【代表幹事年頭所感】
新春を迎えて
年始にあたり、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は、同友会活動に多大のご尽力とご協力をいただき、厚く御礼申し上げます。
さて、昨年を振り返りますと、世界情勢は先行き不透明で、かつ、複雑に絡み合っていることを改めて認識した1年でありました。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化に加えて、対立の歴史を繰り返してきたイスラエル・パレスチナ紛争の再燃は世界に衝撃を与えました。依然として世界的な物価上昇やエネルギー供給不安などは解決の見通しが立たず、世界経済に深刻な影響を及ぼしています。国際秩序の安定化に向けて、強力なリーダーシップ不在の中で、各国の連携が模索されています。
一方で、日本においては、新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが2類から5類へと引き下げられて行動制限が解除されることになり、アフターコロナ時代に向けて新たに経済活動を活発化させることができた1年でもありました。政治に関しては、長年にわたる安倍政権が終わったあと、不安定な状態が続いており国民への信頼回復が求められています。
こうした中、令和5年度の同友会活動では、「~ポストコロナと世界分断の時代を迎えて~日本企業のあり方とリーダーの要件とは」をテーマに掲げ、その中で「安全保障」と「日本人独自の価値」の2つに重点を置いて活動を行っております。月例会員懇談会等の機会に、重点テーマに関連した講演会を開催し、会員の皆様の理解促進と実践に繋がるよう取り組んで参りました。特に「安全保障」に関しては、日本の中枢で活躍をされている有識者から具体的な経験に基づいたお話を伺いました。また、日本経済に活力を取り戻すための「日本人独自の価値」においても、日本人の良さや世界との違いに気づいた様々な立場の有識者をお招きし、日本人の価値観をどう企業経営に活かすべきかを学ぶ機会となりました。
今後とも会員の皆様にとりまして意義ある情報提供や自由闊達な議論を深める場を提供していくべく努力して参りたいと存じます。産業懇談会は、会員同士が率直に議論し交流を深めることができる同友会の土台となる活動であります。引き続き多大なるご支援、ご協力をいただきますよう宜しくお願い申し上げます。
最後に、令和6年が平和で実り多い1年となりますよう、また会員の皆様のご健勝とご多幸を祈念して、年頭のご挨拶とさせていただきます。
【5年11月度 産業懇談会(木曜G)模様】
テーマ: 『 「青山高原ウインドファーム」見学会 』
- 日 時:令和5年11月9日(木) 10時30分~17時30分
- 場 所:青山高原 三角点および青山高原ウインドファーム「風のめぐみの館」
- 参加者:11名
スピーカー:
岸本 吉久(きしもと よしひさ)氏
株式会社青山高原ウインドファーム 取締役 総務部長
五藤 拓生(ごとう たくお)氏
株式会社青山高原ウインドファーム 総務部 係長
長谷川 祐基(はせがわ ゆうき)氏
株式会社青山高原ウインドファーム 設備部 係長
今回は、中部電力ミライズ株式会社名古屋営業本部の乾氏、西田氏のお取り計らいにより、青山高原ウインドファームを訪れ、風力発電を学ぶ機会を得た。はじめに、三角点で風車の迫力を体感し、その後青山高原ウインドファーム「風のめぐみの館」にて、風力発電事業について詳しく伺った。
風力発電の概要(青山高原三角点にて)
三角点からは2,000kwの風車を40基ほど見ることができる。見学会当日は、あいにくの曇天強風で見晴らしは悪かったが、周辺の4、5基が強い風を受け、勢いよく発電する姿を見ることができた。
青山高原には、株式会社青山高原ウインドファームが設置と維持管理を行う風車が60基あり、親会社である株式会社シーテックの風車も合わせ、合計89機が設置されている。うち20基が現在建て替えを行っている。2000kwの風車の羽の長さは40m、7.5tもある。現在、国内メーカーは撤退しているため日本では製造されていない。建て替え対象の風車は全てドイツ製であり、円安による影響を強く受ける。空中に設置した発電機を回転して発電するため、主軸の回転にブレが生じ、火力発電機に比べ、故障が多い。
