産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第230号 2021.7.30 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和3年7月度(第230号) 目次
【3年6月度 産業懇談会(木曜G)模様】 6月3日(木) 13時00分~14時30分
【3年6月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 6月9日(水) 13時00分~14時30分
【3年6月度 産業懇談会(火曜G)模様】 6月15日(火) 13時00分~14時30分
【新会員自己紹介】
三枝 弘典氏

三幸電機株式会社 代表取締役社長

【9月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.37
コラム2 【師、曰く】 No.2
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.153
【お知らせ】
【3年6月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 高速道路における新たな価値の創造 』


日  時:令和3年6月3日(木) 13時00分~14時30分
場  所:名古屋観光ホテル 曙西の間
参加者:19名

スピーカー:
近藤 清久(こんどう きよひさ)
中日本高速道路株式会社
取締役 常務執行役員

近藤 清久氏

■自己紹介
 日本道路公団に就職し、30代後半から40代前半までは課長補佐として建設省道路局高速国道課に出向した。高速道路を計画立案し、道路公団に引き渡すまでを担当していた。道路整備計画を立案する審議会の会長は総理大臣だが、国会議員の先生方への根回しも行っていた。また、様々な方が大臣や副大臣に陳情に来られるが、その状況を大臣に説明するのも課長補佐の仕事の1つであった。道路は経済産業に欠かせないインフラの基幹であるとともに、政治に関わる部分も多いことをこの出向期間に学んだ。
 平成17年、小泉内閣での郵政民営化とともに、道路公団も民営化され、NEXCO東・西・中日本と3つに分割された。分割方法は、総距離ではなく、料金収入および、サービスエリア売上額を3等分にしている。中日本の対象エリアは狭いが、それだけ交通量が多いということである。社員は、出身地、出身大学を考慮し、幹部層が均等になるように振り分けられた。運よく出身地の岐阜も管内に含む中日本勤務となり、現在に至っている。

■高速道路のはじまり
 昭和30年代、経済成長に後押しされ、モータリゼーションの波が到来し、輸送方法も鉄道主体からトラック輸送が増加してきていた。しかし、当時の日本の道路は舗装もなく、泥まみれであったため、道路整備を望む声が大きくなってきていた。そこで、日本政府は高速道路の本格的な導入を検討し、世界銀行に融資を求め、ワトキンス調査団に調査依頼をした。調査後、提出された結果報告書には、「日本の道路は信じがたいほどに悪い。工業国としてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本のほかにない」という言葉が巻頭に記載されていた。
 当時、東京・名古屋間は、経済効率優先の東名案と開発優先の中央道案とで、論争となっていたが、ワトキンス報告書の「比較すべき計画ではなく、それぞれ有益である」に後押しされ、2本の路線が平行して整備されることとなった。
 また、有料道路制度を活用し、料金を建設債務の返済に充てることと、ガソリン代から道路整備の財源を得ることが貸し付け条件として記されていた。この報告書が我が国の高速道路整備のきっかけとなった。
 全国の高速道路は、当初7,600kmまで建設予定であったが、高度経済成長の中での自動車台数の増加に伴い、昭和62年に14,000kmへ計画が見直された。2019年現在で11,882kmまで整備が進捗している。なお世界を見ると、中国では2009年までは6.5万kmであったものが、2018年には14.3万kmまで急成長している。中国の場合、世界でも類を見ない急速な経済成長に加え、土地の私有権が認められていないため、土地の買収交渉が不要であるなど、短期間で長距離の高速道路を整備できる環境が整っていたことが、このような急成長を可能としている。
 都心部の渋滞緩和のためには、環状道路の整備が重要であるが、都心部の土地買収交渉や制約条件の多い場所での工事には、多くの時間と労力が必要となることから、他の先進国に比べると整備率は低い状況となっており、首都圏、中部、近畿ともに80%強の整備状況である。なお、北京には既に5重もの環状道路が開通しているのが現状である。

