産業懇談会【メールマガジン 産懇宅配便】第83号 2009.4.28発行

 メールマガジン■産懇宅配便■

平成21年4月度(第83号) 目次
産懇宅配便
【21年3月度産業懇談会(火曜G)模様】 3月3日(火) 12時00分〜14時00分
【21年3月度産業懇談会(水曜第1G)模様】 3月18日(水) 12時00分〜14時00分
【21年4月度産業懇談会(木曜G)模様】 4月2日(木) 12時00分〜14時00分
【21年4月度産業懇談会(水曜第2G)模様】 4月8日(水) 12時00分〜14時00分
【21年4月度産業懇談会(火曜G)模様】 4月14日(火) 12時00分〜14時00分
【21年4月度産業懇談会(水曜第1G)模様】 4月15日(水) 12時00分〜14時00分
【新会員自己紹介】
清水 眞男氏 株式会社シーテック 取締役社長
中村 和世氏 ローレンシャンスクール 校長、Laurentian&Company株式会社 代表取締役
【5月度産業懇談会開催日程】
【6月度産業懇談会開催日程】
【お知らせ】
【アートコーナー】
【コラム】
コラム1 『花ちゃんからの健康だより』
コラム2 『理念経営物語』
コラム3 『「ほん」のひとこと』
コラム4 『苗字随想』

【21年3月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ『 我社が手掛ける非開削技術 』

日  時:21年3月3日(火) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:14名

スピーカー:
中村 陽公(なかむら よしゆき)氏
(株)中村土木建設 代表取締役

中村 陽公氏

1.(株)中村土木建設と非開削技術
  私が株式会社中村土木建設に入社した翌年(平成二年)、一般土木を手掛ける工事会社のままでは将来が無いと思い売上が約9000万円の時に5500万円もする小口径管推進工法ケコムマシンを購入し、非開削技術の特殊工事を始めた。非開削技術とは、具体的には道路上からショベルなどで掘ってパイプを埋設するのではなく、モグラのように地中で必要最小限の掘削をしながらパイプを押し進める推進工法や既設のパイプを使用しながらリニューアルする管更生工法のことを言う。道路上からショベル等で掘削をする開削工法の場合、交通への支障、工事による振動・騒音、舗装道路へのダメージ、膨大な建設発生土、支障移転による公共サービスの損壊、植木や植物の損傷、天候による作業遅延、営業店舗へのアクセス妨害等たくさんの支障がある。それに比べ非開削工法で施工をすると交通阻害の排除・建設発生土の減少(CO2削減)、騒音・振動などの近隣住民の不満を解消、社会コストの低減が図れるなど多くのメリットがある。

2.非開削技術の歴史と工法
  下水道の歴史は古く、今から4千年ほど昔、古代インドのモヘンジョダロで作られた下水道が最古と言われている。又、日本では奈良時代の平城京において排水路が網の目のように町に作られたと言われている。安土桃山時代には大阪城の城下町に太閤下水が作られ、今でも使われている。しかし、非開削技術の歴史はまだ浅く昭和23年に大阪ガスの発注で国内初の推進工法が国鉄尼崎港線下の軌道工事で行われた。その頃の推進工事の方法は刃口推進工法といい、切羽と作業空間が隔壁で区切られておらず、人力で掘削する単純な方法であった。その後の技術革新は目覚しく昭和40年にはセミシールド刃口を用いてカーブ推進を熊本で施工、同年泥水加圧セミシールド推進工法が東京都下水道局により施工された。昭和52年には小口径管推進工法が開発され、推進管の中に人が入らずに作業をする遠隔操作での施工が可能になった。今では国内最長1,447mを達成した。工場で作る二次製品のパイプは直径3,000mmが最大でそれ以上の径はシールド工法が採用されている。しかし、平成17年に超大口径管直径3,500mmの推進が横浜市、千葉市で採用された。日本の推進技術は本当にすばらしく、それらの工事の許容範囲は上下左右ともプラスマイナス50mm以内である。又、大都市では早くから下水道が普及していたので、管渠劣化による道路陥没や管渠の離脱などによる流下能力不足が多く見られる。この対応として、我社が得意とする管渠の耐荷能力の向上や止水などを目的とした改築及び修繕といった新しい工法がある。その改築工法には更生と敷設替があり、更生の中には反転、形成、製管、鞘管方式などがある。我社ではすべての方式に対応しており、開削で敷設替する場合と既設管を更生する場合を比較すると管更生工法はエネルギー消費・環境負荷・コスト並びにソーシャルコスト(交通渋滞など)のどれを取っても大きく開削を下回る。
 我社が手掛ける非開削技術は以上となるが、私が入社して以来一貫して「規模は小さくてもいいから他社にない技術力」をコンセプトに現在に至っている。当社で何かお手伝いできることがあれば、なんなりとお申しつけいただきたい。

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【21年3月度産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ『 警備業における人材育成と人間関係 』

日  時:21年3月18日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:21名

株式会社メイアン
取締役社長 橋本昭一氏のご紹介

スピーカー:
宮本 理(みやもと おさむ)氏
株式会社メイアン 取締役教育部長

宮本 理氏

(橋本社長より)
◆はじめに
 名古屋銀行で38年勤務し、昨年、メイアンの社長に就任した。メイアンは警備業に携わっており、銀行とは企業風土のまったく違う、畑違いの所で新たにがんばっている。
 企業は人なりという言葉通り、人材育成は企業にとって重要な課題だ。人を育てあげることは本当に難しい。指導、教育を重ねて、人から人材、人材から人財となる。
 もうすぐ、新入社員がまた入社してくる時期だ。今の若者は、言われたことを素直に聞くという強みをもち、計画をたてたり、情報を集めるのは得意だが、仕事は与えてもらうのを待つ、指示待ち族が多いのではないか。また、共通の背景がない人とのコミュニケーションは苦手だと感じている。

