【5年6月度 産業懇談会(木曜G)模様】
テーマ: 『 ANA コロナ禍 1000日の取り組み 』
- 日 時:令和5年6月1日(木) 12時00分~14時00分
- 場 所:名古屋観光ホテル 曙西の間
- 参加者:32名
自己紹介と会社の概要
1991年に客室乗務員としてANAに入社し、2007年にインフライトマネージャーに昇格。人事教育、機内安全・サービス企画などを経験し、2018年に経営管理職に昇格したタイミングで、ANAの人事制度に則り、総合職に転換した。2019年の国際線が絶好調の時に宣伝部に異動し、積極的な宣伝活動を行っていたが、翌年のコロナ禍で、プロモーション活動が、突如、停止する経験をした。2021年に名古屋支店に着任し3年目。現在は乗務を行っていないが、機内で流れるANAのオリジナル曲を聴くと、自然とお客様の笑顔が思い浮かぶ。
ANAの前身は、日本ヘリコプター輸送。1950年GHQによる民間航空機の運航禁止命令が解除された2年後、2機のヘリコプターと28名の社員と役員で発足した。当初は農薬散布や救急看護搬送など、あらゆる業務を受注するベンチャー企業であった。創業者の「現在窮乏、将来有望」今は苦しくても、頑張っていれば、成功するときが来るという言葉を胸に、努力と挑戦を重ねた。また、徹底的に議論を重ね、決めたことは一致協力して実行しようというD&Iの思想である「和協」も大切にしている。更に3代目社長の「信はたていと、愛はよこいと 織り成せ人の世を美しく」は、「信念」と「愛」で織りなす相互信頼、調和の促進を世界に広め、美しい世の中をつくっていこうという現代のSDGs的な思想もある。このような創業者達の言葉を「ANAグループのDNA」として大切に受け継いでいる。
これまでの歴史を紐解くと、同時多発テロやリーマンショック、SARSなど厳しい状況にも直面しているが、様々な構造改革を実行し、事態を着実に克服し成長を遂げてきた。2019年には約5,962万人のお客様にご利用いただき、グループ全体の売上高は1兆9,742億円、約35,800名の従業員が働いている。定時出発率は88.7%、定時到着率は87.6%で世界ランキング1位、品質に関する外部評価では、2013年から10年連続で5スターを頂いた。
生き残りをかけた努力と挑戦
東京五輪を翌年に控えた2019年は国際線の路線拡大を進めていた。しかし、2020年1月23日に全てが変わった。ANAが中国で11番目に就航した都市、武漢が新型コロナウイルスにより完全封鎖となったのだ。一旦全便欠航したが、外務省の要請により、邦人緊急帰国のためのチャーター便を手配する事となった。武漢完全封鎖下の非常に難しいオペレーションであったが、1月29日から2月17日間に、計5回の緊急帰国便を運航し、のちにその努力が称えられ、外務大臣より表彰された。当時はこの事態も、これまでの苦難の時と同様に、ある程度の期間で収束するであろうと楽観視していたが、状況は悪化。航空旅客需要はほぼ消滅してしまった。その結果、2020年度の当期純損失は4,000億円を超える水準となった。
2021年には何とか赤字幅を最小限に抑え、2022年には黒字化した。この間、社員が一丸となって努力と挑戦の施策を講じてきた。ANAホールディングス社長の片野坂より社員に向けて、「雇用は守る」というメッセージが発せられた。メッセージはコロナ禍真っただ中の危機感の共有から、収束前の未来への希望に変わるまで、継続的に配信された。生き残るための共助として、融資や公募増資により手持ち資金の確保をした。また、自助として、人件費抑制や機体・機内設備の売却、公助として公租公課の減免などを進めた。このような人でいうところの輸血・止血的な対応に加えて、体質改善としてデジタルを活用したサービスや働き方改革、新規事業開発にも着手した。この事態において、貨物事業が救世主となり、旅客機への荷物の搭載やコロナワクチンの空輸も行った。また、コストをかけずに少しでも収入を増やすため、新規サービス提案制度「ガッツリ広場」を始めた。687件のアイデアが集まり、「お客様を笑顔にできるか」や「一発ものにならないか」等の視点で審査され、通過したプロジェクトが立ち上がった。具体的には、
- 成田-ホノルル線を就航していたウミガメを模したデザインのA380の機体、通称「Flying HONU」での遊覧飛行
- 駐機中の機体をレストランに見立ててファーストクラスやビジネスクラスの機内食を提供し、旅行気分を楽しんで頂く。
- 機体を貸し切り結婚式場としてセレモニーを開催。
- 整備士の作業着を再利用して作成されたトートバッグの販売(即座に完売)。
など、他にも多くのアイデアが実現できた。
また、ANAのマイレージクラブ会員のデータを活用したプラットフォーム会社がスタート。ネット上にショッピングモールをつくり、航空だけでなく、生活においてもANAをご利用頂けるしくみや、飛行機やカードのご利用で貯めて頂いたマイルを、日常生活でご利用頂けるようにした。私が兼務するANAあきんど株式会社もこの時期に創設された。航空セールスに加え、地域にともに暮らすコンシェルジュとなり、地域創生を進める役割も担っている。名古屋支店では、中部空港を盛り上げるために、セントレアホテルに飛行機のコンセプトルーム「ANAルーム」をオープンしたり、愛知大学とおもてなしを研究する協働事業、ふるさと納税や各地の魅力発信など、自治体と連携して推進している。どれも地域の皆様と共に企画し、様々なハードルに苦しみながらもイキイキと取り組んだ。
コロナ禍からの再生
