産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第205号 2019.6.28発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和元年6月度(第205号) 目次
【元年5月度 産業懇談会(木曜G)模様】 5月13日(月) 11時00分〜13時30分
【元年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】 5月21日(火) 12時00分〜14時00分
【元年5月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 5月22日(水) 11時00分〜16時00分
【名古屋いちばん物語】 No.121
【新会員自己紹介】
渡辺 敏男氏

あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 専務執行役員

山根 秀昭氏

東海東京証券株式会社 代表取締役会長

渡辺 敬文氏

株式会社ワーロン 代表取締役社長

関川 正博氏

第一生命保険株式会社 中部法人営業部 部長

霜 知宏氏

JFEエンジニアリング株式会社 理事支店長

【7月度産業懇談会のご案内】
【産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.12
コラム2 【「ほん」のひとこと】 No.128
【お知らせ】
【元年5月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 日本原子力研究開発機構 
            東濃地科学センター瑞浪超深地層研究所 見学会 』


日  時:令和元年5月13日(月) 11時00分〜13時30分
場  所:東濃地科学センター 瑞浪超深地層研究所
参加者:20名

 今回は、高レベル放射性廃棄物の処分を安全に行うための地層処分技術の信頼性向上に向けた研究開発を行っている国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 東濃地科学センター瑞浪超深地層研究所を見学した。
 冒頭、東濃地科学センター副所長の櫻井敏久氏よりご挨拶を頂いた後、結晶質岩地質環境研究グループ研究主席の岩月輝希氏より、概要説明を頂いた。

<櫻井副所長 挨拶>
 東濃地科学センターの始まりは、昭和40年に隣接する土岐市で東濃探鉱事務所を開設したのが始まりだ。昭和61年に地層科学研究を開始、平成14年1月に瑞浪市の市有地を借りて超深地層研究所を開所した。当研究所では、原子力発電に伴って発生する高レベル放射性廃棄物を、地下深くの安定した岩盤に埋める「地層処分」を安全に実現するための研究や技術の開発、研究成果の公開を通じた理解促進に努めている。今回の見学を地層処分への理解を深める機会として頂きたい。
木曜G写真1

<岩月輝希氏 研究所概要説明>
■高レベル放射性廃棄物の地層処分とは
 福島事故以降、大半の原発が停止しているが、これまで日本では核燃料サイクルにより、使用済み核燃料の再処理を行い、95%をリサイクルして燃料とする政策である。そして残った5%が、放射能レベルの非常に高い廃液、所謂「核のゴミ」として出てくる。これをガラスに溶かし、ステンレス製容器の中で固めたものが、ガラス固化体=「高レベル放射性廃棄物」と呼ばれる。高レベル放射性廃棄物は、自然のウラン鉱石と同等の放射能レベルに落ちるまでには数万年を要する。逆に言うと、高レベル放射性廃棄物は数万年に亘り、人間から隔離して置く必要がある。原発を持つほぼ全ての国で、地中深くに埋める地層処分を隔離の手法として研究している。日本では、福島の事故以降、地上での長期管理が一部で主張されているが、数万年もの間、地上施設が維持出来るのかは不確実だ。

■地層処分の安全確保の仕組み
 ガラス固化体を、オーバーパックと呼ばれる厚さ約20センチ位の金属製の容器に入れ、地下に置く時に回りを厚さ約70センチの粘土のブロックで囲む、それを深さ300メートル以深の天然の岩盤の中に埋めることで、人間の生活圏からの隔離を実現する。地下深い所に埋める理由の一つに、地下には酸素が無く、金属製の容器を入れても、錆びる事がまずないということがあげられる。
 地層処分が安全かということについては、計算によるところでは、地層処分直後の放射能の強さを100とすると、1000年後には約0.26にまで自然に減少する。その後、岩盤中に放射性元素が漏れ出る仮定にして計算すると、地上に出てくるのはおおよそ80万年後、そして放射能の強さは自然放射量と比べても非常に小さなものとなる。これはあくまでも計算であり、この計算を確かなものにするため、様々な研究をしている。

木曜G図説
(地層処分のイメージ図・原子力発電環境整備機構ホームページから)

 日本で処分場を作るのは、原子力発電環境整備機構(NUMO)だ。地上から深さ300メートルより深い所に坑道を掘り、そこから坑道群を展開する形となる。その坑道の床面に穴をあけ、先程の粘土のブロックで囲まれたガラス固化体を置いていくイメージとなる。ガラス固化体4万本を置く前提で、地上施設は数平方キロメートル位、身近な例で言えば、ショッピングモール位の大きさ、地下施設は、6〜10平方キロメートル位の大きさになると想定されている。

