産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】 第178号 2017.3.31 発行

メールマガジン■産懇宅配便■

平成29年3月度(第178号) 目次
【29年3月度 産業懇談会(木曜G)模様】 3月2日(木) 9時00分〜18時30分
【29年3月度 産業懇談会(火曜G)模様】 3月14日(火) 12時00分〜14時00分
【29年3月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】 3月15日(水) 12時00分〜14時00分
【名古屋いちばん物語】 No.95
【新会員自己紹介】
高桑 政治氏

双日株式会社 中部地区管掌兼名古屋支店長

【4月度産業懇談会のご案内】
【5月度産業懇談会のご案内】
【お知らせ】
【コラム】
コラム1 【遊歩道】 No.4
コラム2 【保健師からの健康だより】 No.156
コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.101
コラム4 【苗字随想】 No.178
【29年3月度 産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ: 『 中部電力(株) 浜岡原子力発電所 視察会 』

日  時:平成29年3月2日(木) 9時00分〜18時30分
場  所:中部電力(株) 浜岡原子力発電所
      (静岡県御前崎市佐倉5561)
参加者:19名
紹介者:木曜グループ世話人 河村嘉男

 3月度の産業懇談会 木曜グループでは、中部電力(株) 浜岡原子力発電所を視察した。当発電所は、地震・津波対策の強化・重大事故などへの対策や、新規制基準への適合に向けて取り組んでいる。最新の知見を反映した安全性向上への取り組みを視察した。

 浜岡原子力発電所へ到着後、中部電力(株) 浜岡地域事務所 総括・広報グループ スタッフ課長の田原英二氏、同グループ スタッフ副長の清水隆氏、同グループ 主任の町田玲子氏にお迎えいただき、発電所の概要についてご説明いただいた。

■浜岡原子力発電所の防災対策について(中部電力(株) 田原課長より)
 当発電所は、従来から常に最新の知見を反映し、安全性向上に努めてきた。東京電力 福島第一原子力発電所の事故以降も、津波対策や重大事故対策などを自主的に進めるとともに、福島の事故を踏まえた新規制基準に対応する追加対策に取り組むなど、安全対策を積み重ねている。
 原子力発電所の安全を守る基本の3ステップは「1.止める、2.冷やす、3.閉じ込める」だ。地震が発生すると、まず原子炉に制御棒が挿入され、自動停止となる。しかし、原子炉は止めただけでは燃料から熱が発生し続けるため、原子炉への注水などによって原子炉内の燃料を冷やし続け、放射性物質を閉じ込めることが重要だ。福島第一の事故では、このうち冷やすことに失敗し、最終的に放射性物質を閉じ込めることができなかった。
 浜岡では、こうした「1.止める、2.冷やす、3.閉じ込める」の機能を確保するため、原子炉建屋を岩盤に直接設置することで、地震の揺れに強い剛構造としている。当地域は、南海トラフ巨大地震などの発生する可能性が示唆されているが、想定される地震動に対し確実に耐震性を保てるようなハード的対策を施している。また、完成した防波壁をはじめ、敷地内への浸水を防ぐ対策を施している。防波壁は総延長約1.6kmで、高さは海抜22mに及ぶ。岩盤の中から立ち上げた鉄筋コンクリート造の基礎の上に壁を立てており、地震や津波に強い構造である。仮に、津波が防波壁を越えた場合でも、原子炉建屋外壁などの耐圧性・防水性の強化をはじめとする対策を実施しており、原子炉建屋に水が入らない工夫がある。

 また、どれだけハード面でしっかりとした対策をしても、いざ災害が発生したときに対応するのは人である。設備を強化するだけでなく、最終的にそれらを扱うのは人であるという考えのもと、「現場対応力の強化」に全力で取り組んでいる。 木曜グループ 写真1
【お話しされる田原課長】

■浜岡原子力発電所内視察
 概要説明の後、厳重なセキュリティチェックを受け、原子力発電所内部を視察した。最初に赴いたのは、防波壁である。高さ海抜22m・長さ約1.6kmに及ぶ長大な壁で、地震の際の津波を防ぐ。万が一の事態に備え取り付けられた巨大な強化扉・水密扉についても現物を目の当たりにした。重さが約40tもある強化扉を、電源喪失の可能性を考えて人力で動かすように設計しているというから、驚きだ。
 万が一、福島第一と同様に冷やす機能を失った場合も想定し、電源供給・注水・除熱について複数の代替手段を講じている。視察では、海抜40mの高台にあるガスタービン発電機の建屋や、注水のための貯水槽、更には緊急事態に備えての電源供給車や注水機能を持つポンプ車など、冷やす機能を確保するため多重化・多様化された取り組みを見ることができた。

