクションとして2017年公開されました。
 78年の時を経て2023年2月3日名古屋市立大学院人間文化研究科・佐藤美弥ゼミの学生たちが料亭蔦茂の小生を訪ねて栄近辺の写真説明してほしいと面談、本年1月に研究ノート「デジタル化資料を用いた戦後期名古屋地域史研究の試み」深田正雄オーラルヒストリーとして発表されました。
 素晴らしい考察に感銘して、佐藤准教授のご了解のもとここにリポート抜粋・転載して終戦直後の栄地区を紹介していきたいと思います。

栄・南大津通界隈

 深田正雄氏へのインタビュー調査、文献調査に基づき、写真には何が写っているのか、写真170、写真182心に名古屋市中区栄の広小路通南側の大津通周辺の当時の様子を検討する。また、補足資料として写真125と写真161も用いる。
 写真170「街並み(愛知県庁名古屋市役所遠景鳥瞰)」は大津通を南方から撮影したものである。撮影地点は『居住者全図』を参照すると南大津町2丁目4番地に所在する「福寿生命」の屋上であると考えられる。近年の雑誌『中部財界』の記事 によれば、現在の大津通電気ビルは、中部配電・中部電力が1942(昭和17)年に福寿生命の本社社屋を譲り受けて使用したi後に、その土地に新築したものである。つまり、モージャーが写真を撮影した当時はこのビルは中部配電・中部電力のビルだったと考えられる。
 画面奥には愛知県庁舎と名古屋市役所庁舎(①)の特徴的な屋根が写っており、どちらの壁面も黒色の塗装が施されている。これは戦時中に米軍の空襲の被害を少なくすることを意図した防空迷彩である。大津通りには市電が運行しており、人々の足として利用されていたことがわかる。

写真170「街並み(愛知県庁名古屋市役所遠景鳥瞰)」
デジタルコレクション#170

 次に大津通両側の建築を『居住者全図』により検討する。まず東側を見る。手前の赤レンガの外観の建築から小島電気商会(②)、共済ビル(③)、千代田生命ビル(④)、広小路通を挟んで北側に再び赤レンガの外観の日本銀行名古屋支店(⑤)がある。通りの西側は、画角の問題で東側より見える建築が少ないが、写真中央の巨大な白いビルが伊藤銀行中支店(⑥)である。この銀行は名古屋で初めての私立銀行であり、1941年に愛知・名古屋両銀行と合併し、東海銀行となり、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。伊藤銀行中支店の南側には建設中の木造建築物があり、そこには「五金」と記された看板(⑦)が設置されている。この「五金」の建築は別の写真にも写っている。以下では、この「五金」について検討する。

写真170「街並み(愛知県庁名古屋市役所遠景鳥瞰)」 国立国会図書館所蔵
 ①愛知県庁舎・名古屋市役所庁舎 ②小島電気商会 ③共済ビル ④千代田生命ビル ⑤日本銀行名古屋支店 ⑥伊藤銀行中支店 ⑦「五金」の看板 ⑧ヨロヅヤ

写真182「街並み(丸栄名古屋公証人合同役場五金等鳥瞰)」
デジタルコレクション#182

 写真182「街並み(丸栄名古屋公証人合同役場五金等鳥瞰)」は名古屋株式取引所(現在の名古屋証券取引所)(①)を中央に写したものである。現在の名古屋証券取引所の位置と、右下に写る「五金」(②)の位置から考えると、この写真も写真170と同じ地点から撮影したものと考えられる。株式取引所の北側には建設中の丸栄百貨店(③)が見える。丸栄百貨店は2018(平成30)年6月に閉業したが、2022(令和4)年3月から商業施設マルエイガレリアが開業している。
 1953年当時の地図によれば「五金」とは「洋装百貨店」であるという。営業内容として「ビューティサロン」「食堂女雅美」「理髪」「パーマ」と羅列されており時代を感じさせる。写真125「街頭風景(飲食雑貨店「五金」前)」の写真には五金の開店を知らせる看板が大きく写っている。

