第4号 2002.9.27発行 産業懇談会メールマガジン配信について メールマガジンの配信は無料ですのでが、配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。
産業懇談会4グループ合同例会模様
本年度より新たな試みとして、年に1度、4グループ合同例会を開催し、幹事は毎年各グループ持ち回りで担当することとなり、スタートの今年は火曜グループの担当となった。今回は「やわらかく楽しめるような企画を」ということで、タレントの坂上二郎氏をお迎えてのトークショー、そして懇親会が9月4日に開催された。 ◇ 坂上二郎トークショー はじめに、本会を代表して火曜G世話人代表の竹田印刷 各務社長より、「賑やかで楽しい会にしましょう」というご挨拶をいただき、ついで、今回坂上二郎氏のトークショー開催にお骨折りいただいた木曜G世話人代表の丸菱工業 河村社長に坂上氏をご紹介いただいて、トークショーの「始まり、始まり」となった。 坂上さんが、「各国の乾杯の言葉」「健康の秘訣」などを面白おかしくお話されると、やや堅い雰囲気のあった会場が序々に和らぎ、「坂上二郎の歌で綴った半生」とも言えるようなお話に入っていった。 戦後の焼け野原の中、鹿児島で小学生であった坂上さんは、中学卒業まで勉強そっちのけで歌ばかり歌われていたとのこと。いつしか歌手になることを夢に抱いた坂上少年は、「NHKのど自慢大会」に何度も挑戦の末、昭和27年見事優勝。これがきっかけとなり、翌年歌手を目指して上京。知人もお金もない中で、住み込みのアルバイトや歌手の青木光一さんの付き人をやりながらいつか歌手になろうと頑張っていた。当時の歌謡ショーにはコントがあり、ひょんなきっかけでコントを手伝っているうちに、演技力(コント力?)が認められ、須藤さんという方に誘われて「ロックアンドロール」という名前で漫才を始めた。当時はあまり仕事がなく、しばらくすると相方が司会として独立したため、しばらく島倉千代子さんの歌謡ショーを手伝っていた。そんな中、阿部昇二さんからコメディアンへの転向をすすめられ、この阿部さんの紹介で浅草フランス座に入座。ここで萩本欽一氏と出会ってコント55号を結成し、その後の活躍はご存知のとおりである。 お話の間に、下積み時代の苦労話や“コント55号”時代のコントを披露、また、坂上さんの思い出の曲から最近のヒット曲まで都合6曲を歌われ、歌と笑いと人情味あふれる1時間であった。 ◇懇親会 親睦会の冒頭、「楽しい催しは大歓迎」と特別にご参加いただいた磯部代表幹事よりご挨拶をいただき、続いて水曜第1G世話人代表の丸太運輸 村社長による乾杯のご発声を合図に懇親会がスタート。坂上二郎氏にも引き続きご参加いただき、トークショーの余韻が残る楽しい雰囲気の中、他グループの会員さん方との懇親を深める絶好の機会となった。 中締めの挨拶に立たれた火曜G世話人のモリシマ深田社長が、絶妙の振りでゲスト参加のソプラノ歌手 下垣真希さんをステージに引っ張り出され、予定にはなかったにもかかわらず下垣さんが「オーソレミオ」の熱唱を披露、一同この素晴らしい歌声に聞きほれるという一幕もあり、最後まで大変盛り上がった懇親会となった。 来年は水曜第1Gの皆様、どうぞよろしくお願い致します。 メールマガジン名称公募のお知らせ 当メールマガジンは、当初水曜第2グループで試験的に始まりましたので、仮称として「SUISUI」(すいすい)でスタートしました。先月号から各グループの参加が頂けるようになりましたのでこれを機に全懇談会の会員の方から正式な名称を公募いたします。永く親しまれる名前を是非ご提案下さい。 名称応募 笹倉信行 名古屋で川と言うと木曽三川あるいは近くにある庄内川のイメージが強い。しかし市内にも数多くの川がある。