(宮本取締役より)
◆警備業について
  現在、愛知県内には670の業者、32,000人の警備員がいる。振り込め詐欺など、犯罪予防の枠組みの変化により、警備業の存在価値と期待感が高まっているが、責任の重い仕事にも関わらず、警備員は権限がまったくない。
前身は警察官であったが、メイアンに入社して9年、一貫して警備員の指導に携わってきた。製造業では製品の良し悪しで商品価値が決められるが、警備業はサービス業で、商品価値は、委託警備の満足度や警備員の信頼度で決まる。ゆえに人材育成は重要な課題である。

◆人材育成とコミュニケーションの重要性
  警備業界全体では、なかなか人が集まらない。弊社では30〜40代の社員が多く、また、転職組が多い。教育においては、人には長所と短所があるため、その人の強み、個性を伸ばすようにしている。性格はなかなか変えられないが、態度や習慣を変えていくよう育成する。
  インターネット社会では、メールで事足りるため、人と話す力が低下しがちになる。挨拶をきっかけに、名前を言って呼びかけるなど、コミュニケーションをとることは信頼につながっていくと思う。
  明るく、活気ある職場づくりには会話が欠かせない。会話が人のやる気、活力を生み出すように、私は、年に1回、30分〜1時間程度の個人面談を行っている。人は、会話を重ねることで不満が和らぎ、満足の動機づけをする。闘志をかきたて、気を送り続けると、私自身の情熱が伝わって、話す内容が聞き入れられると思う。今後も、優秀な警備員の育成に努め、皆さんの期待に応えていきたい。

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【21年4月度産業懇談会(木曜G)模様】

テーマ『 世界の食糧事情 』

日  時:21年4月2日(木) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 曙の間
参加者:37名

豊田通商株式会社
顧問 佐原伸彦氏のご紹介

スピーカー:
兵頭 誠(ひょうどう まこと)氏
豊田通商株式会社 常務取締役

兵頭 誠氏

1.世界の食糧事情
  異常気象による不安定な穀物生産に加え、発展途上国の人口増加、飼料穀物・バイオ燃料等の需要増加により、世界の穀物在庫率はここ40年で最低水準に近いレベルとなっており、今後も穀物需給の逼迫は継続すると見込まれている。さらに、一時より落ち着いたものの、穀物市場へファンドマネーが過剰流入し、穀物価格の高騰が起こるなど、お金を出せば、いつでも食料を買える時代は終焉した。
  食糧危機は1960年代にも起こったが、この時はアメリカが農業研究開発や農業インフラの大規模投資を支援したことで農業生産性が劇的に向上した。一方で、遺伝子組換作物が台頭し、その結果、今では大豆の60%、トウモロコシの25%が遺伝子組換作物となった。今後は、健康、環境への影響を見極めながら、収穫量を増やす事を目的とした遺伝子組換技術の開発が加速されると思われる。

2.日本の食糧事情
  世界の農産物の輸入額に占める日本の割合は5.7%で、これはEU、アメリカに次ぐ水準。総輸入額から総輸出額を差し引いた純輸入ベースで見ると、世界最大の食料輸入国となっている。その一方で、先ほど話したとおり、世界の農産物の需給は逼迫しており、海外から安定的に大量の農産物を調達することが難しい時代を迎えている。
  先進諸国では、食糧管理は安全保障というのが共通認識で、食料自給率を維持するために農業に対して特別に保護をしているが、日本の食料自給率はこの40年で半減し、2007年時点で、カロリーベースで40%となり、主要先進国の中で最低水準になった。
  一方で現在、WTOの農業交渉問題があり、交渉結果によっては海外からの農作物輸入に関する高関税品目が削減されるなど、日本の農業生産者には大きな痛手となる。この先手を打つためにも、国内農業の振興、そして、食料自給率の向上は重要な課題となる。農水省では、2015年度迄にカロリーベースの食料自給率を45%、将来的には50%以上を目標にして取り組んでおり、現在、「米の消費拡大」「飼料自給率の向上」「休耕地での飼料作物生産の推進」「余剰米の飼料化」「飼料米の生産推進」等の検討が進められている。

3.商社の打ち手
  「食料の安定調達」の観点から、各商社はより産地に近い商流の川上へ布石を打つことで、食料調達のパイプをより強固なものにしている。当社の事例としては、食料の安定調達に向け、天候リスクの軽減をはかるため、北米、南米の産地に加え、新たに中央アジアからの調達を検討して分散を図っている。また、調達のルートを確かなものにするため、海外からの農産物を日本だけではなくアジア周辺地域にも販売して、バイングパワーの増大や、産地の効率性向上等により調達力を強化している。
  一方、国内での生産事業も始めた。これは安全・安心の消費者ニーズ、生産から販売までのバリューチェーン構築、国の自給率向上の大方針がきっかけであったが、農業従事者の6割が60歳以上で、耕作規模も小さい日本農業の現状を冷静に見つめると、企業のノウハウを活かした大規模化・トヨタ生産方式を活かした生産管理のプロセス等の導入により、国内農業の発展に貢献したいと思う。

4.食の安全について
  最後に、食品の安全について。昨今、日本では多くの食の安全に関わる事件、事故が発生している。消費者の皆様に安全な食を提供するためには、製造、物流、販売のすべてのものが目先の利益にとらわれず、責任感を持って業務を行わなければならない。当社では、食の安全推進チームをさらに強化し、「食の安全に対する意識付け」と、「食の安全を構築・展開・管理するしくみ作り」を徹底している。当社に関わる原料を提供してくれる海外サプライヤー、海外協力工場等、食料ビジネスに関わるすべての人達に、食の安全を守るという意識を徹底させていく事が大事と考えている。

