■自己紹介
1982年にソニー一宮(株)に入社し、6年半生産現場監督を行った後、マレーシアに赴任し、新工場の立ち上げ及び、マネジメント業務を行った。帰国後は、本社テレビ事業本部へ転籍し、海外工場の技術指導やテレビの製品設計、設計改革を6年行った。より良い製品を作るため、更に上流業務に携わりたいと商品企画マーケティングへ異動願いを出した。丁度薄型テレビの波にテレビ事業が大打撃を受ける直前の頃である。ソニーでも薄型テレビ開発強化の提案をしたが、ブラウン管で一世風靡していた中でその声は響かなかった。そうしている間にもテレビのシェアは1位から、3〜4位に転落していったのである。その環境変化での商品企画業務は遣り甲斐の反面で非常に苦しかった時期です。TOPブランドも油断や驕り、機を見誤るとブランドが失墜する怖さと影響を実体験したことは今に役立っている。
父の他界に伴い、地元であるソニーEMCS(稲沢・幸田)に転勤した。商品設計、企画マーケティング時代に『顧客の顔が見えるモノづくり』ができない苦しみを抱えていた為、稲沢ではCS(カスタマーサービス)を希望した。当初は品質ロス削減によるコスト抑制と顧客損失防止に世界を走り回って品質ロスを削減したが、なかなか赤字脱却には至らなかった。答えは顧客接点にあると信じて、ソニーの技術者や作業者を教育し店舗で接客に立たせる『顧客の顔が見えるモノづくりプロジェクト』を始動させ、リーダーを務めた。
この経験をもとに2014年に経営コンサルタントとして独立した。業務改革、風土改革を柱とし、企業の商品開発やマーケティング・販売、製品品質の支援を行っている。目指すところは『顧客視点で顧客満足/顧客感動を目指す人づくり・風土づくり』と、商品企画から販売までの幅広い実務経験を活かし『琴線に響くモノづくり』支援で日本を元気にすること、クライアント様が『顧客から選ばれ続ける企業・ブランドになる』『顧客が求める価値以上の商品・サービスを提供し続ける企業になる』人づくり・風土づくりのお手伝いをしている。
■「顧客の顔が見えるモノづくり」プロジェクト
ソニーの経営理念は、創業者の設立趣旨書に記載されている「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」である。これこそがソニーの活力の源であり、長年会社が継続できた主因であったが、昨今は消費者の価値観が変化し多様化が進んだ結果、ソニーの技術志向が市場価値にマッチしなくなってきていた。例えば、昔は技術者と市場年齢が近かったため、技術者の欲しい物の商品化でヒットし利益を上げていたが、近年は年齢や価値観にズレが生じてきた。更にソニーは直営店舗が無く顧客接点が無いため、だんだんと顧客の顔が見えなくなってきていた。これを改善し全員野球で取り組むことがソニー復活の鍵であると、考える様になった。
復活の光明探しの為に、2009年に広島の家電量販店で自ら接客を行った。売場で顧客視点の意識や行動を一つ一つ検証しながら接客し、お客様と向き合っていくと、自然と自分に接客して欲しいと列ができ、結果、ソニーの接客スタッフ歴代1位の売上でテレビ販売を終えた。その時の検証結果や吸い上げた顧客視点での問題をソニーに持ち帰り、顧客視点の製品改良や生産方法等の改善に繋げ成果が出た。それにより「技術者に顧客視点と熱意を持たせて全員野球をすれば復活できる」と確信に変わり、この活動をソニーの技術者や作業者にまで広げるプロジェクトを始動した。まずは近場から始まり、社内の信頼を勝ち取ると全国にこの動きが広まり、累計300人以上の社員が店頭に立つようになった。テレビだけでなくカメラも同様の取組みを推進した。更にはアメリカの店舗にまで広がり、売り上げ上昇、ファン創りに大きく貢献した。この取組みの最大の効果は、取組んだ社員は皆、顧客と直接目を合わせ、お客様の笑顔と感謝の言葉を受け取ることで最大のモチベーションアップとなり、『自分は誰からお金を頂戴しているのか』『何のために仕事をしていたのか』を再確認し、帰って来た時の社員の目の輝きが変わっていたことである。
2011年の震災で、ソニー仙台事業所も被災した。避難所にいた社員のうち、有志39名にプロジェクトに参加してもらった。電気が途切れた工場の食堂で陽の光の下で研修を行い、東北全土の店舗へ派遣しソニーのモノづくりを伝道してもらった。震災から2か月、派遣した全員の目の輝きが変わり「生きがいを見つけた。活力を得た」と言ってもらえた。この経験から、人の人生に携われる仕事がしたいと思うようになり、その3年後に独立した。
■コンサルタントから見る会社経営のポイント
