○入会1972年(昭和47年)2月23日入会当時
1月24日、グワム島密林内で、現地人が太平洋戦争生き残り、元陸軍軍曹横井正一氏(56歳)が保護された。当時郵便、封書20円、葉書10円。2月3日、第11回冬季オリンピック札幌大会に於いて、笠谷幸生選手が冬季オリンピック初のメダルで優勝、2位、3位、日本独占。2月26日、東証ダウ(今の日経平均)3,000円台、8月16日4,000円台、年末には5,000円台、良き年であった。
前年、昭和46年8月、ニクソンショックを受け、輸出関連業界の人々は、1$360円から、2月4日、東京外国為替市場は、1$307円70銭となり、関係の人々には、会合のその都度質問を受けた記憶がある。この年から、西日本同友会大会に参加をしたり、田中角栄総理の日本列島改造論が出て、名古屋地区も土地価格が上昇し始めた。特に川瀬代表幹事には、ロータリーを通じての関係もあり、特別声をかけて頂いた。
それから10年、昭和56〜57年頃、産業懇談会なるものが生まれた。初めはさほど良い企画とは思わなかったが、今思えば、個人個人のつながりが生まれ、現在、大変楽しい会になりました。語り易く、うち解けやすい、古い者も新しい者も一枚の名刺がつなぐ、食事、話に花が咲き、和気藹々となり、隣組の様な会に育っている。
時はいつ頃と聞かれると全く記憶が残っていないが、今から約30年〜35年前、同友会の会合で、今は亡き大隈鉄工の社長大隈孝一氏(第8代代表幹事)が、同友会はどういう会かと発言、私のいるテーブルを爆笑で包んだ時があった。ところが2〜3年前、私はその言葉の答えを自ら体験をする事が出来た。同友会の会合が金山の市民会館で行われた時、風の強い日で少々小雨がパラついていた。金山市民会館前の道路は出迎えの車でいっぱいである。私の車は前もって、こちら側はいっぱいになるので向側で待つ様にと伝えておいた。急いで向側に渡る為に、信号機の前に立って青信号を待つ。中々信号機は青にならない。その時、信号機に一番近い黒塗りの車から運転手さんがそっと電柱に近づいて、又車の中に消えた、まもなく信号機は青になった。私は急いで向側で手を振っている私の運転手のもとへ駆けて行く。さほど雨にも濡れず、車中の人となる。その時、私はふと、あの信号機は手動式なのだ、あのお迎えに来ていた車の運転手さんは、手動式を知らず待っている私の為、小雨が降っているのに、見知らぬ私の為、雨に濡れる事もいとわず信号機のボタンを黙って押してくれた。私は衝動を受けた、と共に、感動でした。その車の主はわからねど、その主なる人と運転手さんに心の中で手を合わせ、お礼と共に自らの幸せを感じた。長から運転手さんに至るまですばらしい教育ができている、我が社もかくありたいと教えられた。同友会はどういう会だ、大隈代表幹事の答えは、同友会はこういう会だと80歳の坂を越した私にその時つくづく教えられました。これからも同友会はこういう会だと数多く教えて頂く事を祈念している。
○その感動の日に近い私の日記に、
人口1億2,400万人、同一語、同じ考え方、同じ趣味を持つ、単一化した日本。経済発展をする為に必要な労働力にプラス、近代化の条件。
古事記、日本書紀、天皇の祖先、天ツ神、外から来た人。国つ神、土着の人。約1万2000年前から始まった縄文時代、人は狩猟採集をして生活していた。弥生時代に入って、稲作農業の技術を持った人が、大陸からやって来た。土着の人々と、生活をするようになった。渡来の弥生人が支配し、土着の縄文人が被支配者になった。長い年月を経て、混血し、単一民族化し、日本国家が生まれた。歴史、稲作、7000年前浙江省河姆渡(カボト)遺跡、絹も黒陶の土器の歴史も残っている。1万年前頃には揚子江流域で稲作が始まっていた様子。小麦農業も1万2000年前イスラエル地方で始まった。稲作農業、小麦農業、牧畜、如何に効率的に生産性を高めていくか、狩猟、探して取る、育て、作る。技術が探された、拡大される、都市文明が生まれた。道徳心が高い。日本だけではない。世界の国に比べて、犯罪が少ない、治安が良い。韓国も中国も台湾も、今、東アジアが世界で一番安全である。それは一人一人の道徳心が高いから、21世紀は東アジアの時代と言われる?本当に来るように思う。何故?労働観だけでも、欧州の西の文明とは大いに違う。ギルガメシュ叙事詩を見ると、神様は労働がお嫌い、だから、労働させる為に人間を創った。人間も又労働が嫌いで、奴隷をつくったとある。東アジアでは、神様も働く。日本、天照大神は田植えをし、機織りもした。私達は、働く事が好きな民族、働く事に神聖感を覚えるのか、それが東アジア人間の特徴である。日本の戦後の近代化はここにあった。21世紀の東アジアの時代もここにある。ややインフレ気味かもしれないが、長期の東アジア時代が期待できる。東アジアは日本以上の勤勉な民族だから。7世紀、聖徳太子、遣隋使という文化使節、日本の秀才を選りすぐって船に乗せて隋へ送り、その文化を持って帰ってきた。当時の船は、便も悪い、お粗末、半分ぐらいの人は死んでしまった。日本の優秀な人材を亡くした、それでも送り続けた。結果、日本は中国並の高い文化を持った律令国家になった。当時、日本は久しきにわたり、中国、インドから学んだ。中国、インドに追いつこうと努力をした。明治以降は、さらに西洋に学び、追いつき、今の近代国家日本が生まれた。
森鴎外曰く、これからの日本人、2つの足で歩け、1つは西洋の足、西洋の文化、科学技術を学べ。1つは東洋の足、東洋の知恵を学べ。新しい日本人になれ。
現実の社会は、人間は次第に神や宗教から離れようとしている。宗教を信じない、道徳も信じない、唯、欲望の塊になり、モノで栄えて心で滅びる。私の友、故薬師寺管主高田好胤は語っていた。
嘘をついていけない、人を殺していけない、基本的倫理が、日本の高成長、近代化の成功の裏で忘れられようとしている。道徳、儒教精神を忘れてはならない。
擱筆
産懇の益々の発展を祈って。思うがままに |