産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第232号 2021.9.30 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和3年9月度(第232号) 目次
【3年7月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 7月14日(水) 12時30分〜14時30分
【3年7月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 7月21日(水) 12時30分〜14時30分
【名古屋いちばん物語】 No.124
【新会員自己紹介】
坂野 高士氏

株式会社NTTデータ東海 代表取締役社長

【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内】
【産業懇談会4グループ合同懇親会】
【11月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.39
コラム2 【師、曰く】 No.4
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.155
【お知らせ】
【3年7月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 建設会社目線からの中部地域の現状及び今後について 』


日  時:令和3年7月14日(水) 12時30分〜14時30分
場  所:若宮の杜
参加者:20名

スピーカー:
山廣 隆宏(やまひろ たかひろ)
株式会社大本組名古屋支店
執行役員名古屋支店長

写真:山廣 隆宏氏

■自己紹介
 私は、岡山県玉野市出身である。玉野市は名古屋では知名度は低いだろうが、瀬戸内海に面した港湾都市であり、造船業で古くから栄えている。俳優の宅麻伸の出身地でもある。
 大学は香川大学に進学し、平成元年に地元の(株)大本組に就職した。東京港出張所に配属された後、神戸の出張所、日本橋の東京本社、埼玉勤務を経て、岡山に戻ってきた。岡山には14〜5年いたため、現在岡山の観光大使や、岡山企業誘致アドバイザーに就任している。
 平成30年に池下にある名古屋支店へ転勤し、現在に至る。

■会社紹介
 当社は明治40年に大本百松が17歳で請負業、大本組を旗揚げした。大正年代には、本拠地を相生に移し、播磨造船所(現IHI)相生工場から、船台の建設や、起重機の設置などを請け負うようになった。大正12年には播磨造船所が請け負った信越電力、中津川発電所の2期工事で、雪中の物資輸送という命懸けの仕事をやり遂げ、総合請負業として飛躍的な発展を果たした。
 昭和28年、広島県太田川下部工事を、ニューマチックケーソン工法によって発注すると国が発表した。これを知った大本百松は、入札前に必要となる機械設備の調査・制作を命じ、入札時には他社と、当時の金額で1500万円もの差をつけて落札した。その後、大本組の安全性、耐震性、施工品質が認められ、数々の橋梁基礎をはじめとした地下構造物を施工した。一方、熟練労働者の不足、高齢化、施工進度の限界が叫ばれる中、施工の無人化が求められ、当社では平成の幕開けと同時に、無人化工法の開発に着手している。天井走行式掘削機を3Dカメラからの映像を基に、地上で遠隔操作するロボケーソン工法を実用化し、数多くの橋梁基礎などで、実績を積み重ねている。
 昭和33年、ディーゼル式ポンプ船の先駆けとなった大栄丸を建造し、翌34年9月に中部地方を襲った伊勢湾台風災害に対して、政府の要請に応じ、当社も大栄丸を急遽派遣し、木曽川や長良川の河口など11カ所に及ぶ決壊箇所の復旧対応を行った。
 当社の事業は多岐に渡っており、鉄道関連では、補修用車両の待避、及び留置場所、高架橋と、トンネル出口の大規模スノーシェルターなど多く手掛けている。高速道路の施工では、新東名高速道路、首都高速道路、上信越自動車道等の大規模工事を手掛けた。海洋土木では関西国際空港、中部国際空港セントレアの管制塔の建設も行い、これまで廃棄処分とされてきた貝殻を利用した自然環境の再生を図る技術を導入している。環境関連事業についても、積極的に参加しており、風力発電基礎や、メガソーラー発電所を手がけている。
 東日本大震災は約65kmの仙台湾南部海岸の、全ての海岸堤防に甚大な被害をもたらした。当社は、海岸堤防の復旧に参加し、飛散した消波ブロックの位置情報を取得し、GPSを利用したブロック撤去システムを構築した情報化施工を行った。校舎の2階天井まで津波が襲った中浜小学校は、当社製の堤防の奥に、震災の記憶として残されている。
 その他、冷蔵・冷凍機能を持つ大規模工場や、精密機械工場などの生産物流施設、イオン常滑、山陰アシックス工業、アシックスジャパン東京本社ビルを建設。最近では、銀座大通り沿いの複合ビルや、ケーニヒスクローネ神戸、ホテルモンテエルマーナ神戸アマリーなどの施工も行っている。
 日本は先進国の中でも、極めて自然災害が多い国であり、培われた品質、安全、コンプライアンスを第一とした建設の技術力は、世界でもトップクラスである。当社の規模は中堅ではあるが、近年急速に発達したGPSを利用しての情報化施工や、リアルタイムな情報化施工など、技術力、提案力、財務力などの総合力で世界トップクラスを目指し、更に向上させ、美しい街づくりを通して、広く社会に貢献し、永続的に、力強く発展していきたい。