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【21年4月度産業懇談会(水曜第2G)模様】

テーマ『 経済大国から生活大国への大転換が始まります 〜三英傑を支えた女性達の知恵を活かして家事サービス〜 』

日  時:21年4月8日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:24名

スピーカー:
植田 貴世子(うえだ きせこ)氏
株式会社キャッスル・ファミリーコンシェルジェ名古屋
代表取締役

植田貴世子氏

1.株式会社キャッスル・ファミリーコンシェルジェ名古屋(CFCN)
  CFCNは、私が経営している生活価値創造企業で、コンサルティング会社の「あまねく」と、名古屋城にある「ウェスティンナゴヤキャッスル」の関連会社、「キャッスルサービス」との合弁会社である。生活価値創造事業として築いてきた叡智、現業で蓄積してきたノウハウ、そして「ウェスティンナゴヤキャッスル」のブランド力が集結されて、名古屋に根ざした事業を展開している。この会社経営を通じて、子育てのすばらしさと家庭のあたたかさ、そして「輝くこと」のすてきを「伝えたい想い」として、料理、洗濯、掃除、買い物、ご家族の行事日、介助など、「生活、暮らしの中で起こる困った」を解決する生活総合支援サービスを提供している。
  CFCNでは、非効率かもしれないが、生活者を起点として、お客さまの理屈最優先の取り組みを実行しており、「私合わせ」「お子様のしあわせ」「家族の幸福」の3つの幸せを理念に掲げて、心の満足の実現を目標に、心を添えたサービスを提供している。
  この心を添えたサービスを提供するためには、人材育成が重要な鍵となる。男性の皆さんは、ご存知ではないかもしれないが、奥さん、お母さんは、洗濯、掃除、料理など、家事をするとき、必ず、家族の誰かの顔を思い浮かべながらその仕事に従事している。それがまさに「家族を想う心」であり、これがあるから、365日、毎日、同じことを繰り返しできるのである。この「家族を想う心」が、私たちのサービスには欠かせないものであり、ここに人材教育の力を入れて取り組んでいる。

2. 経済大国から生活大国へ
  三英傑を輩出した名古屋には、生活大国に向かうお手本があると思っている。日本の3大都市(東京、大阪、名古屋)は、三英傑によって作られた街である。ここには妻たちの意見が反映されているものと私は考えており、特に、今も名古屋が3大都市の中で暮らしやすいのは、そのためと思っている。私たちのサービスはその地域の暮らしぶりを浮き彫りにするが、東京がビジネス都市であることに対して、名古屋は暮らし人に優しい都市、「奥様が大事」「家庭が大事」な都市と実感している。大いなる田舎でなく大いなる日本のふるさとであると言える。現在、私どもは各地域に事業展開しているが、奥様を気遣って、男性からの依頼が一番多いのが、ここ「名古屋」である。ものの本によると、戦国の武将は夫婦、二人三脚で天下取りを成し遂げたそうである。三英傑の武将は自分の立身出世のみではなく、奥様方に楽をさせてあげたいとか、いいものを着せたいなどの想いを馳せて、天下人になった。この夫婦愛の伝統がここ名古屋に脈々と受け継がれているものと思う。名古屋に事業進出するにあたり、業界の方からは否定的な意見を多くもらったが、結果は、全く逆で、立ち上がりのスピードが一番速く顧客単価の一番高いのも名古屋となった。
  「家庭と暮らしのあったらいいな」を伺うのが私どものサービスで、戦国時代から続く、家族愛、夫婦愛をベースにした、コトに合わせたモノ作りで、女性視点(目線)でサービスを開発している。例えば、三英傑を支えた女性たちの暮らしぶりや、良妻賢母のあり方をクローズアップして、立身出世のための新たな名古屋料理といったサービスができないかと思う。最近、「婚活」なる言葉があるが、彼女たちの目指すべき姿は良妻賢母で、夫の立身出世を望んでいるとの結果もあり、料理コンテストなどを組み合わせて新たなサービスが提供できるのではないかと思っている。
歴女(歴史探訪を好む女性)の出現が市場を賑わせている。その市場規模は700億、まもなく2,400億円になるとも言われている。時代を振り返っても、女性はいつも一足早く歴史の曲がり角を曲がるもの・・・ 歴女の心をつかむ、新名古屋名物・名所・創造が望まれる。
モノづくりの街、名古屋に、コトから生まれるモノづくりの視点が、新たな魅力を生み出す可能性がある。
  昔はコミュニティーがあって、皆が寄りかかり合って暮らしていたが、今は個別に独り立ちできる経済力がついたため、その必要がなくなった。しかし、社会からの関係性を絶たれることは不安になる。この心のバリア(不安)を人の手で解いていくのが、CFCNの業務と考えている。私どもでは、バリアフリーのための人のサービスを提供する仕事と位置づけ、最終的には無形のライフラインとして生活の中に組み込まれるようになりたいと考えている。
  今は、こういった需要が潜在化されたままになっている。ここを掘り起こし、市場を形成することで「こころの時代」といわれる21世紀に「暮らしのあったらいいな」をお手伝いできるよう、社会に貢献していきたいと考えている。

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【21年4月度産業懇談会(火曜G)模様】

テーマ『 名古屋開府400年、栄ミナミ音楽祭を契機とした街づくり 
〜住吉の語り部となりたい!〜 』

日  時:平成21年4月14日(火)12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 伊吹の間
参加者:29名

スピーカー:
深田 正雄(ふかだ まさお)氏
株式会社モリシマ 取締役会長
栄ミナミ地域活性化協議会・会長

深田 正雄氏

 本日は、これまで私が祖父深田良矩(明治21年生まれ)から聞いた、歴史記録などには載っていない名古屋の市民生活について話をしたいと思いますので、よろしくお願いします。

