産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第204号 2019.5.30発行

メールマガジン■産懇宅配便■

令和元年5月度(第204号) 目次
【31年4月度 産業懇談会(火曜G)模様】 4月9日(火) 12時00分〜14時00分
【31年4月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 4月10日(水) 12時00分〜14時00分
【31年4月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 4月17日(水) 12時00分〜14時00分
【元年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】 5月8日(水) 10時00分〜17時00分
【名古屋いちばん物語】 No.120
【新会員自己紹介】
桑田 正規氏

トヨタ自動車株式会社 総務・人事本部 副本部長 兼 秘書部部長

矢澤 潤子氏

全日本空輸株式会社 執行役員中部支社長

【6月度産業懇談会のご案内】
【7月度産業懇談会のご案内】
【コラム】
コラム1 【さっかの散歩道】 No.11
コラム2 【保健師からの健康だより】 No.182
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.127
【お知らせ】
【31年4月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 企業市民として、地域社会とともに歩む 』


日  時:平成31年4月9日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:東海東京証券 オルクドールホール
参加者:32名

スピーカー:
合田 一朗(ごうだ いちろう)
東海東京証券(株)
代表取締役社長

写真:合田 一朗氏


■人の縁と時の運
 まずこの様な機会を頂けたことに感謝申し上げたい。この4月1日に、東海東京証券株式会社の代表取締役社長に就任した。常日頃から、人生は、人の縁と時の運の賜物であると捉えてきたが、このタイミングで皆さんの前でお話する機会を頂いたことでさらに強く感じている。
 自分は京都府の出身で、完全な余所者と言っても過言ではない。だからこそ私自身、中部に骨をうずめる覚悟を持ち、名古屋に馴染み、溶け込むための努力として地域活動にも積極的に参加してきた。本日は東海東京証券グループの地域貢献活動について、皆様にお話したい。

■東海東京フィナンシャル・グループの生い立ち
 2000年に日興證券系列の東京証券と、東海銀行グループの東海丸万証券の合併により誕生したのが東海東京証券で、当初は東京に本社を置いていた。バブル崩壊の影響が色濃く残る、厳しい環境の中で、他社との差別化と業容拡大を同時に進めるべく、有力地方銀行との提携合弁証券会社を立ち上げるという手段をとった。2007年に営業を開始したワイエム証券会社を皮切りに、証券会社と地方銀行の長所を生かしたアライアンス戦略を新たな成長戦略のエンジンとした。
 2009年には、グループの意思決定の迅速化を図るために、東海東京フィナンシャル・ホールディングスを設立して持株会社制に移行。そのなかで子会社としてのグループ中核企業である東海東京証券が新たに生まれ、2010年に本社を故郷の地・名古屋に戻した。それと同時にトヨタファイナンシャルサービス証券を合併、トヨタグループとも深いリレーションをもっている。当社の店舗66店のうち、43店舗が東海地域に存在し、文字通り地元密着型の営業を展開している。

■地域貢献の具体的な取り組み事例
 当地のお客様に支えられてきたことへの感謝の気持ちと、この地域の発展自体が当社グループの発展につながるという信念のもと、東海東京フィナンシャル・ホールディングス、東海東京証券、東海東京財団の3つの活動主体で、様々な地域貢献活動に取り組んでいる。
 東海東京財団は、地域の将来を担いグローバルに活躍できる人材の育成や、国際経済・社会への理解促進の機会創出、文化芸術の振興を通して、地域社会の発展に寄与することを目的に設立された一般財団法人だ。

1. 教育部門で地域貢献
 名古屋大学と提携し、「グローバル教育推進事業」としてケンブリッジ大学への留学生の派遣、同大学からの留学生受け入れに対する経済的・人的支援を行っている。また、起業家育成のための教育プログラム「Tongaliプロジェクト」には創設当初から携わり、大学発のベンチャー育成にも助力している。
 高校生留学生支援事業として、あいちスーパーイングリッシュハブスクール在校生を対象とした短期語学留学、(公財)AFS日本協会との協働で長期海外留学の助成を行っている。

2. 文化部門・スポーツ部門での地域貢献
 絵画展やコンサートへの協賛や、愛知県内の伝統的な祭礼行事や民俗芸能の保存・伝承のための活動への助成、中京大学でスポーツに取り組む学生へ奨学金支給によるアスリート育成支援、日本オリンピック委員会のアスリート・ナビゲーションを通じたアスリート社員の雇用、プロスポーツでは名古屋グランパス、ファイティングイーグルス名古屋のスポンサーの1社としてバックアップを行っている。

3. 産業振興分野での地域貢献
 日本を代表する産業集積地である当地は、一方で新しい産業、ビジネスが生まれにくい地域だという評価もある。そこで、「中部オープンイノベーションカレッジ」を3年前に設立した。
 10年先、20年先の中部地区の繁栄を見据え、様々な垣根を超えた意見交換の場を作ることを目的に活動をしている。昨年5月からは1ヵ月に1回のペースで有識者を招いた勉強会を開催している。社会人参加者のなかには、経営者、技術職、営業職、企画職と多岐にわたる立場の方がいる。また。名古屋大学や、名古屋工業大学を中心に多数の学生も参加している。
 登壇者を囲んだ名刺交換会では、普段接することのない異業種の社会人や、大学教授・大学生との間での交流が活発に行われている。もしご興味があれば、経営者の方々、関連部門の方々には、積極的なご参加を頂きたい。(以下より資料をダウンロードできます)

■最後に
 当社グループは当地域に育てて頂いており、その恩返しの一部が、本日紹介した地域貢献活動だと思っている。当社グループの活動により、地域経済がより活性化し、拡大していけば、企業市民としてこれに勝る喜びはない。微力ながら今後もこうした活動を続けていくつもりだ。


ご講話のあとには、オルクドールサロン・コンシェルジェ部の丸林部長より、オルクドールサロンのご紹介、会員向けのレストランやバー、商談や待ち合わせにご利用できる応接室やミーティングルームといった贅沢で上質なサロン施設のご案内を頂きました!