写真182「街並み(丸栄名古屋公証人合同役場五金等鳥瞰)」国立国会図書館所蔵
 ①名古屋株式取引所 ②丸栄百貨店 ③五金

写真170
デジタルコレクション#170

 写真170が撮影された時点では建築中であった五金が完成しているのである。看板には「高級食堂・特撰雑貨の店」と書いてある。つまり、1946年以降1953年時点でも同様の飲食店と服飾関係の営業を継続していることがわかる。現代の感覚では、百貨店と聞くと松坂屋や三越、同じ写真に写っている丸栄百貨店など、大きなビルを想像してしまうが、戦後期には五金のような小さな店舗も百貨店と呼ばれていた。過去と現在の意識の違いが感じられ非常に興味深い。

写真161「日用品店「オカヤ商店」」
デジタルコレクション#161

 ところで、写真170番の写真に小さく「ヨロヅヤ」(⑧)という看板が見える。この店舗を至近距離で撮影したものが写真161「日用品店「オカヤ商店」」である。看板には「家庭日用百貨」「オカヤ商店」という文字が見える。名古屋で「オカヤ」と聞くと岡谷鋼機を想起するが、深田氏は「岡谷はこういう名前使わないで漢字で書くか笹屋っていう」と述べ、岡谷鋼機との関係はないだろうとした。この写真に写る荒物屋は個人商店だったものと考えられる。

納屋橋から名古屋駅を望む

 また占領期の名古屋駅周辺の様子について明らかにしようとした。

写真87
デジタルコレクション#87

 写真87は広小路通南側にある朝日ビルの塔屋から西方、堀川以西名古屋駅周辺を撮影したものと推定できる。
 画面中央の大きな白いビルが名古屋駅(①)であり、左側の幅の広い通りは現在の曲がり具合と一致しているため広小路通であることがわかる。また、広小路通には市電(路面電車)が走っており、新旧の地形図を比較できるサービスである「今昔マップ」 を参照すると、現在の東山公園辺りから笹島までを東西に結ぶ路線であることがわかる。画面左の交差点は柳橋交差点(②)である。広小路通を走る路線とクロスする路線は、名古屋城北西の現在の浄心駅付近から南進し、現在の日比野駅付近を経由し、築地口など名古屋港方面を結ぶ、名古屋駅の東を南北に走る路線である。

 画面左側の広小路通南側の街並みについては、『居住者全図』や深田氏へのインタビュー調査から特定できたことが複数あった。柳橋交差点から西に少し進んだ地点にある、周辺より大きく、壁面が黒色に塗装された建築は1933(昭和8)年時点では三井物産のビル(③)であることがわかる。モージャーが撮影した時点でもそのまま三井物産であったと考えられる。現在は、この場所には「三井物産名古屋ビル」がある。
 画面左手前の多角形の塔を有する建築(④)の窓の右の4文字を見ると、はっきりと判読することができないが、「○○銀行」と書かれている。『居住者全図』を参照すると、堀川と柳橋交差点の間に「明治銀行西支店」がある。しかし、明治銀行は1938年に廃業している 。改めて建築壁面の4文字をみると「静岡銀行」と書かれているようにも思われる。1966年には同地点に静岡銀行名古屋支店があるが、1946年時点で静岡銀行が営業していたかどうか、今回は明らかにできなかった。また、この建築と柳橋交差点の間に黒色の屋根で間口の広い石原商店(⑤)がみえる。
 画面中央から右側にかけての広小路通北側の地域については、『居住者全図』では個人の住宅や倉庫が多く、堀川沿いには水産市場も存在している。しかし、写真が撮影された1946年時点でも同様であったのか、写真からは広小路通以北の具体的な建築を特定することはできなかった。