■地層処分事業の現状
 日本には、これまで原子力発電で使われた燃料を全て再処理し、ガラス固化体にしたと仮定すると、その量は、既にガラス固化体となっているものとの合計で、約2万5千本となっているが、処分場を作る場所も決まっていない。処分に反対だという方も沢山いるが、既にあるものをどうするのかという建設的な議論が必要だ。世界的に一番進んでいるのはフィンランドで、現在、処分場を作っている。数年後には、実際に使用済燃料を地下に埋める段階にまで進む。次に進んでいるのがスウェーデンで、処分場の場所が決まり、許認可申請をしている段階だ。フランスは処分場の候補地が決まり、これから様々な調査する段階にある。原子力発電所を持つ国は沢山あるが、この3つの国以外では、まだ処分場の場所も決まっていない。

■瑞浪超深地層研究所の役割
 当研究所は(1)各種研究による地層処分技術の基盤となる科学的知見の整備、(2)見学等を通じた地層処分への国民の理解醸成、(3)国際協力・学術分野への貢献を、重要な役割としている。地下を調べるための技術の開発ということで、地下水を取る装置や、坑道を掘るための技術等も試行錯誤をしながら開発してきた。そして現在は、坑道での湧水量を減らすためのグラウト技術や、最終的に坑道を埋め戻すための技術開発等を行っている。なお、当研究所は研究施設であり、地層処分場ではないという点については、誤解が無いようお願いしたい。関係自治体と協定を結び、処分場にはしないこと、放射性廃棄物を持ち込まないこと等を明記して研究を実施している。

木曜G写真2 <坑道見学>
 現場の見学では、ツナギに長靴、ヘルメット、軍手に反射板も付けた完全装備で坑道へと向う。カゴの様なエレベーターで、地下300mというまず立ち入る機会の無い場所に入るという貴重な機会を頂いた。また湧水を抑える技術等、実際の研究内容と成果について丁寧な説明を頂きました。ご対応を頂きました瑞浪超深地層研究所の皆様、ありがとうございました!

完全装備でいざ、地下300mへ!

 
木曜G写真3 木曜G写真4

地下坑道内で。夏は湿度100%!

地上に戻り、集合写真


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【元年5月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 醸造酒から考察した国際ビジネス 』


日  時:令和元年5月21日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
参加者:35名

スピーカー:
富田 茂(とみた しげる)
キャリオ技研(株) 
代表取締役

パートナー:
屬 ゆみ子(さっか ゆみこ)
長瀬電気工業(株) 
代表取締役


 文化を裏テーマにおく火曜グループでは、いつもと趣向を変えてワインセミナーを開催。ワインといえば富田世話人、そしてブルゴーニュ、ボルドーからワインの騎士の称号を授けられている屬氏。さらにはJALUXさんのご協力を得て、盛大に開催されました。

■「パリスの審判」について
(富田) 皆さんは「パリスの審判」をご存知だろうか。1976年にパリで行われたアメリカワインとフランスワインの飲み比べで、アメリカワインが勝ってしまったという話だ。本日は「醸造酒から考察した国際ビジネス」をテーマに対談形式で色々な話をしていくが、その間、皆さんにはパリスの審判の様にワインをテイスティングし、どちらがフランスで、どちらがアメリカのワインを当ててみてもらいたい。ブドウ品種は同じだが、生産国が異なるワインを3組準備している。

火曜G写真1

(屬) パリスの審判というとワインの飲み比べというイメージがあるかも知れないが、元々は、ギリシア神話で、三人の女神で一番美しいのは誰かという黄金のリンゴをかけた争いで、ゼウスによって羊飼いの少年パリスが審判を命じられたことをいう。この少年が実はとある王国の王子で、トロイの木馬で有名なトロイア戦争の発端ともなる。

■なぜワインは高いのか
(富田) 日本酒は良い品質のものでも比較的安いのに対し、なぜワインは高いのかというのが、長年の素朴な疑問だった。当初、短期間で飲む日本酒に対して、ワインは熟成させるために希少価値で高くなると考えていたが、それだけでないことが分かった。日本酒というのは米を削ることで、原材料の品質をある程度、安定させることができるのに対し、ワインはブドウの果実の品質を揃えることが困難で、品質の良いブドウを選別することが必要になる。さらにブドウの品質は年ごとの天候にも大きく左右されることから、ヴィンテージという概念が生まれて投機の対象ともなる。近年、中部地区でも当該投機商品が出た。その結果、安定供給に優れた日本酒と、不安定ゆえに付加価値性を楽しむワインで値段の差がつく事は皮肉だ。ワインが高い理由について、屬さんの個人的な印象も含めて伺いたい。

(屬) ワインの急速な値上がりは中国市場が大きくなったからだとも言われているが、実はその前にアメリカで価格上昇が始まっている。シリコンバレーでIT系の資産家が増える中で、ワインに投資をする動きが出始めて、サザビーズオークションでとんでもない値段が付くようになり、一気にワインの値段は上がった。今や、アメリカの投資家の間では「SWAG」と言われ、「シルバー」、「ワイン」、「アート」、「ゴールド」を、投資家として心得ていなくてはならないとされる。