コロナ禍を脱し、いよいよ再生を迎える時期に創立70周年を迎え、経営ビジョンを「わくわくで満たされる世界を」に刷新した。世界中のグループ社員がいきいきと挑戦を続け、お客様や社会に寄り添いながら新たな価値を提供し、世界を期待や喜びで満たしたい、そんな想いを込めている。
新経営戦略は、安全や人の力などを経営基盤に、既存のコア事業に非航空機事業を加え、社会的価値の向上を図るシナリオである。航空事業は、お客様のニーズに合わせて3つのブランドに最適化し、事業の進化と深化を進めていく。非航空分野については、デジタル化や地域創生に継続して取り組む。特にデジタルの分野では、様々な交通を統合して予約・決済するサービスも提供する。最終的にはお体の不自由な方も安心して利用できるようユニバーサルに対応する。他にも空飛ぶ車やドローンなどの次世代モビリティもカバー。「カーボンニュートラル」を確実に盛り込み、社会課題を踏まえながら、次の成長へ向け取り組む。
最後に
「現在窮乏、将来有望」といったが、コロナ禍で一瞬にして、お客様、資金、機体が消えた。一方でお客様の消えることのない応援に支えられた事も教わった。今後は恩返しできるように、80周年、90周年になってもお客様のために、自分の足で立ち、存続できる会社でありたいと思っている。
【5年6月度 産業懇談会(火曜G)模様】
テーマ: 『 NSK(名古屋ステーション開発)10大ニュースについて 』
- 日 時:令和5年6月13日(火) 12時00分~14時00分
- 場 所:名古屋観光ホテル 桂の間
- 参加者:39名
自己紹介
1982年に日本長期信用銀行に入行し、法人営業、情報系のシステム、不良債権処理などを経験した。1988年に銀行が経営破綻し、たまたま縁あってJR東海に入社することができた。もともと鉄道に興味があったということではなかったので、JR東海では、鉄道以外の新たな事業の担当を希望したこともあって、入社後は鉄道以外の事業を主として経験した。2010年にJR東海パッセンジャーズに常務として出向し、リーマンショックによる赤字脱却を目指し、ようやく出口が見えた矢先に東日本大震災が起こり、再び赤字に陥ることとなった。こうした状況の中で、同社での最初の仕事は収益回復となり、弁当工場の再編や販売の見直しなどを行った。その後定年を迎えた翌年名古屋での勤務となり、単身赴任し、駅ビルを管理するジェイアールセントラルビルで不動産管理を1年経験したのち、現職に就任した。プライベートでは、子供が小学生の時の父親の会の仲間で購入した千葉の土地に小屋を建て、月1回程度アウトドアを楽しんでいるが、最近はもっぱら草刈りに追われている。
会社概要
当社は、1987年国鉄の分割民営化によりJR東海が誕生した直後の1988年に設立された。JR東海の100%出資の会社で、愛知、岐阜、三重の3県をエリアとして、JR東海の主要駅で商業施設などを企画・開発・運営を行うとともに駅間の高架下の駐車場や倉庫などの管理を行っている。社員数は80名弱である。
NSK10大ニュースについて
きっかけは、私が社長に就任した2020年にスマホを全社員に配布したことから始まる。
スマホのアプリにアンケート機能があり、あまり使われていなかったため、これを使い今年やったことをリストアップし、全社員にNSKの今年の10大ニュースに相応しいものを選んでもらった。あっという間に回答が集まり、結果をポスターで告知することにした。最初の年は、やはり、新型コロナまん延による混乱の状況が反映された10大ニュースとなった。
翌2021年も同様に実施し、全体としては、コロナ禍の話と社内体制の整備の話を中心に一部本業である開発の話が上がってくるようになった。そして昨年の2022年は本業の開発の話が中心となった。
2022年の10大ニュース
第1位はアスティ一宮リニューアル開業である。尾張一宮駅にあるこの施設の高架下の部分が老朽化していたことから、リニューアルすることとなった。リニューアルにあたっては、“まいにち。よりみち。マーケット”を開発のコンセプトとして、日々のお買い物でご利用いただける場所を目指した。また、駅の高架下には珍しい生鮮三品(肉、魚、野菜)を扱うお店にも入居していただいた。コロナ禍で困難な場面もあったが、何とかオープンに漕ぎつけた。オープン当日は当社としては少し派手なオープニングセレモニーを企画し、中野一宮市長、中村JR東海副社長にご出席いただき、テープカットを行った。また、地元の楽団などにも参加いただき、にぎやかなセレモニーになった、地元のマスコット“いちみん”も駆けつけてくれた。平日にもかかわらず想定を上回るお客様に来場いただいた。以降、生鮮三品はいずれも好調に推移している。
第2位は本社移転である。名古屋駅の西口に新築された10階建てのビルのうち、JR東海が所有する地下1階から地上6階までのリーシングを当社が担当することとなっていた。名古屋めしをテーマにした飲食ビルにしようと動いていたが、コロナ禍により行き詰まった。そこで、一部をオフィスに変更することとし、飲食は低層階部分に集中することとした。このオフィス部分に、当社本社をJRゲートタワーから移転することにした。移転の理由は当社のテリトリーが名古屋駅の1階または地下にあるため、テナントに近い場所にオフィスを移すべきだとの考えによる。どのようなオフィスにするか社員に任せ、様々な斬新なアイデアを織り込むことができた。この本社に昨年の8月に移転したが、年末の10大ニュースの第2位に社員が選んでくれたということで、社員にもインパクトがあり、高層ビルから移転したにもかかわらず好意的に受け止めてくれているのだと感じている。
