産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】第72号 2008.5.27発行

 メールマガジン■産懇宅配便■

平成20年5月度(第72号) 目次
産懇宅配便
【20年4月度産業懇談会(木曜G)模様】 4月3日(木) 12時00分〜14時00分
【20年4月度産業懇談会(火曜G)模様】 4月8日(火) 12時00分〜14時00分
【20年4月度産業懇談会(水曜2G)模様】 4月9日(水) 12時00分〜14時00分
【20年4月度産業懇談会(水曜1G)模様】 4月16日(水) 12時00分〜14時00分
【新会員自己紹介】
渡会 一郎 三菱地所株式会社 執行役員名古屋支店長
【6月度産業懇談会開催日程】
【7月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 『花ちゃんからの健康だより』
コラム2 『プログレスシリーズ』
コラム3 『苗字随想』

【20年4月度産業懇談会(木曜G)模様】


テーマ『 環境問題私観 』

日  時:20年4月3日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:21名

スピーカー:
高岡 次郎(たかおか じろう)氏
株式会社アタックス 最高顧問

高岡 次郎氏

1. 私的環境経験
 将来を考えるのが好きで、30年後の世界という題でエッセイを書いたことが2回ある。昭和36,7年に書いた1回目のエッセイでは技術予測をした。当時は家庭での石油を使用した直接発電を積極的に喧伝していたが出来なかった。一方で30年後は経営者にとって苦難の時代になっていると言ったがこれはかなり当たった。2回目は2000年に2030年の世界を書いた。物質優先の時代は終わり、人間の幸せを求める時代が来ると予測した。環境、温暖化、CO2増加と問題は山積しているが、現在CO2が増加していることは間違いない。CO2増加が温暖化の原因だと科学的に証明することは難しいと言われているが、一昨年、国連や各国政府が温暖化の原因はCO2だと認めた。温暖化による気象や生態系の変化は実際に起きている。また、人類の生存条件が厳しくなる、更には、弱者が滅び強者が生き残る世界になるかもしれないと言われている。
 私は海、山が好きで、そういうところの汚染に敏感であり、最近は腹が立つことが多い。私の幼児の頃の思い出だが、父が海軍にいたので江田島の海軍兵学校の生徒が出陣前に母に挨拶に来たことがある。翌日、裏山に登りその生徒さんが乗った潜水艦の出航を見送ったが、瀬戸の海は非常にきれいで海中の潜水艦の姿が良く見えた。小中学校は伊勢の海によく行った。海の底まで見えるきれいな海だった。昭和39年に婚約したが、婚約者と二人で美浜の海に行ってあまりにきれいだったので素っ裸で泳いだこともある。昭和47年にローマクラブが、成長の限界に来てあと10年で石油が無くなると言い、環境問題が世界に認識された。昭和48,9年に中東戦争が起こり、原油が1〜2ドルから10ドルに跳ね上がった。その結果、買占めが横行し狂乱物価となった。その頃から省エネという言葉が出てきた。平成元年ごろトーマツでマイ箸運動をしたことがあるが、材木商から、「端材を活用しており、箸の為に木を伐採したことは無い」とのクレームを受けたこともある。海が好きなので友人とクルーザーで伊勢湾を走り回った。中学生の頃と異なり伊勢湾もすっかり汚染されヘドロが溜まってひどい。セントレアの辺り、新舞子はウィンドサーフィンの基地となっており、私もやったことがあるが、転倒すると足がヘドロでどろどろになってしまう。ダイビングもするが世界のどこへ行っても汚染の影がある。100年前と同じきれいな海はどこにも無い。スキーも好きで良く行くが雪線が温暖化によってどんどん高くなっている。今は千M以下のところは殆ど無い。登山をすると、昔は山の水は誰でも、どこでも飲めたが、3千M級の山でも飲めるところは非常に少なくなっている。高いところでも山小屋があり汚染が心配である。子供の頃は川の水も飲んでいた。川の自然浄化能力は凄いと聞いていたが、今は飲めるところは無い。