■おもてなしでのワインの選び方
(富田) 皆さんはお客様を接待する際に、食事とワインをどう選ばれているだろうか。海外では要人をもてなす際は、要人のランクによりワインのランクが決まると外務省の方から伺った。以来、私自身はお客様が部長なのか、役員なのか、はたまた最高経営者なのかで、意図的にワインを変えている。リーズナブルな価格でも美味しいワインがあるように、ワインの価格と味は必ずしも一致しないが、そこに敬意を込めてお出ししている。屬さんはどの様に選ばれるのだろうか。

(屬) まず、私が出来る最大のおもてなしは何だろうかと考える。探せばセラーの中に高いワインはあるが、無暗に高いワインを開けても、それは格好付けでしかなく、おもてなしにならない。お客様がお好きなワインを考えて、次に当日の料理とのバランス、値段の中でのバランスを考えるようにしている。

■偽物のワイン
(屬) 皆さんは偽物のワインというものに出会ったことがあるだろうか。クリスティーズのワインオークショニストだった渡辺順子氏の著書「教養としてのワイン」には、ワインの基本知識や、面白いこぼれ話が載っているが、その中で偽物のワインについても紹介されている。中国ではよくあると言われているが、実は日本で一番偽物が出回っていると言われている。「偽物がある訳ない」という日本人の猜疑心の無さが原因だと言われている。
 偽物にはオークショニストが品質確認のテイスティングで開けた、本物の瓶が使われていたため、それが発覚してから、どこのオークションハウスでも、瓶を全て管理し、すぐその場で割るようにしているという。

火曜G写真2

(富田) アメリカのナパで親しくしている生産者は、偽物が出るということを理由に、中国では絶対売らないというポリシーを持っていた。ワイン生産者だけの飲み会では、良いワインを飲んだら瓶を割るとも聞いている。日本でも良いワインの空き瓶が、結構高い値段で売れる。実は、ワインが本物か偽物かを開ける前に判定する画像認識技術に、会社で挑戦している。オークション会社からも、是非使いたいという声がかかり、現在鋭意開発中だ。

■最後に
(屬) 先回(2018.6月例会)もワインで世界はつながるというお話をさせて頂いたが、毎日新聞の外信部専門編集委員の西川恵氏の著書「饗宴外交」では、国賓級のおもてなしでは、どんなワインがどの様に選ばれ、そこにどういう意味が込められているのか等、おもてなしの極意というべきものが書かれている。日本の迎賓館や皇居で、どの様に料理やワイン、お酒がセレクトされるかも詳しく書かれている。絶版になっているかも知れないが、ご興味があれば読んで頂きたい。

(富田) 屬さんはボルドーで出会った。その時にボルドーで飲んだワインについて、屬さんと思い出話ができるということもワインの楽しみ方の一つではないかと思う。ぜひ、今日を縁として、ワインを楽しんで頂ければと思う。

■ワインテイスティング 結果発表
<シャルドネ>
(1)MACON AUX BOIS D'ALLIER 2016(フランス)
(2)CALERA JOSH JENSEN SELECTION
CHARDONNAY CENTRAL COAST 2016(アメリカ)

<ピノノワール>
(3)DOMAINE JOSEPH VOILLOT BOURGOGNE PINOT NOIR V.V. 2016(フランス)
(4)CALERA JOSH JENSEN SELECTION PINOT NOIR CENTRAL COAST 2016(アメリカ)

<カベルネソーヴィニヨン>
(5)CHATEAU MARQUIS DE CALON 2014(フランス)
(6)CLOS DU VAL CLASSIC NAPA VALLEY CABERNET SAUVIGNON 2014(アメリカ)

火曜G写真3

 飲み比べの全問正解者はわずかに3名!全問正解者の方々には、テイスティングした中でのお気に入りを1本ずつお持ち帰り頂きました!

火曜G写真4 火曜G写真5

真剣にテイスティングする参加者

全問正解! 勝者のほほ笑み


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【元年5月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 尾張四観音龍泉寺 見学会 』


日  時:令和元年5月22日(水) 11時00分〜16時00分
場  所:尾張四観音 龍泉寺
参加者:9名

 今回は、尾張四観音の一つ、龍泉寺の見学会を開催した。当日は5月ならではの清々しい快晴に恵まれ、龍泉寺ご住職で、本会会員でもある佐藤正延氏に温かくお迎え頂いた。書院でのお弁当を頂いた後に、写経を体験!さらには本堂や鐘楼、展望台、宝物館の見学をさせて頂いた。

■龍泉寺について(佐藤正延氏 ご説明)
 龍泉寺は、1584年の小牧・長久手の戦いの際に秀吉軍が退却する際に放火され消失。1598年に再興されたが、明治39年に再び放火により、多宝塔、仁王門、鐘楼を除いた全てが消失した。幸運にも、その焼跡の庫裏の土台石の下から、小判98枚、大判切2枚が見つかり、それを基金に本堂が再建されて、今日に至る。