火曜G写真1 火曜G写真2

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【31年4月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 スマホdeリレー®で起こした3つのイノベーション
         〜受け身体質から主体性をもつ組織への意識変革〜 』


日  時:平成31年4月10日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:31名

スピーカー:
妹尾 義之(せのお よしゆき)
株式会社構造計画研究所
専門役員 名古屋支社長

写真:妹尾 義之氏


■「人生の樹」
 私の人生は10代から挫折の連続であった。荒れた父に対抗し高校ではボクシング部で鍛えた。家では勉強ができず共通一次の直前に祖父の家へ移り住んだが失敗、一浪して東工大に合格した。しかし、工学の道に進む気になれず、役者になろうと初対面ながら西田敏行さんに相談、大学卒業後、演劇集団「円」に入団した。渡辺謙や橋爪功など名だたる俳優を間近で見つつ、奮闘努力し主役も務めたものの、役者としては理屈っぽいと1年で退団することになった。
 役者の道を諦め構造計画研究所に入社。技術部門に配属され自信がついた9年目、青天の霹靂、営業部門へ突然の異動。心機一転、営業に邁進し成績も残し、ピンチの営業部門を立て直すべく部長を務め悪戦苦闘するも挫折。“心の複雑骨折”とうそぶいて、社内カフェで1日中バイトさんとお喋りして過ごしたこともあった。しかし、骨折は回復すれば強靭になる。
 その後、新たな活動をして専門役員になるのだが、会社からさらに勉強しろと多摩大学大学院MBAコースに通うことになった。そこで生涯の恩師、田坂広志先生に出会う。田坂教授は原子力の専門家で、東日本大震災時に内閣官房参与を務めた方だ。田坂先生の講義は、姿勢を正し、メモ禁止、アイコンタクト必須の真剣勝負3時間。メモ魔の私は、初日にメモをとって大目玉。非常に厳しい先生だが、志や使命の大切さを教えて頂き、一期一会の真剣勝負を学ばせて頂いた。心底は慈愛に満ちた教えであり、心から感謝している。
 挫折の度に人生の樹は折れ曲がるが、そこで負けずに歩み続けていけば、人生の樹はどんどん太く逞しくなる。新人研修の自己紹介では、人生の樹の絵を見せてこのことを伝えている。

■構造計画研究所の紹介
 当社は今年60周年を迎える。経営理念は、「大学・研究機関と実業界をブリッジするデザイン&エンジニアリング企業として、工学知で社会課題を解決し次世代の社会構築・制度設計の促進に貢献する」ことである。「Innovating for a Wise Future」のスローガンには、賢慮ある未来のために、日々イノベーティング努力するのだという思いが、 ing に込められている。
 創業当時、構造計算に8割の時間を割くのが勿体ないと、日本で初めて汎用機IBM1620を導入し計算に当てた。お城の再建などの構造設計に多く携わってきた。熊本城の再建にも関わった。石垣上の重い鉄筋コンクリートの天守閣を支える構造計算を行ったが、3年前の熊本地震では不幸中の幸い天守閣は無事だった。六本木ヒルズ等高層ビルの設計など構造設計業務は、今も当社の柱。計算作業にコンピュータを利用し、エンジニアが本来の能力を活かす創業時の思想は、今に受け継がれ、対象は構造物から自然環境や社会・コミュニティにまで広がり、「工学知」で社会課題を解決するエンジニアリングコンサルティング業務に活きている。

■3.11の教訓から生まれたスマホdeリレー®
 日本はとても美しい国。しかし、災害列島でもある。東日本大震災で、ドコモの携帯電話基地局は津波到来時、最大6600局が停波し通信不能になった。被災状況を目の当たりにした東北大学の西山准教授は、「携帯電話を持っていながら一切使えなかった。携帯電話がつながらない状況でもどうにかして情報を伝えたい」という切実な思いから、2012年にAndroidをベースに研究を始め当社も加わり、一歩一歩前進して2015年にスマホdeリレー®が誕生した。
 スマホdeリレー®とは、スマホから出ているWi-FiやBluetoothの電波を使って、近くにあるスマホに届け、バケツリレーのようにメッセージを受け渡してゆくものである。アドホック通信と呼ばれる。応用すれば、最終的に災害対策本部までSOSを届けることができる。この共同研究が評価され、2015年、フジサンケイビジネスアイ 第29回 独創性を拓く先端技術大賞 特別賞を受賞し、2017年には、東北大学の加藤先生と西山先生がIEEE Communications Society アジア・パシフィック優秀論文に選ばれた。

■受け身体質から主体性をもつ組織への3つのイノベーション
(1)変革と強い意志(信長編)
 栄誉ある賞をもらい、仕事は山程あった。しかし技術者は現状に満足し、「受け身体質、技術偏重、社会に無関心」になってしまった。どうすればこの状況から脱却できるのか、どうすればスマホdeリレー®を社会課題解決のために普及させることができるのか。
 チームの空気を変えると共に、普及させるにはAndroidだけでは片手落ち、iPhone対応は必須であった。真剣に考え暗中模索のなか、まさに天恵。iPhoneのアドホック通信技術をもつドコモからの声掛けにより、共同開発をスタートすることになった。さらに、チームの空気を変えねば。田坂先生をはじめ、多摩大MBAで学んだあらゆる手法を愚直に実践した。何度もミーティングを行った。何度も率直に議論した。ぶつかり合ったりもした。行きつ戻りつだが、少しずつ変わっていった。そんな折に、仙台でドコモ×仙台放送×当社による実証実験を行うことになった。スマホdeリレー®を実装したアプリを入れたスマホを圏外設定にして、謎解きゲームに参加する体感イベントを開催。既存の通信回線が利用できない状況で、この技術は必要かを問うアンケートを取ったところ、88%の人が必要と答えた。社会のニーズを確信し、チームの空気が変わった。