■中部地方の経済状況
 建設会社の営業活動の中で、製造業、医療、福祉、店舗、物流など、様々なお客様と出会い、その中で得た話から、中部地方の現在の経済状況などを紹介したい。
 自動車部品業界は、コロナ当初の打撃は大きかったが、2020年の秋ごろより、予想を上回るV字回復を見せており、工場などの増改築の投資が再開されている。ただし、半導体不足の自動車生産への影響は依然として大きい。
 医療関係は、コロナ禍以降、利用者数は激減していたが、国からの補助などにより、古い設備の修理や、新規病棟建設の構想などが始まっている。山は越えたように感じている。
 老人福祉関連、製造業は、最近は特に後継者問題が顕著化しており、今後後継者不足により、廃業する企業も出てくるだろう。ただし、これは景気動向ではなく、日本の構造上の問題である。実は、当社もこれまで大本一族が経営を担ってきたが、前任社長は子供がいなかったこともあり、2021年春に50歳の若さで引退し、一族以外が社長を継いでいる。
 店舗は多少売り上げが落ちているが、このタイミングでリニューアルを考えている会社も多い。
 物流は比較的堅調である。湾岸付近の多くの会社は、立地としては便利ではあるものの、今後の水害などの災害、防災を考慮に入れて、内陸方面への移設を検討している。昨今の雨の降り方、自然災害の状況を見ると、コスト高にはなるが、安全面を重視すべきであろう。
 リニアについては、静岡県との大井川問題もあるが、地元の説明に予想以上に手間がかかるなど、全体として遅れている。大井川については、技術的にできること、できないことを提示し、十分話し合い、着地点を見つけていく作業を行っているところである。しかし2027年開業予定は遅れるのではないかと推測している。
 中部地方に住んでみて、街の規模も大きく、交通の便が非常によく、便利であると感じている。一方でサプライヤ選定時に、旧知の会社が選ばれる傾向にある文化がまだ残っている。オープンなサプライヤ選定を行えば、名古屋の街は更に発展するのではないだろうか。


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【3年7月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 米とともに114年 〜コロナ禍における米卸の生き残り方〜 』


日  時:令和3年7月21日(水) 12時30分〜14時30分
場  所:若宮の杜
参加者:21名

スピーカー:
池山 真一郎(いけやま しんいちろう)
株式会社ハナノキ
代表取締役社長

写真:池山 真一郎氏

■会社紹介
 今年で114年の永きに渡り米に関わるビジネスを手掛けてきたが、業態としてはいくつかの変遷を遂げてきた。明治40年に米の“集荷業”を開業。近隣の農家から原料米を集荷し、それを問屋に販売していた。昭和17年、太平洋戦争真っ只中に食糧管理法が制定され、米の流通が食糧営団に一本化される中、祖父が米穀配給所の責任者に就任。その流れで西春駅前に“小売業”池山米穀店を開店した。昭和47年に大型精米工場を現在の北名古屋市に新設しハナノキフーズを創設。米の“卸売業”に参入した。平成4年にグループ会社と合併し現在のハナノキに社名変更。平成18年に本社工場に加えて、岐阜県瑞浪市に無洗米製造や研究開発機能を持つ加工食品工場の思想を導入した工場を竣工。コメ“メーカー”を宣言し、特に品質管理や商品開発に力を入れ、販売面では従来の卸売の他、ネット通販事業を戦略的事業と位置づけ現在に至っている。

■お米業界を取り巻く現状
 新型コロナウイルス感染拡大の影響による入国制限により、米穀業界でもインバウンド需要の消滅などによる需要減が起こっている。ただ、そもそも米の需要は昭和38年、年間1341万トンの主食用米需要量をピークに年々需要が下がり続け、令和3年7月から令和4年6月までの需要量は705.3万トンと、ピーク時の約半分になる事が予想されている。米穀業界はコロナ禍以前より、主力商品の需要減少が半世紀以上にも渡り続いているという危機的状況にある。
 こうした状況に加え米流通に大きな制約をかけてきた食糧管理法が、平成5年のいわゆる「米騒動」に端を発した緊急的な米の輸入、そしてその結果としてウルグアイ・ラウンド交渉での米の輸入解禁が大きなきっかけとなり平成7年をもって廃止となり、大きな転換期を迎える。現行食糧法の下では流通規制が原則撤廃され、新規参入の事業者に加えて食糧管理法時の許可卸売業者もそのまま移行、登録卸売業者数は大幅に増加した。よって現在、米穀業界は需要量がピーク時の約半分に下がっているにも関わらず、業者数は非常に多く、しかも年間取扱量が第1位の業者でも取扱量は年間50万トン以下、全国シェアが10%を超えないレベルであり、中小の米卸業者が多すぎる、という状況になっている。その結果、激しい過当競争に陥っており米卸売業者の営業利益率は1%前後と他業界と比較してもかなり厳しい。