2. 京都議定書以降の環境認識と課題
 最初京都議定書に参加したのは日本、EU、ロシアだった。京都議定書の課題は不参加でCO2排出大国の、アメリカ、中国、インドを加盟させることであった。2005年のCO2排出量は上位5カ国で世界の排出量の80%を占めていた。上位20カ国だと世界の90%程度を占める。第一位は米国で21%、第二位が中国で19%、現在では中国のほうが上回っているそうだ。第三位がEUで12.5%、第四位が日本で約4%となっている。中国のGDPのシェアは約7%で、それで19%のCO2を出している。本来GDPとCO2は比例するはずなのに中国はかなりCO2を出しているといえる。日本は2005年GDPは12%世界第二位だがCO2排出は4%となっており、GDP当たりのCO2排出量では日本は断トツで、低炭素経済をかなり成し遂げたと言われている。日本は昭和49年、狂乱物価で原油が10倍に値上がりした時、省エネ対策を行った。亡くなったトヨタの磯村さんが同友会の代表幹事もやってみえたが、視察の折に、「トヨタ自動車も省エネ問題の時に、役員会が真っ二つに分かれた。一つは省エネはコスト高になる。当時はアメリカに負けまいとして低コストの自動車を作っている最中であったので、省エネは国家基準で良いという意見。もう一つが、省エネの方向ははっきり出たんだから省エネに積極的に取り組むべきだという意見だった。どうせやるなら最高のものを作れということになり、その決断が現在のトヨタの基礎になった」と言われていた。1973年から2003年の間に日本のGDPは約2倍になったが、エネルギーの消費量は殆んど横這いで増加していない。指数では37%エネルギー効率が向上した。これはCO2の状況とほぼ一致している。世界中が日本並の努力をすればCO2は現在の約7割減っていただろう。現在、排出権取引が取沙汰されている。CO2を出し過ぎているところが出していないところの余剰枠、排出権を買い取るというものである。絶対量では何の関係も無いが、国ごとの枠、目標を達成する手段としては有効であろう。海外取引、国内取引の動きも出ている。まだ、ルールがはっきりしていないが、今までどんどんCO2を出して先進国になったところは減らすべきだ。これから豊かになるところは出す権利があるといった議論がある。ロシアとか東欧は東西の壁の関係で成長が止まっていたので、計算するとロシアだけで余剰枠が43億トンある。売っても良いしそのまま排出しても良いということになる。EUでも東ドイツ、チェコ、ハンガリーなど新しく加盟した国々はロシアと同様で、EU合計では26億トンの余剰がある。日本はこれだけの努力をして来てもまだ減らさなければならない。外交力の無さも影響している。国のエゴがまともにぶつかるので話しが進まないという課題があるが、プログラムは出来ている。クールアースエネルギー、革新技術計画ポイント21というものがあってその技術を推進すれば、2050年にはCO2を今の半分に減らせるということである。その技術とは高効率天然ガス火力発電、高効率石炭火力発電、超伝導高速送電、CO2地下埋設、革新的太陽発電、安全で効率的な原子力発電、エネルギー効率の高い巡航速度での高速道路、ハイブリッド車、バイオマス燃料なでである。CO2を減らすにはクリーンなエネルギー、炭素系の少ないエネルギーの使用が重要だ。原子力、太陽光など石炭系を使わないエネルギーを多く使えばクリーン度は高くなる。クリーン度かける省エネかける活動量がCO2の排出量となるので、三つとも減らせばいいのだが、それが難しい場合には活動量、GDPを減らせばいいという意見も出ている。物質文明が衰えると精神文明が広がるという考え方が昔からある。CO2論争では、物質文明には限度があり物があれば幸せだという考え方から変えていかないといけない。芸術、文化といった心のカルチャーが重要である。京都議定書は世界中が協力する必要があるが、何といっても環境問題では政治が大切である。日本ではねじれ国会 とか言っているが決断の出来ない政治家が悪い。戦後皆優秀な人材がビジネスに行った。政治と経済とを比較してみると素質のある優れた人が政治家にならなくなってしまい、経済に向いてしまった。日本の民主主義は50点以下とEUの偉い方に言われてショックを感じたことがあるが、彼らからは中国、北朝鮮と日本は同じレベルに見えるということだ。何故かと言うと政権が変わっていない。官僚に皆委ねている。日本の政治は非常に低く見られており、世界の中で遅れている。納得できる政治の為に私達がもっと立派な政治家を選ばなければならない。

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【20年4月度産業懇談会(火曜G)模様】


テーマ『 企業は永遠に発展・存続し続けなければならない 』

日  時:20年4月8日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:21名

スピーカー:
杉山 正昭(すぎやま まさあき)氏
菱栄エンジニアリング株式会社 代表取締役

杉山 正昭氏

1. 永遠に発展・存続し続けるには
 大まかに分けると発展・存続し続けるには三つのことが必要である。第一に経営者が絶えず経営に情熱を燃やし続けること。第二にあらゆる変化に敏速に対応すること。第三に目的、目標に向けた計画を遂行することである。経営者に求められるものはまず、経営は何かを考え、会社の理念、存在理由、目標をしっかり作ることである。経営者には必ずしも高度な知識は必要ではないが高度な倫理観と判断力が必要である。松下幸之助さんのお言葉だが、失敗した会社は失敗したように、成功した会社は成功するようにしているものだ。失敗した会社を思い浮かべ、自分の会社を振り返っていただけばこの言葉の深さが理解いただけると思う。まず経営者は情熱を持ち続けなければいけない。聞く耳を持ちながら経営に対する熱意を持ち続け、経営者品質を構築し、リーダーシップを取れる会社作りをすること。責任者は自分から進んでやる人間でなければいけない。株主、お客、社員など会社を取り巻く多くの人に対し経営責任を持つので責任範囲をしっかりと設定し判断を間違わないことが重要である。変化に対応するには、自社製品がどの位置にあるのかをベンチマークし、製品企画を十分行って行かなければ会社として存続出来なくなる。差別化とコスト競争力が重要である。我社には5by5ルールというものがあるが、ベンチマークをしてお客さんのニーズを捉え5年間で、50%ずつ商品(特許商品)開発をして行くというものだ。そういった開発に対する留意点としては、喜ばれる会社を意識することである。どうして買っていただけるかもよく考え顧客満足を顧客感動にしなければいけない。価格はお客様の事前期待と事後評価を考えて、商品価値を考え設定する。お客様に対するアフターサービスの気遣いが社外セールスを作ることもある。社員を長期資産と考え教育で資産の増加を図る。マネージメント、技術、マナーなどあらゆる教育を行うと社員品質が高まり立派な会社の構築が出来る。勉強しろだけでは駄目で、会社が仕組みを作ることが基本である。しかし、教育をしたからといって必ずしも儲かると言うことではない。地道な教育をしていかなければならない。そして、従業員に対してはしっかりとした理念、目標、戦略を示し納得させる。社員が納得したかどうかを確認することが大事である。そして、報告をタイムリーに受け、その時口出しをしないことが肝要だ。そうでないとやる気をなくさせる。昔から信賞必罰と言われているが、機会は平等に与え処遇は公正にすること。VE(Value Engineering)、VA(Value Analysis)という原価低減手法があり、改善提案があるが、そういったものをどんどん出させ、良い改善提案だったらそれに見合った賞金を公正に出す。全然出さない人には罰を与える。