(2)発想と前向き姿勢(秀吉編)
 実際のスマホで通信実験を繰り返していたが、メッセージを送る画面がなんとも無機質で楽しくない。ソーシャルイノベーションを起こすには、誰もが簡単に使えるわかり易いユニバーサルデザインが大切だ。単にメッセージを送り受け取れればいいというものではない。しかも、楽しさもなければ使われない。スマホdeリレー®は、いわば「IT伝承鳩」。その概念をスマホ画面上に活かしたい。何度も描き直し、遂にメッセージの送受信の状況をアニメーションにすることができた。メッセージを書くと止まり木の鳩が手紙をくわえ、手紙を受け渡しできるスマホが近づいてくると鳩は羽をはばたかせ、手紙を送っているとき鳩は飛び立ち、相手のスマホに手紙を受け渡すとくちばしから手紙が消え、相手のスマホが遠くに退くと鳩は再び止まり木に戻る。そんな、わかりやすいデザインにした。デザインは出来た。しかし、それだけでは足りない。この鳩が親しまれる良い名前が必要だった。IT伝書鳩では固い。こんなとき、女性の発想力には感心させられる。女性社員に何気なく話したら、「安否確認」と「はとぽっぽ」を組み合わせて『あんぴッピ®』と名づけてくれた。なんて可愛いセンスある名前なのかと感動して、一瞬で採用した。
 導入候補は高知市だった。高知市は南海トラフ地震の津波で、総面積の10%は3ヶ月間水没すると言われており、携帯電話基地局は使いものにならない。高知市も実証実験に協力してくれた。真夏の炎天下、真冬の寒空の下、何時間も実証実験を繰り返した。
 そして、2018年1月、住民参加の津波SOS訓練を実施。津波避難ビルに取り残された住民のSOSを、ボートで周回する救助隊が拾い集め災対本部に集約、救助作戦に活かすことを想定した訓練だ。訓練の結果、圏外避難場所15カ所のうち14カ所でSOS送信に成功した。
 終了後、災害時にはスマホの電源を分け合う共助の精神について訴えかけると、住民から拍手が湧いた。スマホdeリレー®は共助の精神を前提にする以上に、育むものだと実感した。11月にも訓練を実施した。高知新聞や朝日新聞、NHKなどメディアでも取り上げられた。受け身だったチームが、住民や関係者たちと積極的に関わり、汗を流し主体的に取り組む姿に変わっていった。

(3)忍耐と基盤構築(家康編)
 この4月から高知市での正式運用が始まった。しかし、まだ災害時の情報収集だけのシステムに過ぎない。世の中に広く普及していくためには、情報収集だけでなく、情報配信や、周囲への情報発信などの日常で使える仕掛けも必要だ。まだまだアプリとしてブラッシュアップが必要なだけでなく、全国視野で普及活動をせねばならない。それには仲間が必要だ。そこでコンソーシアムを創った。東北大学をフェローに、ドコモと仙台放送と当社がボードメンバーの「スマートフォンによるリレー通信イノベーションコンソーシアム(SmaRIC)」が昨年7月に誕生した。
 さらに、日本全国に広めるべく、内閣府が行っている戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期の国家レジリエンス(防災・減災)の強化にも参加している。ステークホルダーが非常に多いプロジェクトであり、しかもスピードが求められる困難なプログラムであるが、主体性を培ったチームメンバー達は、一生懸命に汗を流してくれている。本当によくここまで変われたものだと頭が下がる思いである。

 日本で広く普及するには、まだまだこれからである。信長の強い意志と秀吉の発想で変われたチームメンバーは、きっと家康の忍耐と地道さで一歩一歩重い荷を背負って歩み基盤を創ってくれると信じている。そして、スマホdeリレー®が災害列島日本の通信途絶という社会課題解決に、少しでも貢献できることを目指している。


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【30年4月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 「創業の精神」を継承し70年継続、
                  そして「印刷業から情報デザイン業」 』


日  時:平成31年4月17日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 2階 曙の間
参加者:22名

スピーカー:
服部 晋吾(はっとり しんご)
(株)クイックス
取締役会長

服部 晋吾氏


<服部氏 ご講話>
■自己紹介・印刷業界の現状
 私は本づくりが好きで、教科書の出版社で国語の編集を担当していた。その後、印刷を覚えたいと、クイックスの前身である滑谷高速印刷に入社し、今日に至っている。
 これまで関わった作品のなかで、「1リットルの涙」を担当したことは心に強く残っている。
 東海地方のエフエー出版から編集長と私で世に出し、東海地方で65万部を販売した。様々なメディアにも取り上げられて、1つの本がどれだけ多くの人を感動させることができるのかを改めて感じた。その後、幻冬舎へと版権が移り映画化され、広く世に知られる作品となった。
 印刷業界は1996年〜2016年の20年間で大きな転換点を迎えた。印刷市場の規模は20年間で8.7兆円から5.3兆円と約40%縮小、事業所数も1.8万社減という大変厳しい状況だ。市場の縮小要因としては、一番はデジタルメディアの登場だが、グローバル化による海外移管、デジタル化による印刷中間工程の激減、過剰設備・印刷通販による価格破壊の影響が挙げられる。コンテンツ市場への移行が進む中、紙媒体と電子メディアを融合しながら進んでいく以外に、印刷業界の未来の道は無いと考えている。

■「創業の精神」継承と継続
 弊社は創業73年になるが、敗戦により中国・満州から引き上げた創業者の岡本万利氏が、謄写技術(ガリ版印刷)の教育機関「刈谷町営授産所」を設立したことに始まる。創業者の言葉、「大局を見る目を養い、時期を掴む勘、他の物が逡巡する時に進んで実行する力、すなわち生活力」が、創業の精神の原点にある。教育機関として始まったことで、技術志向の社風、仕事に対する誇りが醸成された。その後、社団法人を経て、(株)刈谷高速印刷として改組されるが、プロ集団として新しい技術に挑戦する精神、自分の仕事に誇りとプライドを持つという熱い思いは、今も企業理念として受け継がれている。(株)刈谷高速印刷の時代には、多ページ・小ロットというニッチ市場に特化したことで「表現技術」という現在にもつながるコアを醸成、また、電算写植機を東海地域で初めて導入する等、将来のデジタル化への道を切り拓いている。平成元年には(株)クイックスに社名を変更、創業の精神を生かした企業理念を制定した。印刷をコアに川上・川下領域へも事業範囲を広げ、情報サービス業への変革を目指し、市場環境の激変にも対応してきた。今ではさらに一歩進み、ソフトサービス事業、情報デザイン業へのシフトにも取り組んでいる。

■企業理念へのこだわり
 私は2期連続の赤字の中で社長に就任した。そして、事業の統廃合・再構築を進める中で、企業理念をもとに経営判断をすることを決意した。そこには、会社を継続させてきたものは、やはり企業理念だという思いがある。目指したのは、社員が誇りの持てる企業の実現だった。

