【6年1月度 「代表幹事講話」ならびに「新年合同懇親会」】
テーマ: 『 経営雑感“中堅企業の生き残り” 』
- 日 時:令和6年1月25日(木) 17時30分~20時30分
- 講 話:17時30分~18時40分
- 懇親会:19時00分~20時30分
- 場 所:名古屋マリオットアソシアホテル 17階 タワーズボールルーム
- 参加者:64名
自己紹介
1956年愛知県北名古屋市に生まれ、日本大学を卒業後、1982年に天野製薬に入社、1995年より社長に就任した。趣味はテニス、旅行、読書であるが、学生時代は撮鉄として、豪雪の北海道など、日本各地に赴き鉄道の写真を撮影していた。
会社紹介
当社は今年で創業125年を迎える。私の祖父で2代目社長の天野源一は資源の少ない日本を鑑み、「“無から有を創れ”、人の頭脳こそ資本である。自ら物を創り出すこと。新しく開拓せよ。」という天野の精神を生み出した。1899年に配置売薬業の天野慈善堂として創業開始し、1948年に天野製薬、1996年には新薬の審査基準が厳しくなり酵素事業へ特化し、現在の天野エンザイムとなった。時代の変化に対応し、50年ごとに事業転換を行ってきた。
売上高約250億円のうち海外売上は約70%の非上場企業で、研究開発比率は約10%である。海外には米英中泰に5拠点があり、内1つが中国の生産工場だ。事業は微生物を大量培養して酵素を抽出し、粉末や液体の酵素を企業に販売している。酵素は医療・食品・工業など様々な用途に利用され、世界の酵素市場は約1兆円と言われている。市場は大きくないが、酵素は触媒として用いられるため使用量が少ない。一方で多くの産業で利用されており、最終製品の市場で見ると、酵素市場の1000倍くらいに達するであろう。
酵素とバイオ産業の未来
酵素とは、タンパク質の一種で、触媒として生命活動を支えており、主に物質の分子を切る、接着する、転換する機能を持つ。新たな酵素の発見は新しい微生物を発見することであり、現在発見されている16万種の微生物は全体の0.01%と言われており、無限の可能性を秘めている。日本独自の麹菌は、醤油や味噌など日本のGDPの約1%に関与し、2006年に国菌に指定された。
循環型社会の実現には化石燃料からの脱却が必要である。今後10年で工業生産の1/3がバイオ由来になると言われ、安価な石油製品からの置き換えが試行されている。今後はデジタル技術と最先端のバイオ技術を融合させて、微生物を作製し生産性向上に貢献していきたい。
経営雑感
当社のような世界的にも小規模な会社が生き残るためには、素早く環境変化に対応しなくてはならない。経営トップの仕事は、戦わない領域も含めた事業領域を選択することであり、当社はグローバル、ニッチ、スペシャリティを極めることとした。研究開発が根幹であり、成功させるためには社会課題解決からバックキャストしなければならず、用途なしに基礎研究が単独で進展することはない。研究者には常にこのことを伝えている。そして、利益を決めるのは営業よりも、製品設計とそれに伴う知的財産や法務である。
当社は、正しい仕事の追求、年輪経営、社員のウェルビーイングを大切に経営している。弓道に正射必中という言葉があるように、正しい仕事をすれば必ず数字は上がる。また、やりがいを持ち社会に役立つ正しい仕事をすることが大切で、数字は正しさを確認するためにあると考えており、3%の継続的成長を目標にしている。
戦略のコモディティ化が進む中、固定観念や常識の壁から脱却するために文化芸術が必要だと考えている。芸術的なひらめきから、唯一無二の価値が生まれる。また、文化芸術は共感力を醸成し、世界を平和に導くことにも繋がる。
第42代代表幹事の葛西敬之氏にリーダーの要件を伺い「大局的に物事を考え、自分なりの国家観・座標軸を持っていること」と教わった。国家を国民の幸福追求のための共同機関ととらえることが国家観である。国家の方向性を示す国是が日本にはない。これを異常と感じなくなる恐ろしさを痛感している。これは日本が存亡の危機に陥っていないからではないかと考えている。戦中・戦後を経験した方が引退してから、失われた30年が始まった。失われた30年の真因は、日本人が国家観を失ったことにあると考えており、芸術文化と国家観を大切にしていきたい。
これまでの経験から、私は“企業経営に完成なし”と考えている。いかに充実した未完で終わるかを目指している。27年間の同友会の活動に感謝すると共に、今後も皆さんと学んでいきたい。
講演会終了後は、4グループ新年合同懇親会を開催。懇親を深める有意義な場となった。
【新会員自己紹介】
【DIC株式会社】
〒460-0003 名古屋市中区錦3-7-15
URL:https://www.dic-global.com/ja/
