産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第209号 2019.10.31発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和元年10月度(第209号) 目次
【元年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】 9月10日(火) 12時00分〜14時00分
【元年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 9月11日(水) 12時00分〜14時00分
【元年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】 9月12日(木) 10時10分〜14時30分
【新会員自己紹介】
山岸 晃氏

株式会社名古屋証券取引所 常務執行役員

【11月度産業懇談会のご案内】
【12月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.16
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.132
【お知らせ】
【元年9月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 名古屋駅開発の今昔 』


日  時:令和元年9月10日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 桂の間
参加者:58名

スピーカー:
坂田 一広(さかた かずひろ)
名古屋ステーション開発株式会社
取締役社長

写真:坂田 一広氏


■自己紹介
 私は昭和33年に生まれ、昨年還暦を迎えた。生まれは高山だが、小学校から高校まで名古屋の公立校を卒業した。昭和57年、当時の国鉄に入社。ちょうど行政改革により国鉄の分割・民営化の議論が盛んだったころだ。昭和62年、国鉄分割によりJR東海に入社した。JR東海での仕事の経歴としては会社発足当時のテレビコマーシャル「シンデレラ・エクスプレス」や「クリスマス・エクスプレス」等の広報活動、鉄道関係の営業、事業関係に携わっている。今でも続いている「そうだ 京都、行こう。」という観光キャンペーン、エクスプレス予約という新幹線のネット予約の立ち上げ、運賃改定等にも携わった。ホテル・流通関係、JR東海エージェンシーという広告会社勤務を経て、2年前から名古屋ステーション開発という商業施設開発の会社で勤務をしている。
 本日は、現在、過去、将来と時系列で「名古屋駅開発の今昔」をお話したい。

■名古屋ステーション開発の業務内容及びエリア
 名古屋ステーション開発は、JR東海が100%出資するグループ会社で、JR東海の駅構内・沿線高架下施設等の資産価値向上を目的に昭和63年に設立された。親会社であるJR東海は、東京と新大阪を結ぶ「東海道新幹線」と、主に東海四県の「在来線」を一体的に運営しているが、当社は東海三県の新幹線と在来線の沿線を事業エリアとして、主要駅においてASTY、CHUM等の商業施設、また沿線高架下の事務所・店舗等の管理・運営を行っている。
 名古屋駅の1日の乗降人員は、JRが約43万人、名鉄・近鉄・地下鉄・あおなみ線を含むと約128万人になる。名古屋駅の商業施設というとJRセントラルタワーズやゲートタワーを想像されるかもしれないが、弊社はその二つを除く、名古屋駅の1階と地下の部分を運営している。1階コンコース、名古屋・驛麺通り、地下のファッションワン、名古屋うまいもん通りなど6つのゾーンで、売り場面積は約7,200m2、75店舗を運営している。

■名古屋駅の歴史と進化
 中部経済新聞の今年7月26日付記事「名古屋駅周辺の歴史と未来」をヒントに過去を振り返る。
 初代名古屋駅は明治19年に誕生、現在の笹島の交差点の辺りにあった。駅舎は簡素な木造の平屋建てで、間口20メートル、奥行き10メートル、ホームは2つしかなかった。残念ながら、この駅舎は明治24年の濃尾地震で倒壊。その翌年、2代目名古屋駅が誕生した。初代名古屋駅の2倍ほどの大きさの木造平屋建てで、ホームも少し拡張された。駅前も少し賑やかになり、明治31年の5月には広小路通に市電が開業する。
 2代目名古屋駅では、旅客と貨物の両方を取り扱っていたが、旅客・貨物ともに取扱量が増えて手狭になる中、昭和12年に今の名古屋駅の位置に3代目名古屋駅が開業した。駅前開発が促進され、余剰となった2代目名古屋駅の周辺の鉄道用地10万m2の内4万m2が桜通・駅前通に充当され、残地が大阪毎日新聞や豊田利三郎氏に売却された。3代目名古屋駅は地上6階・地下1階、間口も広くなり260メートル、奥行き44メートル、高さ27メートルで、東洋一の規模だった。中央コンコースが出来たのもこの時期で、コンコースの南北には商店街ができている。時を同じくして駅前大通りとして桜通が開通、新駅舎開業の2か月後には市電の乗り入れも始まっている。
 戦後には、復興とともに様々なビルが建設された。昭和28年には毎日ビルと豊田ビル、昭和29年には中部地方初のターミナルデパートとして名鉄百貨店が開業、そして昭和32年には地下鉄乗り入れと同時に日本初の地下商店街となるナゴヤ地下街が開業している。昭和39年に東海道新幹線が開業し、昭和41年近鉄ビル、昭和42年名鉄バスセンター、昭和46年エスカ、昭和48年メイテツレジャック、昭和49年には複合駅ビルとして名古屋ターミナルビル・テルミナと、次々と駅前ビルが誕生していった。
 平成11年の4代目名古屋駅の開業に合わせてJRセントラルタワーズ、平成19年にはミッドランドスクエアが開業。平成28年には2代目大名古屋ビルヂング、JRゲートタワー、JPタワーと次々に近隣商業施設の開業が続いた。今では名古屋駅の延床面積は722,000m2と、初代名古屋駅の3600倍の面積を誇るまでになっている。