 龍泉寺は、名古屋城築城の際に、徳川家康が鎮護として定めた「尾張四観音」の一つにあたる。名古屋城築城の遥か昔から祀られていた、南東の笠寺観音、南西の荒子観音、北西の甚目寺観音、そして北東の龍泉寺観音が名古屋城の四隅を守っている。その中でも龍泉寺は鬼門を守っている。
 今年は東北東が恵方(歳徳神という神様がいらっしゃる方角)にあたり、名古屋城から見るとこの地が恵方に当たる。これは5年に一度のことで、節分の時期には多くの方がお参りにいらした。恵方の年にお参りを頂くと、大難が小難に、小難が無難に終わるとされる。皆様が1年間無病息災でお送り頂けるようにと、朝に晩にお祈りしているが、写経の前に皆様にも般若心経を一巻上げて頂きたい。

水曜G写真1

■般若心経と物事の捉え方(佐藤正延氏 ご講話)
 般若心経は、玄奘三蔵が6世紀に国禁を犯してインドに渡り中国へ持ち帰ってきた大きな経典を訳し、276文字にまとめたものだ。色々なものに拘るな、形があるものもいつかは形が崩れてしまう、固定概念をもたず、心は静かに自由自在にしなさいというのが、般若心経の教えだ。
 色々なものに拘るとそれにより悩みが生まれる。拘りを捨てる事でまた新しい発想で道が開けることもある。電球を例にすれば、緩めようとしても緩めることができない時に、逆にもう一度締めることで、新しい流れが出来てするっと電球が外れることがある。

水曜G写真2
 それと同じように、ちょっと発想を変えることによって、我々は心が豊かになり、そしてまた前向きに生きられる。
 色々な物事が私共の心の中には去来するが、前向きに捉えて頂きたい。例えば、身近な例であれば、車に乗っていて信号が黄色になって止まるかを迷う時には、そこで止まって頂きたい。一拍おいて、ゆっくりスタートしていくことで、また自分の道が開ける。
 明るく過ごして頂くことが、まず福を呼ぶ第一の条件だ。一日を、楽しく、また感謝の気持ちを持って送って頂きたい。

 書院での写経体験では、静寂の中で、一字一字、丁寧に、気持ちを込めて写経をするという非常に貴重な経験をさせて頂きました!

水曜G写真3 水曜G写真4

真剣に写経を進める参加者

比叡山延暦寺・根本中堂にご奉納頂きます!

 その後、龍泉寺城(宝物館)へと移動し、円空一刀彫の「馬頭観音像」や、「熱田大明神」「天照皇大神」など、貴重な文化財についてご説明いただいた後、展望台から、眼下に流れる庄内川や濃尾平野を一望し、金華山、遠くは伊吹山まで眺めながら、当時の合戦の情景に想いを巡らせた後、帰途についた。

水曜G写真5
 ご対応を頂きました、佐藤ご住職を始めとする龍泉寺の皆様、ありがとうございました!

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【名古屋いちばん物語】 No.121

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第98回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

後藤新平の第二故郷、天王崎町・洲崎町(栄1丁目南)

 明治の元勲、後藤新平。青春時代は洲崎神社の近隣に住み、天王崎橋南東にあった愛知医学校の若き校長として19歳から6年間を大須にて過ごしました。

住吉の語り部写真1
大須1-5、後藤新平宅跡説明
住吉の語り部写真2
2007年10月名古屋大学創立70周年記念事業で建てられた堀川沿いの記念碑(栄1-19)。麻酔医・ローレツ、執刀・後藤新平、腕を支える司馬凌海が描かれています。

 ウイキペディアによれば:安政4年6月4日(1857年7月24日)〜昭和4年(1929年)4月13日)は、日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。
 台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。そして、東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁,拓殖大学第3代学長を歴任した。
 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した。

 後藤新平は、陸奥国胆沢郡(現・岩手県奥州市水沢区)にて、仙台藩・留守家(るす家)家臣の下級武士後藤実崇(さねたか)の子として生まれました。新政府に抵抗した賊軍でありましたが、胆沢県庁の幹部・安場保和の薫陶を受け、須賀川医学校を出て医師となりました。その後、愛知県令となった安場から愛知県医学校に医師としてスカウトされ、月給10円でスタート。オーストリアからのローレッツ先生、語学の天才司馬凌海のもとで勉学に励み、24歳で学校長兼病院長として実績を残した後、内務省衛生局入りしたことが官僚へ転じる契機となったといわれています。

 名古屋仮病院・医学校は明治4〜5年に名古屋藩評定所跡(丸の内3-1、産業貿易館本館)に開設、その後、大須西本願寺内に移設され、明治10年7月に愛知医学校として天王崎・御普請方役所と千賀与八郎・虎吉宅跡地(尾張藩重臣 禄高1400石・師崎水軍は大坂冬の陣と夏の陣で活躍し勇名を馳せる・現在のトーエネック本社)に移転、明治43年関西府県連合共進会後、整地された鶴舞公園北に大正3年(1914年)3月愛知県立愛知病院となり、現在の名大医学部付属病院に至っています。

住吉の語り部写真3
明治43年・病院東は三蔵学校
住吉の語り部写真4
1900年頃の愛知病院と愛知医学校・堀川より東を望む。(現在はトーエネック本社)