■NEXCO中日本の事業概要
 主な事業は、新規高速道路の建設、既存道路の渋滞緩和対策、リニューアル工事である。
 渋滞緩和対策として、既存道路の4車線化・6車線化や、スマートICの整備などを行っている。
 東名、名神は既に50年を経過しており、管内の高速道路の6割が30年を経過し、道路構造物の老朽化が進展してきていることから、大規模なリニューアル工事を推進している。特に橋梁やトンネルの傷みが激しい。橋梁のアスファルト舗装の下には鉄筋コンクリートの床版があるが、冬期に撒く凍結防止剤の塩分が、アスファルトのクラックから床版まで浸透し、鉄筋を腐食させ、コンクリート剥離が起こる。リニューアル工事では、床版を新しいものに取り換えるだけでなく、高性能な防水層を敷き、塩分の浸透防止も行っている。なお、床板老朽化のもう1つの原因として過積載車両もあるが、こちらは警察にも協力をいただき、取締りを行っている。トンネル床面は、従来は土の上にアスファルト舗装のみであったが、土圧増加により、路面隆起が発生する箇所も出てきたことから、トンネル床面をコンクリートによる逆アーチに結合することで、耐力を増加、沈下・変形を防止することを行っている。

■新技術やサービス導入
 次世代技術を活用した革新的な高速道路保全マネジメントとして、路車間での情報共有を通じた渋滞解消や事故防止の実現に向けた検討を行っている。具体的には、高速道路の状態を監視カメラやセンサーでデータ化し、道路側から渋滞や落下物の情報をリアルタイムで提供するサービスや、デジタル技術を活用した全線監視システムにより事故処理時間の最小化を実現することにより、安全で安心快適な高速道路空間を確保する取り組みを進めている。
 その他にも、土砂崩れ前後の3次元情報より、崩れた土砂量を算出可能とすることにより、災害復旧に必要な工事車両台数や、補強材料、復興計画を瞬時に算出し、早期の災害復旧と通行止め時間の短縮を実現する技術の開発も進めている。トンネル内を100km/hで走行しながら0.2mmまでのクラックを高解像度カメラで検出できるような点検システムも実現している。これによりトンネル内を点検するために行ってきた交通規制を大幅に少なくすることが可能となった。携帯で道路交通情報を入手できるアプリは、既に東京方面でサービス開始しており、中部エリアも近日開始予定である。高速無人隊列運転も実装実験中である。夜中に休憩するトラックで大混雑するSAの駐車場では、駐車場空き情報提供や、駐車場予約の社会実験も開始している。ドライバーの負担軽減のため、新東名浜松のSA外に、中継物流拠点であるコネクトエリア浜松を整備した。大阪方面から来たドライバーが、貨物と切り離され、東京方面から来たトラックと交代し、大阪に帰っていくというシステムである。現在、物流会社と協働で運営を行っている。ファストフードのドライブスルーや、一般駐車場、フェリーでのETC決済も、試行運用中である。

■新事業領域の展開
 最近では、道路以外の新事業領域にもその幅を拡大している。
 例えば、道路インターチェンジ周辺の開発事業として着手した「テラスゲート土岐」では、岩盤浴付きの温泉が人気を博しており、今年2月には「よりみちの宿」もオープンした。また静岡では、遊休農地を活用してレタスや枝豆などの栽培を行い、外食チェーンや中食チェーン、小売店に販売している。アジアや北米を中心に海外事業も展開している。AIを活用した路面損傷の可視化などを行い、計画立案、コンサルの仕事などを行っている。


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【3年6月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 新規事業『情報銀行』への挑戦 ~開発秘話&悲話~ 』


日  時:令和3年6月9日(水) 13時00分~14時30分
場  所:若宮の杜 迎賓館 橘の間
参加者:20名

スピーカー:
稲葉 健伸(いなば たけのぶ)
三菱UFJ信託銀行株式会社
常務執行役員 名古屋営業本部長

稲葉 健伸氏

■自己紹介
 浜松市に生まれ、高校生までは浜松で育ったが、その後、名古屋の某予備校に通うため、1年間名古屋で一人暮らしをしたことがあり名古屋には縁がある。10歳より熱狂的なドラゴンズファンで、今日も若宮龍神社で勝率upを祈願したところである。趣味の1つは野球統計学的分析手法を使っての中日ドラゴンズの戦略分析である。
 三菱UFJ信託銀行では、リスク管理や経営企画のキャリアが長い。審査部では統計手法を使った財務分析モデルを作り、MUFGグループ全体で現在も使われている。持株会社であるMUFG出向時には、モルガンスタンレーとの合弁プロジェクトへの参画や、東日本大震災時は危機管理対策事務局次長として、2週間ほど泊まり込みで陣頭指揮をとるなどの経験をした。2018年には、法人向けの貸出・融資業務を三菱UFJ銀行に移し、信託銀行は信託業務に専念するという大きな決断を下した。当時、信託側の責任者が私で、銀行側の責任者は半沢氏(現頭取)であり、ペアで本PJを遂行した。