堀川沿い・・・天王橋から納屋橋
写真122「街並み(鳥瞰)」
デジタルコレクション#122

 本項では、深田氏へのインタビュー調査に基づき、資料撮影当時の名古屋駅周辺のようすについて述べる。深田氏によると、当時の市電、とくに今池から栄や納屋橋の間は多くの人で賑わっていたが、堀川以西はそこまでの賑わいはなかったそうである。当時住吉町(現栄3丁目)に住む小学生だった深田氏にとっては、堀川より西はほとんど足を伸ばすことのない怖い場所であったという。具体的には、堀川の納屋橋より南側には夕方になると多くの売春婦が集まっていたというような記憶を伺った。
 写真122「街並み(鳥瞰)」は、写真87と同じ地点から南方を撮影したもので、納屋橋以南の堀川が撮影されている。広小路通と三蔵通(納屋橋の南の通り)の間には、江戸時代には尾張藩の蔵があり、のちに牢獄、倉庫と変遷した。深田氏によれば、その跡地には自動車学校や「名古屋温泉パレス」がつくられたという。名古屋温泉パレスは、夏はプール、冬はスケート場になった。2階は1,000人ほどが集まるダンスホールであり、日本人だけでなくアメリカ人も交じってキャバレーが営業されていたそうである。
 現在はテラッセ納屋橋、Colors366、コートヤードホテル、そして、川べりの船着き場も整備され新しい市民の憩いの場となってきました。

**************

出典:名古屋市立大学院人間文化研究科 人間文化研究 第41号 2024年1月
〔研究ノート〕デジタル化資料を用いた戦後期名古屋地域史研究の試み
―国立国会図書館所蔵モージャー氏撮影写真資料による―
A Study for Local History of Postwar Nagoya Using Digital Materials:
Based on Photographic Materials Taken by Robert V. Mosier
佐藤 美弥・須山 瑞月・森村 水咲

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【新会員自己紹介】

写真:小島 洋一郎氏
火曜グループ
小島 洋一郎(こじま よういちろう)
小島プレス工業株式会社
相談役

【小島プレス工業株式会社】
〒471-8588 愛知県豊田市下市場町3丁目30番地
URL:https://www.kojima-tns.co.jp/

【会社紹介】
 当社は1938年に創業し、トヨタ自動車㈱のサプライヤーとして自動車の内外装部品の企画、設計、生産までを一貫して手掛け、インテリア事業・ゼロエミッション事業・新事業の3つの領域で新たな価値の創出に取り組んでいます。
 また社是に『和』を掲げ、『人』を中心とした経営の考え方を基に、社会に貢献できる豊かな人づくりを目指しています。

【個人紹介】
 この度、産業懇談会火曜グループに入会させていただきました、小島です。
 出身は、愛知県豊田市です。趣味は美術館巡りで、長野県安曇野市にある碌山美術館や高橋節郎記念美術館が好きです。個人が所有している作品を公開している美術館はその作品をいかに大事にしているか、その人の人生も見えるようでとても興味深いです。
 皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

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写真:松本 健一郎氏
火曜グループ
松本 健一郎(まつもと けんいちろう)
中京綜合警備保障株式会社
取締役社長

【中京綜合警備保障株式会社】
〒460-0008 名古屋市中区栄3丁目35番1号
URL:https://alsokc.com/

■自己紹介
 1964年愛知県名古屋市生まれ、1989年中京綜合警備保障入社、2007年中京綜合警備保障社長に就任、現在に至ります。趣味はテニス、スキー、旅行です。

■会社紹介
 弊社は1969年設立の警備会社で今年創業55年を迎えます。綜合警備保障株式会社を中心としたALSOKグループの一員で、上場企業の連結子会社という位置付けになります。警備業はあらゆる業種の法人または個人のお客様とお取引を重ねます。よって55年を振り返りますと、お取引先法人の業界構造や個人の生活環境が大きく変化しましたので、私共も少しずつ事業内容等を見直しながら事業継続を果たしてきました。この傾向は人口減少やAIが加わりますのでこれからさらに加速すると思われます。変化はチャンスと捉え、今後も社会から必要とされる会社を目指します。