 最後に、河村世話人代表より御礼の挨拶が述べられ、視察会を終了した。

木曜グループ 写真2
【御礼挨拶をされる河村世話人代表】
木曜グループ 写真3
【集合写真】

>>目次へ

【29年3月度 産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ: 『 我が社のODA(政府開発援助)事業における
                 発展途上国での建設工事の取り組み 』

日  時:平成29年3月14日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:23名

スピーカー:
細畠 秀雄(ほそばた ひでお)
徳倉建設株式会社
取締役副社長執行役員営業本部長

細畠 秀雄氏

■徳倉建設(株)のご紹介
 当社は、昭和22年4月に現在の西尾市(旧 一色町)で創立された、総合建設業者である。現在は、本社を名古屋市中区へ移し、中部地域を中心とした国内及びODA(政府開発援助)関係の海外での建設工事業を手がけている。
 当社の起こりは、昭和20年の終戦直後までさかのぼる。日本海軍の海兵中尉であった創業者の徳倉正志氏が、南方トアール諸島のマイコール海軍基地の勤務から一色町へ帰郷。昭和21年に徳倉組を発足させた。昭和24年の合併を経て、徳倉建設株式会社としてスタートした。
 昭和34年の伊勢湾台風により、中部地域は甚大な被害を受けた。この台風からの復興事業で当社は力を大いに発揮し、その後の発展の礎をつくった。建設会社は、災害などの有事の際に真価を発揮する。その意味で、東南海地震などのリスクを抱える当地域において、地域を支える建設会社の存在感は小さくないと考える。

■徳倉建設(株)の海外進出
 当社の海外進出は、昭和49年に南米ブラジル サンパウロに事務所を開設したことにはじまる。石切場とともにスタートさせたのが、養鰻場である。創業の地である一色町で養鰻がさかんなことに加え、当時のブラジルには日本からの移民が多く、ニーズもあると考えて推進させた事業だ。残念ながら養鰻場事業はうまくいかず撤退したが、現在でも同拠点はサンパウロ事務所として継続している。
 昭和51年には、エクアドル グアヤキル支店の開設を契機に本格的に海外工事に進出。エクアドル最大のグアヤキルの港湾施設工事のため、浚渫船 徳寿丸を同国に派遣した。先代は海軍出身ということもあり、海洋への相当なこだわりを持っていた。堤防復旧や港湾改修で浚渫工事のレベルアップに伴い、船舶関連で飛躍的な発展を示し、今日の海外事業発展の礎をつくった。

■ODA(政府開発援助)について
 我が国も終戦間もないころ、世界各国から医療・食糧・日用品などの援助物資を受け、世界銀行からの借り入れで黒部ダム・新幹線・高速道路などのインフラを整備した。そのお返しとして、高度経済成長とともに日本の他国へのODAは本格化。1991年から2000年までの10年間、日本は世界最大の援助国であった。近年は国家財政が厳しく、徐々に順位を落としつつあるものの、引き続き高い地位を保っている。
 日本のODA支援分野は社会インフラである病院など医療施設、上下水道整備、道路・鉄道・港湾などの運輸インフラ整備、発送電などのエネルギー設備など多岐にわたっており、当社も深く関与している。
 ODA関連事業には、海外特有の様々なリスクがある。代表的なものが為替リスクで、プロジェクトの収益性に大きな影響を与える。ほかにも「ランプサム契約」という仕様変更・追加工事に対して請求ができない契約もあり、対策に大いに頭を悩ませるところだ。免税手続きをしても税金が還付されないなど、発展途上国ならではの行政的リスクもある。

■徳倉建設(株)のODA関連事業
 これまで、世界19ヵ国において様々な工事を請け負ってきた。全てがいわゆる発展途上国におけるもので、日本では考えられない苦労をしてきた。ガードマンロボットの盗難対策や、工事中のクーデター発生、建設用重機の燃料盗難対策などである。
 一方で、やはりODA関連ゆえ、病院などの医療インフラを整えることは非常に意義深い仕事であるし、建設した学校を運営する日本人校長の優れた教育方針が途上国へ貢献する様子を見て、大いに励まされることもある。
 日本国内の建設市場が縮小する中、現在は東京オリンピックなどの大型プロジェクトが多く仕事は手一杯の状況である。しかし、オリンピックが終了すると、建設業界は非常に厳しい状態になると考えられる。このため、同業他社も海外戦略なくして成長はありえないと、積極的に海外進出をしている。
 当社も、飢えや貧困に苦しみ、教育や医療を満足に受けられない発展途上国のために少しでも貢献できるよう、半世紀にわたる海外工事の実績を活かしODA関連工事を中心として、さらなる海外工事の推進へ向かいたいと考えている。


>>目次へ

【29年3月度 産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ: 『 技術者の人材マネジメントと開発上流工程に関する日中韓比較 』

日  時:平成29年3月15日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 2階 曙の間
参加者:23名