■これからの名古屋駅 中央新幹線プロジェクト
 2027年の開業を目指している中央新幹線プロジェクトでは、東海道新幹線の将来の経年劣化や、大規模災害に対する抜本的な備えとしての二重系統化という狙いがある。また、圧倒的な時間短縮効果により、東京・大阪・名古屋が7000万人という一つの巨大都市圏として形成されることになり、日本の経済社会全体に大きな波及効果が見込まれる。輸送能力面でいうと定員・本数から、中央新幹線は東海道新幹線を完全に代替するものではなく、目的に合わせてどちらを使うのかを選択するものになる。一方で、リニア開業後には品川からの直行客は相当数がリニアにシフトする。東海道新幹線はのぞみ中心のダイヤから、ひかり、こだま中心のダイヤに組替わることになるだろう。のぞみの停まらない豊橋や三河安城では、対東京・対関西で利便性向上にもつながるので、渥美半島、三河地区の観光資源をアピールすることで愛知県への観光客増加にも良い影響を与えるのではないだろうか。

■名古屋駅周辺のまちづくり
 名古屋市が今年の1月に公表した「名古屋駅 駅前広場の再整備プラン 中間とりまとめ」と、8月に発表した「都市計画変更に関する説明会」等の資料から抜粋でご紹介したい。
 リニア開通により7000万人の経済圏ができることから、名古屋市は拠点のまちづくりをテーマに「未来を体感し、創造する交流のターミナル」という構想を掲げている。具体的なポイントとしては以下の3つである。

(1)駅周辺の総合交通結節機能の充実と再編を図り、約7000万人交流圏の交通拠点を形成
(2)多様な人材の交流を促進し、日本を支える新たな価値を生み出す、国際的・広域的な拠点・顔を形成
(3)魅力ある地域資源を活かした多彩なまちをつくり、相互につなぐことで、一体感のある、めぐりたくなるまちを形成

 駅前広場の再整備については、基本コンセプトは2つで、1つがスーパーターミナルとなる名古屋に相応しい機能性を発揮するためのターミナルスクエア整備が謳われている。名古屋駅の東側に3か所、西側に2か所のターミナルスクエアを整備し、乗換先などの各方面が見渡せる乗換空間を地上レベルで整備する計画だ。もう1つが名古屋の新しい顔づくりということで、駅前広場からまちへ波及させるために駅とまちが一体になった回遊空間の創出を目指している。
 具体的には、駅の東側の開発においては、まず駅前のモニュメントを撤去して空間を確保、ターミナルスクエアを整備することで歩行者の見通しを良くして、動線を確保する。また車についても、タクシーと一般車で乗降場所を分離、さらに現在のロータリーをコンパクトな三差路に変えることで、歩行者が桜通を横断し易くする計画としている。都市計画の説明会によれば、今年度中に駅前広場の都市計画決定を目指し、2020年度から設計に入る予定となっている。一方、駅の西側については中間報告では多くの事柄が検討段階となっており、今後、関係者と検討した上で都市計画の手続きに入る計画となっている。名古屋駅構内では、中央コンコース以外の東西をつなぐ自由通路として、広小路口からあおなみ線改札に向かう通路を作ることが検討されている。JR東海と一体になって対応し、地元の方々、遠方からいらっしゃる方々に、便利で価値のある施設が提供できるよう、どのように貢献できるかを考えていきたい。
 JR東海時代の「シンデレラ・エクスプレス」等のCMでは距離を離れて暮らす恋人、家族が、どうやって距離を縮めて人と人が出会うかを描いた。リニア開業により、東京まで40分になり、会いたい人にもっと容易に会えて、会える時間も長くなる。そういった人と人の結びつきに貢献できるのが鉄道事業だと考えている。これからもその気持ちで鉄道、地元に貢献する事業に携わって行きたい。