企業理念
一. 喜ばれるサービスを創造する。
一. 生活力のある人材を育成する。
一. 楽しい職場づくりを追及する。

■現在の主要4サービスについて
 現在の主力サービスの構成比率は、販促支援サービス19%、マニュアル制作支援サービス43%、プリント&デリバリーサービス30%、記念誌・教育出版支援サービス9%となっている。販促支援サービスでは、コンテンツ・メディア制作業務をワンストップで対応し、お客様の業務負荷軽減を支援するサービスを幅広く展開している。また、マニュアル制作支援では、各種マニュアルの企画から執筆、翻訳、データ制作までを一貫して代行するサービスを提供し、現在は、ITと融合した新しいシステム構築にも取り組んでいる。またプリント&デリバリーサービスでは、全国から受注を頂いて、在庫管理、ピッキング、セット、発送までを一日で行っている。それぞれのサービスにおいて、お客様の業務の負荷をどう軽くするかを考え、業務代行の領域を広げながら進めている。


服部氏からご講話の後、中期経営計画および新サービス「i-Share」「x-Share」について、担当の鵜飼氏、山下氏からご紹介頂いた。

<鵜飼氏・山下氏 講話>
■マニュアル制作システム「i-Share」、販促物制作・管理システム「x-Share」について
 働き方改革関連法案の施行により、各企業は働き方の多様化に対応が必要となる。そんな企業が抱える課題の解決策として、新サービス「i-Share」「x-Share」を紹介したい。取扱説明書に代表される技術的な資料制作で培ってきた弊社ノウハウを使い、教育マニュアル、業務マニュアルを制作するシステムとして、クラウドサービス「i-Share」を開発した。データの一元管理による管理工数削減、簡単な操作で早期習得が可能。加えて外国人労働者や海外拠点に向けた多言語対応や、印刷用・Web用などの多媒体化が容易であることが導入メリットとして挙げられる。また、社内に点在する販促に関わる情報を管理しながら、探し、作るという作業は、様々な部署での重複作業を生み出す。その問題を解決するため、「x-Share」というシステムを目下開発中だ。クラウドサービスで、販促に関わる情報を全てサーバーに登録して一元管理することで、社内での重複業務の排除、大幅な作業工数減を可能とし、顧客に役立つサービスになると考えている。


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【元年5月度 産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ: 『 中部国際空港セントレア 見学会 』


日  時:令和元年5月8日(水) 10時00分〜17時00分
場  所:中部国際空港セントレア
参加者:23名

 今回は、開港14年目を迎え進化を続ける中部国際空港セントレアと、昨年オープンした商業施設「フライト・オブ・ドリームズ」の見学会を開催した。最初に中部国際空港株式会社の営業推進本部・営業企画部長の鈴木健一氏からセントレアの近況についてレクチャーを頂いた。

<鈴木健一氏によるレクチャー『セントレアの近況および今後について』>

■セントレアのこれまでと今
 開港した2005年度に旅客数1235万人を記録して以降、リーマンショックや東日本大震災などで旅客数が減少、非常に苦しい時期もあった。その後、インバウンドブーム等で徐々に旅客数が増え、2018年度には初めて開港年を上回る1236万人の旅客数を達成した。
 その中身は開港当時とは大きく異なり、インバウンドが159万人から295万人へと大幅に増加している。直近ではインバウンド、アウトバウンド、国内線の全てで旅客数が増加しており、今後も順調な旅客数の伸びを見込む。

写真:鈴木 健一氏

 国内線では、LCCの参入により、キャンペーン期間には札幌までの航空券が5000円を切ることもある。新幹線で東京に行くよりも安い「日帰りヒコーキ」として、日帰り旅行での飛行機利用を提案している。韓国・ソウルも日帰り圏内で充分楽しむことができ、多くの方にご利用頂いている。路線が就航しても、利用者が少なければ直ぐに廃止されてしまう。旅行代理店や自治体とも連携した観光アピール等で、便の定着を図っていきたい。

■インバウンド拡大への取り組み
 日本全体でのインバウンド旅客数は、2014年頃から急激に伸び、2018年度は3000万人を突破した。訪日外国人の全国シェアを見ると、セントレアのシェアは4.7%と東海三県の人口比率10%を大きく下回っている。国別に見ると、中国9.1%、フィリピン、ベトナムが10%超、ほかの地域と比べ、韓国からの訪日客が少ない。これには、実はセントレアは観光以外の目的での訪日客が多いことが背景にある。
 海外のガイドブックを見ると中部エリアは東京、大阪に比べて掲載ページ数が少ない。中部の観光情報が届いていないことは大きな課題。中部にはゴルフやスキーなどのスポーツ、ナガシマリゾート等の娯楽施設、祭りや花火、産業観光等の非常に優れた観光資源が存在する。三英傑の輩出、伊賀等の忍者誕生の地を訴える事も有効だ。セントレアでも旅客数増加に向け様々な取り組みは行っているが、自社だけでできる事は非常に少ないため、連携事業にも積極的に取り組んでいる。昨年始めた、サムライ×NINJA空港プロジェクトでは、空港内の天井から忍者の人形を吊るす等のディスプレイで楽しませ、伊賀までバスや高速船でつなぐアクセスの利便性向上、地域と連携した忍者ツーリズムを促進している。

■これからのセントレア
 空港島の中は大きく変化している。まず、空港東側の地区では、日本4番目の規模となる国際展示場「アイチスカイエキスポ」が8月30日開業予定だ。南側にはLCC専用の第二ターミナルが9月20日開業する。第二ターミナルだけで国際線300万人、国内線150万人のお客様の受け入れが可能となる。これを背景に、ここ数年でホテルの客室数も大幅に増加、2017年との比較では約2倍になっている。
 セントレアは大規模イベントの開催が可能なホールも保有。さらに、日本の空港では唯一、バレーパーキング(係員が車の鍵を預かり駐車サービスを代行。帰国時に合わせて配車)を提供している。セントレアを利用して頂くことで、既存路線が定着し、便も増加するという好循環が生まれる。ぜひこれからもセントレアを活用して頂きたい。