■ハナノキの改革
 東京の大学卒業後は出版社に就職していたが30歳の時、子供の誕生を契機に家業であるハナノキに入社した。入社した時点で米卸売業者は、精米商品をスーパーや外食店に販売するという従来ビジネスの拡大だけでは、過当競争を避けられず、原料相場も乱高下する中で、安定した利益を求めていく事は極めて困難な状況にあった。過度な過当競争については、平成18年、品質管理を重視した瑞浪工場の操業開始により、既存の精米工場との差別化を図る事が出来たが、それだけでは経営の安定化は実現できなかった。
 平成23年、東日本大震災が発生し、福島県を始め東北地方のお米を大量に仕入れていた当社は、放射能の風評被害により商品在庫の大暴落と廃棄で大打撃を被った。そのような中で社長への就任要請があり平成24年に社長就任。改革を推進してきた。今年で社長就任10年目を迎えるが、当社がコロナ禍において同業他社の多くが業績悪化に苦慮する中でも販売数量を増加させ4年連続の増益を達成できた大きな要因は、この10年間の改革にあったと思う。
 多くの改革を推進してきたが、中でも大きな効果があった5つを紹介したい。
 1つ目が、売り上げ重視経営から粗利益重視経営への移行である。もともとは工場稼働率を重視し、仮に変動費に食い込むようなビジネスであっても獲得後の社内努力により、経費を下げ、利益を出せばよい、という風土があったが、この事が結果的に赤字ビジネスをもたらし経営を苦しめていた。徹底して粗利益重視経営を推進した結果、現在、社内風土は改善し利益率も安定してきている。
 2つ目は、その粗利益重視経営を社内に浸透させる為の総利益と変動経費の“見える化”推進と定着である。現在はDX推進とも絡めて、例えば戦略的マネジメントプライシングシステム等の導入に向けて更に改善を進めている。
 3つ目は、金融施策改革である。最適なキャッシュフローを目指し、短期融資と長期融資の借り入れバランス、毎月の返済額を全面的に見直した。当然、金融機関との交渉は簡単では無く、成果を上げるには業績そのものの改善が必要である為、長い年月を要したが当座貸越枠、約弁額、金利面で大きな成果を上げる事が出来た。その結果キャッシュフローに余裕が出来、より有利な購買や、設備投資の推進が可能となり良い循環で経営を進めていく事ができている。
 4つ目は、ブランディング戦略の推進である。社内外の評価向上、社員のモチベーションアップを目的にネット通販での日本一、ISO、HACPP取得等にチャレンジ。経済産業省より“地域未来牽引企業”また“はばたく中小企業・小規模事業者300社”の一社として選定された事も、ブランディング戦略強化の一環として取り組んだ成果である。
 5つ目の改革が、ネット通販事業の推進である。通信業界は、当時から大きく進展しており、全く同じ方法は通用しないだろうが進出の経緯や、考え方、戦略を以下にお伝えしたい。

■ネット通販事業
 前職の経験を活かし平成17年からネット通販事業の立ち上げ検討を始め、平成18年に楽天市場へ出店した。当時、今ほどではないが既に米ショップとして多数の店舗が出店していた為、徹底的な差別化と独自の販売促進策を練り実行した。
 例えば当時、多くの米ショップが「匠の味」「職人の味」など『こだわりのお米が欲しい顧客』すなわちニッチ戦略で差別化を図ろうとしていたが、結果として、それは差別化になっていなかった。そこで当社は、『こだわり』の逆を突き『女性が女性の立場で商品提案する女性の為のお米屋さん』をコンセプトとした。また作業工程の内製化も図った。経験上、HP作成などを外製化すれば、見栄えは良くなるがネットの最大の武器である“スピード”を失ってしまうと考えHP、メルマガ作成、受注業務などの全ての工程を社員で行うことにした。常に動きを見せ、必要だと思った瞬間、ページ内容を社員によって更新できる強みは今もって大きな武器となっている。同じくスピード追求の一つとして、注文から商品到着までの時間を最短化した。注文から到着まで1週間が珍しくなかった時代に、午前9時までに注文頂いた商品を当日中に発送する体制を実現させ、大きく差別化を図った。
 商品は無洗米で差別化した。当時、無洗米は美味しくないと言われており、楽天市場でも取り扱う店舗は少なかったが、当社はその製法から無洗米の食味に自信があった。主力商品として扱いを始めた山形産あきたこまちは非常に美味しく価格も手ごろだが、産地での生産量が限られる為、この点でも差別化を図ることができた。この商品は楽天市場の無洗米週間ランキングで600週以上1位を獲得するまで成長。楽天年間ランキング、食品部門でも1位を複数回獲得し、ショップとしても昨年、日本一の米ショップとして表彰を受けた。
 ネット事業を始めた当初の売り上げは月商30万円程度で、社内でも反対意見は多かった。しかし信念を曲げずに努力を重ねた結果、15年後、年商10億円に到達したのである。

■今後のハナノキ
 多様化する顧客ニーズに対応していくため、当社では新商品の企画立案から製造までを行い小規格製品、窒素ガス充填商品、ギフト・ノベルティ用商品、特殊加工玄米の製造なども行っていく。また、お米の副産物である米ぬかや、肌ぬかなどもSDGsの観点から有効活用を進めていく。今年1月には、米ぬかを原材料にしたハンドクリームを商品化。化粧品事業を立ち上げた。「どこよりも良い商品を、どこよりも良いサービスで提供し、顧客を満足させることに全力をつくそう」を社訓として、これからもチャレンジ精神をもって事業を進めていきたい。


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【名古屋いちばん物語】 No.124

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第101回 続編』

料亭つたも 会長・深田正雄

栄ミナミ南伊勢町は江戸川乱歩の街

 令和2年10月31日、いつもなら子供たちのパレードや商店街のイベントに賑わうハロウィーンの日、コロナ禍で静かになった栄ミナミで江戸川乱歩旧居記念碑建立委員会による除幕式が乱歩の孫、平井憲太郎氏を招き広小路メルサ前にて挙行されました。同委員会について栄町商店組合振興会のホームページから紹介させていただきます。

写真:坪井明治振興会会長
除幕式:碑の左・坪井明治振興会会長、広小路メルサ北側・舗道(深田正雄撮影)