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【元年9月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 三井不動産グループの街づくりと中部エリアでの展開 』


日  時:令和元年9月11日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 桂の間
参加者:55名

スピーカー:
村元 祐介(むらもと ゆうすけ)
三井不動産株式会社
中部支店長

写真:村元 祐介氏


■三井不動産グループの事業概要
 三井不動産グループは、連結で年間売上高約1兆7千億円、従業員約1万7千人の総合不動産ディベロッパーで、オフィス、商業、物流、住宅、ホテル、リゾートといった不動産に関するサービスを提供している。オフィスビル事業は、当社の中でも歴史のある分野で、古くは「超高層のあけぼの」と言われ昨年50周年を迎えた霞が関ビル、昨年グランドオープンした東京ミッドタウン日比谷、今年3月には日本橋室町三井タワー等、多くのオフィスビルを展開してきた。近年では、働き方改革や、生産性向上等の企業の経営課題を解決するために、ワークスタイリング事業にも取り組んでいる。商業施設では、38年前に日本で初めてのモール型ショッピングセンター、ららぽーと東京ベイを開業以来、様々な商業施設を展開してきた。また住宅事業は1971年に日本初の超高層マンション・三田綱町パークマンションを手掛け、分譲マンションではパークマンション・パークシティ・パークホームズ・パークリュクスシリーズなど、戸建住宅ではファインコート、賃貸住宅では都市型賃貸マンションであるパークアクシスシリーズ等を展開している。物流施設事業はEコマースの伸張もあり、7年前の立ち上げ以降33施設を展開している。リゾート事業では、伊勢志摩エリアの鳥羽国際ホテルやNEMUリゾート、ハワイでは世界で最高評価を得ているハレクラニホテルを運営しており、今年7月にはハレクラニ沖縄を開業した。欧米・アジアにも展開しており、5年後には海外事業利益を連結営業利益の3割程度まで上げることが目標となっている。

■三井不動産グループの街づくり
 私どもの街づくりは、ビルならビル、住宅なら住宅という単一の資産ではなく、多様な用途の集合体としての「ミクストユース化」による価値の創出を目指している。ハードだけではなく、ビジネスライフ、暮らし等のソフトの提供を実現することで、人々が働き、楽しみ、くつろぎ、住まい、憩える街を作っていきたい。街づくりは竣工してからが重要で、地域に根差したコミュニティづくりや、良質なタウンマネジメントを通じて、時の経過とともに街の魅力が増し、価値が増していかなければならない。その実現こそが、ディベロッパーの役割であり、社会的使命だと考えている。そうした考えから生まれたのが東京ミッドタウン日比谷だ。エリアマネジメントとして、街全体で管理をしていくために、一般社団法人「日比谷エリアマネジメント」を設立。街の活性化、適切な維持管理、サステナブルな仕組み作りを目的に、地権者、行政、町会が一体となり構成している。店舗の賃料収入などを原資に、広場や区道のメンテナンス費用や大規模修繕に向けた積立までを捻出する仕組みとなっている。東京ミッドタウン日比谷は、開業当初から多くのメディアにも取り上げられ、開業1年を迎え、売上160億円、訪問者2,200万人と目標を大きく上回り、日比谷の街に大きな賑わいを生み出している。
 街づくり型の物流施設として、三井不動産ロジスティクスパーク船橋をご紹介したい。物流倉庫も物を保管するだけの場所ではなく、人がイキイキと働ける場所という考え方に変わり、効率だけではない物流ビジネスを目指している。託児施設なども含めた従業員向けのサポート施設等も充実させている。従業員が心地よく働く環境を整備することが、テナントの生産性を上げることにもつながると考えている。