■フライト・オブ・ドリームズの開発について
 昨年10月、複合商業施設フライト・オブ・ドリームズをオープンさせた。入館するとまず目に入るのが、巨大なボーイング787初号機の機体だ。歴史的価値のあるボーイング787の初号機が寄贈されることになった経緯には、ボーイング787と中部との深い繋がりがある。主翼をはじめとする部品の約35%を三菱重工、川崎重工、SUBARUの3社が中部地区で製造しており、航空機の生産拠点の一つとして中部地域は高く評価されている。この縁が初号機の寄贈につながり、プロジェクトが始まった。

水曜第2G写真1
  ボーイング787初号機
宙に浮かぶように展示されている

 フライト・オブ・ドリームズはフライトパークと呼ばれる体験型コンテンツエリアと、シアトルテラスと呼ばれる商業エリアで構成されている。フライトパークでは、ボーイング787の初号機が展示されるだけではなく、「航空」について体験を通じて学ぶことができる場を提供している。チームラボによる館内空間をダイナミックに使用した音と映像のショー、フライ ウィズ 787 ドリームライナーは特に人気だ。
 シアトルテラスは、ボーイング創業の街シアトルをテーマとしたエリアで、シアトル市の協力も得ながら、シアトルで人気の飲食店や物販店を積極的に誘致した。その結果、オバマ大統領時代にホワイトハウス御用達だったチョコレートブランド・FRAN’S CHOCOLATEをはじめとして、数多くの日本初出店のブランド誘致を成功させた。
 フライト・オブ・ドリームズは、新たに整備される国際展示場、第二ターミナルの動線上にある結節点に存在する。今後、大きく伸びる飲食需要などに応える商業施設としての機能にも期待されている。

<フライト・オブ・ドリームズ視察 及び滑走路見学ツアー>
 鈴木氏よりレクチャーをいただいたのち、フライト・オブ・ドリームズを視察。シアトルテラス内の「ザ パイクブリューイング レストラン アンド クラフトビアバー」でクラムチャウダー等のシアトルグルメ、フライトパークではチームラボがプロデュースしたデジタルコンテンツを満喫した。
 引き続いて実施した滑走路見学ツアーでは、厳重な保安検査の後、通常は立ち入ることのできない制限エリア内である 滑走路の周りをバスで1周しながら空港施設の機能や仕組み等について説明を受けた。
 バスから降りて滑走路エリア内から航空機の離発着を間近に見るという非常に貴重な機会を頂いた。

水曜第2G写真2 水曜第2G写真3
滑走路見学ツアー前に集合写真 わずか150mほどの距離で飛行機の離発着を眺める
水曜第2G写真4 ご対応を頂いた中部国際空港の皆様、
ありがとうございました!

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【名古屋いちばん物語】 No.120

テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第97回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

渋澤栄一翁・神田らい蔵祖先建碑除幕式に来名

 2024年上期から発行される新1万円札の肖像画には日本の資本主義の父とされる実業家の渋沢栄一、裏面は東京駅舎のデザインと発表されました。渋澤氏は全国各地に信奉者も多く、様々な会社設立等に関与しております。今回は、大正4年、渋澤翁が子分・神田らい蔵の激励のために名古屋来訪されたお話をご紹介してまいります。

住吉の語り部写真1

 祖父・深田良矩は愛知三中を卒業後、明治末期より蟹江・須成村市場近隣の酒造業者紅葉屋の神田らい蔵に師事して名古屋で金融業を営み、東京で活躍する相場師らい蔵を地元で支えていたようです。明治5年生まれのらい蔵は渋沢栄一とも親しく、現東京証券取引所設立に尽力し、外債発行で活躍、日露戦争後は紅葉屋銀行を創設、株式市場のみならず横浜倉庫の経営、逗子開成中学の再建、浮世絵コレクションなど八面六臂の活躍をされました。

 須成から名古屋進出にあたり、良矩はらい蔵の弟分として、伊勢町界隈で新株発行引受部門を担当しておりました。また、同郷の後藤道政は神田銀行の名古屋支店長として資金面で両名をサポートしていたようです。

コトバンクには神田らい蔵について下記のように紹介されています:

名古屋商〔明治21年〕卒後、家業の酒造業に従事。
明治26年名古屋株式取引所創設と共に、株式の思惑買占で40万円という巨利を得たが、日清戦争後の不況下に破産。
32年上京、紅葉屋商店を創設し、有価証券の仲介業を営んだ。
鉄道株の売買で巨富を築き、渋沢栄一の援助で国債の欧州輸出を行うなど、“証券界の鬼才”と称された。
のち紅葉屋銀行を創設、大正7年神田銀行と改称。
さらに諸会社を主宰し、育英・公共事業にも関係したが、昭和2年金融恐慌で倒産した。

住吉の語り部写真2
神田らい

 渋澤翁は大正4年4月3日、神田らい蔵家の家系碑題字を揮毫して、除幕式に出席祝辞を述べております。前日に東京を東海道線にて発し、上園町の丸文楼に宿泊。丸文は名古屋の高級人気旅館で広小路秋琴楼、竪三蔵町の名古屋ホテルと並ぶ名門トップ3でありました。(中京新報人気投票より)

 翌朝は7時に起床入浴、朝食後、伊藤守松(いとう呉服店)、中井巳次郎(京都中井紙店・名古屋別邸は料亭かもめ)などの訪問を受けたのち、らい蔵とともに午前9時名古屋駅より貸し切り列車で蟹江に到着、松井知事、阪本市長ほか名士とともに、名古屋の芸妓100名余り(おそらく祖父良矩が手配)も同行したとのこと。家系碑のある須成・善教寺は園遊会で大賑わい、雨模様にもかかわらず蟹江川堤・満開の桜と山海の珍味を揃えた屋台料理で午後4時まで200名を超える宴が催されました。

 渋澤翁の日誌:竜門雑誌第324号P67より当日の様子:建碑委員の後藤直藏の式辞、神田氏の除幕とともに東別院輪番導師十数名の読経の後、青淵先生(栄一の号)演説について原文を下記に引用します。