1.ユニークな那古野(江戸時代の名古屋)
  尾張古地図(養老元年)によると濃尾平野には海が広がっており、当時、那古野台地は僅か300人くらいの集落であった。しかし、ここは地盤が固くて地震に強いという特徴があったため、徳川家康が、息子(義直)のために城を構えて江戸を守る要塞にしようと、名古屋の街づくりははじまった。そして、築城とともに人口4万人の清須を街ごと移転する「清洲越え」を行った。清須は伊勢の人々によって街づくりがなされたため、「伊勢町」「桑名町」「長島町」「本町」「大津通」「伏見通」の通り名があるのはその名残である。
  このように名古屋は何もないところに京都に模してつくられた新しい城下町のため、「ゴミゼロ」「病気ゼロ」「犯罪ゼロ」「税金ゼロ」など、さまざまな発想とともに庶民が自由に住むことのできるすばらしい街となった。祖父が語るには「徳川御三家は、尾張が筆頭で、次に将軍家、そして最後に紀州の順である。つまり、江戸幕府は尾張のためにあった。税金もなく、四六時中、博打をして、遊んで暮らすことができたのが、ここ名古屋であった。御三家の筆頭でありながら、将軍を出さなかったのは、ここの住み心地が良かったからで転勤拒否のひとつ。」では、どうして尾張が裕福だったのか。それは材木のお陰である。木曽は幕府直轄ではあったが、将軍家は尾張に管理を一任、全ての材木は尾張のものになった。このため、江戸や難波で地震や火事が起きれば、資材として材木が必要になり、堀川の材木商が儲かるといった仕組みができあがった。
 また、尾張のお武家衆は幕府が決めたルール、「武家諸法度」などに縛られなかったため、庶民とも自由に交流することができ、文化や産業が発展した。武士の兼業の自由もあり「ものづくり」のインフラができ、「からくり」「和時計」「織機」「織物」「家具・仏壇」が発達し、近代産業革命が50年で完成したと言われる先進地域でもある。豊富な米を活用して、「酒」「酢」「みりん」にする食文化もユニークだ。これは、江戸の寿司のルーツにもなっている。

2.進駐軍 アメリカ村(戦後の名古屋)
  戦時中、名古屋は大空襲を受け、都心部は焼け野原になった。そこにアメリカ村(現在の栄2丁目:本町、伏見通り、広小路通り、若宮通りに囲まれた土地)が建設され、昭和21年春、132世帯の連合軍の将校およびその家族が移り住んだ。このアメリカ人たちは名古屋の人々と同化して共に生活し、戦後の名古屋の街づくりがはじまった。寺社仏閣に、農地解放と同様、敷地の6割を、市民には4割の敷地を供出させ、この土地を区画して公園や道路を整備した。名古屋中心の寺に墓がないのは、こうした土地の提供を通じて全て平和公園に移したためである。
  アメリカ人はよく名古屋の街に出てきて、庶民と一緒に楽しみ生活をした。江戸時代の尾張藩のお武家が庶民と一緒に遊んだことと同じように、進駐軍の軍人は名古屋の人々と遊んで一緒に文化や産業を啓蒙した。一番盛んだったのがキャバレーで、ミカド、アスターハウスなど東京や関西に多く進出した。また、ビルメンテナンス業、警備業、造園業、住宅業などは、アメリカ村でビジネスや管理の仕組みを学び、当地で起業した事例も多くある。
  アメリカ人と共生していくなかで、伝統の町人文化の結晶・お祭りも理解され、毎年5月15、16日に若宮八幡社から那古野神社に奉納する400年あまり続いた伝統ある例祭・若宮まつりも昭和26年に再開された。この祭りで大切なのが「からくり」で、今も焼失を免れた若宮八幡社にある住吉神社に人形が9体、ご神体として祀られている。これらの住吉からくり職人の人形は日本の「からくり」の元祖となったと言われている。

3.名古屋の文化活動やイベント(今の名古屋)
  江戸時代から恵まれた当地庶民生活を伝え聞くうちに、名古屋で「街づくり」は歴史文化を語りつぐことからのスタートと考えている。街づくりというものは、地域に関係する人々が行うことが最良の方法である。その一例が、ナディアパークで、地元の人たちの積極的な参加により、いつも人の集まる場所に生まれ変わった。さらに活気ある街づくりを目指して、数年前より当地にて飲食、物販など商いをする仲間たちが「栄ミナミ文化村構想」を立ち上げ毎月勉強会を開始。そして、3年前から「栄ミナミ音楽祭」を具体的なイベントとして開催。多くのアーティストの参加もあり、昨年は、9万人が集まる催事となった。今年もゴールデンウィーク明けの5月9日、10日に開催いたしますので、多くの皆さんに遊びに来ていただくとともに、是非とも皆さんからの応援・支援もお願いしたい。
 名古屋の歴史や庶民文化をこのような祭に参加することで楽しんでいただければと思っている。これからも「歩いて楽しい!」「コミュニティーはセキュリティー」をテーマに街づくりを進めていきたいと思っている。

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【21年4月度産業懇談会(水曜第1G)模様】

テーマ『 理想の繋ぎを追い求めて70年 』

日  時:21年4月15日(水) 12時00分〜14時00分
場  所:名古屋観光ホテル 18階 オリオンの間
参加者:16名

スピーカー:
成田 秀一(なりた しゅういち)氏
株式会社成田製作所
取締役社長

成田秀一氏

1. 会社紹介
  成田製作所は、1938年、名古屋市熱田区(熱田神宮側)に創業した。鉄道車両を繋ぐホロ(幌)のイメージが強いかもしれないが、製品売上構成は鉄道部品(ホロ)よりも自動2輪(オートバイ)向け部品の方が、今では高くなっている。2008年度の売上高は、不況の影響により対前年比で大きく落ち込んだが、67億円であった。従業員は267名で、市内の2工場のほか、豊川市御津町にメイン工場となる御津工場がある。
  それでは、成田製作所について、製品紹介とともに70年の「あゆみ」を説明させていただきたい。