風力発電事業について(風のめぐみの館にて)
風力発電は地球環境にやさしい自然エネルギーとして、導入・開発が加速している。青山高原ウインドファームの新青山高原風力発電所40基の風車は2期に分けて建設され、始めの18基は2016年3月、残りは2017年2月に建設された。合計で8万kwの発電量は2020年に12万kwのウィンドパークつがるが完成するまでは陸上発電の日本一であった。
青山高原は標高700~800m、南北に15kmにもおよぶ高原である。若狭湾から琵琶湖を経由し伊勢湾に吹き込む日本屈指の風の通り道であり、風力発電には最適の場所である。周辺では別の事業者が笠鳥、美里、久居榊原などで事業を営んでいる。この土地の53haの敷地を使って新青山高原風力発電所が建設された。建設には3年程度の歳月を要した。風車の高さは105mもあり、ブレード(羽)、ナセル(発電機)、タワーに分けて、交通量の少ない深夜に津港から当地に運搬され、組立てられた。最も長いブレードは全長40mもあり、そのままでは山岳地の山道の走行が困難なため、ブレードを起立させる装置の付いた日本で数少ない特殊運搬車両が使われている。建設地につくと、タワー、ナセル(80t)、ブレードの順に慎重に取り付けられる。大変難しい作業が、地上65mでスタッフのチームワークにより、行われる。40基の発電量は4万4千世帯が1年間で使用する電気を賄うことができる。風車の完成後も保守点検は重要であり、遠隔管理システムを活用しながら、日々風車の点検を実施している。風車は自然エネルギーを用いており、年間74,000tのCO2を削減することができる。風車を建設する土地は借地である。一方で数年前の熱海の土砂災害を受けて、風車建設のための山の改変が困難になった。また、環境破壊や自然や鳥獣の保護、騒音などの観点から建設に対する異議も少なくない。加えて、近隣の自衛隊笠取山駐屯地の許可も必要となる。また、風車は空の色に合う白が基本となり、国定公園内においては、会社のロゴマークを付ける事も禁じられている。さらには雪や雷など、自然から大きな影響を受ける。このように多くの制限や制約を受けながら運営している。
構造や機能について、軸以外にも雷によるGFRP製のブレードの故障も多いため、ブレードやナセルには避雷針の役割をするものが付属している。青山高原の平均風速は7m/sだが、風の吹き方によっても発電量は異なる。風速7m/sが続くよりも、風速にメリハリがある方が発電効率はよい。発電は風速4m/sから始まり、12~13m/sで2,000kwを発電し、25m/s以上になると自動停止する。発電利用率は約20%であり、設備の稼働率も上がっているため、事業としては採算が取れている。風向きや風速が変わっても最適な発電ができるよう風向・風速計を用いて風車やブレードの向きを常に調整している。ナセルに付属する風向・風速計が最適に機能するよう、風向きに対し、ナセルがブレードよりも前に来るようになっている点がここの風車の特徴である。近年の保守点検は高画質の画像をAI分析し、悪いところを特定したうえで、人による高所作業が行われる。
今後、風力発電は発展すると考えられるが、地上は先に述べた様々な制約があるため、洋上が中心となると考えている。
【5年11月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】
テーマ: 『 私・三機工業と南極昭和基地における活動報告 』
- 日 時:令和5年11月15日(水) 12時00分~14時00分
- 場 所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
- 参加者:19名
スピーカー:
自己紹介・会社紹介(波多野氏)
1964年の第1回東京五輪・新幹線開通の年に生まれ、岐阜県岐阜市で育ち、国立岐阜工業高等専門学校に入学した。小学校時代から甲子園を目指して練習してきたが、高校野球に出場できない年齢になってからは、スキー場の民宿アルバイトやバイクに熱中していた。ちなみに結婚とともにバイクの趣味は禁止となった。1985年に三機工業株式会社に入社し、名古屋支店(現在の中部支社)に配属となり、現在に至る。今の趣味は、飛行機(見る、乗る)、ゴルフに加え、ラーメンの食べ歩きである。