 イケメン青年新平は名古屋一の繁華街大須で若き生活を楽しみ、自宅の裏は「旭遊郭」でしたので、さぞ名古屋の遊興と芸能を満喫したと思われます。
 私は新平の名古屋での功績を3つ挙げたく思います。第一は、新設の愛知医学校の発展から名古屋大学付属病院への礎、そして、2つ目には海水浴普及があります。明治14年夏、愛知県職員の保養所を知多の大野海岸に作ることとなりました。大野海岸の海音寺・その宿坊「恩波楼」では昔から「汐湯治」といって健康・治療のために海で泳ぐ習慣がありました。新平は、大野を世界最古の海水浴場として売り出すよう手ほどきし、中京屈指の海浜リゾートとして発展するまでに導きました。明治15年には後藤の記念すべき出版第1号「海水功用論」を著し、一般人に海水浴を紹介しております。その後、明治の終わりには愛知電気鉄道が引かれ、名古屋の別荘地として開発されてきました。
 「おんぱろう」は現在でも、老夫婦が昔からの建物で営業を継続、料金も一泊2食4500円からと、とてもお値打ちのようです。

恩波楼:
日本最古の海水浴場 大野浜 に接する由緒ある旅館です。 心洗われる 伊勢湾に沈む夕日と夜景歴史ある大野町の中で、いつまでも残しておきたい宿にあげられています。

住吉の語り部写真5

 3つ目の功績は、後藤が全国にその名を知られるようになった板垣退助襲撃事件!

 自由党総理・板垣は勢力の強い三河から愛知自由党・愛国交親社メンバーを核に、東海道遊説の旅を明治15年3月に開始いたしました。3月27日名古屋に入り、29日午前は大須大光院で、午後は門前町博物館で決起集会、イベントは「撃剣興行」のチャンバラショーで人集め、勿論、後藤新平や同志の仲間も参加したようです。各地で興行して4月6日には桜花爛漫の岐阜・金華山麓で大演説会。玉井屋旅館(現在は鮎の形の和菓子で有名)への帰途、待ち伏せていた士族・相原尚文に「国賊、覚悟」と襲われ胸と手にかなりの傷を負いました。その時、流血の板垣総理が刺客を睨みつけ「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ有名な「板垣総理岐阜遭難」の一幕…そして、同行の内藤魯一が3月末に親しくなった愛知病院院長・後藤の来診を仰いで一命をとりとめたとのお話です!
 新平は板垣閣下をみるなり、「閣下、さぞかしご本望でしたでしょうな!」と板垣の心中を見抜いたような一言を投げかけ、党員は度肝を抜かれたそうな。この出会いで新平の後の政治家としての人生に大きく影響したといわれています。
 東海高校の歴史教諭、自由民権運動研究家・長谷川昇先生曰く「治療で板垣は元気になったが、代わりに自由党の民権運動は死んだ!!」生徒は爆笑で大喜びの講義でした。昭和41年、深田正雄東海高校3年思い出の授業です。 

 その年、新平は安場保和の次女和子(17歳)と結婚、翌年、医学校での実績や才能を見出され、東京・内務省衛生局に入省、医者としてよりも官僚・政治家として衛生・保健行政に従事することとなりました。
 後藤新平を顕彰する「後藤新平の会」(事務局長・藤原書店 藤原良雄氏)は2007年に設立され、新平の業績を正しく評価するための研究を行い、その遺産を継承し発展させてゆく活動で、毎年の後藤新平賞、会報の出版など地道に啓蒙活動を継続されています。http://goto-shimpei.org/ 
 また、生まれ故郷の岩手県奥州市水沢には後藤新平記念館で生い立ちや偉業の見学ができます。
 http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/

 しかしながら、若き新平の名古屋時代について、地元大須でも語られることも少なく、名大医学部創立者としてのPRも不足しているように思われます。この度、6月22日市民まちづくり風の会(代表:石浦薫)主催、大須演芸場での「後藤新平と衛生(いのちをまもる)のみち」イベントで大須や洲崎神社界隈での若き新平の物語を楽しみにしております。

住吉の語り部写真6
6月22日後藤新平顕彰イベントポスタ―
住吉の語り部写真7
トーエネック敷地の銘板、堀川対岸から東・2019年6月撮影、
後方はグランアベニュー栄、右はトーエネック本社

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【新会員自己紹介】

写真:渡辺 敏男氏
火曜グループ

渡辺 敏男(わたなべ としお)
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 
専務執行役員

【あいおいニッセイ同和損害保険株式会社】
〒453-6117 名古屋市中村区平池町4-60-12 グローバルゲート17階
TEL:052-563-9534 FAX:052-563-9472
URL:http://www.aioinissaydowa.co.jp/

 あいおいニッセイ同和損害保険株式会社の渡辺敏男と申します。
 この度産業懇談会火曜グループに参加させて頂くことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 当社はMS&ADインシュアランスグループの中核事業会社として、経営ビジョンの実現に向け、全社を挙げて取り組んでおります。
 当社はこれまでに構築してきた基盤・取り組みを発展させ、「先進性」「多様性」「地域密着」を追求することで「特色ある個性豊かな会社」を確立し、企業価値の向上と持続的成長を実現してまいります。
 具体的には、国内初の運転挙動反映型テレマティクス自動車保険の発売により、安全・安心なクルマ社会の実現に一層貢献しつつ、当社の行動指針に掲げる「地域密着」をより具体化していくために、地域社会や地域企業に貢献する取組を継続してまいります。

