テーマ:『 鉄の世界あれこれ 』
日 時:19年5月8日(火) 12時00分〜14時00分
場 所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:23名
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スピーカー:
金子 功男(かねこ いさを)氏
新英金属株式会社 取締役社長
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出身は愛知県挙母町、現在の豊田市である。高校までその地で過ごした後、東京教育大学の体育学部に進学し、体育管理学といって体育に経営学、管理学を取り入れていくという当時は全く未開の分野を専攻した。卒業後は愛知県立惟信高校で体育教師をすることになったが、数年後に養子縁組の話があって、このとき教師を辞めて現在の総合金属リサイクル事業を営む新英金属に入社することになった。(養子縁組の条件が、教師を辞めて新英金属を継ぐことであった)こうした決断をするに至った理由はいくつかある。ひとつは、大学時代に陸上部で膝を痛めて、体育教師を生涯続けることに多少の不安があったこと。体育管理学を専攻していたことから、経営に関心があったこと。そして、大学時代の恩師から言われた、「人生には誰でも平等に3度のチャンスがある。但し、そのチャンスを掴むかどうかは、本人の努力次第である。」という言葉を思い出して、これこそがそのチャンスだと判断したことである。
新英金属では、現場、経理と経験した後、3年目から営業を任され、若いうちから主要仕入先のトヨタ自動車、主要販売先の愛知製鋼などへ行かせて貰った。そこで取引先の部課長に可愛がって貰い、そのように年上の方々と幾度と接してきたことが、自分にとって大いにプラスになっていった。
新英金属は、昭和28年に資本金1,500万円をもって設立された。昭和28年という年は、それまで全く売れなかった鉄屑が朝鮮動乱によって瞬間的に35,000円くらいまで高騰した時期である。当時は、100万円持っていれば百万長者と呼ばれた時代であったから、ただ同然の鉄屑がそれだけ高騰したということで、それによって会社もかなり潤ったようである。しかし、その後は必ずしも順調とは言えず、朝鮮動乱が終わると途端に鉄屑が売れなくなって、以来10年間はずっと無配当を余儀なくされた。当時、養父から「その間、地獄のような苦しみを味わった。会社を継いだら、絶対に配当のできる会社にせよ。」と言われたことをよく覚えている。私が入社した昭和42年頃も、利益は僅かしかなく、配当したら殆どお金が残らないという状態であったが、その後取引先にも恵まれ、現在はおかげ様で順調に商売ができている。当社は東海三県下に計9工場あるが、近々、東京製鐵が田原へ進出するのに備えて、この夏頃から田原にも工場を建設することを計画しているところである。
当社の年商は2007年3月時点で370億円と、2年前に比べ約170億円増加しているが、この業界は市況変動に大きく影響を受けるため、売上高の伸びは必ずしも利益には結びつかない。市況が高騰すると運転資金が膨らんで、借金に繋がることもあるから、この辺りが大変難しいところである。最近では、銅についても市況の乱高下が激しく、これも業績に大きく影響してきている。このように非常に難しい環境ではあるが、主要仕入先のトヨタグループが非常に好調であるので、この流れに乗って今後も真面目にこつこつと事業に邁進していきたいと考えている。
最近、中国が鉄鋼生産を急激に伸ばしており、粗鋼生産量も毎年、前年比で新日鐵とJFEの2社分の生産量に相当する6,000〜7,000万トン増を記録している。また、鉄鋼最大手のアルセロールとミタルの合併といった再編が進んで、鉄鋼を取り巻く環境も大きく変わってきている。また、スクラップ価格も様々な理由で価格が変動するようになっており、我々もこうした世界の動きに注意して仕事をしないといけない時代になってきた。
スクラップというのは目的生産品ではなく、欲しくても手に入らない、要らなくても発生するといった類のものである。これまでは、鉄鋼メーカーもスクラップの発生量に合わせて生産を調整する必要があったが、このままではスクラップを取り巻く業界に真の発展はないだろう。これからの時代は、鉄鋼メーカー主体で納入が実現するように変えていく必要があり、弊社もそのような方向に向かって努力しているところである。
今後は、リサイクル、リユースを上手く使い分けて資源の有効活用を目指すことが我々にとって大きなテーマになるだろう。また最近では、プラチナやニッケル、パラジウムなどのレアメタルについても、資源保有国が戦略的な動き(出し惜しみ)を見せ始めており、中国などもレアメタルの輸出規制を始めた。こうした状況の中、我々としても、例えばICの基盤などに含まれる特殊金属のリサイクル実現を目指すなど、こうした分野に積極的に取り組んで社会貢献していきたいと考えている。
これまで多くの人に出会い、助けられてきた。今日があるのは、こうした出会いのおかげだと思っている。一期一会という言葉があるように、これからも出会いを大切にしていきたい。我々の業界は非常に幅が広く、柔軟な考え方が必要で、たくさんの方とお付き合いをさせていただくことで常に感性を磨いておく必要があると感じている。
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