三機工業株式会社は、関東大震災により、建築物の復興、急速な近代化といった設備の工事需要が高まり、三井物産株式会社の機械部から工事を専門にする会社として1925年に生まれた会社であり、三井グループの中核25社で構成する二木会に属している。本社は東京にあり、売上高は約2,000億円、2,600名の社員が勤務しており、日本全国と上海・バンコク等海外各国に事業を展開している。
事業内容は建築設備(ビル空調衛生、産業空調、電気事業、ファシリティシステム)が、売上の75%、プラント設備(環境システム、機械システム)が25%になる。空調設備とは、冷暖房だけでなく、臭いやほこりなど空気の状態を総合的にコントロールする設備である。プラント設備の環境システムは浄水や廃棄物の焼却や汚水の処理等で、後ほど南極の説明をする門田氏は水処理関係に従事している。
南極観測隊の歴史は、100年以上前の1912年、白瀬中尉による学術探検に始まった。国としての取り組みは1956年に第1次観測隊を乗せた「宗谷」の派遣から始まり、現在は第64次隊が越冬中である。三機工業は、1991年の第33次観測隊より参画し、基地内の水処理施設の建設・維持管理を主業務としている。門田氏は第53次越冬隊として派遣されている。2018年の第60次観測隊からは、昭和基地の増築工事のため空調衛生部門からも参画し、増築部分の空調設備の建設・維持管理に関わっている。
南極昭和基地における活動報告(門田氏)
高知県高知市出身、現在45歳で入社22年目を迎え、妻と3人の娘がいる。環境保全に貢献する仕事ができて、かつ、南極に行けるチャンスがあるということで、三機工業に入社した。北海道支店で営業を経験した後、入社10年目に南極で越冬し、帰国後、いくつかの職場を経験した後、2023年4月より中部支社で環境システム営業を担当している。小学校から続けている剣道は5段、南極越冬中にけん玉一級を取得した。
日本の南極観測は、1912年白瀬中尉の上陸に端を発し、1957年に昭和基地が建設されてからは、様々な観測がなされ、気象・大気・電離層や海洋の観測がされている。オゾンホールの発見はその中でも大きな成果である。それ以外にも氷床深層掘削により、過去の地球環境の変化を解明したり、地球環境問題の影響も観測をしている。2017年時点で、20か国41基地で越冬観測が行われている。
私の南極観測隊員への道のりは、派遣要請により、2011年1月に候補となったことから始まる。翌月には健康診断、3月には候補者が乗鞍高原に集合し、冬期総合訓練を行った。ここで観測隊の歴史や観測の目的・意義、隊員の心構えなどを学ぶとともに、南極で使用するハンドベアリングコンパスを用いたルート工作訓練、マイナス10℃程度の中、2人1組で簡易テントに1泊する訓練を行い、連帯感を高めた。また、5分前集合や飲酒のマナー等も教わった。6月にはミッションを詳細に把握するための夏期総合訓練が行われ、11月に万全に出発できるよう備品の取り扱いや確認、重機の運転訓練などの準備が進められる。
南極観測船「しらせ」はオーストラリアを経由し、南極に向かい、隊員は空路でオーストラリアで合流する。私の第53次越冬隊は昭和基地20km手前で悪天候と厚い氷により接岸を断念し、ヘリコプターで昭和基地に入った。物資の運搬は2週間以上かかった。昭和基地は、南極大陸から約4km離れた「東オングル島」と呼ばれる小さな島にある一つの街で大小60もの建物がある。建物は高床式で、主風向である北東方向に平行に作られている。これは強風を受ける面積を極力小さくし、風が床下を吹き抜け、建物自体が雪に埋まらないようにする工夫である。他にも南極の環境に適応した建物や風力発電設備が設置されている。南半球の昭和基地は名古屋と季節が逆になっている。平均気温は名古屋の16.2℃に対し、昭和基地はマイナス10.5℃だ。12月と1月は白夜で、6月と7月は極夜になるのは極点特有である。隊員は総勢31名で、研究・観測部門が4割、設営部門が6割で、私は設営部門の環境保全の担当だった。