 江戸川乱歩旧居跡記念碑建立プロジェクト

写真:江戸川乱歩旧居跡記念碑

 怪人二十面相、明智小五郎など我が国における探偵小説(推理小説)のジャンルを確立した江戸川乱歩は三重県名張市(1894年・明治27年)で生まれましたが、3歳で名古屋市に移住し、旧制第5中学校(現:愛知県立瑞陵高等学校)を卒業するまでの幼少年・青年期(1897年・明治30年〜1912年・明治45年)を名古屋で過ごしました。彼自身が言うように彼は“名古屋人”です。
 彼の住いは広小路界隈で、一番長く住んだのが栄交差点西南角地(名古屋市南伊勢町二番戸)です。作品には、子ども時代に体験した大須界隈での見世物小屋、当時盛んに開催された博覧会で見たパノラマなどが大きく反映されています。大須観音が舞台の作品『百面相役者』もあります。
 この江戸川乱歩が“名古屋が育んだ作家”であることを全国的にも、名古屋においても知る人はわずかであるという現状の中、業績も含め多くの方々に知ってもらうため、乱歩の通った旧制五中(現愛知県立瑞陵高校)・早稲田大学卒業生(名古屋稲門クラブ)、乱歩研究者および地元栄町商店街振興組合などが中心となり乱歩旧居跡に記念碑を建立しようという活動が3年前に始まりました。この度、これらの団体からの支援とクラウドファンディングに応募していただいた多くの方々のお力により江戸川乱歩旧居跡記念碑が完成いたしました。

 乱歩(平井太郎)が名古屋に住んでいたのは、明治30年(1897年)から明治45年(1912年)の間。3歳から15年間広小路のあたりに住んでいた。『貼雑年譜』によるとその間何回か引っ越しをして、住んでいた家は5カ所もある。多感な頃を名古屋で過ごしています。

写真:大正時代の地図
大正時代の取引所周辺
写真:貼雑年譜
乱歩の『貼雑年譜』より

 父、平井繁男(1866〜1925年)は関西法律学校(現・関西大学)の第1期生、官吏として三重県名張町役所に就職、その後、明治30年商法知識を買われ東海紡織同盟会書記長として来名、園井町に住み、同時に名古屋商工会議所職員として会頭・奥田正香から薫陶を受け、「改正日本商法詳解」(明治32年刊)を著作しています。明治34年からは奥田商店の支配人として、政財界で大活躍する正香を支えていました。
 母、津藩家臣の長女「きく」は、帰りの遅い父を待ちながら、近隣の貸本屋「大惣」から多くの探偵小説を入手して太郎に読み聞かせたと言われています。第五中時代には黒岩涙香や押川春浪の推理小説を読みふけっていました。
 父の勤務地は南伊勢町1丁目名古屋株式取引所内(現・栄セントライズ、名古屋平和ビル)で北側路地の長屋を中心に近く(現・丸栄南)から太郎は白川尋常小学校・第3高等小学校・県立第五中に通学しています。
 乱歩の作品の多くは少年時代に過ごした栄界隈の見世物小屋や大須ホテルなどの体験から執筆、また、明治43 年に名古屋で開催された「第十回関西府県連合共進会」にあった「旅順海戦館」は印象に残ったようで、それについて書いたものもあります。

 記念碑建立をきっかけに乱歩の顕彰展示会やイベントが開催され、小酒井不木(1890〜1929年)との深いつながりも町の話題となっています。除幕式翌日から11月15日まで「江戸川乱歩と名古屋」展が名古屋市市政資料館にて開催、なごや学懇話会、米倉彰一会長、森典子事務局長が中心となり「不木がいなかったら、乱歩はなかったかもしれない。」とユニークな提言が興味深く表現されていました。

ポスター:江戸川乱歩と名古屋
南伊勢町宅屋根の乱歩
写真:米倉会長と森事務局長
右:米倉彰一会長と森典子事務局長
名古屋市市政資料館展示室にて

 また、鶴舞図書館ロビーでは2021年1月5日〜31日「小酒井不木と江戸川乱歩〜純国産・探偵小説とSFの誕生」特別企画開催、そして、同年8月4日より9月2日まで文化のみち二葉館にて「乱歩と不木展・二人の交流と名古屋とのゆかり」で広く世間に乱歩と栄が知られてまいりました。
 名古屋市職員に文化都市名古屋の多様で豊富な歴史遺産を内外に発信するための啓蒙サークル「なごや学懇話会」米倉彰一会長から次の提言をいただきましたので、紹介させていただきます。これから栄地区の仲間たちと実現に向けてステップを踏んでいければ嬉しく思っています。

なごや学懇話会:『乱歩通り』『乱歩ストリート』の提案

栄に潜む財産を活かし、街の更なる発展・活性化と名古屋の文化的発信を願って

 知られざる『名古屋と江戸川乱歩』の強力な関係は、『南伊勢町で育った平井太郎』、『乱歩自身も名古屋っ子と認めている』、『池袋の平井家の雑煮は乱歩だけ赤味噌』というインパクトあふれる視点から、栄界隈に潜む隠れた財産の一つとして活用させていただき、全国に『乱歩と言えば栄』、『栄と言えば乱歩』というイメージを定着させましょう!