■三菱UFJ信託銀行概要
 1927年の設立以来、94年の歴史を持つ。6社の合併を経て2005年に現在の形となっている。業務内容は、リテール部門、法人マーケット部門、受託財産部門、市場部門がある。リテール預金は集めるが法人貸出は行っていない、世界でも珍しい銀行である。市場部門は三菱UFJ信託銀行が最も強みとする部門であり、債券・株式運用や外為取引などで、永年にわたりコンスタントに利益を上げている。

■信託銀行の社会的意義
 信託銀行では、全ての銀行業務のほか、信託業務や併営業務を担うことができ、幅広いニーズに応えることができる。三菱UFJ信託銀行では、先にも話した通り、住宅ローンや企業向けの貸出からは撤退しているが、海外のファンド向け貸出は積極的に行っている。
 信託とは、委託者の大切な財産を、信頼できる人(受託者=信託銀行)に託して、誰か(受益者)のために管理・運用してもらう制度であり、三者を結ぶ信頼の三角形が、信託の基本である。信託の最大の特徴は、倒産隔離機能である。委託者の死亡や倒産、或いは信託銀行そのものが倒産しても、財産は法的に守られ、債権者から差し押さえられることもない。少子高齢化、長期的な低金利政策、働き方改革、資産承継など、委託者が抱える社会的問題を解決するツールの一つであるが、まだまだ認知されていない。それゆえ、三菱UFJ信託銀行は、銀行業務を移管して信託業務に専念することを決断したのである。
 近年は社会のデジタル化により、資産にも変化が生まれている。約束手形は電子手形に置き換わるなど伝統的資産がデジタル資産に変化したり、仮想通貨や、デジタルアートなどの新たなデジタル資産が誕生したりしている。また、信託は、数、時間、性質、能力、信用などを転換する機能を有しており非常に便利であるが、膨大なシステム開発コストが普及へのネックになっていた。しかし近年FinTech技術の向上により、安価にシステムが構築できるようになったため、信託の可能性は今後更に広がると考えている。

■情報銀行「Dprime」
 新しい事業の1つとして、パーソナルデータ信託(情報銀行)サービス、Dprimeを開始した。情報銀行の概念が叫ばれるようになったのは、GAFA等による独占的データ収集がなされる中、「個人データは個人に帰属する」という考え方が浸透してきたからだ。現在、同意のないまま個人情報が収集され、断片的なデータが目的外のものに転用されることにより、的外れな情報が日常生活の邪魔をしている。例えば、育毛剤やダイエットサプリ、投資マンションなど、身に覚えがない広告が表示され困惑している。このような状況の改善のため、情報銀行の立ち上げを企図したのである。
 情報銀行では、個人情報を利用者から預かり、同意を得たうえで第三者に提供する。販促のためのデータ仲介ではなく、個人とデータ利用企業双方に、新たな気づき創出や、両者の関係構築がコンセプトである。同意を有するため、企業は真贋性の高いデータを堂々と使用することができる。利用者は対価としてポイントの還元や、料金割引、サービスの体験などを得られる。もちろん、データは個人が特定されない形式で渡される。大事な財産やデータを保管するノウハウのある三菱UFJ信託銀行だからこそできるのである。
 他企業でも、情報銀行サービスをリリース、もしくは予定している。本人確認が必要なものと不要なサービスとがあるが、反社会勢力による悪用や、ユーザーのなりすましの防止のため、三菱UFJ信託銀行では本人確認を必須としている。また、競合他社と比較し、三菱UFJ信託銀行では、細かいターゲット属性の選択・設計も可能である。
 サービス開始時は、基本情報、趣味や興味や嗜好などの事前アンケート情報、マネーツリーと連動した資産情報、スマホ位置情報と連動した行動履歴が取り扱いデータであるが、9月には、1,200社ほどのECの購買履歴との連動を予定している。2021年後半には健康データ(心拍数、健康診断結果、血圧、睡眠時間、投薬情報など)の情報提供も政府により解禁されるため、連動予定である。新薬の開発等にも役立つのではないかと考えている。