スピーカー:
徳丸 宜穂(とくまる のりお)
名古屋工業大学大学院工学研究科
社会工学専攻経営システム分野・産業戦略デザインスクール 准教授

紹介者:
水曜第1グループ世話人 淺井博司

徳丸 宜穂氏

■自己紹介 および 比較調査研究の狙い
 名古屋工業大学において「日本経済・産業をどうするべきか」を念頭に、下記の研究を進めている。

  1. 北欧福祉国家の社会経済とイノベーションの研究
  2. ベトナムに進出している日系製造業の調査研究
  3. 開発技術者の組織・人材マネジメント研究
 大学では、通常の学部・大学院に加えて、社会人修士の1年コース(産業戦略デザインスクール)も担当している。多様なバックグランドを持つ社会人学生が一般の修士課程学生と共学するユニークなコースである。皆さんの会社でもぜひご検討いただきたい。

 われわれのこれまでの研究で、日中韓の3か国において、製品・システムのコンセプトを具現化していく下流工程の違いは下記のように明確化できている。

  • 日本企業‐問題解決の組織力が高く、現場レベルで互いに助け合う風土がある。
  • 中国企業‐比較的単純な製品開発に適合している。
  • 韓国企業‐現場組織力に難点を抱えている。

 一方で、製品・システムのコンセプトを創り出す上流工程において、日中韓3か国それぞれの強み・弱みはどこにあるのか。特に日本企業はどのような特質を持つのか。先行研究のないこの問いに答えを下したい。

■日中韓比較の調査結果
 2015年に、日中韓の製品・ソフトウェアを開発する企業にアンケートを実施し、各国企業の開発上流工程における違いを明らかにした。
 まず、中国企業は大量に人材を投入し、開発期間を短くする「人海戦術」を採用している。前後の工程を重ねる「コンカレント・エンジニアリング」も少なく、流れ作業に近いイメージだ。一方で日本と韓国の企業は、延べの開発期間が平均2年を超えており、前後の工程もかなり長く重なるという特徴がある。
 次に、製品を開発するための市場情報の入手にも差が出た。日本企業は比較的限られた情報源からのみ有益な情報を得ており、市場の視点が開発に入りにくい可能性がある。一方で、中国・韓国は幅広い情報源を持っているようだ。
 製品のコンセプトづくりにも特徴がある。韓国・中国は製品企画担当者が「経営企画」側に近いが、日本では「技術者」寄りになっている。さらに、日本においては製品開発エンジニアが、本来の職務を越えて「アイデア出し」「試作・検証」まで主導する傾向がある。日本式の開発の仕方は、工程間のすりあわせには有利な一方で、アイデア出しなどの上流工程に企業外部の情報が入りにくい可能性がある。
 製品の開発主導者についての処遇も調査した。日本は、製品開発の成功・失敗に基づく処遇への影響が小さい。中国は、成功・失敗ともに影響が最も大きい。韓国は、成功の場合の処遇向上は少ないが、失敗した場合の処遇へのマイナス影響が大きい。韓国における技術者の扱いは、不満の種になっている可能性がある。

■まとめと課題
‐日本企業
 製品開発エンジニアが開発の全工程を主導するパターンは、開発工程間の調整に有利でいわゆる「すりあわせ」型の製品開発に向いている。ただし、市場情報がコンセプト創出の最上流工程に入りにくい可能性が高い。マーケティング・営業の職務経験が少ない開発エンジニアのキャリアパスも問題だ。エンジニアの心構えではなく、組織慣行に根差した根深い問題である。

‐中国企業
 市場情報を入手するのに適した組織体系である。開発は流れ作業的・人海戦術で、比較的単純な製品をつくるのには向いている。しかし、製品開発工程間の調整・統合が難しく、今後「すりあわせ」型製品の開発を指向するようになると、問題になるだろう。

‐韓国企業
 市場情報を入手するのに適した組織体系である。しかし、日本企業と比較すると製品開発工程間の調整・統合に難がある。韓国企業は日本と同様の「すりあわせ」型を指向しており、今後大きな問題になるはずだ。また、エンジニアへの処遇が厳しく、不満がたまっている可能性がある。

‐まとめ
 各国とも「外部情報にも内部調整・統合にも強い組織をつくる」という共通の課題に直面しているが、直面の仕方が違う。日本企業の課題は、外部情報の導入強化だが、それは単なる「心構え」の問題ではなく、技術者のキャリアパスや開発組織の在り方など、より根深い本質的な問題をはらんでいる。中国は、人海戦術・流れ作業ゆえ単純製品の開発には向いているが、今後の方向性を検討しなければならない。韓国は一番立ち位置が難しい。日本と同様の複雑な製品開発を指向しているが、内部調整・統合に最も不向きな組織になっている。
 今後も、様々な企業への聞き取り調査などを通じて、研究を進めていきたい。