2.企業倒産について
 経営者の放漫・過信、社員教育の欠如、事業目的計画性の欠如、業界情報不足と環境変化への対応不足、新製品の欠如、技術開発の遅れ、同族経営の弊害、公私混同、経営哲学の欠如、決断力・実行力の欠如、計数管理の不足と勉強不足、ワンマンと反省心の欠如といった倒産の理由がある。経営者は自信、過信、慢心、放漫、破滅と悪化する可能性があるので自分がどこにいるのかを判断し、自信は無くてはいけないが過信は要注意である。

3.品質・生産性の向上
 品質には製品、経営、管理品質がある。20世紀前半より米国にはSQCという統計的管理手法があったが、第二次世界大戦後、GHQは日本企業にSQCを紹介した。その後アメリカからデミング氏が来日され、日本の戦後の復興に貢献された。その後トヨタ自動車がクラウン、コロナを作っていた時にTQCを導入した。デミング氏の広めた手法としてはまず、製造するものの品質基準を決め、それに基づいてどのように作るか作業標準を作る。製造工程では策定した品質基準と作業標準に基づいて生産し、商品を市場に出荷する。その後、市場での評価を調査して不具合が有ればアフターサービスし、そこで得た各種情報を参考にして品質基準、作業標準を見直す。トヨタ自動車はこの手法をどんどん取り入れて、後にジャストインタイムが芽生えることになった。そのトヨタ生産方式を私なりの手法で紹介したい。
トヨタ生産方式がものづくりと生産性向上の原点であることは間違いない。必要なものを必要な時に必要なだけ安く作る。これが原点である。そこで見える化によって問題を顕在化しムリ・ムダ・ムラを無くしていく。品質は前工程で完璧に作り込み後工程に不良品は渡さないのである。また、見える化によって自動化の流れスピードを決めているが、そこで考案されたのが有名なジャストインタイムである。必要なものを必要な量だけしか置いておかない。月、週、日、時間といった軸で納入ルールを決定する。それによって品質向上、生産性の向上を図る。このサイクルを廻す中で改善を行いものづくりを強化をしていくことである。これは中小企業にも当てはまる。当社はほとんど1台のマシンを作ることしかしないが、ライン化したらどうなるかを考えた。その結果、今日組む材料(部品)だけを置いておく様にした。部品が無くなっていくスピードによって、半分終わったな、とか、早く終わったなとかの判定が出来るが、それが見える化ということである。万一間違って設計されたり、加工されたものがあると、生産上のトラブルや品質不良が発生する。その理由を解明すれば、その後の生産に反映出来て良いものを生産出来るという構図になる。

4.危機感の共有化
 会社には必ず悪いものがあると思っているが、その危機感を皆で解決して行かなければいけない。まずは自分のところの問題点、何が悪いかというところを取り出し、それに対して背水の陣の体制で問題解決に取り組む。これはトヨタさんがやっていることである。円高になると1円で500億円の損失が出ると言って上から下まで騒ぐが、トヨタ自動車は非常に対応が早い。一般に大企業ではトップから下まで情報を浸透させるには1ヶ月程度掛かると思うが、トヨタ自動車は方針が出ると翌日には末端に届いている。そしてどんなことにでも背水の陣をしいて対応するが、そうしてやってこそ会社はいつまでも存続していけるのである。

 現在、少子高齢化、フリーターの増加、日本経済のスケールダウン、地球温暖化といった問題に直面し、更にはBRICsの台頭、円高、原油高、資材供給逼迫などにより日本経済はどんどん窮地に追いやられているが、日本企業が世界をリードし永遠に存続し続ける為には、一生懸命考えて良いものづくりをして行くことが大事で、それが次世代に向けて我々がやっていかなければいけないことだと思っている。

