■ネオファースト生命保険会社について
日本には42社の生命保険会社が存在しており、そのうち5社が相互会社形態である。相互会社とは、保険契約者が社員であり、社員に利益を還元する会社形態のことである。日本生命、明治安田生命、住友生命、朝日生命、富国生命がこれにあたる。なお、第一生命は、2010年まで相互会社の形態をとっていた。
ネオファーストは第一生命ホールディングスを100%持株会社として、2014年に設立された。第一生命は、専属チャネルを中核とする一方、ネオファーストは、各社商品を比較して加入を希望する顧客の増加を背景に、保険ショップや銀行等の乗合代理店チャネル向けの商品供給会社として設立された。
■相互会社第一生命の誕生
第一生命創業者の矢野恒太は、15代続く岡山の医者の家に生まれ、25歳で日本生命の診査医として就職した。しかし、利益至上主義であった当時の生命保険会社が、人々の役に立っているのか憂慮し、最終的に日本生命を退職した。その後、1年で16本もの論文を発表するなど、保険を徹底的に研究するようになる。また、保険先進国でもあるドイツに留学し、既にドイツで発売されていた「相互主義の保険」について学んだ。帰国後には、農商務省の嘱託職員として保険業法の起草にも参画し、保険業界の改革に邁進した。しかし、なかなか理想の保険会社は生まれず、明治35年9月(1902年)、矢野恒太自ら、日本で最初の相互会社を創業するに至った。
■第一生命グループのDNA
第一生命グループでは、1902年創業以来、「最大ではなく最良の追求」という矢野恒太の教えを継承している。例えば1923年の関東大震災では、人々が大変な時ほど迅速に支払うべきとし、顧客を探し出してでも支払いを行った。更に、渋澤栄一との田園開発や、北里柴三郎との結核予防協会など、保険会社の業務を超えた活動も行った。当時は、年間約8万人が結核で命を落とす時代であり、人々を幸せにするため、世のためになることを、信念を貫いて行ったのである。矢野恒太の名言として、「世の中の人が喜ぶか、なくてもよいと思うかを考えよ。世間の人が有益で便利と感じる仕事は必ず価値が認められ、世間がその仕事を認め大きくしてくれる。だからこそ、仕事というものは世間のためにやるのだ」という言葉が残っている。第一生命グループのDNAとして、創業者から、今でも脈々と受け継がれている。
■第一生命グループのあゆみ
近年、バブル崩壊、少子化、生産年齢人口の低下、アジア通貨危機など、幾多の困難を乗り越えるべく、他の金融機関との資本及び業務提携を積極的に行っている。第一生命ホールディングスのコア事業は、国内生命保険事業、海外生命保険事業、アセットマネジメント事業である。特に海外事業展開を加速するため、2010年に会社形態を相互会社から株式会社に変更した。株式会社は創業者との想いに反するのではないかと危惧されるが、しかし、「相互と株式はどちらがいいのか?」という質問に対し、矢野恒太は「家に例えると、木造も石造りもどちらもよい。目的にあわせて作ることだ。」と回答している。取り巻く環境の変化に応じて、適切な会社形態とすることこそ、創業者の想いであろう。
■QOL向上への貢献
このように変化の激しい時代において、第一生命グループでは、中期経営計画において、お客さま、社会、多様なビジネスパートナーとの“CONNECT(つながり)”のあり方を磨き、「あらゆる人々の、自分らしいQOLの向上」に貢献できる商品・サービス・チャネルの追求を目指している。QOL(quality of life)とは、物理的な豊かさや個々の身辺自立のみでなく、精神面を含めた生活全体の豊かさと自己実現を含めた概念のことである。また、グループ各社の“CONNECT(連帯・協働)”の力を高め、各社それぞれの成長と独自のシナジー創出を、地域で、世界で実現していく。
UX(ユーザーエクスペリエンス)や、UI(ユーザーインターフェース)が変化する中で、第一生命では、CX(顧客体験)にこだわり、CXを購買行動に繋げる商品を開発している。保険会社がニーズを作るのではなく、顧客自身が病気や寿命について考え、保険について考えるようなビジネスモデルを構築していく。健康診断書提出による割引や、その結果に基づいた割引、認知症予防アプリの開発や、ALSOKと提携した訪問サービスなどをおこなっている。
代理店では、顧客の意向に合わせて複数商品を比較するため、各社の商品は追随・同質化し、コモディティ化している。ネオファースト生命では、一人一人異なるリスクのためのオーダーメイドの保険、お客さま一人ひとりが望む形で寄り添える健康増進やQOL向上のためのサポートパッケージ、必要な時に必要なものを備えたい、例えば妊娠や出産時のみのジャストインタイム保険などを検討している。