南極は、人類が生産活動を行わない唯一の大陸、人が手を加えない自然環境が残されており、科学的価値がある。1959年に南極条約により領土権の凍結などを申し合わせて、各国が協力しつつ、調査・研究が進められてきた結果、基地規模が飛躍的に拡大し、南極の環境に大きな影響を与えるようになった。1991年に「環境保護議定書」が採択され、動植物の保護、南極本来の生態系をありのままにするために、食用以外の植物、犬・鳥などの動物の持ち込みが禁止された。コケや細菌についても保護対象となっている。1991年当時の昭和基地周辺は廃棄物が放置され、汚水が放流されており、環境保全の対応が急務であった。1991年の第33次隊から第57次隊の25年間で当社は12名の社員を派遣し、現地の特殊条件に対応した廃棄物管理と汚水処理の対応にあたった。現在も2名の隊員が派遣されている。廃棄物は年1回の物資輸送の時に日本に持ち帰るよう、分別を含め処理される。電力供給量の少ない南極では、最小限の電力で汚水処理を行う必要があるなど、制約は少なくない。第54次隊は過去最高の242tを持ち帰った。汚水処理設備も当社が1999年に導入・維持管理し、2011年に新方式のものに更新されている。南極の環境保全で重要な事は、環境保全に対する意識や雰囲気づくり、ルールの周知、共有化、これらをこつこつと実行するということで、これら3点を踏まえて起こす小さな行動の積み重ねが、地域や地球の環境保全につながっていくと考えている。
南極での生活は苦労が多く不自由だと思われているが、インターネットも配備された個室もあり、何でもできる環境が整い、快適である。食事はプロの料理人が2名おり、毎食おいしい料理を振る舞ってくれる。曜日感覚を維持するため、毎週金曜日はカレーの日になっている。うな重や刺身なども出される。野菜は自分たちで水耕栽培している。他にもお風呂、床屋、バー等も揃っており、隊員が運営している。病院に2名の医師隊員がいる。
真冬のブリザードは大変危険であり、風速30m/sで外出禁止になる。年間で最低20日以上はブリザードになる。ブリザードの後は数日間の除雪作業となる。事故や災害に備えた教育訓練も欠かさず行っている。また、極寒の中で雪上車のキャタピラの氷を剥がし、1,000本のボルトを締め直すという苦行もある。一方で楽しみも多くあり、業務の合間や休日を利用し、いろいろなイベントを開催している。月1回は屋内外でスポーツ大会があり、その他、有志で剣道やけん玉も行った。美しいオーロラを楽しむ事も昭和基地ならではの楽しみである。
最後に、私が越冬生活を通して感じ、学んだことは、厳しい南極の特性を知り、過去の事例や先人の知恵を学びつつ、想像力を働かせて、目の前の現実と向き合うこと、事故を起こさないために、潜在リスクを知り、予防手段を立てて生活すること、全ての行動において自己責任がつきまとうことを意識して、訓練に励み、振り返り、次に活かしていくことだ。
「普段できないことは災害のような非常時にはなおのことできない」という格言を考え続けることが大切である。
【2月度産業懇談会のご案内】
2月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
定員は引き続き、先着40名を目安に運営します。
何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
グループ名 | 世話人 | 開催日時 | テーマ・スピーカー | 集合場所 |
---|---|---|---|---|
火曜グループ |
富田 茂 |
2月20日(火) |
『メンタルケアの重要性―企業メンタルケア リーダーのメンタルケアの必要性』 |
名古屋観光 |
水曜第1グループ |
淺井博司 |
2月21日(水) |
『コーヒーの基礎知識と美味しい淹れ方』 |
名古屋観光 |
水曜第2グループ |
大倉偉作 |
2月14日(水) |
『早期離職を防ぐには』 |
若宮の杜 |
木曜グループ |
河村嘉男 |
2月1日(木) |
『エネルギーと安全保障』 |