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【20年4月度産業懇談会(水曜2G)模様】


テーマ『 ものづくり100年と私の50年 』

日  時:20年4月9日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:31名

スピーカー:
岡 宣武(おか のぶたけ)氏
尾張精機株式会社 取締役会長

岡 宣武氏

1.尾張精機のものづくり100年
 尾張精機は1906年笹島で設立され、当初は尾張時計を年42個ほど生産していた。昭和元年には年間42万個を生産するほどになり、オーストラリア、インドにも輸出していた。明治から大正にかけて時計は装飾品であった。東海地方には愛知時計、明治時計といったメーカーがあったが、この地方は木材の集積地であり、木工職人、からくり職人が多くいた為、それが時計づくりのベースとなったのではないかと思われる。時計の木材を止めるねじを自社で作っていた。そのねじを飛行機会社に売ったのが我が社のねじ販売の始めである。終戦後、時計生産を再度始めたが売れなかったのでハイトリックという蝿取り機を作ったところ大ヒットした。その後自動車用ねじの製造販売を開始。ねじは飛行機や自動車用に大量に使われるようになった。時計用木ねじは総削りしていたが現在では分あたり200〜300本も出来るようになった。頭の形状にはマイナスねじ、プラスねじ、プラマイねじ、トルクスねじなど100以上の種類があり、又、ねじの進化は頭の形状で分かる。ねじのデザインにはお客さんのニーズを取り入れているが、現在では、頭やねじの形状、メッキの種類、熱処理の違いで全部で6千種類の螺子を月2億本ほど生産している。もう一つの尾張精機の柱はシンクロナイザーリングで時計の香箱の技術を活用した。昭和20〜30年代の自動車のギア鳴り防止の為に昭和30年ごろから生産を始めた。最初は技術がないので香箱に似た製品を鍛造で作り、トヨタに持ちこみ機械で削って歯を加工した。2年目頃歯の鍛造に成功した。シンクロの摩擦面は時には300度程度の温度となる為、高温に耐え、焼きつかない材料が命である。最初はJISにある合金材を熱処理して使用していたが、現在は銅60%、亜鉛30%をコアとした素材で過酷な条件で20万回シフトしても問題ない材料となっている。シンクロは昭和35年にトヨタを始め各社で採用して貰えた。月間30万個程度の生産だった。40年代には月100万個、昭和50年代は月130〜140万個、昭和60年代には月200万個を超え、生産が増えると共に生産方法も変化してきた。A/Tの普及でシンクロも終わりかと思った時期があったが、エンジンの高性能化により強力なシンクロが必要となった。複数の摩擦面を持ったシンクロが出来てきたり、多くの段に使われて今では台あたり13個使われているものまで出ている。世界にはまだまだ車を必要としている国が多く今後とも期待出来る。ドイツのディール社が月間400万個の生産で世界一、我が社は量的には世界二位である。最近ではM/Tの機構をそのままにしてオート化をするAMTと言われる変速機が開発された。当初は変速時にショックがあったりしたが、それを改善しているのがクラッチを2枚使用するデュアルトロニック・クラッチトランスミッションである。タイムラグも、ショックもなくスムーズに変速出来るようにしたもので、国内でも相次ぎDual Clatch T/M を採用という記事があったが、高性能ガソリンエンジンや高性能ディーゼルエンジンにも対応可能という。記事ではM/Tからのシフトが進むと書かれていたが、私はM/TからではなくA/Tからシフトが進むと思う。近い将来はA/T、CVTから変わるのではないかと期待している。自動車メーカーはこの研究がたけなわで近い将来にA/T、CVTを凌ぐのではないかと楽しみにしている。
 会社の売り上げでは自動車関係が95%で国内自動車市場が低迷している中、海外に目を向けることは当然である。ここ4、5年の間に連結対象会社としてアメリカ(螺子)、インド(シンクロ)、タイ(シフトフォーク、シンクロ)と進出している。
 アメリカではメイドーさんの敷地内で、中国では締結メーカー5社が合弁で会社を作り、欧州でも合弁に参加、お客さんからは窓口一つで色んな製品を購入出来ると喜ばれている。
 01年には売上高が100億円だったのが、07年には約2倍の191億円になった。急激に成長したので少し心配している。竹もゆっくり生長しているものほど節と節の間が短くて強い。

