テーマ:『JR雑感』
1 地の利、人の和、天の時
JR東海が昭和62年4月に発足して、今年で17年を迎える。この間、経営は順調に推移しているが、その要因の1つとして発足時、(1)地の利、(2)人の和、(3)天の時、に恵まれたことがあった。
(1)地の利
「地の利」とは本社を名古屋に置いたことである。同友会をはじめ中部財界の方々に暖かく迎え入れていただき、地域に根ざした地元企業としてスムーズにスタートすることができた。
(2)人の和
国鉄時代は労使対立が激しく、列車の運行もままならないこともあった。JR発足後は良識ある組合が主力となり、ストを企てる労働組合も一部にあるものの、労働争議による一本の運休もなく列車を運行できている。これは民営化後、社員の意識が大きく変化し、社員一丸となって「人の和」を確立できたからだと考えている。
(3)天の時
「天の時」とは会社発足時がたまたま好況期であり、その時に会社の収入基盤を確立できたということである。仮に発足時が不況期ではこれほど順調に経営が推移したとは考えにくい。
2 JR東海の経営上の節目
JR東海はこれまで3つの大きな経営上の節目を経験した。
(1)新幹線貸付(リース)制度の解消、資産買取り
当社の財務体質を改善する上で極めて重要なことであった。
(2)新幹線鉄道大規模修繕引当金の設定と完全民営会社化
引当金を設定することで内部留保ができ、長期債務の返済の一助ともすることができた。これとほぼ同時期にJR会社法の適用からはずれ、商法上の会社となった。
(3)「のぞみ」号の増設および品川駅開業
東海道新幹線そのものを大変革する契機となり、新幹線は第2世代に突入することとなった。
3 東海道新幹線のエピソードあれこれ
東海道新幹線は今年で開業40周年を迎えるが、その間に起きたエピソードをいくつかご紹介したい。
(1)時速200km/hという「未知の世界」
開業直前に車体の気密保持が十分でないことが判明した。緊急対策は施したものの、開業当初はトンネルでの気密変化に対応しきれず不具合が生じた。その後、十分な研究を重ね、今では全く問題ない状態となっている。
雪による被害も開業するまで全くわからなかった。最初は「雪を巻き上げ、勇壮に走る新幹線!」などとのんきなことを言っていたが、実際は雪を車体に付着させ石や雪の塊を沿線に撒き散らして走る列車となっていた。その後、様々な対策を試みたが、結局「徐行」することが最良の対策であることは今も変わりない。そのため、現在に至るまで列車に遅れが発生することとなってしまったが、近年、着雪監視装置などで遅れが減少している。
(2)大阪万国博覧会
昭和45年の大阪万博開催期は、新幹線は連日満席であった。当時、万博に行く理由として、第1位:月の石を見る、第2位:外国の雰囲気を味わう、第3位:新幹線に乗る、と言われた。私は、当時6000万人以上を集客し、新幹線に1000万人を迎えた、万博の「熱い」感動を終生忘れることができない。
(3)「名古屋飛ばし」騒動
社長時代もっとも忙しかった出来事は、「のぞみ号」が名古屋駅を通過することとなり、「名古屋飛ばし」と騒がれたことを収拾することであった。各方面で事情を説明し、ご理解をいただいたが、この時の教訓として、それだけ当社に対する地元の期待が大きいのだと改めて痛感したことである。