2. 創立〜昭和33年
  会社は昭和13年、私の祖父である成田林(なりたはやし)が設立。当初はドアを繋ぐ蝶番からスタートした。元々、蝶番は鍛造されたものを機械加工していたため、大量生産できなかった。ここをプレス化することで、量産化が可能となり、品質の安定、コスト低減につながった。この技術が当社の基礎を築いた。その後、エアタンク、飲料タンクなどのタンク類の製造を始めたが、太平洋戦争が始まると経営の苦しい時期が続いた。
  戦後になり、鉄道事業の発展とともに鉄道車両関係の注文が入るようになった。最初は車両にある「竹製の吊り手」の製造からはじまった。そして、昭和21年になり、「ホロの製造をしないか」との声がかかり、ここから「ホロの成田」がスタートした。当時は一両に2個のホロをつけて、真ん中で結合させていた。雨合羽の材料を補整してホロを作っていたため、耐久性や、見栄えは良いものではなかった。そして、昭和24年、国鉄(現JR)が発足すると、電車のなかに設置する通風器、寝台車用の折りたたみ式洗面器、扉の引戸錠や窓錠などの商品を製造するようになった。また、新たなホロの製造にも取り組み、昭和29年に、今でも名古屋の地下鉄や名鉄電車でも使われている連鎖式(成田式)ホロを開発した。ホロは通常、布と骨で構成されているが中央部分が重力で下がらないよう、骨の間に斜めに骨を入れたものが連鎖式ホロである。この頃になると、素材もポリ塩化ビニルになり、カラーバリエーションが増え、耐久性が高まった。
  また、ホロ以外にもアルミ製品の受注も増えていった。今なお、アルミ溶接が得意なことは、この時代の技術伝承によるものである。

3. 昭和33年〜
  30年代半ばから0系(初代)新幹線の開発が始まり、国鉄と協力して新幹線用のホロ開発を行った。これがきっかけで今でも新幹線のホロは当社で100%受注している。さらに、車両が連結すると自働に扉が開き、ホロが接合される自動開閉ホロを開発し、成田エクスプレスに採用された。
  また、この頃は鉄道車両で培った技術を活かし、トラックのデッキなど、自動車部品も製造するようになった。

4.昭和53年〜
  50年代に入ると、鉄道車両、自動車部品に加え、二輪車部品を製造するようになった。当時、アルミ溶接、板金を得意にしていたこともあり、オートバイメーカーからオールアルミのフレーム部分の製作を任された。当社には「溶接がうまい」「その歪みを整えるのがうまい」といった技術者が数多くいたが、そのものづくりは鉄道中心であったため、量産化技術がなかった。このため、この受注を通じてお客さまの指導の基で量産化技術を確立することができた。
  変わったところでは、車両の仕事がないときのために、ペット用の犬猫病院向けのケージを製造、販売した。ところが、ステンレスで錆もなく長持ちするため、販売が一巡すると、販売がなくなってしまうなど、いい製品をつくりすぎたと思っている。
  また、海外へも事業展開していたため、海外技術者の指導をする研修も活発に行ったのもこの頃であった。

5.平成元年〜 
  鉄道車両や自動(二輪)車の部品製造に加えて、最近では冷凍、冷蔵コンテナやディズニーランドに設置してある身障者の方が利用するユニバーサルシートなどへも製品展開している。また、バス、電車や看板広告でお馴染みのラッピング事業、「NAVICOM(ナリタ・ビジュアル・コミュニケーション・グループ)」もスタートさせた。これは、鉄道車両の側パネルや内装パネルをつくるのにかなりのポリ塩化ビニルの化粧シートを使っていたため、この技術を活かして住友スリーエムと共同で市場開拓を目指して始めたものである。
  当社は、経営理念「客先要望を親和と創造で完遂」、行動指針「無限の可能性に挑戦」とともに、その実現を目指して取り組んでいる。私は3代目なので、私自身が築いた実績はないかもしれない。しかし、車両を繋ぐホロの製造を一生懸命がんばっていくなかで、私は「人と人との繋がり」「技術と人との繋がり」が一番大切だと思っている。これからも皆さんとの繋がりを大切にして、いろいろなことを教えていただいて、頑張っていきたい。

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【新会員自己紹介】

清水 眞男氏
水曜第2グループ

清水 眞男(しみず まさお)
株式会社シーテック 取締役社長

【株式会社シーテック】
〒467-8520 名古屋市瑞穂区洲雲町4-45
TEL:052-852-6911 FAX:052-852-6934
URL:http://www.ctechcorp.co.jp/

(株)シーテックの清水 眞男でございます。
このたび、産業懇談会水曜第2グループにお仲間入りをさせて頂くことになりました。
生まれは愛知県知立ですが、現在は市内西区に在住しております。
弊社は、中部電力グループの一員でありまして、電力部門の発変電・送電・情報通信・土木工事等で培ってきました技術力をコアにした総合電設業を営んでおります。
創業は昭和37年でございます。
因みに最近では、新エネルギーで注目の風力発電事業に進出を図り現在、三重県の青山高原では、8基を運転中、さらに同地で新たに19基の建設を進めています。
今後、異業種の皆様との交流を通じて貴重なご意見を拝聴してまいりたいと、
思っております。どうぞ今後ともお見知りおきを願い、
ご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。


中村 和世氏
火曜グループ

中村 和世(なかむら かずよ)
ローレンシャンスクール 校長
Laurentian&Company株式会社 代表取締役

【ローレンシャンスクール】
〒461-0032 名古屋市東区出来町一丁目9番9号
電話:052−932−1353 FAX:052−932-1317
URL:http://www.iq-kids.net/