2. 私の50年
 昭和38年に大学を卒業。岩戸景気の時代で東京オリンピックを翌年に控え、面白いと思い建設土木会社に入社したが、資金繰り悪化で39年に倒産した。私は経理部にいたため債権者との交渉で昼夜かまわず駆け回るはめになったが、相手の中には非常に厳しい人もいたが、優しい人も沢山いて大変勉強になった。資金繰りの担当者が狂い死ぬのも見た。大変な経験であった。そして、昭和39年9月に尾張精機に入社した。早々にトヨタの担当となったが、作っても作っても間に合わない時代で、トヨタのライン側へよく納品に行った。ラインではワッシャとねじを苦労して組んでいた。そこでワッシャーを糊付けしたねじを考案したら喜んでもらえた。いわゆるVAの発想である。シンクロもモータリゼーションの時代には作っても作っても追いつかない日々であった。当時TPSなどやれてなくロット生産が当たり前だったので、必要なものが出来てこず、昼夜配送に忙殺されていた。たまに日曜日に家にいると子供に知らないおじさんが家にいると泣かれたこともあった。ずっとトヨタ担当をしていたがある日、豊田章一郎さんと技術本館の入口のところで会った時に、章一郎さんが入り口のドアを開けてどうぞと言って下さったのには感激した。また、衣浦工場向けで誤品をしたことがあったが、それをトヨタさんが誤組付けをしてしまった。品質保証部の部長さんは誤品が組み付けられてしまうような設計がいかんと叱った。こんなことが一杯ありトヨタに人ありを痛感した。前半20年間トヨタと付き合い、私の社会人の基礎が出来た。
 三菱マテリアルのインドのソナグループとの合弁会社よりシンクロ技術の要請あり。尾張精機はインド国内でシンクロを生産しないことという条件の入った契約を締結したが、この文言が後々大きな問題となった。その後トヨタ向けにシンクロを供給することとなり、悩んだ末、自分たちでやると決断したが、契約不履行となる為、技術移転料の倍額を支払う覚悟で交渉に臨むも2億円という莫大な額を要求され、交渉決裂した。02年6月に社長になった後、最終交渉を始めたら、無償でOK が出た。インドへは3年間通い延べ200日出張した。私のインド観は、インドは契約社会、英語社会であり英語が出来ないと馬鹿にされるので英語は覚えていったほうが良い。インド人は正直で自分の利益しか言わないがこちらが不利益ならすべでNOで良い。時間にルーズ。利益率は15%以上。おみやげは値切り値札の半分から三分の一を目標とする。謝ったら負け。カースト制の影響か平気で転職する。転職で地位を上げていく。カレーはおいしいが食べ過ぎない。食べ過ぎるとスパイスにやられる。水道水は歯磨きでも駄目と非常に環境の厳しい国である。
 私が社長になった時プロパー従業員から社長になったと新聞などで取り上げられ、社員のモチベーションのアップになった。まずやったことは、社員の顔を覚えるようにした。社長在任期間の間、社員の朝ミーティングに顔を出し、パートの会にも出席した。悪い情報を集めることもしようとしたが、中々入ってこないので投書箱を設置した。そして出来るだけ他社のまねをすることとした。基本はものづくりなのでTPSのやり直しをする為に、週1回トヨタ出身者による指導を受けることにし今も続けている。
 6月で会長を退任するがこれまで当たり前のことをやってきただけ。当たり前のことを当たり前にやることが大事なことだと思っている。部下には方向性が異ならない限り出来るだけ任せ、失敗は成長する為のステップと思い怒らない(元々怒れない性格である)。経営者の失敗は致命的となる可能性があるので十分注意が必要だが、怖くても決断が必要な時がある。周りを信頼すれば決断出来る。

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【20年4月度産業懇談会(水曜1G)模様】


テーマ『 サッカーにおける環境と組織論 』

日  時:20年4月16日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 3階 桂の間
参加者:19名

ニューライトサービス株式会社
代表取締役 淺井博司氏のご紹介

スピーカー:
中本 邦治(なかもと くにはる)氏
ニューライトサービス株式会社 営業企画部長

中本 邦治氏

1.サッカーにおける環境
 サッカーはどこでも誰でも出来るので世界で最も人気があるスポーツであり、現在FIFAには205ヶ国が加盟している。脳から最も遠い足を使うのでミスをし易いが、逆に言えば、如何にミスを少なくするか、ミスをカバーするかということがポイントとなる。これがサッカーのチームプレーのベースであり勝利の原点である。国民性、生活環境の違いによるサッカーのプレースタイルへの影響は非常に大きい。日本人は元々真面目な性格で規律を守り戦術にも従順なので組織力を生かすサッカーが得意である。フィジカルなハンディをカバーする為に戦術的に戦う必要がある。規律を守るという点では、強豪ドイツも日本人に似ている。韓国と北朝鮮はアジアの中では一番スピードがありアグレッシブなサッカーをするが冷静さを失い空回りをすることがある。中国はアジアの中では長身で、プレーは柔らかいが諦めが早い。ブラジル、アルゼンチンは個人技重視でサッカーを楽しむ。ピッチの状態もプレースタイルに大きな影響を与える。ヨーロッパでは芝の常態は非常に良くてドリブルよりもスピードの速いパスを多用する。南米はピッチの状態が悪い所が多く、ドリブルを重視するサッカーである。私が昔東欧を転戦していた時にはプレーが嫌になったが、西ドイツできれいなグラウンドを見たら早くボールを蹴りたいと強く感じた。それくらいピッチの状態は影響力が強い。指導者育成で良く言われるのは、名選手名監督にあらずである。選手としての能力と指導者としての能力は異なる。そこでサッカーではコーチのライセンス制度を導入した。これは、選手がプロなら指導者もプロということで、今はS級を持っていないとJリーグの監督は出来ない。サッカーの技術や戦術だけではなく日本体育協会のライセンスも一緒に取得しなければならない。昔の選手の育成は、地域の父兄がチームと子供の世話をして監督等をしていた。そこでは根性論が横行し、コーチ、監督は叱ることによって威厳を保っていた。本来10歳〜12歳の年代はプレ・ゴールデン・エイジと呼ばれ一番神経系が発達するので、スポーツの楽しさを教えることにより一番スキルが身につきクリエイティブな選手に育成出来る時である。この年代で根性を言っても選手を潰すだけである。年代にあった指導が必要である。地域参画プログラムでは、Jリーグを中心として、気軽にスポーツが出来る施設とか、コミュニティーを形成している。JFAではロトくじ6億円が話題になっているが、くじの収益の一部を金銭的に恵まれないスポーツ団体に寄付をしたりして国全体でスポーツを盛り上げていこうとしている。