本年1月、名古屋に着任しました。
当社は吉岡里穂さんをイメージキャラクターに起用し【彩りと快適を提供し、人と地球の未来をより良いものに-Color&Comfort-】を経営ビジョンに、広く社会のニーズに応えてまいります。
個人的には、名古屋での単身生活をエンジョイしたいと思います。
【株式会社パリパスグループ】
〒514-0131 三重県津市あのつ台1-6-8
URL:https://www.pari-passu.co.jp/
【会社紹介】
弊社は1998年、私が47歳の時に創業しました、人材派遣会社です。早いもので26年が経ちました。この間派遣業界は様々な変化を強いられてきました。様々な経済の危機の中でそれなりの役割を果たしてきました。そのような経験をもとに弊社の基本は「正社員派遣」です。毎年100名以上の新卒社員を採用して、教育して派遣する、というスキームで行ってきました。航空機の構造組立の研修、航空エンジンの修理、CAD教育や現場で働くための安全教育、何よりも未来に向かって働く人が束縛なく未来を形創ることをお手伝いする。殆どの新卒者は2~3年で最初就職した会社を辞めてしまいます。我々の会社にいるうちに本当の道を見つけるお手伝いをする。見つかったら弊社をやめて新たな道を見つけるために新たな修行をする。「ハイブリッド派遣」と言って弊社独自のシステムですが、派遣先で3年間懸命に技量を磨いて、この会社だ!と思ったら、その会社の社員になれる道を作ります。
【個人紹介】
住んでいるのは三重県の伊勢市近くです。40年ほど毎日64キロの道のりを走っています。片道1時間強の時間は人生時間の中では大事な時間です。そこで会社の事や家族の事や色々個人会議をしています。趣味は詩を書くことで、昨年個人詩集「第七詩集」を出しました。
これから皆様と色々お話が出来ればと思い木曜グループに入会しました。宜しくお願い致します。
【3月度産業懇談会のご案内】
3月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
定員は引き続き、先着40名を目安に運営します。
何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
グループ名 | 世話人 | 開催日時 | テーマ・スピーカー | 集合場所 |
---|---|---|---|---|
火曜グループ |
富田 茂 |
3月12日(火) |
『エンジニアと企業の人脈を繋ぐ~Engineering Bridgeの活動』 |
名古屋観光 |
水曜第1グループ |
淺井博司 |
3月27日(水) |
『これからの証券ビジネス』 |
名古屋観光 |
水曜第2グループ |
大倉偉作 |
3月13日(水) |
『NTTグループにおけるハイブリッドワークの現状と課題』 |
若宮の杜 |
木曜グループ |
河村嘉男 |
3月7日(木) |
『建設業の未来と私』 |
若宮の杜 |
【4月度産業懇談会のご案内】
4月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
定員は引き続き、先着40名を目安に運営します。
何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
グループ名 | 世話人 | 開催日時 | テーマ・スピーカー | 集合場所 |
---|---|---|---|---|
火曜グループ |
富田 茂 |
4月9日(火) |
『朝日遺跡と清須城~発掘調査で探る弥生と戦国時代の巨大遺跡~』 |
名古屋観光 |
水曜第1グループ |
淺井博司 |
4月17日(水) |
『りそな再生の歩み~りそなショックから変革への挑戦~』 |
若宮の杜 |
水曜第2グループ |
大倉偉作 |
4月10日(水) |
『余病が会社にもたらす影響』(仮) |
名古屋観光 |
木曜グループ |
河村嘉男 |
4月4日(木) |
『NTTドコモの災害等への取り組み』 |
名古屋観光 |
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.68
長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子
『 冬の旅 』
年明けてから、実家の物置を整理することになり、埃をかぶった開かずの段ボールを一つ開けてみると、そこには懐かしいレコードの数々。クラシック好きの父のコレクションや、私たちがよく聞いていたビニール製のシングルレコード、泳げたいやきくんとか、アニメソングとか。懐かしくて針を落としたくなるのだが、残念なことにレコードプレーヤーはとっくに壊れている(どこかの棚の上にあると思う)。このごろはレコードも買い取る業者がいるらしいので、まとめて出そうと中を確認していると、その中の一枚に手が止まる。