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写真:山下 英光氏
火曜グループ
山下 英光(やました ひでみつ)
⻄松建設株式会社
中部⽀店 ⽀店⻑

【西松建設株式会社 中部支店】
〒461-8558 名古屋市東区泉2-27-14
URL:https://www.nishimatsu.co.jp/

*自己紹介
 4月1日付けで中部支店長に着任致しました。
 出身は大分県ですが西松建設入社後は愛知県での生活が最も長く25年になります。2011年に名古屋から大阪に転勤となり大阪8年、広島3年、沖縄2年の勤務を経てこの度13年ぶりに中部支店に戻ってまいりました。
 転勤もこれで最後だと思いますので名古屋を終の棲家にしたいと思っています。
 皆様どうぞ宜しくお願い致します。

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写真:谷川 勝哉氏
水曜第1グループ
谷川 勝哉(たにがわ かつや)
株式会社JERA
執行役員 西日本支社長

【株式会社JERA】
〒450-6318 名古屋市中村区名駅一丁目1番1号 JPタワー名古屋18階
URL:https://www.jera.co.jp/

 株式会社JERAは、本年度設立10年目となります。
 「世界のエネルギー問題に最先端のソリューションを提供する」をミッションに、国内最大の発電会社として「電力の安定供給と脱炭素の両立」を図るべく、「JERAゼロエミッション2050」を掲げ、再エネ電源の開発とゼロエミッション火力(水素・アンモニア導入)の推進をしています。
 現在、碧南市にある石炭火力発電所において、燃焼してもCO2を排出しないアンモニアを燃料としての世界初の20%アンモニア転換発電実証試験がスタートしております。
 アンモニア燃焼技術の確立、アンモニアサプライチェーンの強化・構築を図り、将来的には、石炭→アンモニアへ100%転換を目指すとともに、国内外のゼロエミッション火力推進に貢献してまいりたいと思っています。
 私は3月末まで碧南火力発電所、4月より西日本支社に在籍となりました。
 今後、中部地域の経済界のみなさまと多方面においてお世話になりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

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写真:大谷 真哉氏
水曜第2グループ
大谷 真哉(おおたに しんや)
中部電力株式会社
専務執行役員 事業創造本部長 愛知県担当

【中部電力株式会社】
〒461-8680 名古屋市東区東新町1番地
URL:中部電力ホームページ(chuden.co.jp)

【自己紹介】
 中部電力の大谷真哉です。2024年3月末まで中部電力の販売会社「中部電力ミライズ」の社長をしておりました。中部電力は地域のみなさまの生活や産業活動を支えることを使命に事業活動をしており、今後も中部地方の未来に貢献できるように全力を尽くしてまいる所存です。
 私の出身は岐阜県西濃地方、趣味は歴史探索です。

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写真:大矢 顕氏
水曜第2グループ
大矢 顕(おおや あきら)
大矢伝動精機株式会社
代表取締役

【大矢伝動精機株式会社】
〒460-0016 名古屋市中区橘1丁目5番1号
URL:http://www.ods-co.jp

■会社紹介
 当社は昭和29年会社設立以来、約半世紀にわたりFA機器・鋼材・金属加工の卸商社として、「省人化/最適化調達/VA提案のスペシャリスト」を目指し経験豊富なスタッフと共に、お客様のニーズに対して絶えず「ワントゥワン」を意識して日々努力、精進してまいりました。「ものづくり業界の課題解決を通じて、ワクワクする会社を創る」を経営理念として、その時代に合った製造業の「困ったこと」を解決することを事業としております。