第3位は笹島高架下オフィス開業である。ささしまライブ24に隣接して新幹線の高架があり、このエリアの発展と共に当社でも積極的な開発を検討することになった。従来は、名古屋駅東口から徒歩で来るとちょうどささしまライブの入口あたりとなるため、商業施設の建設を検討してきたが、実現性の高い案が上がってこなかった。たまたま、この高架下にオフィスを建設すれば、入居を希望する会社があるとの情報があり、オフィス建設を検討することになった。高架下という限られたスペースの中で求められる床面積を確保することは大変困難であった。オフィス建設にあたり、新素材を使って2階部分を張り出す構造とするなどして面積の拡張を行い斬新なオフィスとなった。高架下では珍しい木造建築でデザインにも工夫を凝らし、木造建築関連など様々な賞に応募し、9つの賞を受賞した。また、愛知県産の木材を使ったことから、あいち木づかい賞で最優秀賞を大村知事より直接いただいた。
第4位は尾州ビレッジ開業である。これも第1位と同じ尾張一宮駅での開発だ。コロナ禍で駅前の駐車場の稼働率が下がっていたことから、新たな開発を行うことにした。1、2階建ての小規模ながらガラスを多用した少しおしゃれな建物を5棟建築し、周辺に植栽を施しテナントを募ることにした。リーシングにはやや苦労したが、なんとか全建物の入居が決まった。一宮市の目指すウォーカブルシティの構想にも合致するということで、一宮市からも好評を得ている。
第5位は金山から鶴舞間高架下新規店舗の開発である。コロナ禍で当社の収益の中心であった名古屋駅が大きく落ち込んだため、周辺の高架下の開発に注力してきた。中でも、金山から鶴舞駅間の高架下は、開発できる可能性が大きいにもかかわらず、既に開発したところは老朽化し、活用されていない場所も多くあった。そこで、このエリアの開発に力を入れ、成果が出てきた。まず、とらのこ亭というパスタの店ができた。次に24本の柱のスペースに家具ファクトリーとカフェの複合施設 24ピラーズを建設した。さらに、空き地部分は、鉄道高架橋の耐震補強工事も行い、駐車場などに活用している。これまで老朽化し陳腐化していた場所が、徐々にきれいに開発されていく様子を社員が評価してくれた。
同順で5位は、2位と同様名駅太閤通り口ビル関連で、苦労した飲食部分のリーシングが完了したことが選ばれた。
7~9位は社内的なことで説明は割愛したい。
同順の9位は勝川高架下保育園開業である。勝川駅周辺は名古屋駅に近く、若い人が多く住んでおり、保育園が不足している地域である。保育園問題は依然として一部地域に残っている。当社では、これまでは駅周辺の商業施設の開発が多かったが、地域に溶け込むような施設の開発を今後心がけていきたいと考えている。本件は新しいNSKを考える良いきっかけとなった。2022年のNSK10大ニュースの概要は以上である。
最後に
このようなアンケートは、社員の意識を知る上でも重要であり、継続することでその時その時の時代性が良く表れて大変興味深く今後も継続していきたい。
【5年6月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】
テーマ: 『 物流の24年問題 』
- 日 時:令和5年6月14日(水) 12時00分~14時00分
- 場 所:名古屋観光ホテル 桂の間
- 参加者:39名
自己紹介
1987年に社会人となった。当時は国鉄改革の最中で会社が混乱していたため、JR貨物には入社せずに地方銀行に入社した。2年程度は店頭にいたが、3年目の1989年に東京のマーケット部門に異動となった。その後、銀行に出向を命じられ、シンガポールに2年間駐在した。30歳になり帰任する時に元の会社には戻らず、会社の奨励制度を活用し、免許を取得した大型バスの運転手となった。営業所のドライバーの平均年齢は50代後半で、朝5時半から夜11時までの出勤時間のうち、運転する時だけが勤務時間であり、他の時間は解放時間であった。収入は3分の1にはなったが、解放時間に育児ができた。以前から物流は日の目をみない職業だとは思っていたが、JR貨物に入社してからこれほどまでに虐げられているのかと思い30年が経ち、現在24年問題に直面している。
JR貨物鉄道とは
JR貨物は全国ネットを有する国内唯一の鉄道会社で全国の鉄道網を活用して、1日400本の貨物列車で生活物資や産業物資を環境に優しく安全に運んでいる。輸送方法はコンテナ輸送と車扱い輸送の2種類がある。コンテナ輸送はトラック輸送と連携してお客様の荷物をトラックで集荷し、高速鉄道のコンテナに積み替えてドアからドアまで運ぶものであり、保温や保冷など多くの種類のコンテナを活用し、あらゆる荷物を運んでいる。1本の列車は最大650トン運ぶことができ、労働生産性に優れ、効率的な長距離輸送を行っている。車扱い輸送は石油や石灰石など1両単位で専用の貨車を使って輸送することである。全国の貨物路線の総延長は約8000km、札幌から福岡までの2140kmを37時間で走る。渋滞の影響を受けず、万一の自然災害でもトラックやフェリーが代替輸送を行う。また、ダイレクト輸送サービス、シー&レールサービス、クロスドック輸送サービスの3つのサービスを活用し、グローバルに対応している。荷役の効率化やITを通じて、輸送に求められるスピードと正確性を確保している。また、環境特性にも優れ、更なる脱炭素化に取り組んでおり、貨物単位当たりのCO2が他の輸送方法と比べ大変低い。東京貨物ターミナルを建設するとともに、駅中物流の再整備など総合物流企業を目指すための新たな取り組みも進めている。更に海外の鉄道業者に対する支援も積極的だ。鉄道以外にも大型商業施設や駐車場など人財と資産を活かし多様なビジネスを行っている。JR貨物は1987年の発足以来、人々の生活や経済に物流を通じて貢献してきた。お客様に届けるものは価値と考えている。