シューベルト作曲「冬の旅」全24曲集。
晩年、死期を悟ったシューベルトが、ヴィルヘルム・ミュラーの詩集「冬の旅」に曲を付けたものだ。おそらく誰もが一度は耳にしたことのある「菩提樹」はこの曲集の5曲目で、このシリーズの中で最も美しく「平穏な」曲と言われている。なぜならこの元となった詩集自体が、彼女に振られて自暴自棄になった青年が、死に場所を求めて旅に出るという詩だからだ。傷心の青年の旅路を真っ白い雪が覆う~私にとってはそんなイメージだ。そんなレコードが、なぜ今私の手に止まったのか…。
年末からこの1月は、なんとも悲しい送別が相次ぎ、足を向けて寝られない恩師たちをかの地へ見送ることになった。その喪失感は、もしかしたら親を亡くすことよりも悲しいことなのかもしれない。身内なら、きっと自分の中に流れる血が脈々とつながることで、“断ち切れる”あるいは“消失”という感覚も薄れるのだろうし、ましてや年長者や長患い等があった場合は、ある種の覚悟もできるのだろう。長きにわたる恩師たちとの交流…今なお、その思い出を振り返る度、涙があふれる、そんな行き場のない悲しみに、「冬の旅」は「音」という彩を添えた。すぐに聞き返したくなったので、さっそくアマゾンにお願いする。この曲集は男性歌曲のカテゴリーで、テノール、バリトン、どちらでも転調してレコーディングされているが、いかんせん暗い。女性もメゾソプラノカバーはあるが、私的には雪女な感じがしてちょっと辛い。今回は、ヤン・コボウバージョンをセレクトし、数日でCDが届いた。
以前にもお話ししたが、私はへなちょこ歌うたいとして、ドイツリート(ドイツ語のオペラや歌曲)が苦手だと自負している。ドイツ人は体格に恵まれているので、横隔膜周りの筋肉にちょこっと力を入れるだけで、大きく響く声が出るのだが、細身の日本人やヨーロッパの若手にはマネできる芸当ではないので、基本的にベルカント発声法という、全身を楽器にする発声をする。しかし、私の場合はこれまた肋骨の幅が狭く、ほぼコロナトゥーラ(ソプラノの上の音域)なので、どっしり強く発音しなければいけないドイツ語は、息が持たないし、つらい。一昔前など「とにかく太りなさい!」などと無茶を言われた時期もあった。
オペラの世界にも歌い方や声の質など一応の流行り廃りがあるので、そのターンに合わないと歌うことすら断念したくなる。
毎年年末の第九の合唱など、決死の覚悟で本番以外はほぼ口パク(すみません(;^_^A)でやり過ごしている。のだが、誰か、特に男性が歌っているのを聞くのは何の抵抗もなく、特にヤン・コボウは若くても、ある種民謡歌手(例えが悪かったらすみません、それくらい心に響く郷愁を帯びているということ)のような柔らかさがある。
CDを車のプレーヤーにセットして運転のBGMにしてみる。毎日出勤・退社の度、たくさんの思い出が歌とともに蘇る。もちろんドイツ語の歌詞とは全く関係のないエピソードだが、行き場のなかった別れや悲しみが、「冬の旅」とともに、融けて流れていくような、ある種の清々しさを感じるようになってきた~きっと春はこうやって訪れるのだろう。
そして何日か過ぎたころ、東京で同友会の懐かしメンバーとの一席を済ませ、翌日朝6時半の飛行機で旭川に旅立たなければいけなかったので、羽田近くに新しくできたホテルにチェックインする。眠るためだけに予約したホテルだったが、これがなんとも愉快で、廊下はすべて滑走路仕様。ルーフトップに上がると、バーこそなかったが、羽田と東京の夜景が360度見渡せる。関東は季節外れの暖気だったので、近くのコンビニで買ってあったワインを片手に少しばかり黄昏てみる。
前日のワインが残る中、旭川に降り立つ。現地はポーラ・ロウ(台風並みの低気圧)の影響で積雪が150cmを超えているので、さすがにタクシーと電車移動と決めていた。
何気なくタクシーの車窓に目をやると、そこはまさに「冬の旅」。
ただ白く垂れこめた雪雲と雪原に、再びシューベルトが彩を添えた。
恩師たちの冥福を心から祈った。
コラム2 【師、曰く】 No.33
妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)
ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメント、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆。
『 自己肯定感 』