 今回、産業懇談会の参加を通じて、様々な業種、業界の皆様から貴重なご意見を拝聴させていただき、多くのことを学ばせていただきたく存じます。
 何卒よろしくご指導、ご鞭撻のほどお願いいたします。

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写真:山根 秀昭氏
水曜第1グループ

山根 秀昭(やまね ひであき)
東海東京証券株式会社
代表取締役会長

【東海東京証券株式会社】
〒450-6212 名古屋市中村区名駅4-7-1
TEL:052-527-1170
URL:http://www.tokaitokyo.co.jp/

 東海東京証券の山根と申します。
 当地を本社とする東海銀行、東海東京証券で社会人人生を歩んで参りましたが、この4月から、十数年振りの名古屋勤務となり、産業懇談会に参加させて頂くこととなりました。
 当社の中部地区のシェアは、依然50%を大きく上回っており、正に中部経済の発展と共に成長していきたいと考えております。そのため、様々な地域貢献活動に取り組んでおります。例えば、(1)教育分野では、名古屋大学と提携した「Tongaliプロジェクト」等、(2)文化・スポーツ分野では、絵画展やコンサートの協賛、中京大学でのスポーツに取り組む学生への奨学金支援によるアスリート育成支援等、(3)産業振興分野では、「中部オープンイノベーションカレッジ」を設立し、新たな産業・ビジネスの育成等に注力しています。
 微力ながら、本会の活動のお役に立ち、中部の経済・産業界の発展に貢献できればと考えております。何卒宜しくご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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写真:渡辺 敬文氏
水曜第1グループ

渡辺 敬文(わたなべ のりふみ)
株式会社ワーロン
代表取締役社長

【株式会社ワーロン】
〒453-0011 名古屋市中村区千原町7-21
TEL:052-451-1456
URL:http://www.warlon.co.jp/

 この度、相談役の渡辺豊と交替で水曜第1グループに参加させて頂くことになりました。
 改めまして弊社を紹介させて頂きますと、趣のある和風空間を演出するためのインテリア素材を製造、販売するメーカーです。破れやすい、汚れやすい、燃えやすい、水に弱いといった和紙の弱点を、独自のラミネート技術で強化し、耐久性のある「和風透光装飾樹脂板」、「特殊強化和紙」として新しい価値を創造してきました。独自の表面テクスチャーは和紙の素材感や美しさを失うことなく、照明材や内装材などに広くご利用頂いております。普遍的な「和」の本質を絶えず追求しながら日本の伝統美を「The Next Wa-fu」に進化させ、グローバルに、そして未来に伝えていくことを目指してまいります。
 趣味は9年前から始めた御朱印集め。国宝建造物・仏像などの探索の思い出として芸術的な筆跡を楽しんでいます。本来、御朱印は納経(写経を納める)の証として頂くものだそうです。納経とまではいきませんが寺院参拝の折には般若心経を唱えてから御朱印を頂くようにしています。最近、御朱印ブームも凄い事になってきまして、令和元年初日に熱田神宮で頂くのに2時間半も並んでしまいました。御朱印のご利益は何かとよく聞かれますが、極楽浄土へのマイレージであり、グレードアップが叶えば、と願っています。
 今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

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写真:関川 正博氏
水曜第2グループ

関川 正博(せきかわ まさひろ)
第一生命保険株式会社
中部法人営業部 部長

【第一生命保険株式会社 中部法人営業部】
〒460-0003 名古屋市中区錦3-4-6 桜通大津第一生命ビル7F
〒510-0075 四日市市安島1-2-24 TKビルディング2F(駐在)
TEL:050-3781-6800
URL:https://www.dai-ichi-life.co.jp/

 第一生命保険株式会社 中部法人営業部の関川 正博と申します。
 このたび、産業懇談会 水曜第2グループに参加させていただくことになりました。
 どうぞよろしくお願い申しあげます。

 令和となり経済の大きな転換をむかえるなか、弊社ならではの強みを発揮して、中部経済そして地域の発展に貢献してまいりたいと考えております。
 この3月までは神戸三宮に勤務しており、神戸経済同友会に入会しておりました。
 今後は、中部経済同友会そして産業懇談会の諸先輩方からのさまざまな学びや交流を通じて自己を啓発してまいりたいと存じます。
 ご指導ご鞭撻をよろしくお願い申しあげます。

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写真:霜 知宏氏
木曜グループ

霜 知宏(しも ともひろ)
JFEエンジニアリング株式会社
理事支店長

【JFEエンジニアリング株式会社】
〒450-6430 名古屋市中村区名駅3丁目28番12号 大名古屋ビルヂング30階
TEL:052-561-8611 FAX:052-561-8620
URL: http://www.jfe-eng.co.jp/

