テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第101回 続編』
料亭つたも 会長・深田正雄
栄ミナミ南伊勢町は江戸川乱歩の街
令和2年10月31日、いつもなら子供たちのパレードや商店街のイベントに賑わうハロウィーンの日、コロナ禍で静かになった栄ミナミで江戸川乱歩旧居記念碑建立委員会による除幕式が乱歩の孫、平井憲太郎氏を招き広小路メルサ前にて挙行されました。同委員会について栄町商店組合振興会のホームページから紹介させていただきます。
除幕式:碑の左・坪井明治振興会会長、広小路メルサ北側・舗道(深田正雄撮影) |
江戸川乱歩旧居跡記念碑建立プロジェクト
怪人二十面相、明智小五郎など我が国における探偵小説(推理小説)のジャンルを確立した江戸川乱歩は三重県名張市(1894年・明治27年)で生まれましたが、3歳で名古屋市に移住し、旧制第5中学校(現:愛知県立瑞陵高等学校)を卒業するまでの幼少年・青年期(1897年・明治30年〜1912年・明治45年)を名古屋で過ごしました。彼自身が言うように彼は“名古屋人”です。
彼の住いは広小路界隈で、一番長く住んだのが栄交差点西南角地(名古屋市南伊勢町二番戸)です。作品には、子ども時代に体験した大須界隈での見世物小屋、当時盛んに開催された博覧会で見たパノラマなどが大きく反映されています。大須観音が舞台の作品『百面相役者』もあります。
この江戸川乱歩が“名古屋が育んだ作家”であることを全国的にも、名古屋においても知る人はわずかであるという現状の中、業績も含め多くの方々に知ってもらうため、乱歩の通った旧制五中(現愛知県立瑞陵高校)・早稲田大学卒業生(名古屋稲門クラブ)、乱歩研究者および地元栄町商店街振興組合などが中心となり乱歩旧居跡に記念碑を建立しようという活動が3年前に始まりました。この度、これらの団体からの支援とクラウドファンディングに応募していただいた多くの方々のお力により江戸川乱歩旧居跡記念碑が完成いたしました。
乱歩(平井太郎)が名古屋に住んでいたのは、明治30年(1897年)から明治45年(1912年)の間。3歳から15年間広小路のあたりに住んでいた。『貼雑年譜』によるとその間何回か引っ越しをして、住んでいた家は5カ所もある。多感な頃を名古屋で過ごしています。
大正時代の取引所周辺 |
乱歩の『貼雑年譜』より |
父、平井繁男(1866〜1925年)は関西法律学校(現・関西大学)の第1期生、官吏として三重県名張町役所に就職、その後、明治30年商法知識を買われ東海紡織同盟会書記長として来名、園井町に住み、同時に名古屋商工会議所職員として会頭・奥田正香から薫陶を受け、「改正日本商法詳解」(明治32年刊)を著作しています。明治34年からは奥田商店の支配人として、政財界で大活躍する正香を支えていました。
母、津藩家臣の長女「きく」は、帰りの遅い父を待ちながら、近隣の貸本屋「大惣」から多くの探偵小説を入手して太郎に読み聞かせたと言われています。第五中時代には黒岩涙香や押川春浪の推理小説を読みふけっていました。
父の勤務地は南伊勢町1丁目名古屋株式取引所内(現・栄セントライズ、名古屋平和ビル)で北側路地の長屋を中心に近く(現・丸栄南)から太郎は白川尋常小学校・第3高等小学校・県立第五中に通学しています。
乱歩の作品の多くは少年時代に過ごした栄界隈の見世物小屋や大須ホテルなどの体験から執筆、また、明治43 年に名古屋で開催された「第十回関西府県連合共進会」にあった「旅順海戦館」は印象に残ったようで、それについて書いたものもあります。
記念碑建立をきっかけに乱歩の顕彰展示会やイベントが開催され、小酒井不木(1890〜1929年)との深いつながりも町の話題となっています。除幕式翌日から11月15日まで「江戸川乱歩と名古屋」展が名古屋市市政資料館にて開催、なごや学懇話会、米倉彰一会長、森典子事務局長が中心となり「不木がいなかったら、乱歩はなかったかもしれない。」とユニークな提言が興味深く表現されていました。
南伊勢町宅屋根の乱歩 |
右:米倉彰一会長と森典子事務局長
名古屋市市政資料館展示室にて |
また、鶴舞図書館ロビーでは2021年1月5日〜31日「小酒井不木と江戸川乱歩〜純国産・探偵小説とSFの誕生」特別企画開催、そして、同年8月4日より9月2日まで文化のみち二葉館にて「乱歩と不木展・二人の交流と名古屋とのゆかり」で広く世間に乱歩と栄が知られてまいりました。
名古屋市職員に文化都市名古屋の多様で豊富な歴史遺産を内外に発信するための啓蒙サークル「なごや学懇話会」米倉彰一会長から次の提言をいただきましたので、紹介させていただきます。これから栄地区の仲間たちと実現に向けてステップを踏んでいければ嬉しく思っています。
なごや学懇話会:『乱歩通り』『乱歩ストリート』の提案
栄に潜む財産を活かし、街の更なる発展・活性化と名古屋の文化的発信を願って
知られざる『名古屋と江戸川乱歩』の強力な関係は、『南伊勢町で育った平井太郎』、『乱歩自身も名古屋っ子と認めている』、『池袋の平井家の雑煮は乱歩だけ赤味噌』というインパクトあふれる視点から、栄界隈に潜む隠れた財産の一つとして活用させていただき、全国に『乱歩と言えば栄』、『栄と言えば乱歩』というイメージを定着させましょう!