■開発秘話&悲話
 Dprimeは、2017年に本ビジネスを構想してから開発完了まで3年半も要した。特に構想・実証実験にはしっかり1年半かけた。初期段階に、体重と食事内容を入力する簡易システムを開発し、実証実験を行った。社員100名を前に、「このプロジェクトは会社の歴史を変える!世界の歴史を変える!」と大演説したのだが、1か月間継続した者はたったの5名であった。毎日入力するスキームは破綻すると初期段階で気づくことができた。このように小さな実証実験を繰り返すことで、ローコストで事業構想を固めることができた。
 イノベーションには、クリエーションだけでなく、オペレーションも必要である。良いクリエーションがあっても、適切なオペレーション無しには、世の中に出る前に消えてしまう。いかに両者の橋渡しをするかが重要なのである。特に、新規事業には、様々な部署から反対意見が出るものである。これまで何度も橋渡しに失敗し、アイデアが潰れた経験があった。今回の事業は信念を持ってやっていたので、実証実験が終わった段階で、日経新聞一面トップでの対外公表を狙う広報戦略をとった。日頃から、日経新聞記者との信頼関係を構築し、情報銀行の世界観を刷り込んできた。また、ネタ枯れしそうな時期を見極め、他メディアへの情報展開も遮断するなど作戦も練った。狙い通りに記事化された効果は絶大であり、その後の2日間で新聞9件、TVは11件も報道され、朝の情報番組では15分の特集も組まれた。ニュースピックスでは、約300名の有識者による有益なコメントも記載された。これはその後のマーケティングや、開発にも役立てることができている。このように流れを作ることにより、反対するであろうオペレーション部隊のマインドを「どうすればできるか」にリセットし、協力体制を構築することができた。
 このビジネスは緒に就いたばかりなので成功するかどうかは未知数であるが、これまでにない新しいサービスをリリースできたことで、社会的なインパクトを与えることができたと思う。


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【3年6月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 One Stop Businessのご紹介 』


日  時:令和3年6月15日(火) 13時00分~14時30分
場  所:名古屋観光ホテル 桂の間
参加者:21名

スピーカー:
榊 宏之(さかき ひろゆき)
株式会社サカキL&Eワイズ
代表取締役社長

榊 宏之氏

■経歴・会社紹介
 27歳の時、先代が行っていた不動産賃貸業が経営破綻状態に陥ってしまった事を機に、それまで勤めていた東京の会社を退職し実家の再建の為、一人新たな形で事業を開始した。当初は融資も受けられず、今ある物の有効利用を考え、また、サラリーマン時代に覚えた営業倉庫業のノウハウを使い総合物流業として事業開始し一歩一歩事業を今まで進め現在に至っている。
 社名のサカキL&EワイズのLはロジステック(物流)、Eはエステート(不動産)を意味している。この地域では倉庫業=貸倉庫と思われていた為、倉庫をキーワードとして総合物流業を行っていくのに不動産を外せないと言う事で、社名に物流業と不動産業を良く知っている会社と言う意味で付けている。また、事業を進めていく中で都会では飲食店でも専門店が多いが、この地では1種類の事業では商圏規模も小さく、立地条件を言われる倉庫業だけで、この地では売り上げボリュームを上げて行くのは厳しいと感じ、地方に良くある何でも取り扱う大衆食堂の様にする方が良いと考えた。「地方の企業は大衆食堂化」とコンセプトを持ち、小さい会社でありながら需要があれば、様々な業種を取り扱う様に進め、物流で取引を開始した顧客の困り事、かゆい所に対応しているうちに、事業も大きくなり、倉庫業オンリーから製造業や受託製品の配送センターも扱うようになり、現在は総合物流業だけでなく医療用不織布やフィルムを基材とした医療機器の製造、製造販売、マスクの製造・販売、医薬部外品、化粧品、日用雑貨、食品の製造、製造販売や医薬品も取り扱っている。
 私自身は興味を持てばなんでも自分で取り組んでしまう性格で、医療機器工場の建設後には、製品開発の為に三重大学大学院医学系研究科博士課程に入学もした。人任せにせず、趣味も仕事も80点までは取らないといられない性格なのである。趣味のバイクでも、転倒リスクを避けるため短期合宿訓練に参加したり、一段の技術向上の為に自分で改造しオフロードの耐久レースにも出場し、ヨットもレースから外洋航海まで、バンドも今も現役でロック、JAZZと変わりながら現在昭和歌謡バンドで活動している。

■ロジスティクスの発展
 原始時代の必要な量だけ狩猟する生活から、農耕時代に変化し、冬期や、豊作・不作を乗り切るために貯蔵技術が生まれた。隣町の特産品との物々交換が始まり、運送技術が始まった。馬に荷物を載せて運ぶ仕事は、報酬も安価で、人気がなく、捕虜や奴隷の仕事であった。報酬を「駄賃」と呼んでいたが、簡単な仕事に対する少額報酬の語源になっている。敗戦復興や、高度成長時代には、物流が日本経済成長を支えてきた。ベトナム戦争時、弾薬、食料などの物資を、必要な量を、最適な方法で迅速に輸送し、配置するためにロジスティクス手法も考案された。近年、更に発展したのが、eロジ、3PL、サプライチェーンマネジメントである。また特に人の資産をお預かりする倉庫業を基本とした物流業は扱い商品が物かお金の違いだけで、銀行と同じ業務であるとも考えている。