JR貨物は他のJRグループの会社とは異なり、エリアを持たず全国をカバーし、東海道、山陽、九州のルートがメインルートである。取扱貨物は年間約2,000万トンで物流全体のシェアの4%である(物流全体には、コンビニの輸送も含まれる)。輸送するものは地域によって特色があり、中部は自動車部品のため、遅れは許されない。利用運送事業を行っており、自社で幹線物流を実施し、集配はトラック運送業者にお願いし、輸送費用を集約、お客様に一括で請求を行っている。面倒な方法と思われるかもしれないが、24年問題解決のためには必要となる仕組みである。91.3%の高い定時運航率であり、これを阻害するのが野生動物(特に鹿)による事故である。積載効率は全体平均77.5%程度で、休日は52.2%である。24年問題に対応するため、積載の平準化やコンテナサイズの見直しも行っている。CO2低減を目的とした引き合いも増えている。
物流の24年問題とは
トラックドライバーの人数は年々減少するとともに、高齢化が進み、5割弱が50代以上の年齢構成になっている。冒頭の私が勤務していたバス会社の例にもあったように、過酷な労働環境の中、50代以上のドライバーの起こす重大事故が増加し、働き方改革関連法に基づく「時間外度労働時間の上限」が設定されたことが24年問題の発端となった。拘束時間、連続運転時間などが制限されたことで、輸送効率や輸送車両台数が低下し、「運べない危機」となった。時間外労働時間の上限は努力義務ではなく、罰則を伴うものであり、お客様至上主義の反動で罰則は荷主企業にも課される。背景には急激な労働力不足があり、出生率の低下などによる将来の労働力不足と高齢化の問題がある。時間外労働の規制は既に適用されている業種もあり、物流業界への適用が24年となり、最低年休取得日数の設定や割増賃金の引き上げ等により、物流コストも上昇する。これが物流の24年問題である。物流の価格は需給のバランスで決まるため、24年問題とともに荷量の増加はコストアップに繋がっている。一方で鉄道はその特性上荷物が増えるとコストメリットが期待できる。リスクシナリオとして、運べない、コストが上昇することにより、お客様の商品が届かない、遅れる事が発生する。
24年問題への対策
2030年には現在の30%前後の荷物が運べなくなるという課題に対して、これまで競合関係にあったトラック業界と鉄道業界の連携によって、トラック業界は短距離に特化し、長距離を鉄道業界が担うという分業が始まっている。荷主側もトラック主体から鉄道を活用した物流への移行の検討が始まっており、十六銀行などの地域の金融機関と連携し、課題を抱える企業への提案を行っている。これまでに2つの金融機関と連携し、6社の企業と取引を開始した。物流業界が変革しており、JR貨物ではこれをモーダルコンビネーションと呼んでいる。モーダルシフトの様な取り合いではない。また、鉄道輸送を通じ、CO2低減等お客様の商品価値を引き上げる事ができ、24年問題も解決にもつながっていけばいいと考えている。このように24年問題の解決には多くのバリエーションがあるため、知見やノウハウを蓄積し、最適解を追求していきたい。
東京貨物ターミナルをはじめ、レールゲートという大型の物流施設を各地に建設している。各社が個別に建設するのではなくレールゲートを物流のテナントとして活用し、コストメリットを出していきたいというものである。このレールゲートを活かして、自動運転のジャンクションにしようと考えている。24年問題解決策の1つだ。
災害への対策
地震や大雨で線路が寸断されたとき、列車が走れなくなった区間をトラックで代替輸送するよう岐阜をはじめ関西、中国や九州などの7社と体制を整えた。24年問題で不通の区間全てを輸送することはできないので、クロスドックを使って、トラック業者が連携しながら代替輸送によりサプライチェーンを維持するというものである。
物流の24年問題はそれだけを見てしまうと難しい事も多いため、解決策の組み合わせにより、さらに価値を生み出していきたいと考えている。物流の困りごとがあれば、気軽に相談していただきたい。
【5年6月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】
テーマ: 『 『他人の喜びを我が喜びとせよ』をモットーに中部産業界の発展に貢献し続ける中産連 』
- 日 時:令和5年6月21日(水) 12時00分~14時00分
- 場 所:名古屋観光ホテル 楠の間
- 参加者:14名
中部産業連盟の紹介
『他人の喜びを我が喜びとせよ』は中部産業連盟(以降、中産連)が創立50周年を迎えた時に作られた行動指針である。中産連は中部の産業界の発展に寄与することが存在意義である。戦後、1948年に設立され、75周年を迎えるにあたり”Value Partner for Your Vision”を掲げ、選ばれる存在になっていく事を目指して活動している。産業連盟は戦後、物資の調達協同組合的な要素に、国策的な要素もあり、北海道をはじめ、全国に10の産業連盟が設立された。その後、中部だけがマネジメント団体として現在も残っている。2023年時点で会員数は670社である。年間500本程度の公開セミナーと製造業を中心としたコンサルティングを行っている。また、JMS、TPSやVM賞といった創造的事業にも取り組んでいる。公開セミナーは公益事業で、他は収益事業である。令和4年度で経常収益(=売上)は約17億円、経常増減(=経常利益)は69百万円といった事業規模である。経常収益は、コロナ前に対し、まだ85%までしか回復していない。そこで、改めて原点回帰し、会員企業とのコミュニケーションの充実を図っている。