■中部エリアでの街づくり
 三井不動産グループの中部エリアにおける事業の歴史は古く、1960年代には臨海地区等で埋め立て事業を開始。また、和合台の宅地造成、八事のマンション等の事業展開をしていた。現在、中部エリアでは、ビル、商業施設、ホテル、リゾート、物流施設と、当社事業のほぼ全てのラインアップを展開している。
 当社のオフィスビルの資産は、名駅エリア・笹島地区に集積している。1973年にビル会社を合併し、当時の名称で三井ビル北館・南館を取得、その翌年に東館が完成、そして三井ビル本館が1987年に竣工している。オフィスビルだけではなく、ビルの足元には商業施設を作り、多様な店舗を誘致し、50年近くをかけて、名駅エリアのミクストユースの街づくりを実践してきた。現在、名古屋三井ビルディング北館を新たに建設中で、2021年1月に完成予定だ。リニア開通が予定されている2027年度には、名鉄・近鉄名古屋駅地区開発計画が完成する予定で、当社も地権者の一員として、さらなる進化を実現する街づくりに取り組んでいきたい。
 みなとアクルスの街づくりでは、東邦ガスのパートナーとして、街の魅力づくりの一翼を担っている。三井不動産グループは住宅と商業施設を担当している。東海3県では初進出となった「ららぽーと名古屋みなとアクルス」の街の魅力付けにおける最大の特徴に「みどりの大広場」が挙げられる。約8,000m2の屋外空間に、自然散策を楽しめるビオトープや、広々とした芝生ゾーン、ららぽーとでは前例のない10角形の屋根付きのイベントスペース「デカゴン」が配置されている。
 名古屋有数の繁華街に面する、日本を代表する都市公園である久屋大通公園では、名古屋市のコンペを経て、錦通りから外堀通りまでの再整備に現在着手している。世界的に都市公園はその価値が見直され、新たな経済競争力を生み出すインフラとしても認識されている。世界の都市公園の在り方が変わる中で、三井不動産は久屋大通公園の再整備事業にあたり、(1)観光目的でも訪れてもらえるシンボリックな公園への飛躍、(2)四季折々一年中賑わいを創出できるアーバンパークへの進化、(3)栄・錦周辺地域との一体感を意識した地上地下連動の立体的な回遊の3つの方針を設定し、街全体の賑わいに貢献していきたいと考えている。地上から地下街、地下街から地上と街を回遊する方々がストレスなく動けるように、エレベーター等を適切に配置し、バリアフリーにも対応した、優しい街づくりを目指している。

■VISION2025
 昨年度からスタートしている長期経営方針「VISION2025」の実現のために、3つのテーマを掲げているが、その内の2つのテーマを軸に、将来に向けて進化を続けていく代表的プロジェクトを紹介したい。

 <街づくりを通して、持続可能な社会の構築を実現>
 当社が創業当時から本拠としている日本橋では地元と一体になり「日本橋再生計画」を進めている。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに、日本橋地域の活性化と新たな魅力を創造する活動を続けており、この8月に日本橋再生計画の新ステージとして3つの重点構想を発表した。「豊かな水辺再生」として、首都高速の地下化の実現と、日本橋川沿いで予定されている敷地2万坪、延床面積37万坪に及ぶ5つの再開発の進捗により、川面を含めて幅約100m、長さ約1,200mに及ぶ膨大な親水空間が誕生する。川沿いには賑わいを創出する商業施設、広場、オフィス等、高度なミクストユースが展開される。新たに生まれる親水空間と歩行者ネットワーク、そして日本橋をハブとする舟運ネットワークが加わり、水都・日本橋として、東京の大動脈を生む街を目指している。「新たな産業創造」としては、民間企業の参入により急成長し、地球上の課題解決にもつながることが期待されている「宇宙」分野、および「モビリティ」「食」分野について、共創を導く為の“場の整備”と“機会の創出”に取り組み、ハードとソフトの両面から産業の成長をサポートしていく。

 <グローバルカンパニーへの進化>
 国内事業で培った当社グループの街づくりをグローバルに展開し、全社営業利益の大きな柱を担う事業へと拡大させることは今後の重要なミッションだ。代表例は、英国・ロンドンでのテレビジョンセンターの大規模再開発事業である。英国の公共放送BBCがスタジオ・オフィスとして使用してきた建物を取得し、住宅・オフィス・ホテル・レストラン等で構成されるミクストユースの施設として生まれ変わらせようとしている。また、米国・ニューヨークではマンハッタンで過去最大の大規模複合開発「ハドソンヤード」に参画している。