 名古屋で生まれて三重県津市で高校生まで育ちました。
 念願の地元である名古屋支店に赴任しましたので、これまで経験した知見を活かしてこの地域で貢献したいと思っております。
 どうぞよろしくお願いいたします。

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7月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

7月9日(火)
12:00〜14:00

『ドコ塗るの?ココ塗るの ONLY1企業を目指して』
株式会社アイチテクノ
取締役社長 遠山 武志氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

7月17日(水)
12:00〜14:00

ミニコンサート
『音楽の楽しみ方 〜フランス音楽と
          ドイツ音楽との比較を通して〜』
講師・ピアニスト 桑野 郁子氏
チェリスト 高木 俊彰氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

7月10日(水)
12:00〜14:00

『技術革新が導くデジタル社会の将来展望  
     NTT DATA Technology Foresight 2019』
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ東海
取締役社長 前田 栄次氏
技術革新統括本部 技術開発本部 
シニアエキスパート 神田 主税氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

7月4日(木)
12:00〜14:00

『名古屋城ができる前の那古野村の様子
       〜名古屋の観光資源を掘り起こす!』
郷土愛好家 熱田 三六氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間

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産業懇談会4グループ合同懇親ゴルフ会のご案内

 平素は中部経済同友会・産業懇談会の活動にご支援を賜り、誠にありがとうございます。恒例となっております4グループ合同の懇親ゴルフ会を下記のとおり開催いたします。

日時 令和元年8月3日(土) 7:00スタート
場所 木曽駒高原カントリークラブ
対象者 代表幹事、直前代表幹事、常任幹事、監事、産業懇談会会員
(参加者は会員限りとし、代理出席はお断りさせていただきます)
備考 定員に到達次第、募集を締め切りさせていただきます。(※)
ご参加される方には、別途詳細のご案内を送付いたします。
※定員に到達したため、申込みを締め切りいたしました※

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.12
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 「令和」のRは… 』

 令和元年5月1日。
 新しい年を、身を清めて迎えようと、奈良まで車を飛ばして『戒壇巡り』をしてきた。『戒壇』とは仏教儀式の一つで、修行を終えた僧侶が、一人前の住職として独り立ちするときに行うものなのだそうだ。古くは奈良時代から行われていたという。本堂の地下に作られた暗闇の回廊を手探りで一回りし、再び現世に戻ってくるという、ある意味生まれ代わりの儀式である。最近流行りのパワースポットと言われている、法隆寺近くの信貴山が良いらしい(何が良いのかわからないが)ので、登ってみることにした。
写真:戒壇巡り入り口
戒壇巡り入り口を右に曲がると、地下に降りる階段が

 あいにくの小雨、また世間では新天皇の即位ということもあって観光客もまばら。参道の途中、やたら大きい虎の置物があり「日本一大福寅」と案内板にあった。信貴山の朝護孫子寺ご本尊は毘沙門天なのに、何故に虎?と思い、その縁起に目を通す。その昔聖徳太子が戦に向かう途中、この山で必勝祈願をしたところ、彼方から毘沙門天が現れ、勝利を授けたそうで、その日が寅年の寅日、寅の刻だったことから、虎が縁起物になったのだとか。かく云う私も寅年、さては呼ばれたか、と戒壇に臨んだ。(ちなみに阪神タイガースの優勝祈念に来ているファンも多いようだ)

 生まれ変わりとは英語でReborn,フランス語も同じだが、芸術や文化に使われるRenaissanceもまた、復興、再生を意味する。改めて辞書でre-を引いてみる。reはラテン語由来で、本来は「後退」「再度」「反対に」という意味。辞書を検索するだけでもこのreを接頭に持つ単語は数知れず。普通に頭に浮かぶだけでも、reset,restart,remind,…。そんな風に考えると、きっと令和のRは、其々に何かしらの意味を彷彿とさせるアルファベットかもしれない。