2.サッカーにおける組織論
 適材適所の人材管理と専門性を活かすことにより会社組織は最大の力を発揮することが出来る。サッカーでも同じである。まずサッカーのポジション別に説明すると、ディフェンスの場合、見た目は1対1でも実際は周りの選手と共同してプレーしている。サイドを切ったり、遅らせたりしている。自分を殺すことが重要である。ミッドフィルダーの一番大事な役割はゲームを作ることで前後左右に走り回らなければならない。ここで少しでも手を抜くとつけ込まれて失点に結び付くような失態となり得る。フォーワードは点を取ることが重要な仕事である。シュートを打てる時でも、もっと確度の高いポジションに味方の選手がいればボールを廻すことも必要だが、思い切りが悪くなるので、逆にそこはシュートを打てという意見もある。その時のタイミング、状況による判断が必要である。GMの役割は監督、コーチのパイプ役、地域との融合の画策、実施といった大きな仕事である。監督・コーチはチームの補強、勝利といった結果を出さなければならない。サッカーの場合は成績を残さないと1シーズン持たず、途中でも解任されてしまうので非常に厳しい仕事である。監督によってチームメンバーが結構変わる。典型的なのは日本代表の監督で、どこからでも選手を招集出来出来るので監督が替わると選手も半分ぐらい替わることがある。2002年日韓ワールドカップで指揮を取ったのがトルシエ監督で、選手を徹底的に管理して、選手それぞれに指示を明確に与え組織的なプレーをさせた。トルシエ監督は日本人の勤勉性を活かすように考えた。結果的には成功だったと言えるが、個人プレー、意外性が無いプレーでその後全然伸びなかった。アントラーズ監督だったジーコは、有名な選手というよりはチームに不足している、点を取るプレーヤーを補充し、融合させて常勝チームの地位を築き上げた。ジーコが来たことによって、Jリーグのレベル、日本代表のレベルが上がったことは間違いの無い事実である。こういった適材適所、組織力が非常に大事である。上手いか下手かではなくチームに合う選手か合わない選手かが非常に大事である。日本代表監督としてのジーコはトルシエ監督と対照的で、選手を大人として認め自由にやらせた。個々の個性を尊重して自分で考えさせることを非常に大事にした。このチームには中盤に凄く個人能力の高い選手が揃っていたのでチームが固定化してしまった。 そうすると控え選手は育たないしモチベーションも低下してしまう。結果的にはレベルアップ出来なかった。次のオシム監督の目指すサッカーは考えながら走るというシンプルだが効率的なサッカーである。ジェフ千葉に就任した時にそれまで弱かったチームを一気にトップチームに持っていった手法である。プレーヤーはチームの約束事を守る義務があるが、持っている個性を損なわない範囲でプレーすることが大事だ。自分の個性を殺してチームプレーばかりを気にしたり、自分勝手なプレーばかりでは結局チームも勝てない。チームでは助け合うと同時に各選手がチームの為に自分の持てる力を最大限に発揮するべきである。その為には良いパートナーが必要不可欠である。

3.スポーツにおける観客と企業経営者
 試合の時に観客のプレーヤー、チームに与える影響は非常に大きい。これはホームとアウェーでの力の差が非常に大きくなることからも分かる。選手は観客の熱狂的な応援によってモチベーションが上がり、普段持っている以上のパフォーマンスを見せる。それが大きな自信となって成長していく。観客が選手を成長させると言える。これは経営者が社員を成長させる経緯とよく似ている。会社では社員を指導・教育するにあたり、どのように接し、どのように導いていけば良いのかを考えるはずである。その内容は、サッカーの試合で観客が行うことと同じで、ステージを与え、大きな声援をして、時には安心感を与えたり、モチベーションを上げてやるといったことである。こういったことによって社員は迷うことなく業務に邁進出来て、結果的に会社というチームと一体感を感じ、成長していくというのが私の持論である。

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【新会員自己紹介】

渡会 一郎氏
水曜第2グループ

渡会 一郎(わたらい いちろう)
三菱地所株式会社 執行役員名古屋支店長

【三菱地所株式会社】
〒450-0002 名古屋市中村区名駅3-28-12
TEL:052-565-7111 FAX:052-563-0824
URL:http://www.mec.co.jp/

三菱地所株式会社の渡会と申します。
前任者 峰善郎の後を受け、産業懇談会水曜第2グループに参加させていただくことになりました。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
私にとって名古屋は全くの処女地ではありますが、不動産事業を通して当地の発展に少しでも貢献できればと
思っておりますので、ご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます。

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【6月度産業懇談会開催日程】
(場所は名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
6月3日(火)
12:00〜14:00
杉屋工芸株式会社
代表取締役 杉浦 秀一氏
「段通」
18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
6月18日(水)
12:00〜14:00
ユニオンテック株式会社
常務取締役 安部 源太郎氏
「新規事業『ホームシアター工房』のご紹介
プロショップによるホームシアターシステムを
ご体感ください!」
18階
伊吹の間
水曜第2グループ 片桐清志
内藤由治
6月11日(水)
12:00〜14:00
(株)NTT西日本アセット・プランニング
東海支店 支店長  川上 泰明氏のご紹介
三菱電機(株) 中部支社 顧問
中村 勝氏
「気の世界<物は考えよう 気は持ちよう>」
2階
曙(西)の間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助

6月5日(木)
12:00〜14:00

中電興業(株)
取締役社長 藤岡 旭氏のご紹介
中電興業(株) 企画部部長 
全日本社会人落語協会(13年度優勝)
中部日本書道会 北勢支部長
谷 伸司(五尺坊申志)氏
「笑いの創造・落語」
18階
伊吹の間