>>目次へ

【名古屋いちばん物語】 No.95


テーマ: 『 「住吉の語り部となりたい」 シリーズ第72回 』

料亭つたも主人
深田正雄(栄ミナミ地域活性化協議会)

栄ミナミ早咲き桜まつりとシネマキャラバン

 栄ミナミでは、「栄ミナミ桜を育てる会」(米田行孝会長)がリードして一昨年から早咲き桜を植え、今月で117本植樹しております。将来は名古屋駅まで三蔵通り沿いを桜並木でつなぐ構想で、新しい桜の名所を目指して活動しています。
 今年3月10日より、桜もち誕生300周年祭を記念して、「栄ミナミ早咲き桜まつり」を実施、11日には名古屋生菓子組合青年会が2000個の桜餅をナディアパークで無料配布するなど楽しいイベントが28日まで開催されました。グランプリ大会では、栄地区31レストランが「桜メニュー」を、市内50店舗の菓子店が「桜デザート」を提供し、大いに盛り上がりました。
 この企画は、桜関連の食材を扱う商社、山眞産業(株)平出眞代表が1月に提案され、準備期間もなく、苦慮しました。しかし、私たちのポリシー「何でもやってみよう」のチャレンジ精神で支援、日本さくらの女王、大村知事、河村市長にも登場いただき、素晴らしい話題作りができ、感謝しております。
 来年以降も継続して地域の催事として根付くことを祈念しております。

住吉 写真1
桜まつりパンフレット
主催:栄ミナミ早咲き桜まつり実行委員会
代表:山眞産業(株)平出眞社長
http://sakura-sakaem.nagoya/
住吉 写真2
ナディアパークイベントで日本さくらの女王と河村たかし市長
名古屋生菓子組合青年会の主催で桜餅2000個配布、平安桜のライブも大好評

 地域活性化のために、イベントを毎年継続開催し、定例化して「街づくり催事」として、定着させることには地元の理解、採算性、ボランティア、スポンサー、公的機関の協力など多くの課題をクリアしていかなければなりません。お陰で栄ミナミでは音楽祭・ど真ん中まつり、歩行者天国・・・定着したイベントとして毎年リピートし観光事業化となりつつあります。

 しかしながら、アイデアは素晴らしいが諸般の事情で現在継続できなくなった催事も多くあります。ここに、将来の再開を楽しみにシネマキャラバンプロジェクトを紹介したく思います。

 東北大震災の影響もあり、矢場公園の屋外スケートリンクNAGORIN開催ができなくなり、2012年9月頃に何か冬にイベント開催を検討していました。丁度、湘南の若い女の子・料理研究家「河田真知子」さんからの要請で、突如、オシャレな栄ミナミ・矢場公園にて食と映画のイベントを開催したいとの意向にビックリ!!関東のナウいファッション界の若手から、栄ミナミでどうしてもとの要望に嬉しいやら、当惑するやら。地元は10月開催の第2回グルメグランプリ“NAGO-!“準備で大わらわ・・・シネマ企画への対応が全くできない状況でした。

住吉 写真3
中日新聞パブリシティ 2012年11月1日朝刊 実行委員長・河田真知子さんインタビューと企画紹介

 「協力・栄ミナミ地域活性化協議会」とは名ばかりで、資金面や運営面では十分な支援もできませんでしたが、湘南の若手数名が来名して大奮闘、ビッグイベントを実現されました。11月3-4日の週末、矢場公園では約50年ぶりの屋外映画、シネマキャラバンのお洒落な上映会として開催。寒さにもかかわらず初日は1500名、2日目は3000名もの粋な若者たちで賑わいました。実は、この公園での映画会はおよそ50年振り、伊勢湾台風前には昼は「紙芝居」や屋台・仮設市場、そして、夜には町内会主催の屋外映画があり、私もそろばん塾(東海算盤)の帰りにアイスキャンディを舐めながら友達と遊んだ思い出のパークでした。

 「Play with the Earth」をテーマに、湘南を拠点に地球の様々な場所に行き、 そこに暮らす人々との交流からアイデアや価値観を共有し、その想いを未来に 繋げていく移動式映画館「シネマキャラバン」。都会のオアシス矢場公園が二日間だけ非日常的な空間となり、視覚にも味覚にも美味しいイベントとなりました。

住吉 写真4
シネマキャラバン・矢場公園でのオシャレなフードテント、素晴らしい照明

 食では、湘南・葉山在住の料理研究家、有本くるみ氏が東海地方の食材をふんだんに使い、食のカルチャーエクスチェンジに挑戦。また東海の飲食ブースも多数出店。 映画は、ロードムービーの名作「バグダッド・カフェ」や、伝説的アーティスト、ボブ・マーリーのドキュメンタリー「ボブ・マーリー / ルーツ・オブ・レ ジェンド」を野外上映。
 公園でカッコいい帆布のシートに腰をおろし、ホットワインを飲みながら、毛布にくるまり仲間と鑑賞したバグダットカフェは素晴らしい思い出となっています。
住吉 写真5
矢場公園での上映会:全国から粋な若者大集合、50年ぶりの屋外映画