■医療機器事業の紹介
 サカキL&Eワイズでは、医療機器の製造、製造販売、OEM生産、受託生産も行っている。受託事業が最も多く、開発から全て受託されるもの、自社より提案するもの、材料支給の有るのもの、滅菌だけを行うもの、輸入製品にブランドラベルを貼るだけのもの等多岐に渡る。
 弊社の製造する医療機器として代表的なものは、手術時に無菌の術野を確保する為、患者を覆う滅菌ドレープがあるが、開腹時に感染症を発症させない為に必要な医療機器である。また、オペロボットや医療機械向けの滅菌フィルムカバーも取り扱っている。今回のコロナ禍では、世の中の不足品を提供しようと、アルコール除菌や、マスク用涼感スプレー、防護服の開発、生産も行ってきた。
 サカキの木の学術名は、Cleyera japonicaで、医療機器の自社オリジナルブランドは、「Cleyera」と自分の名前でもあり、お祓いの木をブランド名にしている。

■One stop serviceの紹介
 製造と物流の一体化を行っているため、製造事業部で企画、開発、調達、出荷判定まで対応し、物流に流すことが可能である。顧客にとっては営業・販売以外の業務は全て委託で完結することができ、また輸送の重複コストも削減可能である。
 このシステムでは、在庫を一定数に保つことも可能である。出荷により、一定在庫数を下回れば、自動的に生産指示書が発行され、生産が始まる。材料の仕入れから在庫管理、製品出荷まで、顧客の手間を省略できるOne stop serviceはサカキL&Eワイズだけのサービスであり、自社の強みである。

■マスク情報
 コロナ禍の中でマスクに対し世の中には大きな勘違いもあるので、マスクの知識として参考としていただければと思う。
 不織布サージカルマスクは両側の不織布と、内側のフィルター不織布から構成される3層マスクとなっており、両側の不織布の強度は高いが、目が粗くバリア機能はない。一方内側のフィルターは目が細かく、バリア機能は高いが、強度が低く、簡単に割れてしまう。それ故、マスクは内側のフィルターを両側の不織布で補強する構造となっているのである。
 布マスク等に比べバリア性の高いマスクはサージカルマスク、N95、DS2となる。なお、N95は米国安全衛生研究所の制定規格基準でNは、not resistance to oil(油耐性なし)、95は、0.3μmの塩化ナトリウムを捕集効果試験で95%、8時間以上捕集できたものという意味である。
 特には防御の観点から考えると、マスクのフィルターに呼気を通さなければ、ウィルス捕獲ができないので、装着方法を間違うと効果が薄れる場合がある為、正しく装着されることをお願いしたい。また、N95やDS2以外は呼気の多くがマスクと顔に隙間がある為、漏れており、正面にいる相手は守れるが、自分を守る効果は低く自分を守りたいのであれば、N95 かDS2の様な密着性の高いマスクを装着するか、テープで顔に張り付け、呼気のすべてをフィルターに通すようにすることが必要である。特にN95等でも上下逆に装着すると、密着性が下がり捕集効果は激減する為、正しい装着が必要である。なお、通常の不織布3層マスクなどで99%捕集となっているマスクは、ほぼ顔とマスクの隙間から呼吸をしてしまうそうで、70~80%捕集率のマスクが最も効果的と言われている。
 但し、感染ルートの多くは、口や鼻を手で触ることによる粘膜感染である為、どんなマスクでも顔を直接触る回数が減るという意味では、フィルター機能に関係なく、感染防止効果がある。


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【新会員自己紹介】

写真:三枝 弘典氏
水曜第2グループ

三枝 弘典(さいぐさ ひろのり)
三幸電機株式会社
代表取締役社長

【三幸電機株式会社】
〒456-0025 名古屋市熱田区玉の井町7-23
URL:https://www.sanko-grp.co.jp/

 初めまして。三幸電機株式会社の三枝弘典と申します。
 弊社は、創業者である私の祖父が、電設資材の販売から事業をスタートし、2代目である父が、ワイヤーハーネスや電子基板等の電子機器製品の“ものづくり”メーカーとして事業範囲を拡大し、更には“ものづくり”事業の海外への展開を積極的に行ってまいりました。
 お客様は大手の企業様ですが、そういったお付き合いを大切にし、かつ、今まで培ってきた事業活動を活かしながら、複数の“新しい事業”への取り組みを、現在積極的に推進しております。
 私は、名古屋生まれでありながら、名古屋での生活が長くなく、また、所謂“業界”の中でのお付き合いが今まで大半を占めておりました。今回、中部経済同友会、そして、産業懇談会への参加を通じて異業界・異業種の方々と交流させていただき、多くのことを学ばせていただければと思っております。また、微力ではございますが、皆さまのお役に立てるよう努力して参りますので、ご指導のほど、よろしくお願いいたします。