  • 『乱歩』旧居南の三蔵通り久屋公園から駅笹島まで続くオカメザクラの街路樹を通称『乱歩ザクラ』と呼びPRしませんか。
  • 『乱歩』のいた南伊勢町通は、今年歩道の拡幅とウッドデッキが完成、タイルやレイアウトもオシャレなストリートとなりました。これを『乱歩通り』と表示しませんか。
  • 他府県からも多くの人が訪れる栄界隈『乱歩通り』の名前が定着すれば、『栄に乱歩あり』『名古屋に乱歩あり』という事実が当たり前に有名になります。
  • 2020年10月に完成した記念碑とともに『文学都市』『文化都市』が発信でき、『探偵小説発祥の地・怪人二十面相のふるさと名古屋』の象徴になります。
  • 作家『乱歩』の名前だけでなく、作品や登場人物も街づくりに活用させていただき、多くの人を呼び込む新名所にできます。乱歩くん、明智くん、小林少年、怪人二十面相などのマスコットキャラクターを作り、商店街や各店舗のPRアイコンや名刺に活用します。
  • そのマスコットキャラクターを活用したノべルティグッズ、サイン看板、自販機のラッピングなどに利用します。少年探偵団シリーズの一筆箋やノート、文具アイテム、腕時計などキャラクターグッズ、ブックカバー、器、ネクタイ、Tシャツなどを制作します。
  • 乱歩煎餅や乱歩羊羹、乱歩最中、乱歩餅、乱歩饅頭などなど売り出します。作品名のついた商品もかつて三重県でありましたが今は作っていません。
  • 乱歩亭、カフェ・ランポ、リストランテ・ランポ、ランポビール、文学カフェなど開店させ、一体感が出るようにするとワクワクします。
    乱歩と不木と横溝正史が並んだ銅像も創りましょう。毎年江戸川乱歩賞作家を招聘して講演会やイベントを実施。やがて名古屋の子供たちから推理小説作家が出てくるかも知れません。名古屋出身の作家井沢元彦さんも江戸川乱歩賞を受賞しています。
  • 死後50年以上経過していますので著作権は大丈夫と思います。お孫さんの平井憲太郎さん、井沢元彦さんに名誉広報大使、名誉理事長、名誉会長などに就いていただく、名古屋稲門クラブに協力を求める、などで双方の活動がウィンウィンの関係になるとよいでしょう。
  • 栄ミナミWEBホームぺージ、Facebookなど発信し、ポイントカードの乱歩カード、クレジットカード&電子マネーのファンクラブカード『栄ミナミ乱歩倶楽部』、市バスの758系統のラッピングは乱歩と不木と横溝正史、ついでに坪内逍遥と二葉亭四迷と城山三郎も入れてしまいましょう。
  • 地下鉄でも鶴舞線車両に乱歩号、不木号を導入するなど、犬山から豊田までの沿線でPRしましょう。(小酒井不木は鶴舞・御器所町で大正12年より文筆生活に入る)
  • 江戸川乱歩記念館、不木と乱歩の近代探偵小説記念館、SF発祥の地、探偵小説発祥のなどの記念碑を栄ミナミエリアに建てて、独占しちゃいましょう!

 名古屋では、栄地区だけが乱歩を発信出来る特権があると思っています。
 天の時(乱歩の記念碑が出来て、盛り上がっているタイミング)、地の利(旧町名と昔の地図で確認出来るエリア)、人の輪(栄ミナミ商店街、旧町名復活の会、経営者のサークルなど)と、天地人全て揃いました。やるなら『今』です!

以上、なごや学懇話会 米倉彰一会長からの提言
名古屋経営研究会2021年5月20日例会 料亭蔦茂にて

<事務局より>
 「住吉の語り部となりたい」シリーズのコラムは、深田正雄世話人より平成23年〜31年まで100回にわたりご寄稿をいただきましたが、今回、続編としてお寄せいただきました。
 「住吉の語り部となりたいシリーズ」は、産懇宅配便バックナンバーよりお読みいただけますので、ぜひご覧ください。
 記念すべき第1回はコチラ → 「住吉の語り部となりたい 第1回」

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【新会員自己紹介】

写真:坂野 高士氏
水曜第2グループ

坂野 高士(さかの たかし)
株式会社NTTデータ東海
代表取締役社長

【株式会社NTTデータ東海】
〒460-0003 名古屋市中区錦二丁目17番21号
TEL:050-5556-2801
URL:http://www.nttdata-tokai.co.jp/

 株式会社NTTデータ東海の坂野でございます。

 このたび前任者の前田を継いで、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 私たちを取り巻く社会環境は、想像をはるかに超えるスピードで変化しております。
 コロナ禍をきっかけに、ますますそのスピードは早まりました。
 加速化する変化のなかで、DX(Digital Transformation)という言葉に象徴されるように、ITはお客様の事業戦略の重要な役割を担い、将来にわたる事業拡大や国際競争力の強化に不可欠なものとして、新たな価値を創造する原動力となっております。

 弊社は東海地域におけるNTTデータグループの事業拠点として、お客様の事業活動をITで支えるパートナーを目指し、コンサルティングからITシステムの開発、運用まで、NTTデータグループの力を結集したより質の高いサービスの提供とさらなる技術革新に鋭意努めております。

 産業懇談会に参加させていただくなかで、さまざまな業種、業界の方々の貴重なご意見を拝聴し、知見を深め、新たな価値の創出や東海地域の発展に寄与していきたいと考えております。 皆様におかれましては、何卒、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。
 恒例となっております4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。