 翌年、2013年11月2-4日第2回シネマキャラバン開催に協力、矢場公園でお洒落な屋外映画上映、そして、屋台テントで各地からのゲストを「おもてなし」いたしました。

 かつては暗い場末のイメージだった矢場町界隈がこのころより、わが国でもオシャレな栄ミナミとして脚光を浴びるようになりました。
 しかしながら、2014年には資金面の手当てがつかなかったようで、河田さんから再開の要請がなくなり、とても寂しく思っています。戦後まもなく、栄といえば映画街で賑わった街、なんとかシネマキャラバンさんの復活を鶴首待望する次第です。

>>目次へ

【新会員自己紹介】

高桑政治氏
木曜グループ

高桑 政治(たかくわ まさはる)
双日株式会社
中部地区管掌兼名古屋支店長

【双日株式会社】
〒460-0003 名古屋市中区錦1-10-20 アーバンネット伏見ビル2F
TEL:052-202-3000
URL:http://www.sojitz.com

 本年3月1日付にて双日株式会社 中部地区管掌兼名古屋支店長として着任致しました。
 私自身は地元岩倉市出身で、滝学園中学及び高校を卒業しております。
 1981年日商岩井株式会社に入社してLNGビジネスに長年に亙り従事してきました。
 初めてインドネシアLNGを伊勢湾(知多)に入れさせていただいて以来、中部電力株式会社、東邦ガス株式会社及び関係会社の皆様には大変お世話になっております。
 今後はできる限り本会を通して色々な分野の皆様と交流をさせていただきたいと思っております。
 今後とも、宜しくお願い致します。

>>目次へ

4月度産業懇談会のご案内
木曜グループ以外は、名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

4月11日(火)
12:00〜14:00
『名古屋ボストン美術館 見学会』
「歌川広重 東海道五拾三次展」
(三菱東京UFJ銀行貨幣資料館所蔵)
名古屋ボストン美術館  馬場駿吉館長 ご講話
ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋
5階 ローズルーム
(現地集合)
水曜第1グループ

淺井博司
飯田芳宏
落合 肇

4月19日(水)
12:00〜14:00
東海東京フィナンシャル・ホールディングス(株)
顧問 岡部 聰氏
『新興国での事業展開のポイント』(仮)
18階
伊吹の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

4月12日(水)
12:00〜14:00
ポッカサッポロフード&ビバレッジ(株)
取締役執行役員営業本部本部長 加藤 淳氏
名古屋戦略部 福 政彦氏
『レモン大学』
18階
伊吹の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

4月6日(木)
12:00〜16:40
『東レ(株)オートモーティブセンター 視察会』
東レ(株) 名古屋支店長 遠藤 正人氏
18階
伊吹の間
(バスで移動します)

>>目次へ

5月度産業懇談会のご案内
名古屋観光ホテルでの開催です。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ

富田 茂
広井幹康
深田正雄

5月9日(火)
12:00〜14:00
山眞産業(株)・花びら舎
代表取締役 平出 眞氏
『桜もち誕生300年、桜文化を語る』(仮)
18階
伊吹の間
水曜第1グループ

淺井博司
飯田芳宏
落合 肇

5月24日(水)
12:00〜14:00
応用地質株式会社
執行役員中部支社長 井出 修氏
『災害を抱える国土の深層〜真相は地下にあり〜』
3階
桂の間
水曜第2グループ

片桐清志
大倉偉作
見祐次

5月10日(水)
12:00〜14:00
三井不動産株式会社中部支店
支店長 河津 弘幸氏
三井不動産株式会社 S&E研究所
佐々木 誠氏
『活気ある都市センターを創る』(仮)
2階
曙の間
木曜グループ

河村嘉男
倉藤金助
田憲三

5月11日(木)
12:00〜14:00
フリーアナウンサー
パーソナルプロデューサー 生田 サリー氏
『世界から見た日本』
18階
伊吹の間

>>目次へ

【お知らせ】

産業懇談会メールマガジン配信について

○メールマガジンの配信は無料です。配信をご希望でない方はお手数でも下記ボタンを押して、メールをご返信いただければ幸いです。ご意見などございましたら、そのメールにお書き下さい。

メールマガジンの配信を ○希望しない

○2016年6月24日より、本メールマガジンの運用ルールを明確にさせていただき、本会をご退会された方は自動的に配信を停止させていただくことといたしました。誠に勝手ながら、ご了承くださいますようお願いいたします。
なお本メールマガジンは、中部経済同友会ホームページ「産懇宅配便ポータルサイト」からすべてのバックナンバーをご覧いただけます。ご退会後はウェブ上で引き続き閲覧いただければ幸甚に存じます。

