■大豆について
大豆食品は多種多様ある。大豆から、もやしや枝豆が育ち、脱脂大豆、醤油、煎り大豆、豆腐、おから、湯葉、しょうゆ、納豆、生揚げ、がんもどき、高野豆腐、など非常に多くの種類が出回っている。
大豆のたんぱく質の中には、人間の成長や健康を維持するために必要な必須アミノ酸が多く含まれている。60キロの成人男性の場合、体の16%はたんぱく質からできており、大豆などの良質なもので摂取すると、健康によいというわけである。植物性たんぱく質は、飽和脂肪酸とコレステロールがないため、女性にとっては、美肌効果、骨粗しょう症防止、更年期障害にもよいと言われている。
近年、SDGsの観点から、ソイミートが世界中で注目されている。牛肉を育てるためには、人間の10〜20倍の食料(飼料)が必要であるが、ソイミートに変えることで、地球環境負荷を減らすことができるからである。
■豆腐の作り方、産業廃棄物のおから
豆腐の製造工程では、まず半日前に豆腐を水につけてふやかす。「30」がキーワードであり、水温が15℃なら15時間、20℃なら10時間浸漬する。翌日ふやけて大きくなった大豆をすりつぶし、生呉というドロドロの状態にした後、約100度で煮沸する。温度をゆっくり上げると旨味が出てき、一気に温度を上昇させると、さらっとする。当社ではゆっくりと火にかけて旨味を出している。煮沸したものを絞り、豆乳とおからに分る。豆乳ににがりを加え、30分ほど熟成させれば豆腐が完成する。
実はおからは、一般ごみとして捨てることができない。しかも大量に生産されてしまう。例えば30キロの生豆を投入すると、40キロものおからができてしまう。おからは産業廃棄物である。おからの廃棄代のマイナス分を、プラスにできると、大きなビジネスチャンスであると昔から言われているが難しい。例えばおからをパウダー状に加工し、猫の餌や、ダイエット食品として売り出したりもしている。当社も、おからをペーストにし、サラダや、あんこ、白玉、卯の花、パンにも入れているが、500キロ/日の排出に対し、5キロ分しか消費できていない。それ以外は、月10万円払って産業廃棄物として廃棄している。また、粉末加工やペースト加工の設備への投資費用が高く、小さな豆腐企業では対応できない。おからを再利用できれば、豆腐業界の利益率も劇的に向上するのではないだろうか。
■豆腐の歴史
豆腐は2200年前に中国の劉安によってはじめて作られた。1400年前の奈良時代に、遣唐使が仏教と一緒に日本に伝えた。当時は精進料理にのみ使われていた。室町時代になって漸く一般庶民にも知れ渡ったが、当時は冷蔵庫もないので、川で冷やすか、腐らないように水分を抜いた、硬い豆腐を食べていた。江戸時代になると、豆腐は一般的な食べ物となり、当時の朝ごはんは奴豆腐と、麦、稗が主食となった。「豆腐百珍」という豆腐のレシピ本がベストセラーとなり、2巻、3巻まで出版された。様々な食べ方が紹介されている。豆腐の「腐」は中国語では、「ぶよぶよしたもの」という意味である。当時は、今の豆腐の定義と異なり、白くてしかくいぶよぶよした、ゴマ豆腐や、卵豆腐など、大豆でないものも記載されていた。明治・大正時代には、冷蔵庫がないため、水槽に豆腐を入れて販売し、お客は1日で食していた。日持ちがしない食品なので「豆腐に旅をさせるな」という言葉まであった。
昭和30年以降冷蔵庫が普及し、スーパーの配送センターも充実し、日持ちのする豆腐も開発され、近年はライフスタイルも変化したため、豆腐の売り方は大きく変わってしまった。昭和35年には5万軒を超える豆腐屋さんが存在していた。5万件というのは、現在のコンビニと同程度である。町を歩けばすぐに豆腐屋さんが見つかる状況であった。しかし平成元年に2万軒を切り、平成23年に1万軒を切り、現在は6000以下と減少している。
■会社紹介
当社は、大正3年より豆腐屋をはじめ、現在5代目である。創業者は三重県長島の楠村が出身地である。長男ではなかったため、仕事を探しに名古屋へ出た。鋳型や、お風呂屋など、様々な職業を経て、豆腐屋に落ち着いた。当時、「食うに困ったら、豆腐屋になれ」と言われるほど、豆腐屋はどこにでもあったのだ。
昭和25年に祖父の3代目が会社を設立した。当時は、スーパーが一気に成長し、豆腐屋も大量にスーパーに納入すれば、スーパーと共に儲かる時代であった。しかし3代目は「大切に作った豆腐を、人様(スーパー)に価格を決めてもらって売るものではない!」とスーパーと取引をしなかった。この想いを受け、父親が「豆腐屋として生き残るには徹底した差別化しかない」と、国産大豆とにがりを使用したり、綺麗な職場で、よい人材を雇い、一緒に高みに昇ろうと、平成元年には本社ビルを建設するなどの改革を行った。本社ビルは、豆腐アイスなど、多彩な種類の豆腐を扱い、「豆腐ブティック」としてメディアにも注目された。その後も、デパート出店などで、成長を続けていった。
平成3年に、父親が4代目を継ぎ、平成9年には豆腐の可能性の提案と、ブランド作りのため、豆腐懐石料理屋をオープンした。近年の生活スタイルの変化に伴い、中食、外食が増加し、豆腐の料理方法を知らない人が多くなった。懐石料理店では、煮たり焼いたり揚げたりといった料理方法の提案させていただいている。
平成28年に自身が5代目代表に就任した。伊勢神宮への奉納や、豆腐品評会での名古屋市長賞受賞など、引き続き他社との差別化による成長を続けている。当社の豆腐は大豆本来の味が楽しめる豆腐で、全品手作りで作っている。また丸い豆腐や、ざる豆腐は、お玉で掬って盛るため、機械化ができていない商品だ。これを当社の特色としている。
■試食の豆腐紹介
日本全国の豆腐も知ってもらいたく、月替わりで、地元以外の珍しい豆から作った豆腐を提供している。通常、豆腐の濃度は11度程度であるが、月替わりの豆腐は15度まで絞り、豆のおいしさを伝えている。6月は長野県のナカセンナリというお豆を使用しており、本日の試食としてご用意した。第1回お豆腐評論会で、優勝者が使用していた豆でもある。7月は、宮城県産のミヤギシロメを使ったものである。8月は福井県の大だるまである。この大だるまは、大豆問屋を通して初めて知った豆の種類であり、豆腐として、初めて世にでる。
美味しいお豆を広く紹介できればという想いから、月替わりの豆腐販売を行っている。