日時 令和3年10月23日(土) 8:54スタート
場所 明智ゴルフ倶楽部ひるかわゴルフ場
対象者 代表幹事、直前代表幹事、常任幹事、監事、産業懇談会会員
(参加者は会員限りとし、代理出席はお断りさせていただきます)
備考 申込みを締め切りいたしました
ご参加される方には、別途詳細のご案内を送付いたします。

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産業懇談会4グループ合同懇親会

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。
 恒例の4グループ合同懇親会について下記の通りご案内申し上げます。今回は木曜グループの企画により、ソプラノ歌手の下垣真希氏をお招きし、コンサートを開催いたします。
 下垣氏は、名古屋を拠点に活動するソプラノ歌手で、国内外のオーケストラとの共演や数多くのコンサートを開催するなど、その温かい歌声と説得力のある歌唱力は高い評価を得ています。「命と平和の尊さ」を伝えるコンサートを開催し、日本の歌の魅力を国内だけでなく、アジアやヨーロッパでも紹介し大きな感動を呼んでいます。当日は、下垣氏の温かく柔らかい歌声が、コロナ禍で疲れた心と体を癒してくれることと存じます。
 新型コロナウイルス感染防止のため、定員を設け、産業懇談会会員本人のみご案内しております。なお、緊急事態宣言・まん延防止等重点措置が適用された場合は、懇親パーティーを開催致しませんので、開催方法が変更になりましたらご案内いたします。
 何卒ご理解、ご協力のほどお願い申し上げます。

日時 令和3年10月18日(月) 17:30〜20:00
場所 ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 5階 ローズルーム
定員 産業懇談会会員 先着100名
(定員到達のご連絡は本会HPにてお知らせします)
(本会方針および会場の収容人数から定員を設けさせていただきます。)
会費 お一人 12,000円(後日請求させていただきます)
スケジュール 17:00 受付開始
17:30〜18:10 ご公演
18:30〜20:00 懇親パーティー(着席コース料理の予定)
公演者 ソプラノ歌手 下垣 真希氏
ピアノ 北川 美晃氏
その他
  • お申し込みは、10月1日(金)までに会員専用ページよりお申込願います。
  • お申込後のキャンセルは、10月12日(火)までにお願いいたします。
    それ以降のお取り消しは会費を申し受けますのでご了承願います。
お問い合わせ先 担当:木野瀬・菱川  Tel:052-221-8901 FAX:052-221-8925
本会会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

<公演者ご紹介>

下垣 真希(しもがき まき)氏 / ソプラノ歌手

【略歴】

  • 愛知県立芸術大学卒業後、ロータリー国際財団の奨学生として西ドイツに留学。
    ドイツ国家声楽教授資格を取得し、ケルン国立音楽大学を卒業。
  • アジア代表としてドイツ万博閉幕式で独唱。愛・地球博でもソロコンサートを開催。国内だけでなくヨーロッパやアジアでも日本の歌の魅力を伝え続けている。
  • 叔父を長崎の原爆で亡くしたことや、冷戦時代からベルリンの壁崩壊までの歴史的激動期にドイツ国際ラジオ局でDJとして活躍した体験も踏まえ、20年以上、命と平和の尊さを伝えるコンサート活動を継続している。全国平和首長会議やユネスコ協会の記念式典、「長崎の鐘」の原作者・永井隆博生誕100年記念などでも平和のコンサートを開催した。
  • 2008年には愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞。2019年には日本人歌手として初めて、マレーシア政府公認機関AEEFより文化貢献賞を受賞。
  • コンサート活動のかたわら、名城大学でドイツ語を、また同大学院で多文化共生論の教鞭をとっている。
  • 今までに、7枚のCDをリリースするほか、2020年には「西ドイツ留学記」「ベルリンの壁崩壊物語」「わが心の歌 長崎の鐘」を収めたCD付の自叙伝を出版。
  • 公益財団法人梅ヶ枝中央きずな基金の理事、公益財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団評議員、島根県や下呂温泉の観光大使を務める。
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11月度産業懇談会のご案内

 感染リスクを回避するため、引き続き定員を設けさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
 また、開催日に緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が適用されている場合は、昼食の提供を取り止めし、視察会は中止致します。
 何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます
 なお、開催方法が変更になりましたら、ホームページでもご案内いたします。

  • 定員は先着25名(※木曜グループの視察会は20名といたします)

 ※会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

11月9日(火)
12:30〜14:30

『DIC株式会社のご紹介
        Color&Comfort by Chemistry』(仮題)
DIC株式会社 
名古屋支店長 住谷 安彦 氏

若宮の杜
迎賓館
集合・食事
2階 桜の間
講演
1階 橘の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

11月17日(水)
12:30〜14:30

(第1部)『りそなグループのご紹介』
(第2部)『今後の世界の経済・投資・経営環境について
         〜景気再起動の後の社会変革の姿〜』
株式会社りそな銀行
名古屋営業本部長兼名古屋支店長 内藤 暁彦 氏
りそなアセットマネジメント株式会社
チーフ・ストラテジスト チーフ・エコノミスト 黒瀬 浩一 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
18階 伊吹の間
講演 
2階 曙西の間
水曜第2グループ

大倉偉作
香川裕子
高見祐次

11月24日(水)
12:30〜14:30

『100年以上続く いい会社の共通点
            〜その芯は?どうすれば?〜』
トゥモローブレイン株式会社
代表取締役 北川 幸一 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
2階 曙東の間
講演 
2階 曙西の間
木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

