テーマ:『ミッドランドスクエアから眺めた名古屋・愛知・中部』
日 時:19年4月5日(木) 12時00分〜14時00分
場 所:ミッドランドホール 5階会議室
参加者:44名
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株式会社三清社 取締役社長
大岡 洋三氏のご紹介
スピーカー:
神尾 (かみお たかし)氏
東和不動産株式会社 取締役社長 |
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ミッドランドスクエアの展望台から見渡す景色には県境など存在しない。愛知県、岐阜県、三重県が全く区切りなく一望出来る光景は、いずれこの三県が中部としてひとつになって歩みだすであろうことを予感させる。
ミッドランドスクエアの来場者は、3月6日の開業以来、僅か1ヶ月あまりで既に200万人に達した。年間来場者数は1,600万人を想定しているが、初年度はそれを大きく上回る程の賑わいである。この周辺には、全部で10棟ほどの高層ビル建設の見通しがあり、今後10年で名古屋駅周辺は大きく姿を変えていくことになる。
東和不動産は昭和28年に設立され、昭和30年にミッドランドスクエアの前身となる豊田ビルを竣工した。その後、昭和37年に大阪心斎橋に大阪豊田ビル、昭和48年には名古屋駅前に第二豊田ビル、平成元年には東京三田にセンチュリー三田ビル、平成14年には名古屋駅前にセンチュリー豊田ビル竣工という形で名古屋、東京、大阪と事業を拡大していった。また、平成12年にトヨタ自動車と毎日新聞社の共同事業として高層ビル建設の構想が立ち上がり、このほどミッドランドスクエアとして完成を迎え、今日に至っている。
中部地域はものづくり産業が非常に活況であるが、一方で観光力に乏しく、多くの観光資源を有しているにもかかわらず、外国人観光客数などは他の地域と比べて少ないのが現状である。世界中の人々が、行ってみたい、働いてみたい、住んでみたいエリアにするためには、愛知県、岐阜県、三重県が観光やサービスの面においてもしっかりと広域連携を図って、歴史、文化、自然を核とした賑わいのあるエリアにしていかなければいけない。
また、名古屋駅前には次々と高層ビル建設が進み、多くの人で賑わうようになりつつあるが、一方で栄周辺が衰退していくようではいけない。やはり競争し合って共に栄えていくという形、更には、エリア毎に栄えるのではなく、名古屋駅前と栄を結ぶ大通りに歩く楽しみを創出して、流れの中で共に栄えていくという形を目指す必要がある。
名古屋市では、2010年の開府400年に向けて、名古屋城本丸御殿の復元を進めている。この名古屋城や徳川美術館などを中心として、歴史の道を辿ることができる古きよき町並みを再現していかなくてはいけない。また、大通りを歩行者天国として、通り沿いにカフェが軒並み連ねるような明るく開かれた町づくり、また心の豊かさを享受できるよう都市環境づくりも必要である。
ミッドランドスクエアのコンセプトは、「感動と潤いの都市空間」、「環境・社会への配慮」、「最先端の技術」である。
世界初のシースルーダブルデッキシャトルエレベーターは、分速360メートルの速度で最上階まで約40秒、全4基で最大264人を一挙に輸送できる。また、屋上の展望台スカイプロムナードは吹き抜け構造で、外気を感じることが出来るのが大きな特徴である。この展望台が人気で、昼はお年寄り、夜は若いカップルで大変賑わっている。オープン以来、一日平均5,000人が訪れ、既に来場者は16万人に達した。また地下1階には、吹き抜けのサンクンガーデンなどを設けることによって快適な地下空間を演出しているし、更にはタクシーベイを設置することで、風雨に晒されることなくタクシーへの乗り継ぎも可能とした。また地下には地域冷暖房施設を設け、ミッドランドスクエアだけでなく近隣のビルにも冷暖房のもとになる冷温水を供給することも可能とした。その他様々な省エネ対策を施すことにより、ビルのライフサイクルCO2の排出量を従来に比べ約25%カットすることができた。耐震に関しては様々な対策を施し、中央部に人間の背骨に相当するような巨大な鉄の心柱を高さ240メールにわたって通している。また大地震発生時の揺れを吸収するアウトリガーダンパーや中地震や風の揺れを吸収するATMDなどによって更にそれを補強し、これらによって想定外の大きな揺れにも耐えうる防災拠点並の耐震性能を実現している。
これからの時代はものづくりだけでは生き残っていけない。もちろんものづくりは必要不可欠であるが、そこには歴史、芸術、自然といった文化の薫りがなくてはならない。そのために、今後も東和不動産がその街づくりの役割の一端を担っていきたいと考えているし、またミッドランドスクエアが、中部の中心地=国際都市名古屋を象徴するランドマークとして、また、年間1,600万人が交流するビジネス、商業、文化の情報発信基地として、大きな役割を担っていくことを願っている。 |