第204号 2019.5.30発行 | ||
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テーマ: 『 企業市民として、地域社会とともに歩む 』
■人の縁と時の運 ■東海東京フィナンシャル・グループの生い立ち ■地域貢献の具体的な取り組み事例 1. 教育部門で地域貢献 2. 文化部門・スポーツ部門での地域貢献 3. 産業振興分野での地域貢献 ■最後に ご講話のあとには、オルクドールサロン・コンシェルジェ部の丸林部長より、オルクドールサロンのご紹介、会員向けのレストランやバー、商談や待ち合わせにご利用できる応接室やミーティングルームといった贅沢で上質なサロン施設のご案内を頂きました! |
テーマ: 『 スマホdeリレー®で起こした3つのイノベーション
■「人生の樹」 ■構造計画研究所の紹介 ■3.11の教訓から生まれたスマホdeリレー® ■受け身体質から主体性をもつ組織への3つのイノベーション (2)発想と前向き姿勢(秀吉編) (3)忍耐と基盤構築(家康編) 日本で広く普及するには、まだまだこれからである。信長の強い意志と秀吉の発想で変われたチームメンバーは、きっと家康の忍耐と地道さで一歩一歩重い荷を背負って歩み基盤を創ってくれると信じている。そして、スマホdeリレー®が災害列島日本の通信途絶という社会課題解決に、少しでも貢献できることを目指している。 |
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テーマ: 『 「創業の精神」を継承し70年継続、
<服部氏 ご講話> ■「創業の精神」継承と継続 ■企業理念へのこだわり
■現在の主要4サービスについて 服部氏からご講話の後、中期経営計画および新サービス「i-Share」「x-Share」について、担当の鵜飼氏、山下氏からご紹介頂いた。 <鵜飼氏・山下氏 講話> |
テーマ: 『 中部国際空港セントレア 見学会 』
今回は、開港14年目を迎え進化を続ける中部国際空港セントレアと、昨年オープンした商業施設「フライト・オブ・ドリームズ」の見学会を開催した。最初に中部国際空港株式会社の営業推進本部・営業企画部長の鈴木健一氏からセントレアの近況についてレクチャーを頂いた。 <鈴木健一氏によるレクチャー『セントレアの近況および今後について』>
国内線では、LCCの参入により、キャンペーン期間には札幌までの航空券が5000円を切ることもある。新幹線で東京に行くよりも安い「日帰りヒコーキ」として、日帰り旅行での飛行機利用を提案している。韓国・ソウルも日帰り圏内で充分楽しむことができ、多くの方にご利用頂いている。路線が就航しても、利用者が少なければ直ぐに廃止されてしまう。旅行代理店や自治体とも連携した観光アピール等で、便の定着を図っていきたい。 ■インバウンド拡大への取り組み ■これからのセントレア
フライト・オブ・ドリームズはフライトパークと呼ばれる体験型コンテンツエリアと、シアトルテラスと呼ばれる商業エリアで構成されている。フライトパークでは、ボーイング787の初号機が展示されるだけではなく、「航空」について体験を通じて学ぶことができる場を提供している。チームラボによる館内空間をダイナミックに使用した音と映像のショー、フライ ウィズ 787 ドリームライナーは特に人気だ。 <フライト・オブ・ドリームズ視察 及び滑走路見学ツアー>
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テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第97回 』
料亭つたも主人 渋澤栄一翁・神田蔵祖先建碑除幕式に来名
祖父・深田良矩は愛知三中を卒業後、明治末期より蟹江・須成村市場近隣の酒造業者紅葉屋の神田蔵に師事して名古屋で金融業を営み、東京で活躍する相場師蔵を地元で支えていたようです。明治5年生まれの蔵は渋沢栄一とも親しく、現東京証券取引所設立に尽力し、外債発行で活躍、日露戦争後は紅葉屋銀行を創設、株式市場のみならず横浜倉庫の経営、逗子開成中学の再建、浮世絵コレクションなど八面六臂の活躍をされました。 須成から名古屋進出にあたり、良矩は蔵の弟分として、伊勢町界隈で新株発行引受部門を担当しておりました。また、同郷の後藤道政は神田銀行の名古屋支店長として資金面で両名をサポートしていたようです。
渋澤翁は大正4年4月3日、神田蔵家の家系碑題字を揮毫して、除幕式に出席祝辞を述べております。前日に東京を東海道線にて発し、上園町の丸文楼に宿泊。丸文は名古屋の高級人気旅館で広小路秋琴楼、竪三蔵町の名古屋ホテルと並ぶ名門トップ3でありました。(中京新報人気投票より) 翌朝は7時に起床入浴、朝食後、伊藤守松(いとう呉服店)、中井巳次郎(京都中井紙店・名古屋別邸は料亭かもめ)などの訪問を受けたのち、蔵とともに午前9時名古屋駅より貸し切り列車で蟹江に到着、松井知事、阪本市長ほか名士とともに、名古屋の芸妓100名余り(おそらく祖父良矩が手配)も同行したとのこと。家系碑のある須成・善教寺は園遊会で大賑わい、雨模様にもかかわらず蟹江川堤・満開の桜と山海の珍味を揃えた屋台料理で午後4時まで200名を超える宴が催されました。 渋澤翁の日誌:竜門雑誌第324号P67より当日の様子:建碑委員の後藤直藏の式辞、神田氏の除幕とともに東別院輪番導師十数名の読経の後、青淵先生(栄一の号)演説について原文を下記に引用します。 石碑の文字は私が書いたのであります、未来迄恥を残すは恥づべき次第と思つたが懇請に依て書いた、凡そ人が祖先を祭ることは最も喜ぶべきことであつて、帝国臣民としても孝道を尽さなくてはならぬ、神田君が功を立てたのも畢竟善の家に余慶ある訳である、元来尾張の地は今より三百年前に豊臣秀吉を出し、之についで加藤清正福島正則・前田犬千代等を出したが、これ治国平天下のことであつたが、今日は実業家に限ると思ふ、而して今や神田君の如き実業家が出て、三百年間の英雄と勲を等ふすることは大に賀すべき次第である、古語に錦を着て故郷に帰るといふことがあるが、桜を着て古郷に帰るといふも讃辞でないと思ふ云々
蔵は日露戦争資金調達・外債募金に尽力、財をなし、明治43年には逗子開成中学が七里ヶ浜ボート遭難事故で大きな負債を抱え廃校の危機に陥ったときに、負債の一部を肩代わりし窮状を救うなど教育にも熱心でした。2009年蟹江町教育委員会主催で同中学高校の元校長袴田潤一氏がお越しになり、神田蔵セミナーで偉業をたたえていただきました。 大正4年3月大日本雄弁会発行「時勢と人物」第3編人物百方面、福沢桃介に続き#39に神田蔵の評が桃介と比較して記載されているので、以下に要約して紹介します。 蔵は福桃同様の苗木だ。桃介は学問、蔵は経験・・・長閥に縁故が深い実業家で、候井上、公桂への出入りで活躍。大隈内閣の非募債主義で厳しい環境である。『如何に金篇に雷でも、雲の無い所では財界を振動させる様な轟音を発することも出来まい。』と厳しくコメントされています。 祖父、良矩は蔵を信奉し、名古屋での証券引き受け業で当時は桃介の起業する電力関連の各社新株元受けで頑張っていたようで、接待場として大正2年に「料亭蔦茂」を購入しました。昭和2年に神田氏とともに破産して妻(祖母・静江)が旅館として細腕繁盛記の如く、再興して現在に至っています。 須成祭や神田蔵の功績については、下記に資料などが展示保管されています。
関連の人々の年表: |
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