 などと考えながら山を下り、十数年ぶりに法隆寺に向かった。参道はやはり人もまばらで外国人観光客も少ない。京都と違ってインバウンドで来るには、交通の便も良くはないし、決して華やかではないし、何だかんだ言ってよい意味で田舎の、長閑な寺社で、私などは通いなれた菩提寺に帰ってきたような安堵感すら覚える。南大門をくぐって回廊から伽藍に入る。金堂、五重塔、大講堂。そして隣の聖霊院に抜けようとしたところ、物凄い数の傘の集団が目に入った。何重にも列をなし、上り口までたどり着けない。一体何事?聖霊院は聖徳太子像をお祀りしているところ、令和にちなんで太子講(太子をお祀りしている人たち)の皆さんが参拝に来てるのかしら?と戸惑っていると、作務衣のお坊様に「御参りはこっち」と手招きされた。よく見るとその集団、手に手に御朱印帳を持っている。そうだった、法隆寺の御朱印は、聖霊院で頂くのだった。とはいえ、一昔前は、写経をもって聖霊院でお参りし、その写経を奉納してから御朱印を頂くという習わしだったはず。が、そこに並んでいる人たちは、写経はおろか本尊に手を合わすという気持ちすらなさそうだ。とりあえず、人をかき分け本尊前でお参りすると、逆に私の方が変なことをしている人のような眼で見られる始末。この違和感はどうも受け入れ難い。そして大宝蔵院に向かう。ここは百済観音、玉虫厨子、夢違観音など、見応え満載の国宝ばかり。特に夢違観音は、悪夢を吉夢に転じてくださる観音様なので、若かりし頃はよく願掛けに通ったものだった。で、レイアウトがちょっと変わったな…と思っていたら、なんと以前は聖霊院で3月中旬にしか開廟されていなかった「聖徳太子像」が展示されているではないか。そりゃそうだ、ご本尊に見向きもしない御朱印集団をやり過ごすには、ここに避難するのが一番良いのかもしれないな、ごもっとも!なんて一人で納得した。
 昨今の御朱印帳流行りは、それはそれで寺社仏閣の貴重な収入源となっているので、一概に責めるつもりなないのだけれど、でも御朱印は何のために授けていただくのか、解っているかどうか疑わしい。ちゃんとお参りしたことの証であるのは勿論だが、実は死して鬼籍に入ったのち、地獄に落ちないよう、仏の世界へ行くための通行手形で、閻魔様もこれを持っている人は「どうぞどうぞ天国へ」と手を出さないのだという。余談だが、先日知人のお爺さまが大往生し、お葬式が終わった後、家族で荷物の整理をしていたら、御朱印帳が何冊も出てきたのだそう。本来は棺に入れて一緒に荼毘に付すものなのだが、誰も御朱印帳を持っていたことなど知らされておらず、「あらら、お爺ちゃん手形持たずに逝っちゃったけど、ちゃんと天国に行けたかなぁ」とひと笑いし、49日の法要前だからきっと間に合うはず、と仏壇に供えたそうだ。なんとも微笑ましい。

 翌日は東大寺に出かけたのだが、ここでも同じことが起きていた。4月堂という、ご本尊の十一面観音菩薩を拝観料なしで参拝できる東大寺の中でも小さいお堂で、ゆっくりお参りできるのが魅力だったのだが、ここにある御朱印台に人が殺到し、参拝するための上り口は完全に列で塞がれ、外から手を合わそうとすると、その手前の御朱印マニアの列しか見えない始末。「一体何なの!」と叫びそうになった。これを本末転倒と言わずしてなんと言う…。かなり残念な気持になってしまった。
 禊の旅で、新たな年がこんな情けないことになろうとは。気を取り直し 2月堂に登り、おみくじなど引いてみる。出てきたみくじ棒の先には90番と書かれていた。「きっとよくない番号よねー」と授り所のお坊様に差し出すと「いやいや最高だよ!」と手渡されたものは、なんと『大吉』!ちなみに2月堂のおみくじは他のおみくじに比べて大判なので、非常に読みやすい。この二文字でかなりテンションが上がって、先ほどまでのやるせない気分はどこへやら、人間は単純明快、要は気の持ちようってことですね。
写真:
		おみくじ大吉
大吉御籤、少しだけおすそ分け

 そんな話を名古屋に戻って、ワインのつまみに話していると、「ところで、ゆみ子さんのRは何ですか?」と問われた。ボキャブラリーに乏しいのだが、やはりrenaissanceだろうか。同世代の天皇陛下が即位され、皇后雅子さまが、長い療養の末、見事に、そして生き生きと公務をされている姿を見ると、「やっと時代が追いついてきたのかな」と感じる。そのお姿に何よりの励ましを受ける女性は、きっと私だけではないだろう。などと皆さんのRについて話していたら、一人の女性が、「私の場合、一応ダイエットに成功したのだけれど、残念ながらreboundのR」と言い放ち、一同爆笑。でも待って!その単語の使い方は、ジャパニーズ イングリッシュ!正しくはregain weightとかだったような気がする。ま、いずれにせよ、reにはかわりなく。

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.128
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 10代に語る平成史 』
後藤謙次著・岩波ジュニア新書

 平成から令和に替わり約2か月。「令和初めての…」という言い回しも少し落ち着いてきたところでしょうか。今の時点で平成という時代を総括しておくのには恰好の一冊です。「10代に語る」ので、著者自身の政治的主張は極力抑えたバランスのよい内容になっています。

 序 すべては平成元年から始まった
 1 平成政治の主役は消費税
 2 政治を激変させた選挙制度
 3 バブル経済の終焉と失われた20年
 4 今も続く沖縄の苦難
 5 9・11が変えた日本外交
 6 近くて遥かな北方領土
 7 平成は自然災害の時代
 8 中国の台頭と日中関係
 9 振幅激しい日韓関係
 10 ゴールの見えない日朝関係

 著者の後藤謙次氏は、共同通信社の編集局長などを経て、現在はフリーの政治ジャーナリストとしてテレビなどでも活躍しています。本書は、白鴎大学での「特講・平成政治史」をまとめたものです。

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