 石碑の文字は私が書いたのであります、未来迄恥を残すは恥づべき次第と思つたが懇請に依て書いた、凡そ人が祖先を祭ることは最も喜ぶべきことであつて、帝国臣民としても孝道を尽さなくてはならぬ、神田君が功を立てたのも畢竟善の家に余慶ある訳である、元来尾張の地は今より三百年前に豊臣秀吉を出し、之についで加藤清正福島正則・前田犬千代等を出したが、これ治国平天下のことであつたが、今日は実業家に限ると思ふ、而して今や神田君の如き実業家が出て、三百年間の英雄と勲を等ふすることは大に賀すべき次第である、古語に錦を着て故郷に帰るといふことがあるが、桜を着て古郷に帰るといふも讃辞でないと思ふ云々

住吉の語り部写真3
須成・神田らい蔵家の家系碑:後方が蟹江川
かつて川沿い桜並木が名物でありました。
住吉の語り部写真4
善教寺:深田家代々の墓、
家系碑の手前にあります。

 らい蔵は日露戦争資金調達・外債募金に尽力、財をなし、明治43年には逗子開成中学が七里ヶ浜ボート遭難事故で大きな負債を抱え廃校の危機に陥ったときに、負債の一部を肩代わりし窮状を救うなど教育にも熱心でした。2009年蟹江町教育委員会主催で同中学高校の元校長袴田潤一氏がお越しになり、神田らい蔵セミナーで偉業をたたえていただきました。
 大正7年、神田銀行を設立し、倉庫、土地、生命保険、信託などの多角経営を展開し、全盛期には浮世絵の海外流出を防ぐために収集した「浮世絵風俗肉筆名作コレクション」別名、神田らい藏コレクションが有名で、現在は大倉集古館(ホテルオークラ内)に一部、承継されています。しかし、昭和2年の金融恐慌により破産しました。
 昭和9年12月8日、63歳で逝去、偉大な人物で、須成善敬寺境内に渋沢栄一筆による家系碑があります。

 大正4年3月大日本雄弁会発行「時勢と人物」第3編人物百方面、福沢桃介に続き#39に神田らい蔵の評が桃介と比較して記載されているので、以下に要約して紹介します。

 らい蔵は福桃同様の苗木だ。桃介は学問、らい蔵は経験・・・長閥に縁故が深い実業家で、候井上、公桂への出入りで活躍。大隈内閣の非募債主義で厳しい環境である。『如何に金篇に雷でも、雲の無い所では財界を振動させる様な轟音を発することも出来まい。』と厳しくコメントされています。
 彼は22歳の時から株式界に身を投じ、名古屋で鵜飼の鵜見たように失敗をしてから、裸一貫の男となって東京に現れた。その後、苦心を嘗めて、努力奮闘した結果資産を作り、冒険的投機を避けて現物一方で大いに儲けた。それから、公債の大注文を引き受けるやら、海外輸出の先鞭をつけるやら・・・いつしか紅葉屋銀行の基礎を築き上げた。冨力や事業界の勢力は桃介に及ぶまいが、いわゆる新境地を開拓すべく骨折る点は注目すべきだ。桃介は投機的機敏で頭角をあらわし、褒められても余り嬉しそうな顔をせぬが、神田はおだてられると有頂天となる。故に公共事業や教育文化活動に駆り出され、女子大学出身の細君に尻にひかれているようである。

 祖父、良矩はらい蔵を信奉し、名古屋での証券引き受け業で当時は桃介の起業する電力関連の各社新株元受けで頑張っていたようで、接待場として大正2年に「料亭蔦茂」を購入しました。昭和2年に神田氏とともに破産して妻(祖母・静江)が旅館として細腕繁盛記の如く、再興して現在に至っています。
 また、平成28年12月ユネスコ無形文化遺産に登録された「須成祭」は江戸末期から地主資産家が支え、後藤家、深田家、奥田家が身上(シンショウ)持ちとして紅葉屋酒造の神田家とともに資金面でのスポンサーとなったのでありました。

須成祭や神田らい蔵の功績については、下記に資料などが展示保管されています。
蟹江町歴史民俗資料館:http://www.kaninavi.jp/html/visit/rekishi/index.html
蟹江町観光交流センター(平成30年5月オープン)「祭人」:http://saito-kanie.jp/

住吉の語り部写真5
紅葉屋園遊会記念集合写真(三列目中央:商会三傑・渋沢栄一、右が浅野卿、左が大倉卿左上ホスト役:神田らい蔵)
明治39年国債輸出記念・牛込砂上原町の神田邸

関連の人々の年表:
 渋澤栄一:1840〜1931年
 福沢桃介:1868〜1938年
 神田らい蔵:1872〜1934年
 深田良矩:1888〜1972年

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【新会員自己紹介】

写真:桑田 正規氏
水曜第2グループ

桑田 正規(くわた まさのり)
トヨタ自動車株式会社
総務・人事本部 副本部長 兼 秘書部部長

【トヨタ自動車株式会社】
〒471-8571 愛知県豊田市トヨタ町1
TEL:0565-23-0001
URL:https://toyota.jp/

 はじめまして。トヨタ自動車(株)の桑田と申します。

 私は入社以来、主に国内営業に従事し、6年前に人事本部に参りました。
 人事の経験は浅いですが、普通の感覚を大事に取り組んで参りたいと思います。

 趣味は、”バス釣り”と“キャンプ”です。最近はあまり行けておりません(笑)

 微力ながら一層の精進を重ねてまいる所存でございますので、
 ご指導・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

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写真:矢澤 潤子氏
木曜グループ

矢澤 潤子(やざわ じゅんこ)
全日本空輸株式会社
執行役員中部支社長

【全日本空輸株式会社】
〒450-6211 名古屋市中村区名駅4-7-1 ミッドランドスクエア11階
TEL:052-586-8900
URL:http://www.ana.co.jp/