2023年に注力する事業は先ずカーボンニュートラル(CN)推進事業があり、モノづくり中心の中部産業界が重点的に取り組む事業である。CN推進事業以外にも、DXを活用した実践型のIT人財育成研修やRPA、プログラミング、AIなどの情報技術活用の研修を行っている。統計解析等のデータサイエンスの分野の研修も開始した。欧州に自動車部品を納入するための規格に関する監査員などのコースや高い志を持ったリーダーを育成する講座も行っており、多くの企業様に参加いただいている。経営者が見えるマネジメントを実践できるようVisual Management(以下VM)について多数の企業活用事例を展開している。自動車業界においてEV化などの環境変化に対応するために、経済産業省とともに「ミカタプロジェクト」という中小企業に対し事業転換支援事業を行っている。生産人口の減少、テクノロジーの進展、地球環境負荷の増加など、モノづくり新時代に向けた必須課題をサポートしていく。
30歳にて転機、中産連の一員となる
私は現在63歳であり、学生時代を神奈川県大磯と東京で過ごし、海岸沿いにある大磯高校時代は陸上部に所属していた。30歳で転機を迎え、中産連に転職した。転職前は製菓会社で働いており、多くの死蔵品を抱えていた。在庫削減委員会を立上げ対応するも、部署間の軋轢により進まず、中産連にコンサルティングを依頼し、1年で各部署が連携し、在庫量だけでなく、社員の意識も大きく変わった。これを見てコンサルタントにあこがれ、中産連に転職をした。転職して、コンサルタントとして先輩社員について工場に行き、先輩社員の指摘事項を記録する仕事を担当したが、生産用語について全く意味が分からず、記録の作成ができなかった。そこで、しばらく営業活動をすることになったが、アポ率は東京での中産連の知名度が低く10%程度であった。その後、急にプロジェクトが多忙になり、再びコンサルタントに就いた。とはいえ、一人で現地に行くときは一夜漬けで勉強し、即答できない質問は宿題として先輩に聞いて回答した。こうした努力が先輩にも認められた。中産連は人や企業を育てるコンサルティングファームであることを教えられ、これは現在も変わらない。そのために大切な事は信頼関係と説得力だと考えている。これは懇切丁寧に対応し、信頼関係を築いた先輩の行動から学んだ。費用対効果を問われることもあるが、最終的に「やって良かった」と言っていただくことを一番の喜びと感じている。
VMの考え方と活用
不確実性の時代に今持っている競争力を高める事が大切である。下請け企業においては自社製品がなく、差別化を図る事が出来ないため、管理技術とマネジメント力が重要となる。こうした企業がVMで人を育て、成長し、VMに磨きをかけ、ものづくり競争力を高めている。
VMとは見える化のことである。見える化には狭義と広義があり、日常の異常管理は目で見る管理として、狭義の見える化に含まれる。一方で、方針目標、マネジメントのしくみ、成果などを見える化する必要があり、これは広義の見える化である。管理者の成長も促す点が狭義のみえる化と異なる点である。見える化には5Sによる物の見える化、ファイリング等を通じた業務の見える化、VMを用いた管理改善活動の3つの取組みがある。見える化の状況をボードに貼り手書きで管理することを継続している会社もある。個人の能力を最大限に発揮し、チームで連携し、成果を出すためにVMが活用される。VMを通じてマネジメント・イノベーションを起こし、技術力、マネジメント力を高めていく。
60歳にて中産連を知る
60歳で名古屋に異動した。モノづくりにおいて、中部の製造品出荷額は44年連続トップである。中部のどの企業も、コスト、品質、納期を徹底的に追及しており、中途半端ではない。QCサークル大会、TPS大会、安全大会などが長きにわたり続けられており、人づくりも盛んなのだと感じている。このような環境で育った経営者は高い志を持ち、全てを自分事としてとらえ、組織風土、企業文化を築いている。
工場管理の基本としてQCD(品質、コスト、納期)を学び、その成果としてQC的思考、ムダの徹底排除と罪庫の視点、全員参加型の取組みを実践している。3年で学んだことは、5Sは全ての基本であり、これによりお客様満足度が高まるという事である。また、関東では止めているQCサークル活動は人づくりであり、中部が人づくりに力を入れているという事である。TPSを実践し、挑戦を楽しむ気質の人が中部には多い。これまで接してきた経営者は、幅広い知識を身に付け、企業の使命に対して強い責任感があった。経営者の皆さんの哲学を学び実践していきたい。
これからも中部が元気でいるために
今後とも中部が活躍するために、会員企業役員が持つ課題認識は、やるべき事を決め、やり抜く人材の育成が不十分な事である。また、生産年齢・人口減少、テクノロジーの進展、地球環境負荷の増加などの企業の未来を形づくる環境変化と課題への対応に加えて、リニア新幹線開通への対応が必要である。今ある競争力を高めるために情報活用、経営革新、時代対応等により必要な人材を育成しながら新事業の開発に繋げ、ダイバーシティーを高め、中部へ人が集まるようにする必要がある。またりスキリングについても、中産連では会員企業の成長に赴きを置いたリスキリングを進める予定である。
最後に
今後も引き続き、中産連は定款に記載する中部圏における経営に関する調査、研究、人材育成、診断指導及びその普及等を行うことにより、経営の合理化近代化を図り、以てわが国経済の発展に寄与するという目的に従って、Value Partner for Your Vision~選ばれる存在に~を目指していきたい。
【新会員自己紹介】