>>目次へ

【コラム】

コラム1 【遊歩道】 No.4
遊歩道

ミックインターナショナル株式会社
代表取締役 九鬼綾子

非日常での国際交流のひととき

 年を重ねるにつれて楽しいこと、心が満たされること、ほんの少しの時間でも浸りたいことが変わってくる。物事を知るにつけ触れるにつけ、よりそういった感情が増してくる。どんな文化でもその国で熟成されてきた歴史や表現されたものの側面を知ることも楽しいこと。勿論色々な欲が満たされるようなうんと世俗的なものも興味深いものが沢山ある。しかしながら、やはり日本の文化について思う時、時代の荒波を渡りながら様々な日本文化が現在の形になって継承されてきたことは、言ってみれば有難いことだなあと思う。文化を継承してきた我々の先祖の深い教養、ユーモアの精神、繊細な観察力、色彩の感覚、斬新なデザイン、デフォルメの感性、手先の器用さ、技術力・・等々尊敬の一言である。

 当然のことであるが、いくつかの日本文化において、私の居場所は、末席中の末席・・、ほとんどのものにおいては門の外にしかない。不勉強で至らない自分にがっかりするばかりであるが、何か一つでも知らないことを知っただけでもちょっと楽しい気持ちになる。

 そんな中で20代から一番最近は2年前まで、着物を着て、着物文化を国内外において諸外国の方々に見て頂く国際・国内交流の場に参加する機会にめぐまれた。普通に着物を着てどこかに行く日常とは別な、いつもの仕事の顔や家庭での顔から離れた非日常の場である。国内では、グラバー邸、国際センター、各国大使館関係、会議でのアトラクションとしてなど。海外ではサンマリノの劇場、シシリー島のオペラ座、モナコのオテルドパリ、イスタンブールの大ホール、パリの日本大使館を始め米国などの大学の国際交流プログラム等。会場の大きさや観客の皆様も様々で、発表の形も十二単の着装(実際に十二単を着せるところを見せる)、帯を花の形に結びあげる花結びのパフォーマンス、ショーアップしたステージなど色々な形で、着物文化の紹介の一役を担うことができた事は嬉しいことである。企画から何度もステージの練習を繰り返し、当日を迎え、全て無事に終了をして大きな拍手を頂いた時、何にも代え難い達成感で一杯となる。一期一会の一瞬。こういった楽しみは年齢的にも限界に近いので、これからは、少し枯れた世界で、色々な方々と交流することができれば新しい楽しみがみつかるかなと思っている。

遊歩道 写真1
【十二単の着装】
遊歩道 写真2
【イスタンブールでショーの終了後】
遊歩道 写真3
【シシリー島での楽屋にて】
遊歩道 写真4
【出番直前】

>>目次へ

コラム2 【保健師からの健康だより】 No.156
保健師からの健康だより

株式会社 スズケン
保健師 鳥巣 妃佳里

『 がんを治る病気にするためには 』

 今年の春は「寒の戻り」や「花冷え」と言うにふさわしい、冷え込む日が多いですね。そのためか昨年よりも桜の開花や満開予想日が遅めで、名古屋では学生さんたちの入学式頃(4月6日前後)にちょうど満開を迎えるという予測がされています。華やかな桜吹雪の中で新しい門出を迎えられたら、これからの一年間を元気に過ごす力が湧いてきそうですね。

 少し前に医療分野でも喜ばしいニュースがありました。今年2月、国立がん研究センターは、がんの相対生存率(以下、生存率と記載)が上がっているという調査結果を公表しました。今回は2000〜2003年の4年間にがんの診断治療を受けた人のうち一定の基準を満たした45,359例で10年生存率を、2006〜2008年の3年間に同条件を満たした121,263例で5年生存率を集計しています。その結果、がん患者全体の5年生存率は69.4%(前回調査では63.1%)、10年生存率は58.8%(同58.2%)という結果が出ました。がんは進行度に応じてステージ1〜4に分類されますが、そのすべてを押しなべて集計したのがこの値です。がん検診で早期発見・診断が可能ながんについて、それぞれの生存率を部位別・ステージ別にみると以下のようなります。

  胃がん 大腸がん 乳がん 子宮がん 肺がん
5年
生存率
10年生存率 5年
生存率
10年
生存率
5年
生存率

10年
生存率

5年
生存率
10年
生存率
5年
生存率
10年
生存率
全症例 74.50% 67.30% 76.30% 69.20% 93.60% 81.70% 86.40% 81.90% 44.70% 32.60%
ステージ1 98.10% 93.90% 98.90% 95.30% 100% 95.00% 95.70% 93.80% 83.80% 68.30%
ステージ2 66.40% 55.80% 91.60% 81.50% 95.70% 86.20% 87.80% 76.50% 50.10% 28.80%
ステージ3 47.30% 38.10% 84.30% 74.30% 82.60% 54.70% 70.90% 57.10% 22.40% 16.00%
ステージ4 7.30% 7.00% 19.60% 8.30% 34.90% 14.50% 15.50% 9.30% 4.80% 3.40%
(国立がん研究センター:全がん協加盟がん専門診療施設の診断治療症例について 
5年生存率、10年生存率データ更新2017.2.16より作成)