■個人紹介
 製造業の「困ったこと=つながり」を通じて未来に必要とされる製造業インフラつくりの為に一般社団法人ものづくりパートナーズを2022年7月に設立しました。
 「長所×長所」で新たな事業を生み出すこと、ワクワクする社会を作ることを目的として、毎月の交流会、ものぱのつながりアプリ、各課題に対しての研究所の立ち上げ、オアシス21での若手の企業を繋げるフェスティバル、FM愛知でのラジオ出演等させていただいております。「これをしたら面白いのでは?」を大事にしています。
 よろしくお願いいたします。

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写真:大矢 顕氏
水曜第2グループ
鈴木 清美(すずき きよみ)
名古屋鉄道株式会社
取締役副社長

【名古屋鉄道株式会社】
〒450-8501 名古屋市中村区名駅1-2-4
URL:https://top.meitetsu.co.jp/

 この度、産業懇談会水曜第2グループに入会させていただくことになりました。どうかよろしくお願い申し上げます。

 私は、1983年に名古屋鉄道に入社し、主に鉄道事業を中心とした業務に従事してまいりました。現在は「魅力ある地域づくり・まちづくり」と「公共交通を中心とするモビリティネットワークの実現」を掲げまして、交通、開発、観光の三位一体となった取り組みを進める「地域活性化推進本部」を担当いたしております。この地域を代表されます会員各社の皆様方には、様々な情報交換やご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 さて、当社は1894年に愛知馬車鉄道として設立され、その4年後に日本で2番目の電気軌道を開業いたしました。また、鉄軌道のほかにも、タクシー、バス事業を開始、戦後には不動産事業、百貨店業、旅行業、ホテル業など事業領域を拡大し、輸送に関する事業として、トラック事業、航空事業、海運事業を展開してまいりました。
 今日まで、地域の皆様にお支えいただきながら、本年6月に創業130周年を迎えることになりましたことに、心より感謝を申し上げます。

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【6月度産業懇談会のご案内】

 6月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

屬ゆみ子
富田 茂
広井幹康

6月11日(火)
12:00~14:00

『「顧客の創造」から未来を拓く…「アムール・デュ・ショコラ」の取り組みを題材に…』(仮)
株式会社ジェイアール東海高島屋
取締役会長 小林 創 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

6月19日(水)
12:00~14:00

『高速道路の今とこれから』(仮)
中日本高速道路株式会社
取締役 常務執行役員 近藤 清久 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

水曜第2グループ

香川裕子
高見祐次
名倉昌孝

6月12日(水)
12:00~14:00

『三菱商事の人材育成・活用ビジョンについて』
三菱商事株式会社中部支社
支社長代理兼総務部長 相澤 基 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

6月6日(木)
12:00~14:00

『リソルでウェルビーイング!』(仮)
リソルライフサポート株式会社
取締役営業統括 名古屋支店長兼大阪支店長 行方 里司 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

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【7月度産業懇談会のご案内】

 7月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

屬ゆみ子
富田 茂
広井幹康

7月9日(火)
12:00~14:00

『相場との付き合い方~元為替ディーラーによる“相場心得”~』(仮)
東栄株式会社
取締役社長 九鬼 史英 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

7月17日(水)
12:00~14:00

『日本の製造業との共創により、サステナブルな社会を実現する』(仮)
株式会社ワイ・ディ・シー
取締役社長 田中 剛 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

水曜第2グループ

香川裕子
高見祐次
名倉昌孝

7月10日(水)
12:00~14:00

『営業DXは、何からはじめるべきか』
Sansan株式会社 中部支店
支店長 竹内 大輝 氏

若宮の杜
迎賓館
1階 橘の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

7月4日(木)
12:00~14:00

『SDGs取組事例のご紹介『フードロス削減BOX ZERO』』
三菱HCキャピタル株式会社 常務執行役員 鈴木裕之氏のご紹介
ZERO株式会社
代表取締役 沖杉 大地 氏

名古屋観光
ホテル
3階 桂の間

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【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会
のご案内】