名古屋観光 |
【3月度産業懇談会のご案内】
3月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
定員は引き続き、先着40名を目安に運営します。
何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
グループ名 | 世話人 | 開催日時 | テーマ・スピーカー | 集合場所 |
---|---|---|---|---|
火曜グループ |
富田 茂 |
3月12日(火)(火) |
『エンジニアと企業の人脈を繋ぐ~Engineering Bridgeの活動』 |
名古屋観光 |
水曜第1グループ |
淺井博司 |
3月27日(水) |
『これからの証券ビジネス』 |
名古屋観光 |
水曜第2グループ |
大倉偉作 |
3月13日(水) |
『NTTグループにおけるハイブリッドワークの現状』(仮) |
若宮の杜 |
木曜グループ |
河村嘉男 |
3月7日(木) |
『建設業の未来と私』 |
若宮の杜 |
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.67
長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子
『 年越した片付け 』
あけましておめでとうございます。 皆様方にはお変わりなく新年を御迎えになっていることと存じます。 この年末年始は、芸能界も含め近しい方の訃報が相次ぎ、自宅で年越ししつつ、お世話になった皆様に思いを巡らす新年でした。
とはいえ、年の瀬は近年になくあわただしかった。仕事関係では、なんと仕事納めが31日になりそうなところ、とりあえず突貫で30日には終わろう!!と現場関係者にはかなりの負担をかけてしまったし、プライベートでは、年末お出かけ予定のない友人たちが、うちで年越しすると大挙してやってくるというので、例年の年越し&おせち料理を10人超のボリュームで調理することになり、場外市場の買い出し、京都の買い出し等々…、ついでに年末恒例第九の合唱リハーサルに本番もあって、早朝市場と隙間時間買い出しに奔走していた。
31日、何とか調理を終えて、産直で届いた蟹6キロとおせちやら何やらダイニングテーブルに何とか載せて、何ともにぎやかな大晦日だ。「食べ物はあるから、飲み物だけ持ってきて」が原則のホームパーティなのだが、やってくるメンバーはほぼおひとり様なので、普段自宅で一人飲みを躊躇していたワインボトルがバンバン並ぶ。
シャンパーニュ6本、白ワイン3本、ロゼ1本、赤3本、+ボトル4本分のジェロボエム1本、ビールの缶も何個か空いてたっけ。そんな勢いで飲んで食べて、久しぶりに紅白歌合戦などBGVに流しつつ「郷ひろみは歌うわよー!」とか言って“2億6千万の瞳”を大合唱して、エキゾチックジャパンなジャンプ!!
あの、みなさん、我が家はマンションなのですが…ぜひとも控えめに…の声掛けすら、家主の自分が忘れていた。ま、年に何度もないバカ騒ぎ、年の瀬だから心優しきご近所さんもお許しくださったのか、管理人からのクレームも届かず、カウントダウンが始まった。さすがにベランダでシャンパンサーベルは危険なので、とりあえず、手に手にグラスを高らかに「あけおめー」乾杯と相成ったのだが、キッチンで年越しそば用の鴨出汁をとっていた私としては、「みなさん、年越しそばをお忘れでは??残されては困るのよ」と声をかけると、そこは酔っ払いのいいところ「はーい!年越しちゃった!?そば行きまーす!」
散々飲んで、カニもフライングおせちもたらふく食べているはずなのだが、そばは別腹だったようだ。少しだけ自慢をすると、うちの年越し鴨そばは京都のかしわ屋さんから仕入れてくる、長浜の鴨のつくねそばなので、かなり美味しい。我が家で食べられない友人は、自分の分も購入してきてほしいとよくお願いされる。にしても、シャンパンと蕎麦か…、なんなら赤ワインでもイケそうだ。