 ステージ1で診断治療に入ると、肺がん以外は10年後も10人中9人以上が生存しています。けれどもステージ4で診断治療に入ると、乳がん以外は10年後には10人中9人以上が亡くなっているという結果です。30〜40年前であれば、「がん=死」というイメージは強かったと思いますが、いまはがんの治療法も進歩して「がんは慢性疾患の一つ」と言われる時代になりました。その恩恵を受けるためには早期発見・早期治療がなによりも大切です。がんは初期や早期の時期には自覚症状がないことが多いので、1〜2年に1回は検診を受けていただくと早期に発見・対応することができるようになります。

 持っているうちは気が付かないけれど、失って初めてその大切さに気付くものの一つが「健康」です。新しい年度を迎え、新しい環境や仲間、活躍の場が広がる方も多いと思います。ご自身のため、そしてご家族など自分にとって大切な方たちのためにも1〜2年に一度はがん検診を活用して、これからも元気にご活躍いだければと思います。

がん検診 愛する家族への 贈りもの
厚生労働省「がん検診50%達成に向けたキャッチフレーズ」より

>>目次へ

コラム3 【「ほん」のひとこと】 No.101
コラム【「ほん」のひとこと】

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

ビッグデータと人工知能 』
西垣通著・中公新書

 いま世界は、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉に振り回されています。2045年を過ぎるとAI(人工知能)が人間の知能を凌駕するというのです。この難問に対して、著者は明確でわかりやすい解答を与えてくれています。
 詳細はお読み頂くとして、本書の主張は、人間より賢い人工知能がわれわれから仕事を奪い世界を支配するなどという脅し文句に惑わされることなく、人工知能(AI)を人間機械化の道具にせず逆に知能増幅(IA)技術と集合知を駆使して着実に未来をひらけ、というものです。その根幹には、生物と機械の境界線を追求する、人間としての知性があります。
 人間機械論の背後には、「長いユダヤ=キリスト教の伝統でつちかわれた普遍主義、ロジカルな真理を地上で実現しようとする強烈な理想主義がある」が、「一歩まちがえると、高い理想主義は恐ろしい抑圧と独善をうむこともある」と警告しています。

>>目次へ

コラム4 【苗字随想】 No.178
コラム【苗字随想】

片桐清志

「しこ名」あれこれ(2)

 先月は戦後の横綱と本名(苗字)の関係に着目してみた。今月はもう少し時代を遡り明治以降の歴代横綱と本名(苗字)の関係を追ってみた。
 明治元年時点の横綱は11代横綱の不知火光右衛門(シラヌイコウエモン)で、就任は1863年なので江戸末期だが、引退は1869年(明治2年)だ。本名は近久(チカヒサ)、旧姓は原野(ハラノ)だ。なお境川部屋入門時点でのしこ名は殿(しんがり)で、不知火のしこ名は入幕時のものだ。ちなみに不知火のしこ名の横綱としては1840年に就任し、1844年に引退した8代横綱不知火諾右衛門(シラヌイダクエモン)がいる。
 続いて登場する12代横綱陣幕(ジンマク)は江戸時代最後の1867年1月就任だが1867年11月には引退している。陣幕の本名は石倉(イシクラ)だ。明治になって最初に誕生する横綱は13代横綱の鬼面山(キメンザン)で、1869年2月のことだ。鬼面山の本名は田中(タナカ)で岐阜県養老町出身だ。
 14代横綱境川(サカイガワ)の本名は宇田川(ウダガワ)だが、のちに市川(イチカワ)を名乗っている。15代横綱の梅ケ谷(ウメガタニ)の本名は小江(オエ)だ。梅ケ谷は郷里の地名で、現在の福岡県朝倉市にある。なお20代横綱のしこ名も梅ケ谷で、こちらの本名は押田(オシダ)で、梅ケ谷は親方(初代梅ケ谷・引退後は雷)が命名し、入門時からのものだ。
 16代横綱西ノ海(ニシノウミ)の本名は小園(オゾノ)だ。西ノ海のしこ名の横綱は25代目と30代目の計3人いる。25代目の本名は牧瀬(マキセ)で、のちに近藤(コンドウ)を名乗っている。初代西ノ海引退後の井筒親方から勧誘され入門、当初は出身地の種子ケ島(タネガシマ)をしこ名にしていたが、関脇時代に西ノ海をしこ名にしている。30代目の本名は松山(マツヤマ)だ。こちらは2代目西ノ海の勧めで井筒部屋に入門、初土俵時のしこ名は源氏山(ゲンジヤマ)で、横綱就任時も源氏山だったが翌場所から西ノ海のしこ名に変更している。
 17代横綱小錦(コニシキ)の本名は岩井(イワイ)だ。しこ名のフルネームは小錦八十吉(コニシキヤソキチ)だが、我々には元大関でタレントの小錦八十吉の方がおなじみかもしれない。18代横綱大砲(オオヅツ)の本名は角張(カクバリ)、19代横綱常陸山(ヒタチヤマ)の本名は市毛(イチゲ)、21代横綱若嶌(ワカシマ)の本名は加藤(カトウ)、22代横綱太刀山(タチヤマ)の本名は老本(オイモト)だ。太刀山のしこ名の命名者は板垣退助だというから驚きだ。