【ラーゴム・ジャパン株式会社
―北欧の発想で暮らしに次の豊かさを】
〒115-0042 東京都北区志茂2-16-3
URL:Https://lagom-japan.co.jp/
榎並幹人と申します。この度、ラーゴム・ジャパン顧問として中部経済同友会に入会させて頂き、同時に産業懇談会水曜第1グループに参加させて頂くことになりました。よろしくお願いいたします。
私は、33年間豊田通商という商社に勤務していました。同社のスットックホルム支店に勤務していた時の同僚のスウェーデン人ペレ・スィルィエダールさんが2016年に日本で設立したラーゴム・ジャパンの顧問に就任して、日本でのラーゴム製品の紹介活動をサポートしています。
2022年世界の幸福度ランキング 1位フィンランド、2位デンマーク、・・・・54位日本。2022年の世界の競争力ランキング 1位デンマーク、4位スウェーデン、・・・・・34位日本。
北欧の国には、人々が穏やかに、幸せに暮らす秘訣があるように思います。
「北欧の発想で、日本の暮らしに次のゆたかさを」をコンセプトに、北欧の健康機器、福祉機器の輸入販売を行っています。
”lagom”(ラーゴム)とは、スウェーデン語で「ちょうどいい」を意味します。
北欧のシンプルな発想で、日本の人々のQOL向上をサポートします。
特に、肩こり、腰痛でお悩みの方は、いつでも相談ください。(無料の機器の貸し出しなども行っております。)
皆さんのお困りごと解決のため、頑張りますのでよろしくお願いします。
【医療法人ファミリア・有限会社大阪屋加藤歯科技工所】
〒489-0871 愛知県瀬戸市東長根町5-5
URL:http://setofamiliar.com/
私は、名古屋市北区に生まれ育ちました。教育大附属の幼稚園から中学校までを過ごし、その後は私立の女子高校及び大学へ進学し、さらにその後に歯学部に入学し歯科医師となりました。
現在は医療法人ファミリアの理事長と有限会社大阪屋加藤歯科技工所の代表として、忙しい日々を送っております。息子2人も三代続けて歯科医師になり、家族も歯科医師が多く、良くも悪くも狭い世界です。
私の基本姿勢としまして、息子2人(後継者)に対し、「診療所の扉を開けたら院長と先生、閉めたら母と息子、、、」を念頭に置いて診療してまいりましたが、昨今事業承継を考えるにあたり、どちらの業界でも様々な問題があると思いますが、常に自分の姿勢を正すのも大変なものと実感しております。
中部経済同友会へは、鎌田様がロータリークラブへの卓話者としておいでになられ、そのご縁で紹介いただきました。
それが三年ほど前でございますが、入会の直前に私が怪我をしてしまい、さらにその後、世界中が大変な時期が続き、入会が随分延期してしまいました。
この度入会させていただき、多くの分野で見識豊かな皆様とお会いできることを、大変うれしく思っております。
何卒よろしくお願いいたします。
【株式会社北川組】
〒467-0807 名古屋市瑞穂区駒場町7-4
URL:https://www.kitagawa-gumi.co.jp/
会社紹介
創業150年 設立100年の総合建設会社です。
去年150周年を迎えた2022年10月1日に父と社長交代をさせていただき6代目を就任させていただきました
RC構造、重量鉄骨の構造を得意としています
マンション、社屋、個人住宅などをメインに建設をさせていただきますがリフォーム等細かなお仕事も最近力を入れています
三方よしで明るく元気な会社を目指して毎日奮闘しています
趣味
グルメ
徳を積めるよう日々を目指しています
【東レ株式会社】
〒450-0003 名古屋市中村区名駅南1丁目24番20号名古屋三井ビル新館14F
URL:https://www.toray.co.jp/
東レ(株)の新谷と申します。
この度、前任遠藤の後任として引き続き産業懇談会木曜グループに入会させて頂きました。出身は大阪府羽曳野市です。
1986年に東レに入社以来、樹脂事業部門に所属し国内、東京、大阪、名古屋、海外はマレーシア、タイに勤務、プラスチック原料の販売に従事してまいり、今年6月から名古屋支店長の職務に着きました。名古屋には3度目の勤務、通算で14年となります。
弊社は中京地区に東レ本体が6拠点(内工場は5工場)、グループ会社が22社あり、繊維、樹脂、ケミカル、エンジニアリング、建設等の事業展開を行っております。
中部地区での事業拡大だけではなく、地域産業、地域の皆様に貢献すべくすすめてまいりますので、ご支援、ご協力の程よろしくお願い致します。
趣味はゴルフです。皆さまとの交流、懇親のためお声をかけていただければ幸いです。
【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会
のご案内】
恒例となっております4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。
- 日時
- 令和5年8月26日(土) 8:03スタート
- 場所
- 明智ゴルフ倶楽部荘川ゴルフ場
岐阜県高山市荘川町野々俣957-1 Tel:05769-2-3111 - 会費
- 後日、ご請求申し上げます。
- 集合場所等
- 現地集合(7:45クラブハウス前の練習グリーン前)です。
(ご希望の方には、前日宿泊の手配をさせていただきます。詳細は別途ご送付いたします) - プレー終了後、クラブハウスにて表彰式を兼ねた懇親会の開催を予定しております。
- 競技方法は、ダブルペリア方式とします。
- 現地集合(7:45クラブハウス前の練習グリーン前)です。
- 出欠のご連絡