例えば東部丘陵から流れ出る川として、平成十二年の豪雨被害で有名になった天白川、そして桜の名所として知られる山崎川がある。また、名古屋台地の中央部にはかつて精進川と呼ばれた川や、台地の所々に開析谷をもたらした中小河川があった。北部から西部にかけての沖積平野にもかつての河道沿いに幾つかの自然河川があった。 今ではその姿を見ることが出来なくなったそれらの川も、かつてあった溜池の名や橋の名で川の存在を示してくれる。また、溜池と同じく農業用に使われてきた用水も、一部は廃止されたものの大部分は今も現役として活きている。これらの水にかかわる自然と人工の施設に焦点をあてて名古屋の街を見てみよう。 一、 東部丘陵の川 東部丘陵で発し名古屋台地の東縁を南に向かう山崎川は、江戸時代には壇渓と呼ばれた渓谷で知られ また今日では桜の名所として有名な川である。山崎川の本流の源は「猫ヶ洞池」の先の平和公園であり、その他にも東山動物園・植物園から一旦「新池」に溜められた流れがあり これらが本山で合流して、そこから地上に現れて南西方向に流れる。これ以外にも城山八幡神社の東側の流れやその西側でかつて「姫ヶ池」があった日泰寺からの流れさらに名古屋大学構内に発し「鏡ヶ池」を経て西流する支流も合わせて、田代本通を越えた所でかなりの広さのあるそして両側が桜並木の山崎川となる。もっとも江戸時代にはこの周辺では川名川と呼ばれ、山崎川と名が変わるのは笠寺台地の北側の山崎を通るあたりであった。 川名川と呼ばれていた山崎川が大きく湾曲し川の流れが作り出した渓谷が、壇渓である。現在でも幾分かは渓谷の趣を残しているが、かつては名古屋近郊の風光明媚な名所であった。今では壇渓通りという道路名の方が有名である。壇渓という漢文調の二字の地名は江戸時代に流行した表現で、江戸でもお茶の水近辺を「茗渓」と称したり小石川を「れきせん礫川」と読み替えたりしていた。 壇渓で八事方面からの支流と合流している。八事の興正寺より発し「隼人池」を経て来る流れと、八事の日赤病院周辺より滝川・杁中を経て来る流れとが合わさって来ている。なお、杁中とはいり杁=水門があった場所という意味で聖霊病院周りに堤防を持つ溜池がかつてありその水門のあった場所であることを示している。 さらに南に下ると名古屋市大薬学部から瑞穂グラウンドに至る桜並木の名所がかなりの長さで続いている。この周辺は、縄文時代の貝塚(大曲輪貝塚・下内田貝塚)や古墳時代の古墳(瑞穂古墳群)が競技場・野球場の周りに密集している。 かつては笠寺台地の北縁を回って山崎川と名を変えたこの川はあゆち年魚市潟に直ぐ注いでいたが、海岸線の後退と江戸時代の新田開発により海まではかなりの距離を流れることとなってしまった。 ニ、名古屋台地の川 川の流れも大きく変わり、また名前も失われてしまったものの、しょうじん精進川は名古屋台地を代表する川である。名古屋台地を構成する東西の御器所台地と那古野台地の間を流れる精進川は、豊富な水量で今日に地名となって残る湧水と様々な支流を堰止めた溜池の宝庫であった。 御器所台地の西側、ちょうど千種駅から吹上に至る崖線はかつては豊かな水量を誇る水源であったという。従って「赤ハギ萩」ハギ=ハケ(湧水のある崖線)や「こい古井」(古くからの泉)という地名が残っている。また、古井から吹上にかけて流れる地下水を利用してビール工場も作られたのが、サッポロビールの浩養園である。 他にも湧水にちなむ地名がある。東区泉町は武平町を始め多くの町が合併し昭和五十一年にできた町名であるが、かつて松山神社・養念寺(いづれも泉町三丁目)にあった泉から名付けられたものである。またその北側には「山吹谷」という地名が公園名として残っている。今でも高低差のある地形であるが江戸時代には景勝の地として名高い谷であったという。 精進川は他にも多くの支流があった。