てっぺん1時を回るころには、意外にしんみり話し込む。家族のこと、仕事のこと、それぞれ新年を迎えても、淡々と目の前のことをこなしてゆくことには変わりない。みんな大人だなぁ、そんな友人たちと今年も楽しい時間が過ごせたらいいな…などと思いながら、一人また一人帰路につく友人を玄関先で見送る…最後の一人を見送ったのが3時半、後に残るのは空き瓶と後片付けの山。そこから酔っぱらったまま、皿やらグラスやらの洗い物だけ済ませてベッドに潜り込んだ。
目が覚めるとすっかり明るくなっていて、酔いの残る頭で昨夜の祭りの後をじっと見つめる。眠っているうちに座敷童や小人たちが片付けていてくれてたら嬉しいなあ~なんて奇跡でも起こらないようなことをなんとなく願っていた私の前に広がる現実。一年の計は元旦にありなんて言うけど、今日はどこにも出かけないし、年賀状だって別に今すぐ取りに行かなくてもいいので、起き抜けシャワーの後、化粧もせずにひたすら片付けに没頭していると、マンションがきしむ音がする。間もなくけたたましい携帯からのアラート、緊急地震速報だ。
テレビをつけると同時に揺れが始まる。高層マンションの中層階だが、長周期では結構揺れる。今回の震度4では多分50センチ近い振幅になったのではないだろうか。おそらく最上階ではもっと振れてる~震度6だと最上階は5メートルくらい振れるらしい~。花瓶、食器、割れ物の落下は免れるも、つけっぱなしのテレビからは刻一刻情報が流れてくる。過去、奥尻島、新潟上越、阪神淡路の時は、東京にいて報道担当でないにしろ伝える側の人間だったので、現場の混乱ぶりに気をもむ。視聴者、被災者それぞれが欲する情報を正しく処理し、いかに伝えるか、津波速報が遅れている可能性だってある。奥尻のときは情報すらなくひどかったが、今回は揺れから2分で津波が来ていたらしいーのだが、その情報を知るのは発災後数時間を要してのことだ。
今回はまた家業の電設屋として、前回の電線不足の問題もあって大きな災害が起こらないことを願っていたにも拘らず、このような震災で北陸の停電に心が痛む。
年越しパーティに来ていた友人の一人は、実は七尾の出身で、1日に帰省するといっていたのだが、飲みすぎで寝坊して出かけられず、2日に帰ると連絡した矢先、実家で一人暮らしのお父様が被災された。お父様は無事避難されていたようだが、もし自分がそこに居たらと血の気が引いたそうだ。 他人事ではない震災、必ず東海地方にもやってくる。もしこれが東海地方で起きていたとしたら、私は部屋着で、裸足で、どんな自助をしなければいけないのだろう?いろんなシチュエーションで今一度、自己防災を見直さなければと考えた。
この度の震災で亡くなられた方へのお悔やみを申し上げます。また被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、これから続くであろう避難生活に、非力ながらお力になれればと思っています。
コラム2 【師、曰く】 No.32
妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)
ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメント、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆。
『 メメント・モリ 』
令和6年能登半島地震で被害に遭われた皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。ご家族や大切な方を亡くされた皆様へ、謹んでお悔やみ申し上げます。2024年の元日は、地震災害の恐ろしさを目の当たりにする、厳しい幕開けとなりました。
腰が曲がり辛いであろう母に、親不孝者であった私は、少しでも親孝行せねばと、神奈川の実家で大掃除三昧の年末を送っていた。気持ち良く元旦を迎え、母と息子と平和で幸せな朝を過ごしていた。お雑煮を食べ、昼過ぎに絵葉書フォトを張り付けた年賀メールをお世話になった方々に配信した。友人らに年賀メールを送っていた時、揺ら揺らと地震。震度2か3程度の体感で気にも留めずにいた。ひと段落してTVをつけた。その映像に愕然とした。3.11のような津波の映像が映し出されていた。一瞬、東日本大震災の映像かと思ったが、風景が違う。ニュースも只事ではない緊迫感で、避難を呼びかけている。石川県、能登の地震、津波の映像だった。その瞬間、正月気分が吹き飛んでしまった。大変なことが起こった。