- プレーのキャンセルは、8月18日(金)までに事務局までご連絡ください。8月20日(日)以降キャンセル料が発生いたします
- ご参加の方には、前泊先および前日の夕食懇親会、組み合わせ等の詳細を後日ご案内いたします。
- ご案内先
- 代表幹事、直前代表幹事、産業懇談会会員
- お問合わせ先
- 中部経済同友会事務局 担当:山本・廣瀬・藤原 Tel:052-221-8901
【9月度産業懇談会のご案内】
9月度産業懇談会は、下記のとおり開催いたします。
定員は引き続き、先着40名を目安に運営します。
何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
会合にご参加いただける際は、手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。
グループ名 | 世話人 | 開催日時 | テーマ・スピーカー | 集合場所 |
---|---|---|---|---|
火曜グループ |
富田 茂 |
9月12日(火) |
『サーキュラーエコノミーの時代を迎えて マテリアルプラスチックリサイクルの現状と課題』 |
名古屋観光 |
水曜第1グループ |
淺井博司 |
9月20日(水) |
『ニッチトップ企業:表示灯のビジネスモデル~その現状と将来~』 |
若宮の杜 |
水曜第2グループ |
大倉偉作 |
9月13日(水) |
『東急建設の環境への取り組み』(仮題) |
若宮の杜 |
木曜グループ |
河村嘉男 |
9月7日(木) |
『経営者が知っておくべきIT最新トレンド-チャットGPTの活用からサイバー攻撃対策まで-』(仮題) |
名古屋観光 |
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.61
長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子
『 意外に遠し、軽井沢 』
ワイナリーを始めてから、懐かしい方たちとのご縁が戻ってきた。
グラフィックデザイナーの麹谷さんと、ヴィラデストワイナリーのオーナー玉村先生は、私がブルゴーニュのシュバリエを叙任していただいたころ、よく例会にご参加されていた。しばらくお顔を見ることがなかったのだが、先日麹谷さんに、北海道でワイナリーを始めたのだとお伝えすると「それは面白い!!7月にヴィラデストの玉村夫妻と、ワイナリー20周年のお祝いと僕のお茶会のコラボで、軽井沢エネコ貸し切りディナーがあるからぜひ出席しなさい」とのお誘い。素人畑の悩み尽きぬ私としては、ぜひ玉村先生に経験談を伺いたく、馳せ参じることにした。
玉村豊男先生は、私がフランスかぶれになる前からのファンで、フランス文学者にしてエッセイスト、画家、そして今ではワイナリーのオーナーと、大尊敬するフランスマニア(失礼!)で、ご著書はもちろん、リトグラフも何作か持っているし、通常使用する葡萄モチーフの絵葉書はすべて先生の作品だ。私のプライベートアドレスも先生の作品と私のボタニカルイメージがぴったりだったからその名にした程だ。先生はまた、ワイン醸造家の後進育成にも取り組んでいて、立ち上げたセミナーはすでに10期生までを輩出したそうで、私も1から学ばなければいけない身なのだが、さっさと突っ走ってしまったので、とりあえず伺いたいことを頭の中に整理して当日を楽しみに過ごしていた。
先大半の参加者は東京から日帰りなのだそうだが、はて、名古屋からどう行くか?新幹線で東京乗り換えで向かったとして、帰りの東海道最終には間に合わない可能性がある。翌朝出社しなければいけないので、ここは軽井沢に一泊することにして、車で向かって翌早朝出発すれば十分間に合う~多分片道4時間程度だし~と決めて、旅の準備を始める。
当日午前中、子ども食堂と小牧ワイナリーを覗いて、そのままその足で中央道を長野県に向かってクルージング。アップダウンとカーブが多い中央道はトラックが少ないので私はとても走りやすいと思っている。なおかつ悪名高きBMW(一頃煽り車両と警戒された)なので、皆さんスッと道を空けてくださる。あ、決して煽ってませんよ、波のようにサーって譲ってくださるので、ありがとうございますと安全運転しています。心配していた大雨情報も出発した時間が良かったのか大した雨にはならず、あとはどこで高速を降りるかだ。茅野からの峠越えはサンデードライバーで渋滞傾向になるのでパス。長野道に入って遅めの昼蕎麦をみどり湖のパーキングですすりながら地図情報とにらめっこをする。高速で長野を経由して佐久まで走るか、松本で降りて国道を東御~小諸~軽井沢コースにするか。確か松本からはほぼ直線でトンネルが通っていたはず、と思い出し、松本から国道に出ることにした。
ここから約1時間程度で峠を超えられるだろう。と、出だしは好調だったが、途中峠を登れない初心者マークの軽自動車でやや混雑、気の弱い初心者君は何とか退避所に避けて、後ろの車をやり過ごしてくれた。すると今度は気になる看板が出てくる。「この先片側通行、通過に25分以上かかります」どうやら先月の大雨で道ののり面が崩れてその修復をしているらしい。ま25分くらいなら良しとしましょうと峠を超えるも大したロスにはならなかった、が下りに差し掛かると、今度はブレーキを2秒に一回踏む初老ドライバーに遭遇。一昔前に比べれば、随分と走りやすい道になっているが、やはり慣れないとブレーキを踏んでしまうのだろう。気持ちはわかるのだが面倒なのは私の車、マニュアル車なのでそのブレーキのタイミングで車間距離を保つためいちいちシフトダウンをしないと、それこそ「峠で煽るBMW」と言われてしまう。あー、早くどこか街道筋の温泉に入って行ってくれたらなあ~。別に時間はたっぷりあるのだが(難儀やねBMくん)と言いながら、ここまでの所要時間4時間でやっと旧中仙道に到着する。あとは軽井沢まで一本道。ここから先の観光渋滞は織り込み済み、峠道を暗い気持ちにさせていた雲も晴れ、薄日が差してきた。