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9月度産業懇談会のご案内

 感染リスクを回避するため、引き続き定員を設けさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
 また、開催日に緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が適用されている場合は、昼食の提供を取り止め致します。

 何卒、ご理解・ご協力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
 なお、開催方法が変更になりましたら、ホームページでもご案内いたします。

  • 定員は先着25名(※定員の締切はホームページにてご連絡いたします)

 ※会合にご参加いただける際は、マスクのご着用・手洗い、積極的なアルコール消毒の励行にご協力ください。発熱の症状がみられるなど体調不良の方は、ご参加をお控えいただきますようお願いいたします。

グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

9月14日(火)
12:30~14:30

『『キャッシュレス』社会の現状と今後の展望』
株式会社ジェイシービー東海支社 
東海支社長 徳田 尚志 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
18階 伊吹の間
講演
3階 桂の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

9月22日(水)
12:30~14:30

『ITの過去と未来』(仮題)
株式会社ベネスト
取締役 名古屋開発センター長 井戸 康博 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
2階 曙東の間
講演 
2階 曙西の間
水曜第2グループ

大倉偉作
香川裕子
高見祐次

9月1日(水)
12:30~14:30

『オリックスと脱炭素社会実現に向けて』
オリックス株式会社
名古屋支店長 宇高 秀樹 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
18階 伊吹の間
講演 
3階 桂の間

木曜グループ

河村嘉男
中林直子
吉田憲三

9月2日(木)
12:30~14:30

『物流業界における人材不足と人材派遣会社として
     当社がチャレンジしていくこと』
KUNIX株式会社
代表取締役 北 昌秀 氏

名古屋
観光ホテル
集合・食事
2階 曙東の間
講演
2階 曙西の間

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.37
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 厄年ですか?? 』

 梅雨も明け、気分転換に車を飛ばして安曇野まで出かけた。
 初めて安曇野に来たのはかれこれ45年くらい前。中学校の年度末終業式が終わって自宅に帰ると、着替える間もなく父の車に押し込まれ、セーラー服のまま気が付くと穂高連峰の麓に居た。そこに完成したホテルの、お披露目宿泊会か何かだったのか、兎に角何もない山裾に一軒のホテル。庭先には、リスだの、鹿だの、猿だの、リクリエーション代わりの天然動物園に囲まれて、することのない何日間を過ごした。それから以降、父が隠れるまでは、お盆か年越しか、年一回は家族旅行に訪れていた。自分で運転できるようになってからは、外泊にうるさかった両親も安曇野なら安心と友人との旅行を許してくれていた。2006年、父との最後の家族旅行も安曇野だった。豊科インター(現在の安曇野インター)を降りて道なりに直進すると、田んぼの中に突如「スイス村」というサービスエリアが見えてくる。長野オリンピック以降インフラ整備は進んだが、当時あの辺りはまだまだ長閑な田舎町で、立ち寄るところと言えばこの「スイス村」か「いわさきちひろ美術館」か「大王わさび農園」くらいしかなかった。そのスイス村の駐車場で、穂高連峰をバックに新年の家族写真を一枚。立ち位置がどうのこうの、すったもんだして撮影したのを思い出す。
 そんな安曇野に今回5年ぶりにやって来た。懐かしのスイス村が視界に入ってあらビックリ!あの撮影スポットに、大きな見晴らし台が出来ていて、そこで観光客が写真を撮っている。ああ、ここも『映え』文化に浸食されたか…、などと思いながら、昼食をとるレストランに向かった。

数年前東京の有名レストランマネージャーに「安曇野に一流シェフがお忍びで食事に行くレストランがあるんだよ、名前は教えられないけどね」とラブリーな情報を頂き、自力で見つけだして以降、安曇野に行く度に頑張って予約して、日帰りでも宿泊でも最初のランチはそこで、と決めている。昨年の緊急事態宣言下では休業を余儀なくされていたようだが、見事に復活。やはりここでの一皿には心癒されるものがある。