先日、身近な方から、お子さんが大学卒業後に就職が上手く行かず、浪人しているご相談を頂いた。聞けば、就職に困る大学ではない。選り好みではなく、積極的に就活しなかった為だそうだ。実家に戻ってから、奥様(母親)が心配し、つい言葉も過ぎると。母親やお子さんの心情を察し、悩まれていた。学業、就職、仕事、恋愛、何事にも大切なのが、「自己肯定感」だ。それがないと、「どうせ自分なんか」「駄目に決まってる」と、端から諦めてしまう。子育てでよくあるのは、苦労させまいと、ああしなさい、こうしなさいの指示出し。出来ないと、「なぜ出来ないの」「駄目ね」の責めの言葉。それが植え付けるのは、自己否定感だ。親は子を思い、良かれと思い指示し、出来ねば責め、本来の愛情とは裏腹の言動をしがち。子は、その言動のままを受け取る。親心を読み取れというのは無理な話で、親は人生の先輩として、子の心底を汲み取ってあげねば。
こんなことを言えるのも、私も子育てには、失敗や反省ばかりゆえ。息子に愛情も注ぎましたが、未熟な私は、指示出し、出来ねば責め、同じ過ちをしました。私の父の二の舞を踏むまいと意識しても、心通わぬ時期もあり、良き父として不合格でした。息子が大学に入る前、田坂講義に毎週正対し、私の過去の失敗や挫折を振り返る「人生の棚卸」を経て、私も迷い、間違い、転び、立ち上がって、ここまで来たのだと、私も成長の途中なのだと自覚、猛省し、上から目線が消えました。結果、息子を独立した一人の人間として、彼の意思を尊重し、認めるようになり、「そうか、そんな風に考えるなんて、偉いな!」「凄いね!よくがんばったな!」と、心から言えるようになりました。今では関係は良好、合格点かな?と思うのは自惚れでしょうか。
田坂先生は、目立たず成績も悪く、自信のない小学生だったそうですが、母から「勉強しなさい」と言われたことがなかったそうです。むしろ、母から「お前は、やれば出来るのにね」と繰り返し言われたことや、中学の恩師に、成績順ではなく、低い点数でも前回より伸びが大きいときに、腹の底から「よくやったな!」と皆の前で誉められたことで、「自己肯定感」が育ったと言われます。私の母も「勉強しなさい」の指示を、一度も言いませんでした。私が愚連なかったのも、母が辛抱強く、私を信じてくれたお陰でした。田坂先生のお母様も、辛抱強く信じ、見守っていたことでしょう。そして、誉めるべき時に腹から誉める。
師、曰く「親や教師が、子を誉める言葉には、その子の人生が懸かっている。“命懸け”で、誉めるのです。大切なのは、指示ではなく、心の奥深く染み込む命懸けの言霊です。それが、ときに、ひとりの人間の可能性を大きく開花させるのです。」
誰に対しても、改めてこの言葉を嚙み締めます。 修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
コラム3 【げんき通信】 No.6
学校法人佑愛学園
愛知医療学院短期大学
リハビリテーション学科理学療法学専攻
教授 加藤 真弓
『 いつまでも私らしくげんきに 』
昨年6月、「認知症基本法」が成立しましたが、認知症施策として、「共生」と「予防」の両輪を回していくことが重要と言われています。
「予防」は認知症にならないことではなく、先送りすること、重症化を予防することです。なぜなら、加齢とともに発症の頻度が高くなることから、年齢は最も大きな認知症の危険因子と言われているためです。加齢に伴うからだの変化は個人差が大きく、それまでの生活習慣による影響や様々な病気による予備力低下などがあります。一方で、病気になっていなくても座りすぎ(身体活動の低下)や社会活動の低下などは、身体的な機能や認知機能の低下に繋がります。
この社会活動の範囲として、「就労」「無償の社会貢献活動」「趣味・スポーツ・学習グループ」「個人活動」などがあるとされてます。「就労」はこの中で最も役割への期待が高い活動であり、男性では就労の有無により生活機能の低下のリスクに違いが示されています。また、より複雑で精神的刺激のある仕事に従事することは認知機能低下を遅らせ、認知症発症リスクを低下させると言われています。「無償の社会貢献活動」(自治会の係活動、ボランティア活動など)も社会的な役割への期待が高い活動です。「趣味・スポーツ・学習グループ(スポーツ関連のグループ、趣味グループ、習い事、高齢者大学など)」、「個人活動(1人で行う趣味、近所付き合い、友人訪問など)」の2つは緩やかな社会活動でありますが、認知症のリスクを低下させる効果があると言われています。お気づきになりましたか? 社会的な役割を持つことに加え、人と交流すること、精神的刺激があることが「予防」に重要となりそうですね。
退職を機に一気にこれらが減ってしまうよりも、「就労」と「無償の社会貢献活動」など重なりを持たせながら、しかし心理的ストレスが大きくなりすぎないように社会活動を継続することがおすすめです。
-学校法人佑愛学園は2024(令和6)年4月、愛知医療学院大学を開学いたします。-