 全日本空輸の矢澤と申します。
 このたび前任の丹治の後を受け、産業懇談会に参加させていただくことになりましたので、よろしくお願い申し上げます。
 現在、ANAグループでは、セントレアからの国内線ネットワークは19路線とセントレアからの国内線すべてを網羅するネットワークを築いております。また、国際線は上海線・香港線の2路線ですが、羽田線・成田線を活用した首都圏空港からの国際線乗り継ぎを可能にし利便性の向上に努めております。
 ANAグループは機内食や機内エンターテイメント、ラウンジなどを通して全国の地域の伝統的な魅力や観光資源を国内外に広く発信し、人・モノの流動を拡大することによる地域経済の活性化プロジェクトを2013年度より実施し47都道府県の魅力発信に取り組んでまいりました。昨年2018年12月からは更なる魅力を発信すべく「TASTE OF JAPAN byANA」として実施し、今年6月から東海・北信越地域の魅力を、国内外に発信することにより、地域活性化・訪日旅客増加に貢献します。 
 中部の経済エネルギーの勢い、魅力あふれる文化を肌で感じております。皆様と幅広いお付き合いをさせていただきたいと思います。

 最後になりますが、本会の活動では様々な業界の方々の貴重なご意見を拝聴出来ることを楽しみにしております。 産業懇談会の皆様におかれましては、何卒よろしくご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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6月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

6月11日(火)
12:00〜14:00

『産業懇談会の皆様 広報事例のご紹介 』(仮)
株式会社日本ピーアール
代表取締役 森田 英靖氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

6月26日(水)
12:00〜14:00

『イノベーションを生む組織と人材育成』
事業構想大学院大学・名古屋校
専務理事 小端  進氏
事務局長 伊藤 和彦氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

6月12日(水)
12:00〜14:00

『能と仏教』
株式会社玄同鑑定事務所
代表取締役 藤井 圓 隆

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

6月6日(木)12:00〜14:00

『ジョン万次郎』
ジョン万次郎直系五代目 中濱 京氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

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7月度産業懇談会のご案内
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 集合場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

7月9日(火)
12:00〜14:00

『ドコ塗るの?ココ塗るの ONLY1企業を目指して』
株式会社アイチテクノ
取締役社長 遠山 武志氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

水曜第1グループ

淺井博司
足立 誠
落合 肇

7月17日(水)
12:00〜14:00

ミニコンサート
『音楽の楽しみ方 〜フランス音楽と
          ドイツ音楽との比較を通して〜』
講師・ピアニスト 桑野 郁子氏
チェリスト 高木 俊彰氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
高見祐次

7月10日(水)
12:00〜14:00

『技術革新が導くデジタル社会の将来展望  
     NTT DATA Technology Foresight 2019』
株式会社エヌ・ティ・ティ・データ東海
取締役社長 前田 栄次氏
技術革新統括本部 技術開発本部 
シニアエキスパート 神田 主税氏

名古屋観光
ホテル
18階
伊吹の間

木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
吉田憲三

7月4日(木)
12:00〜14:00

『名古屋城ができる前の那古野村の様子
       〜名古屋の観光資源を掘り起こす!』
郷土愛好家 熱田 三六氏

名古屋観光
ホテル
2階
曙の間

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【コラム】

コラム1 【さっかの散歩道】 No.11
コラム【さっかの散歩道】

長瀬電気工業株式会社
代表取締役 屬 ゆみ子

『 分水嶺 』

 新年度から、本業とは別にワインコンサルタントのマネージメントをすることになった。
 信州に新しく建てられたゲストハウスのワインセラーに、どのようなワインを置き、サービスをどうしたらよいかなどの打ち合わせや搬入で、自家用車での往復に加え、レセプションなど、ワインテイスティングをしなければいけない時は、中央線の特急「しなの」を利用する。「しなの」には車内販売がないので、到着までのおおよそ2時間の間、美しい渓谷を肴にワインでも、と買い込んだまでは良かったのだが、車内はあっという間に大きなリュックを担いで乗り込む外国人で満席状態になった。どうらや海外では、日本の街道巡りがちょっとしたブームになっているらしい。トレッキングウエアの、大きい人達の中で、さすがに朝からワインを飲むのも気が引けて、一緒に買った水でやり過ごすことにした。
 中央線は、名古屋を出ると始めに庄内川、岐阜県に入ると土岐川と名前を変える流れに沿って山間部へと進んでゆく。恵那を過ぎたあたりで、今度は木曽川を連れ合いに、木曽山脈に沿って塩尻へ辿り着く。川の源流はさらに先のアルプス山系。電車がなかったころは、こうした渓谷と山脈の間にいくつもの街道筋が作られたのだろう。スイスにもこんな風に山道をそって走る山岳鉄道を見かけるが、ここまで表情豊かな渓谷を見られるのは恐らく日本だけなのではないだろうか…と思いをめぐらせながら(心の中では、ワイン飲みたーいと叫びながら)、目的地へとたどり着く。きっとこれから幾度も、こんな風に電車に揺られて仕事に行くのだなと、本業以外の楽しみが増えて、つまりは益々ワインの摂取量が増えることが確実となって、「芸は身を助く」ならぬ「ワインは身を楽します」を実感する。
 
 その翌週、今度は富山に出張することになり、特急「ワイドビューひだ」を利用することになった。少しばかり電車慣れしてきたので、行きは「ひだ」、帰りは金沢経由で「しらさぎ」に乗ってみようと窓口にチケットを買いに行く。すると窓口のオジサマが鉄道オタクだったのか、勝手にルートを決めチケットも安いのを探し、訳の分からない発券をされ、尚且つ自動改札が通れないチケットらしく、こんな面倒はご免!と往復とも「ひだ」に落ち着いた。

 今度は東海道本線から高山線に入る路線。こちらも車内販売がないので朝からワインに手が伸びそうになったが、道中ご一緒するおばさま方の目もあり断念。東海道線を後にしたあたりからは、横を流れる木曽川が文字の如く水先案内となる。「しなの」で御供をしてくれた木曽川の下流域だ。川幅も広く、滔々と流れる大河。それが美濃を超えたあたりから支流の飛騨川にかかると、ここから先はやはり渓谷沿いに進んでゆく。その水量と渓谷の深さには目を見張る。川向うには国道41号線。途中下原の発電所を境に川の名前は中山七里へと変わる。下呂の三原地区から金山までの山中、7里の峠越えの道が難所続きだったことから、川沿いに街道を作り、この名がついたという。その川に別れを告げ、トンネルに入ると一本の車内アナウンスが入った。 写真:しなのから見た渓谷
 「今通過している山、位山は、この木曽路に流れる川の分水嶺です。トンネルを抜けると、川は宮川、そして日本海へと下ってゆきます」。久しぶりに耳にした分水嶺という言葉、思わずググってみる。
 「日本のように幅の狭い島国は、山のてっぺんで水が日本海に流れるか太平洋に流れるか分かれるところがあるのよ」
 小学校の先生が、社会の時間にそう言って黒板に大きく字を書いたのを思い出した。