 ローレンシャンスクールの中村和世と申します。名古屋で生まれ育ちましたが、大学時代より20代のほとんどを、イギリス・アメリカ・中国などの海外ですごしました。海外の行く先々で、ヨーロッパ等の名門プライベートスクールで一流の教育を受けてきた方々と接する機会を頂き、"地元・名古屋にもこのようなスクールがあったら"との強い思いを胸に帰国いたしました。帰国後は、母の創設致しましたスクールを引き継ぎ、幼児教育(2歳)から大学受験までの幅広い年齢のお子様方をお預かりいたしております。
 現在は、2年前に設立されました南山大学附属小学校の入学のお手伝いをさせて頂く機会も増え、母校の発展を大変悦ばしく、また、誇りに思うと共に、日本の未来を担っていく大切な宝であるお子様方の教育に関わらせていただいている重みを日々感じながら、一日一日を全力投球で進む毎日でございます。
 東区徳川美術館近くの校舎には、机上の勉強だけでなく、幼少時より日本の文化や芸術・歴史などにも触れるきっかけにしていただきたいとの思いより、ミニチュアのお茶室をしつらえました。『ローレンシャンスクールは小さな紳士・淑女を育てます!』をフレーズとして掲げ、平和で豊かな世の中を牽引していく人材の育成に微力ながら貢献して参りたく存じております。
 春和のみぎりより、このような会で勉強させていただく機会を頂戴しましたことを心より感謝申し上げますと共に、皆々様方のご指導ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。

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【5月度産業懇談会開催日程】
場所は、名古屋観光ホテルです。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄
5月12日(火)
12:00〜14:00

東海理化販売(株)
取締役社長 岩佐 泰樹氏
「実業の狭間で中部のデザイン界と共に40年」
〜ものづくりからことづくりへの転換点を迎えて〜

18階
伊吹の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇

5月20日(水)
12:00〜14:00

(株)リーダーズドメイン
取締役会長 窪田 貞三氏 
「今こそチャンス、理念経営成功法」
18階
伊吹の間
水曜第2グループ 片桐清志
谷口正明
5月13日(水)
12:00〜14:00
水口・中村法律事務所
弁護士 中村 弘氏
「不動産取引と瑕疵担保〜売買した土地等から予想外の廃棄物や有害物質が出てきたとき等の紛争はどのように処理されるのか」
18階
伊吹の間
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
5月7日(木)
12:00〜14:00
(株)ポッカコーポレーション
創業者 谷田 利景氏
「私の50年にわたるチャレンジ人生
<コカコーラに挑んだ男>」

18階
伊吹の間


【6月度産業懇談会開催日程】
6月10日(水)以外の場所は、名古屋観光ホテルです。
グループ名 世話人 開催日時 テーマ・スピーカー 場所
火曜グループ 各務芳樹
深田正雄

6月9日(火)
12:00〜14:00

名古屋ステーション開発(株) 取締役社長
阿曽 克彦氏
「未定」
3階
楠の間
水曜第1グループ 飯田芳宏
落合 肇
6月17日(水)
12:00〜14:00
岩部建設(株) 取締役社長
岩部 一好氏 
「読書感つれづれ」

18階
伊吹の間

水曜第2グループ 片桐清志
谷口正明
6月10日(水)
11:00〜17:00
リコーエレメックス(株)
岡崎工場 見学会
岡崎市
木曜グループ 河村嘉男
倉藤金助
6月4日(木)
12:00〜14:00

真清田神社 宮司
飯田 清春氏
「日本の伝統文化について」

18階
御嶽の間

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【お知らせ】

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【アートコーナー】

「日本の塔・月」(コンピュータ制御からくり人形)
夢童 由里子 作(愛・地球博記念公園・モリコロパーク)
愛・地球博のために制作し、185日間の期間中人気を博した作品

日本の塔面かぶり童子 サイズ/幅8m・高さ10m・奥行き3m(合計5体の人形)
上演時間/5分(オリジナル音楽・作曲/演奏 東儀秀樹)
1日5回:11:00、12:00、13:00、14:00、15:00に作動

日本の光と、風と、水をあらわし、悠久の時のながれを伝えるこの塔は、月の形で象徴された過去から未来への渡し舟。
天空を舞う童子達が、希望、優しさ、凛々しさを、そして、北を指す大地の矢が前進する勇気を示します。
愛・地球博閉幕後も長久手会場日本ゾーンに永久設置モニュメントとして保存され、会場跡地である「愛・地球博記念公園・モリコロパーク」へ訪れる人々を、当時と同じ場所、姿で出迎え、変わらぬ演技を披露しています。

発注者/(財)2005日本国際博覧会協会・愛知県


コメント

この作品は当初もっと「こいの池」からみて、右か左かに寄るはずでした。しかし、地質検査(N値を調査)の結果、基礎工事のボーリングがど真ん中にしか出来ないということが判明し、池や広場からみて「正面真ん中」に設置される事になり堂々の立ち姿でご披露できました。
最初は1日1時間に1回で12回作動の設定だったのですが、観客からのご要望が余りにも多く、博覧会協会に寄せられ、開会してまもなく30分に1回という信じられない稼動タイムを再度、設定しなおしました。
185日間、1日25回、1度も故障させることなく、観客の皆様方に見ていただけた事は望外の喜びです。
この作品は愛・地球博メモリアル公園(モリコロパーク)に(他は全て撤去されましたが)、そのままアートモニュメントとして唯一、現存し、今も1日5回作動してお客様の目を楽しませています。
愛・地球博メモリアル公園(モリコロパーク)地図