会社経営をするにあたって長期視点で最も重要なのは『ファン創り』である。一般的に収益の80%は、20%のファン(生涯顧客)によるものだ。私が利用するタクシー会社では、顧客接点サービスを重視した社員教育によってできた固定客により、コロナ禍でも大きな影響はなかったそうだ。ファン創りのポイントの一つは、製品・サービスに接する最初の第一印象を徹底的に磨くことである。その後では巻き返そうにもロスが大きいからだ。また、顧客接点である不具合対応に対しスムーズに応対できるかも、ファン創りのポイントである。
会社経営における、もう1つの重要なポイントは、利益感度分析である。売価の原理原則は、顧客が決めることである。物が不足し大量生産による同一性が求められる時代では、品質と価格だけが判断基準だったため、価格競争になっていた。しかし、物や情報で溢れ多様な価値観の現代消費者にとって、商品・サービスの選択判断基準はモノからコトへ移行、スペックではなく「何に役に立つのか」「何が楽しいのか」等の顧客ベネフィット(価値)である。価値観の判断も良い/悪いではなく、自己の感性に合う/合わないである。これに気づき、顧客視点で顧客のベネフィット(価値)を考え続けることが重要である。例えば、望遠鏡の製作販売会社は、「望遠鏡を作る会社」から、「星を見せる会社」へと理念を変え、「星を見ることは楽しい」を徹底追及した結果、星空ブームを牽引する会社に成長している。手段や目に見えるものであるWants(要求)ではなく、ゴールや最終目的であり目に見えないNeeds(要求)を追求すべきである。例えばお茶を買う人は、お茶が欲しいのではなく、ヘルシーに喉の渇きを潤したいのである。「工場では化粧品を作り、店舗では美しくありたいという希望を売る」というような視点で考えなければ、ただの価格競争になる。
■100年続く老舗企業の共通点
コンサルタント立ち上げにあたり、数年かけて老舗企業をベンチマークした結果、長く続く企業の秘訣は、一言でいうと、近江商人の「三方よし」である。重要な5つの経営要素は、「顧客と取引先を大事にしながら共に成長するということ」「従業員、後継者に対する人財育成」「長期持続的な競争力を生み出す、自社の強みに拘っていること」「地域社会とともに歩む」というスタンスが経営理念に入っているかどうか。その理念の中心に、顧客、従業員、取引先の信用・信頼のシンボルであり「自社らしさ」を表す『ブランド』、いわゆる『暖簾』に最大の重きをおいていることである。5つ目はこれらの経営要素の中で、顧客視点を幹とし、幹がぶれない経営方針が老舗企業の共通点であった。良い会社づくりは実り多き、太い幹と、それをはぐくむ土壌作り(風土)こそが、重要な成功要件だったのである。
風土の土壌改革では、トップダウンではなく、社員の中から火種を作らないといけない。火は下から燃え広がるものである。推奨する手法は、実際に経営課題解決のための、組織横断の若手プロジェクトをいくつか立ち上げることである。若手社員が組織のあちこちで、ボソボソと火をつけていってくれる。ただし、最初の動機付けはトップダウンでもスタートまでに内発的動機付けに変化させること。「やれるかも」と思わせることが肝要。
一方、行動を変えるための業務改革は、トップから風を起こし、火を燃え広がらせなければならない。企業理念やブランド、ビジョンの再構築と浸透が必要である。トップダウンといっても成功の秘訣は、最終決定しないことである。トップが指針を固めた後、各部署の選抜者で委員会を作り、会社のビジョンや方針やスローガンを立てるのである。自部署の選抜者がその場に参加して造り上げたものであるため、変革の「自分ごと」感が増し、無下にはしなくなるのである。そして同時に、上司やトップのコメントの本質や言葉の裏側を、社員がきちんと理解し行動するトレーニングも必要である。また、各種の人財教育のポイントは研修ではなくトレーニング(訓練)であるべき。吉田松陰の松下村塾の掛け軸に掲げ勝海舟も多用していた名言、「知行合一」という言葉があるが、人の成長は知識を身に着けたらすぐに行動に移すことで、初めてその本質を理解しようやく体得できるのである。私の指導経験も含め、座学だけ表面的な研修のみを受講し「分かったつもり」になることで、その人は二度とその本質の学びの機会を持たない。その事から当社の人財育成支援は「知識(研修)と行動(実践)」は一対、「実戦ベースでのトレーニング」を基本としている理由です。例えば、事業計画の策定・落し込みにおいては、企業トップの考え方を使って、トップの言葉の本質・裏側を紐解きながら、実際の事業計画書を作成する研修と実践ワークショップを対で行っている。
柱がぶれず、下から火が燃える風土・土壌があれば、トップの変更、時代による事業転換があってもぶれない事業経営ができるのだ。