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【7月度産業懇談会開催日程】
(場所7/3、7/16以外は名古屋観光ホテルです。)
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
7月8日(火)
12:00〜14:00
株式会社豊田自動織機
相談役 野口 紘一郎氏
「(株)豊田自動織機の概要と最近の事業展開」
18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
7月16日(水)
18:00〜20:00
(予定)
懇親会 未定
水曜第2グループ 片桐清志
内藤由治
7月9日(水)
12:00〜14:00
名古屋鉄道株式会社
専務取締役 山本 亜土氏
「厳しい名古屋の公共輸送」
18階
伊吹の間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助

7月3日(木)
11:00〜16:00
(予定)

株式会社ポッカコーポレーション
名古屋工場 見学会
北名古屋市

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【お知らせ】

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【コラム】

花ちゃんからの健康だより
〔花ちゃんからの健康だより〕 No.50

株式会社 スズケン
保健師 佐藤 花子

『 運動オンチ・健康オンチ 』の話

 初夏の少し汗ばむ季節、いかがお過ごしでしょうか。いよいよ特定健康診査も実質的にはじまり、ますます生活習慣病の予防意識が高まっています。
 先日、地下鉄の駅で、二段飛ばしで上ってくる後期高齢者(75歳以上の人)らしき人に出会い、「えっ」と思わず振り返ってしまいました。日頃の健康相談では、「運動不足が生活習慣病を招きやすいということ解っているけど忙しくて運動はできないよ。」という人が多いからです。そうですねとあっさり認めて健康オンチのままにしておくわけにはいきません。
 運動はまったく苦手という人は、小さい時から運動オンチに嘆いたのではないでしょうか。うまくなりたいと思っても、努力しても駄目だった苦い思い出があるのでは。どうかご安心ください。実は私たちは、日頃様々な運動(動き)をしていますが、十人十色で誰一人同じ運動(動き)はしていません。人間の骨の数は約200個、筋肉の数は約400本。その協同作業に差があって当然なのです。オリンピックの代表選手決定の大会をテレビで見ていますと、決められた演技ですらそれぞれ違っています。庶民の私たちは、少し格好悪い歩き方や走り方やプレイがあってもいいのです。空ぶりもトラブルショットもすべてOK。とにかく人と比較することなく運動を継続すれば、運動オンチはそのままでも健康オンチではなくなります。
 また、小さい頃から運動が得意だった方はその能力を十分生かしていますか?昔は・・・・だったと言っても、それは過去のこと。その能力を生かさなければ健康オンチではないでしょうか。今こそ、生まれ持った運動能力を生かして、息切れしないで2階・3階の階段が上れる体力作りをしましょう。
 我が家の周辺では、夜にウォーキングする女性のグループや夫婦も多く見かけます。「話しながら歩くとあっという間に時間が経っていて、結構、歩けるのよね。」と、どうやら、おしゃべりが主目的のウォーキングもありのようですが、無理のない運動としても理にかなっています。但し、夜一人歩きの男性は不審人物に間違われないように、くれぐれも服装時間場所にご注意を!また、男性の方はできれば地域のスポーツなどに、現役のときから参加してみるのも良いのではないでしょうか。仕事とは無縁で楽しいですよ。
 公私ともに忙しい時期と推察しますが、なおさら自らの運動・健康センスで血圧・悪玉(LDL)コレステロール値・血糖値などを改善したり、数値のよい人は悪化させたりしないようにしましょう。

健康メモ:運動会が楽しみだった人 そうでなかった人も 今でア大差なし 自分なりの 運動・健康センスを生かしているか すべての人に 運動・健康センスあり 脱健康オンチ!

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コラム【プログレスシリーズ】

株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

『企業の進歩発展のヒント:No.38』

【 リーダーのバトンタッチ】

 リーダーはいずれ次のリーダーへとバトンタッチを行います。そのバトンタッチのタイミングは組織にとって大変重要なことです。バトンタッチというものを理念経営で考えれば、理念に基づいて、次期リーダーを創造することから始まります。しかし、その次期リーダー創造が困難な時には、自らの組織以外から創造することを考える必要があります。組織にとって一番重要なことは「理念の継承」ですが、理念を引き継ぐ力のある人材が自らの組織に存在しなければ、外部から次期リーダーを選ぶということも考えなければなりません。そして、リーダー不在だけではなく、組織自体が理念経営に反する組織になっていたとすれば、他の組織のリーダーに組織自体を任せるということも考えなければなりません。もちろん、そうならないように常に理念に基づき、早め早めに次期リーダーの育成と、組織内の理念浸透と実践を行わなければなりません。組織は理念という大義の基、その大義を基にリードすることが出来るリーダーのバトンタッチの連続によって、安定成長を続けるのです。