その被害は日々の報道で言うまでもないが、極寒の中あらゆる物資不足で、過酷過ぎる状況の被災者を想うと言葉がない。私の住む自治体からも、同じ中部の仲間を助けに支援に向かわれた。様々な自治体や組織が支援に向かわれ、復旧にご尽力されている。本当に頭が下がる。しかし、一体、いつまで過酷な試練が続くのか。他人事ではない。南海トラフ地震、首都圏直下型地震、私達の未来に厳然と突き付けられた必ず来る現実。奇しくもこれを執筆しているのが1.17阪神淡路大震災の日だ。東日本大震災、熊本地震、そして能登半島地震の過酷な経験から、私達はさらに前進し、最善を尽くさねばならない。但し、たとえどれほど万全に準備を整えたとしても、逃れることのできない一つの真実が、ある。
師、曰く「人は必ず死ぬ 人生は一度しかない 人生はいつ終わるかわからない」
この「死生観」、人生の三つの真実は、コラム#3に記載したが、否応なくこの言葉を突きつけられた元日となった。私が、今、こうして生きていることは、奇跡の一つなのだと、感謝して生きるべきなのでしょう。我々は、偶々、生かされている。そうであるならば、生かされているこの命を、自堕落に過ごし浪費するのではなく、今居る場所で、今為すべきことを、今精一杯尽力して、一人でも多く周りの人が笑顔になる為に、力を尽くしたい。人は、いつ死ぬかわからないのだから。メメント・モリ(死を想え)。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
コラム3 【げんき通信】 No.5
学校法人佑愛学園
愛知医療学院短期大学
リハビリテーション学科作業療法学専攻
准教授 横山 剛
『 抑うつ気分にとらわれずに生きるために 』
昨年5月まで私たちは新型コロナウィルス感染拡大による外出自粛要請などで生活の多くの部分で制約を受けました。体験したことがないことはストレスになりやすいですが、どのような状況でも柔軟に肯定的にとらえれば脳や心に良いストレスになりやすく、「一大事!」などと否定的にとらえれば、鬱々とした気分となり悪いストレスになりやすいと言われています。この悪いストレス状態が持続すると脳や心にダメージを与えると考えられています。
抑うつ気分を生み出す考え方の特徴
- マイナス思考………様々なことをネガティブにとらえる
- 心のフィルター……たった1つの良くないことばかりに目がいってしまう
- ○○すべき思考……○○すべきだ、とできない自分を責め自分を追い込む思考
- マイナス思考………0か100かの思考…失敗か成功しかない考え方
- 極端な一般化………絶対に○○(否定的なこと)だ、と思い込む
- 自分で実現してしまう予言…ネガティブな思いになる場面ばかり思い浮かべるために結果ネガティブなものとなってしまう など
ほとんどの人が多かれ少なかれこのような特徴を持っていると思います。これらの考え方にとらわれている状態が長く続くと、その人の活動・生活・人生に大きなダメージを受けてしまうので、早めにそこから逃れることが大切です。
抑うつ気分を手放す方法
- ネガティブになりやすい自身に気づく
- 辛くても一日にあった出来事で良かったと思うことを列挙する
- 何事も感謝してみる
- 忙しくてもリラックスする時間を敢えて作る
- 食事や睡眠を整える など
様々な出来事をどのように受け止めるかによるかによって悪いストレスとなると考えられますので、ネガティブな受け取り方をしやすい人はまずご自分がそうなりやすいことを理解して受け入れる必要があります。仲間がいると心強く、そういった特徴を教えてもらえる機会が増えると思いますので一人で抱え込まないことが大切です。また、完璧を目指すとほんのわずかなミスがより大きな失敗体験となりかねませんので、スモールステップで継続していくことが大切です。ネガティブな気分に支配されずにどのような状況でも希望を持って歩みを進めていくことはできます。
医療機関にかかっている方は、主治医の先生に相談しながら行うと良いでしょう。
-学校法人佑愛学園は2024(令和6)年4月、愛知医療学院大学を開学いたします。-