 4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。

日時
令和6年8月24日(土) 9:00スタート
(東→中・中→西・西→東コースの3コースいずれかでラウンド)
場所
明智ゴルフ倶楽部 ひるかわゴルフ場
岐阜県中津川市蛭川5735-3 Tel:0573-45-3311
会費
16,000円内外(食事付)
集合時間等
  • 現地集合としますので、8:30までにお越しください。
    ※8:45より開会式を開催します。
  • 競技方法は、ダブルペリア方式とします。
出欠のご連絡
  • ご参加を希望される方のみ、7月25日(木)までに「会員専用ページ」からご登録をお願いいたします。
    (参加者は会員限りとし、代理出席はお断りさせていただきます)
  • 定員40名に達し次第、申込みを締切させていただきます。
  • プレーのキャンセルは、8月16日(金)までに事務局までご連絡ください。8月17日(土)以降キャンセル料が発生いたします。
  • ご参加の方には、組み合わせ等の詳細を後日ご案内いたします。
ご案内先
代表幹事、直前代表幹事、常任幹事、監事、産業懇談会会員
お問合わせ先
中部経済同友会事務局 担当:廣瀬・藤原 Tel:052-221-8901

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.71

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 十勝岳にも夏きにけらし 』

写真:4人の男性
愉快な恐竜たち

 4月18日、同友会福井大会に参加した。
 その数か月前から、写真のお兄様方から「恐竜コスプレしたいんだけどさあ~」とのご相談。みなさんはどうやら着ぐるみなどで盛り上げようとしていたのだが、正月の震災の後だけに、あまり派手にチャラチャラするとヒンシュクをかうのではと、頭を悩ませていた~どうやら何もしないという選択肢はなかったようだ。「じゃあさ、カチューシャとか、帽子とか、グローブとか、部分的なのはどうかしら?」とご提案。すっかり私も何かする気になっている。で、さっそく通販で恐竜グッズを探すも、子供だましの玩具ばかりでしっくりくるものがない。

写真:恐竜のぬいぐるみのついたカチューシャ

東京なら秋葉原辺りに面白そうなコスプレを売っているかもなのだが、ここでは見つけられそうになく、気なしに福井の恐竜博物館のホームページを開くと、なんとお土産通販があり、そこで見つけてしまった!!恐竜カチューシャ。これだと思いみなさんに御伝えし、早速購入。当日はお揃いでいい感じと思っていたのだが結果は写真の通り。「なんかさあ、上手く買えなかったんだよね、だからさ、子供から借りてきた」と、恐竜フィギュアをひもで縛って頭に乗せるという荒業をやってのけた。
 その甲斐あってか、福井の同友会実行委員の皆さんはじめ、いろんな方からの写真撮影の申し込み。多分全国の同友会会報に載るんじゃないかという人気ぶりだった。後乗りした私も少しばかり盛り上げに貢献できたのかしら…。

 そんなことより大会の内容はどうなのよ、とのお声があるやと思いますが、それは事務局でちゃんとまとめてみなさんに報告があると思うので、そちらをご参照下さい。テーマは少子化への取組でしたが、壇上で、おじさんメインでのディスカッションは、NHK朝ドラでいう「はて??」な部分も否めない。生物学的性差はお互い乗り越えられないものなので、どんなにアンケートを取って頭の良いおじさんたちが精査したところで、物事は計画通りに進まない。私は子供を病気で失った身なので偉そうなことは言えませんが、ただね、一つだけ言わせていただければ「この人の子供を産みたい!」と思う男性がいないことも超チョー問題だと思うのです。日本の男性の2~3割が大谷翔平だったり、タッキーだったりしたら女子たちは喜んで遺伝子残そうと思うでしょうに。男性の皆さん、胸、少し痛んでね。

