コラム1 【さっかの散歩道】 No.24
長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子
『 新しい生活って? 』
この頃ちょっと厄介だな…と思う日本語の表現が多くて、少しばかり困惑してしまうことが多い。特に違和感を覚えるのが「新しい生活(様式)」だ。何かが変わるわけでもなく、ただちょっとばかり立ち位置を考えましょう、コロナ君がそこかしこに居るので…ということなのだろうが、これって「新しい」という言葉に置き換えることが果たして正解なのか?「新しい」と言ってしまったがために、無意識のうちに心の中の“切り替えスイッチ”が入ってしまうことがないだろうか?緊急事態宣言が解かれて以降は落ち着きつつあるが、例えば自粛警察や、マスク警察と呼ばれる自分なりの正義感に突き動かされる行動も“切り替えスイッチ”の影響があるのではないだろうか?
「新しい生活」と表現される多くの場合は、引っ越しなどで生活環境が変わったとき、また学生から社会人へと、その立場が変わったときであろう。特に海外で生活することになると、まずは言語、通貨、週間、国民性など、全くアウェイな暮らしが始まるわけで、何もかもゼロからの生活を始めなければならない、まさに「新しい生活」となる(あ、大手の駐在さんは海外でも日本式でしたけど)。このような経験を持っていると、今回の事は、私も含めて「ちょっと警戒して周りに気をつけよう」レベルで、何かが新しくなったという感覚は余り持たないのではないだろうか。
フランスに渡航した年、まずは大学併設の語学学校でサマーセミナーを受けた。その時の先生はブルゴーニュ人気質で凝り固まった60歳を過ぎたマダムだった。ブルゴーニュで暮らす地元民は今もなお「ブルゴーニュ公国」のプライドを持ち続けていて、フランス人でさえもブルゴーニュ以外の人は「よそ者」とはっきり区別する。こんな信念をお持ちの方が学校の先生だなんて日本では想像もつかないが、ちょっと京都に似た排他的なところがあった。
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ブルゴーニュ公国の首都DIJONの宮殿(現市庁舎) |
その先生の最初の授業。普通なら自己紹介やらなにやらで、和気あいあいと済んでゆくのだろうが、勿論私たち以外のクラスはそんな運びだったようだが、なんとこの先生、いきなりビデオ上映を始めた。タイトルは確か「Le Ball」とかそんな感じ(定かではないが)。内容はというと第一次世界大戦開戦前夜のパリが、戦争勃発でドイツ人に侵攻され、通貨も言語も生活も一夜にして変わってしまい、そんな中で民衆が立ち上がり再びパリを取り戻す、という物語なのだがle ball(ナイトクラブ)を舞台に描かれていて一切セリフは無し。先生は私たちに「これについて感想を書きなさい、それがあなたたちの自己紹介になります」と言い放った。なんて怖い先生!半数近くのクラスメートはクラス替えを大学に申し出て名前も告げぬまま居なくなった。私はというと、所詮2週間のセミナーだから出席さえしてれば終わるし…と、高を括っていた(最後に事件が起きたけど)。この映画、先生の手法は別としてフランス人のフランス人たるアイデンティティーが色濃く描かれており、彼らのDNAの中には老若男女問わずREVOLITION(フランス革命)とINDEPENDENC(自立)が根付いていた。先生は異国からやって来た学生たちに「フランスで学ぶということは、フランスを知ることだ」と伝えたかったのだろう…良く解釈すると、多分。フランスはしょっちゅうドイツやイギリスに侵攻されていた。フランス人が貯金をしないのは「明日ドイツが来たら、貯めていたお金は一銭の価値もなくなる」と身をもって知っているからだという人もいる。こんな風に戦争によってすべてが塗り替わるのは、究極の「新しい生活」と言えるだろう。私的にはそんなキャラの濃い先生とのセミナーも「新しい生活」の一端であり、ある意味「苦行」の2週間だった。余談だが、ブルゴーニュの人がプライドで凝り固まっているのは、有史以来一度も他国に侵攻されたことがないという誇りからだと言われている。とは言え、最近ではかなりマイルドになったようだが。
コロナに関わらず「新しい」と言わないまでも、変化の片鱗は、実はずいぶん前からあったように思っている。日本ではまだまだマイナーな学問「哲学」は、学部のイメージから就職には難儀することが多いと聞くが、最近哲学出身の占い師が増え始め、意外に人気を集めている。これまでの占い師と何が違うのかというと、内容が「ラッキー」「ハッピー」「要注意」メインでなく、どこか僧侶の「説法」に似た、癒し系カウンセリングを受けたかのような、読む人に寄り添う文体になっていたりするのだ。また、海外における哲学と宗教は、相反するとされた歴史が長いので、哲学を勉強して神学に進むとか、神学校から哲学になんてことは滅多にないが、実は哲学を読み解いてゆくと、仏教に通ずる解釈がいたるところに感じられる。最近超高学歴の僧侶が増える中、あえて哲学を勉強してお寺を承継したというパターンも珍しくない。時代が移り変わる時、変化の良し悪しに関わらず心の拠り所として宗教や哲学が好まれる傾向は、歴史のそこかしこに垣間見られる現象だ。特に今回ソーシャルディスタンスのように「集団」から「個」への移行は、自他の存在意義、正当性、承認欲求を消化しきれずストレスを貯めるシーンが増えるので、その受け皿として、仏教、哲学、或いは、前回のWEB公演のテーマにもあった論語などは、密かなブームを呼ぶ。とは言え、そうやって時代が成熟してゆく過程では、カオスを生むし(変なスイッチが入る人とか)成熟しきれずガラガラポンなんてこともある。「新しい生活」は私にとって多分、「新しい」わけではなくて、今まで見て見ぬふりをしていた煩悩と向き合うことだったりするのだろう。ワインの消費量は別として。
追伸、四苦八苦は煩悩の数、4×9+8×9=108 と言われていますが、これは数字に合わせて漢字をあてたものなのですか?煩悩は108とは限らずもっとあるともいわれていますが、どなたか教えてくださいませ。 |