プロフィール
造形作家 アート・プロデューサー夢童由里子

京都市出身。京都市立芸術大学日本画科卒業 。
和洋共生をテーマに大掛かりなコンピュータ制御の「からくりモニュメント」の作品を全国各地に設置。また、石彫、ブロンズ、ステンレスの「野外彫刻」、モザイクタイルやコンクリートの「アートレリーフ」など、作品は多岐にわたる。国内及び海外展(アメリカ、ドイツ、フランス、デンマーク、中国、オーストラリア等)も多数。
講演、エッセー、まちづくり、アートプロデュース等でも活躍中。
企業顧問、アドバイザーにも多く就任。各市町村の公職、委員等多数。
著書に「尾張徳川をんなの群像」(毎日新聞社刊)他。

  • 日本国際博覧会(愛知万博)では、KARAKURIモニュメント「日本の塔(月)」(高さ10m )が永久設置となる他、「万博大学」、世界の子供が描く3万点の絵の展示「ジャパン・アートムーブ・プロジェクト」、「からくりコンテスト」等 6つのプロジェクトを成功させる。「モリゾー&キッコロからくり人形」は万博終了後、上海世博会事務協調局に寄贈され、現在も上海科学技術館において稼動中。
  • 名古屋城本丸御殿復元を目指す市民団体「本丸御殿フォーラム」を1994年設立。企画・立案した「春姫道中」は今年で15年目を迎える。
  • 愛知万博の理念・成果を「2010年上海万博」に継承するプロジェクトを進める「NPO法人ドリーム・コンプレックス」を2007年設立。会長に就任。
  • 「第1回名古屋ワイン文化大使」、「第2回ポメリー中部文化賞」、「第6回都市文化奨励賞」等。
  • 愛知工業大学客員教授、名古屋造形大学客員教授、中京大学客員教授。

夢童由里子
459-0024 名古屋市名東区本郷2-150
tel:052-774-6891 fax:052-778-6910
mobile:090-2610-5925 mail:mudo-art@mm.neweb.ne.jp
夢童アートHP:http://www2.neweb.ne.jp/wc/MUDO-ART/
本丸御殿フォーラムHP:http://www2.neweb.ne.jp/wd/honmaru/
ドリームコンプレックスHP:http://dreamcomplex.net/
夢童ブログ:http://blogs.dion.ne.jp/honmaru/

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【コラム】

花ちゃんからの健康だより
〔花ちゃんからの健康だより〕 No.61

株式会社 スズケン
保健師 佐藤 花子

『 新入社員を育てる意外な手腕 』

 青空にこいのぼりが似合う季節になりました。21年度のスタートとして、皆様はさわやかな笑顔で温かく、新入社員を迎えられたのではないでしょうか。

 人を育てることは難しいけれど、生きがいであることが多い。仕事において後輩や部下を育て、会社も成長していくことは理想的な姿です。とはいえ、パワハラ、セクハラご法度ですから、時々、声かけやしかり方、教え方に悩むという管理監督者の声を聞きます。また、過去には熱心さのあまり、知らず知らずのうちに、成長にブレーキをかけてしまっている光景を見たりしました。

 ウィニコットという精神分析医は子育てにおいて「ほどよい母親(good enough mother)」を提唱しています。子供のある発達段階において、「完璧な母親」は決して最善の母親ではないと。そういえば、子供の頃、親の目を盗んで、わくわくするような挑戦をしたり、親となっては、子供のしていることをわざと見ぬふりをして見逃したこともあったりしました。ということは、完璧な上司より、うっかりミスをすることがある上司は、人を育てるときには最善なのかもしれません。つまり、上司の失敗は、部下を育てるための意外な手腕の1つのようです。
さらに徳ある人はこう言っています。「人生に初心者もベテランもない。ともに人生を修行していく仲間と考えて生きていくことだ。」
 私は少しばかりの知恵しかないのに先輩面して格好をつけてしまいます。そんなときに思い出したい言葉です。格好をつけすぎないことも、部下を育てるための手腕の1つと言えそうです。

 今年も、新入社員がすくすく育つように、先輩方はそれぞれの手腕を存分に発揮していただきたいと思います。そして新しい仲間の初々しい挑戦に期待しつつ、私たちもひとつ進級しましたので、わくわくするような新しい挑戦もしていきましょう。

人はすばらしい能力をたくさんもっているどれだけそれに気づき発揮できるだろうか

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コラム【理念経営物語】
株式会社リーダーズドメイン代表取締役会長
窪田経営塾塾主
窪田 貞三

理念経営成功例:No.11

【 潰さない経営 】

  夢に向かう経営、積極的な経営、攻撃的な経営など、経営には「プラス思考」「上昇志向」が必要です。しかし、企業経営は「山あり谷あり」であり、いつもいつも前向きには行かないものです。時には危機も訪れるものです。どんなに成長を続けて来た企業でも、危機を乗り越えることが出来ず、潰してしまえば、それまでの成長は「ゼロ」いや、「マイナス」となってしまいます。
  以前、天才ベンチャー経営者とマスコミから持て囃されたA社のBという経営者がいました。A社は飛ぶ鳥を落とすように成長を続け、当然のようにマスコミはその経営者であるBを褒め称えました。そして、いつの間にかBはまるでタレントのように毎日マスコミに顔を出し、「成長を続けることこそがA社にも、日本経済にとっても正義であり、成長こそが自分自身の理念である」といったことを言い続けました。一方、ほぼ同じ時期に起業したC社(A社と同業)のDという経営者がいました。C社はA社ほどではありませんが、成長を続けていましたが、DはBと比べて、表に出るのを嫌い、毎日毎日真摯に研究開発を行っていました。しかし、起業3年目になって、C社は最大の危機を向かえました。マスコミの影響もあり、知名度が上がると同時にA社の業績が急成長するのに対して、技術面ではA社に優るが知名度は低いC社のシェアはA社に喰われて行き、業績は急激に低下しました。それでもDは研究開発を続け、「本当に良いものを、真に社会に役立つものを創り続けることこそが自分の理念だ」と信じ、行動しましたが、危機的状況下、社員の7割近くはA社に引き抜かれて行きました。しかし、Dの理念に惚れて入社した社員はA社からの引き抜きにも目をくれず、Dを信じ続けました。そんなある日、A社の不祥事がマスコミによってスクープされました。それは成長を続けるため、拡大するため、利益優先の経営を行った結果でした。その後A社は急降下し、廃業にまで追い込まれました。つまり理念なき経営の結果でした。一方でC社は、Dの理念の基に集まった社員達の真摯な行動が評価され、その後大きな成長を見せました。Dは言いました。「理念と理念に集まった社員達のお陰で成長出来たのではなく、そのお陰で潰れなかった。潰れない限り、我々は社会に役立つ技術を提供し続けられる」と。

