第7号 2002.12.25発行 【巻頭特別寄稿】 「日本のこころ」に立ちかえり、自信と誇りを セントラルリース株式会社 1. 日本はまことに品のない国になってしまいました。 政治家・官僚・企業経営者等の不正・汚職、大人から子供まで自己チューな振る舞いなど、社会的秩序の荒廃は目を覆うばかりで、「これだけはしてはならない」という倫理観の座標軸を失ってしまった感があります。 戦後の日本は憲法も教育基本法も米国の指示によって作られ、戦前までの日本の伝統・思想・文化は否定されました。合理主義のかけ声の下、物質的な富に価値を置く風潮になり、個人の尊重は、自由と放縦のはき違えにつながってしまいました。 日本人には、これまでの長い歴史の中で培い身に付けていたはずの日本人固有の伝統的精神、すなわち「日本のこころ」があったはずです。 昨今、制度や経営システムなどに米国流の価値観の押しつけが見られますが、米国流は万能ではありません。 以 上 14年11月度産業懇談会(水曜第1G)模様 1.日 時:11月27日(水) 12時30分〜14時 会社の創立は1925年。もともと三井物産の機械部が独立した会社なので、三井物産の三と機械の機をとって三機工業という名前がついた。メイン事業は、鋼管、サッシ、と時代とともに変遷し、現在は建築設備とプラント系の部門が主となっている。 最近は、合併や支店の統廃合が盛んに行われ、オフィスの移転や統合などが非常に多くなり、引越し業務も増えている。会社の引越しといえば、従来は総務が企画して行っていたが、OA化の非常に進んだ建物や事務所が増えており、総務だけでは対応しきれなくなってきている。そういう背景の中で新しい事業として成長してきた。 とりわけ、ディーリングルームの引越しでは、通常の業務に差し支えないよう、金曜日の就業後から月曜日の早朝までに作業を終えなければならない。大変な作業であるが、当社では独自のノウハウを蓄え、一部マスコミに「神わざ」と評されたこともある。 まずは現状の調査。特に、新しいオフィスの内装、設備用務事項の取りまとめなども含めて部門ゾーンの業務調査を行う。「仕事のやり方やコンピューター関係の把握」、「どういう使われ方をしているか」「どういうシステムを利用しているか」などを聞き込む。会社の機密にかなり触れているため、十分に注意しながら調査を進めなければならない。 移転の直前になると、移転先の工事関係、当日の移転計画等についての説明会や、実際の移転に関係する運送会社や什器会社、建築設備関係、内装関係の業者との打ち合わせを行って、当日の移転となる。移転が無事に終わり、移転後の業務が順調に動いた時点で我々の仕事は終了する。これら一連の業務が、オフィス・リロケーション・エンジニアリングである。 この事業では、コンサルタント業務が主体なので、料金はコンサルタントフィー、エンジニアリングフィーという形でいただいている。従来コンサルタントフィーは、設計事務所を除いて、建設業界のほとんどの所がサービスと考えてきたが、お客様の立場でやっていくためには、フィーとしてきっちりいただく方が良いと考えている。
経済4団体新春賀詞交歓会のご案内
1.日 時 平成15年1月8日(水) 12:00−13:00 1.日 時 平成15年1月17日(金) 12:00-14:00 1.日 時 平成15年1月20日(月) 12:00-14:00 産業懇談会「代表幹事のご講話」並びに「新年合同懇親会」のご案内
1.日 時 平成15年1月20日(月) 17:30-20:00 新春経済講演会の開催のご案内 1.日 時 平成15年1月27日(月) 14:00-15:30
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産業懇談会メールマガジン配信について メールマガジンの配信は無料ですのでが、配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。
メールマガジン名称公募のお知らせ 当メールマガジンは、当初水曜第2グループで試験的に始まりましたので、仮称として「SUISUI」(すいすい)でスタートしました。先月号から各グループの参加が頂けるようになりましたのでこれを機に全懇談会の会員の方から正式な名称を公募いたします。永く親しまれる名前を是非ご提案下さい。 笹倉 信行 大幸川は名古屋台地の北側を北あるいは西方向に流れる川であるが、知名度は極めて低い。しかし川の名前は知らなくともその川にかかっていた橋は形が無くなっても有名である。橋の名は「砂田橋」―地下鉄名城線の駅名でよく知られている。 現在では庄内川の支流にしか思われない矢田川は、なかなかの暴れ川である。弥生時代の頃であろうか名古屋台地の北縁を流れ現在の名古屋城のあたりで海に注いでいた矢田川は、その流れによって台地の北側を今見るようにかなりの角度のある崖として残した。また、矢田川がもたらした土砂は川沿いに自然堤防と呼ばれる堆積層を残し、それが現在の「大曽根」(大きなソネ―自然堤防)の地名に現れている。そう言えば大曽根の西には、芦辺町(川沿いに芦が生えていた所)石園町(河原で石の多い所)水切町等、川を想起させる地名が並んでいる。 暴れ川であった矢田川の歴史の中でも、一七六七年(明和四年)の洪水によって守山台地の先端部を突き破って流路を大きく北に変えた事程驚く出来事は無い。守山台地の先端部である「木ヶ崎」に建つ長母寺から今では何百メートルもの幅のある矢田川をはさんでかつて守山城のあった宝勝寺を見ると、洪水以前には長母寺まで守山台地がつながっていたことがとても信じられないと思う。 