11月4日(木)
9:00〜17:30

『徳山ダム 見学会』

名古屋商工会議所
正面玄関

◆11月4日(木)木曜グループにご参加いただく方には、詳細案内をお送りします。

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.39
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 北の大地へ 』

 来年父の17回忌を迎えるに当たり、卒寿の母が終活準備よろしくアルバムやら書類やらの整理をし始めた。その中に相続後の名義変更がほったらかしになっていた北海道の土地の登記書があった。購入して以来40年、固定資産税の評価額もつかない中富良野の北の端。グーグルアースで見てみると立派な森になっている。この土地をどうするかという話になり、一度見に行こうということになった。相続に向けて現金化しても良いのだがどうやら二束三文らしい。「全く面倒なものを買ったものね」と苦笑いする母を横目に現地の空撮を広域にしてゆくと、ジャガイモ畑、玉ねぎ畑の合間合間に見慣れた木々の畝が見える…ブドウ畑だ。
「ねえ、ワイン作ってもいい?」
「はあ???」
母にとっては突拍子もない申し出だろうが、私は至って真顔。ここ最近の温暖化で北海道はワイン作りのホットスポットになりつつある。
「とにかく見てくるわ」

 旭川行の飛行機がなくなったので、千歳空港でレンタカーを借り占冠経由で富良野に向かうことにした。今回は道案内と運転手で妹が帯同しているので飲酒運転を気にすることなくテイスティングができる。のはいいのだが、飛行機が遅れてレンタカーをピックアップしたのは18時少し前、現地到着予定は20時過ぎ。北海道も緊急事態宣言中で現地飲食店もホテルのレストランも19時30分がラストオーダーだという。人もまばらな観光地に向かう途中の店が開いているわけもなく、初日から夕食抜きか!と諦めかけたものの、運転を買って出てくれている妹の不機嫌を買うわけに行かず、ホテルのルームサービスに電話して「まだチェックインしてないから部屋番号分からないけど、20時過ぎにお部屋に運んでおいてくれる?」と無理を言って、暮れてゆく高速をひた走った。

 翌日、朝から美瑛方面に向かい、青い池から十勝岳を周る、というと観光じゃないの?と思われるかもしれないが、実は地質の状態確認だ。

専門家ではないから見ただけで何が分かるわけでもないが、うちの土地は、十勝岳から東南の斜面にあり、火山性の土壌であることは間違いなく、ただ火山も地域によって地質が違う。なのでせめて水の色、土の色を確認したかった。この土地に植えたいぶどうの品種は決めている。そのための土壌改良も必要になるだろう。そんなことをつらつら考えながら、目的地たる父の森に到着する。隣には大きな畑を持つ農家さんがあり、妹が顔つなぎをしてくれていたのでご挨拶に伺った。

写真:池
青い池
写真:滝
しろひげの滝

青い池は十勝岳下の白金温泉のアルミニウムによるコロイド現象による発色、上流のしろひげの滝からは石灰と硫黄も混ざる

 「ワイン作ろうと思って」とご主人に話すと、ぱっと顔色が変わった。土壌改良のこと、畑の管理・運営のこと、北海道大学農学部の協力など、思いの丈に少しの夢を混ぜ込んでお話すると、ニコニコ笑って「やってみなさいな。お宅の土地は森だから、うちの開いてある畑を貸してあげるから」。ご主人にしても畑の跡継ぎがおらず、孫はみな札幌に行ってしまって、いつまで自分も畑に出られるかと考え込むこともあるのだという。小さなワイン畑が人を呼び活気が出るのは嬉しいことだという。
 最終的にプライベートワイナリーと小さなオーベルジュを作って、気のおけないワインラバーが畑の手伝いに来たり遊びに来たりできる場所になったらと思うと妹に話すと、こんな何にも無い田舎まで、都会から遊びに来る人なんかいるのか疑問だと言う。世界中ワイナリーは何もいないところにあるし、ワインラバーはそういう所に行き慣れてるのものだと答えると、一言瞬殺「物好きね」。仕方ない、妹は酒が飲めない。家族でたしなむのは父と私だけだった。

写真:山の風景
十勝岳登山口から火口、火山礫
写真:森
「親爺の森」
写真:ドメイヌレザンのブドウ
ドメイヌレザンのぶどうは極めて健全

 早速近くに点在するワイナリーをハシゴする。中でも10キロ圏内にある新しいドメイヌはお手本になりそうな畑で、収穫間近のぶどうをつまんでみたが、とても美味しい。今年は長野も山梨も散々の出来だというのに、ここでは初めて赤の単品種に挑戦できそうだという…ブロークンハートグレープ=ピノ・ノアール。育てるのもワインにするのも難しく、いつも心が折れる黒ぶどう。そんなぶどうが自分の畑にも美しく実る畑を想像しつつ、速攻北海道大学のワイン研究所にコンタクトを取った。

 母の終活に影響されたわけではないが、来年還暦を迎えるに当たり、自身の終活もそろそろ考えなければと思った。私には子供がいない。吹けば飛ぶような個人資産ではあるが楽しく全部使って終わるには、私はあまりに度胸がない。何よりあと数年で家業をリタイアし、遊んで暮らす毎日はきっと3日で飽きる。生きたお金の使い道を考えたとき、例えばワイナリーのようなものを大学の研究施設として、あるいは公共の財として残すのも悪くない選択なのではないか。そんな思いも乗せて送ったメールに担当教授から間髪入れず返事が来た。地質調査や土壌改良から一緒にできるのは研究所としてもありがたいと。こうなると雪が降る前になんとしても研究所に行き、事業計画から資金調達まで、来年の雪解けまでにシナリオを作っておきたくなってきた。土を作り、ぶどうを植えて初収穫までに大体5年。あっという間だ。ああ、あの美しいブルゴーニュのcâte d’orにも似た中富良野の斜面を、じゃがいもでなく、ぶどうの樹で埋められたら!!