>>目次へ




【平成29年3月号編集後記】

 3月は卒業のシーズンだ。街中やホテルで袴姿の女性の姿が目立つ。日本語の「卒業」は修了の意味合いが強く、学生生活にピリオドを打つイメージが漂う。これに対し、英語で卒業を表現する「Commecement」には「始まり」も意味しているという。節目の捉え方が洋の東西で異なる一例だろう。いずれにせよ人生の大きな転機であることは同じだ。
 先日、ユニークな卒業式の新聞記事を目にしたのでご紹介したい。見出しは「校長先生2度目の卒業」で、愛知県立昭和高校の出井良直校長の定年退職に際して、教え子たちが企画したものだ。いつもは生徒を送り出す側の校長を教え子たちが送り出すというユニークな卒業式を提案したのは、同校の卒業生で教師になった北浦陽介さんだ。しかも出井先生の恩師で、同校の元校長藤原正美さんも同席し、出井校長に「卒業証書」を渡した。出井校長は藤原先生に憧れて教師になり、その背中を追いかけてきた。企画した北浦先生も出井先生に感化されて教師になった。北浦先生は「社会で通用する力がある人を育てたい」との思いで教壇に立ち、「(出井)先生のように生徒の気持ちがわかる人になりたい」とコメントしている。2度目の卒業式の最後には、奥さんや子供さんの見守る中で集まった教え子たちが感謝の胴上げを行った。
 教育の現場では、教える側の情熱が生徒に与える影響は大きい。先生と生徒のしっかりとした信頼関係が素晴らしい人づくりにつながる好例だろう。

 今月はもう一つ素晴らしい生徒の反応に出会えたので、それも紹介したい。熊本地震から間もなく1年が経過する。全国の経済同友会では東日本大震災時に行った「IPPO IPPO NIPPON」のノウハウを活用して、いち早く熊本の教育環境の支援を行った。先日、当社社長に熊本の生徒からお礼状が届いた。
 電子顕微鏡を支援した県立熊本工業高校材料技術科の2年生からは、自慢の電子顕微鏡が震災後使用不能になり、やむなく光学顕微鏡で代用していたが限界があり専門的実験を諦めていたが、いち早く電子顕微鏡が届けられ人工ルビーの結晶のミクロ観察をした時の感動が便箋3枚にびっしりと綴られていた。またコンピュータ機器一式を贈呈した同校電気科の生徒からは、被災後使えそうな機器をかき集めた状況下で不自由だったプログラミング実習やCAD授業が飛躍的に改善された喜びが丁寧に書かれていた。
 肉加工充填機(スタッファー)を贈呈した県立菊池農業高校食品化学科の2年生からの礼状には、恒例となっている文化祭で例年どおりソーセージやポークハムを地域の皆さんに食べてもらえた喜びと今後の決意が込められていた。高圧洗浄機を贈呈した同校畜産科学科の1年生からの礼状には、地震で子牛が骨折するなどの被災模様とその後の畜舎の衛生環境保持の困難さ、それに伴う病気の発生の懸念が臨場感あふれる表現で綴られ、贈呈された高圧洗浄機の活躍ぶりを伝えていた。
 当社へ届いた礼状は以上の4通だが、いずれも正確な文字と丁寧な書体で書かれている。共通しているのは支援のスピードに対する驚きと感動だ。実業高校では実験や実習は生命線だ。3年間という限られた時間で立ち止まっている余裕はない。「IPPO IPPO NIPPON」に参加した企業には、おそらく生徒が手分けして各社に送ったと推察される。スピーディーで目に見える支援は、支援先に想像以上の大きな感動や感謝を呼び起こした。今後もまだまだ多くの苦難が待ち受けているだろうが、今回の被災体験と支援の輪から学んだものは一生の宝だ。こうした体験を乗り越えた彼らの卒業後の活躍が楽しみだ。

(片桐)