■おわりに
 三井不動産グループの街づくりの根本には、常に「経年優化」、「人が主役」の2つのキーワードがある。「経年優化」は、時の経過とともにさらに価値を高めていくという三井不動産グループの街づくりの基本思想で、昨年50周年を迎えた霞が関ビルが一つの代表例となっている。数度にわたるリニューアル、周辺の開発も含めて、今でも新しいビルに決して劣らない快適なオフィス空間を提供している。また、良い街と言われるには、そこに集う「人が主役」でなければならない。その街にいるだけで働く方の生産性が向上する、暮らす方々が快適に過ごすことができる、訪れる方が楽しむことができる、その様な街づくりを目指している。


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【元年9月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 トヨタ博物館見学会 』


日  時:令和元年9月12日(木) 10時10分〜14時30分
場  所:トヨタ博物館
参加者:28名

 木曜グループの9月度例会は、開館30周年を迎えてのリニューアルを終え、クルマ文化資料室を今年4月にオープンした「トヨタ博物館」の見学会を実施した。丁寧なガイドツアーに加え、館長の布垣直昭氏より今回のリニューアルについてご講話いただくなど、大変貴重な機会となった。

■クルマ館ガイドツアー
 まずはクルマ館で自動車誕生から現在までの自動車の歴史をたどるガイドツアーに参加した。 1階シンボルゾーンでは、トヨタ自動車の前身となる豊田自動織機製作所自動車部により完成された初の量産型乗用車「トヨダAA型乗用車(レプリカ)」が一同を歓迎してくれる。
 2階にあがり、ガソリン自動車第1号といわれる「ペンツパテントモトールヴァーゲン(レプリカ)」などを見ながら、自動車の黎明期から日本車の誕生までの歴史について説明を頂いた。1800年代の自動車黎明期には蒸気、電気、ガソリンと多様な動力源の自動車が生まれながらも、最後発のガソリン車が自動車の主役となっていった背景、飛行機技術の取り込みによる豪華車や高性能車の誕生、自動車の大衆化等、1950年までの歴史の流れを学んだ。自動車の大衆化に寄与した「T型フォード」、豪華高級車の源流となった「ロールスロイス 40/50P シルバーゴースト」等、貴重な展示車両の細部を見ることができた。
 3階では第2次世界大戦後から現代に至るまでの日本の自動車産業の歩みについて、大きなテールフィンが特徴的なアメリカ車「キャデラック エルドラド ビアリッツ」等、各国の代表的な車両を比較しながら説明を頂いた。そして最後は、「持続可能な未来へ」と題して、ハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車・・・自動車誕生から130年が経過して再度、動力の多様化が進んでいることに触れられ、ガイドツアーが締め括られた。

木曜G写真1 木曜G写真2

シンボルゾーン トヨダAA型乗用車(レプリカ)

貴重な展示車両の数々

<布垣直昭氏 ご講話>
「大変革期・歴史視点からみるビジョン
         〜クルマが愛の着く存在でありつづけるために〜」
トヨタ博物館 館長  布垣 直昭 氏
(トヨタ自動車(株) 社会貢献推進部企業・車文化室長)

写真:布垣 直昭氏

■「愛車」 クルマには“愛”がつく
 トヨタ博物館は平成元年に設立され、今年創立30周年を迎えた。設立時の「自動車の歴史を学び、人と車の豊かな未来のための博物館」というスローガンの通り、ただ過去を振り返るだけではなく、将来に役立てて頂けるような展示を心がけている。
 愛車という言葉を、豊田社長が最近よく使っているが、その背景には、車がコモディティ化してしまえば将来が無いという思いがある。プロダクトに愛が付けられることは稀で、英語では人間以外で愛が付くのは、馬と車くらいしかない。移動手段を超えた見えない価値を認めてもらえる存在であることは、いかなるモビリティ社会になっても、貴重な競争力となる。博物館として、そういった価値を継承していくことを目指していきたい。

■時代に合わせて変わる展示
 イギリスの大英博物館では、最新の科学テクノロジーコーナーの前に、馬車のような見た目の電気自動車が展示されている。一度衰退し、忘れ去られていた乗り物であった電気自動車を最初に開発していたのはイギリスだったという誇りを表している。ところが、この展示は、以前はなかったもの。博物館の展示というものは時代に合わせて変わっていく。過去の事実は変わらなくても、それをどう解釈するかは、後の世の影響を受ける。
 クルマ館でも以前は2階に欧米車、3階に日本車を展示していたが、今は両方を混ぜてスルーでの歴史展示に変えている。世界最初のガソリン車「ベンツ パテント モトールヴァーゲン」ということだけを説明するのではなく、時代の変遷の中で、蒸気自動車、電気自動車とガソリン車が競い合っていた激動の時代があり、現在、水素燃料電池車、ガソリン車、ハイブリッド車、電気自動車等が競い合っているが、それと丁度同じようなことが、130年程前に起こっていたという内容を示す展示としている。