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地場畑で採れた高原野菜の一皿
ちなみにグラス内はノンアルコール

 たっぷり2時間かけたランチの後、同行した友人に、
「ところで今回の旅のテーマはパワースポット巡りだよね、まずはどこに行きますか?」
昨今の御朱印帳流行りで、こんな田舎の(失礼!)小さな寺社仏閣までパワースポットになっているらしく、ホントかよ??との疑念を払拭すべく、2日かけて3社回ることにした。まずはホテル近くの有明神社。ここは多分子供の頃に参拝したことが有るらしいのだが、記憶からはさっぱり消えている。

鳥居をくぐって駐車場に入ると、ほぼ満車状態。とは言えそこいらに人の気配はなく、観光客は一体どこに消えたのか…とあたりを見回すと『登山道入り口』の標識。なるほど、ここで入山手続きをした登山客の車だったのね、と納得して日光の陽明門を模したという山門をくぐる。有明神社のご神体は有明山で、どちらかと言えば地場信仰系の神社なので観光に力を入れている感じは余りないのだが(※縁起は検索できるので、3社とも省きます)それにしてもいい意味で「ありのまま」な神社だ。社を囲むスギ林は樹齢300年を優に超え、マイナスイオンは吸い放題。本殿に向かう途中招福石という、潜るだけで吉運が舞い込むという大きな古銭型の石の真ん中をとりあえず抜けて、拝殿にて参拝。全く人が居ないので、本当にこんなところでも御朱印書いてもらえるのかと不安になった友人が、社務所らしき建物を覗きに行き、ニコニコ顔で戻って来た。どうやら社務所でゆっくりお茶していたおじいちゃんが「書くよー」と言って作ってくださったらしい。まあ御朱印には違いなく、ご利益の程よりその「抜けた感じ」がここの良さなのだろう。

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狛犬の顔が印象的

 翌日は穂高神社と大王神社へ。昨日の有明神社のパワーよりも部屋で飲んだワインの方が心配だったので、出発までに温泉でひと汗かき、安全運転で向かう。穂高神社の奥宮は上高地で、嶺宮は奥穂高岳の山頂にあり、その名の通り穂高見命を祭っている。神様がおわす穂高の鎮守なので、当日はお宮参りの家族連れなどで賑わっていた。

写真

境内には樹齢500年を超す御神木があり、これに触れると厄除けになるというパワースポットだ。祈りを込めてエネルギーを頂き、境内を散策すると、お祓いコーナーによく目にする「厄年早見表」がかけてあった。何気に目をやって驚く。女性の厄は37歳が最後だとずっと思っていたのだが、その早見表には「女性昭和37年生まれ、前厄」としっかり書かれている。え?!私前厄?これは男性だけじゃないの?と不安になりググってみると、どうやら最近は長寿になって女性も厄とすることが一般的になったらしい。そう言われてみるとこの梅雨前から、会社の中でトラブルやら怪我人があり、少々ざわついている。これはまさか前厄のせい?それを自覚するために「パワースポット」とは名ばかりの「厄除けツアー」にやって来たのか!!いかん、いかん、お賽銭奮発せねば!賽銭箱の横にあった御祈祷用封筒に、浄財を奮発して私の厄除けと会社の安全と繁栄を書き記し、願いを込めて投函する。そんなに信心深いほうではないけれど、不安の種はすぐに色々なところに飛んで行くので、あれもこれも前厄のせい?と少しばかり狼狽したが、お気楽な友人曰く

「これでまとめて厄落とし出来て良かったじゃないですか!!」
ご機嫌な彼女の手に握られていたのは御朱印夏バージョン、「いいっすね~安曇野」

 この後わさび農園で大王神社に参拝し、安曇野ワイナリーでお土産を購入。打ち立て蕎麦に舌鼓を打って、とれたての桃を手に帰路についた。
 久しく遠出をしてなかった私の、煮詰まった前頭葉もこれですっきりすることを願いつつ、私も「いいっすね~安曇野!」と言いながら笑顔で帰ることにした。高速の向こうに見える、絵日記のような夏空を旅の友にして。

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コラム2 【師、曰く】 No.2
コラム【師、曰く】

妹尾 鷹幸(ペンネーム)
(株式会社構造計画研究所 名古屋支社長 妹尾(せのお) 義之)