宿泊するホテルから会場となるエネコテラサまで、雨上がりの森の中の小道を散歩がてら抜けてゆく。軽井沢に来るのはほぼ10年ぶりだ。知らない間にあちこちゴージャスなコンドミニアムができている。でもやっぱり万平ホテル(現在改修工事中)のシーフードカレーは好きだったし、旧軽井沢の手作り帽子店のおじさんも懐かしい~20年前に作ってもらったつば広の麦わら帽子は今でも夏の必須アイテムだ~普段はフランスかぶれの私もこういうところだけは日本人的ノスタルジーが蘇る。
エネコに到着すると早速玉村先生にご挨拶。一通り北海道の話で盛り上がると、麹谷さんが、なんでまた北海道でワイナリーなの?と聞くので「十勝岳の麓に広がる丘陵地がコートドールに見えたんです」と答えると、玉村先生は大笑して「何事も勘違いから始まるのだよ」という。先生の畑も標高が高いので止めたほうがいいという方も結構いたとか、それが今では名ブティックワイナリーだ。
ガーデンアペリティフが始まると、ヴィラデストの立ち上げの時と同じようにと麹谷さんがシャンパンサーベルで20周年のお祝いをする。「20年前はシャンパーニュだったけど、今回はヴィラデストのスパークリングで!!」粋人の集まりの粋な計らい…こんな風に私のワイナリーにもいつか皆さんが集ってくる日が来たら最高だな!!と、まだ葡萄すらできていないのに、一人夢見る。
愉快な会もお開きに近づくと急な豪雨。東京組はマイクロバスで駅まで電車の時間に合わせて送ってもらえるのだが、徒歩の私は身動きが取れず、とりあえず小雨になるまでしばらく軽井沢の宵に身をゆだねる。
明日朝は5時半に出れば10時までに出社できるだろう。峠でやきもきするのは避けて、帰りは佐久から高速で帰ろうと決めて、止みかけた雨の中、薄暗い森を抜けてホテルへと戻った。
朝、出がけに近くのコンビニで朝食調達!と思いきやぜーんぶ閉まっていた。どうやら軽井沢のコンビニは24時間営業でないらしい。仕方ない、会社までノンストップで走って、会社で何か食べよう~これを不摂生というのかなぁ、私の食生活はかなり振れ幅が大きい⤵。
コラム2 【師、曰く】 No.26
妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)
ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメント、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を今回も一筆。
『 熱くて熱くて 』
今年も記録的な猛暑が続きますね。暑くて暑くて…と思っていたら、ふと、「熱くて熱くて…」というフレーズを思い出しました。田坂講義の中で、時折、若い時期の苦悩の喩えとして触れられた、倉田百三の戯曲『出家とその弟子』、その一節です。
大正期に書かれたという戯曲、『出家とその弟子』には、師である親鸞と弟子の唯円らとの姿が描かれている。その冒頭には、こう書かれている。「若い時代には、心の奥から湧き上がる熱い思いに突き動かされ、人は生きる。ときに、それが大きな喜びとなるが、ときに、その熱い思いゆえ、人は苦しむ。」若い時期の苦悩を、唯円の親鸞への問いの言葉で語らせる。「この心が、熱くて熱くて、寂しくて寂しくて、苦しくて堪らないのです。」正確な台詞でなくて恐縮だが、苦悩の唯円は師に必死に問うのである。親鸞は何と答えたか。「寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。」と。若い時期は、溢れんばかりの情熱で、心が熱くて熱くて堪らなくなる。それが、仕事であれ、恋愛であれ、家庭であれ。しかし、自分の想いとは裏腹に、現実と理想の乖離や矛盾に苛まれ、苦しくて苦しくて堪らなくなる。だが、それで、良いのだと。
師、曰く 『若い時には、若い心で生きて行くより無いのだ。純な青年期を過ごさない人は、深い老年期を持てないのだ。』
私田坂講義を受けていたのが50歳少し前ゆえ、成程…と納得した。きっと、若者にはこの真意は実感できまい。若い頃を傷だらけになりながら走り抜け、その頃を俯瞰して見れる年でなければ、実感できないだろう。かつての私も、熱くて熱くて堪らなかった。寂しくて寂しくて、苦しくて苦しくて堪らなかった。家庭、勉学やボクシング、友情に恋愛の苦悩の青春、大学卒業後は工学の道を捨て、役者を目指し演劇集団「円」で修業したが、挫折して現在の会社で歩んできた。社会人になってからも、理想と現実に苦悩し、挫折も幾度も味わった。それでも、転ぶ度に立ち上がり、前に向かって歩いてきた今、静かに幸せを感じられることに、心から感謝している。すべては無駄ではなかったと思える。ありがたい。だからこそ、若者に、今がどんなに苦しくても、それで良いのだよ、大丈夫だよ、必ず静かな境地に辿り着けるのだから、そう教えることは大切だ。若者は未熟ゆえに、苦しみが永遠に続くように感じてしまう。しかし、そこを生き抜いた者だからこそ、苦しみの先に訪れる静かな幸福の境地、道標を伝えることができる。その道標は、微かながら若者の希望になり、歩き続けてゆけるのではないだろうか。
若かりし頃、熱くて熱くて、苦しい大切な時期を過ごせたことで、今、感謝の心がしみじみ。心底、大切にしたいものの為に、奉仕してゆきたい想いが芽生えてきています。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。