矢田川の流路は、徐々に北に向いていった中に、その空白を埋めるように流れていたのが大幸川である。 大幸川の本流の最上流部は千種区希望ケ丘周辺である。平和公園の北西あたりから流れ出す大幸川は、直ぐに堰止められて「茶屋ヶ坂池」という溜池となっている。茶屋ヶ池一帯は雑木林の散策の小径を含めた縁豊かな公園となっている。 川としての大幸川が川らしく見えるのはこの周りだけで、この後は道路の下となって全く見えない。茶屋ヶ坂を下った大幸川は鍋屋上野浄水場―木曽川の水を犬山で引き名古屋市民の上水を賄う―の脇を下って砂田橋の交差点に向かう。そして地下鉄砂田橋駅を降りると上に見えるガイドウェイバス用の高架沿いに大曽根駅方向に向かう。 この本流の少し南に支流が流れている。茶屋ヶ坂池の約ニ百メートル西に弁天公園がある。水のある所に弁財天が祀られることが多いが、ここにもかつては弁天池と呼ばれた池があった。この支流は西に流れ上野天満宮の北を通ると向きを北西に変え坂を下ることになる。また上野天満宮の近くで南の赤坂公園から来る流れと合流している。この川が崖を掘り下げた地形が、「谷口」である。名古屋台地の北縁を走る出来町通もこの周りでは少し下っており、また川沿いの谷口町とそれを見降ろす清明山との間にかなり切り立った崖となっている。谷口を下ったこの支流は現在のナゴヤドームの周辺に「谷先」という地名を残したが、今では失われて大幸南となっている。清明山は平安時代の陰陽師安部晴明にちなんだ晴明神社から名付けられた地名で、現在でも小高い丘の上に晴明神社が残っている。神社の由緒によれば、付近の湿地に多かった蝮(まむし)の退治に晴明が来たことから建てられたという。 また北千種一帯にもかつて地蔵川と呼ばれた支流があった。この地蔵川が台地を駆け降り、周辺一帯が萱が生えていた低湿地を作ったことから、現在の「萱場」の名が残ったのではと想像される。かつての山口街道(出来町通の原型となる街道)沿いに萱場ヶ池が今の少年鑑別所付近にあったと言う。 これらの流れを大幸そして矢田南で合わせた大幸川は大曽根駅の西でこの周辺では平安通と呼ばれる大通りを離れ、その南にあって西に向う通りに入る。三百メートル程西に行くと「彩紅橋通」が現れる。大幸川にかかっていた橋の名前であろうが、彩紅の響きに彩やかな朱色の橋が川の上にかかる情景が浮かんでくる。 彩紅橋を過ぎると前述の芦辺町と東水切町の間を北西に向かい、志賀本通と名を変えた大通りを越え、猿投橋でこの周辺では黒川と呼ばれる堀川に合流する。志賀本通にかかる志賀橋の一つ上手にある猿投橋は、赤く塗られ、またここで水位の差があって上流部は美しい桜並木が続くことから特徴のある橋である。 大幸川は本来さらに西に向っていたようであるが、一七八四年(天明四年)流路を変更し、当時御用水と呼ばれた黒川の前身となる流れに結び付けられた。御用水は一六六三年(寛文三年)名古屋城の濠の水を補うため庄内川から水を引くために設けられた水路で、これを基として明治十年に愛知県土木課長黒川治愿によって現在見るような堀川となった。堀川の上流部を黒川と呼びまた北区に黒川という地名が残るのも彼の功績を記念したことに由来している。名古屋城の西、かつての堀川の堀留(堀の終点)の先に大幸川からの流れがつながったことから現在でも堀留のすぐ上手に大幸橋と呼ばれる橋が残っている。 大幸川は黒川に至って茶屋ヶ池以来初めて表に現れる。砂田橋など橋の名以外に大幸川のよすがとなるものは何も無いというのも少し寂しい気がするのは私だけであろうか。 〔苗字アラカルト〕 No.7 片桐 清志 『馬と羊』 暮れからお正月にかけては干支(えと)を話題にすることが多い。そこで今回は干支にまつわる苗字のおはなしをしてみたい。 まず来年の干支の「ひつじ」ですが、十二支の漢字は「未」。世の中はひろいもので、ちゃんと「未」さんはいらっしゃいます。ただし、お読みするのは「みなみ」さんだそうです。干支を動物で表した「羊」さんもやはりいらっしゃいます。こちらは本当に「ひつじ」さんとお読みします。「ひつじ」年生まれの「羊」さんは名実ともに来年は年男(または年女)ということになります。全国の「羊」さんおめでとうございます。 ついでに今年の「うま」ですが、「午」さんもいます。残念ながらお読みするのは「うま」さんではなく「ごこえ」さんとお読みするようです。 ところで、干支の中で苗字と最も関わりの多い干支は何だと思いますか。犬塚さん、熊澤さん、熊崎さんの様に「動物」の漢字で始まる苗字で一番多いのが「馬」で170種ほどあります。二位の「猪」に約40馬身(?)の差をつけてダントツ優勝です。縁起が良いということだけでなく、昔から生活に深く関わってきたことも一因かもしれません。 編集後記
今年6月に産声をあげた本誌も本号で第7号を数える。会員にどのようにお役に立っているのか少々気がかりだが、「継続は力なり」を信じて続けて行きたい。 今月は年末を締めくくるにふさわしい巻頭言を渡辺基彦常任幹事(「日本のこころ」委員会委員長)から寄稿いただいた。コンパクトだがズシリとした内容だ。年末の多忙にも拘わらず、ご無理を快く引き受けていただきこの場を借りて深く感謝したい。 本誌も来号から新しい年を迎える。更なるチャレンジを試みたい。1月の産業懇談会は4グループ合同で代表幹事の話を聞く。例会はお休みだ。この機会に読者諸氏の初夢の投稿、ご意見を賜れば幸いである。(片桐)
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