 北海道に飛ぶ日の朝、母がその土地を購入したときに撮った父の写真が出てきたから持って行けと言うので、仏壇に「行くぞー」と声をかけつつ、その日は父の誕生日だということに気がついた。これもなにかのご縁なのか、現地で誕生日のお祝い乾杯するつもりが、到着日のバタバタですっかり飛んでしまっていた。翌日のランチを父の森近くの人気ジンギスカン店で取りつつ一日遅れの誕生日をして、結局父は富良野で何がしたかったのか姉妹で話したが答えは見つからず。ただ、自分にとっての富良野をイメージしたとき、キラキラした美しい夢と理想で胸が膨らんで…なはずだったが、農家のご主人が別れ際に付け加えたひとことを思い出し、我に返った。
「結構いるからね、野ネズミ」
覚悟せよ!大地にかしずき、ネズミと戦う日々が待っている。

 余談:クラウドファウンディングもする予定。出資希望の方はご遠慮なく!

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コラム2 【師、曰く】 No.4
コラム【師、曰く】

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

 ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメントの応用、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を、今回も一筆。

『 不動心 』

 決して、私は不動心を体得したなどと言うつもりは、ない。いまだに、権力者に睨まれれば動揺するし、イカツイ恐い方にはビビるから近づきたくはない。ましてや、美女を前にすれば心揺さぶられる。(一応、独身歴20年弱であるとお断りしておく)若かりし頃より落ち着いたとはいえ、心乱されることは山程も、ある。不動心を得たとは、まだまだ言い難い。しかし、不動心という言葉の、真の意味を理解されている方は、あまり多くはない。

 一つ、面白い話がある。禅寺で、修行を重ねた禅僧と一般の男性が、ある実験をした。心拍計をつけて、動揺させることが起こったときに、本当に禅僧は不動心を持っていられるのか?という実験だ。心拍が乱れれば、それは即ち心が動揺していることに他ならない。実験が始まり、禅僧と男性は静かに座禅を組み、瞑想していた。当然、心拍は安定し落ち着いている。鎮まりかえった二人の前に、あるものが現れた。なんと、裸の女性が二人の前に立っていた。(この話、きっと昭和の時代だろう。今はそれが許される時代ではない。)当然、男なら心が浮足立ち、動揺して心拍が高まるだろう。男性は当然のことながら、心拍が高まり乱れた。対して、修行を積んだ禅僧は、流石に心乱れることなく、どっしりと落ち着いているだろう。当然、そう思ったら、なんと禅僧も男性と同様、心拍が乱れまくっていた。修行を積んだところで、所詮は禅僧もただの男だったか。とんだ実験のせいで、禅僧は笑い者になってしまった。ところが、である。女性が居なくなり、しばらくした時のこと。男性の心拍は相変わらず高まり乱れているのに、禅僧の心拍は何事もなかったように、すっと平静を取り戻していたのだ。そうなのだ。

『不動心とは、動揺しない心のことではない。不動心とは、動揺しつづけない心のことだ。』

 何か心を掻き乱すことがあったら、人間誰しも心が乱れ動揺する。しかし、人生で修行を重ねてきた者は、すぐに心の平静、ホームポジションに心の状態を戻すことができる。それが『不動心』なのだ。何か突発的な事象が起きた時、一瞬、目を閉じて、深呼吸をして『瞬間禅』をしなさい、心を調えてから事にあたりなさい、そう田坂先生は言われる。修行中の私は、だいぶその習慣が身についてはきたが、まだまだ心を惑わす不本意なことから、すっとホームポジションに戻れているかと問われれば、まだまだと言う他ない。修行は続くよ、どこまでも。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真:滝 (養老の滝)

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.155
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 約束の海 』
山崎豊子著・新潮文庫

 平成25年に他界した著者の未完の遺作です。26年に刊行され、28年に文庫化されました。すでにお読みになった方も多いかもしれません。
 「週刊新潮」に掲載された第1部「潜水艦くにしお編」のみが完成して書籍化されたのですが、第2部「ハワイ編」第3部「千年の海編(仮題)」の構想が、「『約束の海』、その後―」として巻末に載っています。これは、高齢のためでしょうか、従来のように自身で自由に取材に出向けなかった著者のために新潮社が社内に立ち上げた「山崎プロジェクト編集室」との打ち合わせ内容がわかる、大変面白いものです。
 主人公は、昭和16年の真珠湾攻撃に特命を帯びて参戦しながら捕虜となり戦後は波乱の人生を歩んだ人物(実在)の息子、という設定です。第1部は、昭和63年7月に起こった潜水艦「なだしお」の衝突事故を土台にして展開します。戦争とは、平和とは、自衛隊とは何か、を考えさせられる作品です。

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