■動態保存の価値
 当館の展示車両は、全て実際に走ることができる状態で保存している。3〜4年周期で全ての車をレストアし、その際に、動態確認といって担当者や私自身が走らせてチェックしている。エンジン、操作、何から何まで今の車とは異なるので、普通にレンタカーを借りてすぐ乗れるという感覚とは異なる。そして実際運転してみることで、当時その車両に乗っていた人達が感じたであろう振動、音、臭いを五感で感じることができる。例えば、当時の写真を見るとハンドルを抱えるように持っているが、その理由は、道路も整備されていない時代に、シートベルトもヘッドレストも無い状態で体を安定させるには、ハンドルを抱えるようにするしかなかったことが、運転することで初めてわかる。こういったアナログ情報は歴史書等では伝わらない。動く状態で保存してこそ伝承されるものが沢山あると感じている。

■クルマ文化資料室(2019.4月オープン)について
 開館以来30年にわたり収集してきた、3万点を超える自動車関連の印刷物、おもちゃ等を倉庫に眠らせるのはもったいない、どうにかしてお客様に見て喜んでもらえないかというアイデアからこのプロジェクトが始まった。
 膨大にある収集物の価値を判別できる人は探すことから始まり、このクルマ文化資料室のオープンには、甚大な労力が注ぎこまれている。展示室の中心には、背骨の様に通した陳列ケースに、全体の時間軸を表すように800台以上のミニチュアカーを時代順に展示、その周りにそれぞれの時代に関連するものを集めて展示している。珍しいものとして、世界初の自動車雑誌、世界初の自動車切手、世界初のラジコンカー(日本製)なども展示されている。フランスのガラス工芸家ルネ・ラリックが製作した、ガラス製カーマスコット全29種類の常設展示は、世界でも当館だけなので、是非ご覧いただきたい。

<クルマ文化資料室 見学>
 しっかりと事前知識をレクチャー頂いた上でクルマ文化資料室を見学、思い思いに貴重なコレクションを堪能した。

木曜G写真4 木曜G写真5

クルマ文化資料室

時間軸でのミニチュアカー展示
デザインの変化が時代の変遷を感じさせる

木曜G写真6

トヨダAA型乗用車の前での記念撮影


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【新会員自己紹介】

写真:山岸 晃氏
水曜第2グループ

山岸 晃(やまぎし あきら)
株式会社名古屋証券取引所
常務執行役員

【株式会社名古屋証券取引所】
〒460-0008 名古屋市中区栄3-8-20
URL:http://www.nse.or.jp

 株式会社名古屋証券取引所の山岸 晃と申します。この度、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。どうぞ宜しくお願いいたします。

 名古屋へは、以前に東海財務局に勤務以来、21年ぶりとなります。その間、東京はもとより、LosAngeles、大阪、高松、出身地さいたま等での勤務を経て参りましたが、時々立ち寄らせていただく名古屋の駅前がどんどん変わっていく様子やセントレア開港に目を見張ってきました。その元気な地でご活躍の皆様、上場企業の皆様のサポート面で、当地で再び微力ながらお役に立てればと願っております。

 「その地と人を愛し(仕事も!?!)、その地の酒と肴を愛でる」がモットー。皆様のご教示を賜りながら、この地の良さのさらなる発信の一助となれれば幸いに存じます。どうぞ宜しくご指導のほどお願い申し上げます。

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11月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

11月6日(水)
12:00〜14:30

『御園座 講演会・見学会』
(定員50名程度。超過した場合は火曜グループ優先とします)

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

11月27日(水)
12:00〜14:00

『海外進出企業と相手国との紛争の実態
           ―投資仲裁事例を題材に― 』
名古屋大学大学院国際開発研究科 准教授
国際投資紛争解決センター 調停人(※) 石川 知子氏
(※)2017年に同センターの理事会議長を兼務する世界銀行総裁が指名した10名の調停人の一人