- 『乱歩』旧居南の三蔵通り久屋公園から駅笹島まで続くオカメザクラの街路樹を通称『乱歩ザクラ』と呼びPRしませんか。
- 『乱歩』のいた南伊勢町通は、今年歩道の拡幅とウッドデッキが完成、タイルやレイアウトもオシャレなストリートとなりました。これを『乱歩通り』と表示しませんか。
- 他府県からも多くの人が訪れる栄界隈『乱歩通り』の名前が定着すれば、『栄に乱歩あり』『名古屋に乱歩あり』という事実が当たり前に有名になります。
- 2020年10月に完成した記念碑とともに『文学都市』『文化都市』が発信でき、『探偵小説発祥の地・怪人二十面相のふるさと名古屋』の象徴になります。
- 作家『乱歩』の名前だけでなく、作品や登場人物も街づくりに活用させていただき、多くの人を呼び込む新名所にできます。乱歩くん、明智くん、小林少年、怪人二十面相などのマスコットキャラクターを作り、商店街や各店舗のPRアイコンや名刺に活用します。
- そのマスコットキャラクターを活用したノべルティグッズ、サイン看板、自販機のラッピングなどに利用します。少年探偵団シリーズの一筆箋やノート、文具アイテム、腕時計などキャラクターグッズ、ブックカバー、器、ネクタイ、Tシャツなどを制作します。
- 乱歩煎餅や乱歩羊羹、乱歩最中、乱歩餅、乱歩饅頭などなど売り出します。作品名のついた商品もかつて三重県でありましたが今は作っていません。
- 乱歩亭、カフェ・ランポ、リストランテ・ランポ、ランポビール、文学カフェなど開店させ、一体感が出るようにするとワクワクします。
乱歩と不木と横溝正史が並んだ銅像も創りましょう。毎年江戸川乱歩賞作家を招聘して講演会やイベントを実施。やがて名古屋の子供たちから推理小説作家が出てくるかも知れません。名古屋出身の作家井沢元彦さんも江戸川乱歩賞を受賞しています。
- 死後50年以上経過していますので著作権は大丈夫と思います。お孫さんの平井憲太郎さん、井沢元彦さんに名誉広報大使、名誉理事長、名誉会長などに就いていただく、名古屋稲門クラブに協力を求める、などで双方の活動がウィンウィンの関係になるとよいでしょう。
- 栄ミナミWEBホームぺージ、Facebookなど発信し、ポイントカードの乱歩カード、クレジットカード&電子マネーのファンクラブカード『栄ミナミ乱歩倶楽部』、市バスの758系統のラッピングは乱歩と不木と横溝正史、ついでに坪内逍遥と二葉亭四迷と城山三郎も入れてしまいましょう。
- 地下鉄でも鶴舞線車両に乱歩号、不木号を導入するなど、犬山から豊田までの沿線でPRしましょう。(小酒井不木は鶴舞・御器所町で大正12年より文筆生活に入る)
- 江戸川乱歩記念館、不木と乱歩の近代探偵小説記念館、SF発祥の地、探偵小説発祥のなどの記念碑を栄ミナミエリアに建てて、独占しちゃいましょう!
名古屋では、栄地区だけが乱歩を発信出来る特権があると思っています。
天の時(乱歩の記念碑が出来て、盛り上がっているタイミング)、地の利(旧町名と昔の地図で確認出来るエリア)、人の輪(栄ミナミ商店街、旧町名復活の会、経営者のサークルなど)と、天地人全て揃いました。やるなら『今』です!
以上、なごや学懇話会 米倉彰一会長からの提言
名古屋経営研究会2021年5月20日例会 料亭蔦茂にて
<事務局より>
「住吉の語り部となりたい」シリーズのコラムは、深田正雄世話人より平成23年〜31年まで100回にわたりご寄稿をいただきましたが、今回、続編としてお寄せいただきました。
「住吉の語り部となりたいシリーズ」は、産懇宅配便バックナンバーよりお読みいただけますので、ぜひご覧ください。
記念すべき第1回はコチラ → 「住吉の語り部となりたい 第1回」
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