・・・・ <事例研究>  歴史人物シリーズ−21「徳川慶喜」 ・・・・

 江戸幕府最後の将軍となった15代将軍慶喜は、14代将軍家茂薨去後、1866年に将軍に就任しましたが、1867年には大政奉還を行い、明治天皇に政権を返上し、将軍の位から退任しました。しかし、その後公武合体を目指しましたが、朝廷が王政復古を宣言したため、鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍を残したまま大阪から江戸城へと逃げ帰り、朝廷からの追討令を受け謹慎し、江戸無血開城を迎えました。明治に入り謹慎を解かれると趣味に生き、公爵として大正時代まで天寿を全うしました。人物像としては、「徳川の流れを清ましめん御仁」と評され、幕威回復の期待を一身に背負い鳴物入りで将軍位に就き、「権現様の再来」とまでその英明を称えられ、慶喜の英明は倒幕派にも知れ渡っており、特に長州藩の桂小五郎からは「家康の再来をみるようだ」とも評されたほどの人物だったようです。

事例へのコメント

 15代将軍慶喜の人物像を考えると、大変良いリーダーの資質を持っていたようですが、「時既に遅し」であり、世相は徳川幕府に大義を感じられなくなっていたわけであり、つまり理念のない組織において誰がリーダーになっても同じことだったのでしょう。265年も続いた徳川幕府であっても、やはり理念経営が出来なくなったことによって崩壊するという事実を、企業経営を行うリーダーは、いつもいつも肝に命じて経営を行わなければなりません。そして、リーダーのバトンタッチは、常に理念継承というバトンタッチでなければなりませんし、そういうリーダーを生み出す組織は、理念が浸透している組織なのです。

理念継承というバトンタッチを!

●プログレスシリーズ最終回と今後について

 プログレスシリーズも、今回で最終回となりました。1号から17号までの「スポーツ」「教育」などの各シリーズから始まり、18号から38号までの「歴史人物」シリーズと、長期間に渡りご愛読いただきありがとうございました。また、この産懇宅配便における私の連載も、早いもので、もう5年目に入りました。ここまで連載を続けられたのは、5年前に連載の機会を与えて下さった片桐さんとご愛読いただいている会員の皆様と事務局の皆様のお陰であると感謝しています。次号からは新シリーズ「理念経営物語」のスタートです。今後ともよろしくお願いいたします。

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コラム【苗字随想】
〔苗字アラカルト〕 No.72

片桐清志

「恵」あれこれ


 今月も「心」を持つ漢字と苗字シリーズだ。「志」に次いで人気が高い「恵」に注目してみた。
 「恵」で始まる苗字は60種余、旧字の「惠」の20種余を加えると「志」の約三分の一に及ぶ。漢字の意味あいからも好んで使われそうだ。三文字姓も15種で、平均の約5%に比べ比率は結構高い。「エ」という単音の読み方があることに加え、「志」同様「恵」も万葉仮名として用いられたからだろう。
 三文字姓の一例を紹介すると、恵比寿、恵比須、恵飛寿、恵比根、恵美奈(エミナ)、恵飛奈、恵比原、恵須川(エスカワ)、恵利川(エリカワ)、恵砂家(エサゴヤ)、惠日房(エニチボウ)、惠眼房(エガンボウ)、惠比奈(エビナ)、惠須美(エスミ)などがある。
 「エ」という単音で苗字に最もよく使われるのは「江」だ。佐久間 英氏のランキング表でも江口、江川、江崎、江原などが上位1000番内に出てくるが、「恵」は4000番までには登場しない。しかし前述の「江」を「恵」に変えた恵口、恵川、恵崎、恵原がある。このほかにも恵坂(江坂)、恵島(江島)、恵木(江木)、恵本(江本)、恵村(江村)、恵田(江田)、恵藤(江藤)などがある。これらは本家と分家の区別等で読み方の変わらないように漢字を変えたものだろう。
 「恵」は名前にも好んで使われる。名前にもありそうな苗字も少なくない。一例を以下に紹介しておく。恵利(エリ)、恵美(エミ)、恵志(エシ)、恵智(エチ)、恵波(エナミ)、恵津(エツ)、恵花(エバナ)、恵良(エラ・エヨシ)、惠奈(エナ)、惠那(エナ)などだ。
 一字姓の「恵」ももちろんあって、エ・ケイ・メグム・メグミという読み方が、「惠」にはメグミの読み方が見つかった。「恵 恵」さんに出くわすと「エッ エー」と、絶句してしまいそうだ。

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【平成20年5月号編集後記】

 同友会の会合後、三菱東京UFJ銀行の貨幣資料館(中区錦2丁目)に立ち寄った。歌川広重没後150年記念企画「広重 冨士三十六景のすべて」が7月10日まで開催されている。北斎の「冨嶽三十六景」同様各地からの富士の眺めを版画にしたものだ。伊勢二見ヶ浦から見た富士もある。おそらく富士が見える限界だろう。土日・祝日が休館なのは惜しいが入場無料はうれしい。
 もちろん貨幣の展示は常設で、いろんな勉強ができる。たとえばお札に描かれた人々の解説もある。紙幣に今までに登場した人物を何人ご存知だろうか?女性はだれか?などクイズもどきの楽しみ方もできる。一度足を運ぶことをお勧めする。
 さて、今月号も例会模様4編を掲載できた。それぞれの分野の第一線で活躍された方々の体験談だけに迫力がある。年度初めで忙しい中スピーチいただいた4氏に改めて感謝する。新会員も1名紹介できた。峰氏の後任の渡会氏の活躍を期待したい。6月以降も4グループがそれぞれ工夫を凝らしたスピーチを揃えている。大勢の参加をお待ちしている。

(片桐)