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

11月13日(水)
12:00〜14:00

『膜や 〜私たちは世界の媒(なかだち)になる〜』
太陽工業株式会社
名古屋支店長 奥村 学氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

11月7日(木)
12:00〜14:00

『リース会社の現状と今後』
三菱UFJリース株式会社
常務執行役員 三井 博史氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

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12月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 会場
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

12月3日(火)
18:00〜20:00
料亭蔦茂
電話:052-241-3666
名古屋市中区栄3-12-32
(ゲスト:女流講談師 旭堂鱗林氏)
水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

12月18日(水)
18:00〜20:00

the kawabun Nagoya
電話:052-222-0020
名古屋市中区丸の内二丁目12-30

水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

12月11日(水)
18:00〜20:00
おか富士
電話:050-7300-2037
名古屋市中区栄1丁目6番15号
御園座タワー1階
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

12月5日(木)
18:00〜20:00
札幌かに本家 栄中央店
電話:052-263-1161
名古屋市中区栄3-8-28
(プリンセス大通り・丸栄南)

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.16
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 モノ言う筋肉 』

 今秋は、バレーボールにラグビーと、ワールドカップ日本開催が重なって、さらにはNBAとサッカーの予選もあり、日本の総重量が増えたのではないか?と思うほどに、筋肉質な人達が巷に溢れていた。残念なことに名古屋市内はお相撲の時期ほど重くはなって無かったようだが。ラグビーでは、いうまでも無くフランス代表の『シャンパンラグビー』を応援するため、さっそく国鳥である鶏の被り物を購入し、ラ・マルセイユ斉唱に備えた。開会式翌日の第一戦こそTV放送があったものの、その後は有料TVの配信か、公式サイトのLIVE映像しかなく、ローカルラジオの生中継に至っては、ゲーム展開の解説はほとんどせず

「あ〜、失敗です」←誰が、どこでどんな失敗したのよ!!
「この作戦はちょっと不利」←どっちのチームがどんな作戦だったのよ!!
「スクラムしました」「ノッコンです」「アドバンテージです」「ラインアウトです」←主語がない!!

と、突っ込みどころ満載の、素人の感想大会に終始。とことん想像しまくって、一人応援の試合終了後にはどっと脳に疲れが貯まるという日々を過ごしている。フランスチームの戦っている予選プールCは、『地獄のプール』と言われるほど強豪が名を連ね、試合も見ごたえ十分。先日のフランスvsトンガ戦は23対21と、息苦しいほどの大接戦でシビレまくり、試合終了後に飲んだシャンパンの沁みたこと!!我が応援パートナーの鶏君と祝杯を上げつつ、「なんで放送しないのよ〜せめてBSで流してよ〜」と一人でクダを巻いていた。 写真:le coq君
le coq君とお疲れシャンパン!!

 ラグビーを観戦するようになったのは、東京に行ってからのこと。たまたま元日本代表、松尾雄治さんが、私の携わっていた情報番組にコメンテーターとして出演してくださったのがきっかけだった。元々ラグビーに対しては「ボールを持った泥んこプロレス」的な、決して格好いいイメージはなかったものの、松尾さんにお目にかかって、その紳士ぶりに感動し、見方が一変した。その後ドラマでは「スクールウォーズ」が人気となり、神戸製鋼では平尾誠二さんが2代目Mrラグビーとして(初代は勿論松尾さん)活躍していた。大学ラグビーも人気があり、現在日本ハムのファイターズの清宮選手のお父さん、清宮克幸さんが、早稲田で大活躍をし、6大学ラグビーにはそれぞれ花形選手がいて、特に早慶、早明戦のチケットは争奪戦になっていた。あの頃の大学で活躍したメンバーは、今回のワールドカップで表に裏にサポートスタッフとして名を連ね、又、情報番組のにわかファン向けコーナーに解説者として登場する機会も多く、特に個人的に応援していた元早稲田〜神戸製鋼の王道を進んだスクラムハーフの堀越さんの、相変わらず真っ黒な顔を拝見すると、懐かしくてつい口元が緩む(堀越さんは熊谷高校時代から応援していたので)。以前は体育会系の人のことを『頭が筋肉で出来ている』などと、すこし馬鹿にした言い方をしたものだが、最近では「馬鹿にはスポーツは出来ない」と言われるようになった。細かいルール、規律、サイン、ゲームの組み立て、周りとの呼吸などなど、ボーっとしていては務まらない。個人スポーツにおいても、体作り、メンテナンス、トレーニングメニューなど、身体的能力を高めてゆくのに常に自分の体とのコミュニケーションを必要とする。まあ、学校で必要とする勉強は、余り必要ないかもしれないが、脳細胞の活性はかなりのものだと、最近出版された書物にも書かれていた。
 一方、少し前のNHKドキュメンタリーシリーズ「人体」の中で、生命維持のコントロールを司るのは脳だけではないという特集が興味をそそった。内臓に始まり、筋肉までもが神経伝達物質を持ち、時に脳をスルーして恒常を保つ機能があるという。考えてみれば、内臓も筋肉がなければ体の真ん中に納まっていることは不可能だし、骨格だって正しく保てない、いわんや心筋に至っては私たちの生命維持装置だ。つまり筋肉は、脳と同じくらいおしゃべりな方が、人間は健康でいられるということなのだろう。