 さて翌日、永平寺の西田副監院のありがたくも面白いお話を伺い、お弁当を頂いた後、開通間もない「はくたか」で東京へと向かう。乗り換えしなくて便利と思っていたのだが乗車時間3時間半はさすがに長い。おまけに途中の熊谷で、風による倒木が線路を塞いだとかで、その除去に30分弱かかり、結局1時過ぎに福井を出て、東京に着いたのは5時半。6時から明治記念館で恩師のお弔いの会だったのだが、ホテルで着替えての移動でギリギリ滑り込んだ。
 そこに用意されているGRANDS VINS 高級ワインの数々。恩師がご存命なら「人を肴にしてよくもこんな高級品揃えたもんだ」と一笑に付したことだろう。恩師にはそれでもなお余りある功績がある。私たちが今こうしてワイン好きと称しておいしいワインに毎日ありつける…先生のお力は偉大だ。ましてやこんなひよっこが、よもやワイナリーなど作ろうとは夢にも思わなかったことだろう。初めの一本は是非ともテイスティングして下さいとお願いしていたのだがそれも叶わなくなった。
 2年前、「ワイナリー始めます、ご出資お待ちしています」とお話ししたとき、諸先輩方は口々に「ゆみ子ちゃんのワインができる頃はもうあの世だからなあ」と仰っていたけれど、もちろん旅立たれた方もおいでになるけど、何の、まだご存命の先生方もおられる。すごいワインでなくてもいい、私らしいワインが作れたら…、それが敬愛する諸先輩方への、恩師への恩返しになったらいいなと願っている。

写真:畑2
写真:畑1

 そして今年も山形から葡萄の苗木250本が送られてきた。
 友人と総出で植樹をする。昨年Ⅹとインスタに#domainebebeluiをアップしてから、グーグルマップの検索数とフォロアーが少しずつ増え、つい先日も、雪解けでまだ何もない畑見学の申し込みがあった。1から始める畑は、これからワイナリーにチャレンジしてみたい若者たちにとって、かなり興味深いらしい。
 昨年は慣れない現地管理者の元、病気で成長途中の枝を伐採しなければいけなかったが、今年から畑に来てくれている、京都出身の女性は、私より畑に詳しく頼もしい限り。

写真:畑4
写真:畑3

高倍率の北海道大学ワインアカデミーにも選抜され、この土地の地質調査にご協力くださった諸先生方にも覚えめでたく「名古屋の突撃人の畑」の管理人として、ますます盛り上げてくれるだろう。

 林の蝦夷春鳴き蝉が鳴き止むころには、苗も芽吹き、緑まぶしい夏を迎える。現地情報では今年も暑くなるらしく、小鹿が麓でなくうちの畑近くで遊んでいるという。微笑ましい光景なのだが、うちの新芽だけはご勘弁、さっそく鹿よけネットを用意して…。
 そうしてまた北の大地に汗かく季節がやってくる。

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コラム2 【師、曰く】 No.36

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメント、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆。

『 ご同行~その弐~ 』

 “ご同行”(ごどうぎょう)は、No.22で取り上げた。恩師、田坂先生は、私達との関係を師弟ではなく、人間としての成長、同じ山の頂を目指す“ご同行”と言われた。無論、自戒の思いも込めての言葉であろうが、本気でそう言われる。先月に続き、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の物語が、正に“ご同行”なので、再びこのテーマを取り上げた。女性初の弁護士、裁判官の三淵嘉子さんがモデルの主人公寅子(ともこ)は、女性が弁護士になる権利さえ持たない頃から、弁護士になる道を信じて大学に学ぶ。そこに学ぶ女子学生は、差別に抗い、試練に傷だらけになり、道なき道を切り拓いていく“ご同行”に他ならない。妻を暴力で虐げる男への怒りを顕わに、「本来、法律は、力を持たない私達が、ああいう屑をぶん殴ることができる、唯一の武器」と言う友に、「法は弱い人を守るもの、盾とか傘とか温かい毛布とか、そういうものだと思う」と寅子は返す。わかり合えないと吐き捨てる友と、過激な友を敬遠する仲間達に、寅子は言った。「私達は、一個の人格者として認められていない女のくせに、法律を学んでいる。地獄の道を行く同士よ。考えが違おうが、共に学び、共に戦うの。」これこそ、まさに、“ご同行”。