解説

企業経営にとって、最も重要なことは、ゴーイングコンサーン、つまり継続することであり、潰さないことです。そのために必要なことは、自社という場ではなく、常に社会という場に立って経営を行うことでしょう。

理念経営論

理念経営論とは、
根本にある理念に基づき、ビジョンに向かい、
木(企業組織)は成長していく。それが理念経営論です。
根をしっかりと伸ばすことで、木は成長します。
理念経営論は、
(1)本質的経営=理念創造・実現経営
(2)夢実現経営=ビジョン創造・実現経営
(3)実践的経営=全社員自立・実行経営

以上、3つの柱から出来ています。

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コラム【「ほん」のひとこと】
 〔「ほん」のひとこと〕No.6

株式会社 正文館書店 取締役会長
谷口正明

『情緒と日本人』 岡 潔著・PHP研究所刊

 「たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。芭蕉もほめています。漱石もほめています。」(岡潔『風蘭』より)
  20世紀の日本が生んだ世界的数学者・岡潔のこの言葉を読んだとき、目から鱗が落ちる思いがしました。小説を読むとき、絵画を見るとき、音楽を聞くとき、私は知らず知らず「評論家」になっていたことに気づかされたからです。素直な気持ちで「いいなあ」と感じることを忘れがちになっていたのです。知的なことより大切なことは、心で感じることだと痛感しました。

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コラム【苗字随想】
〔苗字アラカルト〕 No.83

片桐清志

「織」と「綾」


  糸篇の苗字で「織」で始まる苗字も結構たくさんあり、41種が見つかった。一字姓の「織」さんもいて、オリ・ハトリ・ハトリベ・オダなどの読み方がある。人気のトップはやはり織田(オダ・オリタ)で、織部(オリベ・ハトリベ)、織戸(オリト)、織原(オリハラ)、織本(オリモト)、織茂(オリモ・オリシゲ)などが上位を占めている。
 ユニークな織姓では織子(オリコ)、織方(オリカタ)、織家(オリイエ・オリカ)、織作(オリサク・オリヅクリ)、織幡(オリハタ)、織畑(オリハタ)、織毛(オリモ)、織笠(オリカサ)、織金(オリカネ)などが見つかった。
 「織」と似た表現に「編」があるが、苗字にも少ないが登場する。一字姓はないが編田(アミダ)、編沢(アミサワ)、編笠屋(アミガサヤ)の3種が見つかった。
 「縫」姓も10種類見つかった。一字姓の「縫」もありヌイと読めばよい。ユニークな苗字には縫伴(ヌイトモ)、縫部(ヌイベ)、縫殿(ヌイドノ)などが見つかった。
 「繕」姓も少ないがある。一字姓もあり、ゼン・カシワデと読むようだ。ほかに繕亀(ゼンガメ)、繕棚(ゼンダナ)、繕場(ゼンバ)、繕所(ゼゼ)が見つかった。
 「組」も苗字に登場し、15種見つかった。ユニークな苗字では組頭(クミガシラ)、組橋(クミハシ)などがある。
 「綾」は人気が高く33種と結構多い。ランキングでは綾部(アヤベ)がトップだが、綾田(アヤタ)、綾野(アヤノ)、綾小路(アヤノコウジ・アヤコウジ)などもおなじみだ。綾織(アヤオリ)、綾香(アヤカ)、綾目(アヤメ)などは優雅だ。一字姓もありそのままアヤと読めばよい。最近では名前にも綾があるので「綾 綾」さんがいたらまさにAYAYA?だ。

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【平成21年4月号編集後記】

 中部経済同友会の定時総会が4月17日に開催され、古川体制がスタートした。昨年秋以降の世界的経済危機が続く中で、「今こそ示そう中部の力 〜明るく豊かな世界を目指して〜」のテーマを掲げてこの一年様々な活動を展開していく。川村代表幹事には激変期の会の運営、本当にご苦労さまでした。
  産業懇談会も新年度のスタートだ。事務局メンバーも一新した。この一年お世話になった長瀬さん、藤原さんに感謝したい。また今年度お世話になる岩間さん、山田さんにはよろしくお願いしたい。世話人も水曜第二グループで内藤氏が谷口氏に交代した。新しい風をご期待いただきたい。
 産懇宅配便も今月号からおなじみの連載「コラム」に加えて「アートコーナー」が新たに登場した。担当いただくのはユニークな「からくりモニュメント」で知られる夢童会員だ。たくさんの作品の中から毎号一作品をご紹介いただく企画だ。なお先月号のコラム3の『「ほん」のひとこと』が編集子のミスで掲載漏れとなってしまった。この場を借りてお詫びする。
 例会模様も今月は盛りだくさんだ。いずれも各分野の知られざる一面をご披露いただいた。この道一筋ならではのお話からは奥の深さが伝わる。ご多忙な中、いろいろご準備いただき本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。本年度も本誌が会員の「繋がり」に役立つよう心がける所存だ。

(片桐)