日泰寺の西側に流れる支流を堰止めた「まむし蝮ヶ池」が現在の池下の厚生年金会館周辺一帯にあったという。付近には蝮ヶ池八幡神社も残っている。池下という地名自身が蝮ヶ池の池の下手にあったことから付いた名である。また現在の布池、おそらく永平寺別院がある周りには溜池としての「布池」があった。同様に今池交差点の南西に少し離れた場所に「今池」があったが、現在では今池中学校になっている。なお今池は馬道と呼ばれた道が近くを通っていたことから馬池と名付けられたが後に今池と呼びならされるようになったと考えられる。馬道は吹上近くから現在の千種区役所へ向かう道であるが、広小路交差点に馬のブロンズ像があるのも馬道にちなんだものに思われる。 これらの流れを合わせた精進川の上流部はかつて「ながれがわ流川」と呼ばれていた。南西に向かった流川は鶴舞・高辻を経て熱田に出て「精進川」と名を変えた。ちょうど熱田社に詣でる人々が精進・潔斎をするための川であったためである。 ここに至るまでにも多くの溜池がある。鶴舞付近では西側に「大池」があり旧町名の大池町あるいはバス停の名前として残っており、東側には鶴舞公園内の池として取り込まれたかつての溜池である「たつがいけ竜ヶ池」がある。さらに南には天池通りの名で残る「あまいけ天池」(別名 新田池)、昭和区広池町・池端町の名が残る「ひろみがいけ広見池」等がある。 精進川は江戸から明治時代にかけて氾濫することが多く何度となくその改修が図られてきたが、明治四十三年に大きく川筋を変えるとともに新堀川と名付けられ精進川の名は消えることとなった。すなわち、船が航行可能な位広い川幅を持つ全く新しい河道を掘り、新堀川にこれまでの精進川を付け替えるとともに新堀川の最深部の「堀留」(堀のつきあたり)に設けられた下水処理場からの放流水も受け入れることとなった。新堀川の堀削はその土で熱田付近での軍需工場建設用地を埋立により造成するとともに低湿地だった鶴舞を現在我々が見る鶴舞公園とし、いわば万博にあたるようなイベントである西日本共進会の会場とするためにも利用された。 〔苗字アラカルト〕 No.4 片桐 清志 『男』と『女』あれこれ 先日の坂上二郎トークショーで「男」が組み込まれた字は「勇」等4つしかないが「女」が組み込まれた字は100近くあると紹介された。確かに「男」は部首にも見当たらないが「女」偏は存在する。 苗字ではどうか?「男」で始まる苗字は「男」さん「男山」さん「男鹿」さん等29種ある。これに対し「女」で始まる苗字は「女川」さん「女沢」さん「女山」さん等35種で、「男」よりわずかに多いだけだ。どうやら戸籍の男系主義に救われた格好だ。 しかし「男」の読み方が「オ」または「オトコ」の2とおりに対し、「女」は「メ」、「オンナ」の他に「オ」「オナ」「ジョ」「ヒメ」「ウナ」「ニョ」の9とおりがあり読み方は厄介だ。苗字の世界でも「女」は変幻自在のようだ。 もちろん「姉」や「妹」等女偏の文字を使った苗字も多彩だ。「妻」さんや「姫」さんや「姥」さんという苗字もある。戸籍筆頭者の欄に「妻」さんなんて書かれていたら面食らいそうだ。 編集後記 朝夕はすっかりしのぎやすくなった。今月一番のニュースは何と言っても日朝トップ会談の実現だろう。今後の展開に若干の紆余曲折はあろうが、関係正常化を期待したい。貴乃花も優勝こそならなかったが横綱としての存在感を示す復活もうれしいニュースだ。プロ野球の話題もいつの間にか日本シリーズに移っている。ドラゴンズは残念ながら来シーズンに持ち越した。 9月の産業懇談会は4グループ合同企画で「坂上二郎トークショー」が開催された。波瀾万丈の人生経験に磨かれた話芸と若き時代に本格的に鍛えた歌唱力は古希を前にしても一向に衰えない。実に楽しいひと時であった。 10月からはまた各グループ別の勉強会が始まる。実りの秋にしたい。 (片桐) |