 師、曰く『同じ山の頂を目指すとき、経験を積んだ先輩のご同行も有難いが、自分と同じ未熟な者同士、悪戦苦闘しながら、共に歩んでくれる“ご同行”こそ、心から有難い存在ではないですか?』

 人は時に、社会的に成功した人にだけ、敬意を払ったりする。その根底には、どこか卑屈さと傲慢さが忍び込んでいる。そこに警鐘を鳴らす意味も込められているのだろう。険しく厳しい山登りで、ずっと先を歩む先輩は有難い目標ではあろう。しかし、すぐ横で自分と同じく、傷だらけで同じ痛みを分かち、励まし合い、諦めない眼差しで頂を見つめる、“ご同行”が居てくれるからこそ、心を奮い立たせ、また一歩、歩を進められるのではないですか?田坂先生は、きっとそう言われている。現実は厳しい。山が険しければ、脱落者も出てくる。ドラマも同様、卒業した友らが、一人、また一人、已む無く脱落してゆく。その悔しさ悲しさを、寅子は誰よりも知るが故に、“ご同行”の思いを背負い、幾重の試練を乗り越え、信じる道を突き進んでゆく。

 学生時代、若きゆえの未熟な理由で、大学に行かなくなった時があった。心配した友が私の部屋まで来て、引っ張り出し、試験前だと言うのに部屋に泊め、別の友も遠方から来て、一晩中、話を聞いてくれた。お蔭で、今の私がある。仕事で、魂を注ぎ込んだプロジェクトがあった。メンバーの各々が為すべきを為し、7年で結実した。同じ山の頂を、共に目指した仲間達。“ご同行”への感謝を、しみじみ思う。山の頂は、田坂先生の言われる「人間としての成長」だったり、「地域の未来」や、「業界の革新」など、人それぞれ様々にある。そういった素晴らしい山の頂を、これからも目指して行きたい。そして、素晴らしい“ご同行”の方々と、切磋琢磨し前進してゆきたい。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真:滝
(熊野三山、那智の滝)

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コラム3 【げんき通信】 No.9

学校法人佑愛学園
愛知医療学院短期大学
リハビリテーション学科作業療法学専攻
助教 外倉 由之

『 いつまでも楽しく安全に食べるために 』

 5月になりますと、気温が上がり過ごしやすい季節になります。しかし、ゴールデンウィークも終わり、新しい環境に慣れた頃「体調がすぐれない、やる気が出ない」と精神的・身体的に不調を感じることがあります。
 いわゆる「五月病」です。
 予防のためには、規則正しい生活と栄養バランスの取れた食事が良いと言われています。そして、食事を摂る際の「姿勢」にも着目してください。
 私たちは、高齢になるにつれ、噛む力や飲み込む力が弱くなります。そして、姿勢が悪ければ消化が悪くなり、誤嚥のリスクがあります。
 そのため、おいしく「安全に」食べるためには食事姿勢が重要となってきます。

姿勢保持しやすい座面と食卓の確保

「良い姿勢」図解
(出典)作業療法学
ゴールドマスターテキスト8日常生活活動(ADL)
福祉用具学,メジカルビュー社,2012より

 今回は、椅子による一般的な「良い姿勢」を紹介させていただきます。
 ポイントは

  • テーブルに対して平行に座る
  • テーブルの高さはおへその位置
  • 椅子に深く腰掛け、膝を90度程度曲げる
  • 足は床につける
  • 姿勢は少し前かがみ、あごを軽く引く
  • 食器は手の届く位置に置く

 体がかたむき、椅子にもたれてあごが上を向いている姿勢では、のどから気管への角度が直線になり、食べ物が気管に入りやすく誤嚥につながるリスクがあります。ぜひ、日頃から姿勢を意識し、楽しく安全に食べて「5月病」を予防していきましょう。

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