 ペンネームは、恩師、田坂広志先生の多重人格マネジメントの応用、作家人格の名。心に鳴り響く言葉を、今回も一筆。

『 志、使命 』

 田坂広志先生の講義は、名は体を表すの如く、志の講義でした。社会人向け大学院ですから、夜の講義は心身共に疲労の中。休憩なしの3時間講義で、30名弱の全員が、田坂先生とのアイコンタクトを維持し、背筋を伸ばした正対の姿勢。物音ひとつ立てず(メモは禁止)、全身全霊で傾聴し心に刻み心で応える一期一会の真剣勝負だった。一瞬でも弛む人が居ると、厳しい戒めが飛んだ。実は私も、初回に洗礼を受けた。メモ禁止を知らぬとはいえ、私だけノートを広げていた。勿論、アイコンタクトは守り、先生の目を見ながらの走り書き。メモは知識に過ぎず、掴むべきは知恵だと先生は言われる。先生の視線が外れた一瞬、私が視線をノートに落とした、正にその時、言葉の竹刀が振り下ろされた。「そこ!メモを取っていいと言った覚えはない!」厳しい戒めに背筋を垂直に、「はい!」と即座にペンとノートを仕舞った。正に真剣勝負の鮮烈デビューだった。

 いい齢をしたリーダー達が、時に、「貴方の弛みから空気が抜けてゆくんだよ。他の人の集中に迷惑だ。人の貴重な時間を奪っている。出て行きなさい!」と、叱責を受ける。しかし、誰一人、恨みを持つことはない。田坂先生の「志」、「使命感」が伝わってくるからだ。皆、それぞれ、人生を拓こうと藻掻いている。ひとりひとりの道が拓けるよう、祈りにも似た先生の言霊が、心に染み入ってくる。ひとりひとりの人間としての成長が、やがて世界を輝かしいものにしてゆく。その信念をお持ちなのだ。

 前回、「小さなエゴ」で語ったことは、言わば「小我」。自分の幸せだけを考えるエゴ。その小我を、「大きなエゴ」である「大我」に育てよと言われる。自分だけの幸せから、部下を持ったら部下を含めた幸せを、社員を持ったら社員を含めた幸せを追求することが、大きなエゴだと言われる。その大きなエゴである大我は、大きく育てれば育てるほど、大勢の人々を幸せにする。人間、エゴを消すことは出来ない。出来ないならば、そのエゴを小さいエゴではなく、大きく大きく育てよと言われる。

 では、エゴを大きく育て大我をもつには、どうすべきか。「志」、「使命感」を持つことが、大我を育てると言われる。志と似て非なる言葉として、野心がある。師、曰く、『野心は、己一代で何かを成し遂げようとする願望。志とは、己一代では成し遂げることができない素晴らしき何かを次の世代に託す祈り。』その志の為に、一度しかない「命」を「使う」ことが、即ち、「使命」。企業理念も「志」であろう。志が大きければ大きいほど、素晴らしければ素晴らしいほど、その為に命を使う価値がある。企業人として、個人として、志をはっきりと言葉にして持っているだろうか。このコラムを書きながら、改めて、自分自身に問うてみる。私は、果たして使命を賭して成し遂げたい「志」をもって、生きているだろうか?人生に悔いを残さない生き方をしているだろうか?師の鳴り響く言葉を反芻する度に、自分の未熟さを見つめざるを得ないことに、気づく。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

写真 (昨年に行った佐久島の碧い海と蒼天の空)

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.153
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 はじめての昭和史 』
井上寿一著・ちくまプリマ―新書

 この本を著した目的を、著者は次のように述べています。
 「この本は八つの観点から昭和史を再構成する試みです。
今から100年近く前に始まり、30年以上も前に終わった昭和時代を振り返るのはなぜでしょうか。今日と類似した問題を昭和時代に見出すことができるからです。問題の解決の手がかりを求めて歴史をさかのぼると、昭和史にたどり着きます。昭和史は問題解決の示唆に満ちているのです。」その八つの観点とは、憲法・政党政治・協調外交・安全保障政策・格差社会・社会運動・大衆文化・メディアです。
 タイトルに「はじめての」とあるのは、「昭和史に対する先入観や知識をリセットして、未知の昭和史を探索してみませんかと誘いたいから」だそうです。「世の中には自説の確認、あるいは異なる歴史解釈の『論破』を目的として、昭和史関連本を手にする人がいるようです。この本はそのような目的には適していません」とも述べています。

 ちくまプリマ―新書や岩波ジュニア新書は、(中)高生を対象に書かれていますので、表現が易しくとても読み易いシリーズです。易しく書いてあるからといって、内容に妥協はありません。ぜひお手に取ってみてください。

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