 山に降った雨は、何の迷いもなく低いほうへと流れてゆく、それが日本海か太平洋か知らず。海に流れつくまで、どんな急流であろうと、時に地下に流れ落ちようと。実は私の中に、そういう「抗わない判断」というものが常にある。得てして人が何かを判断するとき天王山とか、ルビコンの橋とか例えられることがあるが、これには常に勝者と敗者があって、結局勝者になるための判断である。では勝者の先に何があるのか。達成感?名誉?財力?権力?…こういう言葉はきっと私には縁遠い。いつの頃からか、「抗わず」、「執着せず」、「潔し」の3語が座右の銘となった。特に子供を難病で失ってからは、世の中には如何ともしがたいことが沢山あるのだということを、身をもって知らされ、益々、人が言うには「ノリの違う人」になったようだ。勿論素地には哲学でいうところの「現象学」的捉え方があって、目の前にある全てのことが現象の一つだと考えると、意外に感情が波立たなくなるということを知らずのうちに訓練していたのかもしれない。そういう生き方が、果たして経営者として向いているのかどうかは、きっと誰かが判断するのだろうが、まあ、今のところは何とかなっているようなので(ひとえに優秀な社員のおかげ)お許しいただくことにしよう。太平洋に流れつこうが、日本海に流れつこうが、同じ海には変わりないし。

 さて、前出の「しなの」の旅、電車で行ったのだから当然現地レセプションでたんまり飲めるとワクワクしながら出かけたものの、ひたすら働く数時間。最終電車で帰るからと片付け始めると、そんな働きを見ていたひとりの紳士が、「帰りの電車で飲みなさい」と白ワインを1本手渡してくださった。「やったー!!」最高の笑顔で別れを告げ、駅のホームに到着。「さあ、どうやって飲もうか、まさかラッパ飲みはいくら何でも(笑)」。で、ホームの待合室で抜栓し、手持ちのペットボトルに残っていた水を捨て、そこにワインを注ぎ入れることにした。電車到着まであと10分。そして皆さんご想像の通り、電車に乗るまでに、すでに半分以上飲み干していたのは言うまでも無く!

写真:臥龍桜 写真:ワイドビューひだから見た川

しなのの車窓から見える臥龍桜。
丁度満開でした。

ワイドビューひだから。
中山七里と飛騨川の境目くらい?

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コラム2 【保健師からの健康だより】 No.182コラム【保健師からの健康だより】

株式会社 スズケン
保健師 丹羽 香織

『 健やかに生きる 』

 先月号でもお伝えしました通り、このおたよりは今回で一旦区切りとさせていただきます。
 私が寄稿させていただいたのは今月で9回目と短い期間ではありましたが、皆さまのより健やかな日々の為に少しでもお役に立てることがあればという思いで執筆してまいりました。拙い文章でしたがお読みいただき誠にありがとうございました。

 この健康だよりは文字通り“健康”がテーマでしたが、皆さまが考える健康とはどのようなものでしょうか。長寿高齢化は進み、今や人生は100年時代とも言われています。しかし日本人の平均寿命と健康寿命(日常生活に制限のない期間)には平均10年前後の開きがある様に、長寿=ずっと健康というわけでもありません。
 世界保健機関 (WHO)は健康について「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にもすべてが満たされた状態にあること」と定義していますが、健康をさらに拡大した“ウェルネス”という概念が近年ますます注目されています。ウェルネスは【元気】を意味するwellから成り、1961年にハルバート・ダン医師が“輝くように生き生きとしている状態“と提唱したことが始まりとされています。その概念は時代に合わせて変化してきた中で、日本においては『身体の健康、精神の健康、環境の健康、社会的健康を基盤にして輝く人生、豊かな人生(QOL)を志向している』と新しい定義が提唱されています。寿命が尽きるまでいかに健やかに過ごすかは人生のテーマであると思いますが、ウェルネスの概念こそ現代社会を生きるために最も大切と言えるのではないでしょうか。

 総務省の調査では、健康状態が良くない人の割合は週60時間以上働いている人が最も高いと出ています。仕事にエネルギーを注ぐこと自体は素晴らしいことですが、自分を大切にすることを後回しにし続けると健康を損なったり、大切な人間関係にも影響が出てしまったりします。働く理由について考えてみた時、衣食住を満たす為だけでなく、人としてより成長したい、より幸せになりたいなど様々な思いが存在すると思います。働くことで心やからだを病んでしまうのは何としても避けたいです。
 心とからだの声に耳を傾けつつ働くことができれば、それは健やかな人生を送ることにも繋がるのではないでしょうか。かくいう私自身、自分にとっての健やかな在り方について不器用に探る日々ですが、自らの心とからだをケアする大切さを保健師として皆さんに伝えていきたいと思っています。

 経営者や上に立たれる方が生き生き輝いていれば、きっとそこで働く人たちも生き生きすることでしょう。皆さまのますますのご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。
 最後に改めて、この健康だよりをお読みいただきました中部経済同友会会員の皆さま、このような貴重な機会を下さりました事務局の皆さまに感謝申し上げご挨拶とさせていただきます。

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コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.127
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『 本のエンドロール 』
安藤祐介著・講談社刊

 エンドロールとは、映画やテレビの最後に流れる、出演者や制作者・協力者を表示した字幕のことだそうです(和声英語)。本のエンドロールにあたる「奥付」には、例えばこの本でも、著者・発行者・発行所・印刷所・製本所が書かれているだけです。この本は、一冊の本が世に出るまでに、名前も表に出ることなく陰で奮闘した人たちを描いた小説です。
 「無茶を言う編集者、仕事を急に変更する天才肌の装幀家、意のままにならない紙、工場や製本所のスケジュール。そんな不確かな諸々を印刷営業が横糸で繋ぎ、本というひとつの形に組み上げてゆく」有り様を、熱い心で描出しています。ただ本を売っていただけだったという反省をしながら、感動をもって読みました。

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