 しばらく前には、何かにつけ「骨」が良く使われていた。「骨太の政策」「骨太改革」「骨太改編」などなど、骨さえしっかりしていればという安心感に依るものだろうが、生理学的には骨ばかりあっても筋肉がなければ柔軟に、機敏に対応したり動いたりすることはできない。ましてや筋肉がある種の意思を持って体中に指示伝達を行っているのだとしたらなおさらである。骨=静、筋肉=動と考えると、いわゆる「骨太系」が、立ち上げただけで安心し、実際の施策が後手後手に回るというのもなんとなく頷けたりする。骨に加えて「筋肉質な(しなやかな)」考え方も試みる時期に来ているのかもしれない。

 翻って私の身体。3年前から膝を痛め、腰を痛めで運動不足がたたり、筋肉量を脂肪量が凌駕しつつある。加齢で代謝量が落ちると、それだけで太りやすくなるのは勿論だが、そのきっかけは「季節のイベント」だと、世界栄養学会で認知されている。皆さんも身に覚えはないだろうか?若い頃は少しくらい食べ過ぎても、1日2日のコントロールで体重は元に戻っていたが、これに代謝の低下が加わると、なかなか元には戻らない。忘年会シーズン+2kg、正月+2kg、春までに何とか絞って-2kg、で既に2kg超過。春の花見と歓送迎会で+2kg、夏までにジム通いして-1kg。夏は代謝が落ちて、素麺※とビアガーデンで+2kg、秋の運動会までに運動して-1kg。これで平均して年間4kgずつ増えてゆく計算になる。アメリカに至っては、そこにハロウィン、クリスマスが乗っかるので、何もしないと年間7kgずつ増えるのだそうだ。あな恐ろしや!!還暦を前に、今一度私の筋肉君にも頑張ってもらって、おせっかいなくらいあれこれ命令してもらわねば。

※素麺は、ダイエットにも使われますが、のど越しが良く満腹感が中々得にくいので、ついつい食べ過ぎ傾向に。1把で我慢できれば問題なし。

追伸、祝 イラスト:花火 フランスチーム、日本チーム予選突破!!
ベスト4で戦いましょう!!

・・・後日談 (原稿は10/19にいただいたので、事務局より)
10/20、ベスト4進出をかけて南アフリカとの対戦に挑んだ日本チームは、あえなく惜敗。
同日開かれたフランス対ウェールズ戦は、死闘の末に1点差でフランスが敗れる結果に。
フランスvs日本戦は、幻の準決勝となりましたとさ・・・。フランス、日本、どちらも感動をありがとう!

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コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.132
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 玉藻の前 』
岡本綺堂著・中公文庫

 『日本架空伝承人名事典(新版)』(平凡社刊)という大変ユニークな本があります。その「玉藻前(たまものまえ)」の項には次のような説明が記載されています。
 「伝説上の美女。鳥羽法皇の寵姫玉藻前は、天竺と中国において、婬酒によって王を蕩し、すこぶる残虐な所業や悪の限りをつくした果てに、日本に飛来した金毛九尾の狐の化身であった。」
 作者は、江戸中期の読本作者高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』を基にしながらも、鳥羽法皇を関白藤原忠通に替えるなどして自分の作品にしています。人気作『半七捕物帳』の作者岡本綺堂(1872〜1939)の面目躍如たる小説です。1917(大正6)年11月から18年9月まで「婦人公論」に連載されました。  

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